1. あのさ、
  2. #36 おいしい暮らしは簡単じゃ..
2025-07-06 51:45

#36 おいしい暮らしは簡単じゃない

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食との向き合い方の変化/20代前半は飲食業界で働いていた/義務感・健康・外食費を理由にした自炊/料理が楽しいと思えない/好きなレシピを見つけた/大好きとまではいえなくても楽しさを感じてる/食が社会に与えるインパクト/肉食を控えていた時期/食にしか楽しみを見出せなかった時期/食にこだわればこだわるほど出費がかさむ/生活の忙しさとともに「生命維持」の食へ/食の背景にある文化への興味/「ただ作る」から「物語を味わう」へ/味覚は経験の積み重ねでできているのかも/自分の基準が他人には通用しない場面/パートナーが包丁支えなくてびっくりしてしまった/料理経験の差は幼少期の環境に影響されている/食べるを共有する喜び/食事を通して人とつながりたい/意外と食に関するテーマはセンシティブかもしれない


紹介したもの💫

NYT Cooking https://www.youtube.com/nytcooking

Eric Kim https://erickim.net/


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感想や質問は⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年4月28日]

サマリー

ポッドキャストでは、食とその向き合い方の変化が語られています。特に、料理への楽しみや義務感、自炊と外食についての葛藤が議論され、時間の制約や選択の重要性に触れています。このエピソードでは、料理に対する興味とその背景が語られ、食文化が個々の経験や背景にどのように影響するのか、他国の料理やレシピを通した学びについても言及されています。このエピソードでは、料理や食の経験がどのように人の個性や育ちを反映するかが考察され、特に自炊や食の好みに関するスタンダードの違いが人間関係に与える影響について深掘りされています。また、食が個人の生活に与える影響に関する考察や、食に対する関心や個々の体験の違いがもたらす重みについても語られ、食のテーマをより深く掘り下げることの重要性についても触れられています。

食への変化と考察
こんにちは、むぎほです。
りょうこです。
ポッドキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
今日のテーマは、
はい。
なんか具体的エピソードがあるとかではなくて、なんか何話そうかな、テーマ何しようかなと思って、
またお助けマンとしてのチャットGPTに、なんかいいテーマないかなと思って、いろいろ何十個かこう案を出してもらって、
でもそこをドンピシャというよりかは、なんかそこで出されたテーマからちょっと派生して、
そうね。
なんかそこでこうちょっとピックアップしたのが、食べること、食についてのテーマなんだけど、
なんかそのテーマを見た時に、なんか自分自身、私自身が結構この10年ぐらいで、
まあ食との向き合い方の変化というか、まあその年々で自分が向き合ってきたこととかの変化に伴って、
やっぱ食べることとか食事作ることとかも、なんか自分の中では結構変わったなぁと思っていて、
そう、だからなんかこうざっくりと食みたいなテーマで話そうかっていうことになりました。
はい、楽しみ。なんかちょうどタイミング的に、私も結構食とかまあ食べることみたいのについて考えてたから、
もうなんか良さそうなテーマと思ったんだけど、
なんかむーちゃんハマってるっていう風に言ってたじゃん。
そうそう、ハマってるっていうか、そうね、なんか私は結構20代前半あたりは、
まあ飲食系でフルタイムで働いてたから、
あの結構キッチンとかに立って、まあ仕事するカフェとかレストランとかで、
1日仕事する、1日中何かを作ってるみたいな仕事をしてたから、
なんか本当にその時期作るのが嫌で、自分でね、だからその家に帰って自分が食べるご飯を作るのが嫌だみたいなのが結構あって、
だからなんか飲食辞めた後も、なんかそこからこう復活するのにだいぶ時間がかかったというか、
なんか本当にここ最近やっと、なんか作るのまたちょっと楽しいかなみたいなとこに出てきたレベルなぐらい結構、
自分の中では、飲食辞めた後自分自炊とかもしてたけど、外食とか結構高いから、
健康にもずっと外食っていうのも良くないしと思ってやってたんだけど、
なんか結構義務感からやってて、なんか作らなきゃみたいな感じので作ってたから、
あんまり楽しくなかったし、なんかそれこそやらなきゃいけないことの一つとしてやってたんだけど、
ここ最近はいくつか自分のお気に入りのレシピ本見つけたっていうのもあって、
作るの楽しいじゃん、なんか作るの大好きみたいな感じでは全然今ないんだけど、
作るのまあより楽しいじゃんぐらいのレベルにまでちょっと復活してきたっていう感じ。
なんのが私の最近のショックエピソード。
個々の食の選択
え、りょうちゃんは?今なんか結構変わったって言ってたけど。
そうね、なんか多分むーちゃんと逆の変遷をたどってる感じがあって、
それこそ私実家に行った時はちょこちょこ手伝ったりはしてたんだけど、
基本的にやっぱり母が食事を作ってくれてて、
で、なんか今思うと本当によくこの量と種類を手作りで作ってくれてたなぁと思って、
