分かり合えない人との出会い
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、「分かり合えない人たち」という話をしていきます。
分かり合えない人たちですね。 普段コミュニケーションをとっていて、なんだかこの人とは分かり合えない感じがするとか、
ちょっと何言ってるのかよく分からないなというような、 相手の言ってる言葉の真意が分からない、意思疎通も思い事できないというようなことですね。
あなたにとってそういう人がいるかどうか分かりませんけれども、 想像はできると思います。
これがなぜ分かり合えないのかというような考え方の部分ですね。 分かり合えない人にはこのような対応をとったらいいですよというような、
そういう具体的なことではなくて、考え方の思考の話ですね。 あなたも一度は目にしたことがあるような光景だと思うんですけれども、
あなたが誰かとコミュニケーションをとっていて、この人と分かり合えないなというようなパターンではなくて、
その第三者の視点としてあなたがいる時に、どういう関係性かにもよりますけれども、 どれだけ長い子と一緒にいてもなんかいつも喧嘩してるなとか、
話噛み合ってないなというような、そういう光景って目にしたことがあると思うんですよ。 もしくはあなたの視点からでもいいですよね。
自分が話をしているのに相手は何度言っても理解してくれないとか、分かってくれない。 その逆に相手の言っていることを何回も同じこと言われているけど、ちょっと理解できない。
分からないというようなこと。 これらはどちらかが、例えば表現は良くないですけれども、頭が悪いとか、
バカだからとか、 そういうことではないんですよね。
どうしても話が通じ合わない人に対しては、 能力が低いとか、頭が悪いというような印象を持ちがちですけれども、
同じ言語を使っている人同士であれば、意味は分かりますよね。 意味というか、何を言っているのかという言葉の内容は分かる。
お知らない単語とかそういうのが出てきたとしても、言葉としては理解をしているというような、言語としての理解。 日本語であれば日本語の理解はできていると。
ですから、バカだとか、頭悪いとか、アホだからとか、そういうことではないということはまずありますよね。
分かり合えない根本原因
では、なぜ言語としては理解はしあっているのに分かり合えないのか、各の部分ですよね。 その理由はもう一つで、
物事の考え方が違うからです。 してきた経験が違うからとも言いますね。
例えば、何かしらのスポーツがあると。 非常にマイナーなスポーツがあると。
こういうイメージを出すとあまり良くない気がするので、なんとなくイメージしてください。 聞いたことも名前も聞いたことのないようなスポーツがありますと。
となると当然ルールも知らないですよね、そのスポーツの。 そのよく知らないスポーツのことについて相手からいろいろと話をされたとして、
もしくはそうしたスポーツの映像を見たとして、 何が良いのか何がすごいのかよく分かりませんよね。
何せ知らないわけですから、全く分からないわけです。 コミュニケーションを取る中で分かり合えない人というのはそれと一緒なんですよ。
生きてきた環境だとか、 過ごしてきた環境のルール、それがお互いに
別のことをしてきたので、どこまで行っても現状では分かり合えないということなんですよね。
そういう人もいるということです。相手の言っている言葉の真意がよくわからないとか、
見当違いの行動をとるとか、意思の疎通ができないとか、 その考え方自体はあくまで主観でしかなくて、
それをしている相手からすると、 自分が何言ってるかその真意がよくわからないことを喋ることも少ないでしょうし、
この行動をとっている意味を説明できないということもないでしょうし、 自分が動いてるわけですからね。
さらには意思の疎通したくないから意思疎通できないような話をしようという意図で コミュニケーションしているわけでもない相手から見るとですよ。
あなたから見るとそれはもう全てできないというような、 よくわからない人というようなことになりますけれども、
その相手からしたら逆にあなたがそうなっている。 なんでわからってくれないんだろうなとか。
お互い様なんですね、これは。分かり合えないんですよ。 ですからその分かり合えない人たちということなんですね。
「分かり合えない」ことの受容
どちらか一方ではなくてお互いがそう。 となるとこれはですね、解決できません。
どうにかこうにかしようともがいても、 今現在では分かり合うことはできないです。
別にそのどっちが良いとか悪いとかではなくて、 分かり合えた方が良いとか分かり合えない方がダメとかそんなことはないんですよ。
ただ現状の認識ですよね。 今この人と自分は分かり合えないんだなというようなことなんですよ。
どれだけ言っても何をしても分かってくれない相手に対して、
時間や体力、労力を消費する必要もないですし、 相手からしてもそう。
この人に何言われてもよく分からないからこれ以上構わないでほしいなというようになっているかもしれない。
ですからそうですよね。 あなたが相手からいろいろ言われても理解できないのであれば、
それを無理に理解する必要もないということもそうですし、 結果的に分かり合えないのであればそれはそういう関係性であるということなんです。
たとえそれが問題であろうとも、未解決の問題があってもいいんですよ、コミュニケーション、人間関係において。
何でも解決しようとしなくていい。問題は問題のままでいいんです。
そこで考えるのは一旦終わりということなんですね。 その人との関係性、分かり合えない人との仲はそういうものなんだなというふうにする。
そうした考えを持つことによって、人との関係性において不必要なことで悩むことがなくなる。
ある種の諦めに似たような感覚でもありますけれども、 それはそれとしてまあいいですと、そのままの
関係性でいましょうということなんですね。 深く考えすぎないことです。そういう人もいるということですね。
つまり何が言いたいのかというと、 分かり合えない人たち、あなたから見て、もしくは相手からあなたを見たときに、
お互いに何を言っているのかよく分かりませんと。 真意も分からなければ、
見当違いの行動も取れば、意思の疎通もできない、お互いにですね。 人間関係においてそうしたことも起こり得ますよね。
これは例えるのであれば、名前も知らないようなマイナースポーツ、 これのルールを知らない、そんな状況で
そのスポーツの話を聞いても、映像を見ても、 何がすごくて何がすごくないのか、どこで盛り上がればいいのか、
よく分からない。これと一緒ですね。分からないものは分からない。 この先にそれを理解しようとするようなこと、その相手を理解しようとする
ことは可能かもしれませんけれども、今現状でどうこうできることではないということです。 今のままでいいというような、お互いに分かり合えないけれども、
分かり合えない関係でいいよねというところを着地点として、 もう考えない、それ以上。考えてもしょうがないから。
だって分かり合えないですからね。 それでいいんですというようなことです。
無理せず「分かり合えない」関係でいること
どうしても相手に分かってほしいとか、どうしてもこの人の言っていることを分かりたいというような、 そうした衝動から何回も何回も捉えする、
そうしたこともあると思うんですけれども、それは疲れるじゃないですか。 疲弊するだけですよ。お互いにね。
であれば、もう私たち今現状分かり合えてないけど、これでいいよねという、 そこで終わりでいいんです。
なんかちょっと最後のは、恋愛関係みたいな話になりましたけれども、別にそうじゃなくて、恋愛感情だけじゃなくてね。
日常的に生活をしていて、そういう人と出会ったら、このままでいいですよねということにする。
生きていれば一定数分かり合えない人と出会うことはあるでしょうから、 そんな時に、
別にこのままでいいんだなという、分かり合えないんだから、それはそれでいいですとですね。 そうした考えを持ってみてはどうでしょうか。
はい。 ありがとうございました。