00:06
じゃあ、後半?後半って言うのかな?
後半の方に入っていこうかなと思うんですけど、どうしますかね、これ。
なんかあの、課題図書じゃないけど、
みなさん読んできた本があるということで、いいんですかね?みなさん読んできました?
読んできましたよ、読んできました。
素晴らしい。本のタイトルは、
不安型愛着スタイル~他人の顔色に支配される人々って言って、
岡田尊司さん著作の本を、
かなえんさんがちょうど読まれるところだったというのもあって、
じゃあ、僕らもちょっと読んでみようかと言って、
今日、それを中心に、なんか話できたらいいねーぐらいの、
かなり、やんわりとした設定なんですけど。
まず、なぜこの本を読もうと思ったのかっていうのがすごい気になるんですよね。
自分は絶対これを読もうとは思わないなと思って、
かなえんさんがなぜこれに興味を持ったのかっていうのをちょっと聞いてみたい。
そうですよね。なんかこれ、もう人に話すかどうかをまずは迷って、
昨日までこのテーマで本当にいいのかっていうことを課題として出したようには思ってたんだなって。
私自身がこの不安型愛着スタイルの傾向に、
どう考えても当てはまっちゃうなっていうところがあったんで、
だいぶ苦労したところも昔あって、
最近もうそのスタイルからほとんど解放されてはいるんですけど、
それにあえて今向き合ってみて、
じゃあどうやったら、
あの、なんでしょうね、大きい概念で言うと、
人は自分自身が幸せだと思う方法で生きられるのかみたいな考察を自分なりにしたところもあったので。
ちょっともうそれはご自身で、
だいたいこんな感じなんじゃないかみたいのは一通り一旦答えというか、
仮説みたいのはつかめたってことですか?
そうですね。不安型愛着スタイルなりに結論づけた部分はあります。
それは聞かせていただくことはできます?
そもそも不安型愛着スタイルとは何かっていう話なんですけど、
まず幼少期の愛着形成に若干課題のあった人がなりやすいもので、
子供の時に母親とかにうまく甘えられる環境ではなかったり状況ではなかったりしたがために、
03:09
大人ぶってしまってた子供自体っていうところで、
本来であればその愛着形成っていうのは、
母親に甘えたり友達とぶつかりあったりして、
うまくその人とのうまくいかない時のやり過ごし方とか、
愛情のやりとりというか、甘えることで自立していく部分っていうのを子供時代に消化しなければいけないんだけれども、
うまいこといかなかったがために大人になってそれを繰り広げるっていうことが一つの症状としてあって、
不安型愛着スタイルの人はとりわけ、
例えば一人の人をすごく信じてしまって、
その人に嫌われたりするとすごく自分がもう存在価値がなくなってしまうんじゃないかっていうふうに考えたりするような症状を持った人たちのことを言っていて、
女性では人口の2割というか、人口って母数がわかんないですけど、
世界が日本だったか忘れちゃったんですけど、
2割くらいいて、男性では1.5割くらいいる、結構意外といっぱいいる人たちみたいなんですけど、
そういう感じなんですね、まずはそのスタイル的には。
なんか今の説明結構ぐちゃぐちゃになっちゃったんですけど、なんか大丈夫そうですか?
大丈夫そうですね。
大丈夫だと思いますよ。
わかりましたね。
不安型愛着スタイルとはこういうものなのかっていうのはわかったと思いますよ。
不安型愛着スタイルみたいな人が解消されていく、不安から脱却していく過程って、
いろんな人がいろんなことを言っているけれども、
なんか一つ私の好きなYouTuberの、精神科医の人のYouTuberがあって、
その人が言ってたことは、諦めと受容を手に入れるっていうことだったんですよ。
はい。
で、諦めっていうのは、不安型愛着スタイルの人は、
その人は例えば異性を好きになった時に、その人がいないと生きていけないとか、
その人が自分のこと嫌いだったら、もう存在価値がなくなっちゃうっていうふうに感じるような人たちなので、
なんかそういう感情から自分を解放したりとか、っていう工程が必要になるんですけど、
06:03
そこで、諦めっていうのは、
ある種、相手に対して失望するとか、どうでもいいっていうふうに思うっていう意味ではなくて、
私の解釈としては、相手との関係性が問題ではなくて、
もともとの生い立ちの方に問題があるっていうことに気づいて、
で、それをある種受容して、
さらに相手に対して求めること、
自分を愛してほしいとか、ちゃんと相手にしてほしいって思うこと自体はみんなあると思うんですけど、
それにしがみつきすぎるので、
なんかそこを、相手に求めなくてもいいように、自分の中で自分を満足させるというか、
そういう意味での諦め。
で、そうすることによって、行動の面から見ると、相手を信頼して、
相手に信頼するということで、リスペクトっていうふうな意味合いにもなってくるので、
良好な関係になるっていう結論なんですけど、ちょっとなんかだいぶ飛躍しちゃってる気もするので、
自分で自己解決した流れを説明してるだけなんですけど。
かなえんさん的には、不安型愛着スタイル、自分が当てはまるなと思って、
どういう困ったことがあったんですか?