いや本当にすごいありがたかったなぁと思うんだけど、
だからなんかやっぱり自分で一人暮らしをするようになって、
で、今まではやっぱりこう必ずしも自分が食べたいものだけを食べれるわけじゃないじゃん、
当たり前だけど、人に作ってもらってるから、ある程度なんか何がいいとかっていうふうに聞かれたりはしてたんだけど、
まあ家って私だけじゃないから、あとはその時のある家にある食材との兼ね合いとかもあるし、
だからなんか自分で好きなものを好きなだけ作って食べたいみたいなのがあり、
あと結構その時は食に結構センシティブだった時期というか、
まあ今は多少それを取り戻せよって思うんだけど、
なんかやっぱり食べることと、食べ物ってさ、自分の体内に入るものではあるんだけど、
この自分の体内に入るものと、社会的な問題とか政治とかって、
当たり前だけど無関係じゃなくて、だから自分が何かを食べるとか何かを買うみたいな行動によって、
ある種今の社会が作られている一部分であっても、っていう意識がすごく高くて、
だからなんかそういう、何だろう、食の選択ができるという、
自分で選んだりとか、それに対してどれだけのお金をかけられるかという面でも、
かなり自分はすごい自分の中では良い、何だろう、今思えばだけど、
良いことをしたいみたいな多分欲望があったんだと思うし、
できるだけ正しくいたいみたいな感覚がきっとあったと思うんだけど、
だからなんかできる限り、もちろん全てではないけど、できる選択をして、
特にやっぱその時は肉食を控えててっていう時期が結構長かったんだけど、
やっぱりそれも今のこう畜産業のあり方とかでも結構批判的であったし、
今もそれも別にゼロに戻ったとかではないんだけど、
なんかやっぱそういう選択、ある種自分が何かを選んで、それを食べることによって、
そういう自分が批判的である構造を維持させてるみたいなことが、
もうめっちゃ嫌って思って、やっぱりだからそのそうではない、
ある種抵抗としての食の選択みたいなので、かなりセンシティブに一つ一つ選んだりとかしてて、
その結果すごいお金を使ったんだよね、食に。
特に一人暮らしして最初の頃って、何にどれだけお金を使って、
もうその一月やっていけるかみたいな、採算が取れてなくて、
なんかすごい使ってしまって、
だからなんかそれはなんか、当時は結構いたれだったけど、
そういう失敗も含めて、その後のいろんな選択もまた形成され直したりしたから、
別に悪い経験ではなかったとは思うんだけど、
だからなんか結構そういう感じだったのが、
10代の後半から20代前半、半ば近くまでが割とそういう感じで、
しかも結構食べることが基本的にめっちゃ好きだったのね、昔から。
そう、だからなんか、特に自分が好きに作れるようになってから、
やっぱり美味しいものを、自分が美味しいと思えるものを作りたかったし、
特になんか当時、一時期なんかすごい、
自分のこの1日のスケジュールの中で、
一番楽しいと思えるのがこの食べる時間だと思ってたぐらいの時があって、
逆にそれ以外の趣味が、その時なんかもう全部制御してた時期があって、
なんかもっと勉強しなきゃ、みたいな感じの時期だったから、
なんかその、食べるか、勉強するか、寝るか、みたいな感じの生活だった時があって、
だからその時は結構、食べることに自分の中で比重が重くなってて、
できるだけその時間を良いものにして、美味しいものを食べたいっていう感じもあったから、
なんかいろいろ、なんだろう、新しい自分ができなかった調理法を試してみたりとか、
それこそごくたまにだけど、料理教室に行って、
なんか、うまい人のやり方を見て、美味しい食べ、なんていうか、調理の仕方を学んで、みたいな時期もあって、
結構、それがなんか、もちろん楽しかったからやってたんだけど、
楽しかっただけではない、別の感情を今覚えれば、ちょっとあった気がするんだけど、
とはいえ、なんかこう食、食べることに対して、ある程度時間を割いてたし、
なんかこう、自分のこう、1日というか人生の中での比重を結構重くしてたのが、
20代半ばから今にかけて、なんかもう、それ以外にやらないといけないこととか、やるべきことがあまりにもちょっと多くなりすぎて、
っていうのと、なんか、そうなんか、食べる、もちろん今も食べること好きだし、いいんだけど、
なんか今はどちらかというと、食べないとこの生命維持できないし、みたいな感覚のが強くなっちゃって、
だからそれこそ、むーちゃんが言ってたみたいな、義務感から来るみたいな、それこそやっぱ外食、今物価もすごい上がってるし、
なんか、そんな外食してたら、めっちゃお金かかる上に、自分的にはおいしいと思えないものを食べなくちゃいけないってなるのは、結構苦痛だから、
なんか、どんなに簡単でも、とりあえず自分で作るみたいな生活が今、
で、でも特にやることがあまりに多くなりすぎると、それこそ就論書いてた時期が一番そうだったと思うんだけど、
なんかもう、なんでお腹すくんだろうっていう、もうなんか空腹感に切れ始めるみたいな、
なんか食べてる場合じゃないんだけどっていう感じになっちゃって、
楽しい食の探求
そう、だからなんか、今食へのモチベーションが結構、特に自分で作って食べるっていう便に関しては、
かなりこう、モチベーションがないというか、下がってて、できれば自分でこの空腹感をコントロールできればいいのになって思ってるっていうのが、
わりと最近だなって感じ、めっちゃ長くなっちゃったけど、
いやいや、なんか真逆だね。
そうなの?
