アートカフェ・ブルーテラスとスティーブン・ジョブズのコレクション
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスター夫婦とゲストの皆さんが、
アートと音楽に包まれ、何やらワイワイ楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード、株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さんこんにちは、ブルーテラスマスターの伊藤です。
今週もビーツの話で一時は共にお過ごしください。
本日の常連の彩ちゃん、松山さん、ご来店ありがとうございます。
ありがとうございます。邪魔しております。
邪魔してます。
連休、お疲れではありませんでしたか?
はい、いろいろ野菜植えました。
茄子、キュウリ、トマト。
いい時期ですね。
いい時期ですよ。
でもそういう疲れはね、次に楽しみにつながるからですね。
そうですね。
いろいろ人生に種をまくという。
素敵。
夏野菜の便利ですね。
そうですね。
じゃあまた収穫がありましたら、そのお話を味わわせていただけるのが嬉しいです。
なんていうずずしいことを言っております。
いえいえ。
ジョブズの職場にあった浮世絵「朝寝神」
さあ、前回はですね、アップルの創設者のスティーブン・ジョブスのコレクション。
多分こうじゃないかというですね、マスターの妄想のような話をつきわせてしまいましたが、
実はこの作品を見たということで、ジョブスの仕事場で見て、
この作品があるっていうことがネット上にありましたので探してきました。
はい。
今、カフェのスクリーン映ってます。
なんか美人がですね。
女性のね、素敵な日本髪で。
これも浮世絵ですか?
そうです。新版画ですね。
新版画。
鳥居…
コトンド。
ね、コトンド。
ユウシトと書いてあるコトンドさんっていう画ですね。
鳥居っていうのはね、鳥居派という絵画集団っていうのがあって、
歌舞伎のですね、歌舞伎絵であるとか看板であるとかっていうのを江戸時代からずっと描き続けて現在も存在してるんですよ。
そういう職業の方。
そういう鳥居派という。
絵師さんなんですね。
絵師。代々、そのですね、作品を。
その中の鳥居、コトンド。
でもコトンドってこれ、カラクテラがあったら読めないよね。
そうなんですよ。
で、なんかね、すごくコトンドって言うから現代的なのかな、なんかなんだろうなと思ったら、いやいや、この方そんなに1900年生まれですから。
もう亡くなっておりますので。
はい。
さあ、この、なかなかどうですか。これがね、ジョブスのね、職場に飾ってあったっていう。
えー。職場に?
はい。
えー。女性の。
ねえ。
はい。
朝寝神。
そうです、朝寝神。
うーん。
起き抜けのでしょうかね。
はい。
ちょっといいですね、これ。なんかすごく色気のある絵。
ねえ。
そうなんですよ。
あとこの藍の、藍色の、この何ですかね、根巻きというか浴衣ですかね。
うんうんうん。
すごいいいですよね。
あと目がいいですね、ちょっとまだ、あの、完全に目覚めてないような。
そう。そうなんです。
職場にある絵ですよ。
えー、職場に。これ。
職場に。
なんか松原さん、言葉がちょっと詰まってしまった。
いや、これね、要するに寝坊して遅刻しても許すってこと?
そっち。
そうか、でもジョースのね、職場に遅刻なんてあったのかな。
そもそも時間的だね。
かなり自由だったって聞きますよね。
好きな時間に出勤して、好きな時間に帰るなんて。
はいはい。
まあそんなね。さあ、これ1930年なんですね。
昭和4年か5年ぐらいですか。
ところがですね、この作品ですね、発行禁止になっちゃったんです。
100枚刷ったんだけど、で、70部ぐらいは売れて、残ってた30部は募集されちゃったっていう。そういう作品なんです。
なんでですか、これ。
いかがわし。
いかがわし。
被害ってことですか。
そうです。
ですから朝起きて、女性がなんとなく昨夜のことを思い出しているというようなことを連想させるという。
それは想像力豊かですね。
そうですね。
まあまあでもそういうことで、当局からですね、発刊禁止になったという。
でもまだ戦争の時代でもないのに。
ですからやはりその時代の。
風紀を生み出すってことですか。
風紀ですよね。
ですからある部分ではそういうものもあったりとか、どっちか男性優位のね。
だけどもう一つはこういうものがあったりとか、さまざまなある種のダブルスタンダードが巻かれとった時代ですから、表向きにはこういうのはダメなんだっていう。
でも発刊禁止にするほどでもない。
確かに色気のある、いろいろ想像がたくましくなりますけど。
これが約100年前の価値観っていうことなんです。
まあとはいえ、そのことによって本来100部が販売されるはずだったんだけど、それが実は70部しか世の中に出てないので、非常に希少価値が上がってるってことです。
その70部のうちの1枚がなぜかジョブスの手に渡ったと。
やっぱり東京の神田あたりの古本屋さんの。
そうかもしれないな。
中松浦さんがお話しされた説がリアリティになってきました。
橋口五葉の絵とマッキントッシュ
この間、コシェ祭りがあってね、先月ね、4月に。
東京で?
