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拝啓、3000年の人類へ。私は、こう考えます。
色眼鏡を外したい。
昨日ね、箱根に行ったんですよ。
そうか、休みか。
そう、祝日だったじゃないですか。
箱根に行って何したかというと、美術館に行ってきたんですよ。
ポーラ美術館って知ってる?
それは日本語?
そう、カタカナのポーラで、化粧品とかかな。
なるほど。
美術館に行ってきて、有名な画家のやつが何個かあって、
一つはモネかな。
イギリスの人ね。
そうそう。
スイレンのモネの展覧会とか、
アイスランドかどこかの企画展みたいになってて、
結構面白かったんだけど、
やっぱり美術館の話を最近よくすると思うんだけど、
実際その美術館ショーのキレイとか、
そういうのの他に、
わけがわからんっていうところが一ついいなと思って、
見てきたんだけど、
今回企画展をやってる人っていうのが、
水の中に自分を見た時、
水は自分を知覚するかみたいな、
そんな感じのタイトルの企画展で、
いろんな展示をやってるんだけど、
純金99.99%の、
1メートル四方の金箔なのか、
床にペンって置いてあるだけの展示とか、
あとはアイスランドの地図を上下逆さまにして、
点対称で貼り付けたものとか、
あとびっくりしたのが、
いろんな水の水面の写真があるんだけど、
その水面の写真のいろんなところに数字が振ってあって、
その下に1、2、3、4って解説があって、
ここの部分はこういう時にこういう気持ちみたいな、
書いてあるっていう、なんて言ったんだろうね、
いやこんなのあるんだと思って。
だからその人がその水面に対して、
ストーリーを付与してあげたみたいな、
そういう、
知覚したことに対する思ったことみたいなのが書いてあったりもしたんだけど、
そういうのがあったり、
あとなんだっけな、
たくさんこう、
紙を切ったやつを綺麗に並べて、
めちゃくちゃグニャグニャした線なんだけど、
切り絵になってるみたいな、
これも見てもらわないとわからないんだけど、
すごい絵があって、
結構それすごかったね。
ちょっと写真が出せるかわかんないけど、
今ちょうど企画展やってて、
このロニ・ホーンっていう人ですね、
水の中にあなたを見るとき、
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あなたの中に水を感じるっていう人の
企画展やってたんですけど、
本当になんだこれはっていう感じでびっくりしたんですけど、
例えばこれとか、
すごい水面が反射してるように見える、
でっかい、
これなんて言ったらいいと思う?
これはね、でっかい、
くず餅みたいなオブジェ。
丸くてなんか円柱みたいになってるんだけど、
でっかいコインみたいな形だよね。
これもガラスでできてて、
液体っぽさもあるんだけど、
ガラスでできてて、
外の景色を反射してすごくきれいだったりとか、
あとはね、どれかな?
ここに載ってないかもしれないんだけど、
これさっき見せたやつなんだけど、
これめちゃくちゃこう、
いろんな形に切ってあるのを再構成してるんだけど、
ぐにゃぐにゃぐにゃって線が繋がってて、
ところどころに単語が書いてあるみたいな、
めっちゃでっかい絵とか、
同じ人の顔の写真を
壁一面に並べてて、
微妙に表情の差分があるみたいなやつとか。
すごい圧倒したというか。
我々って何かに対してラベルをつけたがるじゃん。
これはこうだっていう。
そうすることで不安とか恐怖を取り除くみたいなところがあって、
昔から言うとさ、
おばけとかの名前とか知るとおばけに勝てるとか、
新名はこういう名前だとかって言ってアニメとかに出てくるけど、
やっぱりラベルの張り用のない何かが出てきたときに、
人間めちゃくちゃ考えるんだけど、
本当に何なんだこれっていうところで、
形容しがたいものにあったときに、
美術鑑賞なのにすごい頭が痛くなってくるんよ。
めちゃいいことを言って感じますよ。
そういう経験とかありますか?
