1. あのさ、
  2. #47 脱「成長」!やめてもい..
2025-12-07 52:54

#47 脱「成長」!やめてもいいし、始めてもいい

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「これからどう生きる?仕事・労働編」/今の仕事を10年先も続けている自信がない/「そもそもなぜ働かないと生きられないのか」/お金が人生を縛る仕組みへの違和感/完全に資本主義の外には出られない現実/いわゆる自給自足コミュニティへの参加に魅力を感じない/コミュニティが閉じてしまう危険性/システムの外へ行っても別のシステムが誕生する/今生きている場所をどう生きやすくできるか/周囲に“別の生き方をしている人”がいない/匿名的なオンラインの人の生活は実態がつかめない/AIと仕事/10年後も仕事が残っているだろうか/アカデミアに疲弊してしまった/研究を取り巻く環境と構造/キャリアの不安定性/新しい選択の模索とリスク/どの選択も正解とは言えない時代/ポッドキャストは心の支え/何ものにも奪われない好きなことを持つ/仕事にすべてを賭けなくていい/好きなこともできない時期があって当然/資本主義社会で求められる「継続・成長」が苦痛/固定的な成長観から距離を取る/生きやすい社会へ



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感想や質問は⁠こちら⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年11月25日]


サマリー

このポッドキャストは、人生の選択に関して特に労働に焦点をあてており、リスナーは自分の価値観や期待についての悩みを共有しています。資本主義社会における労働の意味や理想的な働き方について深く考察し、具体的な解決策ではなく思考の過程を探求しています。このエピソードでは、生活における実感や他者との関係性、特にオンラインでの情報共有の難しさについて考察しています。日記本の内容を例に挙げ、個人の生活や仕事にリアルさを持つことの重要性が強調されています。 このエピソードでは、仕事の将来やキャリアの選択についての悩みが中心に語られています。特に、AIの進化や社会の変化に伴う不安定さに対処しながら、自分のやりたいことを見つける重要性が強調されています。 このエピソードでは、個人のキャリアや好きなことを続けることの重要性について論じています。また、変化の速い時代における働き方や心の余裕の持ち方についても掘り下げられています。 このエピソードでは、成長に対する考え方を見直し、新たな挑戦ややめることについて肯定的な姿勢を大切にすることが語られています。

人生の選択と仕事の悩み
こんにちは、りょうこです。
むぎほです。
ポッドキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい。始まりました。
はい。
えっと、まあ今日は、いきなりテーマ入っちゃうけど、この間話したテーマのなんか続きっていうか、
後編的な。
後編的な感じ。そうそう、2人とも似たようなテーマがあって、似たようなことちょっと悩んでいて、
でもまたそれぞれ角度がちょっと違ったから、それをちょっとエピソード分けて収録してみたら面白いんじゃないかっていうので、
今日のテーマが、前回の全体のこの大きなテーマみたいなのが、これから人生どうするみたいなので、
前回のがもうちょいこのどこに住むかとか、家を買うか買わないとか、
自分のそういう住む環境だったりとか、家とかそういうものに注目しての話だったんだけど、
今回は私が提案というか悩んでいたので、これから人生どうするの労働編みたいな感じであって、
ちょっとバックグラウンドとして、私が今人生これからどうしようっていう問いに仕事的な面からぶち当たっていて、
っていうのも来年30になるし、まだ人生長いとは思うんだけど、
その長い時間、仕事に費やす時間って結構1日の中でも長いじゃん。
それを考えた時に、毎日する仕事、しかも自分の生活がかかっていることで、
これから長くやっていかないといけないことっていうのを考えた時に、
今やっていることをこれから10年後やっているのをあまり想像できない、
うまく今イメージできなくて、だからそういう観点から仕事どうしようとか、
こんなに長く続けることってあるんだろうかとか、
そういうのについて解決策を探ろうというわけではないんだけど、
ただ、悩みについてしゃべる回みたいな感じかな。
理想の働き方と資本主義
どっからどう話せばいいかなっていうのも難しいね。
なんかその、ぶち当たってる悩みというかはさ、
むーちゃんの今の具体的な仕事に対して、もちろんそう思ってると思うんだけど、
なんかもうちょっとこう、なんていう、抽象的なというか、
何か一つの仕事に対して、それはさ、仕事の業種とか仕事の内容が変わったとて、
結局なんか一の大半はさ、今のこの世界のシステム上、
その労働に対してすごい時間を使わなきゃいけないわけじゃん。
なんかその、なんていうか、もうちょっとその大きいフレームとして、
なんか労働を長時間やり続けることに対する悩みなのか、
なんかそれとも今のその具体的なその仕事に対して、
そういう悩みがあって、キャリアチェンジしようみたいな、そういう感じなの?
