どっからどう話せばいいかなっていうのも難しいね。
なんかその、ぶち当たってる悩みというかはさ、
むーちゃんの今の具体的な仕事に対して、もちろんそう思ってると思うんだけど、
なんかもうちょっとこう、なんていう、抽象的なというか、
何か一つの仕事に対して、それはさ、仕事の業種とか仕事の内容が変わったとて、
結局なんか一の大半はさ、今のこの世界のシステム上、
その労働に対してすごい時間を使わなきゃいけないわけじゃん。
なんかその、なんていうか、もうちょっとその大きいフレームとして、
なんか労働を長時間やり続けることに対する悩みなのか、
なんかそれとも今のその具体的なその仕事に対して、
そういう悩みがあって、キャリアチェンジしようみたいな、そういう感じなの?
なんかすごいこう、両方っていう感じはあって、
最初多分考え始めたのは、なんかほんと自分の今やってる職種の範囲での悩みみたいなのがもともとあったんだけど、
なんかそこをこう考えてるうちに、だんだんとこう、それが大きくなって、大きくなっていくか、
まあその範囲が広がっていって、それこそりょうちゃんが言ったみたいに、
そもそも自分が生きてに仕事しないといけないのか、みたいなところにたどり着いて、
それってその生きていくためには仕事しないといけないけど、そうじゃなくて良い世界があってもいいんじゃないかとか、
なんかその労働の時間をいかに短くして、それでも生きていくことができるかとか、
労働そもそも自体の、なんていうのかな、あり方みたいのについて、
自分の中でこういろいろ考えているっていうか、
仕事を、なんか今すぐ直近でぶち当たってる壁みたいのは、
今やってる仕事の直接的に関わってる、これからキャリアどうしようかとか、そういうことなんだけど、
でもスパンをもうちょい長くして、10年後とか20年後も自分がやってるようなこと、
逆にその仕事をしてないといけないとか、なんかそういうところでの、そもそも働くって何とか、
自分の例えばやりたいこととか好きなことで、前も多分似たようなテーマで話したと思うけど、
自分の好きなことを仕事にするかしないかとか、できるかできないかみたいな話は、
割と前も話したし、結構自分の中でもいつも考えていることだったりもするから、
なんかそういうものも入ってきて、
働くこととはっていう恋が結構今、
多分そこから逆算的に考えて、今の自分の実際の仕事みたいなところにたどり着く感じなんだけど、
そう、なんかね、なんかりょうちゃんはそのなんていうのかな、仕事とか働くことに対してのこう、
こうあってほしいみたいな、逆に理想像から考えてみた方がやりやすいかもしれない、
これ話しやすいかもと思う。
なんか自分の理想であるこの生き方っていうかさ、なんかその、今この資本主義社会で生きてるから、
お金ないと住む場所も食べるものも確保できないみたいな社会にいるじゃん。
だからそう考えた時に、そこの中で一番いい形であれる働き方みたいな理想あったりする?
でもさ、理想を言ったらさ、そりゃ働かなくてよければいいよねって思うけど、
なんかなんていうの、お金を稼がなきゃいけないからとか、生活を成り立たせるためだけの労働とかだったら、
そりゃない方がいいじゃんって思うけど、
もちろんその仕事とか、働くだけじゃない部分もあるからさ、
なんかそういう、なんか自分、まあそれは人によるだろうけど、
なんか自分のやりたいと思ってることと働くことがある程度結びついてる人もいるわけで、
なんかそう思うと、その全く働きたくないというよりかは、
なんかもうちょっと心身健やかにあれる状態で働けたら一番いいよなとか、
休みたいときに休めるようにっていうのは思うけど、
まあそれは理想論としてはあるよね。
なんかそもそも働くもさ、なんかもともとは、なんていうのかな、
本当超超昔に戻ると本当に自分、例えば自分たちが食べるものを作るとかさ、
なんか自分たちが生きていくためにこういうことをして、
でまあ例えば自分はこういうことができて、
まあ相手はまた違う技術を持っていて、
なんかそれでお互いこう交換っていうかさ、
まあ価値の交換とか技術の交換みたいな形で、
お互いにそういうものを提供し合うことによって生活があるじゃないけど、
なんかそこにお金っていうものが発生しない以上、
直接的に自分の提供できるものを提供して、
逆にそれをこう受け取ってみたいな感じの関係性があったのが、
やっぱりそこにお金みたいなものが返せることによって、
なんかお金ってこう実体ないじゃん。
ないけどみんながあるって信じているからそこに価値があって、
今のこの社会が成り立っているわけで、
なんかそう考えた時に、
なんかお金ってこんなに私の人生を左右するのに、
