1. あのさ、
  2. #6 誰にも決められないよ、あ..
2022-03-14 55:09

#6 誰にも決められないよ、あなたの力や価値なんて

おひさしぶりです。第6回は「悲しみから抜けられない夜、感情に飲まれるとき」「自分を嫌いになってしまうことはある?そういうときはどうしてる?」というテーマについて話したよ。


テーマを決めて話すのがはじめてだね/「悲しみから抜けられない夜、感情に飲まれるとき」/時間を書き込んだ日記/1月は夜眠れなかった/自分で自分の思考の波が止められない/考えても仕方がないことばかりを考えてしまう/本を読む?音楽を聴く?/本に申し訳ない/物語に八つ当たりしてしまう/身体を動かしてみる/物理的に動いてみることが気を紛らわす方法になるかもしれない/自分の五感に集中/手順がある作業をしてみる/「自分を嫌いになってしまうことはある?そういうときはどうしてる?」/ありすぎて…/自分以外の何か(何者か)と比べてるとき/比べないようにすることはできない/自分の“好き”に集中/10代の頃はまわりのことをどうでもいいと思ってたし先に希望を見据えていた/勉強が純粋にたのしかった/反抗心バリバリの10代/知ることは痛みも伴う/誰かを傷つけているかもしれない/知ることがたのしいとは思えなくなった/自分への懐疑心/“あるべきルート”への羨望はないのに比較しはじめてしまう/人と比べるから自分にはないものばかり気になってしまう/絶賛自分イヤイヤ期/しんどいけれど知ったからこそ他者に寄り添おうとすることができるんじゃないかな/知ることも考え続けることも身を削る/でも意味はある/知識は良くも悪くも力だ/想像し得ない状況/どうやって理解し得ないものと向き合っていけばいいんだろう/一緒に議論を重ねていくことにはおもしろさがある/暴力は言語化できない領域が絶対に残る/答えがない・断言ができない・提案できない/考えつく先が確定しないことがしんどい/あらゆることを決めてしまわないこと/わかりやすいものはたくさんのものを切り捨てている/切り捨てられそうなものを拾い続けること/模索中のままでも話し続ける場所が必要なんじゃないかな/仕事は仕事でって割り切ることはむずかしい/どうやって折り合いをつけていけばいいんだろうね


質問や感想はこちらへ。ありがとう、大切に読みます。 dialogue.taiwa@gmail.com

今回のエピソードタイトルはウオズミアミ『三日月とネコ④』から引用しました。

00:07
あのさ、そう言って語り始める無数の私たちの話、 取るに足りないとされるかもしれないけど、それは私たちにとっては大切な話。
たとえわかり合えなくても、言葉を紡いでいくことで見えてくる地平があるのかもしれない。 そんな可能性にかけて、まとまらない話を、結論のない話を、
解決策のない話を、ひたすらに重ねていく。 なんかよくよく考えてみたら、ちゃんとテーマ決めて話すのは初めてじゃないとか思って。
思ったそれ。 結構なんか、まあ多少テーマめいたものはあったかもしれないけど、
あの口頭で。でもあんまりテーマ決めてこなかったから。 そうだね。
なんかたまにさ、最後のエピソード、最後の会話の最後で、次こんなの話したら面白いねーから、ちょっとつなげてっていうのはあったけど、
改めてそれぞれが考えて、そのお互いにテーマを持ってきてっていうのは、なんかちゃんとやったのは初めてかもしれない。
私もさっきそう思ってたから、結構楽しみ。 結構似てたからさ。
そう思った。めっちゃ重なるところがあると思って。 だからそれもそれでちょうど良かったよね。話しやすいし、お互いのテーマをこういい感じに組み込んでいけそうだから、
良かったと思ってたけど。なんか3つぐらい? 3、2、1、2、3、4、3、3、4つぐらいだね。
まあお互いそれぞれ多分結構つながってるテーマでもあるし、多分1個話してたらまたこの次のに自然とつながるっていう風になると思うから、
そんな感じで、どんな流れになるかわからないけど、いつも通り。
このなんか最初のテーマは、どういう経緯って言ったらいいんだけど、どういう感じで思いついたの?
