腹黒いの意味
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、腹黒いという話をしていきます。
腹黒いですね。
あなたが腹黒いのか、それとも、あなたとコミュニケーションをとっている相手が腹黒いのか、
そういう表現をするようなことはあるかと思います。
いわゆる、何を考えているのかわからない。
もしくは、話していることと考えていることが違う。
そういう時に、腹黒いという表現をしますかね。
何かこう、腹黒いを消化するとかしないとか、そういうことではなくて、
この腹黒いというような表現を、自らもちろんにしても、他者に対してもちろんにしても、
そもそもないんですよ。
なぜ腹黒いということは、そもそもないのかというと、
それは、いわゆる表と裏で言ったら裏の部分ですよね。
腹が黒いというような表現をする場合には。
その裏も、正面から見たら表なんですね。
話していること、考えていることに、裏表なんてないというようなことにも通ずることなんですけれども、
たとえ誰かに対して腹黒いと思っていたとしても、
自分自身のことを腹黒いと思っていたとしても、
その黒い部分を正面から見据えた時に、それは表になるわけです。
もはや裏ではないんですよ。
そのものごとを、うがった見方をするということではなくて、
ありのままに受け止めるというような、表現をするというような、
そういうことがね、人とコミュニケーションをとっていく上では大事になるわけです。
自己認識と他者評価
さらには黒いというようなイメージとしては、あまりよろしくないこと。
これがコミュニケーションで言ったら、言っても問題ないことであれば、そのまま言うでしょうから。
この人に対して言ったらまずいかなと思ったり、
いわゆる愚痴や泣き言、悪口、文句、そういういわゆるネガティブなことですかね。
こうしたことを相手に素直に伝えられないようなことが、
良くないこと、やましいことを考えている場合に使うようなことですかね。
仮にそうしたことがあったとしても、それをそのまま見てみたら、
別に裏でもなんでもないわけですよ。
黒かろうが何だろうが、それも含めての自分自身。
さらには相手がそうだとしてもそれ自身。
これが良い悪いとかではないんですね。
別に腹が黒い人が良くないとか、腹が黒い人が良いとか、
良いっていうのはあまり言わないかもしれないですけれども。
そういうことではなくて、こうした表現をすることに対しての認識というものが、
よしやして判断されるようなことがありますけれども、そうではないんですよ。
黒かろうが何だろうが、全て正面から見たら、それが裏だろうが何だろうが表なわけですね。
ですから、自分自身のことを自分で腹黒いと言ったり、
あの人って腹黒いよねというように多種の評価をしたり、
そういうことに、そもそもこうしたことはないんですよと、
あなたが見ているものがそのまま本質なんですと言いたいわけです。
そうは言っても、腹黒いというものがないと言われたって、
それはもう腹黒いということを思ったりするんです。
それは自分に対しても相手に対しても、そのように考えることがあるんですと、
当然そういうこともありますよね。
であれば、一つ考え方を変えてみて、
一方の見方からずつですかね、自分自身のことを腹黒いと思うということと、
相手の人を腹黒いと思うと、二つの視点からこうした表現をするようなことがあると思いますが、
まず、自分で自分のことを腹黒いと思う場合に、
コミュニケーションをとっている相手に対して、
本来の自分自身というものを見せたらよく思われないかもしれない、
思っていることを相手にそのまま伝えたらよくは思われないのかもしれないと、
そう思った場合には、相手がそう思っているとは限らないということを、
改めて認識をするということですね。
あなたが自分のことを腹黒いと思っていても、
そうした部分を相手に見せた上で相手はそうは思わないかもしれない、
分からないわけですね。
何を言われても全てを受け入れてくれるような人が相手かもしれませんし、
あなたが一人で勝手に思っているだけ、一人よがりでいるだけ、
ちょっとね、きつい言い方ですけれども、そういう可能性もあるわけですね。
かつ、あなたがその自分のことを腹黒いと思っていることを
そのままストレートに伝えた上で受け入れてくれない相手であれば、
現時点でのあなたとその人とは付き合っていくような状況ではない、
そのフェーズではないというようなこともあるかもしれません。
人はね、自分と同じような、似たような思考の階層の人と引き合うようなことがありますから、
あなたが思っていることをそのまま伝えても相手に受け入れてもらえないのであれば、
それはあなたが今一緒にいるべきではない人なのかもしれないと、
そういうことを発見する機会にもなるわけです。
ですから、自分自身のことを自分で腹黒いと思っているのであれば、
それは相手にそのままストレートに伝えてみたらいいですね。
またもう一方の視点から一つ、
あなたが相手のことをこの人は腹黒い人だなと思っていた場合に、
