1. あのさ、
  2. #5 人は誰もが何かを信じよう..
2022-01-24 50:06

#5 人は誰もが何かを信じようとしている

第5回目はこの間の続きで自己評価や聞くことの難しさについて話したよ

軸があって自己肯定感がある友人 / 自分が何に反応しやすいか / 親が私の評価に反応しない / 自分の中で評価が定まらない / もっとやらなきゃ / 外からの評価=自己評価が自己否定につながる / 自分で自分を責める癖 / 自己肯定という言葉が好きじゃない / 肯定し続けたいだけでもなく否定し続けることだけではない / ポジティブシンキングが空っぽ / 根本と向き合っていないよね / 自分を肯定できないことがダメ / スピリチュアルとライフスタイル / そのままで美しい?/ ひとつのことを信じ過ぎてしまう / 多面性を認めない / 常に自分を肯定できなくていい / 大丈夫じゃなくても大丈夫、な状態になりたい / ただ聞いて話せる場所が大切 / 波であることを認める / 無理やり良いものに変換しなくていい / このポッドキャストがヒーリングタイム / アドバイスする人多い / だいたいもう自分で考えたことだったりする / ただ人の話をちゃんと聞くって難しい / 反応返答しなきゃ / 聞く能力を養うって難しい / どうすり合わせていけるか / なぜ相手はこう考えたのか / 純粋な興味 / 相手へのリスペクト / 前のめりになって話を聞こうとする / 質問が自然になる / 相手の存在を大切にするところから / 自分が言ったことが相手に影響しちゃう / 沈黙や返答がないことに慣れる / 反応しなきゃという切迫感 / 答えのない反応 / 慣れるのには意識が必要 / 上手い話し方はあるけど上手な聞き方はないよね / 相手が終わるまで聞き続ける訓練が必要 / 発信と聞くの不均衡 / 自分が次に何を言うか考えている / 相手とのテンポがずれてる / 面倒くさいしイライラする / 意識しないと変われないな / ポッドキャスト始めるようになって気付いたこと / 生放送のラジオってすごいな / 回を重ねてもっと上手くなってるといいな / 続けるのが目標

エピソードタイトルは若松英輔さんの『言葉の贈り物』p114から引用しました。

質問や感想はこちらへ。ありがとう、大切に読みます
dialogue.taiwa@gmail.com

00:09
あのさ、そう言って語り始める無数の私たちの話、
とるに足りないとされるかもしれないけど、
それは私たちにとっては大切な話。
たとえ分かり合えなくても、言葉を紡いでいくことで
見えてくる地平があるのかもしれない。
そんな可能性にかけて、まとまらない話を、
結論のない話を、解決策のない話を、ひたすらに重ねていく。
あんまり周りにいないけど、でも親がさ、めっちゃ肯定する人とかもいるじゃん。
え、なに?その部活動を?
じゃなくて、その、たとえばそんなのやめたい、みたいな。
うんうんうん。
あの、なんて言うんだろう。
中学の時にラシックしてた、まさにそうだったんだけど、
なんかその子が、なんかすごいことやってるわけじゃないんだけど、
なんかちょっとでも何かができたとか、
たとえばテストでちょっといい点取ったとか、
なんかほんと些細なことで全部親が褒めてくれる。
うんうん。
で、なんか、だからかといってなんか、なんだろ、
その子が手につきあがるとかでは全然なくって、
すごい自己肯定感があるから、
ちょっとやそっと外部に何か言われたとこで、
なんか全然動じない?みたいな。
へー、すごーい。
なんか結構、自分はこうしたいって思う。
だからこうする以上、みたいな感じで、
軸がすごいはっきりしてるから、
なんか、なんて言うんだろう、
自分がちょっとできない状況に陥ったりとか、
あまりいい状態ではない時っていうのも、
まあこういう時は仕方ないぐらいで流せる。
うんうん。
だからなんか結構近くにいて、いやすごいなーって、
めっちゃ思ってたんだよね。
すごいねー。
いいなー、なんかなんだろうね、
なんかでもそれってさ、なんかそう小さい、
まあそれこそ詰めて、
なんかさ、些細なことのこう積み重ね、
みたいなところがすごいあって、
特にしかも自分の家族とか、
自分とこうすごい近いところにある人とか、
まあ環境っていうところから、
すごい影響を受けるから、
なんか、あと同時に多分、
そのどれだけ自分がこう、
どういう場所に反応しやすいかっていうのも、
すごい関わってくると思ってて、
だからなんか、私も、私の母親全然、
03:03
なんかさっきも言ったけど、
なんかそういう成績とか一切興味ないし、
なんかそれこそ体が弱かったのもあって、
