1. あのさ、
  2. #20 日記を書くこと
2024-11-03 1:11:53

#20 日記を書くこと

日記ブームすごいよね / オンラインでの非公開交換日記 / むぎほが最近読んだ日記本たち / だいぶボリュームがあるよね / 結構定期的に書かれている / コロナの中での社会や個人の変化がよく現れている / 政治が直接的に自分の生活に影響する / 漠然とした不安感を全く知らない誰かが体験していたという心強さ / 細かく環境や背景が細かく書いてある / そこまで切羽詰まった状況にならないと政治に関心を持たないのか / 中心的な何かが私たちを守ってくれるみたいな感覚?/ 普段善良な人であっても不安な状況では排他的になれる / 知っている人たちの言動に棘が生まれる / 自分も触発されて変に不安になる / 社会自体も変わったしそれに対する自分の反応も変わった / 不安になると必死さみたいなのが出てきてその渦中にいると自分では気づけない / ひとりでの絶望 / そういえば先が見えないよねって話したよね / 誰かの日記を読むのって時空間が歪む / 記録だなって思う日記 / 人によって日記の書き方って全然違う / バーって書いて終わる個人の日記 / 感情の波を外に出す、感情の吐き出し口 / 読み手を想定した日記はまた違う / 何を書くか書かないかも人によって違いそう / 頭に浮かんできたことを出す場所 / たまに背景の出来事も記録する / いまのところ読んできた日記は綺麗な日記?/ 編集されているからなのか / 人に読まれる可能性のあるものとはそうでないのとは違う / ブログを日記として使ってきた人間 / もう少し記録じゃない日記を読みたい / 綺麗な日記の方が好まれる?/ 交換日記は普通に手紙 / 相手によって共有していることが異なる / 人に見せたくないことが多い人間なのか?/ 境界線って人それぞれだよね / 日記ってその境界がすごく顕著にでるメディア / もっと多様な境界線の日記を読みたい / 意味わからないことが書いてあってもいい / 日付が入ってれば日記?/ わたしたちの日記を / くどうれいんさんの日記もエッセイも面白い / 免許合宿に行った時の日記 / どうやってこれから生きていくのか / ナイス・レイシズム、差別たちを正当化するリベラルたち / 応用の効く話 / 特権が差別的な状況でどう使われているのか / 子供心ではわからないこと / どこからどこまでが愛情なのか / 戦争の跡が重なるところにいる著者 / 子供の時に感じたことが背景がわかったからってなくなるわけではない / いつも同じ時期にやってくる予約本たち / オーディオブックは向き不向きがある / ポッドキャストは割と会話から雰囲気や内容が掴める / 読書って自分のペースで読めることが醍醐味だからね /


紹介した本やサイトなど💫


感想や質問はこちらへ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2024年10月24日]

00:21
こんばんは、むぎほです。
りょうこです。
ポッドキャスト、あのさ、は、日常の些細なことから、社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も、解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい。
今日のテーマは、
はい、えっと、
今日のテーマは、
なんか、日記の本について話そう、みたいな話だったよね。
そう。で、なんか、私たち自身も、2人で交換日記の陣を出したり、
うんうん。
してるし、なんか同時にすごい、なんか、
ここ数年なことなのかな、この日記ブームみたいな。
すごいよね。
そうそうそうそう。なんか、私たちはさ、割と結構、手紙交換とか、
あとその、なんかオンラインで一時期交換日記的な非公開とかね、
交換日記的なことをやってたから、
なんかそこまで、新しいみたいなことでもなかったけど、
なんかここ数年、めっちゃいろいろな、もともと本を書いてたりとか、
作家さんだったりとか、ライターさんだったりする人が、そういう日記本を出したりだったりとか、
そうじゃない人とかも結構日記本的なものを出してて、
なんかすごい日記が熱いよね。
そうだよね。
ちょっと人について話そうみたいな、ざっくりした提案を私がしました。
はい。
はい。で、どんな感じで話していく?
まあ、ただ日記について語ると同時に、なんか最近読んだ日記本について話すみたいな、
まあゆるい感じ。
私はあんまり最近日記本を読んでいないのだけど、
でも、むーちゃんが読んだって言ってたから、
なんかそれの感想とかいろいろ聞きたいなと思って。
そうね。
まあでも、私ばっかりも話したくないから、
まあとりあえず、いろいろ日記について考えながら、
03:02
私が読んだ日記本についても話していこうかなって思ってるかな。
はーい。
とりあえず最初に話したいのが、
これ、りょうちゃんから教えてもらったやつ。
うんうん。
小沼さんの、一日が長いと感じられる日が時々でもあるといいっていうので、
なんかこれは多分、もともとジンだから、自身出版で出した日記本2冊。
こう、一つの集めた感じなのかな。
そうそうそう。だから結構なんか、結構ボリュームだなって読んでて思った。
上下段。
上下段で、何ページあった?結構あったよね。
268ページ。だいぶボリュームあって、
そうそうそう。結構びっくりした。
割と、ほぼほぼ毎日書いてるよね。
書いてる書いてる。めっちゃすごいコミットしてて、読んでてすごいなって思った。
ねー。
時期が時期で、ちょうど2020年、コロナが始まってからの、
だんだん、収束してるわけじゃないけど、ちょっとみんな慣れてきてみたいな、
その変化の過程みたいなのがすごくリアルだったのがすごい一番印象的なのかな、最初読んで思ったのが。
なんか私もこれ結構前に読んでて、あんまり具体的に何日の日記がっていうのはちょっと思い出せないんだけど、
なんかその読んだ時の印象とかは、さっきむーちゃんが言ったみたいに、
やっぱ結構この、ここで書かれてる日記が2020年と21年がメインで書かれてて、
22年も書いてたっけ?ちょっと忘れちゃったんだけど、
なんかその、コロナでみんなその、家から出れないとか、
なんかその間の政治の動きとか、すごいその自分たちが、やっぱみんな共通して体験してる出来事に対して、
