攻撃的な問いかけ
おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、
営業職としてのリアルな日常や日々の試行錯誤を通じて、
発達生涯でも人生を生き抜くスキルやマインドを発信しています。
いやー、どうでもいいですけど、冒頭のチャンネル紹介のアナウンス、
ようやく暗記して言えるようになりました。
ちょっと前に、多分2週間くらい前に若干修正を加えたんですけど、
最初、かんぺみあいと自分で書いたんですけど、
空で言えなかったんで、ようやく何も見ずに言えるようになりました。
ということで、ちょっと達成感がある本日でございますが、
今日のテーマは、「なぜ?」ではなく、
代わりに別な文言で問い正そうというか、指摘しよう。
指摘じゃないですね。
掘り下げようという、そういう内容なんですけど、
ここだけ聞いてちょっと分からないかもしれませんね。
例えば、自分の後輩とか部下とか、
お仕事をされている方、一定の年次になってくると、
自分より若い人たちがいっぱい入ってきて、
いろいろ目についたりするところがあるかなと思うんですけど、
なんでそうだったの?どうして?なぜ?というふうに問い正すと、
かなり攻撃的なニュアンスを帯びるんじゃないかなって思うんですけど、
どうでしょう?
僕自身は過去にそういうふうに、なんでそういうことをしたの?とか、
なんでそう思ったの?とか、
そういうことをなぜ?なぜ?なぜ?なぜ?で追求されて、
すごい苦しかった記憶があるんですよね。かなり鮮明に。
あんまり攻撃されると、メンタルを止むか、
それか開き直って反発したくなっちゃいますよね。
要は、全く建設的ではない結果を招いてしまうんですね。
分かりますかね、これ。
なぜ?なぜ?でやると、なんかすごい攻められてるような感じがして、
だんだんシュンって心が折れてくるか、
そんなこと言われたって、もう過ぎちゃったものはしょうがないし、
その時はそう思ったんだからしょうがないじゃんっていうふうに、
逆切れをしてしまうか。
落ち度があってね、多分指摘をされてると思うんで、
多分自分が悪いんですけど、そんなに追求されたとしても、
もう時間は戻らないし、起きてしまったことはしょうがないから、
どうしようもないじゃんってことになっちゃいかねませんよね。
一方で、そういうふうに指摘を受けると、自分側はそう思うんですけど、
逆の立場になった時に、ついつい、何でそうなったの?って
言ってしまいがちなのも、これまた事実だったりすると思うんですよ。
特にお子さんがいらっしゃる皆さんはどうでしょう。
なんでそんなにたっぷり、なみなみコップに水を注いでもってったの?
っていうことないですか?
わかるよね、そうやったらそういうふうになるっていうのが、
多分親御さんだったら思うと思うんですけど、
なぜなぜで責め立てると、結局行き着くところ一緒だと思うんですね。
そこはアンガーマネジメントじゃないですけど、
子供の場合はその子なりに考えてやってると思ってるし、
まだ人生経験が数年だと思うんで、
そんなに怒ってもしょうがないところはあると思うんですが、
とにもかくにも、そうやってついつい、なぜなぜで追求しちゃいがちなところ、
我々はあるんじゃないかなと思います。
しても、全くそこに建設的な何かが起こるわけでもないし、
自分がされてもすごく苦痛じゃないかなと思うんで、
これについて課題提起したいなっていうのが今回のテーマになっております。
未来に目を向ける
結論なんですけど、なぜ、なんでではなくて、
どうがいいんじゃないかなというのが僕からの大体案です。
具体的には、なんでそうなったの?なんでそうしたの?なぜ?っていうのではなくて、
どうするっていう感じですね。
100歩譲って、どうしてそうなった?っていう感じですよね。
どうしてそうなった?だとあんまりニュアンス的に変わらないかもしれませんけど、
言わんとするところは、もう目を過去ではなく未来に向けたいっていうところなんですよ。
だから、なんか転んじゃったとか、なんかこぼしちゃったっていう子供に対しては、
なんでそうなったの?なんでそんなことしたの?っていうのではなく、
次どうする?っていうところなんですよね。
こぼしちゃったの?しょうがないねっていうところは、
まず現実を受け入れるしかないと思うんですよね、そこはね。
だってやっちゃったんだから。
だからその次どうする?って、
次同じことを繰り返さないためにどうする?っていうね、
そこに議論の的を絞りたいなっていうふうに思うんですね。
仕事であればね、なんでこんな大事なこと言わんかった?
