1. ADHDの生き様
  2. 身も心もケガをすると弱気になる
2024-06-28 12:50

身も心もケガをすると弱気になる


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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、
営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、ケガをすると、もしくは傷を負ったりすると、
ちょっと弱気になるっていうような話ですね。
ここだけ聞くとどうですか?それはそうだろうって思いますか?
それとも、ちょっとケガしたくらいでそんなに弱気になることないんじゃない?
そうならないよっていうふうに捉えますかね?どうでしょうか?
僕は今回ですね、手にケガをしてしまい、
それなりに出血するっていう、しょうもないケガをしてしまって、
ちょっとこれを考えました。
足は全然大丈夫なんで、運動はできるよね。
手で競技をするようなことはできないけど、
運動はできるかなっていうふうに最初は捉えたんですよ。
だから子供たちと、自分の子供たちと外で遊んだり、
例えばボールを蹴ったりっていうのは全然できるだろうというふうに考えていたんですけど、
実際に靴を履いて外に行くと、その過程でちょっと傷口が痛んだり、
あんまり手を使っているわけじゃないのに痛くなったり、
ちゃんとまだね、ケガしたばっかりだったりすると、
っていうのがあると、もしかしてこれ激しく動いたら、
その振動で治りが悪くなるんじゃないかなとか、
何かの表紙にまた傷口が開いたらどうしようとか、
っていうすごく弱気モードになりました。
メンタルが弱ってて。
子供と遊ぶ程度ですよ。
靴を履くときにもちょっとね、
余計に本当は使っちゃいけないような動きをしてしまったりして、
ちょっと痛くなって、うわ痛ってと思って、
この使い方ダメかっていうふうに、動かし方ダメかっていうふうに思ったりして、
いやー、これは安静にしてないと治り遅くなっちゃうな、
っていうふうに感じちゃったんですよね。
そしたら子供と遊ぶのにそんなに激しい動きをするわけじゃないのに、
なんかちょっと痛いから見守るだけにしようって思っちゃったり、
そんな場面が直近でありました。
そういう感じで全然関係ない、手に負った傷、ケガなのに、
足までちょっと動きが悪くなる、
要はパフォーマンスが悪くなるっていうのが、
僕はこれはまさにメンタル的な精神疾患にも通ずるところがあるんじゃないかな、
っていうふうに思ったんですよ。
っていうのはですよ、僕はADHDの診断を3年ほど前に受けて、
うわ、もうこれで正確な作業は自分にはできないと、
いろんな業務を抱えてサクサクテキパキこなす能力もないと、
若干人と捉え方が違う、物事の捉え方が違う、
ASDではないんですけど、そういうような傾向もあるっぽかったんで、
人と意思疎通も難しいのかなっていうふうに、
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いろいろなところで心に傷を負ったわけです。
そうなったらこんな自分で仕事が務まるのかと、今の仕事が務まるのかと、
それまで10年近くやってたんですよ。
やってて別に何の問題もなく、
問題はありましたけど、それなりに働いていたにも関わらず、
突然この会社ではやっていけないんじゃないかっていうふうな思考に行き着いて、
仕事以外でもこんな自分と付き合ってくれる人は、
もしかしたらもういないんじゃないかというような、
すごくネガティブな考えに行き及びました。
たまたま僕がちょっとケアリスミスが加算だとか、
それによってうつ病になっちゃって、
見た目にも外から見ても話しかけづらいような雰囲気になっていたりしたので、
その時の僕の精神状態はかなり悪かったですけど、
それにしても全然関係ない。
本来できていたところまで弱気になってしまうとか、できなくなってしまうとか、
言葉一つ一つにすごく気を使ってしまうとか、
なんか変なこと言ったらどうしようとか、
なんか間違ったこと言ったらどうしよう、
変に仕事を引き受けてできなくなったらどうしようとか、
そういうのをばっかり考えて、もともとできたことまでできなくなってしまう。
ここは多分心に怪我をしているからそういうふうに思っちゃうんだろうなっていう、
この本質的なところは、
フィジカルの怪我もメンタルの怪我もきっと同じなんだろうなっていうところを、
僕はちょっと感じ取りました、実際に怪我をして。
だからよくね、スポーツ選手とかで、
例えばサッカー選手で手を怪我してしまった場合、
試合中に手を使うことって足に比べたら全然少ないと思うんですけど、
それでもなんか動きがおかしかったり、
なんかいつものパフォーマンスが発揮できないっていうケース、
結構あると思うんですけど、
これはまさにメンタルが弱っているから、
すごく心配を、不安を抱えている、
そういう状態で何か頑張ろうとすると、
本来できたことまでできなくなってしまう。
これはおそらくあるある、
何かスポーツをやっていたり、
アスリートの方だったらこの辺はわかるんじゃないかなって思いますね。
僕も結構運動する方だったんで、まさにここはわかるところです。
肉体的なこと、精神的なこと、
問わず共通事項なんだろうなと、
共通する事柄なんだろうなというふうに思いました。
だからね、怪我をどっかに負ってしまうっていうのは、
これは全然関係ないところまで影響が及ぶっていうことで、
周りの人が思っているよりも、
旗から見るよりも、本人の気持ちには影響が及ぶと。
その人のメンタルの強さ、
繊細かどうか、敏感か鈍感か、
この辺にもかなり影響するとは思うんですけど、
それでもみんながみんな強いわけじゃないっていうのは、
認識しておくべきことかなと思います。
そしてその傷は、怪我は、
実際はもう治っているのに、
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でもまだ痛むっていう場面はありますよね。
骨がくっついている。
切れた人体がくっついている。
もうレントゲンとかMRIとかを取って、
医学的には治っている。
にもかかわらず、
メンタルは治っていないっていうケースは、
往々にしてあると思います。
ADHDとか発達障害の人も、
まさにこれで、怪我はしてないですけど、
できない部分っていうのはありますね。
苦手な部分とか。
それを気にしていないうちは、知らないうち、
周りから指摘されていないうちは、
別に気にならないんで、
もう普通に生活していると思うんですけど、
誰かに指摘されたり、
物事がうまくいかなくなったりして、
自分自身でそれを気にし始めると、
全てにおいて全く頭が回らなくなってしまったり、
全てにおいて物事がうまくいかなくなってしまったり
っていうのはあります。
実際に僕はそうでした。
一生懸命何かをしようとすると、
失敗する可能性が出てくるわけです。
一生懸命僕は取引先を訪問して、
商品を提案したり、
注文をもらったりっていうことをやると、
その注文における、
注文から納品、そしてアフター、
ここに関する何か失敗を犯す可能性、
リスクっていうのが生まれてきます。
それはそうですよね。
何かビジネスをやってるんで、
うまくいかない場面っていうのは必ず出てきます。
野球でいうとバッターボックスに立ったら
反審をする可能性がある。
ボンタイする可能性がある。
でもそこに立たない限り何もできないんですよね。
ただボンタイを恐れて、
もうバッターボックスに立てなくなってしまう。
僕でいうと、
何か商品を提案するのが恐ろしくなってしまう。
それをやることで、
仮に何か注文をいただくことができても、
自分の説明に不備があったり、
間違ったことを言ったらどうしよう。
もし納期が遅れたらどうしよう。
もし在庫がなかったらどうしよう。
注文書の書き方を間違ってしまったらどうしよう。
っていうのを気にし始めたら、
もう身動きが取れなくなってしまうんですよ。
なので、ここ苦手な部分を認識。
自分自身がそれほど気にしてないときは、
別に問題はないんですけど、
気にし始めると、
もうそれが傷となって、怪我となって、
もう爆弾になってしまうんで、
この爆弾が次いつ爆発するかわからない。
それも自分が行動すると爆発する可能性がある。
ってなると、もう本当に行動したくなくなってしまう。
こうやって、鬱になってくるわけですね。
なぜ鬱が治りにくいのかも、
ここを考えればわかるわけで、
治ったかどうかが客観的に判断できない。
自分自身でもわからない。
結果と違って、レンドゲンを取っても
骨がくっついているかどうかっていう判断ができない。
メンタルが治ったかどうかっていうのは、
自分でもわからないし、他人からもわからないんです。
これが一番難しいところですね。
治ったように感じても、
今日は元気だからいいかなって思っても、
何かちょっとしたきっかけで、またひどく落ち込んでしまって、
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テンション下がってしまって、引きこもりがちになってしまったり、
きっかけがなくても、ただただそういう日もあると思います。
旗から見たら、ちょっと手を怪我しただけで、
何を子供と遊ぶのを怖がっているんだということかもしれない。
旗から見たら、ちょっと注文書の書き方をミスっただけで、
何をビビっているんだって思われるかもしれない。
でも当人にとっては、そのちょっとした怪我が、
もう立ち直れない場面にきっかけになってしまうということもあるわけです。
右手を怪我して、左手も怪我した。
次は別な場所、次右足を怪我するかもしれない。
っていうような感じで、どんどんどんどん怪我が
あちこちに広がってくるかもしれないし、
怪我した傷口がどんどん深くなっていくかもしれない。
これはメンタルにおいても全く同じような考え方でいいと僕は考えているし、
だからこそ、あちこち怪我してしまったときに、
ちゃんと休養する、療養する、休むということが必要です。
それを自分自身で考えてやるというのは、なかなか難しいと思うので、
ここはもう周りの人にサポートしてもらうしかないんですけど、
なかなかそこは難しいかなと思います。
頼みにくいケースもあるし、
自分自身で怪我していることに理解がいかないときもあると思いますね。
そんなに疲れているとか、そんなに落ち込んでいるっていうのを
なかなか分析できないケースもたくさんあると思います。
だから僕が今日のこの配信でもし伝えたいことを一つだけピックアップするとしたら、
そういうことがあってできなくなる。
そしてそれが自分自身でうまく対処できないこともあると思うんですよね。
何か怪我をして全然関係ないことまでできなくなってしまう。
それはしょうがない。
そしてそれに対してどうこうしようという話でもない。
ただそういうことがあるっていうふうに理解しておくことが
それだけが作りかなと。
手を怪我したな、そしてなんか走るのビビってるな、
それって不安に思っているからだなっていうふうに
自分自身を理解することができれば
それでもういいんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
ミスってしまったな、やばいまた自分落ち込んでるな、
この前もミスって今日もミスったからまた落ち込んでるんだなっていうふうに
もう客観的に自分自身を見つめることができれば
それでもう十分かな。
そこでもし元気があればこれは気にしなくていいことだなっていうふうに
自分に言ってあげることができる。
ここがもしできたらちょっと傷は軽くなるんじゃないかなっていうふうに思いますね。
まあでもそこまでしなくていいと思いますね。
気づくことができればもうそれだけでもう8割方
知らないときに比べたら進んでると思うんで。
そんなことをしょうもない手の怪我から考察して
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ここまで話を広げてみました。
僕の学びは今回の学びは以上です。
生きていれば怪我をすることは必ずあります。
それが心の怪我かもしれないし身体的な怪我かもしれませんけど
そういうのを直しながら自分で気づきながら
ちょっとずつ前に進めるように
ポジティブに少しでも捉えられるようになるためには
自分自身の今いるところ現在地というか
今の状況をまず認識することがスタート地点かなというふうに思います。
これまでも辛いことがいっぱいあったしこれからもあると思いますが
一生懸命一緒に生きていきましょう。
ではまた。
12:50

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