なんかそのほんと体優先で、
なんか勉強も別に全然したくなかったりしなくていいし、
なんかその頑張るとかしなくていいみたいな感じ。
だからなんかその小学校の頃からも成績表とかを持って帰ってきて、
もうなんかすごい、すごいねって言ってくれるけど、
別にその何、良いも悪いも、
なんかそのすごい過剰にこう評価したりしない、
なんか普通にすごい、
自分がこう何か学べたならいいんじゃないみたいな感じ。
なんか自分が楽しかったらいいんじゃないみたいな感じ。
だからなんかそのすごい褒められたっていう記憶もないけど、
なんかその成績が悪かったからとか、
なんか勉強してないから怒られるとかっていうのはなんかなくて、
でもなんかだからこそこう自分の中での評価が揺らぐっていうかさ、
なんか自分の中でこう褒められもしないし、
なんか怒られもしないから、
なんか何、うまくいってんのかいってないのかよくわかんない状態。
で、だからなんかそれが今度自分の中で、
じゃあこうどうその評価をこう消化するかってなった時に、
なんかこう自分の中で結構その極限にこう揺らぎすぎてしまって、
私の中ではなんか常になんかもっとやらなきゃみたいな方にこう気持ちが動いちゃうから、
なんかその外から、親からは別に全然何も言われないけど、
なんかこう学校とかのそういう先生、自分の担任の先生とか、
あとその周り、クラスの周りの人からとか、
言われたこととかその評価みたいなものがすごい気になるようになっちゃって、
なんかそういうものに評価を求めるようになっちゃったから、
だからなんか逆にそのそれがプレッシャーだったりとか、
あとまあそういうものに結構左右されてしまいがちなところがあって、
なかなかその、なんかそれがあって結構、
何だろう、自分の親とかっていうよりかは、
自分の置かれた環境、それこそ学校だったりとか職場だったりとか、
同僚とかクラスメイトとかっていうそういう人たちからの評価っていうものがすごい気になるし、
なんかそういう場所で成功しないととか、あと例えばいい線取らなきゃとか、
そういうところに自分自身の評価を重ねちゃう、
それが自動的に自分の中の自分の自己評価みたいなところ、
イコールになってて、
例えばあんまり成績良くなかった時とかの、
自分に対しての批判みたいなのを同時に自己否定みたいなのに繋がるイコールで、
06:06
そう、なんかそれもそれで結構、自分の中では悩んでるし、
だから軸がないみたいにすごい思うのね、自分のことに対して、
自分の考えとか、自分に対する自己評価が常に揺らいでる、
その周りの評価に応じてっていうところがすごい軸がないなってすごい思うし、
なんかそうりょうちゃんの友達みたいに、
自分はこうだからこうしたいとかっていうのを言える人見るとすごいなって思うし、
同時に自分にはできないなって思ってしまうところがすごいあって、
そういうところとどう向き合っていけばいいんだろうっていうのをいまだにまだ悩むし、
悩んでる、環境が変わっただけであって、それこそ学校から職場になっただけであって、
中身は同じようなもんだから今も、難しいよね。
どうやって、私もやっぱり今も今日あんまりできなかったなとか、
今日何してたっけみたいな状況に陥りやすいから、
その時とかに、やっぱり自分のことを責めがちだし、
私はあんまり他人からの評価みたいなのはそこまで気にならない方だとは思うんだけど、
自分の中で自分で自分を常に責めてるみたいな感じがあるから、
そういうのとどういうふうに向き合うというか、
そういう自分みたいなのとどういうふうに対峙していけばいいんだろうっていうのはずっと今も考えてて、
ちょっと休んだりとか、うまくいかなかった日が続いたりとかすると、
そのことですごく自分で自分の首絞めてるみたいな感情的にすごくしんどくなるんだけど、
多分結局根本的に自分で自分を責める癖を直さない限り、
例えばどれだけ外から見たときにめっちゃやってるっていう状態にあったとしても、
09:03
結局その小さい穴を見つけては自分がさ、自分で一番自分が何してるか分かってるから、
その小さい穴を落ち着くような感じでずっと責めるようなことって直らないだろうなって思って、
結局なんかそういうふうに過剰に責めないとかっていうのをどういうふうにしたらいいんだろうっていうのはずっと考えてて、
単に自分は何してても大丈夫、大丈夫とか、自分は何もしなくてもそれだけで十分だみたいな、
そういう感じにはなれないというか、なんかそれもまた、なんていうんだろう、
いろんなものを見なかったことにしてるような気がしてしまって、
私はあんまり自分、自己肯定感みたいなのがあまり言葉として好きじゃないっていうのも、
