はい。
っていうので、まずりょうちゃんに聞きたい。
なんかりょうちゃんはそういうふうに時間を無駄にしちゃうとかっていうふうに感じたりとか、
そういうふうな時間の過ごし方をすることってある?
めっちゃある。
なんか、私TikTokやってないから、TikTokは見ないけど、
私は結構YouTube見ちゃうことが多くて、
前も好きなゲームの配信者がいるっていう話をしたんだけど、
結構その人とか、基本的にインスタとかもそうだと思うんだけど、
YouTubeも一つ動画とか見ると、おすすめでどんどん関連するような動画とかを出てくるじゃん。
で、それを1個見て、見てって、そんな真剣に見てるわけじゃなくて、
なんならただ流してて、他のことやってるみたいなときもあるし、
ちゃんと見る、それこそドラマとか映画とかって、結構労力使うっていうのはあると思うんだけど、
そこまで集中してない。
別に見逃してもいいものとして、なんか気楽に享受しているっていう感じがあり、
でもなんか気づいたら、1時間たってたとか、ザラにある。ぶっちゃけ。
で、なんか見終わった後に、
なんかこんな自分、集中してないとはいえ、この時間をなんかすごい無意というか、
何もしてなくはないし、なんかうっすらと聞いてるし見てるんだけど、
なんかをやったとかっていう感じにはならなくて、
だから本当に、なんかいろいろ考えなくて、それこそ疲れてるときとかも集中力ないときとか、
本って普通に集中力必要だし、結構疲れると思うんだよ。
活字をこう読んでいくっていうのは。
それに比べて、もうただ目さえ開けてれば、
自然に見れるものとして見てるっていう感じがあって、
やっぱそれに対する罪悪感みたいなものは、私もあり、
話しながら思い出してたんだけど、
この間、どうやって休むとか、休むことができてるかっていう話をしたと思うんだけど、
そういう意味でも、意外と何もしないをするみたいなのができてないっていうか、
YouTubeなり、インスタなり、なんらかのSNSなり、
そう、なんか結構休んでいるようで、無駄に情報を得ている感じがあるなって思って、
それをなんか、休めてはいないよなって思って、あの時間。
ただ何もする気力がなくて、ぼーっとして過ごしてるんだけど、
でもやっぱ何かは、目から、視覚から、聴覚から、なんらかの情報は取り入れてて、
それに対して、たぶん脳は動き続けているから、
何もしないっていう休み方では全然ないなと思って。
そうだね、確かに。
なくていいのに、なんかあるんだよね。
それこそ、ぼーっとしてるときに、ぼーっとしてればいいのに、
やっぱり、スマホいじっちゃったりとか、
バックグラウンドでも何でも、何かが流れてるみたいなのが、
なんか常にある感じだよね。
そう、だから結局それによって、また疲れてもいるんだよね。
なんか前、その休みの話のときに、
私が移動中とか、自転車とか足動かして、もう手とかも離せないから、
その時間、たぶん何もしてないというか、頭は。
いろいろ考えたりはしてるけど、
なんか、ほどほどに脳は休めているような気はしてて、
それに対して、SNSとかオンラインで何か見たりっていうのは、
結構、余分な情報処理をしている感じがするかも。
例えば何か、スクロールとかしてて、情報があって、
例えば何か、おすすめの本とかを見たとして、
そこから、いろいろそれを調べに行ったりとか、そういうのはない?
物によってはあるある。
本もそうだし、お店とか、いろいろそこで引っかかったり、
気になった物とかは、またググったりっていうのもしてる。
そういうのもあって、実際、受け身でいるようでいて、
半分、まだ起きてる感じで、何か引っかかったら、
そういうふうにまたさらに情報を探しに行ったりっていうのをやってると、
何か終わりがないというか、本当に永遠じゃないけど、
そう、何なら何かこう、ちょっと目疲れてきたなとか思って、
やっぱ体の疲れによって中断するみたいな感じになっちゃう。
そう、そのレベルだからやっぱり、何だろうね、
手軽さが大きいのかなとも思っちゃう。
確かに。
何かしらの、それこそフォローとかしてたらさ、
自分の好みにキュレートされたフィードが流れていて、
自分の目にも心地よい入ってくる情報とかも、
自分の好みの物にフィルターがかけられているから、
例えば、新しいことを学ぶとか、
自分から、何ていうのかな、
それこそ本とか読んでても、
先がどういうふうな展開になるかとか、
初めて読む本とかだったら分からなかったりとか、
色々、予期せぬ設定とか流れみたいのがあると思うんだけど、
今話して思ったのは、SNSとかって特に、
自分が見たいものしかだいぶ流れてこない感じ?
