なぜ上野に美術館や博物館が多いのか?
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サマリー
このエピソードでは、東京・上野に美術館や博物館が多い理由を探る。マスターの伊藤さんとゲストの松浦さん、フローラさんが、上野にまつわる思い出を語り合う。松浦さんは映画館や国立科学博物館、フローラさんは国立西洋美術館を挙げ、上野公園の桜の賑わいにも触れる。番組では、上野に文化施設が集中する背景として、1877年(明治10年)に開催された日本初の博覧会「第1回内国官業博覧会」に焦点を当てる。この博覧会は、日本の産業育成と西洋文明への追いつきを目的とし、当時の政府が国内統一の象徴としても推進した。会場となった上野は、元々寛永寺の広大な土地であり、幕末の戦乱で焼失した跡地を有効活用する意図もあった。博覧会では、工芸品、陶磁器、織物、機械、美術品などが展示され、特に機械の実演展示は当時の日本にとって画期的だった。また、この博覧会を機に、西洋風の建築技術が日本に導入され、後の建築様式に影響を与えた。美術作品としては、狩野派の最後の絵師とされる狩野崩壊の屏風が展示され、伝統的な技法に西洋的な空間表現を取り入れたその作品は、日本の美術が西洋の影響を受け、変化していく転換点となったことが語られる。この博覧会は、近代工業や芸術を体験できる場として、日本の発展における重要な役割を果たした。
アートカフェ・ブルーテラスと上野の思い出
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスター夫婦とゲストの皆さんが、
アートと音楽に包まれ、何やらワイワイ楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード、株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さんこんにちは、ブルーテラスマスターの伊藤です。
今週も、ビジネスの話で一時を共にお過ごしください。
本日も常連のAちゃん、松浦さん、ご来店いただいております。
改めまして、こんにちは。
こんにちは。
今日はですね、江戸っ子の松浦さんに色々お話を聞きたいなと思って、
こんな企画をしました。
どんな企画ですか?
上野です。
上野!
皆さん、上野って言うと、何を思い出します?
上野、私からでいいですか?
はい。
私は映画館です。
映画館?
映画館!
映画館。
上野の駅前に映画館があったんです。
あった?
あった。
今はない。
今はない。
ちょっとあの、ちょっとヤバそうな映画も。
いろんな映画あったでしょ?
松浦さんはそういう映画のイメージがあったわけです。
いやいや、もちろん。
今はね、駅前に西郷さんという建物になってしまって、
映画館なくなっちゃったんですけど、
当時は、映画を見ると言ったら上野に行くっていうのが。
それは地理的なものもあったってことですかね。
思いますね。
松浦さんはどうですか?
僕はね、やっぱ化学博物館かな。
ミーラーの展示とかあったりしてね。
あー、すごかったね。
結構ね、今はほら、すごく綺麗になっちゃったけど、
昔はなんかちょっとシュールな感じのところがあった。
はいはい。
よくそこ行きましたよね。
ミーラーのね、なかなかそういうところはですね。
フローラさんはどうですか?