そうそう、やっぱりいっぱい外人さん来てましたよ。
日本のネオ売る専門の店があってね、外人さんいっぱい来てみたり。
だからね、本当に我々知らないこと、日本のことで知らないことというか、いっぱいあるんだなと思う。
そうですね。
そういうのを教えてもらう。
逆にこういうものあるだろうって、分かんないっていうようなことがあるっていうこともね。
そうね、あまりにも当たり前すぎて、こんなのなんて思ってることが実はあって。
そうなんです。それでね、もう一つね、お気に入りの絵があるんです。
ジョブス。
あ、これは見たことあるな。
紙を解く?
解いて、櫛で。
櫛ですね、髪を解かす女性を描いているという。
やっぱりちょっと浴衣の胸元が大きく開いている感じの。
でも多分、髪を洗った後なので、お風呂に入って。
これから寝る?
か、もしくは軽く羽織っている感じの。
濡れた髪の感じがいいですね。
艶やかで。
そうか、よくカラスの羽って言うじゃないですか。
黒く艶がある。
そうそう、あんな感じ。
なんか見たことありますよ、この絵じゃないかもしれない。
同じような図柄の絵かもしれない。
いくつかのシリーズがあります。
これをね、描いたのは橋口五葉という方なんですね。
これもね、ジョブス大好きなんですよ。
大好きなんだけど、そのためにこんなことしちゃったんですね。
どんなことしちゃったんですか?
いる!
これマッキン・トッシュのポスターですね。
1984年、ジョブス若干28歳。
あれ、これジョブス本人ですか?
そうです。
初のMACと呼ばれるマッキン・トッシュの発表会。
そしてその、これ3台並んでるんだけど、その真ん中には
まさに。
どうやってこれ入れ込んだんですかね?
デザイナーがいて、ちゃんとデジタル化して入れたそうです。
お気に入りだったんですね。
アップルのかじったデザインがありますね。リンゴかじったね。
あれを描いたデザイナーの女性が作ったっていうことなんだけどね。
懐かしいですよね、これは。
懐かしいですね。
これ日本人は何人気がついたんですかね、この絵に。
いや、気がつかなかった。
話題にすらはならなかったでしょうね。
でもジョブスのネクタイ、スーツ姿ってのも新鮮ですね。
ある意味貴重ですよね。
でも真剣だったんですよ。
すごくすごいドラえもんですよね。
どうだ、みたいな。
そうです。
えー、好きだったんだ。
でもこの画面の絵は、これは。
マスター、よく気がつきましたね。
いやいや、そういうものがあるってことで調べたらちゃんと映像であったんで。
それからね、またこんな風に。
実際に撮り込んでる写真ですか?
それはね、マックプリントのマニュアル本です。
マニュアルのマキン都市のね。
説明書?取説?
マニュアルの表紙にも使ってある。
えー。
このマニュアル本、どこかにあるかなみたいな。
プレミアムです。
ですからこのぐらいね、気に入ってた。
で、この1984年の前年にジョブスは日本に来て、
そこで作品を買い求めたということですね。
この髪の毛って普段どうしてるんですか?長いと不便でしょ?
言うんですよ。
日本髪に言うためにはこの長さがないと。
このぐらいになると多分。
多分。
何て言うんですか。
黒髪とか浴衣の青とか色が出てたんですかね。
このマックの画面に。
これはね、モノクロです。
画面が9インチか10インチぐらいのモニターだから。
モノクロ?