なんかすごいこう、両方っていう感じはあって、
最初多分考え始めたのは、なんかほんと自分の今やってる職種の範囲での悩みみたいなのがもともとあったんだけど、
なんかそこをこう考えてるうちに、だんだんとこう、それが大きくなって、大きくなっていくか、
まあその範囲が広がっていって、それこそりょうちゃんが言ったみたいに、
そもそも自分が生きてに仕事しないといけないのか、みたいなところにたどり着いて、
それってその生きていくためには仕事しないといけないけど、そうじゃなくて良い世界があってもいいんじゃないかとか、
なんかその労働の時間をいかに短くして、それでも生きていくことができるかとか、
労働そもそも自体の、なんていうのかな、あり方みたいのについて、
自分の中でこういろいろ考えているっていうか、
仕事を、なんか今すぐ直近でぶち当たってる壁みたいのは、
今やってる仕事の直接的に関わってる、これからキャリアどうしようかとか、そういうことなんだけど、
でもスパンをもうちょい長くして、10年後とか20年後も自分がやってるようなこと、
逆にその仕事をしてないといけないとか、なんかそういうところでの、そもそも働くって何とか、
自分の例えばやりたいこととか好きなことで、前も多分似たようなテーマで話したと思うけど、
自分の好きなことを仕事にするかしないかとか、できるかできないかみたいな話は、
割と前も話したし、結構自分の中でもいつも考えていることだったりもするから、
なんかそういうものも入ってきて、
働くこととはっていう恋が結構今、
多分そこから逆算的に考えて、今の自分の実際の仕事みたいなところにたどり着く感じなんだけど、
そう、なんかね、なんかりょうちゃんはそのなんていうのかな、仕事とか働くことに対してのこう、
こうあってほしいみたいな、逆に理想像から考えてみた方がやりやすいかもしれない、
これ話しやすいかもと思う。
なんか自分の理想であるこの生き方っていうかさ、なんかその、今この資本主義社会で生きてるから、
お金ないと住む場所も食べるものも確保できないみたいな社会にいるじゃん。
だからそう考えた時に、そこの中で一番いい形であれる働き方みたいな理想あったりする?
でもさ、理想を言ったらさ、そりゃ働かなくてよければいいよねって思うけど、
なんかなんていうの、お金を稼がなきゃいけないからとか、生活を成り立たせるためだけの労働とかだったら、
そりゃない方がいいじゃんって思うけど、
もちろんその仕事とか、働くだけじゃない部分もあるからさ、
なんかそういう、なんか自分、まあそれは人によるだろうけど、
なんか自分のやりたいと思ってることと働くことがある程度結びついてる人もいるわけで、
なんかそう思うと、その全く働きたくないというよりかは、
なんかもうちょっと心身健やかにあれる状態で働けたら一番いいよなとか、
休みたいときに休めるようにっていうのは思うけど、
まあそれは理想論としてはあるよね。
なんかそもそも働くもさ、なんかもともとは、なんていうのかな、
本当超超昔に戻ると本当に自分、例えば自分たちが食べるものを作るとかさ、
なんか自分たちが生きていくためにこういうことをして、
でまあ例えば自分はこういうことができて、
まあ相手はまた違う技術を持っていて、
なんかそれでお互いこう交換っていうかさ、
まあ価値の交換とか技術の交換みたいな形で、
お互いにそういうものを提供し合うことによって生活があるじゃないけど、
なんかそこにお金っていうものが発生しない以上、
直接的に自分の提供できるものを提供して、
逆にそれをこう受け取ってみたいな感じの関係性があったのが、
やっぱりそこにお金みたいなものが返せることによって、
なんかお金ってこう実体ないじゃん。
ないけどみんながあるって信じているからそこに価値があって、
今のこの社会が成り立っているわけで、
なんかそう考えた時に、
なんかお金ってこんなに私の人生を左右するのに、
なんかあってないお化けみたいな存在じゃんって思うと、
なんかそうじゃない。
この枠から出た生き方もあるなとか思ったりして、
そうねっていうのを考えたりもするけど、
でもなんかその今の社会に組み込まれている以上さ、
やっぱり生きていかないといけないじゃん。
そこってのこのお金じゃなくても、
なくても生きていけるような生き方ってあるはずなのに、
今いる社会が故にそうじゃない生き方を選択せざるを得ないみたいな感じのが、
コミュニティと閉塞感
なんかそのもどかしいというか、
何か方法はないのだろうかみたいなのを結構考えたりする。
でもなんかそのもうシステムに取り込まれて生きてるから、
なんかもうそこから出るっていう、出れたらいいなっていう理想はあるけど、
なんかやっぱりそれってめっちゃ難しいじゃんし、
多分そのシステムの外に出ましたって人いないと思うんだよ生きてて。
だからなんかその中で、
なんとかなるべく資本で全てが回らないような生活を望む人とかがさ、
結構自給自足生活をするぞって言って、
それこそこう人があんまりいないような土地に行って暮らしたりとか、
あるいはそういう場所でコミュニティを同じような志を持った人たちで集まって、
そういうコミュニティを作ろうみたいな取り組みもあるにはあるじゃん。