辛かったことというか、どういうネガティブ要素があったんですか?
なんかその、相手に左右されちゃうところが、多分不安型愛着スタイルの人の一番、
自分も辛いし、相手も辛いところで、
自分としてはその、相手のいちいち小さな、人間だから何でもこうあるじゃないですか、
もういいよとか、ちょっと疲れたから、会うのやめようよとか、
そういう瞬間ってあると思うんですけど、それを過度に反応してしまって、
私が悪かったんだとか、自分が価値がないから嫌われてるんだ、みたいに極度に思ってしまうことが、
不安型愛着スタイルの人たちの特徴なので、
それが多分一番、そこにどっぷり使っちゃってる状態が、
メタ認知できてなくて、ずっぷり使っちゃってる状態が、辛いっていう感じだった。
それがなんですか、自分がメタ認知できて、楽になったみたいな感じなんですか?
そうですね、メタ認知するための過程って結構大事で、
09:05
新雪の丘ってよく言われるんですけど、
雪山に真っ白な、山に真っ白な雪が積もった後に、
そりでひくと一つ一本道ができるじゃないですか。
もともと自分の家庭環境とか、最初に入った会社とかでもいいんですけど、
そういうものの、最初にできた道ってそういうものだっていうふうに自分で認識。
そういう世界も他の世界もそういうものなんだっていうふうに、
そのラインが最初引かれることによって、考えちゃうっていう部分が、
どうやら違うんだっていうことを他の経験を積んで見ていくことで、
自分の世界っていうものを俯瞰的に見られるようになるっていう感覚だと思うんですよね。
相対化できるみたいなことですかね、最初の経験を。
そうですね。
2つ目、もしくは他のことを通して、メタ認知ができた。
だからそれによって、自分がもしかして、
不安型愛着スタイルなのかっていうふうに、
自己分析できるようになったというか、メタ認知するようになったっていうことなんですかね。
メタ認知して、分かってはいるけどやっちゃう。
そうなっちゃうっていう部分も一方ではあるので、
そのどうしようもない部分を解決していくのが解釈の部分だったりとか、
あとは、もう諦めっていうところで、そこに自分の欲求をそこで満たそうとしないとか、
人間関係で満たすじゃなくて、例えば仕事で成功をすることによって、
自分自身に価値を生み出していくというか。
だから何か一つ、その人間関係にどっぷりつかるとか、
なんかその、仕事だけじゃなくてバランスで自分を保っていくというか、
そういうのがきっと必要だろうなっていう感じですね。
この不安型愛着スタイルを読んでて、僕思ったのが、
自分の妻も多分そういう傾向あるなと思ったし、
言うなれば自分もそういう傾向あるなと思って、
むしろこの不安型愛着スタイルじゃない人なんているんかなみたいなふうに思ったんですけど。
12:04
いや、全く同じこと思ったよ。
思った思った。
思った。
これ誰にもあるんじゃないの?この要素って。
これ、やっぱ度合いとか程度の差はあるとは思うんですけど、
何かちょっと親切にしたことがあって、
でもそれが、例えばうまく受け取られない時とか、
人間関係、嫌われる勇気の方にも、
人間関係うまくいかないことがあるみたいなのが書いてあったと思うんですけど、
そういうのを経験していると、
自分もこういう傾向あるな、自分ももしかしてそうなのかもっていうのは僕も思いました。
一応。
みんな思ってる。
我々さっき音楽が好きだとかって言ってたじゃないですか。
だからそういう比較的文化系というか、
そういうのに興味を持つ人って少なからず、
そういう傾向あるんじゃないかなと思ってて、
僕も人とのコミュニケーションみたいなのがうまくいかなかったから音楽の世界とか、
多分本を読むとかそういう世界に逃げ込んだんじゃないかなっていう人の方に期待しないというか、
そっちにあんまり自分の気持ちを持たないようにするために、
音楽の世界とかに振り向いていったんじゃないかなって思ったりしたんですけどね。
表現できないというか、その場ではできない言葉とか思いとかっていうところが音楽に向けられてる。
そうだと思いますね。
なんか思った通りにいかないというか、人とコミュニケーション取ってて。
愛着障害、愛着スタイル。
なんかいろんなタイプがあるってこの本に書いてたと思うんだよね。
同じ不安型愛着スタイルの中にも脅迫性とか、
回避型、
あとは自己愛、境界って境界っていう意味の境界と、
あ、脅迫性か最初の。
なんかこういうのは見てて、あ、これは自分に近いなとか、
この部分強いなみたいなのは、なんかあります。
なんかさ、この本の最後にさ、テストみたいなやつがあってさ、自分が何タイプかみたいなのを。
15:00
え、あ、そうなの?最後。索引のところで止めちゃった。
診断するやつがあって。
あった?
