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どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、呆れるというテーマで話をしていきます。
はい、呆れると呆れられる、どちらのパターンもあると思うんですけれども、
どちらの視点からも物事を考えられるといいんじゃないでしょうか、というようなことと、
呆れる場合にはどのように考えたらいいのか、
そして、呆れられるというような時にはどのようなことが考えられるのか、
そんなようなことで、
呆れたり、呆れられたり、そのような経験はあるでしょうか。
これはね、片方の視点からだけではなくて、両方の視点から見てみると、
この、呆れる、呆れられるということ、そしてそれがどういう場合に発生するのか、
対人関係であるようなことですね。
まず、呆れるというような場合に、
例えば、あなたが誰かに何かを頼むだとか、やってくれというようなことを言ったり、
何回言ってもやらない、同じことをね、何回も言ってもやらない、
言ったこと、あなたが誰かに何かをしてくれというように言ったこと、これをやらない、
これはできないではなくてやらないですね。
できるできないというのは、そんなに重要ではないですから。
まず、やるかやらないかということ。
何回言ってもやらない、言ったことすらやらない。
さらに、相手の反応が、
何のことですか?というような反応。
それ、毎日来ましたっけ?というような反応。
わかりやすく言うと、「はぁ?」みたいな感じですかね。
そうした相手はですね、基本的には、自分の頭で物事を考えていないケースがですね、多いです。
言われたことすらやらないわけですから、何も考えていないわけですね。
こうした相手に対して、呆れるというようなことは、
多々にして発生するかと思うんですけれども、
こうした相手に対して考えうること、これはそもそもやろうと思っていない、
誰かの指示に従おうと思っていない、
もしくは言われたことをその場でもすぐに忘れる、
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さらに自分の頭で考えていないというようなことですので、
あとはあなたの伝え方ですね。
具体的な物事に落とし込んで、しっかり伝えられているのか、
相手かあなたかどちらかに原因があるとすれば、
基本的には自分自身に、あなた自身に原因があると考えた方が、
解決の糸口を自分でも探すようなことになりますから、
そうしたことを考えた方がいいんですけれども、
人には向き不向き、これはあります。
良いとか悪いではなくて、向いているか向いていないかということの限界というもの、
その時点での限界ですね、はあって、
その相手自身がそれ以上を求めていない、望んでいない、
そうした場合には何回言ったとしても、
同じことを分かりやすく具体的に次のステップはこうだと、
例えば非常に簡単なことですけれども、
歩く際には右足を出した後に左足を前に出す、
これを交互に繰り返すんだよということを伝えたとして、
それを言ってもやらない、何回言ってもやらない、
このような相手が仮にいた場合、現実にはいないと思いますけれども、
そういう人は歩くことをそんな考えるようなことはないと思うんですけれども、
そのようなことがあった場合に望んでいないわけですから、
それ以上言うと無理事になるわけですね。
企業だとか組織においては、御人っては御人従いですから、
その組織内でのルールというものがあって、それに従わないような場合には、
ある程度であなたの、あきれる側のあなたとしては目切りをつける必要があるわけです。
言われるうちが花だなんて言いますけれども、言う側のあなたは、
もうそれ以上をその相手に対して言う必要はないんですね。
それは相手が望んでいないことであって、今のあなたが伝えることのできること、
これすらやらないわけですから。
であれば、相手のためにも目切りをつけてあげる必要があるわけです。
遠からず気づくようなことがですね、あると思います。
散々親身になって話をして言ったけどやらない。
そこまでやったけどやらない。
であればある程度で目切りをつけてあげた方が、あなたのためにも相手のためにもなりますから。
あきれるという側はですね、そのような対応をしたらいいかと思います。
そして逆ですね、あきれられるという側。
このあきれられた側からするとどうするのか。
何か今ですね、あきれられる側のあなたがいるような現状においては、選択肢はですね、いくつかあると思います。