一応このコートで言うと、私が書いたテーマが悲しみから抜けられない夜、感情に飲まれる時っていうので、
なんか よくこう
夜とか、あとまあこの例えば仕事行って帰ってきてとか、大学行って外から、家ってか自分のスペースに帰ってきた時に、
それがまあ自分の中では結構夜だったりするから、その夜とかに自分の一日振り返ったりとか、
03:02
あとなんか今日その外の世界で起こったことについて、自分の中で内省していろいろ考えてる時に、
なんかあの時こうすればよかったとか、そういう効果みたいなものから、なんかそのなんだろう結構自分はその時はあまり気にしてなかった
いうか、うまくやり過ごしてたけど、なんか実際こう自分の家のスペースに戻ってきて改めて考え直してみると、
なんかめちゃめちゃくちゃ辛かったなとか、なんかめちゃくちゃなんかすごい
あのひどいこと言われてたなっていうのをこう改めて実感し直すみたいなのが、プロセスが結構あって、
なんかそれを考えた時にこう、夜、まあその実感体が自分の中では結構夜だったっていうのと、そういうものをこう一日の終わりとか、
まあその外から帰ってきた時に、こう自分の中で考えてると、なんかどんどんどんどん自分でその感情の波、沼みたいなものにこう
はまっていく、飲み込まれていくなっていうのを、なんかたまたま家を掃除する機会があって、なんか自分の結構
日記とかをこうすごい貯めてるから、日記をこう結構パラパラ読み返してて、ここの過去2、3年ぐらいの、それでなんかやっぱり結構、私時間とか結構
書き込んでたのね、なんかその例えばこの一日の中でも結構何回書いたりする機会があるから、なんかそのメモする時とかも、なんか時間を
割と、なんか例えば1月1日とか言って、でもなんかその朝の8時に書いたのと、あとその例えば夜11時に書いたのとっていうのがあって、なんかなんかその結構その夜っていうもので自分でフォーカスしてこう夜読んでたら、なんかそういうのが結構
なんか書かれてて、自分でもなんかそういう風にこう内と外みたいな感じで、自分の中でのそういう感情の揺れみたいなのを処理してたんだなぁみたいな、なんかそれについて話すの面白そうと思って、でもなんかりょうちゃんはどうっていうか、なんかこのテーマについて、なんか結構抽象的だけどさ、なんか
なんだろう、ちょうど、あ、もう先々月か、1月とか、年末から1月終わりくらいにかけて、なんか結構いろんなことが重なってて、単純に自分が忙しかったのもあるし、まぁいろいろその周囲の人の変化とか、なんかそういう面で結構わーって自分の頭が鳴っちゃう
みたいな日が続いてて、結構寝らなくって、それこそ夜、っていうのもなんか夜、その誰かと一緒にいる時とかだと結構気を紛らわせられたりとか、その人の話に集中できたりとか
06:17
して、なんか自分の考えはある程度歯止めをかけることができてたんだけど、なんか一人になって夜寝る時とか、で周りも静かで布団の中に困ってて、みたいな時に、なんかもう考えがもう次から次へと自分で止められないみたいな感じでガーって出てきちゃって、寝たいのに
朝まで全然なんか休んでくれなくて、だからもう一番ひどかった時とか、ほんと朝方までずっとただベッドにいるだけみたいな、途中途中若干意識がぼやーっとする時あるんだけど、寝るみたいな風にはならなくって、意識が途切れ途切れで、ずっと朝とかで考えて、なんかもう考えてもしょうがないことばっかり考えちゃう
どんどんどんどん悪い方にばっかり考えるから、それが止まらなくて、寝らなくて、寝ようみたいな日があって、なんかもうそれは自分でさ不可抗力というか、自分でどうしようもないことだったから
自分でどうにかしてその局面を超えたっていうよりかは、本当に周りがちょっとずつ変化があって、ちょっと落ちたかなみたいな状況に変わったから治ったけど、今は
自分で何かして克服しましたみたいな感じではなくて
環境がある程度自分が許容できる範囲になったから、それでちゃんと戻った、戻ったかなっていう感じで、でも確かになんか夜だと、しかも基本一人暮らしで、一人でいる
どんな時間も一人でいるんだけど、夜眠れないってなっても話し相手がいないし、なんかどうにもできないから、ただ一人でこうじーっとしてるんだけど
なんかもう夜って周りも静かだし、なんかしんないけど夜になると急にいろんな一日の出来事を振り返って、振り返りみたいな
なんかもう考えてもしょうがないし、考えたとこでもどうしようもないことばっかり考えちゃうみたいな感が結構夜にはあるよなと思う
なんだろうね、なんか夜っていう時間帯なのか、それともそもそもなんかやっぱりその今リョウちゃん言ったみたいに一日の振り返り的な
なんかやっぱりその一日の間に結構ストレス溜まることとか、溜まりに溜まってこう夜、自分で一人になった時に自分の空間だけになった時にこう一気にバーって出てくるみたいな感じなのかなっていう
09:02
そういう時ってさっき人といると気が紛れて、自分のそういうものに歯止めが効いてて、でもやっぱり一人になるとそういうのがバーって出てくるって言ったけど