特にそういうふうにフォローしてる、フィードとか見てる場合。
そういう面から、何ていうのかな、楽さじゃないけど、
流れていて、あんまり何も考えたりとか、
反応する対象も、
それこそ自分が思ってもいなかったものとかはあんまりなかったり、
自分がゆるーく受け取れるようなものばかりが、
常にそこに気軽に手に取れる場所にあるみたいなのも、
何ていうのかな、永遠にスクロールしてしまったりとか、
すぐそこに手が伸びてしまう理由の一つなのかなって話してて思ったけど、
どうだろう?
そうだね、楽だよね、やっぱり。
楽、めっちゃ楽。
そう、いろいろ気になって調べたりとかもあるけど、
言うて基本的には、何ていうか、
自分の価値観とか、普段考えてることとか、
普段から楽しんでるものから、
大きくそれることのないトピックなりテーマ、
みたいなものの中にずっといるわけで、
しかも能動的に何かを調べる、
プラスアルファで調べるっていうのはあるけど、
言ってググるだけだしねっていう、
調べるっていうのも。
本格的に調べるとかじゃないから、
ちょっと手軽にググってみた、みたいな感じ。
だからなんか、本当に新しく何かを知るとか、
気づくみたいなことではない時間で。
だからすごい楽だし、
いろいろ実際脳は動いてるんだろうけど、
自分の意識的には、
本当に物事を考えるとか、
何か自分で書く、読むみたいなこととは、
全然違う頭の使い方をしてるというか、
本当にただ受けてるっていう、
多少能動的な面はあるんだろうけど、
やっぱり全体的には受けてるっていう、
受動性のがやっぱ強くて、
そうね。
だからなんか、
それによってしかも疲れてるっていうのが、
本末転倒の感じがしてて、
休んでるのに休んでないじゃん、みたいな。
そうそう。
でもなんか、楽に享受できるものが、
本当に悪いことなのかっていうと、
それもまたクエスチョンっていうか、
確かに。
一般的には、そういうふうに、
無理に時間をただ過ごすとか、
ひたすら受動的に、
いろんなネットの情報を浴びるみたいなのって、
そんないいこととはされないじゃん。
実際私たち自身もそういう時間を、
うっかり結構長い時間過ごしちゃって、
こんな長い時間こういうことに、
時間を使ってしまったみたいな、
罪悪感のようなものを感じてて、
だから、別にいいことだ、
これがすべきことだとは思わないけど、
かといって、そういうふうに普段、
労働なり、いろんなことで疲れた状態で、
一日も終わるみたいなときに、
これ以上何かをする元気がないときとかに、
そういう楽さに、
こう、逃げるというか、
楽さを求めてしまうことが、
果たして悪いことなのかというと、
なんかあんまり一概に悪いとも言い切れないような、
ちょっと言い淀んじゃうような感じがするんだけど、
どうかな?
そうだね、そこがなんか自分の中では、
結構、葛藤でテーマでも言ったけど、
楽さみたいなのって、
それによって自分も実際、
すごい疲れてるときとかって、
救われてるんじゃないかって自分では思ってるから、
それをゼロにすることが、
別に目的ではないし、
それ自体が、そういうことをすること自体が、
完全に悪いことであるっていうふうには、
言えないと思ってて、
それがどのラインを越えてきたら、
わかんないけど、
りょうちゃんどう?逆にりょうちゃん他に、
例えばそういうふうに、
頭が、脳みそ超疲れてて何もできない、
みたいなときで、
何かやることとか、
こういうことをいつもしてるとか、
あったりする?