全然違うというか、真逆のところにたどり着いてる。
そうなんだよね。
食材広範。
なんならこう、特にやっぱ自分一人で作って一人で食べるから、
なんかなるべく時間をそこにかけたくないって思っちゃって、
もうとにかく楽で、とりあえずお腹満たせればみたいな、
自分が作るものってもう10年ぐらいずっと食べてるから、
作るものの味がさ、作ってる時からわかっちゃって、
食べることの楽しみみたいなのが結構今なくって、
料理の方法なんていっぱいあるんだから、調べたりとか、それこそいいレシピ本とか見つけたりすれば、
また自分で作ってても楽しいとかおいしいみたいに思える時が来るとは思うんだけど、
それをやる時間ももったいないと思うようになってしまって。
外食とかだと、自分の好きなものとか食べに行ったりとかして、
めっちゃ楽しい、おいしいってなってるんだけど、
もっとやっぱ自炊ってなると結構モチベーションがないって感じだな、今は。
そうね、難しいよね、やっぱり。
私も義務官だった時がすごい長かったから、その気持ちもすごいわかるし、
そこから抜け出すのって簡単なことで、楽じゃん、やっぱりそのルーティーンにはまると。
だから楽だし、習慣なるから維持しやすいし、
別にそれで病気になるわけでもないし、自分で作ってるからね。
ある程度自分の好みとか、自分の体のどういうものに反応するとかもよくわかってると思うから、
そういう情報とかをまえたリパートリーなり義務官から作る楽な料理って、
多分そのまんまずっとできちゃうし、
逆に何かきっかけとか、何かそこから抜けたいって、
自分で抜けたいとか、違うものに挑戦してみたいな、みたいなのを思わない限り、
多分ずっとそれで、別にそれが悪いことではないんだけど、
自分がそれで満足してるのは全然よくって、
私は多分その後半で、多分すごいもともと飽き性だから、
私はその義務官から作って、
すごい本当リパートリーとかも同じっていうか、
そんなに新しいものに挑戦するとかもなく作ってて、
だんだんだんだん飽きてきて、
あんま飽きてきたし、
あと外食がものすごい、結構ニュージーランド行ったときとかすごい物価高かったから、
日本とかよりも全然外食が高くて、
外食の最低ラインが、
日本とかはさ、ピンから切りまであるから、
安いってなったら本当に安いものも手に入るじゃん。
でもニュージーランドとかは、
安いのライン、クオリティ的に本当にすごい安いみたいなもののレベルもだいぶ高いの。
で、なんでこんなに美味しくないものにこんなにお金を払わなきゃいけないんだろうみたいな、
タダでさえ物価高くて、
みんな暮らすの大変なのにっていうので、
そういうのもあって、
自分が食べたいものが食べられないとか、
気軽にそういうふうにお金を払っても食べられないっていうの、
プラス飽きてきたみたいなのが結構重なって、
で、そのあたりから私はYouTubeで、
ニューヨークタイムズの新聞社なんだけど、
ニューヨークタイムズがクッキングのセクションがあるのね。
部門みたいのが。
で、そこのクッキングのYouTubeチャンネルがあって、
で、そのニューヨークタイムズのクッキング部門専属のシェフっていうか、
料理研究家みたいな人たちが何人かいて、
で、私はその人たちがすごい好きな人が何人かいて、
で、その人たちが定期的にいろんなレシピを考案して、
それを作るみたいなYouTubeチャンネルなんだけど、
みんなそれぞれ結構キャラクターがあって、
自分の作ってるものに対してのストーリーみたいのがあって、
料理に対する興味の芽生え
そういうのを見てて、
だんだんほんとただ食べるだけじゃなくて、
食べ物にまつわるその他いろいろ、
作ってる人だったりとか、
レシピの背景だったりとか、
そういうものを全部含めて、
もうちょっとこういうのを知りたいとか、
もうちょっと食べてみたいとか、
そういうのに興味が出てきたのがきっかけ。
で、何人かの料理研究家の人たちのレシピを購入して、
そこからいくつか作ってみたのが、
自分の中でそういう、何ていうのかな、
義務感から少し抜け出せたきっかけっていうか、
の一つなんだけど、
だから、ただ作るだけ以外の何かのモチベーションとか、
興味みたいのがあったりすると、
そういうので、そこから出ることもあるんだなっていうのは、
自分で個人的に体験して思って。
だから、最近はそれがあって、
レシピ本にも、レシピだけじゃなくて、
レシピの背景、
私が一人フォローしてる人が、
韓国系アメリカ人の人で、
両親が、2歳かな、
両親がアメリカに渡って、
両親はもともと韓国出身だから、
韓国でここでお家で喋るし、
ご飯とかも、
普通に家で作る料理は韓国料理みたいな感じで育ってて、
でも、自分自身はアメリカで育ってるから、
アメリカの学校とか行ったら、
西洋食がカフェテリアとかであって、
だから、自分の中ではその2つをフュージョンじゃないけど、
両方同じくらいの価値があってっていうのが、