なんかそのそうなった時に、例えば本を読むとか、音楽聴くとか、映画見るとか、そういうので気を紛らわせようみたいなのはあったりするのかな
それとももうなんか、あんま集中できないみたいな、そっちにも
場合によるかな、そういうのに没頭できる、そっちに意識を集中して、動画なり文章なりそっちに集中して、そのことだけを考えるっていう感じで
なんかその考えることを一旦ストップしてということもあるにはあるけど、でもどちらかといえば、なんかもう一回そっちに思考が切り替わっちゃってると
別のことに集中するのもできなくて、その時間が過ぎるのを待つみたいな、それぐらいしかできてないと思う、今まで
難しいよね、なんかそうね、なんかそれこそ感情だけじゃないけど、その思考とか感情に飲み込まれる的な、なんかその自分ではどうしようもできない
なんか流れにこう押されてるみたいな感じのところがある、自分の思考であることには間違いないんだけど
なんかその、なんだろう、やっぱりそういう方向に引っ張られてしまう、動きとか流れみたいなのって、自分で、はいじゃあここでストップみたいな感じで
やめようと思ってもやめられないから、なんかすごい難しいよね、人から言われたら自分でネガティブに考えてるだけじゃんみたいな
ネガティブな自分でそういう風な思考を生み出してて、そういうサイコに陥ってるんだよ、みたいな風な風に見えるかもしれないけど、でも本人からしたら
なんか自分の思考ではあるんだけど、なんか同時にそこにコントロールが効いてないっていうかさ、勝手にこの自分の思考というものが一人で歩いて
走り回ってバーってスキホでやってるみたいな感じなイメージが私の中では結構そういう感じやから、なんかその、なんだろう、全然気まぎれない、私とか本とかやめない
本とか一時期は本とか音楽聴いて気を紛らわせるみたいなの思ってたけど、とてもじゃないけど、本に集中できないから、本に対して申し訳ないし
なんか自分は読みたいのに全然なんかそこにこう意識が集中できないし、なんかこう途切れ途切れですから、言葉がこう救い取れないというか、読み取れないというか、なんかそういうのもなんか
12:07
読んだ記憶もそこまでないから、なんかあんまりそういう形で読んだりとか見たり映画見たりしたくないなっていうのもあったりして、でもそうするとやっぱり一人じゃん
自分だけだからさ、なんか抜け抜けるに抜けようがないみたいなのがある
物語とか、読みにしても見るにしても、なんかそっちにやつ当たりしちゃうっていうか、私それどころじゃないんだみたいな気持ちになっちゃって
気がついちゃうから、なんか物語もそんな場合じゃない、そんな場合じゃないっていう感じに、だから全然なんか気紛らわせらんないなと感じ
思考がさ、なんかそのちょうど酷かった時とか、一つのことをずっといろんな風にずっと考え続けてたと思ったら全く違うことをまたゼロから考え出してるみたいな
全然違うこと考えてたみたいに自分でハッとするみたいな、結構あって、だからなんか行き着くとこまで行き着いたら次の話題に頭の中で勝手に変わってて
それで全然考えるのが止まらなくて寝られないみたいな、なんかよろしくないなと思ってたけど
その思考が最後の一つの話題考えたとして、それが最後に行き着くってどんな感じなの?
もうそれ以上考えようがないみたいなとこに
行ってんのかな?
行ってるかな?一言
たぶん寝れてもないんだけど、ゆきもなんかこの起きてる時の意識とはまた違ってんのかなとか思って
なんか間みたいな感じ
考え続けてる自分とずっと考え続けてる自分について考えてる自分みたいな
だからなんかずっと考えてて話題が変わってたりすると、変わってるみたいに自分でびっくりするみたいな
誰の話してるんだみたいな感じ
あんまり寝れなかったら病院行こうかなとか思ってたけど
でもなんかそこに行く前に終わったから戻ったから
ちゃんと勉強になったからよかったけど
15:01
でもなんか寝れない夜は何もできない
とりあえずなんか読むとか見るとかないし
今冬だからちょっと体を温めようみたいな感じでお風呂入り直したりとか
なんかあったかいもの飲んだりみたいなことはやったけど
その瞬間、今気休めじゃないけど
なんかそれやってる時ってあんまりこう
自分が動いてるじゃん、こう物理的に
そういうの結構逆にでもいい気の紛らわし方になったりするのかもと思う
なんかやっぱり思考がグルグルしてる時ってやっぱり
すごい自分の頭にも熱があって
本当にそのものについて考えたりとか
やっぱりその流れから抜けられないみたいなのもすごいあるから
体を物理的に例えばただ椅子から立つとか
布団で寝てたら横になったらこう起き上がってみるとか
そういう多分結構物理的な
どんな動きでもいいんだけど
それこそ飲み物を取りに行くとか
台所に歩いてってみたいな感じの
そういう小さな一つの動作みたいな結構重要だったりするかなって
今の話聞いてて
自分の五感に集中するみたいなのもすごいある
私すごい窓を開けるのが好きで