そうやってやりました?かなえんさん。
あ、やってない。
最後のやつやってないかも。
やってない。
ただたまにちゃんと言ってもらいたい。
そう、一応僕やって、これは僕あれでしたね、あのなんだっけな、回避安定型スタイルでしたね。
あ、なるほど。
僕もその、なんだろう、愛着障害的なのがあって、たぶん人と、なんだろうな、
とにかく回避タイプなんですよ。人とあんまり関わりを持たないようにするっていうたぶん傾向があって、
それはなぜかっていうと、他人と関わると自分の心が乱されるっていうのがあって、
それが嫌だから回避っていう方向に行ってたんですけど、たぶん途中から、僕もさっきメタ認知がだんだんできるようになっていって、
そこがね、だんだん安定型の特性を自分で身につけていったような気がするんですよね。
だからさっきかなえんさんも、メタ認知できるようになると楽になるみたいな話されてたのはすごいわかるなと僕も思いましたね。
なんかそういうのがポッドキャストの話に戻っちゃうけど、
ポッドキャストとか聞いてると、メタ認知できて世界が広がる感覚ありますけど、
なんかそうすると、なんかこれでいいんだとか、なんか居心地が、別に世界は変わってないのに、自分の考え方が変わっただけで居心地が良くなるとかありますよね。
いや、まさにそれが白米FMなんですよね。
自分の認知をハックして、世界は変わってないんだけど、自分の認知が変わると、世界が変わるというか楽になるというか、
そういう意味合いが込められてるんで、まさに白米FMはかなえんさんのためにある番組だと思います。
究極に宣伝されましたね。
聞いてください。
でもだってそうでしょ、しおくん。
参加者の方がどっちかというとね、そういう傾向あるかなと思うから、まさに参加してもらってるのが、
参加して、自分で話すことによって認知を変えるみたいなのが一番貢献率が高い気がするんだよね。
だから今まさに参加してるっていうので。
実践されてるから。
だからそういうニーズあるだろうなと思って、この番組やってるんですけど、
18:02
かなえんさんの話を聞いて、やっぱそういう風に感じてる人いるんだっていうことが分かって、僕は今嬉しかったんですよね。
同じように、自分の認識が変われば、物理的な世界が別に変わってるわけじゃないんだけど、
自分の認識を変えれば、それだけで世界が変わるというか、心が楽になるというか、
同じことを考えてるなーって思ったっていう話。
あとまた別の視点で思うのは、
自分がどうしたから相手がどうなったみたいな、
イコールの関係ではもう、なんか世界って全然そうじゃないなっていうふうにすごい最近感じていて、
だから本当に、なんでしょうね、有機的にもう周りが動いていて、
最近その前親しくしてた人で、しばらく連絡を取ってなかった人から連絡をいただいたりとか、
その方のタイミングで多分あると思うんですけど、それって予測がつかないことじゃないですか。
自分自身はどうするかっていうのは自分では決められるけれども、
いろんな人のいろんな思いが世の中にたくさん交錯していて、世界が有機的に動いているから、
なんか、自分の出した意思ってどこに当たるかって正直わからないし、
なんでしょうね、だからそう考えると、なんでしょう、
ご縁とか運とかそういう部分で動いている部分がいっぱいあるから、
一概になんだろうな、結局その自分がやったことが悪かったのかなとか、
自分の責任かなとか、なんかそういう思考に落ち着くのはちょっとナンセンスなのかなと思ったりするときもありますね。
何か場合によると思うんですけど。
そうですね。なんだろうな。
自分のせいって僕あんまり思わないですね。
なんでだろう。
なんかあの、嫌われる勇気に、あ、嫌われる勇気って読みました?
