そう。
じゃあこのアドラシー理学っていうのはどういうものなんですか?
以前流行った嫌われる勇気とか、読まれたことある方もいると思うんですけど、
改めてアドラシー理学とは何かっていうのはどういうものなんですかね?
心理学っていうのはいっぱい流派みたいなのがあるんですよね。
その中でも最も古い古典に入るものの1つがアドラ。
そうなんですね。
フロイトとかユングっていうのは多分一般の人でも何となくどっかで聞いたことある名前ですよね。
世界3大巨頭としてフロイト、ユング、アドラ。
3人。
3大巨頭。
3大巨頭なんですよ。
フロイト、ユングとアドラの違いは、
フロイト、ユングっていうのはいわゆるアカデミックの大学の中で心理学をアカデミックに研究するみたいな感じ。
弟子もたくさんいて、研究して論文書いて。
大学の中でみたいな感じですね。
大学とかで心理学っていうとその2つがよく出てますもんね。
そうですね。もうだいたいそこがベース。
大学のアカデミックの世界でアドラやってるって人は本当にマイナーなんですよ。
なぜかというと、アドラ自身はもともとお医者さんだったんだけど、あるきっかけで心理学者に転じていくんだけども、
彼、アドラって人の名前ですけどね、アルフレッド・アドラというおじさんのやりたかったことは、
アカデミックな研究とか論文を作るとか弟子を作って学抜を作っていくとかっていうことにはほとんど興味を示さずに、
より臨床とか現場の人、そっちに興味を持った人。
現場主義だったんですね。
その現場って何かって言った時に、例えば夫婦関係とか、親と子が大人になった私と老いていく自分の親との関係みたいな、
これ愛のタスクって言われるんだけど、私と家族のメンバーとの関係の問題。
家族が多いですね。
それから交友のタスクって言われるんだけども、コミュニティとか友人関係で悩んだりもするわけですよね。
家族の次に周りにいる人たちとの関係。
なるほど。
もう一つが仕事のタスク。
いわゆる職場の上司と部下とか、私とお客さん、取引先とか。
だいたいこうやって数えていくと、現代の人も同じような人たちとの間で悩んでるっていう。
家族、交流、仕事。
家族、交友、友達と仕事。
その3つのタスクっていうんだけど、そこで悩んでる人たちに対して、別に心理学のプロとか大学で学んだりとか、
研究者にならなくても、
姿勢の人々がそういった人たちとどうやって仲良くするの?っていうことに興味を持ち、そこに理論的な、理論を構築したっていうのがアドラシン学なんですよ。
仲良くなるための方法みたいなものなんですか、簡単に。
仲良くなるための方法というか、在り方。
在り方。
やり方の手前の在り方。
心の持ちようみたいな。
心の持ちよう、自分の人としての態度とか、物事を見る視点とか、視座とか。
そういったことに対して、枠組みを約100年くらい前に構築してくれた人。
なるほど。
っていうことですね。
特に家族とかになると、何だろう、関係性結構難しくなるじゃないですか。
夫婦もそうですし、家族親子間の難しさ出てきますけど。
出てきますね。
出てきますよね。どうやってそれ、どういう心持ちで向き合えばいいんですかね。
夫婦間で葛藤が起こった時とか、家族親子間での葛藤とか。
はい。アドラシン理学の特徴的な言葉、キーワードで、共同体感覚。
共同体感覚。
というのがあるんですよね。
簡単に言うと、共同体感覚っていうのは、共同体ってコミュニティじゃないですか。
まだ家族も小さなコミュニティですね。
私と近くの他者、この複数の人たちが、お互いを思いやって、自分も大事にするが、それと同じように相手も大切にする。
っていう感覚を持って、じゃあ今この目の前の課題をどう解決するっていう考え方。
できたらすごいいいですね。
いいですよね。
どうやってできるんだね。
そう。で、この共同体感覚を鍛えていくっていうかな。
練習を通して身につけていくっていうことが、人間の幸福にとって一番大事なことなんだよ。
それができれば、自分で自分のことを大切にすることができるし、自分だけ良ければいいっていうわがままではなくて、
同じように目の前の相手を大切にしていることもリスペクトを払うことができる。
それが家族、友達、コミュニティ、職場、国、隣国、こうやって拾われていくと世界平和ですよと。