でもなんか、
私が今普段一人の自分の家にいるときは、
結構もうすでに読んだ漫画を読む、
みたいなのとかは、
あるかもしれない。
漫画がすごく好きで、よくいろいろ読んでるんだけど、
なんかその中でも本当になんか、
いろんな枯れなり、気力体力がありません、
みたいな状況で、かといって、
寝るみたいな選択肢も、
時間帯とか的にないっていうときは、
自分が割と楽に受けられるものとして、
すでに何回も読んでる漫画を読むっていうのは一個あって、
でも小説は読めないかもしれない、そのときは。
本当、やっぱり、
いっぱい読んだものでも、
そうだね、なんか小説ってなるとやっぱり字を縦に、
縦なり横なりで、ちゃんとこう線上に目を動かして、
読んでいかなきゃいけないけど、
漫画って絵だから、
言ったら最悪、特にもうすでに読んで物語知ってるっていう作品とかだったら、
字を追わなくても、絵を見てるだけでも、
なんとなくその描写がもうリマインドされてくるから、
ちゃんと文字を追ってなくても物語を受け止められるっていうのがあって、
だからそれはやっぱり文字、全部文字になっちゃうと、
結構自分の場合は、すでに1日の中で割と大きい割合の時間で、
私は結構文字を読む時間が多いから、
それにプラスアルファーで、もうすでに疲れた、何もしたくないみたいな状態の時に、
さらに別の文字を読むぞみたいな気にはなれなくって、
だからやっぱり小説は、比較的体力気力がある時じゃないと読めないなっていうのがあり、
漫画はやっぱり、私的にはやっぱり絵が一番、こう、支面を占めてるというか、
だから、新しい物語だったら文字読んでいかないと、やっぱりちゃんと物語は把握できないけど、
すでに読んで知ってる作品で、私は割と好きな作品は何回も何回も繰り返し読む人だから、
これは漫画だけじゃなくて、映画とかドラマとかもそうなんだけど、
結構好きなものを繰り返し見る、読むっていう習性があるので、
漫画とかも、もうほとんど物語はわかってて、その状態で絵だけ流し読みしてるみたいな感じが、
比較的楽に、休みつつ、けど、何もしない的な休み方ではないっていうので、それは一つあるなと思ったのと、
あとは、自分の家にはいないけど、実家に犬と猫がいるから、
それこそ、実家帰って、犬とか猫が常にいるっていう状態の時って、
SNSとかYouTubeとか見る時間がぐっと減るのね、私は。
すごい、なんか全然一日何も見なかったな、みたいな日がざらにあるっていう感じで、
だから、普段の自分のすることをして、疲れたな、何もしたくないなっていう状態になった時に、
ひたすら猫を撫でてるとか、猫に喋りかけて反応を楽しんでるとか、犬と散歩行ったり、一緒にボールで遊んだりとかってやってて、
なんか割とそれ、いろいろ体動かしたりもしてるけど、
でも結構自分的には、休みの時間で、すぐ隣にいるし、楽にできることとしてある。
そう、だからなんかね、結構自分の、やっぱそのYouTubeとか、SNSとか、結構見ちゃう時間が長くなって、
その時間に何もできないという、何もしてないみたいな、そういう罪悪感が残るっていう弊害だけじゃなくって、
なんか結構、そこでたぶん情報を一気にわーって、浴びすぎて浮かれて、
で、なんかそれによって、なんかこうメンタルヘルスが著しく、わーって下がってっちゃうみたいなのとかがあるんだけど、
やっぱりそうはならないんだよね、犬とか猫と一緒にいると。
そう、っていう感じ?