なんかいろんな感情の揺れ動きとかが書いてあって、
と同時になんか政治と、
なんかもう当たり前っちゃ当たり前なんだけど、
多分なんかその政治の動き一つで自分たちの生活が180度変わっちゃうみたいなことが、
06:02
多分普段よりもすごい露骨に出てた時期だと思ってて、
そうだね。
だからなんか、みんななんだろう、結構感覚的にというか、
結構みんなこう人の動きとか、誰と会うか会わないかみたいなこととか、
もうすごいセンシティブになってたし、
誰がその社会の中でこう排除されていくのかっていうのが、
すごいありありと出てた時期でもあって、
なんか自分が抱いてた政治に対する怒りとか、この先どうなるんだろうみたいな、
なんか漠然とした不安感みたいなものを、
なんかあの時に全く別の場所で全く会ったこともない人が同じようにやっぱ感じてたんだなみたいなのを思って、
なんかそれが結構私は心強かったなみたいなのを思った記憶がある、読んでた時。
そうね、確かになんかりょうちゃん特に日本にその時いたから、
特にその政治とかね、政府の出してるそういう規制とかがすごく直接的に関わってたわけだから、
確かに大きいかも。
私もなんかコロナで似たような状況ではあったけど、
なんか割とやっぱり海外にいたからちょっと反応とかも違ったし、
多分日本ともだいぶ状況が違ったりして、
なんかそれもあって、なんかその辺はなんか私にとって逆に新鮮だった。
なんかその視点から日本にいた人が直接体験した、
みんながどういうふうにこうみんなが日常を過ごしていたかとか、
メディアとか誰かの話を通じてちょっと所々聞くぐらいのことしかしてなかったから、
こうして日記みたいな感じでその人が毎日どう過ごしていたとか、
どんなふうに人と会っていたかとかみたいのを読んでるのがすごく、
なんかまた再体験しているような感じだった。
コロナの時期をまた違う設定で、
だからなんかその辺をまた違う、それぞれ違うか、結構違う感覚で読んだかもしれないけど、
すごい結構細かく書いてあるよね。
いろいろニュースで言っていたこととか、
自分のただの日々だけじゃなくて、
その日々が存在する社会という環境みたいなのを、
09:02
うまくバランス取りながら書いて、書かれてるなみたいなすごく思ったし、
でもりょうちゃんが言ってたみたいに、
そういう政府とかの影響みたいなのが結構直接的、
外でじゃダメですとか、
こうしてくださいみたいなのが、
割と強く直接自分に関わっているみたいなのが大きかったのもあるのかなって思ったけど、
でも逆にそうならないと政治に興味が出ないのかって思うと、
それもちょっとそこまでいかないと政治に関心を持たないのかみたいなふうになると、
それもまた違うなっていうふうに思う。
これすごい世界の中でもすごく大きな出来事だったわけじゃん。
すべての人たちにとって。
みんなが初めてでどう反応していいかわからない、
何をどうしていいかわからないっていう中で結構試行錯誤しながらっていうのだったから、
そういう不安がある中でやっぱり政府みたいな、
中央にある何かが私たちを守ってくれるとか、
私たちを正しい方向に導いてくれるだろうみたいな、
なんか一種のこう、なんていうのかな、
なんかすがるじゃないけど、それしかオプションなくないみたいな、今。
っていう感じだったのかなみたいなのもあるし、
でもだからこそ逆に政府が行うことだったりとか決めてることに対して、
もっとこう意見を持つようにもなったのかなとも思うし、
なんかこう、そう、読んでいてすごいあの時期を思い出して、
なんか自分もすごい色々こう、政府がやってることとか、
なんか出される規制とかにすごく敏感に反応していたなーみたいなすごく思ったし、
なんか今話しながらだんだん思い出してたけど、
なんか政府側っていうのもあるし、
なんか普段善良な人であっても、
やっぱなんかいろんなものがわからないとか不安みたいな状況の中で、
なんか割とこう排他的になれるんだなーみたいなのが、
割とこう、なんだろう、不安さからくる排他性みたいなものと、
12:04
なんかそれがその人の善良さと必ずしも直線的に結びついているわけではないんだなーみたいなのを、
なんか私その頃なの、特に2020年って、
大学に物理的に行けなくなって、
結局東京に住んでたけど、東京の家を結局解約っていうか、
家をもう、東京にいる意味がさ、一人でいる意味があんまなくなっちゃったから、
一旦実家帰って、で、1年実家で過ごしてみたいな時期だったから、
なんかやっぱ田舎にいたというのと、顔見知りが多い土地に戻ったっていうのがあったから、
余計に普段っていうか、もう何年間も知ってる人たちの振る舞いとか言動とかに、
なんかちょっと棘が生まれるみたいなのを、
なんか割とこう、なんだろう、すごいリアルにというか、なんか結構自分も感じたし、
なんかやっぱそういう人に触発されて、自分も変に不安になるみたいなのがあったなーって思って、
だから自分が、なんだろう、一旦例えばこの2024年時点だったら、そこまで不安にならんでもとか思ったり、
別に誰々がどこ行ったとか、そんな他人のプライベートまで突っ込まなくてもって思うんだけど、
なんかやっぱその時期って、誰かがちょっとでも遠出するとアウトみたいな雰囲気があったし、
顔見知りばっかりで誰がどこ行ったみたいな情報があっという間に広がっちゃう、
そのコミュニティの狭い田舎っていうのもあったから、
なんかそういうのあったなーと思って、だからなんかもう本当に犬の散歩以外外でれんみたいな感じだったなーって思い出した。
私も似たような感じだった。
スーパー行くのと一日の散歩以外は行っちゃダメみたいな感じだったし、
なんか本当いろんな意味で社会がすごい変わったし、
社会に対しても自分が今まで考えていたり想定していたこと以上のことが起こって、
なんか自分が想像しなかったような反応をしている人たちを見て、
なんかいろいろ考えたよね、なんかさおりょうちゃんが言ったみたいな、
15:03
ずっと知ってた人だったりとか、それこそ顔見知りだったりした人たちにこうちょっと棘が生まれるみたいなのも、
なんかその本人たちは、私たちも含めてみんな多分その時期すごく不安で、
例えば自分自身やその自分の親しい人とか家族とか周りにいる、すごい近くにいる人たちの健康なりを守るためみたいなところがベースにあっての、
