第三者視点の重要性
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、第三者視点の欠如という話をしていきます。
はい、第三者視点の欠如ですね。
あなたも聞いたことがあると思います。
この第三者視点というもの。
いわゆる主観でなく、俯瞰で見るというようなことですよね。
メタ視点なんていうふうにも言いますかね。
このような、自分以外の視点からの物事の見方というもの。
これを持っていれば、人とコミュニケーションを取る上でも有利に働きますよ、というようなことなんですけれども。
これはですね、ある人とない人というよりかは、基本的には誰でも持ってますよね。
あなたも人の視点に立って見ることができると思います。
それはどういう時かというと、主には理性が働いている時ですよね。
例えば、テレビだとかドラマだとか、そういう映像コンテンツを見ていたとして、
その映像の中の人たちではない、それを見ているあなたは、いわば俯瞰で見ているというようなことになるわけですよね。
その時には、その中の登場人物たちを理性的に判別して見ていると。
この人はどういう動きをしている、この人はこういう動きをしていると。
どんな人でもありますよね。
じゃあなぜ、第三者視点の欠如というようなことなのかというと、
この視点がなくなる、一時的に失ってしまう、あるけどないというような状況に陥ることがあります。
それは、感情が優位になった時ですね。
どんな時であれ、その人が感情的になるというようなことは、これは必ず発生しますよね。
それは私もあなたもそうです。
例えば、あなたが自分のこだわりというものを人から否定された時に、
感情が優位になって第三者視点が見えなくなるというような、
相手がなぜそのような発言をしたのかという背景を見ようとせず、
自分の主観で反応するというようなこと。
これも一つ、感情が優位になっているということですよね。
例えばですけれども、
根っからの第三者視点がない人というものは、ほぼいないと言ってもいいと思います。
ですからこうした第三者視点というものが欠如していると、
欠如している状態であるとどうなるのかということと、
また非常に少数ですけれども、実はない人もいるということで、
それは獲得するためにはどうすればいいのか。
さらには、第三者視点を持っているけれども欠如してしまうというような場合に、
どうすれば維持することができるのか。
そうならないためにはというようなことですよね。
まず前提として、俯瞰で見ようと思えば俯瞰で見れますよというようなこと。
これはあなたがそうだとした前提であると。
感情とコミュニケーション
これが欠如してしまうとどうなるのかということ。
一言で言えば、会話にならないということになりますよね。
コミュニケーションというものは、当然自分一人ということもあるんですけれども、
誰かがいる。
例えば自分一人であったとしても自分と自分。
一人で二人というような。
一人言もそうなんですよ。
一人言と言ってますけれども、それを話す自分と聞いている自分という二人がいるわけで、
このどちらの視点から、さらにはその双方、二者、二者間、二人とは限りませんけれども、
その双方の間でどのようなやりとりが行われているのかということを別の視点から見る。
膝を一段高くして鳥の目で見るというようなイメージですよね。
そうしたことが欠如していると、会話にならないというような現象が起こるわけです。
自分が話したいこと、言いたいことを自分の目線だけで言っていると、
相手が聞いているのかどうかもわからない。
聞きたいことなのか、通じ合っているのか、それすらも判断ができないということ。
理性が優位に駆動していると気づくようなこともありますが、
第三者の視点が欠如しているということに気づけなくなる。
当然会話にならなければ、その人との人間関係というものもスムーズには運ばないですよね。
ですからまず感情が優位になって、これが欠如しているとそのような状態になるということ。
それを獲得するためには、これは基本的にない、
自分では気づいていないけれどもでも実は欠如していますよというのは、
思い当たる節があるかどうか、それは人それぞれですけれども、
獲得するためには、端的に言えば様々なコンテンツに触れるということですね。
これもですね、改めて意識をする。
第三者の視点で俯瞰で見てみるというようなことを意識をした上で、
様々なコンテンツに触れるということ。
先ほども言いましたが、テレビでもドラマでも漫画でもアニメでも何でもいいです。
全てのコンテンツはですね、ほぼ人間関係と言っても差し支えないぐらい、
人との愛憎劇と言いますか、そういうことがベースとなっていますので、
コンテンツの中に出てくる登場人物の感情を第三者の視点から汲み取るようにして見てみるということ。
今このキャラクターはこういうことを考えているんだろうなとか、
どういう言葉遣いをしているなとか、
その作られたキャラクターの感情を読み取るように理性で見てみるということ。
これはですね、習慣にしてみると、
この第三者視点というものは自ずと獲得していけるようなことになります。
そういう視点で見たことがないだけですからね、これがない人は。
それでまた、あとは維持するためですね、
第三者視点というものを持っている状態を持続させるためには、
これはここまで再三話してきたことですが、理性を持つということ。
理性で物事を見る習慣をつけるということです。
簡単でというか、これもまた習慣なので、当然感情的になることはありますよ。
というか、感情がなければそれはもはや人間とは呼べないと思いますから、
感情は当然あってしかるべきです。
ただ、そうしたときに感情的になっている自分ですらも、
今感情的になっているなということを、ある種理性で見ている自分もまたいるということ。
自分が感情的になっているということを分かった上で感情的になるんですね。
ともすれば、こうした第三者視点が今は欠如していてもいいかなという状況であれば、
それは当然感情要因にさせていいわけですよ。
思いの丈を相手にぶつけてというか、
ぶつけてというと良くないことですけれども、感情を出して相手と接するということ。
それは相手と心と心が通じ合うなんていうことももちろんありますし、
当然悪いことではないです。むしろ良いことだと思うんですよ。
その上で、今すごく感情的になっているな自分というようにですね、
これを理解をしていくと、今ここで第三者視点が欠如していたらまずいなという、
このまま感情で突っ走っていったらまずいなというようなところに遭遇したときに、
すっと自分の気持ちを落ち着かせることができる、引かせることができる。
感情要因なんですが、理性で感情を引っ込めるというような、
そうした動作が内面の動作ですね。
あなた自身の内面の動きを自分で操作できるということになります。
ですから維持するためには、感情要因であっても、
第三者視点の維持
ある種理性で見ている自分も保持しておくということ、これをやるということですね。
何よりもまずはこうした考え方、これらの考え方を持つことが大事ですから。
知ってる知らない、やるやらない、それは運命の差があるなんて言いますけれども、
知ってるだけでも価値があるということももちろんありますから。
実際の生活に取り入れてみてくださいということですね。
つまり何が言いたいのかというと、第三者視点の欠如。
これは前提として、別に欠如していいようが今いいが、
いいとか悪いとか偉い偉くない、そういう話ではないです。
別にどちらでもいいですけれども、あなたがもし仮にこうした第三者視点というものが
重要であるなというふうに思うのであれば、それは次の事柄を意識をしてみましょうということで。
まず欠如しているとどうなのか。
それは会話になりませんよということ。
で、獲得するためにはどうするのか。
第三者視点を持って様々なコンテンツに触れてみましょうということ。
ほぼ全てのコンテンツはいずれも人間関係ですからね。
そこを意識して見てみるというようなこと。
で、三者はそれを維持するためには、たとえあなたが感情的になったとしても、
それをある種の側面は理性で見ている自分がいるというようなこと。
そして、いざという時には感情にブレーキをかけられるようにするということ。
感情で突っ走ろうとしても、理性で止める自分がいるということ。
これらはね、意識をしてみるということですね。
偉そうなことを言っていますけれども、私自身もね、第三者視点が欠如するというようなこともありますから、
共に第三者視点が欠如することが少なくなっていくように、
お互い頑張っていきましょうというようなことですね。
はい。ありがとうございました。