なんかあってないお化けみたいな存在じゃんって思うと、
なんかそうじゃない。
この枠から出た生き方もあるなとか思ったりして、
そうねっていうのを考えたりもするけど、
でもなんかその今の社会に組み込まれている以上さ、
やっぱり生きていかないといけないじゃん。
そこってのこのお金じゃなくても、
なくても生きていけるような生き方ってあるはずなのに、
今いる社会が故にそうじゃない生き方を選択せざるを得ないみたいな感じのが、
なんかそのもどかしいというか、
何か方法はないのだろうかみたいなのを結構考えたりする。
でもなんかそのもうシステムに取り込まれて生きてるから、
なんかもうそこから出るっていう、出れたらいいなっていう理想はあるけど、
なんかやっぱりそれってめっちゃ難しいじゃんし、
多分そのシステムの外に出ましたって人いないと思うんだよ生きてて。
だからなんかその中で、
なんとかなるべく資本で全てが回らないような生活を望む人とかがさ、
結構自給自足生活をするぞって言って、
それこそこう人があんまりいないような土地に行って暮らしたりとか、
あるいはそういう場所でコミュニティを同じような志を持った人たちで集まって、
そういうコミュニティを作ろうみたいな取り組みもあるにはあるじゃん。
でもなんかあんまりそれはなんか私は分からなくて、
結局その資本の完全に外に出ることもできないっていうのもそうだし、
なんか常にどの道他者と関わり続けなくちゃ生きていけないから、
なんかその面でそういうコミュニティはコミュニティなりの大変さが、
なんか結構容易に想像できてしまって、
なんかそれこそ今回も話したけどさ、やっぱりその田舎の閉塞感と近いものがあるように感じてしまう。
そういうなんかある意味システムの外に出ようとする動きの一つとして、
そういうものもあるだろうなと思いつつ、
でも同時になんか自分はそれに惹かれないなっていうのもある。
手の届く範囲でそういう自給自足的なものを楽しんでできるならいいのかもしれないけど、
なんかすごいそういう活動とかってさ、
なんかまあ宗教的な感じでやってる人たちもいるけど、
結局すごく閉じちゃうよね。
そうなんだよね。
そこの中でやっぱり完結させないといけないから、
いろいろ生活を回していく上でも、
例えばその資本主義的なものに関わらないようにするってなると、
なんかまあ税金を納めるとかそういうことは最低限のことはするにしろ、
結局自分たちだけみたいになっちゃうから、
なんかそれこそ孤立じゃないけど、
なんかそこからやっぱり出たらさ、
またその同じような人たちを探し続けないといけないっていうのもあるし、
なんか結局そこでやっぱりそのりょうちゃんがさっき言ってたみたいな、
なんかその田舎とかのコミュニティーに通じるそういう閉塞感みたいなもの、
なんかやっぱ結局閉じてしまうよね、世界が。
ある一つのシステムから出ようとしたとして、
でも結局また別のシステムを作って、
なんかそのシステムの中で回っていってしまうみたいなところがあるんじゃないかっていう気がしちゃうし、
なんかやっぱりそのコミュニティーが閉じてくって怖いことだと思ってて、
なんかやっぱりそれってなんか、
まあコミュニティーの中とはいえいる人は他者なんだけれども、
なんかだんだんその同質性みたいなのを重視しだすようになってしまうし、
なんかその外がないっていうのは結構やっぱり怖い。
外がないと思ってしまうことってやっぱり結構怖いから。
そうだね。
そうそう。
結局そこの、なんていうのかな、それに合わなかったら排除されるわけだし、
そしたらまた同じような世界で、
特にこれに関わることってさ、
センシティブというか話題として、
そうだね、
やっぱりそのめっちゃプライベートな話になるから、
なんか自分の仕事としてこういうことやってますよっていうのをいろいろ言う人がいて、
すごいそういうので暮らしていけるんだとか思うんだけど、
でもなんか具体的な部分っていうのはさ、
やっぱりその人たちも見せないし、
当たり前だけど、やっぱり見せられない部分っていうのがあるから、
だから結局やっぱりその見せられない部分こそ知りたいみたいな、
どうやってやってるんだろうみたいに。
だからこそオンラインとかって難しいんだよね。
例えば身近にそういう人がいたらさ、
それこそ本当付き合いがあったりしたら、
そういう人がどういうところでどういうふうに過ごしてるかとか、
全然その距離が違うじゃん。
ちゃんと知ってるとして会話ができる気がするけど、
本当に他人っていうか知らない人、知らないそういうオンラインの人々の話みたいのは、
やっぱりさらにイメージしづらい感じはあるかなって思うし。
でもさ、知ってる人でもむずくない?