そういう経験とかというか、
2つ今話を聞いてて、この話したいなって思ったことがあって、
1つがまずやっぱりこういう表現ができる理由っていうのが、
アイスランドの人やからなのかなっていうのが1つ思ったことと、
もう1つ思ったことが、形容しがたいって思うこと。
割と多くの人が、例えばピカソのゲルニカを見て、
これ誰でも描けるやんっていう感想を抱くっていうのって
結構あるあるやと思ってて、
じゃあこの、例えば今回この美術館で見たこの体験っていうのは、
誰でも描けるものなのか、これは特別なのかっていうのは、
どっちなんだろう、そこに線引きできるんだろうかって、
この2つを今話したいなと思いましたと。
まず1つ目のところは、ちょっとこの話とずれる気もするので、
2つ目のところからいこう。
どうでしょうか?
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逆に問いかけたいんやけど、
今回のこの作品っていうのは、
例えば今言ってたもののうちの1つ、
女性の顔がいろんな角度から撮られている5枚の写真が
横1列に並んでいるという作品。
これは今作ろうと思ったら作れるよねと。
あ、6枚やった。
もっとね、実は壁の4面にたくさん。
あーなるほどなるほど。
モノクロのもあるし、ちょっと場面が微妙に違う。
これとかプールとかの中みたいな写真とかなんだけど、
いろんなところがいました。
それは形容しがたいと、それを見て思ったけれども、
じゃあ作るのがそれは難しいのかっていうと、
作る難易度自体は高くなくて、
例えば僕が今iPhone1個持って作ろうと思ったら、
iPhoneで撮った写真をコンビニで印刷すればもうできちゃう作品っていう、
作成する難易度は高くないと思っていて、
じゃあその表現に関して特別なのか特別でないのかっていうと、
僕は特別やと思ってて。
なんで特別かというと、まずそれを表現しようとしたという行動が特別であると。
さらに何事にも形容しがたいっていうのは、
実は難しくて。
っていうのは、さっきあっちゃんが言った話とも関連してくると思うんだけど、
人は何かをラベリングしてみたがるっていう特性がみんなにあって、
って考えた時に、何かを見た時にそもそもラベリングして、
これはなんとかやな、これはなんとかやなっていう、
例えば言語化して物事を見るっていう中で、
じゃあ言語化できないものを、
物事を言語化することでしか見れない人が作れるのかと。
いうところを言うと、割と難易度が高い。
例えば今回のだと、4面を色んな写真が囲っています。
白黒です。
写真の内容は適当です。
っていう言語化ができたから、
じゃあ言語化できたものを形作ろうと思って、
それと同じ行動ができるっていう。
これ日本人が得意な仕事とよく言われるような気もするけど、
もう決まった言語化できるものをやるということ。
これはすごく難易度が低いんだけど、
それを見た後やから言語化できているから難易度が低い。
じゃあゼロの状態から、
じゃあこれと同様のものを考えてと。
今言いますと。
しかしながら、
例えばこれを言ったときに、
じゃあその概念の一つをずらそうと。
写真が4面横並びになっているっていうのの一つの概念。
じゃあ横並びの横を縦に変えましょうと。
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この部屋の中に縦並びで4面写真が並んでいますという作品をしたときに、
それに対して感銘を受けてくれる人もいるけれども、
例えば今回のこの作品を知っている人にとっては、
横並びのあの作品の縦並び版やから言語化できてしまうなと。
あれの縦版っていうふうにすぐ言語化できてしまって、
形容し難いってならないなっていうふうになってしまうというふうに考えていくと、
やっぱりその形容し難いというのを初めて生み出したっていう。
で、形容し難いというのは言語化しにくいという意味だと僕は捉えていて、
で、言語にできないなんかグニャグニャとしたよくわからない概念を
初めて生み出したっていうのはそれ故に難しいし、それ故に価値があるんじゃないかなっていうのが
一つ感じたことだなと。
一方的に喋ったんですけど、何かありますかね?
