2025-06-10 10:31

敵という存在

敵はいますか?いてほしいですか?そんなことは思いませんよね。敵という存在ははたして存在しているのか、どうなんでしょうという話です。


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Summary

敵と味方という認識の中で、敵の存在が本当に必要かを問い直し、思考を変えることの重要性について議論しています。認知の改善を通じて敵を消し去り、より良い人間関係を築く方法について考察しています。

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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
敵という存在の認識
ということで、今回は、敵という存在という話をしていきます。
はい、敵という存在ですね。
敵、味方というような区別というか、認知というものがありますよね。
あなたが誰かとコミュニケーションをとっていて、
この人は自分の味方だなというように思ったり、
この人は自分と敵だなというふうに思ったり、
それぞれの味方に対しての振る舞いと敵に対しての振る舞いというものが変わると。
ですから、人間関係というようなところですね。
ただ、そうは言っても、この敵という存在、なぜそのように認知をしているのか、
敵はいていいのか、何をもって敵とするのか、というところですね。
味方はいくらいてもいいけれども、敵はいたらあまりいい気分にはならないじゃないですか。
敵はたくさんいたほうがいいというような、そういう人はなかなか少ないと思いますので、
この敵という存在、あなたが誰かのことをこの人は敵だなというように仮に認知をしているという、
そういうことがあるのであれば、それはなぜそうなのかということと、
あとは、そんなものは存在していないんですよという、そういう話でもあります。
それでね、この敵という存在ですけれども、
あなたが仮に敵という人がいるんだということであれば、そういう人に対して、
まずなぜそう思うのかというと、これは少し酷かもしれませんが、
あなたが敵ということを認知しているその相手と、あなた自身が同じレベルで思考しているということ、
同じ土俵に立っているということなんですね。
別にそれが良いとか悪いとかそういうことではなくて、
相手と同じような考え方、似たような考え方、
例えば生活の水準が似ているとか、やっている仕事、趣味が同じだとか、家庭環境が近い、
こうしたいくつかの条件によって、
さらにはその相手に対して、あなたが憎しみを抱いていたり、
もしくは相手があなたに対して憎しみを抱いていたり、
あまりよろしくはない、負の感情というものの連鎖によって、
相手のことを敵というふうに認知をするということがあります。
似たような表現で、喧嘩をするのは同レベルの相手であるからということもありますけれども、
そもそもあなた自身が相手と同じ段階、レベルにいなければ、
仮に開きがあるとするならば、それはもはや敵ということすら思わないわけですね。
ですから敵がいると仮に思っているという段階であれば、
それは早くそこから脱却しましょうというようなことなんですね。
競争の世界に入らないというようなことなんです。
認知を変える重要性
相手と何か競う、比べる、そういうことをすると、
相手は自分よりも上だ、下だというように上下の関係で人間関係を決めるようなことになりますので、
ということは少なからず敵、エネミーであるというふうに認知をするわけです。
とはいえ、日常生活を送っていく中で、
敵というまでもいかないけれども、近しい存在というか、ライバル心があるというような相手もいますと。
これは別に悪いことじゃないんですよ。
ライバル心、自分が競いたい相手と競って、よりお互いに高みを目指していくというような、
そういう関係性であれば、これは敵というよりかは同志というような、
そういうふうになりますので、それは別にいいんですけれども、
あくまで相手のことを敵であると、邪剣にするべき相手であると、
そういうふうに思うような相手もいますと。
いないほうがいいんですよ。
いないほうがいいというよりかは、いないようにできるんですけれども、
とはいえいるというふうに思う。
であれば、これは発想の転換です。
相手に対して直接的に何かアクションを起こすというようなことはしない。
それは味方かそれ以外か。
敵というような言葉は認識を使わない。
いわゆる増表です。
あなたが味方と思う人、もしくは増表。
そこらにいるような、認知もしていないような人。
このように、あなたの思考から、階の外に置くというようなこと。
本来はというか、ゴールはこういうことすらも思わないような、