自分を常に肯定し続けたいわけじゃない、でも同時に否定し続けたいわけでもないというか、
今は結構否定の方が多いから、否定をしないっていうことを心がけたいと思うけど、
でも否定をしない、ゴール肯定していくっていうことではないと思ってるから、
なんかどうすればいいんだろうってわからないけど、
なんかりおちゃんが言ってることめっちゃわかる、なんかすごい一時期、
スピリチュアルとかメンタル、それこそまた違う形の精神論みたいので、
ポジティブシンキングとか常に自分を応援するみたいな感じのがすごい流行って、
そういう名残がまだある感じが拒めないけど、社会的に、
でもそういうのって、すごい私がそういうのを聞いてたとき空っぽだなってずっと思ってて、
それこそ自分にとってもあまり有効じゃなかったし、
なんか根本的な自分の中での否定とか不安とか恐怖っていうものを、
そういうものとちゃんと向き合ってない、ただ単に表だけでは、
とりあえずその状況を収めるためだけの言葉だったりとか、
気持ちの扱いだったりとか、本当はもっともっとそこで、
12:05
それをじゃあなんでこうやって思ってるんだろうとかっていう風に追求していって、
また違うものに繋がっていったりとか、逆に新しい発見があったりするのに、
そういう可能性を全部なくしてしまっているような感じがあって、
それが私はすごい嫌だったし、なんでこんなのにみんな飛びつくんだろうみたいな、
逆にそういう社会になってくると、自分がやっていることがさらに否定された感じになるじゃん、
それこそうまく自分のことを肯定できないことが悪いみたいな、
それが今度自分のまた新しい自己否定のネタになるみたいなところがあって、
なんかその悪循環みたいなのにもすごい加担したし、
そういう雰囲気とか風潮みたいなものが、
なんかすごいマリオちゃんが言ってた話もわかるし、
なんで逆に否定するとか、自分のやっていることに対して疑いを持つとか、
なんかそういうことが悪みたいな、なんかダメみたいな感じにされるのかが、
まずそもそもわからないし、
なんかもっとみんなそういうことに対してオープンに話してほしいなっていうのはすごいある?
めっちゃわかる。
もう何年前だ?3、4年くらい前とか、
結構その東京にいた時、東京に住み始めて最初の数年くらいの時とか、
結構その、今わりと多分トレンドみたいになってると思うんだけど、
なんかレシカルとかベジタリアンとか、
そういう色々環境のことをその時結構私は考えてたから、
なんかそういう生活スタイルを試してみたりしてたんだけど、
でもなんかそういう、もちろんその、なんだろう、みんながみんなそうだったっていうことでは全然なくて、
私がその東京で出会った人だったりとか、コミュニティっていうのが、
結構その、なんていうんだろう、食事とか身につけるものとか、衣服とか、
そういうものと環境問題とかを結構結びつけて考えてる人たちの中には、
やっぱりそのスピリチュアルとすごく結びついてる人が多くて、
なんか神話性が高いのかなって、なんかもしそういう研究あったら私も見つけたいなって思うんだけど、
15:01
なんかそういうベジタリアンの人とかビーガンの人とかで、結構スピリチュアルにかなり傾倒してる人がいて、
スピリチュアルがどうとか、
全部否定してるわけではないっていうか、あんまり深くは知らないからっていうのもあって、
そんなに否定してるっていうわけではないんだけど、ただやっぱりなんかその時あまりにもそういう価値観の人が多くて、
なんかそれにちょっと気持ち悪さみたいなのを感じちゃって、私は。
やっぱりそれこそムーちゃんが言ったみたいに、本当になんかその人たちは、
全ての人はそのままで美しいよとか、
分からないではないんだけど、その人の存在をきちんと肯定していくっていうことは、
すごくポジティブなことだし、いいことだと思うんだけど、なんかそれが同意しすぎてるというか、
なんかあらゆることを見ないままに、ただ肯定だけしてるみたいなふうに私は映ってしまって、
だからなんかあまりそのコミュニティの中で、いいとされることとか、いいとされる考え方に疑問を持つ人がいなかったのね。
でもなんか、いやでもそれってよくよく考えたらとか、そもそもみたいなことを言わせない空気があって、
私はそこが一番嫌だったので、だから結構それが嫌で、
なんかそのコミュニティの人と連絡を取ったっていうのが結構でかいんだけど、
未だにやっぱそういうスピリチュアルと神話性が高そうな価値観みたいなのを見てしまうと、
ちょっと距離を置きたくなる状態なのが今もあって、
なんか別に全てのことに全部疑ってかかれとかっていうわけではないんだけど、
