別にそれで慌ててるとか、どうしようみたいな感覚がなくなるわけじゃないけど、とはいえなんかもう別にどうしようって言ってもどうしようもないしなみたいなので、それで切り抜けるというか、成り行きに任せつつ、なんとか通過していくみたいなものもあれば。
そういう別にこれをやったりやらなかったりしても、別に死ぬわけじゃないしなみたいなマインドを持つものだったら割とそういうものに選んだろう。
なるようになるさぐらいな、ある種意識的に楽観的になろうみたいなのはあるかも。
でもとはいえさっき言ってたみたいに災害とか、災害とかだけじゃなく、例えば人間関係とかも、やっぱりそれって自分でどうしようもないこととか、でもなんか下手したら、なんかちょっと自分の死ぬまでいかなくても、ちょっとだいぶメンタル的にもコテンパンにやられるかもしれないみたいなものとかって、
成り行きに任せてるだけだと、いろんな傷を負うことになったり、本当状況的にどうしようもなくなったりするから、そういう状況とかって自分の中でもいくつか思い浮かんだりして、
で、なんかうまくいったとは思わないけど、でも結局なんかどうしようもなくなった時って誰かに頼るしかないみたいな、なんかいろいろ自分で考えて自分ができることをやってみた結果、それでもどうにもならないんだなみたいなのになった時って、もう結局誰かに頼らざるを得ないから、
だからなんか本当に自分のこれはコントロール外だっていう風になって、いろんな人に頼ったり相談したりして、まあなんとかそれなりにみたいな感じになったりっていう感じかな、なんか今までのいろいろあったこととかをなんか思い浮かべながら考えてみると。
なんかその人に頼るっていうのはなんか昔からできた?
全然、てか今でも多分不得意だと思う。なんかあんまり頼るイコールなんか迷惑をかけてしまうみたいな感情になりがちで、だからなんかあんまりなんかそう頼らなくていいところまでは頼らないでおきたいみたいな。
ギリギリまで。
でもその結果状況が悪化したりとかもしたっていう経験もあるし、だからなんかやっぱり昔も別に得意じゃなかったし、今も全然得意にはなってないけど、でもなんかもうどうしようもなくなったら本当にやっぱり自分でできないからどうしようもなくなってるんであって、
だからやっぱどうにかそれこそ切り抜けるためには、なんか誰かに頼らないといけないみたいな風になったっていう感じ。
じゃあなんかその頼らなくて良ければ頼らなかったのにみたいな感じではある?自分で例えばすると。
なんか頼らなくていいなら頼りたくないみたいなのありつつ、でもなんかそれって不可能じゃんって思って。
だからなんかあんまりその頼ってしまったことを、いつまで経ってもあの時頼ってしまったみたいなネガティブに捉えたいわけではなくって、
なんか上手いっていうか、人に頼るの上手くなりたいみたいなのはあるんだけど、そうだからなんかそういうのがありつつ、でもやっぱりなかなか得意になれない。
なんかマインド的になんかもうそういう風に思ってしまうっていうなんか癖みたいなのがあるから、なかなかそうはいかないけど、そうありたいみたいには思ってるっていう感じ。
そうね、難しいよね。迷惑かけたくないと思っちゃうもんね。
なんちゃこ?