モノクロ。
だったらわかりやすかったんでしょうね。
この髪の黒とその背景と。
なるほどね。
スミ絵もそうか。黒と白だけだから。
そういう点で非常にシンプルな色使いで再現できたということがあると思うんですね。
でもこれを使ったというやっぱりすごい完成ですよね。
そうそう。そうすると先週ね、こういうシンプルなものとか、
その中でマックですね、アップの製品っていうのは生まれてきたっていうのは、
やっぱりここにもうその源流があるような感じがするんですね。
反対に思い描いてたものが日本に来て、それと等しい感覚のものがあったということで、
すごくこう、なんかこう、自分のやってることというか持ってるものの確かさは確認できたんじゃないかなって。
そうですね。そういう意味で日本文化とものすごく自分の精神性と日本の精神性との共通化っていうものを強く感じたっていうことが。
あとその後の生き方なんかがまさしくそういう生き方。
ですから先ほどね、ネクタイしてる姿が珍しいというぐらい。
それ以降はいろいろな発表の時に、ステージに立つ時には黒のTシャツとジーパンっていうのはね、
非常にシンプルな分かりやすい格好で。
なんか本当に自分は飾らないけれども、出す製品をみんなに見てもらうために、
あくまでも自分は脇役、黒子ですよね。
でもすごくそれがまた大きな主張をするっていうか存在感だよね。
削り取って削り取って。
ですから今iPhoneなんだけど、iPodっていうのが出ましたよね。音楽のね。
その前っていうのはウォークマンなんかがあったわけですけど。
ウォークマン。
ものすごくシンプルになりましたよね。
そういう意味でのいろんなものをシンプルにして関わって動かしていくっていうか、
そんなようなことがどうも日本の文化の中から流れてきているということが言えると思うんです。
もう少し後半は日本文化っていうことについて、
ジョブストの関係なんかも触れていきたいなと思います。
禅僧・太川幸文とジョブズへの影響
ではフロアさん、今日の音楽をお願いいたします。
はい、本日の曲はミシナ・サッチさんのBorn to be Loveです。
生きることを見つめ重ね幸せに雨に私ここで耳を澄ましてあなた待ってる
そう手をかざしてみる声に出して呼ぶぜ
二人笑顔燃やしてぜ
生きるため見つめ重ね愛されたいの
だからこそ
二人の恋が真実ならば愛に変わる
thinking about you everyday
for a long time you know
I was born to be love
I was born to be love
幸せになるために
私はここで耳を澄ましてずっと待ってる
I was born to be love
この歌って
ただ今の曲はミシナ・サッチさんのBorn to be Loveでした。
はい、ゾブスがですね、日本の文化の影響を受けて、あるいは文化というか精神性ですね、それにすごく影響を受けているということ。
それを前半に、最後にちょっと触れたんですけども。
相当州の禅僧で非常にゾブスと親しかった。
いろいろな考え方なんか影響を受けたというのがありまして。
太川幸文という方、もう亡くなられてますけども、これは松浦さん、どんな方だったんですか。
そうですね、相当州の禅僧でね、アメリカに行ってアメリカ人に座禅を伝えた方ですけどね。
この方は、いろいろ評価がもう真っ二つに分かれている方で、とんでもない生草坊主で、素晴らしい禅僧だという人もいるし、分かれているから。
でも存在はそれだけ大きな存在だということですよね。
そうだと思いますよ。確か3回か4回か何回かね、結婚して離婚してて、子供もいっぱいいて。
最後はね、自分の子供が池に落っこったのを助けようとして、飛び込んでね、デキ死しちゃったという。
娘さんもその時一緒に亡くなった。
そうです。いつもお酒飲んで酔っ払ってってね。
でもすごく自由でね、肩にはまらない、本当に肩だったみたい。
それで禅僧はこうあるべきだ。日本にいるとやっぱりいろいろと組織がいろんなのがあってね。
肩苦しいよね、これやっちゃいけないとか、そんなこと全部ひっくり返して、もう自由に来た。
じゃあアメリカで周りの目もなく。
そう、やっぱりアメリカには日本みたいにしがれ目ないでしょ。
それで禅僧とはこうあるべきもんだって、褒める人は絶賛するんですけど。
それは本当に世の常でね、いろんな面があって、何を評価するかっていうのがあるから。
実際には駒沢大学で仏教学を学んで、京都大学で修士号を取得して、そして永平寺で修行を積んで、1967年にカルフォルニアに行ったんですね。
ちゃんとね、仏教学を学んで、ちゃんと修行した方なんですよ。
ちゃんと、いわゆるチャランプランスではなかったので。
ベースはしっかりとしたものがあって。
ベースはしっかりとした中で、これっていうんだからね、もう素晴らしい、本当に密教禅師みたいな、そういう素晴らしいからなんて、とんでもない。
