2025-02-16 32:55

#8 別室登校について

別室登校ってなんだ?からの体験談。息子不登校の3年の間に、別室登校できるようになったり、学校は変化していきました。そして親の私も変化していきました。

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#不登校
#ばばさくら
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サマリー

今回のエピソードでは、別室登校の概念とその実際の利用方法が詳しく探求されています。特に、学校によって異なる別室の役割や、不登校の子どもたちに対する支援の重要性が語られています。別室登校は、子どもが教育環境でのストレスを軽減し、安心して学ぶための重要な選択肢とされています。親が子どもの気持ちを尊重し、学校と良好なコミュニケーションを保つことの重要性についても触れられています。このエピソードでは、別室登校の経験を通じて、親子の信頼関係の構築と自己信頼の大切さが語られています。また、卒業式や仲間との絆がどのように育まれたかも紹介されています。

別室登校の基本概念
みなさん、こんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています。ばばさくらです。
今回は8回目の配信になるんですけども、今回もテーマは不登校で、
今日はですね、別室登校っていう言葉を聞いたことがあるんじゃないかと思うんですけども、
その別室についてお話ししてみたいと思います。
前半は、別室って何?どんな部屋?っていうことをお話ししたいと思います。
そして後半は、その別室を息子が利用した体験談をお話しします。
前半後半で2つのことをお話ししようと思っています。
今回から、この本題に入る前に、あそびやさんの活動に関する告知、お知らせをちょっとしたいなと思います。
あそびやさんは基本的には、小学生を対象にした造形教室で、月火・水曜日やっています。
それと別に、木曜日に活動していて、そこでは親御さんたちとお話をしています。
主に不登校のことを含めて、学校のことをお話しています。
フィーカみたいな感じで、自由に参加していただく感じなんですけれども、
場所は、図志市のインクルーシブな託児所、ママ園っていうところがあるんですけども、
その2階のフリースペースをお借りしてやっています。
学校による別室の利用方法
詳細はホームページに載せていて、場所なんかもわかるようにしてあるんですけども、
ホームページはですね、あそびやさん図志って検索していただけると、
私のホームページが出ますので、そこからわかるようになっています。
よかったら遊びに来てください。
というわけで、告知はここまでにして、本題に入りたいと思います。
まず、別室ってどこにあるの?っていうことなんですけれども、
別室は、学校の中のどこかにあります。
そのお部屋が、みんなに知られていて、
お部屋に名前がついているような学校もあるし、
名前もなくひっそりと存在しているような学校もあると思います。
もっと言えば、そういうお部屋がない学校もあって、
ない学校は作りたいけど作れていないっていう学校もあるし、
そもそも根本からやり方が全然違くて、
疲れた子どもたちを休ませる方法が全然違うっていう学校もあるので、
本当にこれは学校によって様々です。
学校によっても様々だし、年度によっても全然違う。
じゃあ、そのお部屋で何をしているかっていうと、
教室でちょっと疲れちゃったなっていうときに、
一時的にそのお部屋を使わせてもらって休憩ができたりとか、
あとは、教室に登校するのがしんどい状態になっているときに、
教室にはたくさんのお部屋があって、
そのお部屋を使わせてもらって休憩ができたりとか、
一時的に登校するのがしんどい状態になっているときに、
教室には登校せずに、そのお部屋に直接登校して、
何らかの活動をして、そこから直接下校するなんていうことも
よくあるんじゃないかなって思います。
そのお部屋で何をしているかっていうと、
小学校と中学校でも全然違うし、
学校によっても年度によっても、その子の状況によっても全然違うので、
一概には言えないんですけれども、
疲れちゃっている状況だったら、ただゆっくり休んでいる子もいれば、
本を読んでいる子がいたり、教室でやっている授業をリモートで見ていたり、
先生と面談していたりとか、独自の課題をやっていたりとか、
本当に様々な過ごし方をしていると思います。