なんか私もなんかこの問い考えてて、それこそそうね、私は割と自分の基本的にそれこそ家出る18とかぐらいまでは、
自分のなんかそれこそ暮らしとか生活が自分のコントロール外にあったと思ってて、だからなんかその常に想定外のことが想定内みたいな感じ。
いつも起こることすべてが多分自分が行ったことない場所に引っ越しさせられて、知らない、会ったことない人たちとまた一から関係を築き直しみたいなのをずっとやってたから、
なんかそのなんていうのかな、自分の中で誰にも言わない範囲でなんか自分で勝手にこう計画とかを立て、なんか自分でそれを達成するみたいなその自分の想定外の人生の中に、なんかその想定内の囲いみたいなのを作って、それを自分で達成するみたいなのをやってたから、
なんか逆に今なんかそれこそ大人になり、自分である程度住む場所を選んだりとか仕事を選んだりとかできるようになって、なんかまあそれこそ割といろいろなことが自分のコントロール下にある状況で、なんかその癖が抜けない、なんかその計画を立てたりとか、
何かその未来に向けて自分のコントロール内に収まるように何かを決めるみたいな癖が結構強く残っていて、だからなんか逆にそこその何計画なり何の通りに行かなかった時の、何自分の反応というか、それに対してのなんていうのかな対応の仕方があまり上手くない。
っていうのがなんか逆にあって、なんか最近それあるなーみたいなここ数年すごい思ってて、だからなんかその自分で結構計画して、それを計画通りに進めるみたいなのが結構自分の中では自分の精神を保つまあ一つの方法であって、だからなんかそれがその通りにいかなかった時に、
結構なストレスを自分は感じていたんだなみたいなのを最近ここ数年ぐらいで、なんかそのさ自分の中でもあんまりうまく言語化できてなかったから、なんかなんかこうそれそれがこうかまあ例えばその思っていた通りに何かがいかなかったりした時の、なんか自分の中でのモヤモヤでした、なんかその暗い感情みたいのが何かよくわかってなくて、
なんか嫌な感じとかなんか自分不機嫌とか周りに当たってしまうみたいな感じの自分がいて、なんでこんな反応を自分はしてるんだろうみたいのがあんまりそうよくわかってなかったんだよね。
それでなんか最近本当に自分でこういろいろ考えたりとかまあいろいろ振り返ったりしてて、なんかそのその通りにそういかなかった時のなんていうのかな、ずっとそれでなんとかそのやってきたみたいな癖がすごい強いのと、
その通りにいかなかった場合のどうなるのかわからない恐怖みたいなのに対しての免疫っていうか、なんか自分の精神的な面での対応がうまくいってなかったみたいなのがすごい最近気づきとしてあって、だからなんかりょうちゃんのそのポジティブな諦めめっちゃいいなっていう話。
すごい、そういう風になりたい、それこそ憧れって思った。
そうなの?
話聞いてて。
なんか完全に諦められるわけではないけど、なんかマインドセットとしてなんか。
いいよね。
さっき話聞いててめっちゃいいって思って。
そうなんだ。
寝荷物からさ、なんか行けなかったみたいなのも、なんか行こうと思ってたのに行けなかったみたいなのも結構自分の中で長くくすぶってるから、なんかちょっとポジティブに諦められるようになれたらいいなって話聞いてて思った。
でもなんか考えてみて、やっぱなんか特に親とか家族で一緒にいると、なんか当たり前っちゃ当たり前だけど、なんか自分一人で何かできるわけじゃないし、なんか特に自分が未成年で、親保護者でっていう状況で、親がいろんな生活の決定権を持ってるわけで、
なんかそういう中だといろいろ自分では決められないこととか、なんか自分がそうしたくないのにそうせざるを得ないみたいなのってめっちゃあったし、でもなんか私は別にその中、それもなんかもう流されてたっていうか、なんかその中であえて自立的に計画立てて、なんかそれを達成するみたいなのもなく、
っていうか、計画を立てることがすごい苦手。今も苦手だし、計画立てるの。そう、無計画すぎて今ちょっとあーってなることが結構あるんだけど、なんか計画立てること自体も苦手だし、例えば立てたとしても立てて終わっちゃうみたいな、なんかそれを達成できないみたいなのがすごいあって、