なんかそういう距離の取り方とか、コミュニケーションの取り方みたいなのはあったんだと思うんだけど、
なんかそういう時に出るその人の本性ではないけど、なんかそういう怖さみたいなのって、
自分自身にも多分あったんだと思うし、なんかそれに多分あんまり不安になるとさ、
結構なんかその必死さみたいなのが出るじゃん、でなんかその必死さって、なんかその中にいる時ってあんまり自分では気づけないっていうか、
なんか自分はとにかくその不安な状況から抜け出すための何かをしようとしている、
その不安をなくすために何かこうすれば良くなるだろう、解決するだろうみたいなものを探して、
必死になっている状況の時の自分って、なんかあんまり自分が何してるのかとか、ちゃんと考えられない、
だから普段の自分だったらしないだろうなみたいなことをしてしまったりとか、
言動をそういう言動をね、周りにいる人たちにしてしまったりとか、
なんかそういう状況になってしまうんだな人間って自分も含めてっていうのをすごい思ったし、
なんかそういう中で過ごした、私たち、私もちょうど多分学生してた時だったから、
なんかオンラインで授業をしながら、なんかこのまんま私はずっと家に引きこもったままだれとも思わず、
なんか死んでいくのかなみたいなことをすごい考えて、なんかめっちゃ不安になったりとか、
なんか変な絶望みたいなのに襲われて、
なんか外から先みたいなものが見えない、なんか話したと思う、りょうちゃんと。
話したよね、そうだよね、私も思い出した。
思い出した。
未来、先に言ったのなんだか別で、全く見えないよねみたいな話をすごい。
18:01
そうそう、知ってた知ってた。
なんか本当に今この瞬間みたいなのに必死すぎて、
なんかもう来年どうしてる、来年どうしてるみたいなこと、本当考えらんないよねっていう話をしたきっかけがあるわ。
考えらんないよねみたいな。
すごい、めっちゃ昨日のことのように思い出せる。
でも多分それから3年ぐらい経ってる、3、4年ぐらいその話してから。
なんかでもそう、なんかそれで今思ったけど、なんか日記の話に戻ると、
なんか誰かの日記を読むのって、なんかすごい、
なんか自分的にはすごい面白いと思って読んでるんだけど、
なんかちょっと時間的な部分でグラグラする。
なんか自分の日常と、なんかその読んでる人の日常、日記みたいなものと、
なんかその例えば結構日記って、こう描写的に季節性があったりするから、
なんかすごい夏で暑いとか、
なんかその秋でなんかちょっと寒くなってきたとか、
なんかそういう感じのを読んでると、
なんか自分の中の時間の感覚みたいなのがすごい歪むのがあるなっていうのは、
いくつかなんか連続して読んでて思った。
なんか影響されやすいのか、なんかこう混ざってくる、いろいろ。
なんか日常の、自分の日常の感覚とかと、
だからなんかそれは、
あんまり今までなんか日記本っていうのをわざわざ読んだことはなかったから、
まあジンとかでちょっと読んだりとか、ブログ読んだりとかはあったけど、
なんかそれもちょっと感覚的には新しくて、
なんか日記読んでるときの感覚みたいなのかな?
わかんないけど。
そうなんだ。
なんかやっぱ日記でさ、
なんかそれこそこの小沼さんの日記とかは、
めちゃめちゃその、なんだろう、時事的なこと?
とか、季節もそうだし、
その日、1日がどういう日であって、
で、なんだろう、この社会で何が起きて、
自分の周りでも何がどういう会話があって、
誰と会って、みたいなことがわりと細かく書いてあって、
なんかすごい記録だなって思ったの。
で、なんかわりとその共通する出来事を知ってるからこそ、
自分も読んでて、いろいろ想起される部分とかもあったんだけど、
なんか多分人によって日記の書き方とかって全然違うと思うんだけど、
21:00
なんか私もその、
そうだね。
全然公開してないプラットフォームで、
で、わりと日記というか、
日記と言っていいのかもわからず、
なんかこう、ただ日付だけ書いて書き殴るみたいな、
で、なんかもう後からスイッコーもしないし、
なんかバーって書いて、
なんか2000字ぐらい書いて、はい終わりみたいな感じで、
終わりみたいな。
そんなに書かない時もあるんだけど、
っていうものを書いてて、
でもなんか私はわりとその日誰と会って何をしてみたいな、
なんかまあ誰とぐらいは出てきたりするけど、
なんかその時どういうことがあってとか、
なんならこの日に社会的にはこんなことがあってみたいなことを、
そんなにたくさん書く方ではなくて、
なんかどちらかというと、
なんか自分のその感情の波みたいなもの、
なんか後からまた読み返すぞっていうよりかは、
なんかその時の、
なんか大抵寝る前とかにそれを書いてるんだけど、
なんか寝る時にいろんなその感情の渦みたいなのを、
持ち越したくないなみたいな感じで、
うわーって書いて、
まあそれはネガティブであれポジティブであれそうなんだけど、
わーって書いて、
全部出す。
出して、
とりあえずなんかページを閉じるみたいな感じで、
だからなんかあんまり出来事記録というよりかは、
感情の吐き出し口みたいな、
でなんか本当に読み手とかを全く想定しないで書いてるから、
なんかその読み手をある程度、
なんかブログの中に一部日記みたいな感じで書くこともあって、
なんかそれは、
なんか良くも悪くも読む人がいる、
一人はいるだろうみたいな感じで、
ある格の読み手を想像して書いてるから、
あんまりそのプライベートすぎることとか、
個人的な話とか、
同じか、個人名誰かの話とかは書かないし、
なんか自分がどこ行って何してみたいなこともそんなには書かないし、
だけどなんか読み手を想定してない方のもう書き殴りみたいな方は、
誰にも読まれないって思ってるから、
そういうのも出しちゃってるし、
で、書いて終了みたいな感じがあって、
なんか割とその日記を書くモチベーションとか書き方、
なんか具体的なその文体とかもそうだし、
どういうことを書いて何を書かないようにするかみたいなのとかも、
人によって違いそうだなっていうのを今思った。
そうね、私もなんか割とりおちゃんとは似てるかも、
24:01
なんか日記のスタイル的な感じで、
なんか今まですごい、なんか最近割とデジタルに興奮してきたけど、
割とずっとそのモレスキンに本当に、
なんか日記だけじゃなくて本当に自分の頭の中に浮かんできた、
ものを吐き出す場所としてのノートをずっと綴ってきて、