その部屋はどんな感じの部屋なのかというと、
多分多くは空いている教室を
一つそれ用に使っていたりすると思います。
あとは、そういうお部屋が確保できないときには、
同じような活動を図書室でやっていたりすることもあると思います。
今はどの学校にも教室が苦手なお子さんというのがいるし、
それも結構いるし、
学校もそういうお子さんたちに対して、
どういう形でどんなサポートができるのか試行錯誤していると思います。
学校はすごく変化のときだと思います。
学校によってやり方が違うのはもちろん、
年度によってもどんどん進化変化しています。
また、校長先生が変わったりすると方針がガラッと変わったりするので、
そういう別室に関しても変化があることが多いと思います。
校長先生が変わると方針が変わるというのは、
私立の学校だけじゃなくて、
公立の中学校や小学校もそういうことはとてもあります。
なので、去年までなかったそういうお部屋が
次の年にはできたりとか、
あとその別室の中での活動も、
例えば、勉強する場所であるという方針が
休む場所であるというふうに変わったりとか、
教室に戻すための場所であるというところから、
もうそこで完結する場所であるというふうに方針が変わったり、
個人の体験と成長
そういうことがいろんなところで起きています。
こんなふうに、今学校が変化の時だということをお話しした上で、
次に息子の体験談に入ろうと思うんですけども、
この息子の中学3年間というのも、
まさにもう学校が年々変化している時でした。
息子の時の話をすると、
中学1年のゴールデンウィークの後、
夏休みより前だったと思うんですけども、
完全に教室に行かなくなって、
2週間くらい経った時に、
最初の三者面談をすることになりました。
息子と担任の先生と私の三者面談です。
その時に、担任の先生から、
そろそろ教室に戻るか、それとも学校外になっちゃうんですけど、
適応指導教室というのがあって、
不登校の子たちが行くところなんですけど、
そっちに席を移すか、どっちか決めて欲しいと、
そういう2つの選択を迫られたんですよね。
多分今だったら、別室に登校することができたり、
もっといろんなやり方・選択肢があると思うんですけども、
この時はまだそういうものがなかったんですよね。
なので、私は想像もしていなかったことを言われたので、
すごくびっくりしたのを覚えています。
その時の状況として、そう言われたからって、
息子が教室に戻るとはとても思えない状況だったので、
ということは、もう適応指導教室に席を移さなきゃいけない、
ということは、もう適応指導教室に席を移さなきゃいけないのかって焦りました。
もう先生だって息子が教室に戻れる状況じゃないのは分かっているはずなのに、
そんなこと言うんだ、もうダメなの?早すぎない?ガーンって感じでした。
この頃、息子は学校に行った時は教室に行ってて、
疲れた時は空いている教室で休ませてもらっていたので、
私としては、またそこで休憩しながら、
だんだん教室に戻っていけたらいいなぁなんて思っていたんですけれども、
学校としては、その部屋は本来そういう使い方をする部屋じゃないので、
ずっとその部屋を使わせることはできないんですよって言われました。
この時、私は本当にショックを受けたんですよね。
担任の先生はずっと私たちの味方だって思っていたのに、
なんか急に見捨てられちゃったような気持ちになって、
これで学校に戻れなくて、適応指導教室に席を移すことになったら、
もうみんなと関係が切られてしまうような気持ちになって不安になったし、
納得いかないっていうか、ひどいなぁって思っていて。
だけど実際は、この担任の先生っていうのは、
学校で一番理解のある先生で、
すごく愛情深く息子の話も聞いてくださったし、
私に対しても本当にいろんな連絡をくれたりとかしてくださったし、
なのでこの方針も先生個人の方針ではなくて、
その時まだ学校にそういう対応の選択肢しかなかったっていうことだったと思うんですよね。
だけどその時はもう舞い上がって、私はひどいじゃないかみたいな風になってました。
で、なんで今わざわざこんな話をするかっていうと、
今日その別室に関してお話ししたいのは、別室であれができるこれができるっていう、
そういう話というよりは、私が経験したその3年間、
3年間の中で学校も変化したし、私もものすごく変化、
いろんな経験をしながらものすごく変化して成長させられたなと思っていて、
私が成長していくとともに息子も変わっていったし、
とにかくいろんなことが変わっていったっていうことをお話したくて、