結構大きな背景、その人の背景で、
レシピ本にも、
お母さんのキムチのレシピとか載ってるんだけど、
そういう物語の背景みたいなのが書いてあって、
レシピの背景みたいなのが、
そういうのを読んだりするのもすごく面白いし、
食ってただ食べるだけじゃなくて、
その人の背景とか、歴史とか、どこから来たとか、
っていうのがすごく反映されてるものなんだなみたいなのを、
私は多分、そういうのをあんまり意識してこなかったから、
逆に、りょうちゃん結構最初の方でさ、
自分の食の選択がそういう風に、
例えば、いろいろな思想だったりとか、
そういう政治的なものだったりとか、
何かにこういう風に影響してるみたいなのを、
体現してるっていうのをすごい意識してたりしたって言ってて、
私はそういうの全然あんまり考えてこなかったから、
結構、本当にただ与えられたものを食べるみたいなのでやってきて、
今回のがそういうのをきっかけで、
食っていうものの中にもいろいろな選択とか、
いろいろなそういうものの表明みたいなのがあったりするし、
そういう物語みたいなのがすごくたくさん詰まっているんだなみたいなのを、
最近ここ数年結構体験したりとか、
読んだりとか、
そういうのもあって、
食べるだけ以上に、
もうちょっと食自体への興味みたいなのが、
自分の中ではあるかなっていうのも、
もうちょっといろいろ作り始めた、
みたいなもののきっかけだりするんだけど、
外食と自炊の楽しみ
でも、りょうちゃん外食を、外食っていうか外、
食べること自体はまだ全然あれでしょ?
なんか自分でやっぱり作るみたいなところへの気持ち?
そうだね。
うん、私、基本毎日、毎食自炊してて、
外食もそれこそ昔、
作ることも含めて楽しんでた時期とかは、
一人で外食行ったりも時々あって、
それゆえにちょっと破綻したんだけど、
なんかその、
外食してた時も、
全然なんていうんだろう、今も一人で行けないとか、そういうのは全然ないんだけど、
その時期一人で行って、おいしいものを食べて、
で、そこで食べたおいしいものを、
いろいろこれは何が使われてるんだろうとか、
どういう風に調理したんだろうみたいなのを想像して、
それを家で再現するっていうのに結構はまってた時期があって、
当たり前だけど、
お店でちゃんと手をかけて作られてるものだから、
ちょっとやそっと、
まるでこれお店のものみたいだっていうふうにはならないんだけど、
でもなんか、ちょっと近く行ったぞみたいなのとか、
なんだろう、攻略じゃないけど、
ゴールが例えばお店で出たものだとしたら、
自分の記憶とか味覚をたよりに、
そこに近づけていくみたいなのを、
楽しんでた時期はあって、
それも含めて外食を楽しんでたし、
自炊も楽しんでたっていうのが昔。
今は逆というか、
友達と会うとか人と会うっていう時は、
基本外食してるんだけど、
私いろいろお店リサーチするのも好きだし、
いろんな変わった料理とかお菓子とか、
出してるとことかに行くのも好きだから、
前も見せたと思うけど、
私のGoogleマップが超キモいことになってるっていう、
ピンが立ちすぎてっていうぐらい、
だから外食をメインにするなら、
食への興味っていうのは薄れてはいないし、
いないんだけど、
自炊になった途端、
生命維持としての食事みたいな要素が、
今は結構強くなってしまった。
だからなんか、
言うて自炊それなりに、
パターン化はしてるけど、
とはいえ、別に自分的には美味しいわぐらいな感じのものを作り繰り食べてはいるけど、
そこに楽しさは特にないっていう感じかな。
食の背景と個人の体験
でもなんか結構、むーちゃんがはまったっていう、
食の背景に見える人となりとか、
その人の経験とか人生みたいな、
そういうものも含めて食として楽しむとか、
関心を向けるみたいな話で、
それが結構ポジティブに今みたいに働くこともあれば、
割とネガティブになるというか、
あるよなって、
昔人から聞いた話で、
すごい今思い出して、
やっぱり自分がどういうものが好きで、
例えば、
食べてて、これは何の味だって思うっていうことは、
そこに近い味をすでに食べてきた経験があるっていうことだし、
何を美味しいと思うのか、
あるいは、作るときの工程そのものに対しても、
良くも悪くも、やっぱりその人の今までの経験とか、
あるいはどういう環境で育ってきたのかとか、
っていうものまでも、
意図せず結構出ちゃうっていうのがあって、
前人から言われて、
あ、そっかって思ったのは、
私は結構自炊するし、
それこそさっきいろんな外食して、
食べてそれを再現するみたいにハマってたみたいに言ったんだけど、
やっぱ多分、結構自分の実家、家族とかは、
食べることが基本的に好きな人だったし、
母もいろいろ作ってくれる人だったから、
多分、自分の中に蓄積としてある味覚のバリエーションみたいのが、
それなりにある方だし、
だから、何か一部を美味しいと思って、
それ以外を美味しくないって思うみたいなのが、
