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みなさんこんにちは。ちょっと変わった造形教室、あそびやさんをやってます。ばばさくらです。
今日は7回目の配信になるんですけれども、テーマをまた不登校に戻しまして、
今日は子どもが不登校になった時の、親の中にあるゴールのイメージと、子どもの中にあるゴールのイメージっていうテーマでお話ししてみようと思います。
今日は自分の経験としてお話ししていこうと思うんですけども、子どもが学校に足が向かなくなって休み始めた時、
それが2日とか3日とかだったら、まあ風邪でもそれぐらい休むことあるし、
私は結構のんきな方なので、1週間ぐらい休んでも、インフルエンザとかコロナとかなっちゃえばそれぐらい休むことだから、
まあなんとか勉強なんかも遅れても取り戻せるかなって思うんですけども、
でもそれが1週間を越えて、2週間、3週間、1ヶ月ってなってきた時に、おーっとこれはやばいぞってやっぱり思い始めるんですよね。
勉強の遅れを取り戻すって言ったらこれやばいぞって思うし、
学校のクラスの中に居場所がなくなっちゃうんじゃないかなとか心配になるわけなんですよね。
まあでもそれも私の中の勝手な空想であって、それが事実かどうかっていうのは全然別問題なんですよね。
なんだけどこの私の中の不安が膨らんでくるというか。
で、その時の私の中にあるゴールのイメージっていうのは、何かのきっかけで子供の気持ちが変わって、
学校に足が向いてなかったのが前向きになって、また学校に行き始める。
ニコニコ元気にハツラツとまた学校生活が始まって戻って、私はびっくりしたじゃないなんて言いながら何事もなかったかのように元の生活に戻る。
っていうのが私の中にあったゴールのイメージだったんですよね。
だけど、まあ我が子の顔色を見れば全然そんな状況ではなくて、そこから親と子のギャップみたいなものが始まったんだと思います。
で、今思えば、今思えばっていうのは、いろんないろんな経験をして失敗も含めていろんな学びの経験を何年もして、で振り返って今思えば、
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この時に私が思い描くゴールの方に無理やり子供を引っ張っていこうってするんじゃなくて、純粋な質問として子供にどうしたい、どうしようかっていうことを聞けていたら、このギャップは生まれなかったと思うし、
そうしたら子供を追い詰めることも孤独にさせることも苦しませることもこんなになかったなって思うんですよね。
じゃあなんでその時に純粋な気持ちでどうしたいって子供に聞けなかったかっていうと、もしそこでいやもう無理いけないやめるって言われちゃったら、それを受け入れざるを得なくなっちゃうし、
そうしたらもう終わりっていうかどうしていいかわからなくなっちゃうって思ったんですよね。だから怖くて怖くてそんなことを聞けなかったんですよね。もう行かないって言われちゃうのが想像がつくから怖くて聞けなかった。
この子供とのギャップっていうのは毎日どんどん深くなっていったなって思うんですけども、例えば毎朝今日は学校に行くかなって思いながら朝を迎えて、子供が起きてきた時に顔を見れば、ああ今日も調子良くないなっていうのが分かる。
分かったとしても、でもそこで今日調子悪そうだねとか今日はちょっと難しそうだねなんて私が言っちゃったらもう即欠席確定になるっていうのが分かるから、だから怖くて言えないんですよね。
どうするのどうするのみたいになって、そういうやりとりしてると毎朝毎朝子供と自分との溝を毎日掘っていくというかもう掘りまくりでどんどんどんどん深くなって届かないところまで行ってしまう。
そこで言葉としては行きなさいとか言ってないし、どうするのって形としては聞いてるから自分ではセーフだと思ってるんだけども、でも行けばいいのにって心の中で思っているそのエネルギーっていうのは確実にもちろん子供に伝わっていて、子供の中ではどんどんどんどん追い詰められていく。
もちろん見守るこっちも本当に不安との戦いをしながら辛い日々になるんですけども、そうやって自分の本音も言わない、子供の本音も聞かないっていう中で本当にギャップをどんどんどんどん生んでいったと思います。
