なんかさっきも言ったけど、
なんかそういう成績とか一切興味ないし、
なんかそれこそ体が弱かったのもあって、
なんかそのほんと体優先で、
なんか勉強も別に全然したくなかったりしなくていいし、
なんかその頑張るとかしなくていいみたいな感じ。
だからなんかその小学校の頃からも成績表とかを持って帰ってきて、
もうなんかすごい、すごいねって言ってくれるけど、
別にその何、良いも悪いも、
なんかそのすごい過剰にこう評価したりしない、
なんか普通にすごい、
自分がこう何か学べたならいいんじゃないみたいな感じ。
なんか自分が楽しかったらいいんじゃないみたいな感じ。
だからなんかそのすごい褒められたっていう記憶もないけど、
なんかその成績が悪かったからとか、
なんか勉強してないから怒られるとかっていうのはなんかなくて、
でもなんかだからこそこう自分の中での評価が揺らぐっていうかさ、
なんか自分の中でこう褒められもしないし、
なんか怒られもしないから、
なんか何、うまくいってんのかいってないのかよくわかんない状態。
で、だからなんかそれが今度自分の中で、
じゃあこうどうその評価をこう消化するかってなった時に、
なんかこう自分の中で結構その極限にこう揺らぎすぎてしまって、
私の中ではなんか常になんかもっとやらなきゃみたいな方にこう気持ちが動いちゃうから、
なんかその外から、親からは別に全然何も言われないけど、
なんかこう学校とかのそういう先生、自分の担任の先生とか、
あとその周り、クラスの周りの人からとか、
言われたこととかその評価みたいなものがすごい気になるようになっちゃって、
なんかそういうものに評価を求めるようになっちゃったから、
だからなんか逆にそのそれがプレッシャーだったりとか、
あとまあそういうものに結構左右されてしまいがちなところがあって、
なかなかその、なんかそれがあって結構、
何だろう、自分の親とかっていうよりかは、
自分の置かれた環境、それこそ学校だったりとか職場だったりとか、
同僚とかクラスメイトとかっていうそういう人たちからの評価っていうものがすごい気になるし、
なんかそういう場所で成功しないととか、あと例えばいい線取らなきゃとか、
そういうところに自分自身の評価を重ねちゃう、
それが自動的に自分の中の自分の自己評価みたいなところ、
イコールになってて、
例えばあんまり成績良くなかった時とかの、
自分に対しての批判みたいなのを同時に自己否定みたいなのに繋がるイコールで、
なんか自分が肯定できないっていうことで、
なんか自分をずっと否定したりとか否定したりっていうことはやっぱりすごく自分にとって負荷がかかるからやめたいって思うんだけど、
でもなんか自分が常に元気で常に大丈夫ですみたいな状態になるっていうのは不可能だし、
そういう姿は自分としては望ましくないなって思うから、
なんか大丈夫じゃなくても大丈夫みたいな状態になりたいなずっと思ってる。
うんうんうん、すごいわかるでもそれ。
なんかそれって結構自分だけでやるのって難しかったりもするよね。
それを自分の中で完結させるのって割と結構大変だったりするから、
なんかやっぱり信頼できる人とかそういうものをやっぱりそういう風な考えを持ってたりとか、
そういう風な理解を持ってる相手と話すことによって、
多分そういう場だとさ、それこそ社会的にネガティブとされるものをちゃんと対等にっていうか、
ちゃんとまっすぐ相手に伝えることができる。
だからそれに対して何かをしてほしいとか、アドバイスが欲しいとか、
なんかその応援してほしいとかっていうのじゃなくて、
ただ単にその話を聞くみたいな感じのこと。
本来は自分の中でできれば一番いいんだけど、やっぱりそれってなかなか難しいし、
だからこそこういう場で話を聞く。
本当にそれに対して何かをしないといけないっていうこともなくて、
それをポジティブに変換しないといけないっていうこともなくて、
ただ、さあって言って聞いたり話したりできる場っていうのがやっぱりすごい大切だし、
もっと必要だなってそういう機会だったりとかそういう場が必要だなっていうのを最近すごい思ってたから、
こうやって毎週ローちゃんと話すのも自分にとってはすごいそれを可能にさせてくれてる機会だし、
そういう考えを持ってていいんだっていうのをもっと多くの人に知ってもらいたいというか、
どっちかにしなきゃいけないっていうのは絶対なくて、
それこそさっきリョウちゃんと言ったように波じゃん。
人生もその人個人の感情だったりとか、
自分の怒っている状況とかってずっと自分が楽しいとかいいってされることが続くこともなくて、
もちろん体調崩したりとか疲れたりとかっていうすることは絶対あるし、
なんかラジオの違うバージョンだなみたいな感じで舐めてたけど、
なんかまあそれこそラジオとかもそうだし、
でも、りょうちゃんラジオってもう枠が決まってるじゃん、
その一つのチャンネルの、なんか私とかよく高校生の時とか、
スクールオブロックとかなんか夜10時から聞いてたけど、
1時間とか30分とかちゃんとしっかり枠が決まって、
その中でなんかそれこそなんか漫才みたいなことしてみたいとか、
あとなんかそのゲストを招待して、こうインタビューみたいなもの、
それこそさ会話がどこに行くかもわからないじゃん、
その相手がどんな反応するかもわかんないから、
ある程度打ち合わせはしたとしても、やっぱりこう出てくる話とか、
相手の反応によって変わってくることもたくさんあるし、
そうだからそういう場で、こうなんだろう、
相手の話を引き出しつつ、なんかそのリスナーの、
リスナーたちを引きつけたまま、こう物語を語るとか、
インタビューをするとかっていうのは、
ものすごい技術だなって最近すごい、
最近気づいて押そうって感じだけど、
それでなんかそういう意識でポッドキャストとか聞くようになったから、
なんかすごい楽しいし、やっぱり自分たちもこうやって
ポッドキャストをするようになったっていうのもあるから、
なんかそういう話すとか聞くっていうことに対してすごい
意識的になりつつあるっていうのもすごい影響してるかなと思うけど、
確かに、なんか自分たちがこうやってきた、まだ4回目とかだけど、
これがもっと10回とか2桁とかになってから、
1回目を聞いた時に自分たちの話し方とか変わっててほしいって思うし、
ちょっとでいいから話すのとか聞くのとか上手になってたらいいなって思う。
でも多分変わってくるよね、テンポとかも多分つかめてくると思うし、
なんか私も最初はなんかそれこそでまかせで好き放題言ってたりするとこもあったけど、
なんか今回も一応テーマ決めたし、
言いたいこととか、
ポッドキャスト自体のテーマっていうか、
言葉みたいなのもりょうちゃんがすごい考えてくれて載ってるけど、
そういうのが軸として確立されたっていうのもすごい大きいかなっていう風に思ってる。
方向性がある程度つかめつつあるとか、
あと話しやすくなったっていうのは、
なんかそういうものがガイドとして存在してる感じ。
だからそこに戻っていけばいいやっていう気持ちがあるから、
そういうのを軸にいろんな方向にお話をできるから、