わりとはっきりしてる方だとは思うんだけど、
私に話をしてくれた人は、
別に特別美味しいとも思わないし、
何かをまずいって思ったこともあんまりないみたいなのを言ってて、
自分の育ってきた環境的に、
食へのこだわりとかがなくって、
とりあえず出された食べ物を食べるみたいな、
それこそ、ガチの生命維持としての食。
という感じだったから、
あんまり美味しいとか、美味しくないとかっていうのがないし、
あんまり育ってきた環境でも、
何か自炊作って、手作りのものを食べるっていう習慣がなくって、
買ってきたものを食べるとか、
だから、食べても、それがどういう調味料を使って料理されてるのかが、
そんなにはっきりわからないとか、
自分が、自分の親もそんなに手作り料理をする方じゃなかったし、
やっぱそれを見てきてる自分も料理をする方ではないから、
自分が何か料理をするっていうその工程を、
何か普段から料理する人に見られたくないみたいな感情があるっていう風に言ってて、
そこに自分のどういう風に生きてきたかが、
全部映し出されちゃうような気がして、
何かそれを見られたくないみたいに言ってて、
あ、そっか、そうだよねって思って、
っていう話を聞いたことをちょっと今思い出したんだけど、
そうだね、私も何か今聞いてて思ったわ。
私も母親がすごい食べるの好きで、
何か自分が食べるの好きだから作るみたいな人で、
でも、何か割と結構家計が厳しかったりとか、
あと、何ていうのかな、時間がない、
何かすごい引っ越しとか多かったから、
何か作る時間がないみたいなので、
結構何かその、もうちょっとちっちゃい時とかは、
冷凍食品とかも結構食べてきたし、
ファストフードみたいなのも結構食べてきたから、
で、私が結構兄弟とも体が弱くて、
何かそれがきっかけで結構割と私の母親は、
何か食に注目して、
何か食を通して体質改善できないかみたいので、
結構手作りとか、
あと、そういう添加物みたいなの気にするようになったんだけど、
何かその時期が結構長くて、
何か私は、何かすごい自分の中で、
いろいろな味覚みたいなのかなりミックスされてて、
何か超超加工食品みたいなのを食べて育った時期もあって、
でも同時にすごい結構ストイックに、
こう体質改善目的とした食みたいなのも食べた時期もあって、
で、プラスまあその母親が自分が好きで作って、
作るまあ手作りのものみたいなのを食べて育った時もあって、
っていうその3つのステージみたいなのが結構ごちゃ混ぜになってて、
何ていうのかな、
そういう例えば、
家庭の経済状況とか、
まあそれこそ家庭環境とかによっては、
何かそういうふうに、
親の作ったものを食べられなかったりとか、
まあそれこそ加工食品が多かったりとか、
そうね、今そのりょうちゃんの話聞いてて思ったけど、
すごいいろいろなその人の背景とか、
まあそれこそあんまり知られたないなって個人的には思ってしまうような、
そういうまあ自分がどういう環境で育ってきたかみたいのも、
結構丸見えっていうか、
全部見えてしまうみたいのはすごいあるなと思って、
なんかなんか私も結構今、
自分では気づかなかったけど、
まあそういう何ていうのかな、
まあ食の背景とかに興味が出て、
まあそういうものを作って、
おいしいって思えることがそもそも結構、
まあ特権じゃないけど、
そういう味覚を知ってるっていう時点で、
まあそういうものを、
もうちょっと若い時とか、
母親と一緒に住んでいる時に、
親とか家族と住んでいる時に、
なんていうのかな、受け取ることができたんだな、
みたいなすごい今自分で思って、
なんか自分であんまり気づかない特権だなっていうのは、
あの話してて思ったし、
たぶんその同じレシピを作ったとしても、
それをそもそもおいしいっていう風に思わない人も、
たぶんいるんだろうなっていうのを、
私は想像しなかったから、
今話を聞いてて、
ああなんかそういう風に、
たぶんその自分が知らない味覚とか、
まあ食べたことないものみたいのも、
たくさんある人もたくさんいるんだろうなっていうのを、
自分は想像あんまりしなかったなっていうのを、
今話しててすごい思ったし、
あのそうだね、だからこそ結構、
よくってなんか普通、
なんか普通ってかみんなが当たり前にやるようなことに見えて、
結構センシティブな話題でもあるなって、
今すごい話してて思った。
そうなんだよね。
だから本当にそれこそさ、
食べるものもそうだし、
食べ方とかも結構そうだと思ってて、
私とかは特におばあちゃんが多かったから、
なんか結構その食べるときに、
例えば机に肘をついたら肘叩かれるとか、
箸の持ち方とかも強制されるとか、
割とこう食べる、
いわゆるマナーみたいな、
そういうものがめっちゃ厳しいわけではないけど、
料理と育ちの反映
それなりにある程度は教えられた、
好きに食べていいよではなかったっていう感じがあって、
だからそういうのも、
結構箸の持ち方って育ちが出るとかってよく言うけど、