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それは何でかっていうと繰り返しになりますけども、そこで行かないって言われちゃったらそれを認めなきゃいけなくなって、そうしたらもう打つ手がないって思うから不安で言えない、聞けないっていう状況だと思うんですよね。
でもそんな中でも私の中にも子供、息子に寄り添いたいっていう気持ちがあって、あるときもういいよ、学校辞めてもいいよって言ったときがあるんですよね。
でもそのときは辞めてどうにかなるって思えていない状況のまま辛いなら辞めてもいいよって言ったんですよね。
そうしたら息子がもう辞めるって言って、もうそのまま制服も着ないで、中学にチャリでそのまますっ飛んで行って、荷物取ってくるって言っちゃったことがあって、私本当に行くと思わなかったけど、本当にチャリがなくなったしいなくなったからあれまさか本当に行ったかなって思って、ゾッとしながら学校に慌てて行ったんですよね。
今だったらこんなことでゾッとはしないんですけど、そのときは本当に背筋が寒くなるようなゾッとした気持ちで学校に行きました。
そうしたらちょうど学校に着いたら正門から担任の先生と私服のままの息子が出てくるところで、その先生は本当に寛大な寄り添ってくださる先生だったんですけども、さすがに先生が学校に来るときは制服着てきてもらえませんかねみたいなことと、
あとチャリはやっぱり学校には乗って来てほしくないんですよねみたいなことを言われて、私はもう本当にすみませんとか言って帰ってきました。
後から息子のクラスメイトの話を聞いてたら、その次の日の全校長会かなんかで全体に対して注意があったみたいで、
昨日、学校に私服でチャリで来た生徒がいます。そういうことは絶対にやめてくださいみたいなことが全体に対して注意があったらしくて、そのクラスメイトもうちの息子だってことはそのときわからなかったので、後からあんただったのとか言って爆笑していましたけれども、
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私としては息子がもう一大決心でもう学校辞めるって言って出かけていってのことで、なのになんかそんな捉え方されたなんてちょっと嫌だなって思ったりもしたんですけど、一応学校の規則ってことでそういうふうなことがありました。
このことからもわかるんですけども、子どものゴールは学校に戻って元のように過ごすなんて全然思ってなかったんですよね。中にはそういうお子さんもいらっしゃると思うんですけども、うちの息子に関しては全然そんなことはゴールではなくて、もう本当に私と息子のゴールの違いが明らかになった瞬間ではあったんですけども、
なのでやっぱり子どもの中にあるゴールっていうのはちゃんと聞いといたほうがいいと思います。今の私だったら、学校もう行かないって言われても、うんわかった、じゃあいっぱいいろんな選択肢あるよってわかってるし、
逆にそこでもう学校行かないって言われたからって本当にそれが結論になるとも思っていないし、とにかく子どもの今の時点でのゴールっていうかイメージを聞いてあげることから状況が良くなっていくって思っています。
その結果、気持ちがまた前向きになって学校に戻るっていうことだってそれでいいし、本当にもう学校嫌だから離れるって言うんであればたくさんの選択肢があるし、それはもうどっちでも良くて、とにかくその子が自分のことをオープンに話せる。
その子を孤立させない、板挟みにしない、学校と家庭とっていうどっちからもわかってもらえないっていう孤立状態にまずしないことじゃないと、そこからじゃないとどっちにも道が開けないと思うので、
安心して、子どもがどういう答えを返してきても大丈夫なので、安心して子どもの言うことを聞いてあげるのがいいなって思います。
今実際2人目の子が中学生ですけど、いろんなことを日々言ってますけど、全然私不安になることないです。
同じことが目の前で起こっても、そんな長期の欠席をしてるわけじゃないですけど、全然同じようなことが目の前で起こっても、こんなに違うものになるのかっていうことを自分も身をもって経験しています。
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もっとぶっちゃけ本当のことを言っちゃうと、子どもが学校に違和感を持ち始めることって、自分の世界を持っているっていう、自分の感覚を持っているっていうことなので、すごいなって思うし、
