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2025-02-11 08:26

意思決定とアセスメント

意思決定とアセスメントについてお話しさせてもらいました。

サマリー

このエピソードでは、アセスメントの価値や意思決定との関連について考えられています。特に、アセスメントが意思決定の量と質を向上させるプロセスであることが強調されています。

アセスメントの価値
今回は、改めてアセスメントそのものについて、もう一回原点に返って立ち返ってみたいなということなんですけど、
改めてアセスメントの価値とか意味っていうものを、すごく自分自身が捉え直しています。
それはどんな捉え方かというと、意思決定をする準備とか、その手前でやるプロセスすべてをアセスメントと言ってしまっていいんじゃないかなというふうに今思っています。
結局は、意思決定っていうのがものすごく大事だと思っています。
これは、一個人のキャリアにおいても、一つの組織の組織運営においても、本質は同じで意思決定というものがとても大事じゃないかなというふうに思っています。
意思決定の量と質を担保したりとか、より高めていくためにアセスメントというものは使っていくものだというふうに捉えると、アセスメントの立ち位置というのがすごくはっきりしてくるんじゃないかなと思っています。
これはちょっと世の中のアセスメントというのがどういう定義をしているかというところまでは捉えきれていないですし、私が言っているような意思決定の手前のプロセスがアセスメントなんだという捉え方が既に存在するのかもしれないし、
あるいは評価とか査定分析ということでそういう解釈なのかもしれないんですけど、でも少なくとも自分が自分の頭の中で考えて今たどり着いている一つの形としては、アセスメントというのは意思決定の量と質を高めるための手前の一連のプロセスすべてのことをアセスメントと言ってしまっていいんじゃないかなというふうに思っています。
アセスメントの量というのは、本来するべきタイミングでの意思決定というのをいかに機械喪失していないかということがまず大前提じゃないかなというふうに思っています。
実は一番多いのって意思決定するべきタイミングで意思決定できていないとか、意思決定すべき人が意思決定できていないということが実は量の問題としては一番大きな問題なんじゃないかなと思っています。
特に個人において言うと、例えば会社の不満を言いながら会社に居続けている人の中で、その会社に今日も自分が出社するとか辞めるというふうに意思決定していないのは自分であるということを自覚している人ってすごく少ないと思うんですね。
ただ、その会社を辞める判断というのは誰ができるのかといったら働くその人しかできないわけなんですけど、果たして本当に自分がそれを決められるんだというふうに思っている人というのがどのくらいいるかというと結構少ないんじゃないかなというふうに思っています。
組織運営においても結構誰が何の責任を持っていてどんな意思決定をするのかということが決まっているようで曖昧な場面というのは結構あるような気がしているので、そういう意思決定すべき人が意思決定すべきときに意思決定をちゃんとするということがまず量の一つ目の課題だと思いますし、
より意思決定の数をその上で増やしていくことができれば活動そのものが増えていくので、どんどん発展につながっていくんじゃないかなというふうに思っています。
幸福と意思決定
それが意思決定の量というところです。
意思決定の質ということに関して言うと、どこまで行っても終わりはないとは思いますけど、そのときにできる限りベタな意思決定をするっていう、もちろんそのとき一番最高の意思決定をしていくっていう心構えで臨みたいですけど、
そういう意思決定の質を高めるということで、そのときにまず大きく考えられることっていうのが、セオリーと自分らしさみたいなことかなというふうに思っていて、
もちろん最終的には意思決定には意思決定する人にしかできない判断があるし、そこに自分らしさとかオリジナリティみたいなものが勝手ににじみ出てくるものだと思うんですけど、
だからこそベースの論理の部分とかやるべきことっていうものについてはセオリーとして抑えていく必要があるんじゃないかなと思っています。
セオリーを知らなかったりとか、セオリーを無視して意思決定するっていうことももちろんできると思うんですけど、質をよりベタにしていく、願わけばベストな意思決定をしていこうとしたときに、
やっぱりそういうベースとなるセオリーっていうのをちゃんと知るっていうことと、まずはそれをセオリーに沿って考えてみるということの結果として、最終的な意思決定っていうのができると良いんだろうなと思っています。
なので、そんな意思決定の量と質っていうものを担保するための活用できるもの、一連のプロセス、これをアセスメントというふうに捉えてみることでちょっと変わってくるんじゃないかなというふうに思っています。
なぜ意思決定にこだわっていくかっていうと、個人においても法人においても一番大事なことの一つが意思決定だと思うからですね。
個人において言うと、日本人の幸福度っていうのは世界的にも非常に低いわけなんですけど、それはこの意思決定を自分たちの人生において自分たちで意思決定をしているっていうふうに思っている人の割合が少ないから、それに連動して幸福度も低いんじゃないかというふうに私は仮説を立てています。
自分でしっかりと意思決定をすることさえできれば、その結果が一見いいような結果になろうが一見悪いような結果になろうが、自分で決めたっていうことで腑に落ちて前に進めていけますし、一見うまくいかなかったなって思えたことも経験や自分にとっての資産になってその次につながっていくものだというふうに思っています。
ただこれが自分で決めていなかったりとか、あるいは自分で決めていないというふうな思い込みに立っていくと、その失敗から得られた教訓があるにもかかわらず、そういったものがただの失敗だったりとか、後悔とか言い訳になっていって人生の不採になっていってしまうんじゃないかということを危惧しています。
なので、自分たち個人のキャリアとか人生における意思決定だったりとか、組織における意思決定っていうのが適切に、適切なタイミングで適切な人が行うということと、そのとき行う意思決定っていうのがセオリーを踏まえて、よりベターなものになっていくということをお手伝いすることで、幸福感だったりとか充実感を感じれる個人、組織ができる。
これが少しでも増えていったらいいなというふうに思っています。
今回はアセスメントのそのものについて、意思決定との関係について考えるということでお話をさせてもらいました。
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