冬も結構窓を開けるのがすごい好きで
そういう時とか朝まで起きちゃってる時とかは
ただ窓を開けてカーテンの前に座って
本当風がカーテンを動かすのを
ただぼーっと眺めてるみたいな感じ
そうしてるとずっと全く考えなくなる
考えないわけではないけど
ちょっとだけその間に空白というか隙間みたいなものができてくるから
本当にぼーっとして意識が飛んでるのかなるのか分かんないけど
本当ただカーテンが揺れるのを眺めてるだけみたいな
瞬間が時々思考のぐるぐるの間に現れる
みたいなのがあって
だからそういう風に
自分の外にある感覚だったりとか
それこそ自分の体みたいなものに集中するのも結構
効果的だったりするのかもと思ったり
確かに今聞きながら
例えばあったかい飲み物を用意するにしても
鍋だそうとかココア作るとしたら
18:02
これをエラ入れてとか牛乳入れてとか
具体的に手を動かしながら
そのテクニックを頭の中で考えてるみたいな
風にすると多少そっちに意識が行くから
アクトも作ってる最中は
考えるとかはないから
身体を動かすっていうのはいいのかもしれない
でもある程度今リョウちゃんと見て
手順がないとダメだと思う
ただ反復で例えば走るとか
絶対無理だと思う
走ったら間にそれこそたくさん思考が戻ってきちゃって
全然逆にまた同じぐるぐるにはまっちゃう
やっぱりある程度順番を追って
ココア作るんだったらこれをして
次こうして手順があるものじゃないと
集中しないといけないじゃんそういうのって
1やったら2やって3やってっていう風に
動かないといけないから
そうじゃないものはやっぱり
身体動かすものでも結構難しかったです
よっぽど山登るとかじゃない感じ
自分が物理的に苦しいみたいな
そういうのは確かに自分が考える暇もないと思うけど
でもそれ以外の反復的なものは
割と難しかったりもする
夜登山行けないしね
危ない危険
ダメだよ
なんか結構眠れない時とか
感情がバーッみたいに
溢れちゃうっていう
今日出したもう一個テーマの
私が出したやつなんだけど
夜がそういう眠れないみたいな日が続いたり
日中も結構
感情の起伏が激しいというか
ちょっと普通って思ってたら
いきなり落ち込んだりとか
時間もダメだみたいになっちゃう
時とかが結構あって
そういう時期って自分がことごとく嫌になるの
自分自身というか
例えば自分の考え方もそうだし
自分がやってることとか
そういう時期って自分ができることもあるはずなのに
自分ができないことばっかりに目が行くから
できないこととか
自分が持てなかったものとか
そういうものを考えて
自分ダメだみたいに落ち込んじゃうみたいな
時がたまにあって
そういうことってあるって思ったり
21:02
そういう時ってどうしてるっていうのを
気になって
テーマとして出したのが
自分嫌いになってしまうことはある
そういう時はどうしてるっていうやつなんだけど
ありすぎてどっから話そうみたいな感じのレベルなんだけど
結構私たち
ここまでのポッドキャストでも
セルフエスティームとか自分の自信についての考え方とか
自分の自信があるかとか
そういうのをテーマにして話してたから
ちょっと似てるところもあるかもしれないけど
自分のことが嫌になるときって
他者とか外とか社会とか
自分以外の何かと比べてるときに
やっぱり一番強くそういう感情が出てくるなっていうのは
最近すごい改めてよく思うっていうか
やっぱり自分だけというか
自分の中でいろいろ考えて
あとは自分の好きなものだったり趣味とか
そういうものに集中してる間っていうのは
全然そんなこと考えもしないし
逆に自分ができることに対して自信を持てたりとか
そういう結構自分に対して結構
自信程ほどではないけど
あんまそこまで悪くないんじゃないみたいな感じの
気持ちを持てるんだけど
やっぱりなんかその
りゅうかさっき言ったみたいな
日中夜だけじゃなくて
日々の中でそういう風な
すごい落ちてしまうときとかって
わりと私の中ではパターンとしては
他者とかその外と比べられるような場に
出たときとかそういう機会があったときに
すごいよくあるなって思ってて
なんかその
やっぱりそれでも人と比べても
全然そういうのに影響されない人もたくさんいるし
でも私はなんか
本当にもう人と比べたりと比べられたりとか
自分とその他者との違いみたいなものが
すごい気になるし
すごい意識してしまうから
自分でも自意識過剰じゃんって思ってるんですけど
でもなんかそういうのって結構
自分ではどうしようもなかったりする
24:00
なんか相手側からしたら
なんか全然そんなつもりはなくても
私が勝手に一方的にじゃないけど
一方的に比べてしまって
それですごい自己嫌悪に落ちて
うわもう私ダメだみたいな
どんどこみたいな感じのことが結構あったりして
でもやっぱそこから立ち直るとか
マリオちゃんどうしてるって聞いてたけど
なんか正直どうしようもできない
っていう気持ちの方が結構大きかったりする
そういう時って
でもなんかその逆に