それが原点としての私の心境ということで、今これをお話ししました。
で、その3年間で何が変わったかっていうと、
最初の頃は今お話ししたみたいに、私の受け止め方もまだ未熟だったっていうか、
先生に言われたことに対して一喜一憂する。
もうそれ目先のことで精一杯で、
それと同時に息子が学校に今日行ったとか行かなかったとか、
そういうことで一喜一憂していました。
この時の私のゴールは息子が教室に戻ることだったし、
それを叶えてくれるのは学校の対応、先生の対応だって思っていました。
だけど、3年間かかって私がたどり着いたものは、
息子が教室に戻るという単なるそういうことではなかったんですよね。
たどり着いたところは、この子にとっての本当の幸せってなんだろうなっていうところでした。
で、それと同時に私にとっての本当の幸せってなんだろうっていう、そういう部分でした。
なので、ゴールっていうのはその答えを見つけることっていうふうに変わっていきました。
別室登校の必要性
ちょっと話がずれるかもしれないんですけども、
今、下の子が中学2年生終わるところで、学校に行きたくないっていう日があります。
学年が4つ違うんですけども、彼女は兄の不登校をずっと見てきたので、
私に伝えるのがすごい上手で、私の方も一通りの経験を積んだおかげで、
受け止め方が前と全然違うなって思います。
で、教室が辛くなってきたときに、娘の最終のリクエストは、
まず別室を利用できるように登録したいっていうことでした。
前の私だったら、それ言われたらドキッてしたと思うんですけども、
私はすごく嬉しかったんですよね。
自分の言いたいことをちゃんと言えてるって私に言ってくれてるっていうことがすごく嬉しくて、
なので、もう何の抵抗もなく、いいよいいよ、じゃあ登録しようって心から言えました。
上の子のときは、辛いって言い出してからもうだいぶ無理に頑張らせちゃったので、
もう子供の心から言ってくれたんですけど、
辛いって言い出してからもうだいぶ無理に頑張らせちゃったので、
もう子供の心がクタクタになっちゃって、私も一緒にクタクタになっちゃって、
そうなるともう子供といい話し合いができなかったんですよね。
で、私の話の聞き方が下手っぴだったっていうのもあるんですけども、
なので今回は子供の心がまだ軽いうちに動けるうちにどんどん動いていこうって思いました。
で、最初に学校にお電話したときに、電話に出た先生に要件を話したら、
先生が別室を利用してると学習に支障が出るので評価が下がりますよって。
おっしゃったんですよね。
先生は心配しておっしゃってくださってるのはわかるんですけども、
電話口でいきなりそれを言われたことに私は結構びっくりして、
今の私はそんなことではどうじゃないんですけども、
前の私だったら評価が下がるとか言われたらそこで焦っちゃって、
どうしようかなって迷ったかもしれないし、
先生に嫌がられたような気がしてドキドキしたんじゃないかなって思います。
以前の私だったら自分の考えもありつつも、
先生からの提案を尊重するっていうのが大事なことだったんですけども、
今はやっぱり自分の目で子供の様子を見て、
自分の考えを伝える。
先生の考えとちゃんとすり合わせるっていうところが大事だなって思っていて、
ちょっと成長したかなって思います。
面談の経験
そんな感じで、
別室利用の登録をするために面談をしていただくことになりました。
この面談は、
担任の先生と教育相談コーディネーターっていう学校の中にいる先生と娘と私の4者面談だったんですけれども、
上の子の時のことを思い出してみると、
もうその頃は私も本当にどうしたらいいのかわからなくて、
面談の時なんかも家では子供の側に立って話をしようって思って、
あれも言おう、これも伝えようって思って出かけていくんですけども、
いざ面談が始まると先生の意見の方に寄り添ってしまって、
そうですよね、なるべく教室に行くように家でももう一回話しますなんて言っちゃってる自分がいたりして、
自分がここで言おうと思ってたのと反対のことを言っちゃってるなって自分でも思って、
面談中に横に座ってる息子の顔をチラッと見たら目が怒ってたりとかして、
お母さんどっちの味方なんだよみたいな、どっちに寄り添ってんだよみたいなオーラが出ていて、
やばいって思ってちょっと自己嫌悪になって帰ったりとかしてました、そんな感じでした。
でも今回下の子の時は過去のいろんな経験で私も成長して、
物事の優先順位も変わって、