でもなんかあんまりそれはなんか私は分からなくて、
結局その資本の完全に外に出ることもできないっていうのもそうだし、
なんか常にどの道他者と関わり続けなくちゃ生きていけないから、
なんかその面でそういうコミュニティはコミュニティなりの大変さが、
なんか結構容易に想像できてしまって、
なんかそれこそ今回も話したけどさ、やっぱりその田舎の閉塞感と近いものがあるように感じてしまう。
そういうなんかある意味システムの外に出ようとする動きの一つとして、
そういうものもあるだろうなと思いつつ、
でも同時になんか自分はそれに惹かれないなっていうのもある。
手の届く範囲でそういう自給自足的なものを楽しんでできるならいいのかもしれないけど、
なんかすごいそういう活動とかってさ、
なんかまあ宗教的な感じでやってる人たちもいるけど、
結局すごく閉じちゃうよね。
そうなんだよね。
そこの中でやっぱり完結させないといけないから、
いろいろ生活を回していく上でも、
例えばその資本主義的なものに関わらないようにするってなると、
なんかまあ税金を納めるとかそういうことは最低限のことはするにしろ、
結局自分たちだけみたいになっちゃうから、
なんかそれこそ孤立じゃないけど、
なんかそこからやっぱり出たらさ、
またその同じような人たちを探し続けないといけないっていうのもあるし、
なんか結局そこでやっぱりそのりょうちゃんがさっき言ってたみたいな、
なんかその田舎とかのコミュニティーに通じるそういう閉塞感みたいなもの、
なんかやっぱ結局閉じてしまうよね、世界が。
ある一つのシステムから出ようとしたとして、
でも結局また別のシステムを作って、
なんかそのシステムの中で回っていってしまうみたいなところがあるんじゃないかっていう気がしちゃうし、
なんかやっぱりそのコミュニティーが閉じてくって怖いことだと思ってて、
なんかやっぱりそれってなんか、
まあコミュニティーの中とはいえいる人は他者なんだけれども、
なんかだんだんその同質性みたいなのを重視しだすようになってしまうし、
なんかその外がないっていうのは結構やっぱり怖い。
外がないと思ってしまうことってやっぱり結構怖いから。
そうだね。
そうそう。
結局そこの、なんていうのかな、それに合わなかったら排除されるわけだし、
そしたらまた同じような世界で、
社会と個人の関係
今この社会で起こっているようなことがまたそういう小さい社会で起こって、
また同じようなサイクルになってしまうから、
なんかそのやっぱりそう考えたときに、
なんか今いる場所でできることとか、
自分のそういう生きやすさみたいなのを追求していくっていうのを考えたときに、
どういう形とかどういう風な生き方があるのかなみたいなのをすごい今いろいろ考えてて、
まあいろいろな生き方してる人たくさんいるけど、
なんかいるけど、なんかその身近にすごい、
いない。
そう。
本で読んだりとか、オンラインで結構YouTubeでそういう話をしてたりとか、
ネット上にはたくさんそういう人が一見いるように見えるんだけど、
自分のそばにそういう生き方をしている人がいないから、
なんかその実感として、なんかその、
それってすごいさ、生活に直結してるじゃん。
だからなんかその、その人が生きてるどういう風な、
例えばどころに住んでて、どういう風な、
なんていうのかな、どこで買い物をして、
どういう風な日常を過ごしているかみたいなものが全然見えないから、
そのイメージとしては、
仕事になるんだみたいなのあるけど、
それがなんかその直接的に生きて生きるんだみたいなところに、
実感として全然わからないから、
なんかそのすごい空想上の、
誰かの全然、なんか本当ファンタジーみたいな感じでそこにあって、
だからそういうのがどうやったらわかるのかな、
みたいなすごい最近思ってて、
なんかそれって別にたくさんそういう人の情報を読んだり見たりしたから、
わかるものではないな、みたいな最近すごい思ってて。
オンラインの難しさ
特にこれに関わることってさ、
センシティブというか話題として、
そうだね、
やっぱりそのめっちゃプライベートな話になるから、
なんか自分の仕事としてこういうことやってますよっていうのをいろいろ言う人がいて、
すごいそういうので暮らしていけるんだとか思うんだけど、
でもなんか具体的な部分っていうのはさ、
やっぱりその人たちも見せないし、
当たり前だけど、やっぱり見せられない部分っていうのがあるから、
だから結局やっぱりその見せられない部分こそ知りたいみたいな、
どうやってやってるんだろうみたいに。
だからこそオンラインとかって難しいんだよね。
例えば身近にそういう人がいたらさ、
それこそ本当付き合いがあったりしたら、
そういう人がどういうところでどういうふうに過ごしてるかとか、
全然その距離が違うじゃん。
ちゃんと知ってるとして会話ができる気がするけど、
本当に他人っていうか知らない人、知らないそういうオンラインの人々の話みたいのは、
やっぱりさらにイメージしづらい感じはあるかなって思うし。
でもさ、知ってる人でもむずくない?
でもなんか知ってる人とかってさ、
どういう部分知るのって。
お金とかの詳細はあれにしろ、
すごい生活してる空間?