でもなんか知ってる人とかってさ、
どういう部分知るのって。
お金とかの詳細はあれにしろ、
すごい生活してる空間?
人としての実態がないみたいな。
もちろんみんな人間だし、
例えば本当顔出しでYouTubeやってたくさんいると思うから、
人としては、人っていうのはわかるんだけど、
実態としての、人間としてのみたいな感じでかな、私は。
例えば友達だったら、一緒にお茶に行けるとか、
そこに人としていて、会話ができて、
生きてるみたいなのがすごいわかるだけでも、
私はこういうふうにちゃんと人としているみたいなのが実感として湧くっていうか、
オンラインとかのコンテンツってもちろんその人自身が、
例えばエッセイとかそういう個人的な話を書いてる人だったらさらに。
だけど生活とかっていう面って多分ほとんど、
その内容、書く内容によっても多分変わってくると思うんだけど、
全然見えないから、
こういうので生きていけるのだろうみたいなのが、
読んでて自分が心配になるじゃないけど、
これでやってけるの?みたいな。
でももちろんその人自身もさ、
リョーちゃんさっき言ったみたいに全てを見せてるわけではないから、
それが多分副業かもしれないし、
その他にたくさんいろいろなお仕事を書き落とすかもしれないし、
見えない部分はたくさんあると思うから、やっぱり難しいんだけど、
やっぱりその人としての生活ができるっていうだけでも、
私の実感としては変わってくるかなみたいなのはあっての、
近い人でそういう人がいる、いないでの、
そういうものの可能性の見え方みたいなのも、
私は結構実感的に自分は変わってくるなっていうのは思ったけど、
私でも周りにそういう人あんまりいたことないから、
リョーちゃんわかんない。
なんか親戚で得体の知れない人はいたけど、
でもなんか適当にわかんなかった。
謎、謎に包まれた人。
そうそう、仕事はしてるんだけど、
親戚って言ってもそんな近い感じではなかったっていうのもあって、
なんかその、大まかにこんなことをやってるみたいなのは聞くんだけど、
でもそれって仕事になるの?みたいな。
それで普通に生活、日々の生活費って出せるの?みたいな感じ。
で、なんかよくわかんない。
この人はその大まかなことはわかるけど、
でも何を日々過ごして生きているんだろう?みたいな、
全然わかんない人はいた。
それでも生きて生きるんだみたいな。
そうそうそう。
なんかそれこそそういう、私の感覚的には、
直接面識はないけど、
本か動画とか出していて、
間接的にあの人が望んで出している部分として知ってる人みたいな、
同じ並びにその人もいた、みたいな感じかな。
その同じぐらいわからないことが多かったというか、やっぱりわからないよね。
なんか一つすごい面白いなと思ったのは、
日記本で読んでる、よくわからないまま輝き続ける世界とっていう、
小川近子さんっていう人の日記本を読んでるんだけど、
私は多分すごい読んでて好きなのが、
日記本だからっていうのもあるけど、
なんかその生活がめっちゃ、
でもなんか結構その、食べ物について書いてある項目が多くて、
なんかその日記の日々の中でも。
だからなんかその、これはたぶん日記本だからこその、
なんていうの、見えてくるものみたいなのもあるんだけど、
なんかそういうふうに、日々の生活とか、
スーパーに行って、この菓子パンを買おうか悩んだみたいな話とか、
なんかそういうのをすごい書いてて、
たぶんそれが、小川さんすごい日記が結構メインのコンテンツとしてあって、
私の本も結構日記本がメインだと思うんだけど、
なんかそういう日記本って、その人のこう生活とか、
なんか日々そういうふうに生活していく上で感じたこととか、
あと悩んだりしたこととか、みたいなのが書いてあるから、
なんかそういう日記、書くこと自体を、
例えば書くことが職業だったとしたら、
書くこと自体がメインの仕事であるかどうかは、
たぶんその人によって違うんだけど、
なんかそういう日記なものから見えてくる、