結構15冊ぐらいあるんだけど、
なんかやっぱりそこにも結構日記的なものはあって、
日付とちょっと起こったことみたいな、
でも大体はその時感じていたことみたいなのがバーってあって、
たまになんかその時思っていたことの背景的なその出来事みたいな、
まあそれが記録みたいな感じで、
ちょっと横にこうメモみたいな感じで書いてあるけど、
やっぱりなんかメインはいつもその感情とか、
あとその時考えてたり思っていたり、
すごい自分の中でこうぐるぐる悩んでいたりしたことを書くみたいな感じだったから、
なんか私が今んとこ読んでる日記はなんか、
なんかすごい綺麗な日記だなみたいなものを思った。
そうそうわかる。
そうそうそうそう。
なんか最初の部分に書いてあったのよ、
小沼さんのところに、
誰かに読まれる日記を書くときは、
意図的な取捨選択や編集が入り込む、
それでもまずは誰にも見せない日記と同じように、
自分自身に向けて書くように意識している。
日記を公開することは、そうして書いた言葉を広場、
例えばSNSのような場所で読み上げるのではなく、
誰でも自由に入りできる鍵をかけない部屋に、
そっと置いておくイメージに近いかもしれない。書いたって。
なんか、でもだから小沼さんのはなんか自分のスタイルなのかな、みたいにも思った。
なんかその自分自身が公開しない日記も、
なんかこんな感じで結構記録的なもの。
記録的なとこから派生する考えだったりとか、
その時思っていたことがその記録に付随して、
みたいな感じなのかなとは思ったんだけど、
でもなんか他に私が今のところ読んだ日記も、
なんかみんなすごい綺麗な日記なのね。
なんかその辺で記録があって、その間に自分が今ちょっと悩んでたこととか、
なんかその今ちょっと思ったことみたいなのが挟んであるけど、
なんかそのバランス的には結構半々みたいな感じ。
記録があっての、なんかその感情とか考えとかみたいなのがあって、
こうセットなわけ。
だからなんか、えーみんなこんな感じの日記を書くのかなみたいなのはあって、
27:07
逆にそうじゃない日記を読んでみたいなって風には思った。
なんか感じた。今のところ。
いくつか日記も読んでみて。
編集されてるからなのかな?わかんない。
なんかカットされる部分が、私たちは完成品を見てるわけで、
その間にたくさんの人が関わって編集したり、
いろいろね、こうしたほうがいいとかいろいろ書き足したりとか、
逆に削ったりとかっていうすごい労力があるんだと思うんだけど、
でもやっぱりある程度この作家のスタイルみたいなのとか、
こういう形で日記を書いてるみたいなベースはそんなに変わらないと思うから、
それをそう思うと、みんな日記はこんな綺麗に書いてるのだろうかみたいなのは思った。
だから、りょうちゃんの話聞いて安心した。
とんまわりな。
なんかやっぱりさ、人に読まれる可能性があるものと全くそうじゃなくて、
それこそ自分が持ってるノートに書くでもそうだし、
絶対にその外には出さないプラットフォームでデジタルで書くっていうのもそうだし、
っていうそこの文章と、なんか多少個人情報を隠したとしても、
なんかやっぱり読まれると思いながら書く日記って、
なんかやっぱり違う感じがするけど、どうなんだろうって思って。
なんかその個人名の部分とかはもちろん出さないけど、
私は割と昔からブログを日記みたいな感じで使ってきた人間だから、
なんか割と何も考えずに、なんかその感情的な日記をそのまんま公開してるみたいなのもなんか結構あって、
だからなのか、なんかそこまで自分の書いてる日記と公開されてるものの差みたいのはないかな。
よっぽど自分で意識して、こういう日記を書きます、記録的な日記を書きますみたいな感じ。
なんかいくつか、最近って言っても去年、一昨年ぐらいに試したいくつかの投稿では、
はてなブログなんだけど、なんかそういうのも書いてみたし、
なんか別にそれが、それはそれで面白かったけど、
なんかそれより前の、もっともっと前から書いてる日記とかは、
割ともう本当、結構その感情的な日記のまま公開されてるみたいな感じ。
30:02
だからなんか書いてる時は、公開するしないみたいのは何も考えずに書き、
なんかその時、なんか感覚的に、
あーなんかちょっとこれは載せようみたいなのをなんか適当に決めて、
その時は、例えば個人名とか出してたらもちろん伏せるし、
でも、だからなんか俺と自分の中ではそこまで差みたいのはないかな。
でもだから逆に、なんかもうちょっと面白い、
面白いって言ったら、なんかちょっと他のが面白くないみたいに聞こえるけど、
面白いって言うよりは、なんか記録じゃない感じの日記を読みたいみたいな思った。
なんかもっとすごいぐちゃぐちゃな日記を読みたいみたいなのは、
なんか思ったりするかな。
なんか割と私たちの公開日記もさ、
ぐちゃぐちゃではないけど、割と編集とかもしたから、
5時脱字とかはないけど、
なんか割と私たちのそういう、
普段書いてるような、個人的に書いてるような感情的な日記みたいな感覚は出てるとは思うの。
割と日記の記録的になるように、
お互い意識はしていたかもしれないけれど、
同時にその応答みたいな部分が入ってくるから、
なんか割とこう、感情とか考えていることみたいなところが結構中心になってる感じは、
割とあったかなって思うし、
なんかどうやったらそういう日記と出会えるんだろうみたいのは、
ちょっと最近いくつか読んでみて思った。
思ったというか気づいた。
なんかそういうのがやっぱり好まれるんだろうかみたいな。
そういう日記しかみんな読みたくないのかなみたいな。
綺麗じゃない日記、
そういう、なんだろう、ぐちゃぐちゃした日記みたいのって、
あんまりやっぱり人気ないから誰も表に出さないのかなみたいなのは、
思ったかな。
なるほどね。
なんか私は割と交換日記、
そのむーちゃんとやってた交換日記と、
自分が誰にも見せない日記って割と違いがあって、
違いがあってというか、
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、
なんか交換日記はさ、読み手を意識するっていうよりかは、
むーちゃんに話してるよっていうのを意識して書いてるから、
日記っていうか普通に手紙なんだよね。
文通の延長線上にあって、
だからなんか、別に良い悪いとかではなくて、
33:00
むーちゃんだから話す内容もあるし、