その場で教室が辛くなった時は優先順位がもう勉強の評価とかじゃないので、
何の躊躇もなく別室に行かせてやってほしいって言いました。
もしそれで学習に遅れが出て評価が悪くなったとしても、
全然それは構わないのでって思ったことをそのまま言えました。
それ自体、私の優先順位、何が優先なのかっていうことが自分の中ではっきりしたっていう意味で自分も成長したなって思ったんですけども、
それ以外に思ったのは、やっぱり学校の先生って教室に戻すことが一番先生の仕事って思ってらっしゃるので、
なので、親の方が黙っていると教室に帰そうと働きかけることがいいことって思ってらっしゃる場合が多いので、
例えば私のリクエストはそうじゃないっていう時には、それを保護者の方からはっきり言った方が先生がやりやすいんじゃないかなって思います。
前の私だったら、先生がなるべくなるべく教室に行けるように行って働きかけてくれることを心の中では、
いやーちょっとそれ心配だな負担が大きいな心配だなって心の中で思ったとしても、でもせっかく先生がそう言ってくださるんだったらお任せしようみたいに思って、
じゃあお願いしますとか言っちゃってたんですけど、でも子どもの様子を見て、子どもも自分も今は教室に行かなくていいって思った時には、ちゃんと先生にそれを言う。
そうすると、この子は保護者も了解の上、保護者も希望していて、別室にいて大丈夫。教室に戻さないといけないって先生が思わなくていいようにするために親がちゃんと意思表示をするっていうのが、
すごく子どもへの負担も減らすなって思います。
子どもと話をしながら、そろそろ教室に行ってみようかなって子どもが言った時には、また先生と話をしてそろそろ復帰のお手伝いをしてもらえますかって言えばいいし、
そうじゃない時に、子どもが戻る気がない時に、戻れない状態の時に先生が教室に戻そう戻そうって働きかけると、子どもの方の疲れが全然取れないというか、子どもがなかなか元気になれないので、
充電期間って決めたら、親も充電期間って認めて、子どもも安心して、別室だったりとか家にいられるようにしてあげるっていうことが大事で、そのためには先生にも今は充電期間だから教室に帰そうって働きかけしてくれなくていいです。
例えば、教室にいた時でも休みたいって言ったら、全然何の躊躇もなく別室に行かせてやってくださいって親が言うことがすごく大事だなって思います。
そうしないと、教室で辛くなってきたなって子どもが思った時に、先生、別室にちょっと行って休憩したいんですけどって先生に言った時に、先生が、でもあと1時間だけ頑張ってみたらとか、もうちょっとだけやってみたら、
じゃあ休食まで、もう一回休食食べていったらとか、どんどんどんどん先生が良かれと思って、教室に長くいるように働きかけることがとても多いと思うんですけども、
でも子どもにとって本当に負担な時は、それやるともう怖くて学校に行けなくなっちゃう。どうせ別室登録してても行かせてもらえないんだよなって思うと子どもがもう失望して諦めちゃう。
学校に行くこと自体を諦めてしまうから、だからそれはちゃんと子どもと話をして、先生にも親の口から伝えるのはとても大事だなって今思っています。
大人も子どももそうだと思うんですけども、やっぱり人間は自分が認められた安心安全な環境でないと元気になれないし、その安心安全な環境からじゃないと自分のやりたいことも出てこないし、自分の人生が始まらないと思うんですよね。
親と子どもの理解
なのでまずは本当に安全安心って思える環境を作ってあげることが大事だなって思います。
そこから自分が元気になって、安心して前に進んでも大丈夫なんだなってなったとき、そのとき子どもが動き出したときには、勉強でも何でも大抵のことはついてくるので、
とにかく気持ちが明るく元気になること、それに向かって最大限のサポートをすること、間違っても子どもを孤立させない、親からも理解してもらえない、先生からも理解してもらえないという板挟みの孤立状態に絶対にしないこと、それが本当に大切なことだなって思います。
なんで今私がこんなことを言うかというと、私自身は当時息子のことを孤立させまくりだったなって思います。
あからさまにきつい言葉をかけたこともいっぱいあったし、その後もう行かなくていいよって言えるようになってからも、
ときどき私の中に不安が押し寄せてきて、勝手なタイミングで急に息子に対する目線が厳しくなって、見えない槍で刺しまくっているエネルギー、見えないエネルギーの槍で刺しまくっているようなときもあったし、