そういう思考を育てていくことが大切になってきますが、
とはいえ敵という存在がいるというようなことがありますと。
であれば、今現時点においては、
あなたにとって敵というものは、
いると思っていたとしても、でもいないんですよ。
あなたの味方なのか、それ以外の人なのか。
それ以外の人はあなたにとったら、いわゆるモブですね。
脇役にすらなっていない。
あなたの世界には存在していない人というふうに、
このように認識をする。
その相手にとっては、ちょっと濃くかもしれませんけれども、
言いたしかたないことというか、お互い相入れないわけですから、
いくら近寄ろうとしたとしても、今の段階ではそうならないと。
人生、何があるかわからないというふうによく言いますが、
この先未来、5年、10年、20年、30年というふうに先にになったら、
今、敵だと思っている人と合流するようなことがあるかもしれませんが、
今の時点ではそれはないというふうになったら、
それはあなたは敵というふうに存在を認知するのではなくて、
もはやいないものだというふうに扱うということです。
このように扱うと、相手からしても、
例えば相手がどれだけムキになってきたとしても、
あなたはそれを聞かないというか、受け流す。
ああ、そうですよねというふうに。
ぶつからない。戦おうとしない。
敵対関係を結ばないというようなこと。
こういうことをしていれば、
おのずと相手はあなたの周囲から消えていきます。
自然の流れでいなくなっていくというようなことなんですね。
それは物理的に彼にいなくならなかったとしても、
あなたの認知からいなくなる。
その人に対して考える脳のスペースというかキャパシティが、
もったいないじゃないですか。
あなたが敵だという人に対して、
わざわざあなたの貴重な人生のキャパシティを使う。
脳のそれを使うというふうになると、
その思考も時間ももったいないですから、
そういうことは一切なくして、
徐々に小さくなっていって、ゆくゆくは消えていなくなるということ。
こういう認知をするということです。
そうすると、もはや敵という存在はいないんだという、
考え方を変換していけるということなんですね。
つまり何が言いたいのかというと、
敵という存在。
これは敵味方というような区別認知がありますが、
そもそも敵という存在はいません。
この敵というものが出てくるということは、
その相手とあなたは同じレベルということ、
同じ土俵に立っているということ、
条件や向き合い方が同じであるということなんですね。
敵と思う相手と同じだとは、
同じにはなりたくないじゃないですか。
であればそうならなければいいんですよ。
とはいえ、なってしまいますと、
いるものはいるんだというふうになりますので、
どうするかといったら、まず考え方認知を変える。
そもそも敵なんていないんだな、
味方かそれ以外か、それだけのことなんだというふうに考えを持つ。
そうすると、憎しみ、わたかまり、
意気通りこうしたものを感じている相手に対して、
あなたの感情というもの、思考というものを、
徐々になくしていくことができるんですね。
敵はいたほうがいいという人のほうが少ないと思いますから、
特に今の時代ね。
それで逆にやる気が出るとか、燃え上がる、
こういう場合であれば別に、
無理やり敵という存在を消す必要はないですけれども、
それもまた数が少ないと思いますので、
あなたがどちらに当てはまるかですけれども、
仮に敵という存在をなくしていきたいのであれば、
まずこうした考え方を持って、
相手に対しての認知を変えてみるということです。
敵・味方という区別じゃないんですよ。
あなたの味方なのか、それ以外の人なのか、
いわば増表です。そういう人がいるのかという、
ただそれだけのこと。
それ以外の人にはあなたは関わりを持たないということですね。
それは物理的に仮に接触することがあったとしても、
認知の上で関わりを持たないということなんです。
存在を徐々に小さくしていって、
消してしまうということです。
消してからすると、ちょっとかわいそうなことかもしれませんけれども、
あくまであなたの人生はあなたが主役ですから、
いいんです。そうしたことをやってもいいんですよ。
お互いに会い入れないですから。
むしろウィンウィンというか、
相手もあなたに対しての憎しみを向けるための
リソースを割かなくて済みますから、
むしろお互いにいいことであるということにもなりますので、
仮に敵という存在がいるのであればというか、
いると思っているのであれば、
こうした考えを持ってみてください。
ありがとうございました。
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