逆に別の人に話している内容を、
日記に書いてないとかも全然ある。
だからなんか話す相手によって、
共有しているものが違うから、
例えば私が大学であって、
研究のことを話す人には、
自分のプライベートのことはそんな話さないし、
でも逆にプライベートのことを話す人に対して、
自分の研究の内容をこと細かに話すとかもないし、
っていう感じで、なんか話す相手によって、
自分も話す内容を無意識で書いてるから、
なんかそういうのはあったかなって思って、
だからなんか感情ぐちゃぐちゃっていうよりかは、
手紙書いてますみたいなモチベーションかなと思って交換日記は。
なんかぐちゃぐちゃしてる、
自分のその普段書いてる日記というかメモというか、
書き殴りというかは、
私もそれこそブログとかに出してる日記的なもの、日記とか、
1週間の話みたいな、
もうちょっと1日じゃなくて、
週間単位でのこととか、
出来事もちょっと書いたり、
なんかそれこそ割と感情の波が多分ある方だから、
波について書いたりとか、
あるけど、
でもなんか多分結構そういう場に書かないぞって思ってる内容とかがあって、
私は。
多分なんか人に隠したいとか、
人に内明けませんみたいなことが、
割と自分多い人間なのかもしれないっていうのを、
なんか話しながら思ったわ。
そうかな、
でもそうね、
なんか人によって境界線があるじゃん、
どこまで人に見せていいとか、
なんかここからはちょっと入り込まれるのはちょっと無理ですみたいな、
その境界線みたいなのが、
すごく顕著に出るメディアの種類だと思うのね、日記って。
でもなんかだからこそ、もっといろいろな、
全員の境界線というかバウンダリーっていうんだけど、
同じじゃないから、
その境界線レベルにあった日記とか、
その公開されている文章みたいな、
36:01
いろいろな種類の文章があっていいと思うのね、
それはだからもちろん、
りょうちゃんが言ったみたいに、
私は結構表に出さないことが多いかもしれないって言ったけど、
それはりょうちゃんの境界線なわけで、
私でことによっては結構そのまま書くこともあるし、
絶対公開しないっていう、
そういうある程度のこともあって、
それはその人それぞれであると思うのね。
でもなんかだからこそ、
いろいろな人の文章を読むっていうのが面白いわけで、
だからなんかその、
日記本を読むってなった時も、
なんかもうちょっと、
そのバウンダリーとか境界線の違いみたいなものが、
いろいろなその境界線の違いがある日記を読んでみたいなっていうのはすごく思ったし、
なんかその日記だから記録をある程度書かなきゃねとか、
ある程度背景がなきゃねみたいな感じの、
なんていうんだろう、前提みたいなのを元に、
結構みんな書いてるような気もしなくもないなって思って、
なんか全然なんかもう背景も文脈もなく、
なんか意味わかんないことが書いてあってもいいと思うの。
それはその人の中で結構完結してるわけで、
その文章なりなんなりはその人が公開していいって思ったものであり、
なんかそういうなんかもっとぶっ飛んだ面白い日記、
面白いというかなんか変な日記を読んでみたいなっていうのは思ったし、
なんかもしかしたらたくさんあるのかもしれないけど、
なんかもうちょっとそういういろいろなジャンルの日記を模索していきたいなって、
いろいろこう日記、いろいろな日記本を読んで思って、
もっとこう日記本みたいなのに興味が湧いてきたっていうのはあるかな。
そうね、私たちのあんま日記って呼べない。
日付が入ってるから一応日記とは言えるけど、
それ以外は手紙だよね。
そうなんだよね。
一応交換日記という名前を使ってるからには日付書くかっていう感じでやってるけど、
日付あれ書いてなかったら普通に手紙だよね。
手紙だよね。
でも割と早いじゃん、リスポンスが。
次の日みたいな。
りょうちゃんが今日書いて、
お互いがそれぞれ同じ日の日記を書き、それに応答しみたいな。
39:03
うんうんうん。
あれ?一個ずれてる。あ、そうだ同じ日だ。
うん、そうだからなんか。
ね。
一応日記ではある。
けど、どっちかっていうと、
なんかリスポンス早めの手紙交換みたいな。
本当にそう。
オンライン手紙交換。
だね。
そんな感じだったわ。
ね。
早く次のも編集して、
季節が変わるまで。
変わるけど。
年越しそうなんだけど。
いや絶対越すでしょ。
もう10月終わるよ。
絶対年内無理。
2ヶ月。
年始に出せるくらいまで。
またそしたら去年と同じような。
去年より遅めじゃない?ペース的に。
去年は8月ぐらいに書いて、
そうだね。
結局出したのが、
次の年の2月に最終原稿みたいな。
実際に出したの3月か2月下旬、3月だったな。
みたいな感じだったから、
今年のは5月に書いたっけ?
でも、
今年も引越しとかもあったし、
そうだね。
いろいろバタバタしてたから、
ちょっと早めのタイムラインを目指して。
1回やったからさ、
割とテンプレみたいのもあるじゃん。
もう何したらいい?みたいなのをさ、
模索しなくていいから。
この間初めてやったから、
割とどこで印刷したらいいんだろうとか、
どういうレイアウトにしたらいいんだろうとか、
原稿のファイル作るのもめっちゃ大変だったじゃん。
そこから始めないといけなかったけど、
次はもうそれをベースに、
またコンテンツを変えて、
みたいな感じでできそうだから、
最初1回目よりは、
マシだとは思うけど。
ね。
他は?他何読んだの?最近。
読んだ本って言ってたけど。
あと2冊、これまだ読み終わってはいないけど、
クドレインさんの日記の練習ってやつ。
もともと連載で多分りょうちゃんが教えてくれたのかな。
連載やってみようみたいな。
そうそうそうそう。
それが本になって、1年分の日記が入ってるのかな。
日記の練習っていうのがあって、
その日記の本番があるみたいな。
本番あるんだ。
本番あるの。
月末に書かれるのかわかんないんだけど、
日付順に行くと、
最後の日付の後に、
42:02
日記の本番10月みたいな感じで書いてあって、
そこはわりとエッセイみたいな感じになってる。
1日これしましたみたいな感じのことではないから、
わりとその時考えていたこととかも書かれている感じかな。
でも、クドレインさんの日記はわりと、
私がさっき言ってたみたいな変な日記で面白い。
変なことが書いてある。
エッセイ多分そんな感じじゃない?