人としての実態がないみたいな。
もちろんみんな人間だし、
例えば本当顔出しでYouTubeやってたくさんいると思うから、
人としては、人っていうのはわかるんだけど、
実態としての、人間としてのみたいな感じでかな、私は。
例えば友達だったら、一緒にお茶に行けるとか、
そこに人としていて、会話ができて、
生きてるみたいなのがすごいわかるだけでも、
私はこういうふうにちゃんと人としているみたいなのが実感として湧くっていうか、
オンラインとかのコンテンツってもちろんその人自身が、
例えばエッセイとかそういう個人的な話を書いてる人だったらさらに。
だけど生活とかっていう面って多分ほとんど、
その内容、書く内容によっても多分変わってくると思うんだけど、
全然見えないから、
こういうので生きていけるのだろうみたいなのが、
読んでて自分が心配になるじゃないけど、
これでやってけるの?みたいな。
でももちろんその人自身もさ、
リョーちゃんさっき言ったみたいに全てを見せてるわけではないから、
それが多分副業かもしれないし、
その他にたくさんいろいろなお仕事を書き落とすかもしれないし、
見えない部分はたくさんあると思うから、やっぱり難しいんだけど、
やっぱりその人としての生活ができるっていうだけでも、
私の実感としては変わってくるかなみたいなのはあっての、
近い人でそういう人がいる、いないでの、
そういうものの可能性の見え方みたいなのも、
私は結構実感的に自分は変わってくるなっていうのは思ったけど、
私でも周りにそういう人あんまりいたことないから、
リョーちゃんわかんない。
なんか親戚で得体の知れない人はいたけど、
でもなんか適当にわかんなかった。
謎、謎に包まれた人。
そうそう、仕事はしてるんだけど、
親戚って言ってもそんな近い感じではなかったっていうのもあって、
なんかその、大まかにこんなことをやってるみたいなのは聞くんだけど、
でもそれって仕事になるの?みたいな。
それで普通に生活、日々の生活費って出せるの?みたいな感じ。
で、なんかよくわかんない。
この人はその大まかなことはわかるけど、
日記本から見えるもの
でも何を日々過ごして生きているんだろう?みたいな、
全然わかんない人はいた。
それでも生きて生きるんだみたいな。
そうそうそう。
なんかそれこそそういう、私の感覚的には、
直接面識はないけど、
本か動画とか出していて、
間接的にあの人が望んで出している部分として知ってる人みたいな、
同じ並びにその人もいた、みたいな感じかな。
その同じぐらいわからないことが多かったというか、やっぱりわからないよね。
なんか一つすごい面白いなと思ったのは、
日記本で読んでる、よくわからないまま輝き続ける世界とっていう、
小川近子さんっていう人の日記本を読んでるんだけど、
私は多分すごい読んでて好きなのが、
日記本だからっていうのもあるけど、
なんかその生活がめっちゃ、
でもなんか結構その、食べ物について書いてある項目が多くて、
なんかその日記の日々の中でも。
だからなんかその、これはたぶん日記本だからこその、
なんていうの、見えてくるものみたいなのもあるんだけど、
なんかそういうふうに、日々の生活とか、
スーパーに行って、この菓子パンを買おうか悩んだみたいな話とか、
なんかそういうのをすごい書いてて、
たぶんそれが、小川さんすごい日記が結構メインのコンテンツとしてあって、
私の本も結構日記本がメインだと思うんだけど、
なんかそういう日記本って、その人のこう生活とか、
なんか日々そういうふうに生活していく上で感じたこととか、
あと悩んだりしたこととか、みたいなのが書いてあるから、
なんかそういう日記、書くこと自体を、
例えば書くことが職業だったとしたら、
書くこと自体がメインの仕事であるかどうかは、
たぶんその人によって違うんだけど、
なんかそういう日記なものから見えてくる、
そういう生活のあり方とか、仕事の仕方の違いとか、
労働環境の違いみたいのは、読んでてすごい実感しやすいなって思ったし、
なんかイメージがつかみやすい、それこそさっき言ったみたいに全然、
ネット上とかだとわからないことが多いけど、
なんか日記本はなんかちょっと特別かなみたいな、今話してて思ったし、
なんかでもね、見えることと見えないものによっても、
やっぱ全然つかめるイメージが変わってくるよねっていうのは。
そうね、なんかまぁ日記もスタイルによるとは思うけど、
なんか割とこう一日中結構、なんていうか緻密に記述してる人とかだと、
なんかやっぱり生活が見えてくるっていうのはあるかもしれないね。
なんかその日記本すごい流行ってるじゃん。
私なんか自分もその日記ではない?
なんか週ごとに書いてたみたいなやつとかをなんかそう人にしたけど、
なんか私の場合成果書いてるというよりかは、
なんか思考を書いてるみたいなとこがあったんだけど、
だからなんか日記を書くスタイルも多分人によって全然違うっていうか、
本当にその日あったこととか食べたものとか、
どこ行った何したみたいなことを書く日記もあるし、
まぁそうじゃないものもあるだろうし、
その前者というか結構なんていうか事実ベース、
まぁ全部フィクションではないんだけれども、
なんかその何をやった、どこに行った、何を食べたみたいな、
そういうものが中心にある。
記録的な。
やっぱりそうそう、日付もあるし時間帯とかも書かれてたりすると、
やっぱりその人の生活とか一日の流れみたいなのが
見えやすいエッセイとかよりは、
なんか日記っていう題材を取った方がすごい見えやすいっていうのはあるかもしれないね。
エッセイとかはやっぱり綺麗に書かれてるなーって思っちゃう。
なんかその日記本とか読んだ後とか、
特に読むとなんかすごいテーマがあって、
なんかすごいちゃんとしっかりこうしまった文章でピチって書かれた感があるけど、
なんか別に日記がそうではないっていうわけではないんだけど、
日記はやっぱりその、なんかりょうちゃんも言ったみたいに、
そのリアルな生活の手触りみたいなのがあって、
それこそ時間帯とか、食べたものとか、
なんか天気の話だったりとか、
なんかその自分の生活と重ねたりとか、
自分の今の、まあそれこそ今の仕事がテーマで話してるけど、
なんかこういう風な仕事をしてる人はこういう働き方とか、
こういう時に仕事をしてるんだとか、
みたいなのもすごい見えてくるから、
なんかすごいそういう視点で読むのも興味深いなーみたいなのは、
今ちょうどそういうこと考えてる時に日記本を読んでたから、
またそういう視点から読んでて、なんか面白いなーって思ったし、
結構いろいろなものが見えるなーって思った、
そのエッセイとかよりは。
そうね。面白いね。
でもね日記本は本当にいろいろな形があるから、
本当人それぞれって感じよね。
私もだいぶ読んだけど、全然人によってスタイル違うか。
なんかめっちゃ仕事に話戻すとさ、
キャリアの不安
なんかそのむーちゃんは、
なんか今そのぶち当たってる感的に、
その仕事をたぶん、
例えば10年先も続けられる感じはしない、
みたいな感覚がありつつも、
でも根本的にやっぱその労働の仕方みたいなのが変わらないのであれば、
仕事キャリアチェンジするみたいな方向性に行かなくてもいいか、
それともやっぱり仕事の内容自体を変える、
みたいな方向性に行こうとしてる?