どうしようもできないよねっていうところから
まあ吹っ切れるまではいかないけど
どうしようもできないけど
だけどそれでもやっぱり自分は
こういうこともできるし
なんか自分が好きなものとか
それこそ本を読むとか映画を見るとか
そういう自分の好きって思ってるものに
集中し直すみたいなのかな
なんかそういうのって結構外にあるものじゃん
自分が何か文章を書くとか
そういう自分の内から出るものじゃなくて
本を読むとか映画を見るとか
あとそれこそ縫い物するとか編み物するとか
外にある何かに対しての
意識の集中によって
自分の内と外との比較を
あんまりしないようにするってわけではないけど
そっちに集中しないようにするみたいな
そういう感じで何とか紛らわしてるのかな
紛らわしてるのかどうにかしてるっていう感じかな
そんな感じで調適とは
どうにもできないとか言ってるから
逆に言っちゃったな
りょうちゃんとかどうしてる?そういう時
昔はまだ10代ぐらいの時とかは
現状が言いやすいっていうのもあったかもしれないけど
周りのこと周りの大人とか
前も話したけど
普通に暗黒時代だったので
周りの大人とか信用してないし
他の同級生とかも全然好きじゃなかったし
そういう人たちに別に何言われても
どうでもいいなって割と流せてたし
同時に今が最悪だったと思ってたから
これから先のまだ希望を
よくあるだろうというか
よくしたいみたいなもうちょっとしたみたいに
思ってたし特に高校卒業して
家出て東京とか出てまた新しく
27:03
自分が知り合うようになった人とか
と話をしながら
なんかその時とかは
たくさんその新しくいいなって思う人との
出会いもあった分
なんか結構まだ人生を楽観視してた
今がすごい悲観的だからかもしれないけど
すごいなんか
具体的にどうっていうイメージをしてたわけじゃないけど
でもなんかもうあんだけ嫌な思いしたんだから
これから先はもっとマシになるみたいな
なんか漠然とした考えがあって
めっちゃなんか重大っぽい考えが
そう重大だよ
でもなんかいい希望に満ちてる
しかもなんかまだ勉強をちゃんとしだして
勉強すること自体もすごい楽しかったし
そんなことを知っていくこと自体が楽しいって思ってた
純粋に楽しいって思ってた時期だったから
なんかその知ったことによって
かえって傷つくとか
知ったことによって自分が何も話せなくなるとか
そういう段階に至ってなかった
でその世界が広いというか
ずっと田舎にいて
あんまり交通の便も良くないから
そこからも出らんないし
なんか友達もいないしみたいな感じだったから
それと比べたらめちゃくちゃ自分が見れる世界も広がったし
いろんな媒体というかニュースとかで
今他の場所ではどういうことが起きてるんだろうみたいなのを調べて
なんか単純に知ることがすごい楽しかった
だからまだ先への希望とまでは言えないかもしれないけど
そんなに悲観的じゃなかったはずなの
だからその時は別に周りの人
その時までも周りの人に
どうこうすべきじゃないとか
こうした方がいい人生だよとか
なんかもう全部クソだなって思ってたの
顔にも出さないし直接は言わなかったけど
内心結構反抗心バリバリみたいなところだったから
この人の言ってることとかはどうでもいいし
私は受け取らないっていう感じで
結構固い姿勢を貫いていた
いつぐらいだろう
大学卒業3年生とか
知るべきだけど知ることが痛みも伴うみたいな
30:04
自分が知ったことによって
自分自身もいろんなものに傷つきやすくなったような気もしちゃったし
同時に自分も自分が意識してないところで言った発言とか
ちょっとした表情とか
何かが自分も誰かを傷つけてるかもしれないみたいな
単純に知ることが楽しいって思えなくなって
あと言ってもう勉強もいいやっていう風にもなれなくて
っていう時期に入った頃ぐらいから
やっぱり今までは周りの言うこととかやることに
いい意味で鈍感だったんだけど
その頃ぐらいからちょっとずつ
比較するまでは言ってなかったけど
自分はこのままでいいのかなとか
ちょっとずつ自分自身に対していろいろ疑っていくみたいな
時期に入っちゃって
でなんかもうだんだんだんだんそこから
どんどん自分が
あとは単純に年齢的なのもあるのかなとかちょっと最近は思うけど
やっぱり社会の中で
これがいいルートだって思われるルートというか
ストレートにポンポンポンポンっていう感じの
高校卒業して大学入ってそのまま就職してみたいな
安定した収入があってとか
でなんか結婚して子供がいてみたいな
そういうルートが漠然とというか
まあまあみんな知ってるというかあるじゃない
そういうのをいいなと思ったことはないし
自分も今更そういうののほうが良かったっていう後悔も全然ないんだけど
でも同時にやっぱり自分が
数年後何ができてるのかもわからない
なんかちゃんと自分自身で生きていけるのかもわからないみたいな
不安に直面したときに
なんかやっぱそっちの方が良かったのかなとか
比較しだしちゃうその
同年齢の人たちと