あまりに一つのことやっぱ信じすぎてしまうとか、
いろんな一人の人間の中にもいろんな感情があって、いろんな一日の中でもそうだし、
それこそ年単位とかでもどんどん変わりゆく部分とか、沈んでる瞬間とかっていうのがいっぱいあるのに、
なんかそういうものを全然見ない。
なんか、なんていうんだろう、私は結構その沈んだままでも大丈夫だし、
別に肯定できなくても大丈夫みたいな状態になるのが自分としては一番望ましいと思ってて、
なんか常に自分を肯定できなくても、すごく曖昧なんだけど、
18:04
なんか自分が肯定できないっていうことで、
なんか自分をずっと否定したりとか否定したりっていうことはやっぱりすごく自分にとって負荷がかかるからやめたいって思うんだけど、
でもなんか自分が常に元気で常に大丈夫ですみたいな状態になるっていうのは不可能だし、
そういう姿は自分としては望ましくないなって思うから、
なんか大丈夫じゃなくても大丈夫みたいな状態になりたいなずっと思ってる。
うんうんうん、すごいわかるでもそれ。
なんかそれって結構自分だけでやるのって難しかったりもするよね。
それを自分の中で完結させるのって割と結構大変だったりするから、
なんかやっぱり信頼できる人とかそういうものをやっぱりそういう風な考えを持ってたりとか、
そういう風な理解を持ってる相手と話すことによって、
多分そういう場だとさ、それこそ社会的にネガティブとされるものをちゃんと対等にっていうか、
ちゃんとまっすぐ相手に伝えることができる。
だからそれに対して何かをしてほしいとか、アドバイスが欲しいとか、
なんかその応援してほしいとかっていうのじゃなくて、
ただ単にその話を聞くみたいな感じのこと。
本来は自分の中でできれば一番いいんだけど、やっぱりそれってなかなか難しいし、
だからこそこういう場で話を聞く。
本当にそれに対して何かをしないといけないっていうこともなくて、
それをポジティブに変換しないといけないっていうこともなくて、
ただ、さあって言って聞いたり話したりできる場っていうのがやっぱりすごい大切だし、
もっと必要だなってそういう機会だったりとかそういう場が必要だなっていうのを最近すごい思ってたから、
こうやって毎週ローちゃんと話すのも自分にとってはすごいそれを可能にさせてくれてる機会だし、
そういう考えを持ってていいんだっていうのをもっと多くの人に知ってもらいたいというか、
どっちかにしなきゃいけないっていうのは絶対なくて、
それこそさっきリョウちゃんと言ったように波じゃん。
人生もその人個人の感情だったりとか、
自分の怒っている状況とかってずっと自分が楽しいとかいいってされることが続くこともなくて、
もちろん体調崩したりとか疲れたりとかっていうすることは絶対あるし、
21:00
そういうものに応じて気持ちが沈んだりとか、
あと周りでどんなことが起こるとか、誰に何言われるかっていうのをやっぱり自分ではコントロールできることじゃないから、
そういうのに影響されてしまうことも絶対あるし、
でもだからこそそういうものを無理やり肯定しようとか、
良いものに変えようみたいなっていう、
自我がすごいあったりする行動、動きだよなと思ったりする。
そういうのって結構自分がコントロールできない場所にあったりするじゃん。
それを無理やり何かにする必要はないのに、
何かそうやって良いとされるイメージに変換しなきゃみたいな、
何かすごい強い気持ちっていうのをもっとみんな手放していければいいなっていうのはすごいある。
そうすると多分自分も楽になるから、
人にも強制しなくなる。
そういう人って何か他人が自分のそういう、
今ちょっと大変なんだよねとか、
そういうのをシェアした時に、
でも大丈夫だよみたいな、
こうすれば、こういう風にこうすればいいんだよみたいな感じの反応をしたりするけど、
そういうのってすごい話した人にとってはプレッシャーだったりもする。
でもそういうところを避けるっていうかさ、
出てくるためにもやっぱりこういう場はすごい必要だし、
それによってお互いがそういう風に聞いたり話したりできるようになれば、
多分お互いに強制する人も少なくなってくる。
そういう風に考えなきゃダメだよとか、
ポジティブにしないと、肯定しないとっていうのを強制してくる場とか、
人ももうちょっと少なくなるんじゃないかなと思ったりもするし。
私もむーちゃんと話す時間がわりとヒーリングタイムみたいになってて、
特にやっぱり今一人で暮らしてるから、
一人暮らし自体は全然寂しいとかもないし、
わりと快適に過ごしてる方だと思うんだけど、
でもやっぱり一旦ガクって落ちた時に、
一人でいるともう底なしに落ちてくるから、
だからそれを引き止めるというか、