そうだからなんかそこが今なんか悩みで、
なんかそれこそ10年後考えた時に、
今やってる仕事は結構IT系なんだけど、
やっぱりその今の時代AIとかもすごい進化してて、
この今後だからそれこそ10年後に、
そのAIがどういう風な世界になって、
世界を見てるんだろうみたいのがわからないから、
やっぱりそのなんていうのかな、
その今やってる仕事とか、
そのAIが使える使えないとかっていうのは、
なんかツールとしてやっぱりその技術として、
そういうものがあるには越したことないんだけど、
例えばAIで何でもできる時代になった時に、
もうちょっと先にもっといろいろなことができる、
AIがいろいろなことができる時代になった時に、
なんかその残されたのって、
なんかもうちょっとこう人間的なものっていうのかな、
なんかもうちょっとこう例えば、
まあそのクリエイティブな仕事だったり、
なんか自分で例えばそのアイディアがあって、
それを作るために、
例えばそのITの技術を使ってとか、
そのAIの技術を使って、
その問題なり、
そのクリエイティブなものなりを作っていくとか、
なんかそういう方向に、
こう世界が動いていくような気がしていて、
でやっぱりだから、
そのそういうふうな動きになっていった時に、
自分は果たして、
まあ1、
その今自分がやっている仕事が、
まあそのそもそも残るかがわからない、
で2、
そのクリエイティブだったりとか、
まあその自分がいつかやってみたいなと思っていたような、
まあその読んだり書いたりみたいなことを仕事にする、
みたいなことっていうのを、
いつかやるのではなくて、
今例えばできるならできる範囲で、
まあ副業なりなんなりでやっていた方が、
例えばその10年後、
自分の今のやっている仕事がなくなったとしても、
何かしらの形で何かを作り続けていくことができるんじゃないか、
みたいのがあって、
だからそういう視点から、
なんか今どうするかみたいな、
まあもちろんその今すぐ仕事を辞めるっていうわけではないけども、
そもそも自分の仕事が10年後あるかわからないから、
なんかそれに備えるではないけど、
そもそもの働き方とか、
働く内容、
まあそのやっていること、
働くっていうこと自体の中身をもうちょいこう、
深く掘っていってもいいんじゃないかな、
みたいのがあって、
なんかそういう視点からでの壁っていうか、
悩みというか、
っていう感じなんだけど。
研究の疲弊
なんか多分私もその仕事どうしよう問題みたいなのは、
割と喫緊の問題としてあって、
でなんか多分その私の悩みは、
むーちゃんとはまたベクトルというか方向性とかも全然違うというか、
なんか別の壁にぶち当たったなみたいな感じなの。
ていうかなんか弟は今大学院に行って、
研究をメインにする生活をしていて、
でなんか一番最初別になんかその、
その場合はこれがそもそも問題だったのかもみたいなのもあるけど、
なんか別に研究者になりたいみたいな強い意思があって、
進学したわけではなくって、
純粋にやっぱりそのこの研究のテーマをもうちょっとやりたいとか、
その知的好奇心が勝っていたみたいな部分で、
そういう選択をしてきたんだけれども、
でまあなんかとりあえずは、
あのまあいろいろラッキーが重なり、
その金銭的にも支援とか公的な支援とか受けて、
まあ今までやってきたんだけれども、
だからなんかその強い意思があったわけではないけど、
ゆくゆくはその研究をして、
ご飯が食べれるようになったらいいなみたいなのは、
まああったにはあったっていうか、
別に研究者絶対なりたくない、
思ってやってきたわけではないからもちろん、
でただなんかやっぱりその結構この大学っていう組織に長いこといて、
でまあずっとそのまあアカデミアにも属し、
でまあもちろんすごいいいこともたくさんあったし、
いろんないい出会いもたくさんあって、
なんかまたこのまま研究者としてのキャリアを積むために頑張るみたいな方向性も一つはあったんだけれども、
なんか結構やっぱこの長い長年のこのなんというか学生生活で、
なんかもう結構その研究テーマとか研究そのものに対してってよりかは、
なんかそれを取り巻く環境とかシステムになんかもうものすごい疲弊してしまった感があって、
でなんかやっぱりその疲弊したのもお金もすごい絡んでいるし、
なんか研究者っていう立場になるために、
特になんかその何らかのポジションを得るためにやっていかなければいけないというか、
なんかそのいろんなこれからあり得るだろう選択とか、
それこそ10年先を見た時の不安定さみたいなのを考えた時に、
ただでさえもうこのシステムに疲弊してるのに、
なんかもうこれ以上ここに入れないみたいなのがなんか最近の私としてあって、
だからなんかその特にまあ後期課程というか博士課程まで進学した人って、
まあ大体は大学なり研究所なり、
何らかのあの何まあ研究者としての仕事を確立しようと頑張る人が大多数なわけなんだけれども、
なんかもう私はそれ頑張れないと思ってしまって、
そうだからなんかまあ別に今大学辞めてはないけど、
だからなんかもうその最初はもう研究がやりたくて来たはずなのに、
なんかその研究を取り巻くいろんなもの、いろんな価値判断とかいろんなシステムとか、
