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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
一手先の重要性
ということで、今回は、一手先を思いやれない、という話をしていきます。
一手先を思いやれない、ですね。
何のことですかと、これだけだとね、ちょっとわかりづらいですよね。
一手先というのは、相手が望む行為だとか、これをしたら相手がどう思うのか。
そうした思考の部分でもそうですけれども、行動に関しても。
今こう動いたら、相手にとって、それは都合がいいのか悪いのか。
もっと簡単に言うと、例えば行動で言ったら、
歩いている時に向こうから人が歩いてきて、今左にずれたら、うまいことすれ違えるなとか。
これも一手先というようなことになりますね。
そうした会話にしろ、行動にしろ、すぐ目の前の次の行い。
これを相手のことを思いやった上で発言していますか、行動できていますか、というようなことですね。
とはいえ、あなたはそうした思いやりができる人ですよね。
次の一手先を相手のことを考えて、相手の行動を考えて、
今このように自分が動いたらいいんじゃなかろうかというように、
動ける、話せる、そういう人ですよね。
ですから、世の中そういう人もいますよね、というような。
つまり人間関係という部分ですね。
期待と感情の関係
一手先を思いやれないような人もいます。
あなたの周囲の人に対して、そうした一手先を思いやれない人がいた場合に、
それはどういうような理由でというか、
さらにはそうした人に相対した時に、どのようなことを思えばいいですよと、
穏やかな心を保つことができますよというような、そういう考え方ですね。
それでですね、その一手先を思いやれない人に、
仮にあなたが相対した場合に、
何を思うのかというところで、
怒りとまではいかないにしても、
なんでそんなことも考えられないのか、
そのぐらい普通わかるでしょうと、
そういう感情は先に来るんじゃないかなと思います。
このような感情というものがなぜ湧くのかといったら、
それは相手にある種の期待をしているわけですね。
期待というと、何か大きなことのように聞こえますけれども、
本当に小さいことでも、あなたが思う当然のこと、
こうしたらいいのになというふうに思うこと、
これを日常的にできない人もいるわけです。
決してそれがダメだとか悪いとかそういうことではなくて、
当然あなたと相手は違う生き物ですから、違って当然なんですけれども、
その上で相手に期待をしていると、
心の平穏を保つ方法
そうした感情が湧くというようなことなんですね。
ですから一手先を思いやれていないなと、
あなたが思う発言をしてくれない、行動をしてくれない、
こういう人にはですね、
期待をしなければ気を患うこともないんですね。
よくいるじゃないですか、
仕事であれプライベートであれ文句だとか愚痴、
これを言ったり言いやったり、
そういうことはね、決して健全な状態とは言えないと思うんですよ。
穏やかではないですよね。
そもそも相手に期待をしているから、そういう発言が出るのであって、
何にも期待していない。
何にも期待していないというと、ちょっと相手に対して言い過ぎかもしれないですけれども、
この人は次の行いを考えることができない人だから、
まあそれも仕方ないかというように、ある種の諦めですね。
あなたと関わる相手の人に対して諦めるというような、
その人に期待をすることを諦める。
こういう考え方を持つと、怒りも沸かない。
この言って先思い出、もうちょっとね、具体的にイメージしやすいように言うと、
例えばですけれども、車を運転していたとしましょう。
よくあるシチュエーションだと思うんですけど、
車を運転していて曲がろうとしましたと、
その対向車に道を譲ってもらったけれども、
その曲がりたい先に歩行者がいて、
その歩行者が、歩道でもないのにノロノロ歩いているとかね、
道を譲ってもらって歩行者が歩いている。あなたは曲がろうとしている。
対向車に道を譲ってもらったんだけど、歩行者がいて、譲ってもらったのにスムーズに曲がれませんというときに、
その歩行者の人ですね、その歩行者の人がもし仮に行って先を思いやれるような人であれば、
ちらっと後ろを見て、あ、車、対向車譲っているな、
あの人曲がろうとしているな、ちょっと小走りに走ろうとか、歩道でなければね、
これは瞬時に考えてそのように行動したり、
会話の流れで、例えば今それ聞くことじゃないでしょうというようなタイミング、
その言う時期じゃないでしょうと、そういう動きをする場面じゃないでしょうと、
そんなときによくわからない発言をする人とか、
なんでそういうふうに動くんですかというような動きをする人とか、
ちょっと伝わりますかね、こんな例えで。
言って先をね、次の行動を思いやれない人がよく起こしがちな行動ってこういうことですよね。
それは本人も気づいていないわけですよ。気づいてたらやりますから。
わからないんですね。
別にそれが、あの、まあ蔡さん言いますけど、ダメとか悪いとか良くない、
まあその人がダメとかそういうことではなくて、その人はまあそれでいいんですよ。
ただまあそれを見たあなたがその相手に対して何を期待するというか、
何を思うこともない、まあそういう人もいるよなと。
優しく見守るというか、見送るというか。
そういうことをするとね、仮に次の行動が、
次の発言を行いがわからない、わからないんだろうなというような人に出会ったとしても、
あなたが気を患うこともなくなる。
一手先を思いやれない人がいたとしても、別に何とも思わなくなる。
まあそれはそれで、その人はその人で、まあ別にいいんじゃないというふうにですね、
まあ穏やかな心を保つことができるというような、まあそういう考え方ですね。
つまり何が言いたいのかというと、一手先を思いやれない。
まあこれはある種の人間関係ですね。
あなたはそうではないとは思いますが、
次の行い、次の発言を相手のことを考えた上で、思いやった上で、
話せない、動けない、こういう人もいます。
まあそれは別にそれでいいんですよ。
そうした人に相対した時のあなたの感情の起伏というところで、
期待をしなければ、もともと相手がそのような、次の行いをできるということを期待をしていなければ、別に
波風が立つこともない、何とも思わないわけです。
まあそういう人もいますよね、というように。
相手のことをある意味で尊重できる、ようなことにもなりますね。
もっと言うと、相手がどのような行いをしようとも、
あなたに対してのその感情という部分での与える影響というものは、ないに等しい。
あなたがそれをどう思うか。
別に相手の行動が原因で、自分の感情が動くということは本来ないんですね。
同じ行いをしている人、同じ人を見ても、
あなたと別の人とでは抱く感情が違うということもあると思うんですよ。
それと同じように、相手が仮に一手先を思いやれない、次の行動を、相手の動きを予測して動けない、
そういう人があったとしても、その人が原因であなたが気を揉む必要もわざる必要もない、
そういうことなんですね。
それは相手に期待をしなければそうなることはないですと、文句や愚痴も出なくなります。
こうなると、誰が一番得していますかと。
得というのは適切ではないかもしれないんですけれども、
誰のためになっていますかといったら、それはあなた自身のためになっていますよね。
相手に対して文句や愚痴なんかを言ったとしても、それを一番よく聞いているのはあなた自身ですから、
そうした波数が立つこともない。
まあいいんじゃないと。
穏やかな感情を保てるような、そういうことにも使えますよと。
というようなことですね。
世の中、こうした次の行動、これを相手の気持ちを汲み取ってできないという人も一定数いますから、
別にそれはそれで構わないわけです。
仮に相手が、じゃあどうしたらいいですかと望んだ場合には、
あなたが教えてあげればいいことですね。
何も望んでいない相手に対して特に期待をすることもないです。
それはもうそういうもんですと。
というように割り切って考えましょうということですね。
はい。
ありがとうございました。