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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者で、
うつ病診断を受けている僕が、
営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、ちょっと哲学チックというか、
なんていうか、人生論っぽい感じになっちゃいますけど、
今、持っていないもの、手にしていないものを求め続けるよりも、
今、持っているものに感謝しようという、そういう話ですね。
うつ病っぽいかもしれませんね。
でも、欲しいものって、やっぱり世の中に常にありますよね。
男性だったら、物欲的なとこだったら、車、腕時計、
最近なら新しいスマホ、MacBookとか欲しい、みたいな、
そういうところかなと思うんですけど、
女性だったらなんですかね、服とか、高級化粧品とか、
あと何でしょうね、人それぞれその辺はあると思うんですけど、
料理が好きだったらキッチン用品とか、
そういうのがあるのかもしれませんけどね。
でも、欲しいものってやっぱり手に入れても、
満足感って手に入れたその一瞬もしくは数日レベルで、
だんだん物欲って満足感がどんどん薄れてきて、
買ったものに対してもね、満足感が薄れてきて、
また別なものが欲しくなったりしちゃいますよね。
一方で、今あるものに感謝するっていうのは、
なかなか意識しないと気づけないというか、
忘れがちというか、考えないことかなというふうに思います。
例えば、今持っているスマホ、
これも無かったときのことを考えたら、
あって良かったって思いますよね。
例えば無くしたとき、
無くすADHDかスマホを無くすってよくありそうですけど、
それをもし上手いこと発見したときの歓喜に満ちた喜び、
これは凄まじいものがありますね。
話が微妙に違うかもしれませんけど、
スマホを持っていない人が手にしたときとかって、
凄く嬉しいと思うんですけど、
でもそもそも今持っているものに対して、
改めて幸せを感じるっていうのは、
意識しないと難しいんじゃないかなって思うんですよね。
それが別に物じゃなくても、
物、物質的な物であれば特にいいですけど、
例えば安心・安全である街とか、
安心に暮らしているとか、
生命の危機が危ぶまれない環境で生きているとか、
例えば地震が起きたところだったら、
常に余震に怯えながら生活しなきゃいけないですし、
治安の悪いところだったら、
いつ防災に襲われるかも分からないような環境で生活しなきゃいけないですけど、
基本的に日本全国ほとんどの場所はそんな心配しなくていいですよね。
そういうところに対する感謝っていうのは、
そういう場面に出くわしたり、
そういう場面をテレビとかニュースとかで見ないと、
なかなかありがたみを感じられないんじゃないかなって思います。
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僕自身は過去に入院したりして、
よく怪我をしたんで、
入院したり全身麻酔をした経験が何回もあるんですけど、
スポーツやったんで、
それで手術したりとかあったんですけど、
自分の意思でトイレに行けないっていう経験が2回くらいあるんですよね。
だからもうベッドの上で夜を立つしかないっていう。
その時にその経験を大体小学校の時と中学校の時と1回ずつしてるんですけど、
その経験をした時、
自分の足でトイレに行けるっていうのは何て素晴らしいことなんだろうっていう風に感じました。
これ多くの人はここに対する喜び感謝は普通感じないはずなんですけど、
それができなくなった時に初めて感謝しますね。
その喜び、ありがたみ。
なので幸福とか幸せって追い求めるものっていうよりかは、
気づけるかどうかっていうところがすごく鍵かなっていうのを最近感じますね。
ただただ子どもたちと家の近くを散歩をしていても、
ほほーんとね、何事もなくその辺を歩いてぐるっと回って帰ってくる。
そこにそれほど面白みはないんですけど、なくはないんですけどね。
めちゃめちゃテンションぶち上がるほど嬉しい楽しい行動、イベントではないんですけど、
そこに幸せを感じられるかどうかっていうところがやっぱり、
人生振り返ってあの時よかったなって思えるかどうか、
そのタイミングで気づけたらそこにマインドフルネスって結構関わってきますよね。
今この瞬間に集中できるかどうか。