なんかもうそういうものになんか疲れて、
なんかもうそっちの疲労感の方がひどくなって、
なんかだんだん自分がその熱意を持って取り組んでいた、
それこそやりたいこととしてやっていたものへのなんか熱意がどんどんなんか消え去っていく感があって、
もちろんそのまだまあなんというかテーマが大事だと思ってるし、
やりたいという気持ちがゼロではないから辞めてないけど、
でもなんかそのやり始めた時のあのやりたいという、
なんか欲求は一体いずこへみたいな状況にそうなってしまって、
だからなんか今はある程度不審明までやったら、
なんかもう全く違うことをやりたいみたいなマインドに私の場合はなっていて、
だからその全く違うことをやるにしても、やっぱその全く違うことをするためのリスクというか、
リスクもあるし選択肢がどれだけあるだろうかみたいな、
そういう悩みに私は最近ぶち当たって、
それこそやっぱりこう今やってることが10年先に10年先続けられるかみたいなのを考えた時に、
純粋にその研究だけじゃなくて、
その研究を取り巻く環境もなんかもう今も最悪って思ってるけど、
なんかそのいろんなその動きとして、
今現在は起きてないけど今後起き得るだろうみたいな動きが、
なんか今もう結構出始めていて、
なんかそれにも結構絶望していて、
だからなんかそれこそ10年先20年先これは続け、
少なくとも自分のこう生活をしながらこれをやるっていうことについて、
あるいは生活を成り立たせるっていう意味合いも含めて、
やりたいことをやっていく、今やっていることを続けていくっていうのは、
なんか私にとっては結構難しいかもみたいなので、
なんか絶賛仕事迷い中みたいな感じ。
時代の変化への対応
なんかもういろいろなんかもう最悪お金稼げればいいやみたいなマインドになる時もあるんだけど、
でも結局さそれを選んだとって、
それこそずっとムーちゃんも言ってたみたいに、
1日の大半をまた労働に費やすわけで、
なんかそこにだんだんとなんか疲れていくっていうのは絶対あると思うんだよ。
だからなんかそうなった時にまたそっちの状況でこれを続けていけるだろうかみたいに、
めっちゃ自分なりそうと思って、
だからそれもあってもういろいろ悩みまくりみたいな現状なんだよね。
悩むよね。
こう続けてキャリアなんかバリバリやって、
10年、20年とか同じ仕事、職種をやってる人とかも、
多分私たちの上の世代には結構いると思うんだけど、
なんかこの私たちの多分世代ちょい上から下って、
なんかもう時代の変化がすごすぎて、
なんかその1年に変わる量がさ、
それこそ私たちの上の世代の人たちに比べたらさ、全然違うじゃん。
なんかそのちょうど私たちの例えばそれこそ働き盛りとでも言える、
それこそ30代から50代ぐらいまでに起こりうる私たちのことと、
その人たちに起こったその20年との多分中身ってあまりにも違いすぎて、
前例がないじゃないけど、これからどうなっていくのかっていうのが、
本当に誰にも分からないじゃん。
なんかそれの不安もあるとは思うんだよね。
例えば一つ大学でそれを学び、
それから新卒で就職して、
職種なり仕事をもうそこからずっとやってますとかってさ、ないじゃん。
なんか私たちの世代からずっと就職氷河期って言われてさ、
もう本当にずっとずっと不景気で、
なんていうのかな、本当に常に不安定な時代で、
それプラス社会とかそれこそテクノロジーだったりとか、
なんかそのそういう物事の変化のスピードが速すぎて、
なんかそのどの地点で何を選んだとしても、
それこそ1年後とか2年後に、
もう全然違う世界になってる可能性の方がほぼほぼっていうかさ、
だからなんかその今私たちがこれを選択したからって、
さっき私も言ったけど、
自分の職業が10年後にあるかも分からないっていう話って、
多分私の職業に限らず多くの職が多分そういうようなところにあると思うし、
だからこそなんかその何を選択しても正解ではないっていうのは、
多分あるんじゃないかなっていうのは、
私たちのせいじゃなくて、
変化する時代の働き方
時代的なものも結構大きいのかもとか思ったりしたけど、
だからなんか逆にその正解みたいの求めないようにする方がいいんじゃないかっていうのもあるし、
なんかでもだからこそなんていうのかな、
自分の例えば好きなこととかやりたいことみたいのをもうちょい確立っていうか、
それを仕事100%にしなかったとしても、
なんかその副業なり、
まあその趣味なりで何かその自分が好きなものを続けるみたいなことって、
すごい一応だったりするんじゃないかなっていうのが最近の考えなんだけど。
だからなんかさ、大学だけ取ってみても、
私はそのやっぱ大学関連のいろんな情報というか、
話をよく聞くからっていうのもあって、
特に私の指導教員の先生とかの話聞いてても、
全然やっぱりその大学の中でも、
その先生たちが学生の頃とか、
あるいは教員し始めたくらいの時代と、
やっぱ中身が全然変わっちゃってて、
なんかすごい端的に言ったら、
教員そうだし事務職員もなんかその非正規の利益がすっごい増えたから、
どんどんやっぱりこう使い捨てじゃないけど、
何年何年みたいな感じでどんどん入れ替わりが激しくなっていって、
でなんか、
そうだからなんか先生とかもなんか自分の時代とあまりにも違うから、
