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2025-06-23 09:28

言ってもわからないなら言わない

いくら言っても分からない人に付き合うのは徒労に終わる可能性もあります。逆も然りであなた自身も例外ではないです。勿論私もです。仮に言ってもわからない人に遭遇したらこうした考えを持ってみるといいですよ。


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サマリー

このエピソードでは、相手が理解しない場合の対応について論じます。特に、理解されないことを受け入れ、自分の感情を穏やかに保つことの重要性が強調されます。また、指導者としての役割や相手の適性を見極めることについても取り上げられます。

言ってもわからない人への対応
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、言ってもわからないなら言わない、という話をしていきます。
言ってもわからないなら言わない、ですね。
これはもし、仮にあなたから見て、そうした対象の人がいる場合に、その人への対応の仕方、もしくは扱い方、付き合い方、この辺りですね。
言ってもわからないという人はですね、それぞれの立場から見た時に、ほぼ必ずと言っていいほど、人一人につき、少なくとも一人はいるんじゃないかなと思います。
言ってもわからない人がいるからその人がダメとか、言ってもわからないから自分の方が理解している自分の方が上だとか、いいとかね、そういう話ではないですね。
別に言ってもわからない人がいたとしても、それはそれでいいんですよ。
あなたからしても、相手からしても、別にどっちがいいとか悪いとか、偉いとか偉くないとか、そういうことではなくて、
立ち位置や役割、経験、過ごしてきた環境、これらの違いによって、あなたが主張をしていること、言っていることを一向に理解していない、わかっていない、そういう人もいますよね。
そうした人に対して、あなたは自分の考えをわかってもらいたいから言うとか、わからせようと厄介になると言いますか、
こうしたことをね、すればするほどあなたがしんどくなるだけですから、いくら言ってもね、わからない人はわかりませんし、それは今、現時点では。
ですから言わないという選択をとったらいいですよ、というような、そういう話なんですね。
指導者の役割
ある意味で、相手に対して諦める、わかってもらうことを諦める。
言ってもわからないということは、話す前からね、その人と自分とは思っていることを言っても、わかるかわからないかということは話さないとわからないですから、
それはね、一回と言わず、何回かトライしてみて、言いたいこと、伝えたいことをいくら言ってもわからないんだろうな、この人は、というようなことがもしあれば、徐々に諦めていくというようなことですね。
ですから、言ってもわからない人に対して、どれだけ一生懸命説明しようとも話そうとも、わからないものはわからないわけですから、理解されないことは理解されないわけですから、
その人は自分で言っていることはわからないんだなというように、そのことで落ち着くというか、そこを着地点にすると言いますか、そういうことをしてもいいんですね。
とはいえ、そうは言っても、例えば何か指導をする役割にある人、人を指導する人というものは、ある一定の水準まで達してほしいから、わかってほしいから言うというようなこともありますよね。
いくら言ってもわからないなら言わないと言ったとしても、それはわかってもらわなければ困りますと。
だからこそ、やっきり一生懸命説明をする、言う、話す、そういうことがあるわけですよね。確かにそういうこともあります。
その上で、これを物の見方によっては、いわばその相手のせいにしている、言ってもわからない相手が悪いというふうに、そういう解釈をしてしまう場合もあります。
それは、実は逆で、いくら言ってもわからないのであれば、それは仮に指導する役割にある人であれば、その相手の適性を見定めて、それに準じた役割を与えればいいということなんですよ。
理解してほしいことのレベルを下げるということ、自分と同じレベルを要求しないというのはもちろん、このぐらいだったらわかるだろうというようなことを言ったとしても、それすらもわからない、できないというような。
であれば、今の相手に適切適正であるような役割というものは何なのだろうかということを与えてあげる。それも指導する役割にある人の行うべきことなんですよね。
ついつい相手のせいにしてしまう。
とりわけね、指導だなんだというような仮初めの上下の関係だと思っている場合には、そうした傾向が顕著になりますよね。
それはね、いわゆる情熱というもので相手を見るというものは、人も動物ですから、そういうヒエラルキの中で生きているということで仕方のないことではあります。
かつそれが効率のいい場合もありますから、そうしたものの見方が良くないということではなくて、より高次の次元を目指していきましょうということで、
相手の責任だと思っている限りは、言ってもわからないと思っているその人自体もその程度であるというよりですね、なってしまうんですね。
これはですね、私もそうなんですけど、当事者であると、そうしたことが見えなくなってしまうんですね。
第三者、旗から見ると一目瞭然であるのにもかかわらず、自らがその家中にあると主体になると、そうは思えなくなってしまう。
言ってもわからないので、あったとしてもわかってほしいから、理解をしてほしいから、あえて言うと、そういうことをですね、やり続けてしまうようなことがあります。
そうしたことがあると、繰り返しになりますが、相手が悪いというふうに決めつけてしまうんですね。
適切な判断と感情の管理
相手のレベルが低いからというふうに、どうしようもない人だなというふうに、そういうふうにですね、してしまう。
そうじゃなくて、相手の適性を見定めてそれに順次で役割を与えるということなんです。
言ってもわからないなら、それは言わなければいい。まだ言うときではない。そういうことですよね。
今のあなたには何がわかりますかと、何ができますかというようなことをですね、見ていく。
まあですから、そうですね、ちょっと視点が偏ってしまいましたけれども、こうしたね、言ってもわからないなら言わないということは、まあまああります。
確かにそういう人もいますし、誰かから見たら、あなたも私もそのように思われているかもしれない。
ですから、そのような関係性において、上下というものはありません。
言い悪いではなくて、仮に言ってもわからない人がいるのであれば、それは言わない。言っても疲れるだけ。
なぜなら、今、わからないんですから。わからないものは、わからないままでいいんです。
わかろうとする人は、自分でね、自然とわかろうというような、いわゆる努力をね、重ねてきて、レベルも上がっていきますから。
必ずしも、自分自身がいいと思っていることを相手がいいと思っているとは限らないということですね。
つまり、何が言いたいのかというと、言ってもわからないなら言わない。
これは、あなたから見てそうした人がいる。もしくは、あなたも誰かから見たらそう思われているかもしれない。
誰にでも当てはまるということですね。
よしよしでも善悪でもないです。上下でもないです。
その上で、仮にあなたの視点から見たとして、言ってもわからない人がいるのであれば、
そうした人に一生懸命説明したり、わからせようと思って話をしたとしても、それはしんどいだけです。
いくら言ってもわかりません。
ですから、諦めるというようなことですよね。言うことを諦める。言わないということを選択するわけです。
とはいえ、一度も言わないで相手に言わないということではなくて、
何度かその人との往復を繰り返してみて、何回言ってもわからないんだな、この人はというような、
そうしたことが徐々に判明してくると思いますので、
そのような場合には、もうこれ以上は言わないということを決めて、
言ってもわからない人には言わないようにすると。
そうなると、何よりもあなた自身の感情の起伏というものが穏やかになっていくということですね。
それには、取り分け支点が偏りましたが、何かを指導する役割にある人は、
わからないあの人が良くないということですね。
相手に押し付けるのではなくて、相手の適性を見定めて、それに従じた役割を与える。
かつ、自分と同じレベルを要求しない。
こうしたことですね。
頭の片隅に置いておくといいんじゃないかなと思います。
無理やり人の考えを、今わからないと思っていることをわからせようとしたとしても、
それは動くものでもないですから。
あなたは今そういうことなんですねと、わからないんですね、別にいいですよと言うんですね。
割り切って考えていきましょうというようなことです。
はい。ありがとうございました。
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