あー、確かにおっしゃる通りで、
最初に何か命名する人とか、みんなが今までなかったものを作る人っていうのは
すごいなって僕も感じていて、
今の例で言うと、その後実は彫刻の森美術館っていうところにも行ったんですよ。
で、そこはピカソのピカソ館っていうのがあるんですよ。
知ってるかわからないけど。
知識はないんでわからないですね。
そこにもピカソが妻のスケッチを順番にどんどん描き足していったものが
横にブワーって並んでるっていうのがあって、
どんどん顔が並んでいってるのがあって、
あれこれさっきちょっと見たなっていうのと、
遠目に見ると変化が違ってなくて、
ちょっと気持ち悪いなと思って近づいてよく見たら、
絵をどんどん少しずつ調整していったものが飾られていたと。
で、これはさっき一回見てるからなんか似てるなとか、
派生なのかなとか、遠目には思ったんだけど、
今の話を聞いた通り、
一回目にそれを見たときに形容し難いものだったっていうところを
見れたっていうのはすごい良かったし、
形容し難いものを作れる人っていうのはすごいなと、
そう思いました。
この話はさっき二つ言いたいと言ったことの一つ目にも
つながってくるなと今思ったんですが、
そこでさっき一つ目言ってたアイスランドの使徒だからなのか
という話が出てきて、
デザイン分野における心理学みたいなところで
結構言われているのが、
そもそも人が認知行動をするようになるというか、
認知する能力を幼少期に高めていく中で、
どういう環境で育ったかっていうのが
かなり人の認知行動に影響を与えてますよっていう話があって、
一つ分かりやすい例を言うと、
日本語になっている色の名前っていうのがあると思うんだけど、
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それが緑系のものがやたら多いと。
一方で青系とかは全くないと。
そこに対する関心がすごい低いがゆえに、
緑のことを青って言って持ってると。
青と緑は概念としてはどうでもよくなってて、
信号青信号とか緑屋の理由みたいな。
っていうのは青に対する関心が低くて、
一方で緑に対する関心が高いっていうのは、
育った環境に緑が多いと。
それはすごい太古の話で、
今青い建造物とかたくさんあるかもしれないけど、
基本的に森の中で育った人々は、
緑系とか赤系に対するものに触れることが多くて、
それゆえにそっち分野の言語をたくさん作ったと。
言語というかワードをたくさん作ったっていうのがあると。
一方でアイスランド、
確か僕が読んだ文献でもアイスランドだった気がするけれども、
青系が非常に多いと。
っていうのはそれはすごい有機に覆われていて、
当然白から青にかかるものはたくさん見ている。
一方で緑に関するものはほとんど見ていないから、
緑とかそっち方向の言葉は少ないという風になってて、
人の認知行動とか人の既視感とか先言ったような、
こういうものが形容しがたい、
言語化しがたいか言語化しやすいかみたいなところっていうのは、
割と育った環境にすごい影響を受けているような気がしていて、
それゆえに先言った、
例えばこういう作品って、
水面に見えるガラスとか、
すごい氷を見ている民族であるからこそ、
こういうのを作ろうっていう風に思えたのかもしれないし、
さらには例えばアイスランドでこの人はそのすごい人じゃないかもしれないとか、
すごいから多分世界に出ているっていう風には思うけれども、
アイスランドの人があえて例えばアメリカに出てきたから評価されたとか、
なんかそういうことも全然あり得ると思ってて、
っていうのはアイスランドの人にとっては普通のことが、
他の国の人にとっては形容し難いことになりうるというのは、
こうにしてあるような気がしていて、
だからそれゆえに僕らもアフリカとか行って、
適当になんか、アフリカは似てる。
逆にアフリカは多分緑とかそういうように似てるから、
僕らがそれこそアイスランドに行くとか、
そういうことをしてそこで緑をたくさん使った作品とかを出していくと、
なんでこの緑はっていう。