それって本当の自分ってどういうことだろうっていう、自分探しを始めてるのと同じだなって思うんですよね。
なので、私からするとすごいなっていう、自分探しの旅の入り口を開けたあなた、本当にようこそウェルカムっていう、応援するよっていう気持ちになります。
あともう一つ思うことは、やっぱり親子の間でちゃんとつながってるから言えるっていうのもあって、これを言ってもちゃんとつながっていられるって子どもが思ってないと、子どもも言ってこないと思うんですよね。
例えば、前にもお話ししたと思うんですけども、息子が小学校の時に、学校に行き渋ったことがあって、で、その時に周りから見れば、なんかもうちょっと先生、学風してくれればねとか、なんかこうもっと先生、他のやり方があるんじゃないのかねとか、見えてたりとかしても、
でも、その時に息子が後になって言った言葉は、あの先生は心でつながってたから、だから長く休んでも絶対つながっていられるって思ったから休めたって、だからクラスともつながっていられると思ったしっていうことを言ったんですよね。
なので、なんかこう、周りから見てる景色と、本人から見えてる景色っていうのが、これまたすごいギャップがあって、聞いてみないとわかんないなと思ってものすごくびっくりしました。
なのでやっぱり、親子も全く同じで、信頼関係があるから、ちゃんとつながっているからこそ、子どもがそういうことを言ってきてくれるって私は思います。
なので、そういうふうに言ってきてくれた時、不安になるんじゃなくて、よくぞ言ってくれたっていう、そこはすごいこと、嬉しいことを言ってくれるっていうことに関しては本当に嬉しいことだなって思います。
自分探しって、みんなどこかのタイミングでやると思うんですけども、大体は私もそうですけども、大人になってから家を出たり、職場でとか、なんかこう、独り立ちした後に本当の自分ってなんだろうみたいなことをやるんじゃないかなって思うんですけども、
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それをこの小学校とか中学校で始めてるっていうことなんですよね。
っていうことは、もう私からすると、なんか一歩リードというか、すごい最先端というか、この年齢から自分探ししてたら超お得、自分が本当は何者で、何が大事で、何を大切にしてて、何をしようとしているのかっていうことにみんな向き合うんですよね。
やっぱり学校に行けないとか、行きたくないってなったときって、ものすごく子供自身、いろんなことを考えていて、ただぼーっとしてるように見えて、ゲームしてるだけに見えて、ものすごく自分の価値だったりとか、自分の価値がどこにあるかとか、そういうことについて考えている。
それってものすごく強くて、そこから自分の本当の人生が始まる。自分の人生は自分のものだってということが確認できて、自分で再び歩き出したときっていうのは、もう違うものになってるんですよね。
不登校前とまた歩き出したとき、それが学校に戻ることだったにせよ、また違う選択肢だったにせよ、自分の人生を歩き出す子が歩き出すなって思います。
家を出てから自分探しをする分には、家政で自分の好きなように生活してる中で自分探ししてる分には、自分で好き勝手やればいい話だけれど、小学校中学生、小学校中学校の時代からこれをやるって、絶対に親に世話にならない。
世話にならなきゃ生きていけない身分でこれをやるってものすごいハードルが高いなって思って、子供はもういいよ、自分で好き勝手生きていくからって言えないわけですよね。
自分でも家出て生活、自分でしていくからなんて言えない状況で、親から理解されるかどうかっていうところで、このテーマをやるっていうのはものすごい大変なことだなって思うので、
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だからそこは私は親として最先端に行く勇気ある子供って思うので、どんな方向に行ったとしても応援したいなって、どの子を見てても思います。
ということで今日のお話はここまでにしたいと思います。
皆さん最後まで聞いてくれてありがとうございました。
バイバイ。