そうそう、あんな感じのノリでそのまんま、
出来事がプラスで書いてある。
5月1日は棒に振った1日。
もらったあんこペーストをぺろぺろ舐めていたら日が暮れた。
それ1日の日記一行みたいな感じ。
いいな。
だから結構、こんなノリで書きたいな。
書かれてない日とか日付がこうただ続いてるの。
1日書かなかった、2日書かなかった、3日書かなかった。
4日行くと2ページぐらい書いてあんの。
で、また6日何も書きませんでした。
なんかめっちゃいい感じのノリで読んでて楽しい。
いいね。
なんかこんな風に日記書きたいなって思った。
私運転日記、すごい綺麗な調子の。
これはもう読み終わったかな。
なんかポケットにね、ぴったり入るサイズで電車で読んでたんだけど。
ポケットでかくない?
そう、私のなんかジャケットのポケットめっちゃ大きくて文庫本が入るサイズ。
いいね。
なんか超四角みたいな、超便利。
いいね。
これ正方形みたいな感じなんだけど、高さは文庫本と同じぐらいかな。
そうそうそう。
これは一人暮らしになったのをきっかけに、
それがきっかけなのかわかんないけど、
島での免許合宿に行く話。
っていうので、私運転日記なんだけど。
そうそうそう。
これも結構、なんかこれはすごいユニークなったのが、
免許合宿の過程がすごいめっちゃタイムライン的なので、
終えるのが物語の始まりと終わりみたいな。
合宿に行ってる間のところがメインのストーリーみたいな感じ。
でも毎日合宿について書いてあるわけではなくて、
そこで出会った人だったりとか、
逆に、多分長年一緒だったパートナーの人と別れて、
45:07
何年ぶり?16年ぶりの一人暮らし?
になったばっかりの時に合宿に行ったんだけど、
だからまだ結構いろいろ考えたりとか思うことがあって、
そういうのが間々に入ってくる感じ。
で、免許合宿、私も行ったからさ、
その部分が超リアルで、
なんかわかるわ、こういう人いたよ、みたいな。
思いながらすごい読んで、面白かったし、
なんかその卒業検定のコースを走って、
なんか読んでて、ちょっと笑っちゃったかな。
本当に免許合宿についてしか書いてない日もあれば、
本当にすごい、その時ちょっといろいろ思ってたり感じてたりしたことも書いてあったりとか、
帰ってきてからも書いてあるのに、免許取れたのかな?
合宿終わってからの日の部分も結構最後の部分にあって、
なんか分かれてるんだよね、最初の部分が合宿、
で、その後運転しない日々とか、
あと結構旅行に行ってたから、
旅行に行ったのが、
藍津江とか、伊豆江みたいなのが書いてあって、
ショーに分かれてて。
そうそうそうそう、なんかこれもすごいよかったし、
なんかなんだろう、
すごいずっと誰かと長く暮らしていた人が、
急に一人になった時にどういう風に生きていくんだろう、
みたいなのがすごくリアルに書かれてて、
もちろんいろいろな免許合宿に行くみたいなのが結構メインイベントみたいな感じではあったんだけど、
なんか読めば読むほどに、
この大崎さんがどうやって自分はこれから生きていくんだろうかみたいなのを、
自分なりに考えてるのがすごく伝わってくるのが、
結構印象的だったし、
結構何度も同じページ読み直して、
なんかいろいろ思うこととか、
日記なんだけどいろいろ考えさせられたりとか、
なんかさりげない一言で結構思うことがたくさんあって、
とてもおすすめ、これも。
48:02
っていう感じかな。
これは読み終わって、
ここの不動産のはまだ半分ぐらいかなっていう感じかな。
とりあえずこれが私が今手元にある日記本3冊っていう感じ。
日記本ね。
何か読みたい。
りょうちゃんいっぱい持ってる。
結構りょうちゃんが教えてもらったんだ。
この小沼さんもだけど、りょうちゃんが教えてくれて。
でも言うて日記本はそんなないかも。
なんかジンとかたまに買ったりするけど、
うんうん。
なんか今本棚見てても、日記本何があったっけとか思って。
なんかそれこそ小沼さんのぐらいしかちゃんとした日記本はないかもな。
なんか日付が入ってとかっていう。
日付入ってるのはなんでも日記本なんだよね。
確かにね。
なんかわかんない。何を持って日記本って読まれるのかな。
確かに。だってなんかさ日付が入ってないだけで、エッセイの手で出てる本も割と日記っちゃ日記だよねって思うし、
日記の手で書かれてるけど、なんかこれ日付がなかったらエッセイだよねって思ったり。
エッセイだよねみたいな。
わかる。
なんかそうね。
なんか日記読むのも、でも私は割と誰かのブログ読んだりとか、それこそ日記としてブログを使ってる人の読むっていう方が多いかも。
紙媒体として読むっていうよりかは。
そうね。私は割とそれがずっとだった。
ほんとこの数冊ぐらいで初めてこう日記本みたいな本みたいな形で買ったっていうか手に取った。
割とずっとブログで好きな人の日記を読むみたいな。
なんかお気に入りのいくつかブックマークした人の日記を読むみたいな。
でも最近全然読めてないね。
同じくらい。
っていう感じかな今日は。
そうだね。
なんか全然日記本じゃないけど、なんか私が最近読んだのは、
なんかこの間むーちゃんに送ったのが、
そうだそうだ。
ナイスレイシズム、なぜリベラルなあなたが差別をするのかっていう本をしばらく前に読んだ。
なんかこの本は、なんかね、同じ著者の前作みたいなのがあって、続編ってわけじゃないんだけど、
51:09
なんか割と発展版みたいなやつが、このナイスレイシズムってやつで、
前作がホワイトフラジリティ、私たちはなぜレイシズムに向き合えないのかっていう。
なんかそのアメリカ社会、アメリカの一応話なんだけど、
アメリカにおける白人で自分がリベラルだって言ってる人たちが、
なぜ差別をするのかって、
なんかそれをなぜ差別だって言われると、
いやこれは差別じゃなくてとか、なんかすごいいろんなこう形で言い訳とかをして、
なんか自分が差別をしているということを認められない弱さみたいなことを、
なんかずっとその研究というか、したりとかワークショップをしたりっていうことをこの著者がやっていて、
っていう、なんか一応すごい私あらすじとか説明するの苦手だから、
本文より抜粋されているあらすじ的な、出版社のサイトのあるあらすじ的なものを読むと、
私たち白人の進歩主義者こそが、微笑みを浮かべながら把握されにくく、否定しやすい方法で日々黒人を貶めているのだ。