俺たちは青しか知らないのに、こいつはなんでこんなに緑を知っているんだと。
例えばそういう形容し難いっていうのがそこで生まれうるんじゃないかなっていうのを思いましたと。
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ありがとうございます。
1個訂正なんですけど、出身はアメリカで、
アイスランドに魅了されて何度も通ってるみたいな感じでしたと。
今の話で1個思い出したのが、
国によって虹色の色の数が違うっていう話があったと思うんだけど、
なんか日本は結構7色とかあるけど、
アフリカとかそっちに行くと4色とか結構違うっていうのはあるらしいですね。
なるほど。
だからまあ、受け取ったものをどう言語化するかっていうのの価値観というか、
その前提がそもそも違うみたいな。
まあでも、それは色だけじゃなくて、
日本って結構オノマトペとかそういうのもいろんなのがあると思ってるんだけど、
環境もそうだけど、
一つの要因として季節があるってところもあるのかなと思っていて、
やっぱりその痩せこけた大地、いわゆるアイスランドとかもそうですよ。
アイスランドはあれか、グリーンランドとか新しいかな。
アイスランドって一応カツカザンとか確かあったやつなんで。
なんかそういった白とかそういうのばっかり見てる地域と違って、
季節のある国っていうのは、
冬の寒さの中での色合いの違い、
白とか黒とかどんよりした空の色とかもあるし、
春の桜とかお花の綺麗な色もあるし、
夏の青々とした空とか茂っている緑とか、
秋の落ち葉の色とかいろんなものを見れているので、
虹色も色んな識別ができているのかなっていうのがあったりとか。
なるほどなるほど。
そういうのはあるかもしれないですね。
確かに。
その認知行動がやっぱり人によって違うよねっていう話すごい好きで、
ちょっと話変わっても大丈夫ですか?
はい。
話変わるんですけど、僕は霊感信じてます。
霊感。
僕自身はそういう体験はないですが、
霊感を信じるという発言をしている人間が嘘をついていないっていうことに対して、
僕は信じてますということを言いたくて、
さっきも言ったように、育った環境によって、
物事をどういうふうに認識するのかっていうのは、
かなり違いますよね、おそらく。
それは誰も確信は持てない。
なぜならば自分の感覚は自分しか知らないからっていうところで、
と思いつつも、
例えば友達にちょっと軽い色毛の人がいて、
その人は黒板の色かな?
黒板に、緑色の黒板に青いチョークで文字を書くと、
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もう全く見えないっていう友人がいて、
それは何かな?
でもそれはあくまで先天的なものではあるけれども、
それは嘘じゃないわけや。
青と緑を同じ色と認識しているっていうのが実際に実在していて、
それは疑わないわけやけれども、
一方で霊感は疑います。
割と認識がいびつやなと思っていて、
全く同じようなそれって感覚なんじゃないかと思っていて、
それが先天的か後天的かっていう話もあるけれども、
そもそも人が感じない感覚を感じていて、
それを霊感と名付けたっていうタイプと、
もう一つは人々がそもそも感じる。
例えば風邪ひきそうななんかよくわからないけど、
その時に多分体の中で血管がすごい激しく動いているとか、
何なのかわからないけれども、
体内で何かしらな事象が起きた時に、
これを霊感であると認知しているっていう後天的なパターン。
2つのパターンがあり得るとは思うけれども、
そもそも人が感じないのを感じているか、
人が感じているものを霊感として感じることにした人。
っていうので霊感っていうのは存在していて、
霊感を語る人とか人と違う感覚を語る人っていうのは、
決して嘘はついていなくて、
その2つの種類、
先天的後天的な何かを感じているのではないかと、
いう風に思うんですね。
今言ってる霊感っていうのは幽霊の方の霊感ではなくて、
どちらかというと予感とか、
ちょっとした第六感みたいなところの話?