だから育ちというか、
どういうふうにその人が教えられてきたのかとかが、
割と出るものだと思ってて、
そういう作法とかもそうだし、
何を好んで何を好まないかとか、
どういう調理法を知っていて料理ができるのかとかも、
結構やっぱりめちゃくちゃその人がどういう人なのか、
どういう道をたどってここに来たのかみたいなのが、
割と本人が多分意図せず出ちゃうし、
どんなに意識していようと出ちゃうみたいな部分があって、
だからそういう意味ではめちゃめちゃ、
みんな毎日やってるけどめっちゃセンシティブっていうのは、
そう思うね。
そうだからなんか結構、
わしも今はそれこそ本当義務感的に料理はしてるけど、
とはいえなんかやっぱ昔から母が作る姿を、
姿を横で見てたりとか、
自分も一緒に参加させてもらったりとかして、
多分ある程度もう高校卒業して上京したんだけど、
その時点でなんというか一通りって言ったらいいなんだけど、
なんか料理は別に誰かから教わらなくても、
調理はできるみたいな、
別にそんな特別な調理法とかでなければできるし、
料理の失敗とかも多少ちょっと塩入れすぎたなとか、
なんかそういうのはあるけど、
考えてみてもあんまり料理を失敗したっていう経験がなくって、
それも今ルーティン的に毎日作ってるけど、
それも別に失敗するようなことはないって、
ただ飽きはするんだけど、
料理の経験として多分すでに蓄積をさせてもらってて、
誰かから教わったりしなくても、
それなりには普通に料理ができている状態。
その時はやっぱりそれが自分にとってのスタンダードだったし、
別にすべからく全ての人がこれがスタンダードだとは思っていないけど、
でもやっぱり自分の中の普通を普通だと思ってしまうみたいな面があったから、
それは多分今もあると思うんだけど、
だからなんかそれを自分の基準で、
例えば自炊の話とか、物の好き嫌いの話とかすると、
なんかやっぱそこではない、
自分のそういう辿ってきた道とは本当に全然違う歩み方をしてきた人がいるっていうのに、
やっぱり大人になってから出会うようにもなって、
私やっぱそこにいろんな自分なりの反省と気づきがあるみたいな、そういうのがあるっていう。
食のスタンダードの違い
なんかそうだよね、やっぱり自分のね、
それこそ食べるのなんて毎日やることだからさ、
マリオちゃんとか自炊歴とかも長いし、
だからなんかそれがやっぱり自分なりのスタンダードみたいなのって、
しかもそれぐらいの経験があるものにおいてのスタンダードって思うと、
他の人とかの経験とか聞くと、
そのギャップとかに驚くみたいなのとかもあるだろうと思うし、
私もなんか、私のパートナーは本当になんも料理できない人で、
会った時とか、なんか本当に料理できなかったの。
で、食べるのはでもすごい好きなんだけど、
それを自分で作るとかっていう発想がない。
これ作れるの?みたいな感じ。
これは外で食べるものだと思ってたみたいな感じで、
だから包丁とかも使えなくて、
私は最初それを目撃した時に、
どうしていいかわからなくて、
自分の中でね、やっぱりそのスタンダードがあったから、
包丁の使い方がわからない人がいるのか?みたいなので、
結構衝撃を受けて、
そこから料理の基本みたいなのを教えていって、
でもやっぱりそういうのを通して、
その人が育ってきた環境とか、
食に対しての結構元々すごい偏食だったらしくて、
10代中盤ぐらいまで。
本当に炭水化物しか食べないみたいな。
野菜とかも嫌いだし、
私の母親も結構そうだったみたいで、
10代の成長期の手前ぐらいまでは、
すごい偏食で、本当に白いものしか食べない。
米とかパンとか、そういうものしか食べないみたいな感じで、
でも成長期に入って、
これは両方とも、私の母親もパートナーもそうなんだけど、
成長期に入って、お腹空きすぎて、
炭水化物を食べてるだけじゃとてもじゃないけど、
お腹を満たすのに追いつかないがゆえに、
他のものも仕方なく食べ始め、
あ、意外にいけるじゃん、みたいなので、
食のパレットが広がった的な感じの背景があって、
そういうのもあってなのかわかんないけど、
多分そういうものを結構、
10代中盤ぐらいまで長く食べてきたから、
あんまり作ったりとかっていうのも、
多分必要なかっただろうし、
そういうのもあんまり見なかったと思うし、
包丁とかどういう風なものが、
どういう風に切られて、どういう風に調理され、
どういう風に組み合わせられ、みたいなのが全然、
知識とか経験としてないみたいなのがあって、
だからなんか、
りょうちゃんさっき言ったみたいに、
調理法とかある程度、
自炊とかしてたら知ってて、
それこそ自分の中でもこういう組み合わせで、
これだったらこういう風に調理してってのが、
多分自然にわかるじゃん、
でもそれすらも、
どこからどう何をしていいか、
全然わからないみたいな感じ、
だから、それこそ道具の使い方から、
それぞれの調理法を、
どういう風な基本的なものの順番、