そして白人の進歩主義者は自分のことをレイシストではないと思っている分、あらゆる指摘に対して非常に自己防衛的になる。
しかも自分たちは問題の外側にいると思っているので、さらなる行動の必要性を見出さない。
この自己満足は拡大する白人ナショナリズム運動に対抗する組織化や行動を確実に妨げている。
っていう感じで抜粋されてるんだけど、なんかすごい応用の効く話だなと思いながら私は読んでたし、
結構なんか、ひりひり、ひりつきながら読んだというか、
なんかその、めちゃめちゃ日本の社会の中でも通用する話だって思いながら、
ある種日本人として、日々自分が日本人だって思わないことこそが、
なんか日本人としてすでにいろんな恩恵を、というか特権を受けてしまってるみたいな。
なんかその、この今も、これ本屋じゃないや、図書館で借りた本だから、本体が今手元にないんだけど、
なんか本文の中とかでも、なんかその自分が持ってる特権性を否定するのではなくて、
54:07
それをどのように使えるのかとか、その特権がどういう形で、
差別的な状況に対して運用されているのか、みたいなのを考えるべきだ、みたいな風に書いてあって、
確かにいいと思いながら読んで、
で、なんか結構よかった、読んでよかったって思った本だった。
で、なんか全然、なんかそれと無関係の話でもないんだけど、
全然文脈が違う話の本を今また図書館で借りて読んでて、
なんか、もともとこれもアメリカの本で翻訳されてるやつなんだけど、
あ、全然出てない。
これは、うちなる沖縄よっていう本で、
なんかこれはあらすじがあるからちょっと読むんだけど、
1970年代初めのカレナのナイトクラブ、戦後間もない沖縄で生まれ育った母と、
ベトナム機関兵だったイタリア系アメリカ人の父はそこで出会った。
2人の間に生まれた著者はニューヨーク州北部の街の白人文化の中で育つ。
アジア系のマイノリティとしてアメリカ社会に生きる葛藤は、
英語が得意で周りと違う母への反発と軽視へと変わり、
その背景にある沖縄の言葉や文化も遠ざけてきた。
しかし仕事や恋愛で様々な経験を重ねる中で、
異国で母が抱えていた苦悩、言語の壁、
沖縄日本アメリカの間の不均衡な力関係に気づき、
母に対する見方は変化していく。
さらに両親と沖縄を訪れて、
親族と触れ合い、豊かで複雑な歴史を学ぶ中で、
うちなる沖縄への自覚は徐々に強まっていった。
自身の反省と沖縄の歴史を織り混ぜて綴り、
多くの書評で高く評価された回想記。
ということ。
今なんか3分の2弱読んだんだけど。
なんかエッセイみたいな感じ。
自分の追い立ちについて回想してみたい。
回想も知ってるし、一応大まかには時系列というか、
幼少期の話とかっていう感じではあるんだけど、
割と途中途中で現在の話に戻ったり、
年齢もそのまま上に上がるっていうよりかは、
ちょっとまた戻ってっていう感じもあったりするんだけど、
57:03
本当に子供の時とかは、
英語が話せない母親を恥ずかしいと思うとか、
できないことをちょっと笑っちゃうとか、
でもなんかどうして母親がわざわざアメリカ人の父親と結婚して、
アメリカに渡ったのかみたいな背景とかもさ、
当たり前っちゃ当たり前だけど、
子供だからそういうことを考えようとか、
母親も話そうとか、そもそも話せないし、
そういう複雑な話を。
小さい頃は日本語だったり、
琉球の言葉っていうのを多分部分的に話せたんだけど、
成長して使わなくなったら完全に忘れちゃって、
母親が本当に言いたい話は英語では話せないし、
母親が本当に話せる言葉で話した言葉を、
自分は理解ができないみたいなことに大人になってから気づいて、
っていうシーンがあったりとか、
父親が一見すごい善良な父親なんだけれども、
すごいマッチョで、
すごい強き男性みたいなのを体現してる感じの人。
子供に対しても、
どこからどこまでが愛情と言っていいのか、
どこからが行き過ぎた管理みたいになってるのか、
みたいなのがすごい不明瞭な感じになってて、
それを子供の時に受け取ったこの著者の感覚と、
大人になってから感じてる感覚っていうのはまた違ってたりとか、
それぞれに沖縄戦だったりベトナム戦争だったり、
戦争の影みたいなのもすごい家族の中に凝縮されてて、
それを読めば読むほどにいろんなものが複装的になって、
その折り重なった部分に著者が生きてるみたいなのが、
すごいわかる書き方をしていて、
すごい文章がいい文章だとかって思いながら読んでたんだけど、
今まだ読み終わってはないんだけど、
すごいいいよっていう。
これ原文英語だから多分英語で用書で変えると思うわ。
すごい、その著者もさ、
もちろん子供の時に感じていたその瞬間に、
その背景なりを理解できないまま感じていた、
1:00:03
そういう感情っていうのはもちろんあるし、
でも大人になってこういろいろ理解できるようになったからって、
その感情がなくなるわけ、子供の時に自分が経験したことがなくなるわけではないじゃん。
そこに説明文がついたからって、
はいじゃああの時感じたことはこうだから、こうで説明がつくから、
仕方ないよねとかっていう風にはならないじゃん。
その瞬間生きていた自分が感じていたことはやっぱり正しくて、
その瞬間の自分にとっては。
でもやっぱり同時に大人になって、
大きな戦争とかが入ってくると、
社会的な背景とか複雑な関係性みたいなのが理解できるようになった上で、
またそういうのを理解し直すとか感じ直すみたいなのって、
自分の中に2つ記憶ができるようなものなのかなっていうのは、
上書きされないよね。
それが理解できたからって、
はいじゃああの時感じてたのは申し訳なかったなとかは、
ちょっとは思うかもしれないけど、
でもそれをなかったことにしてもダメだなっていうのは私はすごい思ってて、
それを思い出して感じ直す時に、
その人の記憶みたいなものって、
上書き保存されてしまうのか、
また別枠で保存されて、
それはそれでまた新しい理解として、
自分の母親なり父親なり自分の歴史とか、
沖縄のことについて理解し直そうとか、
学び直そうみたいなことをするのかなみたいなのがすごい気になるし、
多分そういうところについても書いてあるんじゃないかなっていうのを読んでみた。
ぜひぜひ。
これでどっかとかしたいの?