ちょっと壁になってくれる時間ない人なりがあるっていうのはすごく大事だと思うし、
でもやっぱりそれって、むーちゃんと話すから今ヒーリングになってるけど、
それがまた別の人だったりすると、もちろん関係性によるんだけど、
24:05
それこそアドバイスをしてこようとしてきたり、
アドバイスしてくる人本当に多いなって思うんだけど、
多いよね。
ただ聞いてもらいたかっただけなんだけど、
相手は多分その話を聞いて、
何かそこを抜け出せる糸口を提示してあげなきゃって思うのか、
何かしらこう役に立ちそうなことを言ってくる。
なんかそれは自分のことを考えてくれてるのはすごくありがたいんだけど、
でもなんかこうすればいいよ、ああすればいいよって言われることって、
自分ではもうだいたい考えたことだったりとか、
そうできないから結構しんどくなってるのに、
それをまたこうすればいいんだよっていう風に言われちゃうと、
話さなきゃよかったなっていう風になるから、
多分自分も全然できてないと思うけど、
ただ人の話をちゃんと聞くっていうのは結構難しいことだと思う。
それに対してやっぱり聞いて無言でいるっていうのは失礼だし、
会話としても不自然だから、
やっぱり自分も誰かの話を聞いたら何かしらのレスポンスをするんだけど、
でもその時にどう返答することが相手にとっていいのかを見極めるっていうのは、
聞くスキルとして結構難易度が高いことだと思ってて、
だから私にそのアドバイスをしてくれる人も、
なんでアドバイスに参加するんだよっていう風には思ってないんだけど、
実際それってやっぱり難しいなって自分に当てはめて考えてもそう思うから、
聞く能力を養うみたいなの、
結構難しいことだと思う。
難しいよね。
こうやって話してるのでも結構私難しいなって思うもん。
いろいろ確かに言ってることとか言おうとしてることもすごい考えるけど、
同時にりょうちゃんが話したことに対して、
ジャッジっていうか何かしらの考え方とか方向性を提示しすぎてないかなみたいなのもすごい考えるし、
でも同時に会話を進めていく上で、
私も一人の個人として存在してるから自分の意見があるわけで、
27:03
それをうまくどうやったらすり合わせながらお互いそうやって、
それぞれの考えとか世界にあまり干渉しすぎず、
でも同時にうまく聞くことができるんだろうっていうのは本当にすごい難しいことだし、
でも同時に聞いて、相手が話してるものを聞くっていうのと同時に、
それに対して質問をする。
だからなんでこういうふうに考えたのかなとか、
なんでそういうふうな思考の方向性にいったのかなとかっていうふうに、
相手に対して純粋に興味を持つみたいなところにすごいつながってくるのかなって思ってて、
これはたぶん2回目とか1回目ぐらいで話したけど、
相手に対するリスペクトみたいなところともすごいつながってくると思うんだけど、
何かに興味があるときってすごい前のめりで話を聞くし、
もっと聞かせてってなるじゃん。
でもたぶん普段話してるときとか、相手が何かを話すときも、
そういう姿勢を持ち続けるのがすごい大事。
そうするとたぶん自然にうまく聞けるとか、うまく相手の話を聞けるし、
こっちから質問をする、聞くっていうのもすごい自然に出てくる。
じゃあなんでそういうふうに考えたのかなとか、
なんでそういうふうな流れになったのかなとかっていうのも、
もっとスムーズに聞けるようになる。
でもやっぱりそれを相手にちゃんと時間をかけて、相手の話を聞いて、
相手に興味を持つっていうのはやっぱりその相手、その人の時間も大切だし、
その人の存在もすごい大切だし、
その人自身の全てをちゃんとリスペクトしてるからがゆえにできることだと思うの。
だからやっぱりそういうところが、人に対してのこういう思いとか、
アプローチの仕方みたいなところから自然にそういう考え方とか、
そういう聞き方っていうのは出てきたりもするのかなって思った。
今りょうちゃんと話してて。
特にりょうちゃんと話してたりするとそういうふうに考えるかな。
でもね、やっぱり難しいよね聞くのって。
なかなかね、自分が何を、やっぱり自分が言ったことも相手に影響しちゃうって考えるから、
30:05
その影響がいいものであったら嬉しいけど、
やっぱり余計追い詰めるようなことを言ってしまうじゃないか。
自分がそう言いとしてなくても相手にとっては、
それがすごく圧のある言葉なんじゃないかみたいなのを考えると、
なかなかうまく言葉が出ないみたいな瞬間が今もあって。
難しくない?それで。
みんなもっと沈黙とか、答えがない、返答がないっていうことに対して多分、
慣れないといけないっていうのもあるんじゃない?