これもまた考え方の一つですけれども、
相手があなたに対して見せている部分以外にも何か腹積もりがあるんじゃないかというようなことを、
仮に考えたとしても、それはわからないことですよね。
相手が何を考えているのか、あなたが相手のことを疑ってみたり、
本当のことを言っていないんじゃないかと、
本当は思っていないことを言っているんじゃないかというように、
そういうことをしたとしても、その本質はわからないですね。
それは相手が見せてくれない限りはわからないわけですから、
そこに対していくら考えても答えは見つからないわけです。
もしかしたら今この人は本当の姿を自分に見せてくれていないんじゃないかというように、
考えれば考えるほど深みにはまっていって、疑心暗鬼になっていって、
誰のことも信じられないというような落とし穴ですね。
そういうところに落ちていくだけなんですね。
底のない落とし穴です、それは。
疑っていたらキリがないんですね。
その見えない部分を見ようとしなくてもいいんですよ。
腹黒いという存在
ただ相手が表現している部分、それがもう一つ。
ただ相手があなたに対して見せているその表面の部分が、
あなたから見たらわかる部分がもうそこだけなんで、
であればそうした人間であるということは、
あなたも素直というようなフィルターを作って、
返して、そうして見てあげる、相手のことですね。
ただどんな状況においてもこういう思考をしていると、
いわゆる人を騙そうとする人間も世の中には一定数いますから、
そういう人に引っかかってしまう可能性もあるので、
これも武器の一つですかね。
時にはそうした側面も持ち合わせるというようなこと。
あなたが相手のことを腹黒いというようにですね、
普段から本当のことを言っていないんじゃなかろうかというように、
疑い深いような性質であるならば、
時には全く疑わない。
今の目の前のその人が本質であるというような、
それ以外何もないんだろうなというように、
表面だけ、いわゆるあなたが見ている表層だけで、
相手のことを判断していくというようなそうした側面もですね、
引き出しとして持っておくと、
人のことを一切信じられないとか、
常に疑ってしまうというような、
そうした側面の自分を上書きできる、
一時的に書き消せるようなね、
そういうことにも使えますので、
見えない部分を疑っても仕方ないので、
見えている部分を信じましょうと。
そういうようなことですね。
時にはですよ。
常にだと、それはね、脳天気な、
頭すっからかる人になってしまいますので、
時にはそういうことも思うというようなことですね。
つまり何が言いたいのかというと、
腹黒い。
これは腹黒いというような表現をですね、
自分でしたり相手にしたりするようなこともあると思います。
ただこれらに相次いでいるようなことは、
黒いという部分ですか、裏ですね。
そうした裏も正面から見たら表なわけで、
それは自分で思うが、相手に思うが、相手から思われようが、
本来こうした腹黒いというものはないわけです。
そもそもないんですね。
とはいえ、自分でそう思ったり、
相手のことをそう思ったりということもあると思います。
あれは二つの視点からですね。
自分で自分のことを黒いと思うのか、
相手のことを黒いと思うのか。
自分でね、そう思う場合には、
自分自身で腹黒いと思っている部分も相手に見せてみて、
あなたがただ一人で思っているだけで、
相手はそうは思わないかもしれない。
そういうこともあるのでね、
それをそのままストレートに伝えてみる。
それで相手から拒絶をもしされたのであれば、
それは今現状のあなたと付き合っていくような人ではないのかもしれないと。
現状では思考の階層が離れているのかもなという可能性もあるわけですね。
そしてあなたが人のことを腹黒いと思うような場合には、
それは見えない部分を疑っていてもわからないですからね。
相手が見せてくれた状態しかわからないわけですから。
そうしたことを素直に信じてみる。
普段どれだけ疑り深く人のことを見ていようとも、
そういう側面も持ち合わせてみて、
あんまりにも疑っていて、
もう頭の中がぐちゃぐちゃになってきたと、
疑心暗鬼で誰が何を考えているのかわからなくなってきたと、
こうした抜け出せない、底の見えない落とし穴に落ちていくようなこともありますので、
そうしたことは一切抜きにして、
今見えている状態が、それはもうこの人なんだなと、そのものなんだなと、
俺らなんて何もないと言うんですね。
一旦そうして考えてみるというのも一つ救済へとなりますからね。
自分自身なんですよ。
というようなところで、若干ちょっと棘のある話になったかなと思いますけれども、
こうした腹黒いというものはないです。
あると思うとね、あなた自身が疲れるだけなので、
それはもうないと思って過ごしていても差し支えないですね。
ただ人を騙そうとする人にだけは注意してくださいと。
ですから完全になくすというのではなく、基本的にはないと、そういうことのほうがいいですね。
ということで以上となります。ありがとうございました。