だからなんかあんまりそういうの私は昔からなく、そう、だからなんかそういうふうにして、なんかある自分の、なんだろう、自分の主体性みたいなものを、なんかそういうふうにむーちゃんが獲得していってたんだみたいなのを、えーっと思ってなんか聞いてて、今。
計画を立てるっていうか、そうね、私もなんか計画をなんか立てるっていうか、なんかその自分の中で何かを決めるみたいな感じかな、なんかその自分がある程度こうしたいって思うことを思うとか、あの、そうだね、なんか私も割と計画を立てるのは好きで、でもなんかその達成するのは割と苦手だったりする。
あんまりその計画通りに何かを進めるみたいなのがうまくできなかったりすることもあるから、あれなんだけど、なんかその計画を立てること自体になんかその快感っていうか、なんかこれで自分のまあある程度の道筋が見えるぞみたいな感じ。
安心、安心するっていうか、それに対しての達成できる達成できないみたいのは、まあ半々ぐらいの期待ではいるんだけど、なんかなかなかそうだね、想定外のことってまあそれこそたくさんあるけど、さっきりょーちゃん言ったその人間関係の想定外は、
なんか一番対応が難しいというか、なんか経済ハイケースだし、なんかその本当に自分ではどうしようもできないじゃん、自分がここまで引っ張ってきてここまではできるけど、ここから先はなんかこう本当に相手次第みたいなところ、半分以上だから、
それに対して例えば自分がここまでやって、相手がそこまでやってくれなかったりとか、なんかそれに対してまた違う、なんていうのかな、変化期を投げてきたりすると、またここから次の、次の想定外がまた次の想定外を生みの、なんかそのサイクルが結構続くじゃん。
むずくない?そこから抜けるの。
そう、だからなんか結局自分ができることにも限りがあるし、なんか特になんだろう、相手のことで自分もなんか影響を受けてしまうみたいな状況の時に、自分がなんかしようがしまいが状況は変わらなかったり、
変わったとしても、なんかそれはその自分が変えたことに対して相手が反応してくれた場合にのみ変化は起きるかもしれないけど、自分だけなんかしててもあんま意味ないみたいなのって結構あって、
でもなんかその自分がかといってなんか何もせず、もう一抜けみたいな風にできるわけでもなく、やっぱりその人と関係がある以上、どうやっても自分が常にこう巻き込まれちゃう。
でもその巻き込まれないようにしようってすること自体は、やっぱり関係している限りできないっていうのが、やっぱり人間関係の対応の多分難しさにある気がして。
むずいよね。なんかそういう時どうしてる?なんていうのかな、自分の中でこう何か、まあそれこそここまで自分やりました、でもなんかほんと相手のこう入ってくるものを待ってるとかっていう時って、
なんかほんと自分、なんかそういう時もやっぱりこう例えば相手がやっぱりそこにまで来なかったとした場合にとかは、やっぱり結構なんていうのかな、メンタル的に来るよね。
来る。
そこはポジティブな諦めではないよね。
ない。やっぱ人間関係はそういう難しさがあるし、
簡単に諦められないし、やっぱりなんか自分も相手に期待しちゃうから、なんか自分がこうすれば相手がこう動いてくれるんじゃないかとか、
自分がこう変われば相手がこういうふうに対応を変えてくれるんじゃないかとか、そういうふうに期待して動いて、
でもなんかその結果、なんかあんまりやっぱ人を変えるのってめっちゃ難しいじゃん。
そうだね。
だから大体は自分が何かしようが相手はあんま変わらなくて、でもなんか常にずっと自分もその状況に巻き込まれてて、
だからなんか何かを、アクションを起こすたびにしんどくなるとか、傷つく、勝手に傷ついちゃうみたいなのがあって、
なんかやっぱりそれでメンタル的に沈んじゃうとかっていうのが多々あった。
このなんかポッドキャストも何回か話したけど、なんかその期待するしないみたいなのって、
なんかでもそこを諦めてしまったら、なんか人間関係がどうなっちゃうんだろうっていうのもあるから、
なんかその全く期待しないっていうのもちょっとあれは難しいけど、
でもなんか自分のメンタル守るためにもっていうところとのなんかその難しい葛藤っていうかみたいな。
だから多分なんかやっぱりある程度その人と関係を続けていきたいとか、ちゃんと関係を維持したいみたいな風に思えてる場合って、
やっぱりある程度相手にも期待してるっていうことだし、