炒めるだったらこの順番で、
煮るだったらこの順番で、みたいな感じで教えてって、
今ようやく、
基本の際できるみたいなぐらいのところまで来たんだけど、
だからなんか、
自分が思ってるスタンダードとかで、
全然通用しないなって思ったし、
それがでも合わないから、
悪いとかではなくて、
やっぱりそれってすごいその人の背景とか、
そういうことを、
どういう道をたどってきたか、
みたいなすごい体現しているから、
でも唯一私は、
食べるのは好きだから、
そこの興味はやっぱり一致しないと、
難しいなっていうのはすごいあって、
友達だったりするのも、
美味しいご飯を食べながら話したりするのもやっぱり楽しいし、
美味しいお菓子食べながら話したりするのも楽しいし、
それに対しての喜びを共有したいみたいなのがあるから、
全然食べるのどうでもいいっていう人と、
話してても楽しいかもしれないけど、
そのもう一つの喜びも一緒に共有したいみたいなのがすごいあって、
りょうちゃんと京都行ったときとかさ、
いろいろ美味しいとこ連れてってくれたじゃん、
あれはすごく楽しかったし、
りょうちゃんと話すのも楽しいし、
この場所をわざわざ思って考えて、
連れてってくれたりょうちゃんに対してもすごく感謝だったし、
食べてるものの美味しさの共有みたいなのも、
すごい楽しかったし、
そういう面での食への興味の相性、
相性っていうか、食への興味がある、ないみたいのは、
私の中では結構大きくて、
料理ができる、できないとかの話ではなくて、
もうちょっと食自体全般への興味じゃないけど、
それはすごい自分の中では結構大きいなっていうのがあって、
でもそれは私はパートナー全然料理できなかったけど、
食への興味はすごいあったから、
私がいろいろ作ったりしたものを食べて、
これは何が入ってるとか、
こういう味が自分は好き嫌いみたいなのがすごい分かってたし、
その興味があっていろいろなものを挑戦したいみたいなのがあったから、
それもあってすごい私もやり方を教えて、
教えがいがあるというか、
本人もそれが作れるようになるから楽しいわけじゃんっていう、
そのサイクルがすごい自分的にはあってたなっていうのがあって、
食の興味みたいな楽しさを共有できるみたいのは、
結構自分の中では大切にしていることで、
話してて今思ったけど、
りょうちゃんと1日おいしいもの食べた日、めっちゃ楽しかったって、
話すのも楽しかったし、
いろんな場所で食べたいろいろなものもすごくおいしかったし、
その体験全部がすごくよかった。
りょうちゃんだって、りょうちゃん家でご飯作ってくれたじゃん。
あれもすごくおいしかったし、
それすべての食の体験がすごく楽しかったし、
おいしかったっていうのが自分の中であって。
私も結構ムーちゃんで1日フルで会うってなったときに、
できるだけ自分が好きなところに連れて行きたいと思って、
いろいろ調べたり、
自分が行きたいと思ってたところも、
一緒に行こうみたいな感じです。
その計画段階ですでに楽しいみたいなところだったし、
でもやっぱ人付き合い、
いろんな人との関係性において、
私もやっぱり食べること、
自炊は今ちょっと熱量下がってるけど、
基本的に食べることが好きっていうのは変わらずあり、
自分がおいしいと思えるものを食べたいみたいなのもあり、
だからやっぱそこが合わないと、
一緒に長い時間過ごすのが、
結構私の今までの人生史上、
人との関係性において、
食の好みとか方向性みたいなのがある程度、
人間関係と食の重要性
ぴったりじゃなくていいんだけど、
ある程度一緒じゃないと、
やっぱりその後の関係性がうまくいかなかったなって思う人とかが何人かいて、
言うて大体の人は、
ぴったり同じじゃなくても、
好みとか、
例えばどういうものにどれぐらいお金を使えるかとかいうのも、
外食においても、
結構人の価値観とか、
食の比重みたいなのって、
わりと出ると思うんだけど、
そのあたりが、
もちろんぴったりじゃなくていいんだけど、
だいたいかすってる部分が、
面積として大きくないと、
やっぱり難しいっていうのが、
結構ずっとあって、
そう、だからなんか、
私がわりと、
普段自炊してて、
基本的に、
なるべく、
特に今とかもなるべく節約しつつ、
ある材料で、
自分がほどほどにおいしいと思う、
簡単なものを作るみたいなのが、
自分の日常で、
だからそういうのが、
基本的に軸になってるから、
それ以外の、
自分が会う人たちとの外食は、
あんまり、
もちろん一回の食事で、
数万出すとかは無理だけど、
でも、ある程度、
ちょっと高いなって思っても、
おいしいものだったら、
全然出せちゃう人なんだけど、
やっぱその辺が、
できるだけ安くっていう感じだと、
お互いに情報できる部分もあるんだけど、
情報できない部分の、
面積が大きくなると、
関係性もちょっとギクシャクしちゃったり、
やっぱり一緒にいる時間で、
食べ物を返しているっていう時に、
