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2025-06-03 11:23

イラっとする人に感謝してますか?


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サマリー

このエピソードでは、身近にいるイラっとする人たちに感謝することの意義について話されます。特に、彼らの指摘が自己成長にどのように寄与するのか、そして親や上司の存在がどれほど重要であるかが考察されています。また、若い世代の感情的な反応や叱ることの重要性が探求され、成長の機会が失われている現状が指摘されています。さらに、感謝すべき人々が減少していることへの懸念も示されています。

イラっとする人の重要性
おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、
営業職としてのリアルな日常や日々の試行錯誤も通じて、
発達障害でも人生を生き抜くスキルやマインドを発信しています。
今日のテーマは、イラっとする人に、身近なイラっとする人に感謝してますか、というテーマです。
イラっとする人、身近に1人や2人いるんじゃないかなと思います。
イラっとするって言っても、どういう理由でイラっとするかによると思うんですけど、
このイラっとするっていうこのワードと感謝するって、
結びつかないように感じるじゃないですか。感じますよね。
なんでイラっとする人に感謝しなきゃいけないんやって思うと思うんですけど、
僕もあるときこの話を聞いて、なるほどなって思ったんで、
腑に落ちたんで、このテーマで今日はお話ししようと思いました。
なぜこういう人に感謝するべきかっていうのは、
例えばイラっとする人って、なんでイラっとしたかっていうと、
言われたことがズボシだからっていうケースが結構あると思うんですよ。
例えば親とか、例えば学校の先生とか、それか友達でもいいんですけど、
そこそこ身近な人で親しい人も含まれると思うんですが、
そういうことを指摘してくる人って、
ちょっとダメ出しまがいの指摘だと思うんですよね。結構あるのがね。
例えばですけど、夏休みの宿題早くやっておかないと、
また最後の日にひっしこいてやりはめになるよって親に言われたら、
うるせって思いますよね。分かっとるわってなるんですけど、
結果的にやらないパターン結構あると思うんですよね。
そしてこう言われるんですよ。
ほら、だからもっと早くやっときなさいって言ったでしょって。
この時にもうイライラマックスになりますよね。
だから大体にして、大体のパターンで何か言われた時に、
言い返すことが難しいこの状況にイラっとするパターンは
多いんじゃないかなと思うんですよ。
例えば別の例で、仕事の場面でたまたま期日漏れで何かが出せなかった時、
資料の提出とか報告書とか期日を漏れてしまった時、
上司から怒られるんじゃないですかね。
何やってんだと。期日を守るのは、期限を守るのは、
社会人として当たり前の話だろと。
そんなんだからお前はこう立ち続くわけですね。
これも多分イラっとすると思うんですけど、
言ってること、言われてることは決して間違いじゃない正論だと思うんですよね。
なのでこれを指摘してくれる人ってやっぱり大事というか、
ちゃんと耳を傾けなきゃいけないと思うんですよ。
一方で耳に優しい言葉を発してくれる人、聞こえのいいことを褒めてくれる人とか、
ここももちろん大事なんですけど、そこから成長できることってどうでしょうかね。
ちゃんと意図的にコーチングの観点で、ちゃんと長所を伸ばす意味で褒めてくれる人ならいいんですけど、
大してそういう意図はなく、耳に馴染む言葉ばっかり言ってくれる人とか、
逆に何も言ってこない人、いわゆる害のない人、いわゆるいい人、
こういう人ばっかりが周りにいると、なかなか成長の機会もないのかなというふうに感じますよね。
だからこういう人たちに感謝することってあんまりないかもしれませんね、逆にね。
親の教えと成長
本当に感謝すべきはやっぱり口すっぱく、自分のために、本人のために小言を言ってくれた人。
だからそういう意味で親っていうのは偉大な存在だなというふうに思いますよね。
例えば小学生の時だったらね、明日の準備したの?今何時だと思ってんの?
時計見ないともう時間になるよ。これ早くしないと遅刻するよってもう小言ばっかり言われますよね。
でも本人のために言ってるわけですよ。別に子供が遅刻しようが忘れ物しようが、
別に親としては困りませんからね。
他人の先生からは怒られるかもしれませんけど、それで困るのは本人なんだから別に親としてそこまで言わなくてもいいのに
ちゃんと言ってくれるっていう、この親の存在はやっぱり大きいものがありますし、
そういうところをちゃんと根気よく言ってくれたことに対しては、いずれ自分が親になった時に感謝することになるわけですよ。
自分が指摘する立場になった時に初めてわかるわけですよね。
なのでね、僕も自分を振り返って、僕を鬱病にした上司に対しては本当にね、
お前さえいなければこんなに苦労しなかったのにって思うところももちろんあるんですよ。
ただできないところ、僕の短所ばっかりを綺麗に多分全て指摘してくれましたね。
最初から最後まで目につくところを全部言われた気がします。
時間、期限を守れなかったものとか、役割を掛け持ちしてたのにどれも回ってないとか、
ケアレスミスが日常茶飯事で1日に2回も3回もあるとか、
どういう管理をしてるんだと、どういう仕事の進め方をしてるんだと、
1から10まで全部言われた気がします。
それによって僕はメンタルを壊してしまったんですけど、
おかげさまで自分の短所がほとんど全部わかった気がします。
こんなに全部、1から10どころか1から100まで全部教えてくれる人、
そうそういないですよね。