でなんかむーちゃんも人と比べるときに自分のことを
嫌になってくるっていうふうにさっき言ってたけど
なんかまさにそうだなと思うのも
やっぱ人と比べだすからどんどん自分が
その人にはあるけど自分にはないみたいなもの
しかもそれって自分が努力しようが何しようが
どうにもできないものだったりするから
33:01
そういうものを見て自分ダメだって思っちゃったりとか
でも今絶賛その時期だからさ
今絶賛その時期だから
なんか前のがもっと楽観的だったから
でもなんか逆にそういうふうに考えるようになったのって
色々知ったからこそそういうことが見えてきたっていうのもあるよね
今までやっぱりその見えない見えなかった世界とか見えなかった部分
見えなかった過去みたいなそういうものがたくさんあったがゆえに
それを見なくて済んだ世界観みたいなのがあったけど
今はもうそれよりも深く広く
知識なり経験なりを得て今のりょうちゃんがいて
やっぱそこから見えるものって今までよりは
やっぱり結構シビアで結構大変だなとか
あとはネガティブ非観的にっていうりょうちゃんって言ってたけど
見えてしまうものもたぶんすごい前に比べたらたくさんあると思うけど
でもやっぱりそれって同時にたぶんすごいりょうちゃんっていう
人自身にとってりょうちゃんにとって
すごく人間的に豊かになるじゃないけど
やっぱりそういう世界とかそういうものを知ってないでは
人の痛みとか他の人の感じてることとか
言いたいこととかそういうものをより深く
汲み取れるっていうか深く理解しようできる
そもそも理解できないっていうのは全体にあるかもしれないけど
でもせめてそこにあるっていうのを認知できるがゆえに
少しでも聞こうとか少しでもこういう対話だったりとか
そういうものを話せる場所をとかっていう風に考えるようになる
今までだったらそれがそもそも自分の世界観に存在しないから
まあないと当然だけど今はそういうものがあるっていうことを知ったがゆえに
やっぱりそういうものと向き合ってこうっていう覚悟があるからこそ
たぶん苦しいというかそういうものが結構
りょうちゃん悲観的っていう風に言ってるけど
決して悲観的ではないと思うしむしろそれってたぶんものすごく重要なこと
そこまでいけるっていうこと自体が結構時間もかかるし
36:00
楽しい場所でもないじゃん
やっぱりそういうものが見えてきた後の世界って結構
未来のこと考えた時もやっぱりあんまりポジティブな
未来っていうものを描けないかもしれないし
やっぱりここからどうなるんだろうっていう不安とか
そういうものの方が大きくなるけどでもだから同時に
そういうものに対してちゃんと向き合ってこうとか
ちゃんとこういうものを理解しようとしようとか
そういう姿勢を保とうっていうのをもっと意識できるから
逆にたぶんすごいりょうちゃんにとっては
しかもその今その中にいるりょうちゃんにとっては
すごい苦しいしなんかすごい嫌だなみたいな感じ思うかもしれないけど
たぶんこれから次の例えば5年後とかになった時に
たぶんものすごいりょうちゃんの人としてのそういう
人間性みたいなものもそうだし
そういうもし学び続けることを続けて
今のそのまま進んでたりとか
この先どうなるかわかんないけど
どうなったにせよたぶんりょうちゃんにものすごい
価値のあることで必要なことだと思うから
なんかもっとそれに対してこう
自信とまで言わなくてもいいけど
なんか少しでもこう
これでもいいんだっていうふうに思ってほしいなっていうのは
すごいあるし
なんかそういうものをこうなかなかシェアできないよねっていうのも
すごいあるからこういう場で話せるのが
すごいいいっていうか嬉しいっていうか
たぶんもっとそういう同じような似たような感覚を
持ってる人もすごいたくさんいると思うし
でもなんかそういうものってさ
なんかただちょっと悲観的だねみたいな感じで
片付けられることよくあるじゃん
いろいろ年齢とか
これから先が見えないから大変だから
そういうふうに不安に思ってるだけだよみたいな感じで
片付けられるかもしれないけど
決してそうじゃないと思うし
たぶんそういうものをこうりょうちゃんみたいに
言語化していくことってすごい重要だなと思ってるから
なんかもっと少し
もうちょっとそれに対して自信っていうか
なんかこれでいいんだっていうふうに思ってほしいなっていうのはある
今日の話聞いてめっちゃ思った
ありがたいけど
でもなんか知るとか勉強することとか
考え続けることとか
陰性やっててなんだよとか思うけど
めっちゃしんどいなって思うの
39:02
考え続けるのも
自分自身を削りながら考えてるみたいな感じもあるし
でもかといって
そのことを自分自身も無駄だとは思ってないし
意味があると思ってるから続けてるんだけど
前は知るとか勉強するとか
考えるっていうことが
単に自分が見てる世界が広がるとか
自分自身がどうこうみたいな
言語が常に自分だったけど
今は自分がどうこう
自分がどうこうもあるかもしれないけど
今は何?
