2025-01-16 08:21

偏った見方

カタヨリはどの方向にでも行けます。偏ってもいいんです。何方向にも偏りましょう。


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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、偏った見方というテーマで話をしていきます。
はい、偏った見方ですね。
偏りというのは、偏見というようなことではなくて、
人とコミュニケーションをとっているときに、
あなたが相手のことを見たときに、
もしくは何か話をかけられた、声をかけられた、意見を聞いた、
そういうときに、偏った見方をしていることはあるでしょうか、というような話ですね。
というよりかは、私も含めて偏った見方をするものなんですよね。
それは良い悪いではなくて、
その人それぞれの固有の考えというものがありますから、
話を飲み込んで考えて偏りをなくすというようなことはあれど、
日常会話をしている中だと、
瞬時に判断をするものというものの、初めに出てくるものは、
まずは日頃考えていること、その相手がいれば、
日頃その相手をどういうふうに見ているのか、
そうした偏った見方というようなこと、
これは誰でもそうなる。
そうではないですよというようなことであれば、
そうではないというような見方をするものが、
まず偏っているというような、
なんだか全問答みたいなことになってしまいますが、
実際そうなんですね。
それでこの偏った見方のみに終始してしまうと、
時には相手とぶつかったり離れたり、
そのようなことが発生しますよね。
ですから仮に相手と話をしている時に、
違和感を感じた時に、
それどういう意味で言っているんだろうというようなことを、
一旦挟むというような言葉をするといいかと思います。
偏った見方をしていると、
相手が言ったことと自分がそれを受け取った解釈と、
違う意味になる可能性もあると。
相手が言った本来の意味で受け取れないというようなことがありますので、
まずは偏った見方をしていいんですよ、それは。
その上で、それってどういう意味で言っているんだろうというようなことを考えるというようなことですね。
例えば、仕事で物を売る仕事をしていて、
売る人と会計をする人が別だとしましょうか。
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売る相手がいて、3人人が仮にいたとして、
あなたはその商品を売る人です。
買う人に商品を売りました。
その買った人から会計をする人に、
こんな商品買ってないんですけどというような連絡がきました。
ただ、あなたは合意の上で買ってもらっていると。
なんでそういう電話が来たのかわからないですけれども、
何かミスがあったのかもしれない。
ただ、売る人、つまりあなたと買う人の間では合意が取れていて、
ただ、買った人は何かの間違いがあったのか、
会計をする人に連絡をしてきたと。
その会計をする人から売る人であるあなたに対して連絡が入るわけですね。
買ってないって言ってるんですけど、
本当に売りましたかというような、仮にこういう連絡が来たとします。
あなたはその言葉を聞いたときに、
売る側の人とのあなたとしてはどう思うのか、
何を思うのか、いくつかパターンがあるかと思います。
何か間違いがあったのかなと思ったり、
本当は欲しくなかったのかなと思ったり、
何か不正を働いたと疑われているのではないかと思ったり、
何かしらの偏った見方というものが脳裏に浮かぶかと思います。
それは、売る人のことを普段どう見ているのか、
会計をする人のことを普段どう思って見ているのか、
日頃どのように見ているかによって、
言葉を受け取ったときの考えというものが変わってくるかと思いますが、
仮にその会計をする人からあなたに対して、
本当に売りましたかというように聞かれたときに、
その会計をする人のことをあなたはあまりよく思っていないとしましょうか。
そうすると、まず先に浮かぶ偏った見方というものは、
不正を疑われているのかなと。
本当は売っていないけど、何か無理やり売りつけたのかとか、
嫌がるお客さんに売ったのかと疑った目線で、
何でそんなことを言うんだろうというように、
反感の意を持って相手に対して偏った見方をすると。
ただ、もしかするとその会計をする人からすれば、
ただ単に事実確認をしたかっただけ。
そんな疑うとかではなくて、ただ聞いただけ。
というような可能性もありますよね。
ここであなたは、まずその先に偏った見方をする。
疑われているのか。
その考えをした後に、相手の立場になって偏った見方をしてみる。
ただ聞いただけなのかもしれない。
双方から偏った見方をするというようなことをやるわけですね。
偏ったということは何かに偏っているわけですよ。
右でも左でも上でも下でも。
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考え方でね。どこかに偏っている。
であればその反対側にも偏れば、ある意味公平な見方ができるようになるわけです。
左に偏っていて、じゃあ右に傾いてみようというように、
どちらの傾きも自分で考えを巡らせて経験をして、
経験というか発想を思い浮かべて、
とすると考え方の歩み寄りができるわけですよ。
その中道を探しにいけるというような。
さっきの例、本当に例えばの例ですけれども、
何でも偏った見方というものを。
何かしらあなたの偏った見方というものがありますから、
それが浮かんだ時に対象の人がいるのであれば、
その人がどう考えているのか。
その人の偏った見方を自分でやる。
あなたがしてみる。
すると公平な見方ができるようになると。
そんなような考えがあってもいいんじゃないかなと思います。
つまり何が言いたいのかというと、偏った見方。
人は何かしら偏った見方をします。
それは私もあなたもしています。
普段どのように過ごしているのか、
相手をどのように見ているのか、
これによって最初のファーストインプレッションといいますか、
言葉を聞いた時に思い浮かぶことの偏りというものは誰でもあると。
ただそれだけでいくと偏ったままで、
一方向に偏っただけで終わってしまうと、
相手との人間関係というところでも何かしら疎合が生じるかもしれない。
であれば偏ってもいいから、その後に逆に傾いてみると。
逆向きに傾いてみるというようなことですね。
それをすればもはや偏っていないということになる。
つまり公平な見方ができるようになると言ってもいいですよね。
平等ということはないですけれども、
公平なものの見方というものは、
自分の見方次第でできるようになります。
偏った見方をしたら逆に傾いてみてください。
ということで以上となります。
ありがとうございました。
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