で、アドラーは最後は、これも地球だけじゃないよと。
もう宇宙まで行くし、何なら過去とか未来も全部これ共同体感覚なんだみたいなことに最後行っちゃったのね。
で、その時点でアカデミックの世界からはもう妻弾きというか、完全にこいつぶっ飛んだよなみたいになっちゃったと思うんですよ、100年くらい前だとね。
でも今って、そういう話って、最も今っぽい感じじゃないですか。
アドラーっていうのは本当に100年くらい先に、今現在に生きる我々がどうやらこういうことなんじゃないのって気づき始めたことを予言してた人っていう。
なるほど、そういう感じだったかもしれない。
ちょっと面白いでしょ、だから。
そうですね、そっかそっか。
でもそれ結構根源的なものですよね。
自分も大事にできて、相手も大事にできたらうまくいくよねっていうのは、確かになって。
なんかさ、そんなことさ、別に本当にちっちゃい子にさ、幼稚園とか保育園とかさ、絵本とかさ、そういうので書いてあることと一緒じゃん。
確かに。
だから人間って、所詮本当にそういう一番大事な、すっごいちっちゃい子が最初に身につけるべき価値観みたいなことを、本当に大人になって丁寧に繰り返していくだけの、すっごいシンプルな生き物だよと。
だから幸せになるとか、家族の仲を良くするとか、職場にいい関係作って、実際にはすっごい悩んでみんな困ってるんだけど、本当の本当は非常にシンプルなんだぞっていうことをアドラを学んでると、シンプルさが分かってくる。
シンプルが故に難しさもありますよね。
そう。だから、100年画面の方に書いたんだけど、私のとこに悩みを抱えてやってくる人は、みんな複雑にしすぎてると。
考えすぎてるみたいな。
コミュニケーションをやたら、こんがらがらせてるよと。もっとシンプルに考えればいいのだということが書いてあって、夫婦なんかも本当にシンプルに捉えればいいんだけど、
親しき仲にも礼儀ありの礼儀を忘れてしまったり、自分の正義とか良かれを、それこそ相手のためをもって押し付けすぎてしまったり、
自分の分かってほしいことを、本当は伝えてないのに、なんで分かってくれないの?みたいに相手を責めたり、みたいな。
こんがらがらせの結果、本当は好きな相手なのに、無視してみるとか、賢度な態度で拗ねてみるとか、怒りをぶつけてみるとか、そういうことをやって、謎のアピールしてんじゃねえの?っていうことですよね。
こんがらがりやすいですよね。
期待をしちゃいますからね、夫婦だと。自分を愛してくれるはず、気遣ってくれるはずっていう気持ちもあるし。
夫婦は他人であると同時に、最も近しいパートナーでもあり、生物学的には自分の遺伝子とより離れている人に魅力を感じるっていうふうにできてるわけですよね。
要は家族で結婚できないっていうのは、つまり遺伝子がなるべく離れていって、そこでまた次の子孫を作ることで、より強い子孫を作るっていうのが、動物学はそういうふうになってくるんだから、フェロモンとかさ、なんかこの人の香り好きみたいなのは、自分と違う香りを持ってるフェロモンを出してる人に魅力を感じちゃうってことだから、
つまり夫婦っていうのはそもそも違うんですよ。
なるほど。離れてて当たり前みたいな。離れてるから夫婦なの?
お互い魅力を感じて夫婦になったのに、今度夫婦になった後、なんで離れてるんだって言って、違いを責め合うから、そこでおかしなことが起きるっていうことだよね。
どうやったらシンプルに考える?まずシンプルって何ですかね。
あれ自分も、それはアドレアが言ってるのは、自分も大事にして相手も大事にするっていうのが、シンプルに考えるとそういうことだよってことなんですか?
そう。共同体感覚って言葉は耳に慣れないんだけど、もっと簡単に言えば協力ですね。
お互いに協力し合う。
協力する。チームワーク。チームなんだから戦っちゃダメだよっていうことなんだよね。
だけど多くの夫婦は戦っちゃうんですよ。勝ち負けで主導権争い、俺の方が正しい、いや私の方が頑張ってるみたいな、これをやっちゃうから、その時点でもう間違っちゃってるんだよっていうこと。
だから戦わない。戦いそうになったら土俵から降りる。
どうやって降りるんですかね。
まあそれ自分が覚悟を決めるっていうことね。
どういう覚悟?