表々と生きていたのかもしれませんね。
でも多くのね、ジョブズもやっぱり禅の師として多いって、ずっと修成、
交流があったんですね。
だから、そういう人にこういうインパクトある影響を与えたってことなのでね、決してチャランプランな人ではないと僕は思うんですけどね。
いろいろな面があるんだけども、1970年にジョブズは出会ってるんですよね。
ですから、その以前にいろいろなものがあったからこそ、今度は日本文化であるかとか、そういうものにもよく惹かれていったっていうこと。
特に60年代、70年代ってアメリカでもニューエイジの時代じゃないですか。
それまでの価値観を否定して、新しい自由な生き方を求めようとして、
ヒッピームーブメントランクがアメリカでは出た頃に、非常に男が興奮の生き方がね、姿勢がピッとピッとして、
本当に自由な人間の生き方っていうのを目覚めたアメリカ人は多かったと思う。
そうですね。ちょうど15歳ぐらいの時に出会ってるんですよ。
ちょうどアポロが月に出た時ですね。
だからいろんな意味での価値観が大きく変わっていく時。
でも私は男が興奮の書いた書とか見たことあるんですけど、やっぱり立派な人でね。
僕はやっぱり立派な方だったと。
ほうに投票というか一票を。
あってちょっと大変な身にあった人は本当に。
確かに一緒にいた方はね。
何を見たかっていうことだと思うんですけど。
一緒に暮らしてた方はきっと。
でも本当に基礎ができてたからこそその自由度がまたいい意味で活かされたんじゃないですかね。
そうですね。
美術の世界では基礎ができてるから壊すことができる。
最初からこれどうですかって。君らは最初から壊れてるって。
その違い。
ちゃんと基礎を知ってるから崩してるっていう。
基礎がなかったら本当に流れて崩壊してっちゃう。
そんな言葉なんですけど。
でも実際にアメリカやヨーロッパで禅道を作ってそして国際的な布教師として活躍したっていうことは記録されてますから。
そういう中でジョブスも出会って。
15の時に出会ったわけですからこれはねすごい精神的な影響を受けてると思います。
でしょうね。
ジョブスの場合は養子で育てられてますから。
そうなんですか。
ですからそういう点でそれから大学に進学するとかいろんなことがあるんです。
入ったけど授業料高すぎるからって言ってこんな負担かけられないって言って辞めてしまうとかね。
で自分でいろんなものをやっていくという。
新しいもの開拓していく精神なんかはひょっとしたらそのところに源があるかもしれないなって。
そこにやはりジョブスの日本好きも原点があるのかもしれないですね。
ですからそういう影響を受けていて日本にものすごくある期待で行ったと思うんです。
いろんなものに出会って。
こういう栄養。
そうなんですね。
そしてそれがジョブスのそれからの製品に反映していくという。
ジョブスの真っ黒で着てたのもなんかあれかもしれないね。
お坊さんの。
黒の袈裟ですか。
隅々のなんか。
真っ黒も。
日本文化とジョブズの製品哲学
だったかもしれないね。
何しろそういうこだわりそしてそれを貫くということにおいてはね。
やっぱりその源が日本にあるっていうのはある意味ちょっと我々自身もう少し考えなくちゃいけないなっていうところがね。
ごっこといい。みんな日本が大好き。みんな大好き。
そう。
モネどい。
でもそのことを日本の本質のことを知らない我々日本人っていうのもあるんでこれからもっともっと日本語でもうちょっと見直していかなきゃなって。
私たち残念な日本人ですか。
いやいやいやそんなことは言いません。
でもやっぱり足元にいろいろなものがあるっていうのは確かだなと。
そうですね。青い鳥じゃないけどね。
家帰ったら足元にあったって。
気がつかなきゃダメですね。
でもそのためにはいろいろなものを見るから見えるっていうこともあるから。
だから常に足元だけではないということだと思うんですね。
そんな作品というかジョースにとっては製品ですよ。
でもこれは彼にとってのまさしく作品なんだろうなって。
それを感じると思うんです。
金としてね。
またチョコでさっきのですね。
いやーやっぱりドヤ顔がいいな。
どうだみたいな。
ですからこういうものを使って。
もう一つはこれを使うことによってこの使い方大学のいろんな使い方に発展できるっていうもの。
じゃあ誰が発展させるかというと使う人が発展するんだって。
だから機械に使われるんじゃない。
機械はより自分の自由を得るためにそれを使っていくんだっていう関係性においてもね。
彼の製品というのが意味を持っているのかなと。
一度ねちょっとこのマックの歴史なんかはねこのカフェでやってみたいなと。
いいですね。
ぜひご期待ください。
ビアミルストの心の中にある時間を幕東を巡る一時をご一緒にマスターの伊藤でした。
この番組は大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りしました。