あ、読みました。
なんだっけな、課題の分離ってあったじゃないですか。
なんかね、それがかなり自分が徹底できてるような気がしていて、
なんだろうな、相手がどう思うかみたいのは自分じゃコントロールできないし、
21:00
なんかそこは別にどうでもいいみたいな感じで僕結構思ってる気がしますね。
なんかそういうふうにあんまり思えないのが、結構その愛着スタイル、不安型愛着スタイルの、
なんかネガティブな要素だったりするのかな。
そうなんじゃないかなと認識はしても。
自分が何かを、良くないことをしてしまったから相手がこう、
自分に対してネガティブな評価をしてるみたいなふうに思っちゃうっていう。
怒ってるんじゃないかとか。
これは結構かなえんさんもそういうふうに感じちゃうタイプってことですか?
感じちゃうタイプって、結構最近それはなんでしょう、緩和されてきたというか、
そういうのはまた課題の分離をしつつあるっていう感じですね、きっと。
これなんか理論的には、頭ではわかるけどってとこは結構ある。
僕はあった気がするんですね。
特にその例えば家族との関係とか、
多分これもう一つキーになるのが期待値だと思うんですよ。
なんか相手がこうなって欲しいとかいう期待とか希望みたいなのが入ってくると、
ややこしいと思うんですよね。
で、特にそれが見ず知らずのそこら辺にいる人で、ランダムな人だったりすると、
別にその人にどうなって欲しいとか思ってなくて、
でもそれが例えば子どもとか、自分の身近な家族とか親とか、
どうしても思いとかが自然にちょっと乗ってきちゃう。
で、例えば子どもとか、
自分の家族とか親とか、
どうしても思いとかが自然にちょっと乗ってきちゃう。
で、例えば子どもとかでも、
最初は生まれてきただけで健康であればいいと思ってたのに、
だんだん育っていくと、周りのことを見て、
もうちょっとこうなれるんじゃないかとか、期待が徐々に大きくなってたりとか、
例えばパートナーだったとしたら、
最初は付き合えたりとか、
だけでも幸せというか、結婚できたらいいっていうのに、
一緒に生活すると、毎日積み重ねていく上で、
もうちょっとこうしてくれたらいいのにな、みたいな期待が無意識に生まれたりとか、
そういうところから、
課題を分離しづらい要素みたいなのが出てくるのかなっていうのが、
ちょっと僕がこの課題の分離を聞いたときに思ったことだね。
24:05
理論的にはそうすればいいんだけども、現実は別にそれを難しくする要素。
かなえんさんも頭ではとか、ちょっとできるようになっていけるっていうところ、
でもまだちょっと難しいシチュエーションがちょっとあるみたいな。
その中にもグラデーションがちょっとあるのかなとか思ったんですよね。
これさ、かなえんさんが最初に自分の領域をどこまでと取るかみたいな話してたじゃない。
なんかそこと今つながるのかなと思ったけどね。
おー面白いかも。
課題の分離っていうのは一応、言葉としてあれですよね。
用語の解説としては、人間関係のトラブルが起きたときに、
それは自分の課題なのか他人の課題なのかを切り分けて考えるっていう。
だから自己の定義によるってことだよね。
自己の定義だから、何だろうな。
課題の分離ができていない人は自己の範囲が広いとかなのかなと思ったりして。
家族とかだと、自分の一部みたいになっちゃってて、課題が分離しにくくなるみたいな。
自分が自己が肥大していったりとか、そういう現象として取られられるのかな。
なんかそんな気がした。
ね。
なるほど。
じゃあそれを、もしそれで問題が起きてるとか、自分とか相手が都合というか問題がありますってなったときは、
じゃあその自己を見直してみる。大きくなりすぎてないかとか。
それをちょっと小さくしてみるとどうなるだろうかっていう、メンタルエクササイズみたいなのは一つやってみるといいってことかな。
そうだね。
とよだくんは家族とか子供とかに対して、自分の自己みたいなのが大きくなってたみたいな感覚はあんまない?