私はやはり国立西洋美術館ですかね。
なんか上野って言って私、美術館しか行ってないかもしれないです。
なかなか目的としてね。
そうですね。そして美術館に行ったらすぐ帰るみたいな。
あー、隙間時間で行く。
いやいや、確かにね、周りも人が多いでしょ。
そうですね。
だからね。
でも桜はね、さすがすごいやっぱり有名ですよね、綺麗で。
そうです、綺麗ですよ。
お花見、山梨に行っても東京の桜って言ったら上野公園がね。
しかしお花見の時期行くとね、桜は見てられない。
足元見ないと誰かにぶつかるというかね、踏んじゃうんじゃないかというぐらい
人がね、たくさんいますよね。
今ね、国立科学博物館とか、国立西洋美術館とか、映画館も。
はい。
今は無きですけどね。
今は無き映画館。
で、改めてね、上野を見るとですね、こういう博物館だとか、科学館ですね、もう博物館ですね。
それから美術館という文化施設がずいぶんたくさん。
多いですね。
そうですよ。
それからね、東京芸術大学。
はい。
東京芸大ですね。
ありますね。
ありますよね。
すごいですね。
ね。
恵まれてますね、東京芸大。
特にこの上野にね、なんでこんなに集中したのかなっていうね、ことをちょっと疑問に思いまして。
はい。
その秘密を、多分松浦さんなら色々知ってるんではないかなと思いながらも、お話を聞きながら今日は進めていきたいなと。
はい、なんか今日は美術というか、社会、社会科の。
知り。
知り。
知り。
いやいや。
ラジオの皆さんもね、上野はご存知だと思いますので、ぜひ皆さんが経験した上野を思い巡らせながら、お話を聞いていただければなと思います。
はい。
上野に文化施設が集中する理由:第1回内国官業博覧会
じゃあですね、どうして上野には美術館や博物館が多いのでしょうかっていうのが今日のテーマなんですけども。
それはですね、第1回内国官業博覧会。国内じゃないですよ、内国なんですよ。
というのがですね、明治10年に開催されました。
明治。
はい。
これ日本で初めての博覧会なんです。
へー。
で、この明治10年っていうのは、西南戦争が終わった年、始まって終わった年ではあるんですね。
すごい日本国内が大変な状況なんだけども、あえてここでやったということなんです。
今でいうとね、万国博がね、昨年も関西、大阪でありましたよね。
はい。
日本でも何度か行われているし、いろんなところで博覧会っていうものも行われているんですけども。
第1回がここで、明治10年、1877年。
じゃあ内国ってことは、日本国内の外国の人はなかったってことですか。
そうです。
日本国内のあちこちの万博という、そんな感じだった。
そうなんですね、はい。
どんなものが出展されたんですかね。
それはね、まず日本の産業を育成するという目的。
それから西洋文明に追いつくという会場自体。
日本にはこれだけのものがあるんだってこと。
今まで藩で、それぞれのところで地域でいろんなものが作られていたんだけど、
それをもう一つ集めて、日本全体でこういうものがあるんだよという意識を持たせたいという。
へー、産業。
だから片谷西南戦争で内乱ですよね。
そういう日本がバラバラになってしまうかもしれないというところに、あえてここに持ってきて日本を統一しようというような思いが、
当時の政府内にあって、推し進めたということらしいんです。
へー。
なるほどね。
こんなに広い土地でやったんですか。
またこういう土地が東京にあったっていうことなんですよね。
そうですね。
もともとここで有名なお寺というと。
簡易寺ですね。
そうですよね。
この一帯が簡易寺のお寺の土地だったんですよ。
全部?
広大なお寺を持っていて、それを会場にして行ったという。
それに簡易寺は幕末の将棋隊の戦いっていうのがあったでしょ。
畑元の人たちが山に立てこもって官軍と一戦交えたっていうので、全部簡易寺の建物焼けちゃってね。
広い焼け野原になってたっていう。
それも一つあったんですよね。
まだ綺麗な状態であるので、それを壊さなくちゃいけないというようなことなんだけど、一応そういう焼け野原になった後を、