そういう生活のあり方とか、仕事の仕方の違いとか、
労働環境の違いみたいのは、読んでてすごい実感しやすいなって思ったし、
なんかイメージがつかみやすい、それこそさっき言ったみたいに全然、
ネット上とかだとわからないことが多いけど、
なんか日記本はなんかちょっと特別かなみたいな、今話してて思ったし、
なんかでもね、見えることと見えないものによっても、
やっぱ全然つかめるイメージが変わってくるよねっていうのは。
そうね、なんかまぁ日記もスタイルによるとは思うけど、
なんか割とこう一日中結構、なんていうか緻密に記述してる人とかだと、
なんかやっぱり生活が見えてくるっていうのはあるかもしれないね。
なんかその日記本すごい流行ってるじゃん。
私なんか自分もその日記ではない?
なんか週ごとに書いてたみたいなやつとかをなんかそう人にしたけど、
なんか私の場合成果書いてるというよりかは、
なんか思考を書いてるみたいなとこがあったんだけど、
だからなんか日記を書くスタイルも多分人によって全然違うっていうか、
本当にその日あったこととか食べたものとか、
どこ行った何したみたいなことを書く日記もあるし、
まぁそうじゃないものもあるだろうし、
その前者というか結構なんていうか事実ベース、
まぁ全部フィクションではないんだけれども、
なんかその何をやった、どこに行った、何を食べたみたいな、
そういうものが中心にある。
記録的な。
やっぱりそうそう、日付もあるし時間帯とかも書かれてたりすると、
やっぱりその人の生活とか一日の流れみたいなのが
見えやすいエッセイとかよりは、
なんか日記っていう題材を取った方がすごい見えやすいっていうのはあるかもしれないね。
エッセイとかはやっぱり綺麗に書かれてるなーって思っちゃう。
なんかその日記本とか読んだ後とか、
特に読むとなんかすごいテーマがあって、
なんかすごいちゃんとしっかりこうしまった文章でピチって書かれた感があるけど、
なんか別に日記がそうではないっていうわけではないんだけど、
日記はやっぱりその、なんかりょうちゃんも言ったみたいに、
そのリアルな生活の手触りみたいなのがあって、
それこそ時間帯とか、食べたものとか、
なんか天気の話だったりとか、
なんかその自分の生活と重ねたりとか、
自分の今の、まあそれこそ今の仕事がテーマで話してるけど、
なんかこういう風な仕事をしてる人はこういう働き方とか、
こういう時に仕事をしてるんだとか、
みたいなのもすごい見えてくるから、
なんかすごいそういう視点で読むのも興味深いなーみたいなのは、
今ちょうどそういうこと考えてる時に日記本を読んでたから、
またそういう視点から読んでて、なんか面白いなーって思ったし、
結構いろいろなものが見えるなーって思った、
そのエッセイとかよりは。
そうね。面白いね。
でもね日記本は本当にいろいろな形があるから、
本当人それぞれって感じよね。
私もだいぶ読んだけど、全然人によってスタイル違うか。
なんかめっちゃ仕事に話戻すとさ、
なんか多分私もその仕事どうしよう問題みたいなのは、
割と喫緊の問題としてあって、
でなんか多分その私の悩みは、
むーちゃんとはまたベクトルというか方向性とかも全然違うというか、
なんか別の壁にぶち当たったなみたいな感じなの。
ていうかなんか弟は今大学院に行って、
研究をメインにする生活をしていて、
でなんか一番最初別になんかその、
その場合はこれがそもそも問題だったのかもみたいなのもあるけど、
なんか別に研究者になりたいみたいな強い意思があって、
進学したわけではなくって、
純粋にやっぱりそのこの研究のテーマをもうちょっとやりたいとか、
その知的好奇心が勝っていたみたいな部分で、
そういう選択をしてきたんだけれども、
でまあなんかとりあえずは、
あのまあいろいろラッキーが重なり、
その金銭的にも支援とか公的な支援とか受けて、
まあ今までやってきたんだけれども、
だからなんかその強い意思があったわけではないけど、