あーっていうつもりで。
でも確かになんか調子悪いなっていう時って、
前触れがあることはあるよね。
喉の調子が良くないとか、
お腹の調子が悪いとかさ。
人間ってさ、体の外の触覚はわかるけど、
内側の触覚ってほぼ通覚ぐらいしかわからないと思うんだけど、
なんか今日のお腹の動きからすると、
今日はお腹壊しちゃうんじゃないかみたいな時とか、
あとなんだろうね、
なんか血液が回ってるなっていう感覚って
皆さんのお風呂入ってるとか、
カフェイン飲んだりした時に感じると思うけど、
なんかそれにもう少し踏み込んだところにあるのかなと思っていて、
なんか視覚のレベルというのかな。
そこが結構人によって違うっていうのは、
たまに感じることがありますね。
例えばあとは聴覚とかね。
人よりも耳が良い人とかさ、
いるわけで、
どっかからなんか音聞こえるとか、
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なんか揺れてないとか、
そういうのよくあるじゃないですか、
リシーンとかだと。
多分そういうのは、
なんて言ってね、
もちろん点々的とか好点的にもあるんだけど、
やっぱ人によって差分があるんだろうなっていうのは思いますね。
そうね。
だからこう、
みんなもっと優しくなったらいいのにっていうのは、
そういうところからすごく感じるなっていう。
なんか、
人と違うものが社会から入ったされがちみたいなのは、
起こりやすい。
やっぱりこう、
なんやろうな。
違うこと言っていて、
それが役立つ場合はね、
役立つ場合はじゃあ、
お前を動かして金作ろうぜみたいな、
そういう利用とかにつながって、
ちやほやされたいみたいなのがあるけれども、
それが役立たない場合に、
どうしても気持ち悪いものというか、
っていう風に捉える世の中は悲しいよねっていう風に思うな。
もうちょっと喋っていい?
どうぞ。
ちょっと話それるかもしれないまた。
はい。
いやー、やっぱ酒を飲んでると飛びますね。
あー、なるほどね。
そう。
そこですごい思うのは、
それもまた別のYouTubeのコンテンツかな。
何かで見てんけど、
日本人はいろんな人が同じであるという捉え方をしがちであると。
それは村文化というか、
みんな基本的に同じで、
だから努力は裏切らないし、
努力はみんな対等に努力ができるみたいな。
だから努力してる奴は偉いし、
逆に成功してる奴はムカつくし、
っていうのは自分と同じ存在なくせに成功しているという捉え方をすると。
だからそもそも日本人にありがちな思考として、
みんな同じという風な前提で物事を見ているんじゃないかっていうのを、
今ちょっと話しててふと思い出したなっていうので、
もっと成功する人はムカつくけど、
はじめから多分頭良かったんやと。
で、あいつはだから、
それどういう捉え方をしてもいいけど、
捉えてなくても、
努力することが楽しいっていうタイプやったし、
はじめから頭も良かったし、
イチローは凄いけど、
あいつは凄くないと。要は。
成功するべくして成功したって思うと、
足を引っ張るっていう概念ではなくて、
そういう人もたくさんいると思うけど、
イチローっていうコンテンツを楽しもうっていう捉え方でもいいし、
ああいう生き方もあるけど、
俺は違うなっていう風に捉えてもいいと思ってて、
24:00
それは、その思想は、
社会的に成功しているのはイチローやけれども、
全然成功してなくて、
イチローに対してあいつは違うなって思っている人は、
全然対等な存在やと思ってて、
でもなんか、
多分そういう風な捉え方をしている人って、
世の中に少ないような気がしていて、
なんかこう、社会的にどうとか、
で、あいつはなんか、
自分とまあ、要はイチローも自分も、
同じように努力すれば頑張れて、
対等な存在やったけど、
あいつはすごい努力してるから成功していて、
で、自分はそれできなかった。悔しい。
みたいなやったり、
同じ存在のはずやのに、
なんであいつあんな金持ちやねん。
なんであいつあんな野球うまいねん。
っていう風な捉え方をしたり、
じゃなくて、
自分はね、
今日なんか、スマートフォンで、
友達とポッドキャストを撮りながら酒飲んでて、
でも、たぶんイチローはこれできてないから、
俺の方が上っていうので全然いいと思うし、
別にそれそもそも比較する必要は全然なくて、
今めっちゃ幸せっていう時に、
なんか他の比較とか、
ちょっと話ずれる気もするけど、
人と比較するっていうのがなんかやっぱ違うかな。
で、比較する際に人と自分は一緒。