なぜ?って追求するのではなく、次からどうする?っていうふうにね、
同じことを繰り返さないためにこういうことがあったら、
次どうする?っていうふうに、
次の改善策、こっちに話を持っていこうと。
こっちで本人に考えてもらおうと。
どうしても答えが出ないのであればちょっとヒントを出してあげるとか、
そういう、そっちに頭を使ったほうがいいんじゃないかなっていうのが
僕の考えですね。
あんまり中身を考えていない、実体原因を追求しないのも、
追求っていうのは問いただすのではなく、原因究明っていう意味ですね。
こっちをやらないのも、それはそれで問題があるかもしれませんけど、
それなりに本人が反省していたり、それ以上問いただしてもしょうがないときには、
次回のネクストに目を向けたほうが圧倒的にいいものが生まれるんじゃないかな、
より良い未来がやってくるんじゃないかなっていうふうに思うし、
思いたいっていうのが僕の気持ちです。
そもそも次からどうするっていうのを考えたときに、
多分普通の人は何でこうなっちゃったんだろうっていうところを考えると思うんですね、原因。
原因がこうだから次はこうするっていうのが出てくると思うんですよ、理論的に。
なのでわざわざ原因を問いたださなくても、
次どうするっていうふうにやれば勝手に原因が解釈されるというかね、
自分で考えてくれると思うんですよね。
優しさの重要性
わざわざ原因をこっちから追求しなくてもいいんじゃないかなっていうふうに思います。
僕は自分がうちになったからこそ、人にもっと優しくなりたいなっていうふうに思いますね。
やっぱしんどいですもん、やっぱり。
メンタルがボロボロになって、本当に何で生きてんだろうって考え始めたら、
もうそれは終わりの始まりなんで、そういうふうに自分もなりたくないし、
他の人もそうしちゃいけないなっていうふうに本当に思いますね。
危機感を感じるんですよね。
自分の言い方一つで周りの人に精神的ダメージを与えてしまうかもしれないって思ったら、
やっぱり一言一言気をつけていかなきゃいけないなっていうふうに思いはするんですよ。
突発的にね、衝動性を発揮してついつい余計なことを言ってしまうこともあるADHDなんで、
そこはちょっとやむを得ないなっていうふうに思うところもあるんですけど、
それでもね、気をつけているのと気をつけていないのではやっぱり違いは出てくるかなというふうに思ったりしてますんで、
その辺を考えながら、せっかく自分がダメージを負って得た教訓なんで、
これを生かさない手はないなっていうふうに思っている次第でございます。
ということで、何か起きちゃった時には、なぜではなく、
かなりね、これだととんがった攻撃的なニュアンスを帯びてしまう可能性が高いですので、
どうするの方で変えてみてはいかがでしょうかというのが僕からの提案です。
自分がやっちまったなっていう時にも、自分になんでこんなことやっちゃったんだっていうのではなく、
次どうするっていう言葉をかけてあげられたら、自分にも優しくなれるんじゃないかなというふうに思います。
やっぱりね、人に優しくできる人は自分にも優しくできるし、
自分に優しくできる人は人にも優しく当たれるかなというふうに思うんで、
甘やかすとかじゃないですよ、自分に優しくするっていうのは自分を大切にするっていうことだと思うんで、
周りの人も大切にできるし、自分も大切にできる大人になりたいですね。
ということで、いつも通り参考になるところがありましたら、
いいね、フォロー、コメントをいただけると非常に嬉しいです。
最近ありがたいことに、1回の配信で10個以上つくことが多くて非常に嬉しく思っております。
本当にありがとうございます。
それ以上に聞いてくれる方も増えてるんで、めっちゃ嬉しいです。
本当にありがとうございます。
引き続き皆さんのためになるような発信、それから自分自身のアウトプットをやっていきたいなというふうに思いますんで、
それぐらい身のある人生を送れるように試行錯誤して工夫してやっていきたいなというふうに思いますんで、
引き続き聞いてもらえるとすごく嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまた。