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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、もう二度と教えない後編ということで、昨日の続きをお話ししていこうと思います。
このタイトルの意味がわからないという人は、ぜひ前編の①もお聞きいただければわかるかなと思いますので、ぜひ聞いてみてください。
カイツマンでいうと、コーチングについて、人材育成とか育児とか、ここに関してどうやって指導をしていったらいいのか、成長を促していけばいいのかというところで、
こういうふうにやるんだよっていう、上からのアドバイスではなくて、本人に、当人に考えてもらって、当人の頭を使って、それを実践してもらう。
そのために引き出すような問いかけを、こういうふうにしていったらいいのではないだろうかというのをお話ししました。
基本的にはこれはコーチングと言われる技術ですね。
僕がいろいろ調べていく中で、僕が今学んで一番大事だと思っていることをアウトプットしました。
今日の配信では、なぜそういうコーチングとか人材育成とかっていう、そこに僕が興味を持つようになったかっていうことをお話ししようと思います。
その理由は、端的に言うならば、自分一人で一定の結果を出すことに満足したからと言えます。
僕自身が営業職として、就職活動をした後、会社に入って入社して、この役割を全うする中で、
最初はどうやって物を売ったらいいのか、どうやって数字を稼ぎ出せばいいのか、
その過程でどうやってお客さんに貢献したらいいのか、役に立ったらいいのか、
それをプロセスを経て、会社に数字を持ち帰って、会社に貢献する。
ここをすごくいろいろ考えて、どうやったらできるんだろうかっていうのを試行錯誤をしていました。
その結果、それなりの数字を持って帰ってくるというか、実績として上げられるようになりました。
その後に、一種のやり切った感があったんですよね。結構できるようになったなっていうのがあって、
さらにもっと、言ってしまえば80点ぐらいは取れてるかなっていうような感覚だったんですよ、自分自身が営業職として。
さらにこれを90点とか100点とかを目指すことの意味ってあるのかなっていうふうにちょっと思ったんですよね。
テストで80点が取れてるんだったら、それで僕はもういいんじゃないかっていうふうに捉えるタイプです。
そこから100点を目指して満点を目指すんだっていう人もいてもいいと思うし、
僕もADHDなんで、そっちの方が楽しい気はするんですよ。そこを追求したくなるんですよね。
ただ、自分がさらにプラス20点を上乗せするよりかは、自分はもう80点でいいなと。
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逆に自分の周りの人たち、一緒に働いているチームのメンバーですよね。
メンバーでまだ40点ぐらいでくすぶってる人がいたとしたら、60点ぐらいまではいったんだけど、そこから上乗せができてない人がいたとしたら、
こっちに何かお手伝いをした方が、自分が一人で頑張るよりも組織全体のパフォーマンスは上がるんじゃないか。
要は僕が一人で稼ぐ数字よりも、周りの人を支援してあげてチームで数字を稼いだ方がでっかい仕事をできるんじゃないか。
数字を稼げるんじゃないかっていうように考えるようになりました。
要は自分一人で努力して、自分一人で喜ぶよりも、周りの人と一緒に頑張って、
周りの人と一緒に喜んだり泣いたり悲しんだり苦しんだりした方が、より人生の厚みというか面白みというか、こっちの方がより充実度が高いんじゃないかなって思ったりしたんですよね。
だから自分一人で仕事をするんではなくて、周りの人と手を取り合って何ができるかなっていうのを考えたいなって考え始めましたね。
それをやっている最中にうまくいかなくて、僕はADHDじゃないかと自分自身を疑ったり、仕事が進まなくて悩んだり、上司から失責を受けたりしているうちに鬱病になってしまいましたという経緯があるわけですよ。
ただその中で自分一人でプレイするよりも周りの人と一緒にやった方がいい、本来的にはそっちの方が人間らしいしっていうところも思ってはいたんですけど、それが果たして自分にできるのかっていう自信のなさもあったりしたんですよ。
いろいろ考えながら、まずは回復に努めながら、鬱病からの回復に努めながら、いろいろ試行錯誤をしつつ、そして考えながら何ができるのか、自分にとって何が一番働きがいのあるやり方なのか、ベストなのかっていうのを考えながらここまで生きてきましたが、
やっぱり最終的には自分一人でやるよりも周りの人と一緒にやった方がいいんじゃないっていうところにいつも行き着いてしまうんですよ。
ただそれは僕にとってはあまり得意なことではない。自分一人でやった方が、そっちの方が加集中できるし、周りから目を切って自分のやりたいことに集中できるんで、そっちの方が本来的には自分の特性を生かせるとは思いつつも、そっちじゃない方にチャレンジしたいっていう思いがですね、
うつ病から回復するにしたがってその思いが徐々に徐々に強まるっていうところを自分自身が気づいているんですね。そこはどうにも隠しきれないというか、そこに目を瞑ったとしても何となく不完全燃焼感が現れてるんですよね。
なので得意じゃないんですけど、そっちにチャレンジしたくてしょうがないっていうのが率直な気持ちですね。
育児に関してもそうですね、子育てに関しても、最初の頃は自分の仕事だけでいっぱいいっぱいだったんで、もっと残業して仕事をしたかったし、朝早く行って長時間労働を逆にしたかったんですよ。
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その方が自分の営業職って頑張ったら頑張った分数字が伸びるんですよね。だからもっと数字を上げて満足したかったし、お客さんにも貢献したかったし、その方が会社からも褒められるしっていうのがあったんで、もっと仕事をしたかったんですけど、
子供がいるとそういうことにはならないんですよね。だから本当はもしかしたら自分は子供を持つべきじゃなかったんじゃないかとかいろいろ考えたりもしました。
しましたけど、ちょっとそれは違うっていうことにまた自分も気づき始めました。結局それをやってる限りはそれでしかないんですよ。
自分一人で個人プレイをしてるにしかすぎない。だけど子供と接したり、周りの会社でも後輩たちと接してるうちに、
この人たちを伸ばした方がもっともっと人生は楽しいっていうことになんとなく薄々気づき始めたんですよ。
子供と接してると子供の成長度はいってマジで半端じゃないんで、ついこの前までハイハイしてた子供が今や走り回ってるとかね、ついこの前まで箸を使えなかった子供たちが今や箸だけじゃなくてね、
もうハサミとか刃物とかそこまで使ってるし、あんなにバブバブ言ってた、しゃべれなかった子供たちが自分の意思をはっきりと示してお父さんに訴えているとかね、そういうのを見てると、やっぱり人を僕が育てるわけじゃないですけどね、自分自身彼らが自分の力で成長してるんですけど、
これをもっと引き上げていく方が、彼らに何かをさせて、してもらって、そっちで結果を出してもらう方が嬉しくなっちゃったんですよね。
すごい努力して何かを成し遂げた時に喜んでる本人たちを見てると自分ももっと嬉しいし、逆にもっと違うアドバイスができたらもっと別な何かを成し遂げたんじゃないのかなって思ったりもしたんですよね。
だから自分の問いかけ一つで、この子供たちはすごい、もっともっと伸ばせるって言ったらなんかこうね、上から目線ですけど、もっとすごい存在になれるんじゃないかなって思ったりもしたり、
まあそれはね、買いかぶりかもしれないし、自分にそんなすごい影響力があるわけじゃないんだけどなって自分自身に思ったりもするんですけど、なんかね、すごい可能性を感じちゃうんですよね。
自分より若い人間、子供も含めた後輩とかそういう自分よりも若い人たちの可能性にもっとかけてみたいなっていうように感じるようになってきました。
自分自身に、自分が自分にかける期待よりも自分が自分よりも若い人にかける期待の方が大きくなってきたっていうような感覚ですね。
でもそれをやるためには、自分より年下の人間とのコミュニケーションをうまく取る、このスキルを磨かなきゃいけないなって思ったり、
ただね、こう上からアドバイスをするだけでは、それは言われているだけであって、その通りにね、人間はロボットじゃないんで動いてくれないし、どういうふうに耐えたらいいんだろうみたいなのを考えるようになってきたわけです。
ちょっと別な角度から言うならば、自分はプレイヤーとして貢献するよりも、何かこうコーチや監督のような立場からこの組織を引っ張るじゃないですけどね、
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そういうような活動をした方が全体最適になるんじゃないかなっていうふうに思ったわけですね。
自分一人で例えば10点稼ぐよりも、みんなに1点ずつ稼ぐスキルをつけてもらって、
10人いたら10点だし、1人2点を取れるようになったらいきなり20点だし、みたいな感じですね。
こっちのほうがテコの原理が働く、いきなりすごい速度で加速度的に成長していくんじゃないかっていうように感じたりもしました。
自分がそのベクトルを進んだほうが自分自身の成長にもなるなっていうふうに、
これちょっと逆説的ですけど、自分が苦手なほうに挑戦したほうが自分自身の成長になるかもしれないっていうふうにも思ったんですよね。
得意なことでどんどんどんどんさらにさっきの80点を100点にしていくのは全然OKですけど、
そこには20点の伸びしろしかないし、その20点を伸ばすのって結構難しいんですよね。
60点を80点にするよりも80点を100点にするほうがはるかに難しい。
だけど僕のマネジメントスキルとかコミュニケーションスキルっていうのは、たぶんね3,40点そこそこなんですよ。
だからその3,40点を60点ぐらいにするほうが、ここが得意な分野じゃないんでもしかしたら苦手なのかもしれないけど、
こっちのほうが伸びしろって大きいような気もするんですよね。
分かんないけど、でも今は挑戦したくなったからやる価値があるんだろうなっていうふうにも感じたりします。
そして僕が一番価値を感じていることというか自分自身に期待していることとしては、
僕はADHDという特性を持っているし、しかも鬱病っていうかなり精神的にきつい病気も患いました。
まだ治ってないから当事者ですね、本当にまだ病人です。
つまりこういう苦しい状況を経験した、もしくは普通の人とは違う別な苦しみを持っているっていうのが
確実に活かせるんじゃなかろうかと思ったのが、この人材育成に関する部分なんですよ。
これがもし僕が何の挫折も味わっていない完璧なエリートコースマッシグラの人間だったら、
多分下の人、自分より目下の人にかなりきつく当たるんじゃないかなって思うわけですよね。
苦しみを経験してないんで痛みを感じたことがないんで、どういう痛みを持っている、どういうふうに痛がっているかが多分分からないと思うんですよ。
骨折した人の本当の痛みは骨折した人じゃないと分からないですよねっていう感じですね。
僕はそういうのをいっぱい経験したんで、こういう言われ方をしたら辛いよねとか、言われてもできないことってあるよね、それは本当にね。
努力不足ではなくて、一生懸命努力したけどできないことって苦手なことってあるよねっていうのが、僕は分かるつもりでいます。
自分自身がそうだからね。
だからそこをいつも忘れないで、自分より若い人たちと接していけば、すごく理解のある上の年長者じゃないですけど、ちょっとこう経験者、年次のある存在になれるんじゃないかなっていうふうに自分自身に対応しているっていうわけです。
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まあ手っ取り早く言うと、僕をうつ病にした上司を反面教師にして、自分はそうはならないし、なりたくもないし、そうじゃない別な人間になれると自分に期待しているわけです。
僕は当時ね、上司から言われたことですごく腑に落ちなかったことが、例えばね、僕にこう言ったんですよね、上司はね。
ここからその100メートル先の建物まで、俺は例えば5分で着く。
でもお前は30分かかってる。どうして5分で着くんですかって言われても、普通に走っていけば5分で着くよね。
どうやったら5分で着くんですかっていうその質問に答えることができないみたいなことを言われたわけですよ。
でも僕にとっては30分かかるんですよ、その道のりは。どんだけ走っても25分ぐらいにはなるかもしれない。
だけどその人みたくテキパキ仕事をして5分では終わらないわけですよね。
だからそれをやり方が悪いとかどういう風にやってるんだとかそこを追求されたところで苦手なものは苦手だからできないわけです。
残念ながら。だし30分かけてやったくせにどっかこっか間違ってるわけですよね。
だからそこをいかに追求されようともいかに改善しようとてこいでされようともできないものはできないっていうのがやっぱりあるわけです。
僕はそこにすごく理解がいくけど理解ができない人間もいるんですよ。
それがいいとか悪いとかではなくそういう人もいるしわかる人もいるしっていうことですね。
僕はわかる側の人間になれるというか多分もうわかってると思ってるんで自分ではね。
だからそこをこのアドバンテージかなりでかいんじゃないかなっていう風に自分で自負しているわけです。
3年前にうつ病とADHDの診断を同時に受けたときは本当に絶望的だったし自分に存在価値があるんだろうかっていうところまで考えたし
自分に生きる価値があるんだろうかっていうところまで考えましたけど今は逆で自分にすごく期待をしているところです。
すごい辛い経験を乗り越えたからこそできることがあると思うし今回復期順調に上がってるんで進んでるんで
そういうような人に対しても自分と同じような境遇の人に対しても他の人とは違う角度から何か言葉かけができるんじゃないかなっていう風にも思ったりしてますね。
できるかどうかわかんないけど経験してない人よりはできると思うっていう根拠はないけど
ちょっと自分に期待をしているそういう感じです。
我ながらここまでメンタルって回復するんだなって思ったりもしますね客観的に見ると。
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それはゆっくり休ませてくれたっていう会社の環境にも感謝したいしずっと支えてくれた家族にも感謝したいし
そこまでいくと感謝することしかないですけど
今自分がこうやって普通に働けてるスタイフも発信できてる他にもいろいろやりたいことがあるでやる気になっている
しかも自分の苦手なところまで挑戦したいっていうねそれぐらいのメンタルを今回復できたそこまで回復できた
維持できてるっていうのは本当に周りの支えがなくてはできなかったことじゃないかなっていう風に思えるんで
だから自分も周りの支えの一つになれたら最高ですよね
自分は何のために生きてるんだろうっていう極論まで考えた人にとって
結局そこに答えてなくて特に意味はないと思うんですよ
自分が生きてることに人間が生きてることに意味があるのかと言われたら多分意味はない
僕はそう捉えてるんですね
だから自分自身というか生きてる意味がない人たちがいっぱいいて
それは悪い意味じゃなくて特にこの短い一生で生まれる時も苦しくて死ぬ時も苦しいのに
なんで生きてるんだろうっていうねその哲学的な話ですね
そこの観点では多分特別意味はないと思うんですよ
苦しい思いをして生きて苦しい思いをして死んでいくのにそれに意味があるかと言われたら多分ないんですけど
そういう人たちがもしいっぱいいるんだとしたら
その人たちを助けるとかその人たちに喜んでもらうとか
その人たちに笑顔になってもらうとか
そのプロセスを通して自分も楽しむみたいなね
自分自身の存在価値を感じるとか
っていうことができるとしたらそれには意味があると思うんですよね
だから最終的には誰かの笑顔じゃないけど誰かを助けてあげたいというか
誰かの役に立ちたいというか
そういうところに結局帰結するというか
そこが終着点なんじゃないかなっていうふうに思いますね
その役に立ちたい相手というか
どんな人の役に立ちたいのかというと
自分よりも若い人たちに少しでも成長してもらえるような
言葉掛けとかアクションが取れたらいいなっていうのが
僕の考えていることですね
はい、だいぶ長くなりましたし
だいぶ横道にもそれましたが
そんなことを考えながら僕は最初の配信で前編で言ったような
コーチング、教育、人材育成
ここにちょっと絡んでいきたいなっていうふうに捉えています
その理由が今回のお話ししたような理由になっています
今ちょっとふと思ったんですけど
ADHDの人とか、うつを患って苦しんでいる人
それから回復してちょっと元気になった人は
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自分以外の人たちはどんな行動を考えていているのかな
ちょっと気になったりしたんで
そこに該当する方もしいたらコメントしてくれたら嬉しいです
自分以外の人が何を考えているのかというのが
なかなかわかんないですよね
なのでその辺を教えてもらえると嬉しいし
そこでコメント欄を活用してもらえると嬉しいし
いいねボタン押してもらっても嬉しいですし
何かしらのリアクションをとってもらえると僕は喜びます
よろしくお願いします
だいぶ長くなっちゃいましたけど
ここまで聞いてくださりありがとうございました
引き続き発信していきますのでよろしくお願いします
ではまた