でもどちらかといえばやっぱり
知識はある
色んな良くも悪くも力だから
結局色んな自分とは違う状況にある人のことを
色々想像したりとか
することも多分必要ちゃ必要なんだけど
でも結局なんか自分の想像の限度というか
結局自分が想像できないとか
考えられるけど結局肌感覚としてわからないことって
山ほどあるから
でもなんかそういうこととか
そういう立場にいる人のことを
どうにか切り捨てずに考え続けるためには絶対に
知識が必要だし
今までの時間の中で積み重ねて来られたものを
自分自身もそれを引き継ぐことが必要だなと思うから
意味があると思ってるけど
しんどいと思う
しんどいよね
なんか人
なんだろなんかそのさ
りょうちゃんさっき言ってたけど
自分の想像力に限度があって
自分の想像の及ばないところ
自分の知ってる世界の外にある
そういうところで
苦しんでる人たちとか声のない人たち
っていうものを
知識とか
アカデミアみたいなところから
そういう世界を見るときって
そういう感覚
自分は体験できないじゃん
痛みとか苦しみみたいなものも
絶対その
相手も絶対
自分の苦しみを味わってほしいみたいな感じには
42:00
思ってないと思うんだけど
同時にそういう人たちとともに
何かをするときとか
体験とかを語るときとか
そういうものを語るときって
やっぱりどうしてもその
経験をしてない人にとってはさ
分からない世界じゃん
分からない感覚とか分からない世界
そういうものをどうやって
理解っていう言葉があっているのか分からないけど
そういうものを
そういうものと向き合い続けていくのかなっていうのを
すごい思ってて
そういうものの過程でも結構
しんどいなって思ったりするのかなって
分かり合いなさみたいなところ
ギャップみたいなの
こと自体がすごいやっぱり苦しいみたいな
しんどいみたいな感じなのかなとか
思ったりもするけど
どういうところでしんどいってすごい思う
どうだろう
楽しさみたいなのもあるでしょ
全部がなくなったわけじゃなくて
まだそれも
やっぱり考えて
ずっと一人で考えてるわけじゃないから
やっぱり一緒に考える仲間がいたりとか
教えてくれる人がいたりとか
先に立ってる人たちがいるから
その人と話したり
いろいろと議論を交わしたり
相手の話を聞いたりっていうことの中に
面白さみたいなのは絶対にあると思う
やっぱりそれも続ける
なんだろう
やっぱりしんどいなとか思うのが
やっぱり自分が普段学んでることとか
考えてるトピックというかテーマ世界が
やっぱり人の生き死に関わったりだとか
暴力とか
その暴力の跡が消えないっていうことだし
その暴力のことがどう足掻いても
言語化できない領域が絶対に残るっていうこととか
なんかその
なんだろう
常にこう
余白というか
残ってしまう部分があって
そこは絶対に自分が理解するとか
理解するしないみたいな
ことではない
まだ自分自身がそういう領域に対して
どういうふうな態度を取ってたらいいのかが
45:00
わからないから
説明していいかもわからないけど
でもなんか自分が踏み込めないなって
思っちゃうこととか
やっぱりあって
それをずっとしかも考えたところで
いわゆるその問題を解決するみたいな
ことってできないし
解決ってなんだよみたいな
そう思うと結局なんか考えた行き先がないというか
多分どの学問分野にしても
何を研究するにしても
結局答えが出ないっていうことは前提だと思うから
やっぱり自分が
なんだろう
断言ができないとか
答えられないとか
何も提案できないとか
どうしようもないみたいな状態で
立ちすくんじゃうみたいな
圧倒的に多いから
その状況がやっぱりしんどいなって思うのかもしれない
もちろん単純に知っていく中で
少なくとも言語化されている暴力
そこから自分が想像する中で
そのこと自体がしんどいっていうことももちろんあるけど
やっぱりいくら考えても
考えた行き先が見つからない
どうしようみたいな感じになっちゃう
が今結構しんどいなと思うかな
なんか今のりょうちゃん
答えというか聞いて
安心したっていうか
安心したっていうのは
なんだろうやっぱりすごい真剣に
今のりょうちゃんの自分の研究分野に向き合ってるっていうのが
すごいわかるし
やっぱり簡単にそういうものを
言語化したりとか
あと理解するとか
なんとかする
何にもできないものを何かにしようとしてしまう
のが今の社会じゃん
何でも何かになるみたいなのが
すごい前提とされる社会の中で
やっぱりそういうふうに
言語化できないとか
あと何もできないままで
やっぱりそれをどうしようみたいな
それでも何かっていうものに向き合おうみたいな
姿勢を持つの多分結構