そこに新しい日本語の象徴というか、一つの意識をまとめようというような、そんなような思いがあったようです。
明治政府は上野を文化と教育、芸術、そして博覧会の中心として考えていって、
この内国官業博覧会っていうのは6回予定されてたんですけども、5回目まで開催されたそうです。
6回目は明治40年、1907年で日露戦争の関係があって中止されたっていうことなんですけどね。
そんなことなんですけども、何しろそのことで先ほど文化施設がたくさんあるというような、ちょっと話を最初にさせていただきましたけども。
ですから博物館っていうと、博覧会そのものが博物館になるわけですよね。
当然その中には美術っていうのがあるんだけど、まだ日本の中には美術、アートっていう概念はあんまりなかったんですよ。
ですから花の葉とかそういういろいろな絵画、浮世絵はありましたけども、ある程度装飾的なものであるとか、生活の中で楽しむものであって、アートという感覚はなかったんですよね。
それでもこの上野一帯を文化の丘にしたいというような思いがあったと。
なるほどね。
誰の発案ですかね。
確かに遊びに行くってのは普通浅草ですけどね。
浅草。
上野ってのはちょっとね、そういう文化の香り高いところってのはイメージですよね。
そうですよね。何でしょうね、工芸品とか陶磁器とかですね、織物とか農産物とか機械、それから美術品などが展示されたそうです。
特に機械はね、ただ機械を置いてあるんじゃなくて、実際に動かしてこういうものができるよというデモンストレーションもここでしたっていう。
今まで、江戸時代も何か見せることがあったとしても、そういう実際に動かして、そこで作るというようなことはしなかった。
上野っていう場所も良かったんですかね。
そうですね。ただやはり先ほどの戦争ですね、争いの後で焼け野原になったところをうまく利用しようというところでのいろいろな意味もそこにはあったんじゃないかな。
でも鉄道まだなかったですよね。
もうまだなかったのか。
まだないですね。
それから上野公園一帯ができてから、それから鉄道ですか。
そうなると皆さんね、徒歩。
そうですか。
徒歩馬車。
馬で。
馬で。
我々はどうしても鉄道とか車とかって慣れてますから、あんなとこまで行くっていうことだけど、当時としては歩いていくのはまず基本なので。
でも45万人ですかが来たそうです。
歩いて?
歩いて。
歩いて45万人。
お店周りでも歩いていくわけですから。
確かに。
最初はそうやって歩くのが当たり前で、最初は誰か行って、いやこんなものがあったぞっていうことでまたふるさとで話していくという。
そしてまた行ってみたいっていうこともあるのかなと思うんですけど。
入場料とかかかったんですかね。
そうですね、入場料ね。
高かったのかな。
ただあんまり高ければね、ですけど、その辺とかちょっとごめんなさい、今ね、入場料は一体いくらなのかって出てきてないんで、また調べてみますね。
お寺の後知りでしょ。
どこからでもなんか入れるようなイメージですけど。
さあ、それでね、じゃあこんな感じなんですよね。
かわいい地図ですね。
はい、地図はかわいいんですが。
えっとですね、地図の中で、これを元にですね、これが今ちょっとカフェで映しているのがですね。
博覧会の意味図?
そうです。
意識絵ですね。
東京名所、上野公園、公園地、内国関与博覧会美術図鑑の図。
あ、美術鑑の図。
そうなんです。漢字でずらざよって書いてあるんですけど、それをね、ひらがな振るとなんかすごい読みにくいなと思うんですけども、こんなね、展示がされていたんですけども。
これが上から見た。
え、海?海じゃない?向こうは海ですか?
海じゃなくて、なんか。
これが忍ばずの池?
いやいやいや、なんか霞んでんじゃないですか。
これは今までの日本の絵画の技法です。遠くはこういう窪のようにしているっていうね。見せるとこだけがしっかり描かれている。
え、じゃあ本当は住宅地か。あ、農地だったのか。
確か、丘の上ですもんね、上のね。
農地ですよ。
田んぼでも。
そうですよね。
すごい建物、噴水にありますよ。
え?