そういう意味で、口を無理やり曲げていますが、感謝しなきゃいけないなって思いますね。
自分はそういう人間になってはいけないと思うし、
指摘してあげるにしても、もっと別のやり方があるって僕は確信を持っているんで、
そうはなりたくないですが、別な角度からちゃんと
後輩とか若い人たちの成長を後押しできるような存在に
別な方法でやっていきたいなって思っています。
メンタルの影響
ここについては反面教師ですよね。
やり方についてはね。
ハウツーとしては反面教師ですが、
やってくれたこと、指摘してくれたこと、教えてくれたことについては
悔しいですけども、感謝せざるを得ないかなっていうのもありますね。
これちょっと複雑ですけどね。
はい、そしてこの内容を踏まえて、僕が今ちょっと恐れていることがあります。
それはですね、僕は今この自分が所属する組織で、
年齢で言ったら上から数えた方が圧倒的に早いんですね。
年齢と在籍年数、社歴っていうところで上から数えた方が圧倒的に早くて、
後輩とか若い人の方がむしろ人数が多いわけです。
そうなった時に、僕の今このうつ診断を受けたとか、
ちょっとメンタルが弱いっていうところも踏まえて、
僕に耳が痛いことを言ってくれる人っていうのが相当減りました。
減りましたし、気を使ってちょっと指摘したいけど、またメンタル崩されても困るから、
ちょっとここは言葉を飲んでおこうかな、ちょっと黙っとこうかなっていう場面も
あるんじゃないかなと想定します。
そうなった時に、僕のダメなところを誰が教えてくれるのか。
自分で気づかなければ、もはや誰も僕のダメなところは教えてくれない。
こうなったら、世の中の残念なおじさんの一員になってしまいかねないですよね。
感情と叱ることの重要性
あの人いつも会わないよねってかけてなんかずっと言われてる、
そういう40代50代にはなりたくないなと全力で思います。
ところが誰ももう教えてくれないんですね。
いろいろね、こういうことを指摘してくれた。
若い頃は本当にありがたかったなって、この時初めて気づきますね。
そしてこういう言い方は非常に良くないと思いますし、
僕もできれば避けたい方なんですけど、
最近の若い人っていうのは、この言い方はね、
もうなんかひとくくりにしてしまうので良くないですけど、
まあ打たれ弱い、あまりブチ切れされるっていうね、
そういうシチュエーションが幼い頃、10代の頃とか少なかった気がするんですね。
昭和世代、そして平成世代の僕らに比べて少なかったと思うので、
非常に打たれ弱い傾向にあると思います。
なので、こうちょっと感情的に叱られてしまうと、
もうパワハラ扱いになってしまうのがこのご時世ですよね。
はい、これ叱るっていうのは、ちょっとこううまくいってない、
もしくは改善の余地がある、伸びしろがある人に対する救済手段だったと考えられてますね、叱るというのは。
叱るっていうのが、その感情的になるのが良いかどうかは別としておいて、
叱るっていうのは、その人を伸ばすための一つの選択肢であったはずなんですが、
この選択肢、手段が今一つ消されてしまったのが現状、このご時世かなと思います。
誰もがね、最初はできない人間です。
最初からできるパーフェクトヒューマンなんて存在しないんで、
最初はね、着替えを教えてもらうとか、ちゃんと寝る前に歯磨くんだよとか、
やってなかったらこうね、怒られるというのを通じて、
だんだん成長してきて、社会に出てもそういう流れがあったとは思うんですが、
最近は怒ることが滅法減りましたし、僕も怒られるとしんどいんで、
そういうのはやめようと、やめたいと思ってますが、
でも、その叱り方っていうかね、その言い方とか指摘の仕方は変えればいいだけの話で、
別に怒らなくてもいいですかね。
指摘する、指摘してあげる、相互に指摘し合えるような、
そういう関係性は大事だと思っているんですが、
それをやるとメンタルがズダボロになってしまうとか、
パワハラ扱いされるとか、早くどんどん若い人が辞めていってしまうとか、
そういう状況になりつつあるのは、ちょっとこれは懸念点かなというふうに思います。
感謝の必要性
つまり冒頭の話に戻すと、感謝できる人、本当に感謝できる人っていうのが、
身の回りからどんどんどんどん減っている状況ですね。
感謝される立場になろうと、なるであろう、小言を言う人っていうのが、
かなり減ってしまったと思うんですね。
言わないようにも我慢していると思いますしね。
ってなると、ただただできる人が減って、できない人ばっかりが増えてしまうっていうね、
これがちょっと心配ですね。
僕もほぼほぼ足突きをされないような環境になってしまって、居心地はいいんですよ。
居心地はいい。ストレスないですからね。
その代わり、代償として成長の機会が奪われているという状況にも、
気づかなければならないんです。
ここに気づいている人はどれくらいいるのか、
心配で心配でしょうがないですね。
僕は自分のことが心配です。
誰も耳の痛い話を言ってくれないというのは、非常に心配です。
メンタル的には安全性は保たれていますけど、
安全運転というか、運転していないだけなんでね。
どこにも移動していないんですよ。
ずっと同じ場所に立っているだけで、運転していないんで、進んでいないんで、
これはこれでやばいんですよね。
ではどうしたらいいかっていう、ここについては明日の配信に回しますので、
今日はここまでにしておきます。
とにかく僕らが感謝するべき人っていうのは、
ちょっとイラッとする人っていうところを覚えておいてもらえたらなと。
今日発信したい趣旨、メッセージとしてはそこだけです。
ということで参考になった方がいましたら、ぜひいいね、コメント、フォローいただけると嬉しいです。
明日もぜひ聞いてください。よろしくお願いします。
ではまた。
11:23

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