それが結構当たり前になってきたら多分みんなも怖くないから、
ちゃんと相手の話を聞けるようになる気がする。
今って反応しなきゃみたいな脅迫感がすごいあるから、
本当はただ聞いてるだけで、相手も聞いてもらいたいだけで、
こっちも聞いてるだけでいいはず、そこで終わればいいのに、
何かを言わなきゃいけないみたいな感じのがあるから、
反射的に何かそれに対して言うとか、それで相手が傷つくとか、
あとあんまり言ってほしくなかったなって思ったりしちゃうっていうのもすごい多いと思うし、
もっと自分はそういうふうに考えたことなかったとか、
答えのない反応をもっとあっていいと思うの。
自分全然そんなの想像もしなかったみたいな。
多分正直に言ったほうが無駄って言い方悪いけど、
そういう反射的な反応をするよりも全然正直だし、
全然もっと相手と向き合える会話の仕方になるんじゃないかなって思うけど、
やっぱり何か反応しなきゃみたいなのがすごい。
私もすごいあるから、魔が怖いからね。
だからそれもすごいあって、結構反射的に物事を言ってしまうところがあるけど、
まだまだ難しいなって思うし、
もっとみんながそういう間とか沈黙とか、
答えのない返答みたいなものに慣れてしまえば、
言われるほうも別にそれでいいわけだし、
言うほうもそういうものが当たり前だったら、
もっと言うと思うし、もっと言わないことを選択すると思うから、
そういうのが増えてくる。
だからといってこのポッドキャスト沈黙は、
さっき最初に言ったけど、
33:02
ポッドキャストの沈黙は例外ですっていう。
だって自分で編集しててもさ、
え、何止まっちゃった?今みたいな。
心配になるもんね。
あれ?これまだちゃんと録音されてる?みたいな。
やっぱり顔が見えてないと沈黙は不安になるよね。
なるなる。
これがまたビデオがそのままアップロードされてたら話は違うけど、
でもやっぱりオーディオだけっていうのは全然違う体験だから。
沈黙はやはり削除しなければっていう。
その媒体上の理由で。
それは私たちが実際に話してることとはまた違うけど、
そうね、難しいよねっていうのと、
でもやっぱりそういうのを失敗しながら多分みんな、
でもそういう意識を持ち続ける。
もっと聞こうとか、
今日は一日一回沈黙チャレンジしてみようとか、
反射的に反応しないようにしようとか、
返答しないようにしようっていうのを、
やっぱりちょっとでも、
反応するのがやっぱり慣れちゃってるから、
それが当たり前になっちゃってるから、
逆にそうじゃないことを意識して、
自分で意図的にやろうってしないとやっぱりなかなか難しいと思うし、
私も結構自分で、
特に親しい人とか自分のことを知ってるだろうとか、
自分の状況に詳しい人に対して、
割と反射的に話したりとか、
反応してしまったりしてる部分もすごいあるから、
そういうのって慣れすぎみたいなところがあって、
もっと自分で意識して話を聞こうとか、
ちゃんと沈黙しようみたいな、
それに対して何も言わなくていいときもあるんだよっていうのを認めようみたいな、
すごい、もっとやらなきゃなっていうふうに思ってるところ。
ちょっとずれると思うけど、
うまいスピーチのやり方とか、
どうスピーチをすれば相手にジャンプするのかとか、
そういう話し方に対する方法論みたいなのって、
割と聞くし、実際たぶんあるかもしれないけど、
たぶんあると思うけど、
上手な聞き方とかって聞かないなと思って、
36:00
みんな反応することに慣れちゃってるって言ってたのもそうだと思うし、
なんか話していて、ちょっとその間が空いた、
イコール話が終わったっていうふうに解釈して、
すぐに反応するっていうのが、
たぶん少なくない人がそういうことをするんじゃないかなと思うんだけど、
でもなんかそれこそ、沈黙を認めるっていうこともそうだし、
相手の話していること、話そうと思っていることを最初から最後まで、
相手が言い切るまで耳を傾け続けるっていうことって、
さっきから聞くの難しいっていうふうに言ってるんだけど、
たぶん本当に訓練が必要なことだと思うので、
なんか早く意見を言わなきゃいけないとか、
早く自分が思っていることを言葉にしないといけないっていうふうに思う、
そういう局面ももちろんあるだろうけど、
少なくとも日常の会話において、
相手の話とかまだ話になっていないことに、
自分聞き手としてきちんと集中して、
聞き続けるっていうことを、