後から知ったこともあったけど、当時かなり厳しいところまで追い詰めてしまっていたなって思います。息子が反撃してこなければ、息子が黙ってたからどれぐらい辛い状況なのかっていうのはわからなかったけど、
私の想像以上に厳しい辛い心境にあったんだなって後から知って、もう本当に申し訳なかったなって思うし、よくぞ息抜いてくれたなって後から思ったし、よくぞそこからジャンプして歩き出してくれたなって思って。
後から息子が、あそこまできつかったから、あそこまでつらかったから大きくジャンプできたよなんて言ってくれた時があって、私は本当に言葉がなかった、その言葉に救われたし、本当に私の学びに付き合ってくれたなって思いました。
ちょっと話がずれてきちゃったので、最初の息子の話に戻しますと、さっきお話しした三者面談で、結局息子は学校外の適用指導教室っていうところに席を移すことはなく、調査乱れ登校をしながら年末ぐらいまであっという間に過ぎていきました。
この年末からちょうどコロナの問題が始まって、バタバタと休校が始まったりしながら、2年生に突入して、そのまま学校自体に2年生の時は行きませんでした。
3年生になった時に別室っていうものができたので、学校とのつながりをまたちょっと取り戻して、別室にポツポツ行きながら3年生は過ごして卒業を迎えました。
私の方はどうだったかっていうと、この1年目は息子が何を言っているのか全然わからなかったし、あんまり聞こうともしていなかったというか、聞けていなくて、とにかくどうやったら自分の思うようになるか、思うようになるかっていうのは、学校に戻れるようになるかってそればっかり考えていたような気がします。
それで2年生になって、完全に行かなくなった時に初めて、何を言っているのかなって息子は何を言おうとしているんだろうということに初めて耳を傾けて、1年かかってやっと、ああそういうことを言っているんだってわかった気がします。
それで3年目になった時に、よしわかった、それならどんな道でもいい、あなたの思うようにやってごらんって心から思えるようになって、なったんだけども、でもそんな中でも時々大丈夫かなって本当にこれで大丈夫なのかなっていう不安が私の中に押し寄せてきて、
息子を信じるって決めたのに揺らぐ自分が辛くて、3年目のこの葛藤が一番辛かったなって思います。息子を信じるか信じないかっていう問題って、それって結局は私が自分自身を信じられるか信じられないかっていう問題なんですよね。
誰が何と言おうと自分は息子の選んだ道を信じるって決めたのに揺らぐっていうその自分が辛いっていう1年間でした。
そこから本当に息子を信じられるようになったし、それは言い方を変えれば私が自分を信頼できるようになったっていうことで、これは私の人生の中でものすごく大きな変化で、息子からもらったものすごく大きなギフトだったなって思います。
それが他人塾で生きるのではなくて自分塾で生きるっていうことなんだなって思うし、そこまでたどり着かないと本当の幸せはないなって思って、本当に生きていく上で一番大事なものをもらったなって思います。
これが今日別室っていうことを通して皆さんにお話ししたかったことです。
卒業式と仲間との絆
私は3年かかっちゃったけど自分を信じるってどういうことなのか知ることができたし、その結果息子を信じることができたなって思います。
そしたらもう学校に行ったとか行かなかったとかどうでもよくなっちゃって、それは無関心になったわけでもないし諦めたわけでもなくて、どんな選択をしても面白いっていうか楽しみに、息子のこれからが楽しみになりました。
別室の方に話を戻すと、最後の1年間息子はその別室にお世話になりながら卒業したんですけれども、その中でたくさんの繋がりがまた生まれて、卒業式はみんなと一緒の卒業式には出なくて別で卒業式をやっていただいたりしたんですけども、
卒業式の後にこの別室のときの仲間たちでみんなで集まってバーベキューしたり卒業祝ってました。
息子が山形の高校に出発する日なんかもみんなで見送りに来てくれて、うちの前まで来てくれて見送ってくれたり、本当にこの別室でのみんなとの繋がりが温かくてありがたかったなって私としても感謝でいっぱいでした。
その別室を支えてくださった先生たち、いろいろ本当に大変だったことがいっぱいあったと思うんですけども、私はもう感謝しかなくてありがたかったです。
ということで今日のお話はこの辺にしたいと思います。最後まで聞いてくださってありがとうございました。バイバイ。
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