あの噴水のところは噴水だったんですかね。
そうですよね。それで一番奥にあるですね、ドームのある建物があります。
ありますね、ドームがね。
あの丸い屋根の。
左右対称の構成でですね、そういうドームがある。
これはね、実はその前にあった国際万博、ウィーン万博っていうのがありましたね。
これあの前、取り上げましたね、カフェで。
その会場にですね、エリザベートが来て、そしてカンナの切りくずを持って帰ったというようなね。
それがきっかけでジャポニズムが欧米に広がったということなんですけど、
その時に日本から行った政府の高官たちが、いろいろな観点で学んできたんです。
学んだことを、今回の第1回内国食産博覧会で行ったと。
えー、幸福の北口にある建物に似てる感じの建物。
小学校のですよね。
小学校ですよね。
そうですね。
学校の、昔の。
かわいい建物。
で、ただし、万博っていうと建物は、パビリオンはある期間終わったら建て壊すという。
壊してしまうという。あるいはどっか移築するということで。
そんなようなことなんですけど。
別に今回ですね、第1回の内国食産博覧会は万博とは関係ありません。
あれは万博協会というものがあって、そこで認定していますから。
これ国際的なものではないんで、あくまで日本国内で行っているものなんですけど。
今回のこの建物も全て木造です。
へー。
でもあれですよね、ちゃんと周り、ここきっと正面玄関ですよね。
はい。
そして周りがちゃんと、なんかこう、ちゃんと塀みたいなのがあるので、やっぱちゃんと入れないようになってますね。
そうですね、ちゃんと勝手には入れないように。
貴重なものがたくさん入ってますからね。
ふーん。
まあまあその内国環境博覧会ということで行って。
で、ここでもう一つは建物を作るということを日本人は学んだという。
西洋風の建物作り方を。
だから今まではこういう建物作ったことないわけですよ。
だから日本の持っている建築の技術を使って西洋風の建物を作っていく。
へー。
ですから最初の国会議事堂なんかは木造だったんですよね。
だから火事で2回ほど焼けてるはずです。
確かにお城じゃない。
はい。
日本の城ではない。
窓もたくさんありますよね。
そうですよね。
洋風。
木にあるこうドームみたいなのはあれですか、ウィーンで行ったときにこういうのやってみようって。
そうですね。
俺たちもやろうってこういうのを作ったんです。
これも木造なのかな。
全部木造だそうです。
へー。
特にそのドームのようなものに関してはウィーンでも見たんだけどイギリスのグラスハウスっていうね、ガラス張りの建物。
これなんかも相当やっぱり、これは江戸の時ですけども当然それを見て。
でもガラスなんてすごい高価なものじゃないですか、この当時の日本だと。
そうですね。
でもそれが国力を上げて、本当に国の力を結集したという。
こういうものを作れるんだぞって感じですね。
そういうことですよね。
何しろ日本の木工技術を用いながらこういうものを作ったってことは、そしてそれがまた全国に広がっていくわけですね。
ですから藤村敷とかいろいろな建築がありますよね。
溶接中の。
そんなようなところにもつながってくるということになるんですよ。
ですから非常にいろいろなものに対してどんどん吸収して、吸収するための方法として博覧会を行う。
そしてそれをまた広げていく。
だから繰り返し繰り返しやっていくことの意味っていうのがここにあるんだろうなっていう。
そうですよね。ガラス一枚だって珍しいし、高価だし、その技術どうやって入ってきたのかなって。
そんなところです。
このところでいろいろと盛り上がっていますが、後半はまたもう少しその辺のところを掘り下げていきたいなと思います。
博覧会で展示された美術と機械
それではフロアさん、今日の音楽お願いします。
本日の曲は三階さんの東京です。
おちば踏みしめ
できたばかりの
あの御戦士を握りしめて
もっと顔を上げなきゃ
空の高みに
贈るよメロディ
震えてしまうライブハウスへの坂道
音と音を一つに
どうしても重ねたくて
一人きりでいる
ほっといてよなんて
背中向けた
東京
恋人たち行き
買う
名もなき利きょう
その足元を
流れてゆく
山の
手線を
数えた
石は波のように
繰り返す
星を歩け
泣いたあの夜を
包んで
揺れた
東京
の夜明け
ビビルの夕日も
覚えていたね
東京
Was
any
less
Tokyo of my dreams