昔何かの記事でオバマ大統領がですね、死ぬ時に私が思い浮かべることは何だろうか、
何でしょうみたいな話をしていたことがあって、
それについてオバマ大統領は法案を通したとか国会で何かしたとか、
海外で外交でこういう成果を上げたとか、そんなことはおそらく思い浮かべないと。
オバマ大統領は自分が死ぬ時にですよ。
そういうのは思い浮かべないと。
おそらく私が死ぬ瞬間に思い返すのは何でもない休日、
娘と手をつないで公園を歩いたことだろうみたいな、
そういう話をしていたとある記事で読みました。
いやこれ本質だなと思って。
その通りですよね。
だから僕らが一生懸命毎日仕事やってますけど、
僕だったら営業の仕事を一生懸命やってますけど、
あの時あそこですごい大口の受注を叩き出したみたいな。
そしてすごく利益を会社にもたらした。
会社からも褒められたみたいな。
そういうのは一時すごく嬉しいですけど、
人生が終わる時にそれが最大の喜びだったかっていうと、
多分ね、絶対違いますよね。
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多分、絶対っておかしいですけど。
それは思い浮かべないですよね。
やっぱり家族とのコミュニケーションとか思い出っていうのが
絶対上位に上がってくるっていうのはほぼほぼ確実ですね。
だからそういう場面をもっと増やしていかないといけないだろうし、
それを増やすのってそれほど難しくなくて、
お金もそんなにかかんないし、
ただ仕事を早めに終わらせてちょっとでも早く帰ってくる。
で、子供たちと遊ぶとか、家族で何をするとか、
そういうところなんじゃなかろうかという感じですね。
ちょっと視点を変えて家族以外でいきましょうか。
自分自身、自分単体だけにフォーカスしたとして、
もし自分のケアレスミスがなくなったら、
それはそれはすごくハッピーなことですけど、
もしADHDじゃなくなったらすごく生きやすくなるんだろうけども、
今自分が持っているちょっとした特殊能力、
過集中するとか、一つのことを永遠と追求できるとか、
毎日ぶっ倒れるまでそれをやれるとか、
そういうのができなくなると思ったら、
なんかそれもちょっと違う気が、
自分じゃなくなってしまう気がして、それこそ。
それはそれでどうなのかなって思ったりするんですよね。
そしたらやっぱりケアレスミスがない、
そういう能力が欲しいって願うよりも、
今ある自分の長所とかにありがたみを感じられるようになるのがベスト。
じゃないにしてもベターですよね。
ベターな生き方なのかなって思うので、
今持っている自分の得意をいかに生かすかっていう、
やっぱりここに戻ってくるわけですよね。
そういうように考えていったら、
生きづらさもちょっとなくなったり、
自分のうまく他の人に役に立てる、
立つことができる、生かせる、
貢献できる能力っていうのがどっかに隠れている、
もっともっと隠れているような気がするんで、
それを毎日見つける。
それはたぶん仕事しないと見つからない、
ずっと家にいては見つからないことで、
何かいろんなことに挑戦しないと見つからないと思うので、
日々チャレンジ、挑戦と試行錯誤、
そして振り返り、内省、この繰り返し、
このサイクルをどれだけ回せるかっていうところで、
自分の成長速度も変わってくるし、
自分がどう他の人のお役に立つことができるのかっていう、
この辺の貢献度の幅とかも変わってくるんじゃないかなと思うので、
こういうところを改めて感じる、日々考える、
そんなふうに思ってますね。
最近の僕の思考はそんなところですね。
まとめると、ないものねだりをするよりも、
今あるものに感謝したり、今あるものをいかに楽しむか、
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いかに使っていくか、ここにフォーカスしたほうが、
幸福度はぐぐっと上がるんじゃないかなというふうに思いますが、
皆さんはどう考えますか?
なんか、いや、そんなことはないっていうコメントとかあればね、
反対意見でも喜んで、僕はちょっと受けるっていうかね、
そういうところに学びがあると思ってるんですよね。
そういう意見だけじゃないよっていうのもあれば、
ぜひ教えてほしいなと思います。
共感コメントもとても嬉しいですね。
何かあればぜひ教えてください。
いいねボタンだけでも最高です。
いいねを求めるよりも、今あるいいねに感謝するべきだというふうに考えてますので、
ぜひよろしくお願いします。
ではまた。