本当に期待しなくなったら多分もう関係を断つとか、もう関係をしたくないみたいな状況になって、
初めてその人に期待しないっていうことができるのかもしれない。
でもなんかその期待する前提っていうか理由自体も多分その人と築いてきた関係性の中で、
相手がその自分の期待に応えてくれたみたいな過去例があるから、やっぱそれを続けていきたいみたいなっていう風に多分お互いに思うみたいなところは多分あって、
だから多分今リオちゃん言ったみたいになんかそもそも相手に期待しなくなるときってそこで関係性が消えるときっていうか、
もう何も相手にそれこそ思わないっていうかさ、何もこれこうしてほしいとかもないし、ここまで来てほしいみたいのもないし、
別に何でも自分は何とも思わないっていう風なところになってるからっていうのはあるのかもしれないけど、
人間関係みたいのが一番難しいかな。
そうかも、なんか人間関係のある種そういう想定外とかが一番なんか対応難しい気がする。
それこそ何をすればいいかっていうのも明確じゃないし。
人間関係、でもなんかある程度関係性築けてる相手であれば、なんか何かしらの道は開けてくるかもみたいな希望的なものはあるけど、
そうじゃない関係性だった場合とか、まだ関係性を築いてる過程とかだったりすると、なかなかなんかそのそこまで信じきれないみたいなのもあったりして、
なんかその一回のそういう願いで、なんかこうすべてカオスになってそのまま経ってしまうみたいなのもあるかなっていうのはある。
めちゃくちゃ思い当たる気がある。
具体的なレースも。
そうなんだよね。
なんかあんまりこう、前回のポッドキャストの時も言ったけど、なんかあんまり人間関係ゼロ百にしたくないし、
なんか簡単にこう一回こう繋がった人との関係をバツンって切るみたいなのも、なんか過去にやってしまったからこそもうやりたくないなみたいなのはあるけど、
でもやっぱりなんかこう本当に自分にとって大きな出来事としての想定外みたいな何か状況があった時に、
やっぱり本当関係値として結構いろんな積み重ねがあるとか、それこそ長い時間をかけてこう気づいてた関係があるとかじゃないと、
やっぱその大きな一度の想定外で、なんかいろんなその過去のことも含めて、なんかガラガラガラガラみたいな感じで、
オプセロのなんか全部こう、最初全部白だったのに間挟んで一気に全部黒になるみたいな感じで、
なんかそれでなんかこう相手への信頼感がガクって落ちてしまうみたいな。
その結果、意識的に切ったわけじゃないけど、ひるひるひるひるひるみたいな感じで、なんかそうそうっていう経験がありますっていう。
なんか悲しいよね。だってそこまでさ、やっぱりずっと気づいてきたわけじゃん。
で、なんかその時間が別になかったことになるわけではないけど、
そこに耐えきれなかったっていうか、その想定外がやっぱり何かを大きく崩してしまうことになるっていうのって、
なんかまあそれこそ、それがやっぱりだから想定外っていうのかもしれないけど、
なんか自分がやっぱりその想定してなかった範囲で、そういう反応とか対応とか何かが返ってきてたわけで、
そうだね。なんかそこでの想定外が、そのそれが関係性がほどけてくのを止められなかったみたいのって、
やっぱりその想定外の出来事自体の規模っていうか、とか内容に影響されるのか、
それこそ、それが例えばすごく大きな想定外だったとしても、
例えば相手がそこからそれをまた関係性を再構築していきたいみたいなものがあれば、
つながり続けられるのかな。そのやっぱり一撃って大きいのかな。
多分そのそれも内容とか関係性によって全然変わってくると思うんだけど。
なんか私、めっちゃ具体的な人の顔を思い浮かべながら話してるんだけどさ。
なんかそれでなんか考えてたのは、
なんかその想定外のでかさもでかさだったけど、
なんかそのそれだけじゃなくて、その後にお互いに話すこと、聞くことみたいなのに、
どれだけ耐えられるかみたいなところだった気がする。
お互いがそれに耐えられるか。
お互いがその後にその想定外だったその出来事に対して、
どれだけ話し合いに耐えられるか。
やっぱりなんか話すことができないとか、
なんかやっぱそれって関係値も問題してる問題になると思うけど、
なんかやっぱ話すことができるか、どれだけ正直にみたいな。
なんかそれに対してどれだけ聞くことに耐えられるかみたいな、