自分がおいしいと思うものを、
相手はそのおいしいを、
共有できなかったり、
逆に相手がおいしいと思ってるものを、
自分が共有できなかったりってなると、
その時間が割とギクシャクしちゃう、
ギクシャクしちゃうみたいな感覚が、
割と私は今までに何回かあって、
だから結構自分の中では、
人との関係性において、
食って結構重要な位置を占めてるなと思っていて、
っていうのを、
むーちゃんの話を聞きながら、
そう、私もって思ってた。
ね、だってあの日朝から晩まで、
全ての食、
1日3食プラスお茶とか、
デザートまでも1日一緒に過ごしたから、
すごいフルコースだよね。
そう、だって11時間ぐらいずっと喋ってたもんね、
移動しながら。
移動しながら、
で、ポッドキャストの収録もしてさ、
そうだそうだ。
夜の終バスぐらいまでずっと、
そう、終バス走った記憶あるもん。
そう、きょうちゃん走って、
私こっちだって言って、
食の影響と重み
そうそう、2人とも走って、
そうそう、
だから、
なんか食って結構、
いろいろなところで、
大きなポジションを占めてるんだなって、
今話してて思った、
人間関係なり、
自分のそういう、なんていうのかな、
それこそ、
人によってはそういう、
私も体質改善とかで、
食をいろいろ考えた時期もあったから、
そういう自分の身体への影響とか、
それこそ、
なんていうのかな、
人によってはダイエットだったりとか、
そういう自分の見た目みたいなもの、
直接食が通じてたりもするし、
だからなんか、
食って言ってもすごくいろいろな面があって、
なんかその、
なんていうのかな、
すごく個人的なことで、
だからそこがやっぱり、
そこでの相性ってすごく、
自分が想像している以上に、
大きなインパクトがあるんだなっていうのは、
すごい今話してて思ったし、
だから今後ももうちょっとそういう、
自分自身が持ってるそういう、
なんていうのかな、
食に関しての、
バイアスじゃないけど、
自分が当たり前と思ってることは、
そういう他の人にとっては、
それが当たり前ではないんだ、
っていうことをもうちょっと、
実感というか、
自覚していきたいし、
逆にそういう他の人の、
個人的なそういう食の体験みたいなものも、
もっといろいろなものを通して知りたいなって思うし、
なんかすごいいろいろな方向に広がっていく、
食の話。
食のテーマの探求
そうだね。
深いな。
やっぱりどんだけさ、
なんか食に興味ないとか、
関心ないって言っても、
食べることなしに、
生きることはできないから、
等しく全員に関わってる。
そう。
だから単純に自分の趣味とか、
好きなものの話が合わないっていう以上に、
やっぱりこう重みを持ってる。
そうだね。
テーマ性だなと思って。
確かに。
だからなんか、また今後も、
なんか違う角度から食、
もうちょっと絞って、
今日はなんかその、食全般で始まった時。
そうそう、雑把にやったから。
そうそう。
超、なんかいろいろなテーマを突っ込んだけど、
なんか次はもうちょっと、
食プラス何々みたいな感じで、
もうちょっとテーマを絞って、
食について考えていけたら面白いかなって思ったし。
そうだね。
そんな感じかな。
超なんか雑な食についての話エピソードだったけど。
でもなんか意外とこう、
あえて個食とか、
まあさっき一番最初にも言ったけど、
まあまあ割とセンシティブな話題でもあるから、
意外とこう普段の雑談の中で、
まあもともと個食の好みが合うとか、
価値観合うみたいな人とかだったら、
まあ話したりするけど、
そうじゃない限り、
意外と話さないなと思って。
そうだね。
ほどほどに知り合いみたいな人と。
そうだね。
確かに。
だから、あえてこういうふうに、
食について話すっていうのも、
自分にとってはあんまりない、
もう今となってはあまりない経験で、
それもやっぱり結構話してて面白かったなと思って。
今後お互いがまた食に対しての考えが、
どう変わっていくかとかも結構興味あるし、
私たち自身も結構ね、
個人的に変わってきた背景があるから、
また今後も多分変わっていくだろうと思うし、
あえて今後もまた考え続けていきたいテーマだよね。
そうね。
私も今は自炊が義務になりつつあるけど、
でも気持ち的には、
もうちょっと気持ちの余裕があれば楽しみたいよねっていうのもあるから、
きっとまた向き合い方とか、
いろいろ変わるだろうなとは思ってはいる。
そういう変遷をまたもうちょっと期間おいて話したり、
お互いの現地点みたいなのを、
共有し合うみたいなのも楽しいかもしれない。
そうだね。
じゃあまたそれについてもまた今度、いつか。
1年後とか。
だいぶ時間が経った後に、
最近どうっていう。
話したら面白そう。
こんな感じかな。
そうね。
ではでは、また次回。
ばいばい。
51:45

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