なんかあいにこうしたらいいんじゃないかとか、
言えないみたいな話をしててさ、
そりゃそうかもなーとか思いつつ、
でもなんかそれを言われた私たちはどうすればみたいな。
そう、じゃあどうすれば。
あるんだけど、
まあね、それもあるんだけど、
なんかこうさっきムーちゃんが言ってたみたいに、
なんかもう自分が何しようがしまいが、
なんかもう圧倒的にいろんな自分を取り巻く環境が変わりすぎて、
多分何を選んでもそれこそ就寝雇用みたいな感じで、
まあそういう人もいるかもしれないけど、
まあ仕事の内容的にも続けられないとか、
そこにいられないっていう場合もあるだろうし、
単純にやっぱその会社としても、
ずっと勤め始めたらもう定年までっていうのも、
なんかもしかしたら今後どんどん難しくなるかもしれない。
で、なんかその変えられないもの、
どんどん変化のスピードが激しくなっていく未来しか描けずってなったら、
なんかもうそれどうするかっていうのもあるんだけど、
やっぱその自分の中での変わらないものをちゃんと持っておくみたいなのも、
そのマインドとしてはめっちゃ大事かもと思って、
それこそ好きなものとか、
なんかずらり言ったらなんかいろいろ自分たちの生活なり、
仕事なり、いろいろ変わったとしても、
とりあえずなんかまあポッドキャストやってるとかさ、
なんか2人でなんか作るとかさ、
なんかそういうの楽しいよねって言いながらやってるみたいな、
なんかそういう変わらない自分がやってて楽しいなとか、
なんか満足感を得られるものが、
なんかたくさんあればあるだけいいっていう感じはする、
なんかそれがないと、
なんかもう変わっていくものに振り回されすぎてしまうから、
確かにそれすごい大事かもね、
好きなことを追求する重要性
多分何やってもいいんだよ仕事は、
なんだかんだなんかすごいいろいろ悩んで、
なんかまあそういうやりたい、
なんか自分がやってみたいなって思うことを仕事にしてる人見ると、
ああ羨ましいなとか思うけど、
多分それこそ最初りょうちゃん言ってたみたいに、
その見えないものって多分たくさんあるから、
なんかそのなんていうの、
私たちが見えてる部分って多分いいとこばっかりで、
その周りのものって多分結構すごい大変なこともたくさんあるし、
特にその例えば個人事業にしてこったら、
自分で全部そういうものを管理しないといけないわけじゃん、
だからそれに伴うリスクとか大変なこともたくさんあって、
だからなんかまあそれこそ多分みんな周りの周りじゃないけど、
なんかその自分がやってないこととか、
逆に自分がいつかやってみたいって思うことに対して、
そういうふうになんかああいいな、やってみたいなっていうのを思うのは、
多分人間として自然だと思うんだけど、
何やっても仕事としては生きていければいいんじゃないかっていうのは最近思ってて、
だからなんかそのもちろんその人によってはすごいそのキャリアアップみたいので、
そういうふうにこう昇進したりとか、
まあそういうところで組織の中で登ってみたいなのに満足感を覚える人も多分いると思うし、
達成感だったりとか、
みんながみんなその仕事を頑張らなくていいと思うっていうのが私的にはすごい最近思ってることで、
もちろん好きよ仕事にしててそれがすごい、それに一生懸命になってっていう人も多分いると思うし、
でもみんながみんなそうじゃないじゃん、多分多くの人がそうじゃないと思うから、
そうじゃなかった場合にそれでも落ち込まずに、
リョーちゃんやったみたいにその仕事とかの外にある自分の中での変わらないものを探す方に専念した方がね、
まあその今の仕事が辛くなければ、辛すぎなければ、
で、それが逆に辛すぎるとさ、今度逆に自分のそういうものをやる時間とか心の余裕みたいなのなくなっちゃうから、
それだと本末転倒だから、ギリギリそこに侵入してこない程度くらいの仕事ができる場所をまず探し、
そこに落ち着けば別に仕事はね、また変わってくると思うし、
だからもうちょい私もなんかここ数年はキャリアチェンジしたのもあって頑張んなきゃみたいなのをめっちゃ思ってて、
なんかそれもあって、なんかそのバーンってではないけど、
なんかその逆にその自分の好きなことをやったりとか好きなものに集中するみたいな心の余裕があんまりなくって、
なんか仕事終わっても仕事のことがずっとこう頭の隅っこずっとぐるぐるぐるぐる渦巻いてるみたいな感じのがすごいずっとあったから、
今回ちょっと久しぶりにちょっと長めのUQ取ってなんかいろいろ考えてた時に、
なんかもうちょいこう自分の好きなこととか、それこそポッドキャストだったりとか、
その本読んだりとか、なんかもうちょい自分の好きなことをもう一回集中して、
もうちょいこうそっちに心と時間をツイヤしていきたいみたいなのを最近思ってて、
大事だなって今りょうちゃんと話しててめっちゃ思った。
ねー、そうなんか理想論としては好きなこと仕事にしてそれで食っていけたらみたいなのはあるけど、
なんか自分のケースとか見ても、なんか直接的にその好きなこととかやりたいと思ってたことが、
もう100パー嫌だっていう風にならなかったとしても、
なんかそのやりたいこととか好きなことのするためのシステムとか、