ゆくゆくはその研究をして、
ご飯が食べれるようになったらいいなみたいなのは、
まああったにはあったっていうか、
別に研究者絶対なりたくない、
思ってやってきたわけではないからもちろん、
でただなんかやっぱりその結構この大学っていう組織に長いこといて、
でまあずっとそのまあアカデミアにも属し、
でまあもちろんすごいいいこともたくさんあったし、
いろんないい出会いもたくさんあって、
なんかまたこのまま研究者としてのキャリアを積むために頑張るみたいな方向性も一つはあったんだけれども、
なんか結構やっぱこの長い長年のこのなんというか学生生活で、
なんかもう結構その研究テーマとか研究そのものに対してってよりかは、
なんかそれを取り巻く環境とかシステムになんかもうものすごい疲弊してしまった感があって、
でなんかやっぱりその疲弊したのもお金もすごい絡んでいるし、
なんか研究者っていう立場になるために、
特になんかその何らかのポジションを得るためにやっていかなければいけないというか、
なんかそのいろんなこれからあり得るだろう選択とか、
それこそ10年先を見た時の不安定さみたいなのを考えた時に、
ただでさえもうこのシステムに疲弊してるのに、
なんかもうこれ以上ここに入れないみたいなのがなんか最近の私としてあって、
だからなんかその特にまあ後期課程というか博士課程まで進学した人って、
まあ大体は大学なり研究所なり、
何らかのあの何まあ研究者としての仕事を確立しようと頑張る人が大多数なわけなんだけれども、
なんかもう私はそれ頑張れないと思ってしまって、
そうだからなんかまあ別に今大学辞めてはないけど、
だからなんかもうその最初はもう研究がやりたくて来たはずなのに、
なんかその研究を取り巻くいろんなもの、いろんな価値判断とかいろんなシステムとか、
なんかもうそういうものになんか疲れて、
なんかもうそっちの疲労感の方がひどくなって、
なんかだんだん自分がその熱意を持って取り組んでいた、
それこそやりたいこととしてやっていたものへのなんか熱意がどんどんなんか消え去っていく感があって、
もちろんそのまだまあなんというかテーマが大事だと思ってるし、
やりたいという気持ちがゼロではないから辞めてないけど、
でもなんかそのやり始めた時のあのやりたいという、
なんか欲求は一体いずこへみたいな状況にそうなってしまって、
だからなんか今はある程度不審明までやったら、
なんかもう全く違うことをやりたいみたいなマインドに私の場合はなっていて、
だからその全く違うことをやるにしても、やっぱその全く違うことをするためのリスクというか、
リスクもあるし選択肢がどれだけあるだろうかみたいな、
そういう悩みに私は最近ぶち当たって、
それこそやっぱりこう今やってることが10年先に10年先続けられるかみたいなのを考えた時に、
純粋にその研究だけじゃなくて、
その研究を取り巻く環境もなんかもう今も最悪って思ってるけど、
なんかそのいろんなその動きとして、
今現在は起きてないけど今後起き得るだろうみたいな動きが、
なんか今もう結構出始めていて、
なんかそれにも結構絶望していて、
だからなんかそれこそ10年先20年先これは続け、
少なくとも自分のこう生活をしながらこれをやるっていうことについて、
あるいは生活を成り立たせるっていう意味合いも含めて、
やりたいことをやっていく、今やっていることを続けていくっていうのは、
なんか私にとっては結構難しいかもみたいなので、
なんか絶賛仕事迷い中みたいな感じ。
多分何やってもいいんだよ仕事は、
なんだかんだなんかすごいいろいろ悩んで、
なんかまあそういうやりたい、
なんか自分がやってみたいなって思うことを仕事にしてる人見ると、
ああ羨ましいなとか思うけど、
多分それこそ最初りょうちゃん言ってたみたいに、
その見えないものって多分たくさんあるから、
なんかそのなんていうの、
私たちが見えてる部分って多分いいとこばっかりで、