ただいまの曲は三島幸さんの東京でした
はい
それではですね
あの天羅街がねすごいすごいっていうことで
話題で膨らんでしまいましたけど
アートカフェですから
じゃあここには
どんな美術作品が展示されたのか
ということで
可能派のですね
可能崩壊という方の作品が展示されました
ひぼ観音がいた人ですか
そうですね
ひぼ観音は実は
崩壊の最後の作品なんですよ
亡くなる直前に仕上げた作品なんですけど
またそれについてはね
じっくり取り上げてみたいなと思うんですけども
この可能崩壊
可能派の最後の10代目の
方について
絵を学んだということなんですね
実は10代で可能派は終わってしまって
そして可能崩壊という名を使ってはいますけども
新しい絵画を探求していきます
探求する中に
東京美術学校
今の東京芸大の前身ですけど
そこにつながってくるんですよ
非常に伝統的なですね
技法なんだけどさ
ここに今出しました
第1回の内国官業博覧会に出品した
崩壊の作品です
屏風
屏風です
松かな
松ですね
どちらかというと伝統的なね
技法なんだけども
その中に西洋的な空間表現を取り入れて
行き始めたところ
まだまだ江戸までの可能派の
描き方というものを受け継ぎながら
ここからどんどん変わっていくという
これ墨絵ですよね
そうですね
ですからある意味
第1回でこれが展示されて
そしてそれをきっかけに
どんどん西洋のものが入り込んでくる
そういう意味での
まずは江戸までの文化をここでしっかりと示して
そしてかつここから次に変わっていくという
そういうようなね
ターニングポイントになる作品
というふうにも言えるんですね
なんとなくでもこれ
江戸時代のね
描かれたもののように見えるんです
よく見ると
何かそうでもないと
何かちょっと
描かれてみれば不思議な絵ですね
非常にね
奥行きは
ちょっと何て言いましょうかね
空気遠近法というようなね
単純に
何か焦点があってじゃなくて
なんとなくぼやーっとしているところ
そしてはっきりしているところ
それによって距離感を表してくるという
そういうような技法がですね
その中にある
法外自身は
例えば当時の
ダビットであるとか
というヨーロッパの
有名な人の作品を見て
それを真似たということではなくて
様々な作品を見る機会というのを
何か持ったようです
西洋の絵画の技法なんかを見ながら
自分なりに
ここから
既にこの段階で学び始めているんだけども
その学び始めの最初の作品という
ことなんですね
これはね
まだまだね
話足らないところもあるんで
法外が
じゃあその後どんな作品を描いたのかっていうのはね
また回を
渡いてですね
話をさせていただきたいなと思うんです
実際にこの作品はまだあるんですか
あります
西洋美術館に
西洋美術館じゃないです
博物館
博物館の方に
見ることができるんですね
といってもなかなか
もう貴重な作品なんで
表に出てこないような
大きそうですもんね
屏風の枚数が
そうですね
六極一層ってあるから
そうですよね
こんな作品が出てきて
そしてまずは日本にはこういう
美術作品があるんだ
その他の作家さん
作家というか
絵師の作品も
展示されてましたけども
それでも記録がね
やっぱりどんどんどんどん
いろいろなものに
散筆してしまってるんで
今その部分を
研究者が
いろいろ調べてるということです
こんなことなんですけど
同時に先ほど言ったように
機械をなんかもね
どんどん動かしながら
実際にこんなものができるんだ
印刷の機械なんかもね
実際に出したそうです
活版印刷の機械なんかでもね
なんか日本だとね
木版で刷ってるんじゃないか
っていうイメージがあるんだけど
その活版印刷機のようなものを
デモンストレーションでやってたっていう
海外にもそれが出してたんだ
っていうこともあったりして
何しろ近代工業
こういう芸術といいますか
絵も含めて
そういうものが
ライブで体験できるっていうのが
第一回
内国植産博覧会
ということなんです
また次回に
この続きは
上の続く
上の続く
上の続く
上の続く
次回もアートを巡る人たちを一緒に
マスターの意図を
この番組は
大きな暮らしができる
小さな家
小沢スタンダード
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小沢建築工房の提供で
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