ここで別に負けることは私にとって不利なことではない。
負けることは私の何か否定とかに繋がるわけじゃないですか。私が無力なわけじゃないっていう。
ここで戦いを挑んできてる相手とガチで戦うのではなくて、自分から土俵を降りる、表面的には負けるっていう選択をすることが、実は長期的には勝ちに繋がるんだと。
勝ちっていうのは、俺の方が正しいっていう勝ちではなくて、本来目指してた、だって仲良くなりたかったんだよね、俺たちっていう、そのゴールに到達するためには、先に自分から土俵に、自分が土俵から降りた方がいいっていうことを選択するっていう。
長期的に見た場合に。
そうですよね。
その時に巻き起こる葛藤とはどう付き合えばいいんですかね。
でもそんな家じゃないでしょ。
うちでしょ。
うちでしょって、それはなるよなっていうことだよね。
本当すみません、本当ごめんなさいと思いますね。
なるほどですね、そこはなんか。
じゃあちょっと後で話に戻って。
協力していくことは、その時にいろんな葛藤がついて回るけど、長期的な視点を持って臨んでいく。
葛藤の処理って難しくないですかね。
バーって言うと先のこと考えられないじゃないですか。
その時はどうやって冷静になるんですかね。
夫婦の場合は、お決まりの葛藤が生じ、エキサイトするパターンみたいなのがあるでしょ。
いつも例えば子育ての方針でドンパチ始まるとか、お金の使い方とか、仕事と家庭の両立みたいな、お決まりのテーマみたいなのがあるじゃない。
繰り返されるんだよね。つまりお互いの正義や価値観が違っていいんだけど、違いがあるわけですよ。
だいたい同じパターンでいつも喧嘩が始まるって分かってるわけですよ。
だから実際にはみんなついエキサイトしてぶち切れちゃうって言うんだけど、本当はもうほぼ全て予測できてる。
毎回同じことで。
毎回同じテーマだから。
だからずっと興奮してはいないでしょ。
興奮してドンパチになっても冷却期間があって落ち着いて、また普通の日常の時もあるじゃない。
この日常の時にあらかじめいつもの我々のテーマっていうことについて対話、協力のための対話をするっていう。
普段落ち着いてる時にそういう時間を抱いて取るってことですか。
そうそうそうそう。
それどうですか、それ。
えーどうだ、必要性を感じればやるかもしれないけど、
例えばなんだろうな、子育ての方針で揉めて、
例えばうちの場合だと、うち田舎なんで塾とかないし、進学問題とかもないんですけど、修学事件とかもないので、
あれとしたら子供の習い事どうするみたいな、送り迎え大変なんだけど続けるのかとか、お金かかるけど続けるのかみたいな、
たまに葛藤起こるんですけど、どうだろうな、うち葛藤があんまりなくなってきたからな。
もうはや。
冷静、冷静ですか。
でもそれで言うとするとですね、僕ら毎朝朝一緒に走るんですよ、走る手が。
彼女が職場に行く途中にあるコンビニまで、彼女が今暑いんで歩いて10分くらい、15分か10分くらいで僕が自転車に乗って行くんですよ。
その時に色々話すんですよ、その10分くらいで。
習い事今やってるやつ、上の子がいい感じだねとか、もう10分じゃないかなとか、話を結構するんですよ、そこで。
朝じゃないですか。気持ちがいいじゃないですか。周りに緑とか多いんで、全然揉めないんですよ、歩いてるし。
言うとしたらそういう時間かもしれないですね、熊野さんがおっしゃった。定期的に落ち着いた時に話をするって言うと。
それがしかももうルーティンで、朝短い時間だけど、でもほぼ日々あるっていうのは、私はパートナーシップの持続とか情勢にとってすっごくいいものだなと思って。
みんな見習ったらいいって。結局はね、TTTって言うんだけど、タイムトゥートーク。
タイムトゥートーク。
もうそのキーワードね。夫婦は言わなくても分かるっていうのはあり得ないんで、やっぱ言わなきゃ分かんないから、
それを冷静に落ち着いて、未来思考、建設的な話し合い、論破とか討論ではなくて、ダイアログ、対話。
っていうことをお互い握り合って、短くてもいいからそれを続けるっていうのが本当に大事な、そして具体的なソリューションだと思います。
僕は今できてるんですけど、僕に相談される方の多くはそこまでいけなくて、
妻がですね、例えば子供生まれてばっかりのときにすごい一人で育てて大変で、夫にうまくヘルプを出せなかった。
もしくはうまく夫にヘルプを出したけど、夫は気づいてなかった。もしくは見なかったふりをした。
仕事ですごい大事なときだった。ここでしっかりと仕事で頑張っておくと、このとき昇進もできて、子供の生活も楽させてやれないなみたいな、頑張るときだなみたいな。