そうね、なんかでも確かに、なんかそのそれすらも、なんかそもそもそういうものと、
例えば、まあ並行して、同時にできないじゃん、それって。
例えば、あの散歩しながらYouTube見るとか、やる人もいるのかわかんないけど、
私はたぶん個人的にそんなにこう器用じゃないから、たぶん危ないと思うから、たぶんできないんだけど、
まあやる人もいるんだろうけど、流れ歩きとかできる人いっぱいいるから、
まあでも、そうね、なんかその、やっぱり一つの一つのことに集中しないといけないときって、こういろいろできないから、
なんかそういうふうに、例えば犬と散歩に行くとか、それこそ両手が塞がってて、
それこそスクロールできませんみたいなことをやるとか、
なんかこう、動き的に何かがあると、なんかそういうの以外でもいろいろこう、
なんていうのかな、まあリラックスっていうか、
まあ常に脳を使う、頭を使わなくても休める方法あるのかもって、今聞いてて思ったけど、
そうね、確かになんか、でも今話してて思ったのは、
なんかその、自分自身が日中とか、メインでやってることが何かっていうことにもよるよなと思って、
それこそりょうちゃん今言ってたけど、
りょうちゃんはまあその、研究の、研究するためにやっぱりさ、
読むりょうがたぶん普通より全然、まあ私なんかよりはもう全然読んでると思うし、
まあ普通で読むっていうレベルよりは全然読んだり書いたりとかが多いと思うから、
やっぱりそれからくる、なんていうのかな、疲労とかっていうのがすごい大きいと思うんだよね。
なんか今話聞いてて思ったけど、私とはたぶんちょっと違うなと思って、
だからそれこそその、自分の仕事のメインが何かっていうことによっても、
その休むときにやる行動とかの中身が変わってくるのかもしれないって思って、
そうだからなんか、私は最近割と、私はメインの仕事は、
コードを書いたりとか、まあ結構頭の中でロジックを組み立てたりとか、
まあそういうのが多くて、なんか一日中パズルしてるみたいな感じかな。
なんかそんな感じだから、
そうね、終わった後にあんまりロジックがあるゲームとかはできなかったりするのね。
なんか割とこういろいろなゲームとか私持ってるんだけど、
あんまりこういろいろ考えたりとか、
パズル的なものは自分の中ではあんまりうーんって感じで、
逆にそうね、なんか小説とかだったらシリーズものとか、
まあそれこそファンタジーとか、
なんかこう何かこうハマってるものがあれば、
そういうのを読んだりするのも結構自分にとっては、
あの休んだりとかもリラックスする方法の一つでもあって、
でなんか最近ハマってるのが、サブスタークって知ってる?
日本語でもあるのかな?
あのメルマガみたいな感じ?
そうそうそう、あのメルマガみたいなのなんだけど、
なんか私はメールに届くそのメルマガをちゃんと読んでなかったの。
たくさんあの、公読してたから全部埋まっちゃって、
全然ちゃんと読めてなくて、
なんか全部それを解除して、
なんかその今アプリがあってサブスタークの、
でなんかその、
公読するっていうよりかはその作者の人をフォローするみたいな感じ?
でなんかそうするとなんかツイッターみたいなフィードがあって、
でなんかそのフィードにその新しい、
例えばポストとか、
まあそのあのメルマガを配信した時に流れ、
それが流れてきて、
それをクリックすると、
なんかそのアプリ内で記事が読めるのね。
だからなんか私はそれで、
あの割とすごい、
あの好きな人結構見つけてフォローして、
であの記事を全部保存っていうかセーブして、
でなんかそれを隙間時間に読むみたいなのを最近してて、
結構こうやっぱりその書いてる側も、
いろいろその中身っていうか、
まあその書く内容をその人たちなりに綺麗としてるっていうか、
だからなんかその音楽紹介してたりとか、
最近読んだ本紹介したりとかなんだけど、
なんかソーシャルメディアみたいにこう早くない?
なんか割とやっぱり字とか、
あとリンクがあったりとかするから、
なんかその一つの記事読むのに時間かかるし、
なんかちょっとまあそこの一つのプラットフォームというか、
集中してないと、
あのこう流れてっちゃうから、
あの内容とかが。
なんかなんか割とこう、
まあ集中してちびちび読むんだけど、
なんかそれが最近私の中での、
なんかその永遠にスクロールするからちょっと進化したバージョンじゃないけど、
なんかもうちょっとスピード感が遅めで、
で、あのかつ自分がこう、
なんていうのかな、
まあ好きなジャンルというか、
どうなんだろう?