その周りの物事が受け入れられないとか、この状態では続けられないみたいなのって、
別になんかその私のケースだけじゃなくてもあると思うんだよ。
だからなんか、特にアカデミアの場合、
ここまで来て辞めるのが負けではないけど、
え?みたいな感じのってめっちゃあるんだけど、
それでも多分一昔前よりは全然いいと思うんだけど、
でもなんかそのやって、なんかそのやりたいと思ったこともやってみないと、
なんかそれが実際どうなのかみたいなのって多分わからないと思ってて、
で、なんか一旦それをやってみた結果、
なんかそれでダメそうだと思ったら、一旦やめるみたいな、一旦その場から出ていくとか、
全く違うことを始めてみるっていうのも、なんか私は肯定できるようになりたいと思って、
それはなんか自分に対してもそうだし、
なんか何かを続けられることもすごい素晴らしいことだと思うけど、
続けるとか、何かこう気づいてきたものが次のステップに生かされるみたいなことだけではない、
自由な生き方を目指して
なんか生き方もあるというか、
なんかそのいろいろトライしてみる期間が長くても、
まあいいかと思えるようなマインドになりたいなと思うし、
そういうのが許容されるような社会の雰囲気であってみたいなのは結構思うかな。
そうだな、なんかやっぱり続けるがために、
なんか続けるのが偉いから続けるとかじゃなくて、
やっぱり好きなことでもやっぱりと、何ていうのかな、続けられない時期とかって絶対あるし、
私もなんか書くのすごい好きだと思ってたけど、
本当にもう仕事とかやってる時は書けなかったし、
なんか大学に居た時はライターの仕事とかしてたんだけど、
それもなんかそれもあって、
一時期自分が好きなように書くのが止まった時期もあったし、
なんかここ数年は本当に全然書けない時期が、
もう本当ここ4,5年くらい全然書けてなくて、
なんか自分でもなんか好きだと思っていたこともやっぱり続かない気もあるけど、
やっぱりそこに戻ってくる時も絶対タイミング的にはあるから、
なんかそのそれで一生さよならっていうわけでもないし、
だから多分なんかそういう波を共有されるのって、
資本主義的にはなんかその非生産的みたいな、
やっぱりその続けて積み重ねてスキルがアップして、
なんかもうちょっとこの短い労働時間とかでもっとアウトプットができるみたいな、
そういう風な考え方に常に右肩上りみたいな感じのが、
当たり前とは思ってないけど、
多分社会的に当たり前とされてるじゃん。
なんかやっぱり自分でもそうじゃないとさ、
止まっちゃったりやめたり、逆にこう何もできない時期があったりっていうのに対しての、
なんていうのかな、自分自身へのそういう視点も結構、
なんか自分に対して厳しいじゃないけど、
なんかそこやめちゃダメとか、続けなきゃ意味がないとか、
そういうことを常に自分に対して思ってしまうのもすごい嫌だし、
なんかそれを少しずつ多分やめていくのが、
なんか自分にとっても多分他者にとっても、
これからの社会を自分がどう生きていきたいかとか、
どういう未来がいいかっていうのを考えた時に、
もうちょっとやっていかないといけないことなんじゃないかなって、
今リョーちゃんの話聞いててすごい思ったし、
なんかそういうのもお互いにもうちょいね、
言い合っていきたいよね。
なんかやめてもいいし、できなくてもいい時期があってもいいっていうのを、
なんか言ってくれたりする人ってあんまりいないじゃん。
成長の再考
なんかその失敗したり、自分で例えば失敗したとかやめたとか、
なんかそういう時に、なんか大丈夫だよって慰めてくれるのはあるけど、
なんかその肯定的に、ポジティブな感じで、
なんか次やってみようとか、全然違うことやってみようとか、
これ今やってることやめちゃおうみたいなのって、
あんまりこう推進されたりとか肯定されないから、
なんかそういうのを私たちなりになんか体現していければいいなってすごいあるし、
そういうのについてもうちょいシェアしていけたらまたいいかもって思って。
そうなったらいいなっていう。
お互いにね。
そうそうそうそう、こんな感じかな。
でもなんか最後に私が紹介しようと思ってたのが、
なんか今読んでる、今回のそのテーマを考えるのでもいいきっかけになった本で、
働けない男と考えてみたっていうやつ。
この間日本に行った時に買ってきたんだけど、
っていう人が書いてて、
なんか結構フェミニズムの本をもともと書いてるので有名なのかな。
でも私は多分これが今回初めて。
でもなんか結構すごい詳しく、
クリスさん個人事業主として、文筆家だけど、
個人事業主として税金を納めたりとか色々してて、
そういう細かい制度の理不尽さとか公平さみたいなのについてもすごい書いてて、
だからすごいリアルっていうか、
私全然そういう現状とか知らなかったから、
そういうのもすごい詳しく書かれていて、
最初エッセイかと思ったようになるんだけど、
めっちゃ勉強になると思って。
そう、今回紹介してみたけど、
もし手に取る機会があれば是非っていう感じかな。
はい、今日はこんな感じで。
こんな感じ。
じゃあまた次回。
じゃあまた次回。
はい、ありがとうね。
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