お互いの耐える問題みたいなのも結構あったかもと思って、
自分の話すことを頑張ってみたつもりだけど、
やっぱりなんか例えば別の人との関係を考えた時に、
話すことをある時点で諦めてしまったかもとか、
自分でなりの言い分を聞く、
それをそのまま受け取ることに耐えきれなかったかもとか、
みたいなのがある気がする。
なんか単純にその出来事そのものの大きさだけじゃなくて。
なんかその後のお互いの対応によっては、
そこが繋がり続けられた可能性もあったかもっていうのはある。
そうだね、だから私だけがとか相手だけがみたいな問題じゃなくて、
お互いにそこまで自分たち自身の関係のために話すこと聞くことみたいなのに、
耐えきれなかった側面が結構あった気がすると思って、
諦めてしまったみたいなのもあるかもしれないし。
でもそこはりょうちゃん一人ではコントロールできることじゃないから、
やっぱり両方が同じぐらいの温度でやってこないと、
そこにやっぱり温度差があったりとか、
感覚の違いがあると多分絶対うまくいかないっていうか無理だよね。
そうそうそう。
同じだけ聞けるか同じだけ話せるかみたいなのもある気がして、
どっちかだけがひたすら自分の言い分だけを話したいで、
相手に聞かせたいみたいになっちゃうと、やっぱそれもうまくいかないし。
バランスの問題もすごいある。
想定外話でこういう話になると思ってなかったけど。
想定外の話が想定外の方向になってきてるけど。
なんかむーちゃんはどう?
人間関係においての想定外とか。
関係の想定外はそうね。
なんかでもりょうちゃんの話聞いててすごい思ったのはやっぱりその、
なんか想定外の出来事の大きさ、内容うんぬんもあるけど、
やっぱその後だよね。
なんかその後、いかにお互い同じレベルで聞いて話せるかっていうのに、
なんか全てがかかってる気がする。
なんかその想定外のこと多分すごいたくさん日々起こると思うし、
なんかその付き合いが長くなればなるほど、
多分なんか人生それぞれの生活とか人生で起こってくることもだいぶ変わってくるから、
そういう違いとかずれによって起こる、なんていうのかな、
コミュニケーションのちょっとずれだったりとか、
まあそういうのもあると思うし、
それがきっかけの想定外のことも多分たくさん出てくると思う。
だけどやっぱりその関係性を長く続けるっていう面では、
なんかそこを何度もその想定外の後に何度もお互いが
同じレベルで戻ってくるみたいのがすごく必要だし、
それができるからこそ続いていくんじゃないかなっていうのはすごく、
今リョウちゃんの話聞いてて思ったし、
自分のこういう長く続いている関係性を考えてもすごく思うかな。
なんか昔はそれこそ想定外のそういう人間関係のことあったら、
なんか逃げるみたいなのが私の対応の仕方だったし、
そうね、基本的に切るみたいな、立つ、連絡立つとか、
無視するとか、それこそ本当に変身しないとか、
そういう感じでやってきたけど、
そういうなんか本当に自分が続けたいなって思った関係性を、
そんななんか自分のそういう、
無対応さによって失いたくないみたいなのもすごい思ったし、
逆にその自分がちゃんとそこと同じぐらいのレベルで歩み寄ろうとすれば、
なんとかなるんだっていう、成功体験って言うほどでもないけど、
それでなんとかなったみたいなのもあったからこそ、
なんか自分もそれをやれば、
相手も多分同じぐらいのことをやってくれて、
そこである程度のそのズレを調整する、
何かみたいなのがお互いにできるんだっていうのを実感したからこそ、
多分それを前よりもできるようになった。
まあそれが上手く、上手いっていうわけではないけど、
まあそれこそ前に比べたら全然マシになったっていう話なんだけど、
やっぱりでもそれって一人でできることではなかったから、
やっぱり相手もそこで私を待っててくれたというか、
その自分が私がそこに出てくるまでを、
ちょっと待っててくれたみたいなのがすごい大きいかな。
だから多分そういう相手だったりすると、
自分が例えばそういうふうにずっと避けてきたとか、
逃げてきたっていう側だと、
どうすごい一歩踏み出せたりできるのかなっていうのはあって、
だから決して一人でできることではないし、
まあそれこそ人間関係だから、
私と誰かが常にあるわけだから、