だいたい仕事の頑張るときと子育ての頑張るときが重なってしまうんですけど、っていう悲劇が起こって、妻はどんどん恨みを積み重ねていったと。
だけど夫も夫で頑張ったので、文句はなかなか言えないし言いづらいし、自分は頑張ってないみたいなので、夫にうまくヘルプを出せないと。
積み重ねて5年ぐらい経ったときにもう我慢ができなくなって、夫のことを見るのも嫌だと、話をするのも嫌だと。
本人も望んでないんだけど、顔も見たくない状態になっちゃうと。話しかけられるとすごい身体がシュンとなっちゃって、萎縮すると。
気がついたら冷たい態度をとっていた、みたいになると対話ができないんですよね。
話しても脅威、夫が脅威的な存在みたいな、恐怖の存在みたいになっちゃってるんで、そもそもちょっといやちょっと本当無理、話とか無理みたいになっちゃう。
ここまでいっちゃうとどうしたらいいですかね。
結構言ってるなっていうのが大臣賞なんだけど、ただアドラっていう人はアドレリアンって言うんだけど、アドレリアン的には未来思考でまだ改善の余地があると信じたいんですよね。
でもそれも最後はそのお二人が決めることだから、こちらが答えを持っているわけではないんだけど、今話を聞いた限りにおいては、まだでも復活する余地があるんじゃないかなっていうふうに思っているんです。
なぜかというと、でもなんだかんだ言ってブータレてるよねっていう。
文句を言っている。
つまりまだ本当はこの人にわかってほしい。
受け止めてほしい。
奥の方にあるでしょうね。
っていうのがまだまだ枯れてないかなと。
だからそこに公明を見出して、ここから振り返ればもっと早くにお互いわかってほしいことがお互いあったわけだから、もちろん良かれと思って遠慮したり言わなかったり我慢したりしたんだけど、本来だったらそこまで我慢しなくても良かったよねと。
お互い助け合うチームのメンバーなんだから、痛いとか困ってるとかっていう時に早めに法連想するっていう手立てがあったのに、お互いそれを選択当時はできなかった?あるいはしなかった?
4年というお互い様の振り返りの上で、過去のことどこ行ってもしょうがないんで、今からどうするっていう話ですよね。
それが後でよく覚悟を決めるって言うじゃないですか。覚悟?決める?覚悟?で例えばこういった状況になった時に、男性が何とかしたいと、僕の妻の冷たい態度から脱却したいと、何とかしたいんだと、何でもやれって言ったら熊野さんはどういう風にアドバイスを送りますか?
何かをするっていう手前があると思うんですよ。それは何かっていうと、まずやっぱり共感。
妻への共感? 妻への共感。ゾラシン理学というかアドラを学んで実践している私とか私の師匠とかの間では共感ファーストっていう言い方をするわけだけど、
とにかく自分が先に相手の立場に立って共感という振る舞いをしてみる。どうしたらできるんですか?
共感というのは、ゾラシン理学の方でも書いてあるんだけど、相手の目で見る、相手の耳で聞く、相手の心で感じるということを共感っていうのね。よく間違えやすいのが共感、同意、同情。
似てるけどちょっと違う。 自分と似てるような。
どれも相手に心を寄せるっていう、寄り添うという意味ではどれも似てるんだよね。だけど実はちょっと違う。多くの人は共感と同意同情がごちゃごちゃになってしまっているがゆえに、相手が欲している共感になってねえぞっていうことがありますよ。
同意って相手の言っている事実に何かアグリするみたいな、完全な何か賛成するみたいな意味だと思うんですけど。
意味じゃないんだよ。
違うんだ。どういうことなんですか?
つまり完全同意、アグリっていうのは同意なんですよね。
同意ですよね。
そうですよね。
共感は同意しなくてもいいわけ。
その意見に賛成しなくていい。
賛成するしないっていうことは共感という行いの中には入ってないんですよ。
同情は何なんですか?
同情は上下の関係。
上下、上に立つってことですか?
あなたがお辛くてかわいそうな人、私はそれを上から見て助けてあげましょうかみたいな施し目線で行った時に、相手はブチ切れるわけですよ。
お前なんで私のこと下に見てんのと。
私別にかわいそうじゃないからみたいに相手が逆情する時、こっちは。
ありそうですね。
ありがちなんですよ。これよくやるわけね。
結構やりそう。
もうマウントなのよ。そのつもりないんだよ。
自然こそ。
ほぼ自然なんだけど、要は自分の中にバイアスがあるわけね。
女だ、男だ、泣いている、拗ねている。
経済的な上限。
経済的な上限みたいな関係を支えてるのは俺とかね。