他人と自分は一緒と思うから比較が生まれるわけで、
そもそも違う何か、
要は自分以外はありやと思ったらいいんじゃないか。
それはちょっと極端な。
でも言おうとしてることはすごくわかるかなと思うんだけど、
結局なんかその、
集団行動してる中で、
なんか普通の人っていうのを教え込まれるわけですよね。
テレビとかでもそうだし、
付き合いたい男性の平均スペックみたいな。
その平均っていう言葉で、
あたかもそれが普通の人っていう風に見せてるけど、
世の中全く同じ人間なんているわけがないんだよね。
でもその普通っていう基準ができちゃったがゆえに、
そこから外れてる人は違う人っていう風に、
扱われてしまうっていうのがあって、
すごく苦労をするというか、
私は平均というか、
普通の人からこれだけずれてるんだとか、
人に対してあなたはこれくらいできてないので、
全然お金稼げてないですねとか、
最近だと身長がないのはダメだとか、
っていうのが話題になったりとか、
あと最近見たので言うと、
ドキュメンタリーとかで、
土日とかでやってたのかな。
婚活女性の方が、
私は普通の男性と出会いたいんです。
って言ってる話があったんだけど、
じゃあその普通ってなんだろうっていうところだよね。
なんかそういう話とかをしてる中で、
誰かに習って、
そういう風に勝ちたいとか、
競争したいっていうのも、
もちろん新しいものが生まれる意味では大事なんだけど、
27:00
そこで、
なんだろうね、
気がみとかさ、
恨みとかさ、
そういうのを持つのは違うんじゃないかなとは思うね。
よく基準みたいなのって付けられちゃうよね。
どこに見ても。
平均年収とか、
平均身長とか、
平均って言う言葉が日本人は割と好きな説はあるよね。
生まれた環境が違うのに、
みんな平等でいましょうとか。
あとなんかよく、
絵とかであるけど、
身長の違う3人が、
野球のゲームを見るたびに、
壁に寄りかかってるみたいなのがあって、
3人に対して、
平等に椅子を乗せるっていうのかな。
っていうのが平等と思ってる人もいれば、
大きい人はなし、
中間の人は1個、
一番実際の人は2個みたいな形で平等って捉える場合もあって、
人によって、もちろん考え方は違うにしても、
そういったように、
人との違いっていうのを、
真に受けちゃって、
怒っちゃう人とか、
差別しないでくれっていうことを言う人ももちろんいると。
いうところですよね。
そうね。
確かにおっしゃる通りでもずっとこう、
相対的に評価されて、
そうなる理由の一つの要因として、
これまで話してきたところにも通ずるところな気がするけど、
言語って基本的に相対的であると思ってて、
言語はすごい相対的やし、
さらには数字はさらに相対的よね。
定量的に考えましょうとか、
今社会人なのですごい話を聞くけど、
定量的っていうのはかなり相対的な概念やし、
そもそも言語っていうのが、
さっきも言ったように、
すごい相対的であると。
形容詞なんて全て比較した表現でしかなくて、
形容詞がなくなるともう名詞だけになって、
それでは何も語れないっていうのは確かにあるけれども、
美しいっていうのは美しくないものがあるから美しいっていう、
比較することによって生まれる概念やし、
その中でいかに絶対的になるのかっていうのは、
すごい難しいことだとは思うけれども、
まずはそれを認知してほしいなっていうのは感じるな。
例えばさっきあっちゃんが言った話で、
普通の男性に出会いたいと言っている婚活女性がいるっていう話も、
それを発言する前に、
あれ、自分なんかおかしいこと言ってるかなと感じなかったから発言してるわけで、
そこに対して違和感感じていないっていうのが、
より大きな問題というか、
どうしても相対的になってしまうが、
そんな自分を認知していると。
30:02
自分は相対的になってしまいがちであるということを認知していると。
というところには、
みんながなったらもっと幸せな世の中になるんじゃないかなと。
出る杭は打たれるっていう言葉は日本であって、
それもあまり好きじゃないんだけど、
平均化しようとしすぎているところがあるし、
みんなの根底にも、
どこか人と同じじゃないところに嫉妬をしている場合もあれば、
そういうのはすごく不毛だなって思いますね。
やっぱりみなさん、改めてスマップの歌を聴いていただいて、
オンリーワンを目指していただいた方が幸せになれるでしょうね。
かけたいですね。
それではお聞きください。
スマップで世界に一つだけの花。
ここでジングルが入るんですね。