徹底できてる?やっぱり。課題の分離は。
そうだね。俺は全然ないと思う。
逆に、うちの奥さんとかはすごいそれを感じるかな。
俺に対してもそうだし、自分の子供に対しても、何だろうな、自分、多分こうあるべきみたいなのが多分あって、
それと違うのを見るとすごい嫌だみたいなのが多分ある気がしてて、
例えば子供に対してこうなってほしいとか。
で、俺は全然そういうのなくて、それで結構ぶつかるかな、うちは。
そういうふうに自分の思いを子供とかに押し付けるというか、のはやめろっていうふうに俺が言うことによって喧嘩が始まるみたいなのが多いね、うちは。
27:10
ありがちなパターンですよね、なんかこう、喧嘩の波としては。
でも何だろうな、そういう自己が拡大してる人の方が愛情深いというか、何て言うんだろうな、他人も自分と同一だと思って愛情をかけてるというか、
だからこそそういう気持ちになっちゃったりもするのかなと思ったりして。
確かに。
だから何だろうね、うん。
自分ごと?
まさに。
今一緒に。
そうそう、自分ごとなんだよね。
だから本気でね、いろいろ心があるというか。
ビジネスの世界でさ、それが良いこととして言われたりするよね。
この会社の課題を自分ごとのように動くみたいな。
会社のミッションを背負って、あ、こいつは会社の社長の視点で動くみたいな。
なんかそういうのを良い、良しとされてるよね、むしろ。
そうだね。
それをやりすぎると、良くない場合もあるよと。
何なんだろうね、その差は。
なんか自分ごととして、思いを持っていることが良いのかもしれないですけど、
相手に行動を求めるっていうスペースに。
行動がそういう方向に向かうと、たぶんチグハグの状況になる。
そんな気がするな。
そういう思いを持って、自分ができる範囲で最大限動くのは良いのかなと思うんだけど、
その思いと同じように他人を動かすのは、あんまり良くない気がするね。
たぶん無理なんでしょうね。
有機的に動いちゃってるから。
やっぱ行動から、そういう風に言いたいんでしょっていう風に読み取られるっていうのもあるけどね。
どういうこと?
だからこういう風になってほしいっていうメッセージが、
行動っていうのかな、選択肢から読み取れちゃうっていうのもあるような気がする。
言えないよって。
だから思ってる時点でやっぱりそれは、どっかにやっぱり辛い何かが出てくる気がするんだよね。
今のは一つのパターンとしては、行動から言ってると等しいようなメッセージが伝わるっていう可能性なんだけど、
もう一個は、仮に上手く隠してたとしても、自分の中でこうなったらいいなと思いつつ、
30:07
現実がそれに全く近づかないっていうそのギャップを受け止め続けるって結構ストレスだと思うんだよね。
だから、たぶんこういう心理学とかアドラー心理学とかやると、
コントロールできないものは捨てるとか諦めましょうみたいな考え方をして楽になる。
なんかそういうステップを踏んでるんだよね。
なんかお互いにその思ってるんだ、へーって思える関係だったらいいんですけどね。
あー、そうですね。
まあ思うこともあるだろうし、こうしてほしいって言われるのは言うこともあるんだけど、
あ、そうなんだーって言って、こっちに選択権が100%あれば、別に思ってればって感じ。
そうですよね。思うのは自由だし、それを受け止めるというか、
まあそれ自体をさせないようには黙れと言わないけれども、
こっちもその通りに従うわけじゃないと。
そういう、まあそれもいい距離感みたいな感じなんですかね。
うーん。
親子関係とかだとね、難しかったりしますね。
そうなんですよねー。
そうそう。あ、そうそう。だからこの不安型愛着スタイルの本を読んで思ったのが、
これその本人の話っていうか、親の話なんじゃないのかなって思ったんだよね。
その親が子供と、なんていうのかな、自己をうまく分離できなかったのが、
その子供に影響が出ちゃってるっていう話なのかなと思ったんだよね。
子供自身の問題というよりは親の問題なんじゃないかなってちょっと思った。
なんかこれ玉付きみたいになるのかなと思って。
そういう人がいると、その次の人を同じような不安型愛着スタイルにするっていう、
なんかドミノのような関係がある気がしたんだよね。
そうだねそうだね。
どっかでなんか断ち切る防波堤、なんかせき止めるものがないと。
そうそうそう。そうなんすよね。
次回へ続く。