いいね。
多分割と最近出た本だと思う。
日本では2024年の2月16日。
洋書では2022年。
割とすぐ翻訳された感じだね。
読んでみるありがとう。
ぜひぜひ。
読みたい本がありすぎてどうしよう。
読みたい本と自分の読むケースが全然合わないし、
図書館で予約とかしてると、
全然読めない忙しい時期に限って、
1:03:03
予約が用意できました、できましたって何件もメール来て、
今じゃないっていう。
一気に来るのね。
そうなの。
なんでこんな、
2月ぐらいいっぺんに来るよね。
そうなんだよね。
なんでこんなタイミング合っちゃったんだろうって。
そうそうそうそう。
もう私諦めた図書館ね。借りるの。
タイミング悪いみたいなのがだいぶ何回か続いて、
数冊を取りに行けなかったし、
もうその時点で、読みたいと思ったら買おうと思った。
もう一回読むか分かんないなっていうのは、
オンラインでデジタルで借りられる本とかもあるから、
そういうのはオンラインで借りるようにして、
なるべくデバイスから目を休めさせたいみたいなのがあるから、
シングルにダウンロードできれば一番いいんだけど、
なかなかできない時もあるから、
オーディオブックも最近たまに試してるんだけど、
あれはなかなか集中しないとね、難しいのかな。
ポッドキャストって本だから一応、
ちょっと聞き逃したとかだと、
それこそ丸々一段落抜けてましたみたいな感じだからさ、
話が飛んじゃったりして、
ポッドキャストみたいな感覚で聞こうとすると、
なかなかうまくいかないっていうのを最近気づいて、
うまくいってないかもって思った。
よっぽど読んでるナレーターが話に引き込んでくる感じの話し方だったりとか、
声だったりすると割と集中しやすいんだけど、
そういうの探すの難しい。
割とみんな結構モノトーンな感じで読むからだんだん眠くなってきたりとか、
集中してないとふって気が散ってしまって、
話が結構飛んでったみたいなのがあるから、
なかなか難しいなって思った。
そうだよね、ポッドキャストとかラジオとかはさ、
会話文だから会話文っていうか普通の会話?
誰かとの会話とかだから、
聞き流しててもそんなに内容に出遅れるみたいなのもないし、
ところどころ聞き飛ばしてても、聞き取れた部分だけで割と頭の中で成立してたりするから大丈夫なんだけど、
1:06:00
小説とかだと特に世界観を理解しなきゃいけないから、
それ結構難しいよね。
小説じゃなければいいのかな?
めっちゃむずい、しかも文章、
私もそれ思ったのね、
小説は割と本によっては言い回しが独特だったりとかもあるから、
ノンフィクションで事実ベースのこういうことがあってみたいなのを書いてるものだったらいいかなと思って、
いくつか聞いてみたけど、
それもそれで割と集中力いるから、
あと本によっては結構写真とかグラフとかチャートがあったりするもの?
ビジュアルが結構入ってるものだったりすると、ないと、その辺の説明なしみたいな、
これを参照してみたいに言われても、ここに今すぐないからみたいなのがあって、
そういうのを何回か経験した後に、
例えば本も持ってて、本を読みながら聞くみたいなの、
だからだったらわかるけど、
そこまでしたらわざわざ聞かない、それだったら普通に読めばよくないみたいな。
そうだよね。
そうそうそうそう。
だからなんかなかなか、すごい本当好きな人もたくさんいるから、オーディオブック。
私もなんか、何かしながら本読めたらすごいいいなとか思ったけど、
本読む醍醐味って、なんか自分のペースで読めることが一番大きいから、
確かに。
なんかそれ本末転倒というか、
なんか本もさ、全部が同じペースで読むわけじゃないじゃん。
なんかその場所に、箇所によっては、なんかすごい早く読めるところもあれば、
なんかすごい時間かけてじっくり読みたいとか、
ほんと章ごとにも結構ペースが変わってきたりするから、段落ごとに。
だからなんかそういうペース配分とか、
自分のこのペースで早く読んだり遅く読んだりみたいなのが自由にできない。
早くの調節はできるんだけど、
そういうことではないよね。
そういうことではないし、
そういうのを把握するのにも、やっぱり物理的な本でさ、
感覚的なところがあるじゃん。
そういうのが一切ない感じだから、
なんか結構、ちょっと違うなと思った。
なんかこの生産性的なところを極めてしまった、
効率的みたいな、効率的読書みたいなのをすごい、
なんかこう、ジム行きながら本読んでますみたいな感じのものを求める人にとっては、
1:09:05
すごいいいんじゃないかなと思うけど、
私は本を読む目的がだいぶそれとは違うから、
情報を得るためというよりかは、
なんか自分のペースで文章なり考えなりを咀嚼して、
で、そこからまた自分なりのペースで考えてみたいなのがあるから、
そこを全部なしにされてしまうと、
本読む意味ないなみたいな。
そうだよね。
なんか、合う合わないは割とパキッと分かれそうだよね。
うん、そうね。
そう、私は合わない派でした。
次のテーマとかまだ決めてないけど。
うん、あったぽちぽち。
そうだね、また提案して、
リスナーの皆さんからも何か提案があれば。
ね、欲しいけど。
それについて話すのも楽しそうっていうのは思った。
うん、でも大抵私たちさ、もらってもだんだん逸れていっちゃうからさ。
そうね、なんかもうちょっと、
なんかこう、時間ごとに区切るとか、
例えばなんか20分はこのテーマに集中して、
時間で区切ったら、はいじゃあ15分経ちました、20分経ちましたなりにこうさ、
リセットされるじゃん。
で、そこからまた再構築して脱線してたら戻してみたいなのをやっていくのもいいかもしれないと思った。
うん、なんかうまくいったらいいけど、
私たちは大抵脱線して脱線して、
あ、どこだったっけ元のレールみたいな感じになるから、
なんかそこまで脱線してもいいよみたいな感じで、
ゆるいテーマがなんか、
ゆるいそうだね。
あったらめっちゃ嬉しいですって感じ。
嬉しい。
待ってます。
はい、じゃあ今日はこれで。
こんな感じで。
じゃあまたね。
おやすみー。
01:11:53

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