でもなんか、さっき聞いてて、
なんかそのコンテンツが有限なのはいいよねって思って、
なんかやっぱりそのTikTokなりYouTubeなりインスタなりって、
なんか自分が見てるものに対してどんどんこう、
おすすめが出てきて、
コンテンツが本当に無限で、
いくらでもこうちょっと関心ありそうなものがどんどん出てくるから、
それをこう本当に疲労感でいっぱいのとき、
何もしたくないって言って、こうベッドに寝転がってたり、
で、見るときって、やっぱそれをずっと見続けちゃうの。
無限にあるから。
だからそれが有限、ある程度数が絞られてて、
その中から選んで読むみたいなのはめちゃくちゃいいなって思った。
そう、なんか疲れてるとなんか無意識だからなんか、
どんどん勝手に自分の指がスクロールしてる。
そうそうそうそう。
自分の意思と指が違う構造してるっていう。
そうだよね。
そう、だからそこでなんかもう本当、
まあ強制的にじゃないけど、
それこそスクロール先がなければ、
見たくてもできないから。
そうそうそう、やめるしかないもんね。
そうそうそう、終わりみたいな感じで、
終わりがあるから、それがいいのか。
うん、そうね。
でもなんかその、やっぱ楽なものを選んでしまうことに、
あんまり自分、なんかまあそんな長時間見過ぎてていいことも別にないと思うけど、
でもなんかその時間があることで、
なんかまあとりあえずみたいにやってける部分も少なからず多分あって、
なんか全てにこう意味のあることとかを求めすぎると、
気持ち的にもちょっとしんどくなったりするし、
まあなんかそうやっていっぱい情報浴びるから、
まあ疲れちゃうんだけど、
私別に意味がある感じでもない。
別に新しく何か勉強するでも知るでもなんか気づくでもないし、
まあ無駄な時間と言ってしまえば無駄な時間かもしれないけど、
なんかあんまりその無駄な時間を消そう消そうみたいな感じに、
もうなりすぎたくないなっていうのは思ってて、
ある程度なんかそういう時間ができてしまうのは、
なんかもう時代的にも仕方ないじゃんみたいな多少の開き直りもあって、
なんかその上でまあどの程度その時間に当てるかとか、
なんかあんまり本当にまあなんだろういい語りだけど、
なんかまあ有害なコンテンツとかもまああるわけで、
なんかこう情報、まあ何らかの形でそういうのだって情報を発信してるわけだから、
その情報がどういうのに基づいてて、
なんかどういう価値観を伝えようとしてるのかみたいなものが、
その作ってる側が意図してなくても多分出たりは全然してるから、
なんかまあだからそういうのを浴びすぎないっていうのも大事だけど、
かといってなんかそういう楽な受動制限なんだろう、
1日の中である一定の時間数をそういう時間に占めてるみたいなのを、
責めすぎないようになりたいと自分では思う。
そうだね、なんかすごいさデジタルデトックスみたいなトレンドとかもあったりするじゃない、
でなんかあれは私もなんかそれを見て私が責められてるような気持ちになるの、
なんかそれこそ自分がだからその最初に言った罪悪感をなぜまずそもそも感じるのかって思った時に、
なんかその自分の中では別になんていうのかな、
それをやってる時間はまあもうマジで何もしてないし無駄し、
なんか特に何にもこうほんと楽にだらだら過ごしてるんだけど、
なんかそういう時間をなんていうのかな、
責められてるっていうかなんかそれはなんか良くないよじゃないけど、
なんかあんまりそういうところで長い時間過ごすのはあの良くないんだよみたいな感じの言葉だったりとか、
まあそういう風潮みたいなのもあったりして、
なんかそれで多分そういうものを見て自分の中でもうなんかまあ罪悪感じゃないけど、
なんかあんまりこういう時間を過ごしてはいけないのか、
みたいな感じで思っちゃったりもするのかなとか思って、
そうだからなんかそういうそうだねなんかりょうちゃんが今言ったみたいに、
そういうのを消すとかなんか完全に断ち切るみたいのって、
今の時代無理じゃないっていうのもあるし、
なんかやっぱそれが全て悪ではなくて、
なんかそれからねこう自分の中でこうリラックスできる時間とか、
まあそういうコンテンツみたいのも受け取ることができるわけだから、
まあそういうのも受け取りつつ、
まあ自分が逆にやりすぎて疲れない程度のラインを見極めるみたいな、
なんかそこの見極めやっぱでもむずくないっていう、
むずい。
特に疲れてる時とかにその永遠にスクロールできちゃうとかっていうのは、