その周りのものって多分結構すごい大変なこともたくさんあるし、
特にその例えば個人事業にしてこったら、
自分で全部そういうものを管理しないといけないわけじゃん、
だからそれに伴うリスクとか大変なこともたくさんあって、
だからなんかまあそれこそ多分みんな周りの周りじゃないけど、
なんかその自分がやってないこととか、
逆に自分がいつかやってみたいって思うことに対して、
そういうふうになんかああいいな、やってみたいなっていうのを思うのは、
多分人間として自然だと思うんだけど、
何やっても仕事としては生きていければいいんじゃないかっていうのは最近思ってて、
だからなんかそのもちろんその人によってはすごいそのキャリアアップみたいので、
そういうふうにこう昇進したりとか、
まあそういうところで組織の中で登ってみたいなのに満足感を覚える人も多分いると思うし、
達成感だったりとか、
みんながみんなその仕事を頑張らなくていいと思うっていうのが私的にはすごい最近思ってることで、
もちろん好きよ仕事にしててそれがすごい、それに一生懸命になってっていう人も多分いると思うし、
でもみんながみんなそうじゃないじゃん、多分多くの人がそうじゃないと思うから、
そうじゃなかった場合にそれでも落ち込まずに、
リョーちゃんやったみたいにその仕事とかの外にある自分の中での変わらないものを探す方に専念した方がね、
まあその今の仕事が辛くなければ、辛すぎなければ、
で、それが逆に辛すぎるとさ、今度逆に自分のそういうものをやる時間とか心の余裕みたいなのなくなっちゃうから、
それだと本末転倒だから、ギリギリそこに侵入してこない程度くらいの仕事ができる場所をまず探し、
そこに落ち着けば別に仕事はね、また変わってくると思うし、
だからもうちょい私もなんかここ数年はキャリアチェンジしたのもあって頑張んなきゃみたいなのをめっちゃ思ってて、
なんかそれもあって、なんかそのバーンってではないけど、
なんかその逆にその自分の好きなことをやったりとか好きなものに集中するみたいな心の余裕があんまりなくって、
なんか仕事終わっても仕事のことがずっとこう頭の隅っこずっとぐるぐるぐるぐる渦巻いてるみたいな感じのがすごいずっとあったから、
今回ちょっと久しぶりにちょっと長めのUQ取ってなんかいろいろ考えてた時に、
なんかもうちょいこう自分の好きなこととか、それこそポッドキャストだったりとか、
その本読んだりとか、なんかもうちょい自分の好きなことをもう一回集中して、
もうちょいこうそっちに心と時間をツイヤしていきたいみたいなのを最近思ってて、
大事だなって今りょうちゃんと話しててめっちゃ思った。
ねー、そうなんか理想論としては好きなこと仕事にしてそれで食っていけたらみたいなのはあるけど、
なんか自分のケースとか見ても、なんか直接的にその好きなこととかやりたいと思ってたことが、
もう100パー嫌だっていう風にならなかったとしても、
なんかそのやりたいこととか好きなことのするためのシステムとか、
その周りの物事が受け入れられないとか、この状態では続けられないみたいなのって、
別になんかその私のケースだけじゃなくてもあると思うんだよ。
だからなんか、特にアカデミアの場合、
ここまで来て辞めるのが負けではないけど、
え?みたいな感じのってめっちゃあるんだけど、
それでも多分一昔前よりは全然いいと思うんだけど、
でもなんかそのやって、なんかそのやりたいと思ったこともやってみないと、
なんかそれが実際どうなのかみたいなのって多分わからないと思ってて、
で、なんか一旦それをやってみた結果、
なんかそれでダメそうだと思ったら、一旦やめるみたいな、一旦その場から出ていくとか、
全く違うことを始めてみるっていうのも、なんか私は肯定できるようになりたいと思って、
それはなんか自分に対してもそうだし、
なんか何かを続けられることもすごい素晴らしいことだと思うけど、
続けるとか、何かこう気づいてきたものが次のステップに生かされるみたいなことだけではない、