2024-07-18 10:06

見透かされている

見る人が見ればわかることはわかります。

今あなたが思ったことはそれがなんであれ真実です。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、
見透かされている、というテーマで話をしていきます。
見透かされている、ですね。
見透かす、見るに透明、これで見透かされているというようなことで、
あなたが誰かとコミュニケーションをとる際に、
例えば、相手にですね、合わせる、
その相手に合わせて言えることを言ったりだとか、
平たく言うとね、自分の思っていることとは反して、違うことを言う。
言うなれば、それは相手に対して、
嘘をついているという意識のもとで言う、
もしくは分からないものがあったとしても、
分かったふりをして聞かないとか、
そうした本来のあなたというものと違うものを相手に見せているという場合に、
そしてこれを、
等のあなた自身は演技をしているという感覚を持って接しているという、
嘘をついているというような心、
そうした思いがあって、相手と接している場合に、
いわゆる取り繕うというね、
そういう姿勢は見透かされていますよというようなことなんですけれども、
通常、誰かとコミュニケーションをとる際にでも、
あなたが自分の中で演技をしているなぁ、だとか、
嘘をついているなぁ、だとか、
取り繕っているなぁというように、
自己認識をして相手と接している場合には、
そうした態度・姿勢というものは、
相手に見透かされているようなことがあるんじゃないでしょうか。
これはね、心当たりがある場合もあるんじゃないでしょうか。
私自身もですね、
こうしたことを常に自然と思えているかというと、
状況によっては、自分の中で、
相手に合わせているなという認識が出てきてしまうことは当然あります。
その都度、自分自身に言い聞かせていることでもあるんですけれども、
相手に見透かされているというようなこと、
別にね、見透かされてどうこうというようなことはないんですけれども、
自分自身の心のありようとして、
全て相手から見えることは本物の自分であって、
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何一つ演技というものはないんだということ、
どんな状況をいかなる場合においても、
自分の思うことというのは、その都度、その時々では、
それが本当の自分なんだなというようなことをですね、
私自身も自分に言い聞かせることがあるんですけれども、
何か相手と関わる際に、
例えば、先ほど言ったようなね、
相手に会わせたりだとか、取り繕ったり、嘘をついたり、
そうしたことをしていると、
相手から見透かされているかもしれないというのは当然そうなんですけれども、
自分自身に見透かされているというようなことがあります。
大人の、とりわけ社会で接する、誰かと接する、
そういう機会が多い人にとっては、
今この状況で何かこういうことを言うことが適切ではないのではないかな、
というようなことが頭に浮かぶということもあると思うんですけれども、
そうしたことが浮かんだ際に、それをどう認識するかというところで、
それ自体も本当の自分の意思であるというようなことを、
たとえ相手に会わせていようとも、取り繕った態度を出そうとも、
それらはすべて本当の自分自身なんだという、
内側から自分自身に納得をして、それを発信、発信というか表に出すというね、
そうしたことをすると、何か見透かされているようなこと、
これは相手も相手からも自分からもそうですけれども、
むしろそうしたことは見透かしてもらっても構いませんよね。
本当の自分ですから。
こういった部分で、多くの社会人、取り分け会社員、
こういう部分に葛藤を抱えるというようなことはあるかと思うんです。
本当はこう思っているのに、ただ本当実際にやっていることは違うという。
それはそうではなくて、実際に自分の思っていることと、そしてやっていること、
これらが相違するなんていう状況はない。本来ないんですよ。
それを違うものだと感じているのは自分自身だけ。
内側で思っていることだとか、別の意思を持って表に出すという、別のことを言うという、
そうしたことをすると、見透かされているということが起こるわけです。
例えば分からないものを、分からないというか、誰かと話をしている際に、
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しっかり話し声が聞こえないなんていうこともあるかと思うんですけれども、
その時に愛想笑いでごまかすのか、それとも今何て言ったんですかというように、
ちゃんと聞き直したりだとか、もしくは相手から何か意見を求められたり、
質問をされたりした時に、真剣に聞くという意味でも、聞かれたことの意味が分からなければ、
また質問を質問で聞き返したりだとか、その質問ではこの疑問に答えられないので、
深掘りしてさらに聞かせてくださいというようにさらに質問を重ねたりだとか、
本来であれば、おそらくフラットに考えれば誰しも思うようなこと、
自分の本当に考えていることを思っていることと、
違う取り繕った相手に合わせている自分自身を出すというようなことをしている場合に、
これはよりステージが高い人であるほど見透かすというような、
そうした人を見る目というものが長けている場合が多いですから、
ステージが高いように限らずですけれども、
人と接する際には真摯に本当の自分だというようなこと、
自分自身でまずそう思うことですよね。
自分で自分自身のことを今相手に合わせているなとか、
取り繕っているなというふうに思ったとしたら、
それは相手に対して発信したとしても、相手から見ると何かおかしいと、
この人本当は違う人間なんじゃない、違うことを考えているんじゃないかと、
そういうように見透かされるようなことがあります。
そうなるとどうなるかというと、
余計に信用をなくすようなことになります。
そうして今後、付き合っていくこともなくなっていくであろうと。
なので、人と関わる際に仮に自分自身というものと、
内側の思っていることと外に発信することが違う場合には、
それは見透かされているというようなことがあります。
それは相手からしても、そして自分自身からしても、
自分の内側と外側の乖離があるということは、
自分自身に対しても自信を持つということは難しいですし、
相手に対しても信頼を得るということは難しい。
であれば、今自分で思ったことというのは、
これはもう全て本当なんだという、
その時々思うことあると思うんですけれども、
今その時に考えたこと、思ったこと、
それは本当の自分なんだという、
それをそのまま素直に表現、発信、喋るというようなことをすると、
見透かす、見透かさない以前に全てが自分ですから、
どちらでも良くなりますよね。
こうした認識を自分自身の中で持つと良いかと思います。
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何ですかね、毎回アドリブで話はしているんですけれども、
自分自身でですね、私自身でですね、
自分が何を言っているのかわからなくなる時が時々あるんですよ。
さっき何て言っていたっけとかね。
それはそのまま垂れ流しているというよりも、
やりたいからやるということなんですけれども、
何ですかね、こう思うことを言うというのは、
何よりも自分自身にとって一番良いことだと思いますよ。
変に隠さず取り繕わず。
それでね、誰に何を言われようとも、
自分が楽しければそれで良いと思うんですよ。
というね、思ったことなんで、素直にそのまま声に出してみました。
はい。ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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