今の社会の流れみたいなものとは反対の流れ
48:05
逆に逆流
だからやっぱりすごいしんどい
しんどいって思うこともすごいあると思うけど
やっぱりこの社会が
人間がやっぱり社会っていうものを形成してて
その社会っていうものがこれからも
存在し続けるためにはやっぱりそういうものってものすごく重要
だし
何でもかんでも今の資本主義みたいに
綺麗に答えがあって
何か数字とか何か結果みたいなものに結びつく
っていうのが全てじゃないっていうのを
何かしらの形で誰かがやっぱり
発信し続けないといけないのっていうのはすごいあるから
それをすごい
りょうちゃんがやってることもそうだし
みんなそれぞれの形でそういうものを
模索し続けてるなっていうのはすごい最近感じてて
本読んでたりとかやっぱり
言葉にするとかそれをうまく何か説明して
理解してもらうみたいなのって結構
切り捨てる部分がものすごいいいじゃん
私たちの会話でも分かりやすさみたいなものについて話してきたけど
やっぱりその分かりやすいものってその分かりやすさに
たどり着くためにものすごいたくさんのニュアンスだったりとか
言葉にできないものだったりとかコンテキストとか
バックグラウンドみたいなものがごっそり切り捨てられてる
ところがすごいあるからやっぱりそういうものを
記録し続けるとかそういうものを拾い続ける
作業とかそういうことってものすごく
すべての人にとって重要だなって思うから
すごいりょうちゃんの話聞いてて
それをやってくれてる人がいて安心したみたいな感じの
気持ちがあって
何も出せないしね
私こんなこと考えてますとかって提示できるものもない
そうなんだよね
でもやっぱりさっきりょうちゃん言ってたみたいに楽しさの一つとか
面白さとか続けられてることの理由の一つに
いろんな人と議論するっていうのがあるって言ってたけど
自分の先生なりクラスメイトなり
51:00
そういうところで多分
今言ったみたいに論文とか何か
ものすごいすぐ形になるものとして発表できないかもしれないけど
そういう場でお互いに意見交換したりとか
それこそ相手の表情とか相手の動作とか
そういうものを見ながら自分の思考を
グニャグニャした思考をうまく相手のものと
すり合わせていくっていうか
ただの意見交換だと
それこそ白黒あって
私は白であなたは黒でみたいな感じの発表し合ってるだけだけど
みんながグニャグニャしたまま話してると
逆に何だろう
みんなそれぞれ自分の中でまだ模索中だから
必ずしも結果みたいなものと場所にはたどり着かない
そういう場所が多分もっと必要なんじゃないかなっていうのをすごい思うし
やっぱそれって一人じゃできないことだなってすごい
特にこういうりょうちゃんとの対話みたいなのも
初めてすごい思うようになったし
やっぱりそういうりょうちゃんのやってる読書会だったりとか
大学の授業だったりとか
あとそれこそ友達とのそういう会話だったりとか
そういうのって全部多分そういうところにつながってるのかなっていうのはすごい思うし
重要だなって思う
人と話して友達と話すときに
はいじゃあ今日はここにたどり着くためにこういう対話をしますとかって前もって
計画してそれぞれにこの計画のメモを送りあってとかないじゃん
ないじゃん
そういうのでもやっぱり例えば仕事とかしてたらさ
やっぱりゴールみたいな結果みたいなものがあって
そこに向かってじゃあどうやったらそこにたどり着けるかみたいなものを逆算する
みたいな思考の流れがやっぱり常にあるから
ぐにゃぐにゃしたまんま
自分の話したいことを話すとか
それこそ思考を模索するとか
いろいろこう
それこそ
お互いに話している間に自分の意見が変わっていったりするとかっていうのが
許容されないというか
受け入れられないみたいなところがすごいあるからやっぱり
息苦しいみたいなのはすごいある
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自分の中でうまく仕事は仕事でみたいな感じで割り切れればいいんだけどやっぱりそういう
こういうものが自分のアイデンティティの一部としてあるとやっぱりそれができないっていうのは苦しいし
そういう結果を常に求められる社会とか生き方って結構大変だなと思ったりもするから
そういうものとどううまく折り合いをつけていけばいいんだろうみたいなのをすごい思ってる
そういった意見があるわけでもないから
それを発表するわけでもないんだけど
難しいなって思う
それをこの社会でやり続けていくのって
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