もっと訓練しなきゃいけないことだと思うし、
私もちょっとやらなきゃって今、自分で言いながら思った。
さっきリオちゃん言ってたみたいな、スピーチとかの、
自分がプレゼンしますみたいなことに対しての訓練とか練習とか、
方法ってあふれて山のようにあるのに、
でもそれをやる先にはやっぱり聞く人がいるから、
それが成り立つわけじゃん。
なのにその聞く側、山ほどプレゼンするっていうものがあるなら、
同じ量の聞く側のものがあってもおかしくないはずなのに、
なんでそれが表に出てないのか、
みんな気にならないのかわからないけど、
やっぱりでも結構割とめんどくさかったりもするし、
みんなよく言うのは、人が話してるときに、
自分が次に何を言うかを考えてるみたいなのって、
結構よく言われると思うけど、本当にまさにそうで、
みんな半分しか話を聞いてない子の話でても、
半分は話の概要をつかむために聞いてるけど、
相手の話をなんとなく、
でもその半分では自分が次に何にそれに対して、
どう意見を言おうかとか、それに対して反応しようか、
39:01
みたいなのを結構考えてたりする人も、
結構意識して会話してると気づく、
相手と自分とのテンポが、
ちょっと変なずれがあるなみたいなのを思うときに、
そういうのを考えると結構気づいたりするところがあって、
この人はもう次に何を言うか考えてるな、
みたいなところがすごいわかったりしてくるし、
多分結構めんどくさい作業だったりもする、
相手が最後まで言うのもしかしたら、
しゃべるのが遅いかもしれない人だし、
知れなかったり、あとそれこそなんだろう、
うまく言葉が出ないから間があっちゃったりして、
さっき言うりょうちゃんとみたいに、
間があった瞬間に話が終わりになった、
はい終わり、で次はいじゃあ言いまわす、
私の意見言いまわすみたいな感じで次に飛んじゃう、
でもまだその実は本当はその人がまだ考えたりするけど、
間をすぐ埋めるためにもうそれが消されていってしまう、
そういうのが結構あって、
自分も多分やってるし、自分もやられてるし、
社会的にわりとそういうのが当たり前になってない、
だから本当に意識しないと変われないなって思った、
今話してて自分ももっと訓練が必要だし、
なんだろう、やっぱり慣れてないから
ぽろっと元の癖に戻っちゃうじゃん、
その反応する癖みたいなものにすぐ戻っちゃうから、
意識的に元にちゃんと相手の話を聞こうっていうところに戻さないといけないと思うし、
そういうめんどくささから逃げたくないっていう、
めんどくさいなって思うときもある、
話遅い人とか全然話まとまらない人とか、
私も話まとまらない人だから結構ポンポンポンポン
次々いろんな話に飛んで、
何話したか全然わからないみたいな感じの人とかの話を聞いてると、
自分もそうなのに相手とそういう人の話聞いてるとめっちゃイライラで聞くの、
全然話関係ないとこ行ってんじゃん、みたいな。
でもそういうめんどくささとか、
それこそ今言ってみてイライラしちゃうとかっていうのを、
もっとちゃんと認めるとか、
そういうふうに自分今思ってんなとか、
そういうふうに反応しちゃってるなっていうところからまず始める。
それこそいきなり変えるっていうのも難しいし、
いきなり聞けるようになりましょうっていうのも難しいと思うから、
最初はまず気づきから始めるのもすごい大きな変化だったりもするかなって思う。
42:04
今自分反応してんなみたいなとか、
今全然話聞いてなかったなみたいなとか、
そういうのに気づくだけでもだいぶ変わってくるのかなって思ったりもするし、
あとは、私結構ポッドキャスト聞くようになって、
会話の上手い人とか聞き方の上手い人の話し方とか、
もちろん編集されてるっていうのもあるけど、
特に質問の仕方にすごい最近意識して聞くようになって、
学ぶところがあるなーっていろいろ思った。
話をしてる人の話し方とかもめちゃくちゃ上手いし、
あとそれに応答する人も応答するタイミングとかが絶妙なんだよね。
すごいよね。
それまさに訓練されて、一種の技術っていうかスキルっていうかさ、
そういうのもすごい勉強になるし、
そういうのを意識しながら聞くと結構ポッドキャスト面白いなと思った。
結構ラジオとかニュースのラジオとかたまに聞くんだけど、
生放送だからさ、決められた時間の中に言わなきゃいけないことを全部言わなきゃいけないじゃん。
で、その中で、私がよく聞いているラジオの人とかは、
結構その、時間配分も上手いんだけど、