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その場所は自分には向いていないから。
端緒を伸ばすというよりかは、その場からいなくなろうというようなことをするだとか、
もしくは自分の頭でですね、こう考えるようなことを始めようと決意をするだとか。
ありますけれども、このあきれられる側のあなたがするようなこと、これは具体的なことが実はあって、
意識的にせよ無意識にせよ、あなたがやらないというような選択をとっている場合に、
それはどうしたらいいのかというと、
あきれられる側のあなたに対して言ってきた、何かを言ってきた相手に対して自分から質問をするということですね。
言われたことがわからないのであれば、そのことを素直に聞き返すといいと思います。
やりたいというような望みはね、あるという。
けどやらない。
その胸の内をですね、素直に伝えてもいいと思います。
言っていることの意味は理解できます。
やりたいとも思っています。
けど、やらない自分がいるんです。
どうしたらいいと思いますか。
このようなことですね。聞くということですね。
こうした質問をした際に、
親身になって、じゃあどうしようかと一緒に考えてくれるような相手、
そのような人にのみついていくというような選択をしたらいいと思います。
これはあくまで個人的な意見ですけれど。
なんだかあきれられているなというような状態で、
仮にそのことに対して、素直に自分の胸の内をとろして、
やりたいと思っているけどやらない自分がいるんです。
どうしたらいいんでしょうか。
こうしたことをですね、聞いたときに、
例えば自分で考えろとか、
自分の頭で理解をしろとか、
そのようなことですね。
そのようなことしか言わない人ですね。
こうした人は、あなたに何かを言ってきた人も、
言ったこと自体をよくわかっていないので、
理解をしていないというようなことがあるので、
そうした人は、あなたも相手にしなくていいと思います。
そのがお互いのためになりますから。
何回言われてもね、何回同じこと言われても、
その都度やろうとは思うんですけど、でもやらないんですよと、
そういうようなことを素直に言ったらいいと思います。
人格者であればあるほどね、
そうしたことには親身に対応してくれるような場合が多いですから。
あとはね、自分から質問をすると、
何でしたっけというようなことを聞き直すと、
意欲があるというようなことは示せますので、
少なくとも何も考えていないというように捉えられて、
呆れられるようなことは少なくなると思います。
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つまり、何が言いたいのかと。
呆れる。
このような現象は起こります。
それは呆れる側なのか、呆れられる側なのか。
どちらの視点も持っておくというようなことで、
呆れる側としては、
言ったことをやらない。
同じことを何回言ってもやらない。
そのような相手がいた場合には、
おそらく意欲がない、望んでいない、
やりたいと思っていない。
そうして相手の反応をですね、
何ですかね、みたいな。
はぁ、みたいなね。
そういうような反応が返ってくる場合には、
自分の頭で考えていないことがありますので、
あなたの思う具体的な次の一歩というものを
話をしたとしても、相手がやらないということであれば、
それはある時点で見切りをつけてあげた方が、
自分のためにも、相手のためにもなるというようなことですね。
逆に呆れられる側の人。
意欲がある、望んでもいる、
ただ何回言ってもやらない自分がいる。
そのような場合は、
それを自分の思いをですね、
自分から質問をするというような。
素直に打ち明ける。
そうした場合に、自分で考えろというようなことしかね、
言わないような人は勇敢もわかっていないので、
相手にしなくていいですよというようなことで。
さらにその自分から質問をするというような部分で、
呆れられる側の人は、基本的に待ちの態勢側ですから、
指示を待つというようなね、何かを言われるのを待つ、
自分から話をしないというようなことが多いですから、
そこをですね、自分から質問をするということによって、
呆れられないようになっていくような、
そうした人間になっていくというようなことにもなり得ます。
というようなところですかね。
呆れるのも、呆れられるのも、
別にどちらが良いとか悪いではないです。
その状況が発生した場合には、
いずれの視点もあった方がいいなということを知っておくといいかと思います。
はい。ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。