でも機械的にただ話してるんじゃなくて、
いろんな社会の問題とか出来事に対しての自分の考えを言いながら、
でもちゃんと時間内に終わってるっていうのがすごいって思って。
それはさ、ポッドキャストと違って編集が効かないから、
余計になんか、こういうなんていうのとか、
なんかとかあのとか、そういうこと言えないじゃん。
全部そらそら口から、もちろん準備してるんだと思うんだけど、
出来てて、なんか一人でやってるわけじゃないから、
放送する人もなんかちょこちょこって口を挟んでるんだけど、
でも、なんか話なさすぎず話しすぎずみたいな、
すごいなんか上手い、やっぱりプロなんだなって思う、そういうの聞くと。
すごいよね、なんかあんまり、なんか最初はなんかポッドキャストかみたいな、
45:03
なんかラジオの違うバージョンだなみたいな感じで舐めてたけど、
なんかまあそれこそラジオとかもそうだし、
でも、りょうちゃんラジオってもう枠が決まってるじゃん、
その一つのチャンネルの、なんか私とかよく高校生の時とか、
スクールオブロックとかなんか夜10時から聞いてたけど、
1時間とか30分とかちゃんとしっかり枠が決まって、
その中でなんかそれこそなんか漫才みたいなことしてみたいとか、
あとなんかそのゲストを招待して、こうインタビューみたいなもの、
それこそさ会話がどこに行くかもわからないじゃん、
その相手がどんな反応するかもわかんないから、
ある程度打ち合わせはしたとしても、やっぱりこう出てくる話とか、
相手の反応によって変わってくることもたくさんあるし、
そうだからそういう場で、こうなんだろう、
相手の話を引き出しつつ、なんかそのリスナーの、
リスナーたちを引きつけたまま、こう物語を語るとか、
インタビューをするとかっていうのは、
ものすごい技術だなって最近すごい、
最近気づいて押そうって感じだけど、
それでなんかそういう意識でポッドキャストとか聞くようになったから、
なんかすごい楽しいし、やっぱり自分たちもこうやって
ポッドキャストをするようになったっていうのもあるから、
なんかそういう話すとか聞くっていうことに対してすごい
意識的になりつつあるっていうのもすごい影響してるかなと思うけど、
確かに、なんか自分たちがこうやってきた、まだ4回目とかだけど、
これがもっと10回とか2桁とかになってから、
1回目を聞いた時に自分たちの話し方とか変わっててほしいって思うし、
ちょっとでいいから話すのとか聞くのとか上手になってたらいいなって思う。
でも多分変わってくるよね、テンポとかも多分つかめてくると思うし、
なんか私も最初はなんかそれこそでまかせで好き放題言ってたりするとこもあったけど、
なんか今回も一応テーマ決めたし、
言いたいこととか、
ポッドキャスト自体のテーマっていうか、
言葉みたいなのもりょうちゃんがすごい考えてくれて載ってるけど、
そういうのが軸として確立されたっていうのもすごい大きいかなっていう風に思ってる。
方向性がある程度つかめつつあるとか、
あと話しやすくなったっていうのは、
なんかそういうものがガイドとして存在してる感じ。
だからそこに戻っていけばいいやっていう気持ちがあるから、
そういうのを軸にいろんな方向にお話をできるから、
48:06
少しは話しやすくなったかなって思う。
なんかそれこそ1回目とかよりは。
1回目は自己紹介だったしね。
結構言いたいことだったけど。
自己紹介からいろいろ話が飛んだけど。
これからが楽しみ。どんな感じになるんだろうって。
ちゃんと自分のためにも、お二人のためにも続けたいなって思うし。
続けるのが目標だよね、今回。
頑張って、お互いなかなか続けられない性格だけど、
頑張って続けようっていう。
だからこそどうしたら続けられるかみたいな知恵が出てくるよね。
それこそ1回に2回分収録できるとか、
あとは配信の仕方だったりとか、
話すテーマの考え方だったりとか、
そういうところをお互いサポートし合いながら。
20回。
まず10回。
2桁になったらたぶんすごい自分たちの中で大きいさ。
自信みたいになると思う。
だってもう今回で4回目だよ。
割と、なんだろうね。
早い早い。
割と早いし。
早くパブリッシュしよう。
まずね、そっちね。
収録だけしてるから。
できてるから。
配信するだけかしら。
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