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2022-02-14 1:24:58

第八十五回 それぞれの「にき」の話 ゲスト:蟹の親子さん

日記本『にき』を出された蟹の親子さんと、日記について存分に語り合います。「他人の日記を読むってどういうこと?」という問いを巡って、あれこれ話していくなかで、どんな景色が見えてくるのでしょうか。(ZOOMでの収録のため、一部音声の乱れがあります)
00:30
はい、こんにちは、ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と、本日のゲストでこの方です。
蟹の親子です。
どうぞよろしくお願いします。
というわけで、毎度毎度このポッドキャストでは、僕が読んで面白かった本の著者の方であったりとか、
何か馴染み、ちょろっと関わってくださった方であるとか、お呼びして始めはするんですが、
毎回特段紹介することも、自己紹介すらあまりさせないで、そのまま始めるっていうスタンスでおりますので、
かなり簡単にご紹介しますが、
「にき」という日記本を、
最近、本当に最近ですよね、今年に入って、
そうですね、1月に入ってからです。
そうですよね、今年の1月に、「にき」という日記本を出された蟹の親子さんに、
本日は来ていただいています。
とても今日楽しみにしておりました。
ありがとうございます。緊張しています。
いや、緊張しますよね、多分、録音してるぞとか、そんなに多くはないんですよ、誰かが聞くないし、
残るものとして喋ろうと思うと結構、大丈夫かなって。
そうですね、自分の話す悪い癖が出るんじゃないかなって、今から心配になってます。
そうか、それも何だろう、「にき」の中であったりとか、
過去の作品の中にも何度かお話が出てますけど、結構お話しして、後で反省会というか、
あんなことを喋ってしまったな、みたいな話がちらほらと出てきたりも。
そうなんですよね。話しながら自分の語尾を丸めていく癖があって、
それが嫌なんですよね、話しながらもう早速反省してるような感じが。
なるほど、それは結構僕もありますね。
でも何だろう、それもういいや、いきなり本題というかに入っちゃうんですけど、
肉書く人って、タイプいろいろあると思うんですけど、
03:00
一つ、後で反省会始めちゃう人ってすごい日記、いいツールなんだよなっていうのを持論として持っていて、
僕は、何だろう、それこそ小学校ぐらいの頃からずっと、
うまく喋れないというか、頭の回転、口がうまく回らないで、
言われたことに対して、あの時は言い返せなかったみたいなのをずっと根に持つタイプだったんですよ。
なんですごい帰り道とかに、一人で仮想組みでじゃないですけど、
あの時は嫌な先生にこう言い返してやれば、グードネも出なかっただろうにしまった。
延々とシミュレートを繰り返したりとか、
逆にあの時ああいう風に言っちゃったから、あの子のこと怒らせちゃったけど、
もう少しこういう風に言えば伝わったな、みたいなのを延々と一人でやり続けてるみたいなのが、
癖としてあったので、今もあるんですけど、
なんかすごいそれが、何だろうな、日記を書くことであったりとか、
こうやってわざわざおしゃべりを録音して、自分で聞き返したりするみたいなのも含めて、
なんか通ずるところがありそうだな、みたいなのをぼんやり思ってるんですよね。
はいはい。
みたいなところも含めて、今日はその日記っていう本をカニの親子さんに送っていただいて、
せっかく送っていただいたから、もちろん何かご紹介はしたいなと思いながら、
とはいえ触りだけちょっと読んでもらいました、みたいな感じでツイートとかだけして、
また気が向いたら読もうぐらいに思って、軽い気持ちで読み出したら、
なんかどんどん引き込まれていって、最後の日付まで読み切って、
ありがとうございます。
その最後の日記論まで読んでっていうところで、
本当にもうだから、いただいたからとかそういうの関係なしに、
すごい読ませる日記だなっていうところで、
わーっと驚いて、ちょっとこれは一度カニの親子さんと日記の話をしてみたい、
どういうふうに書いているかっていうのもそうだし、
どちらかというと人の日記を読むってどういうことなんだろうね、みたいなところも含めて、
ちょっと日記についていろいろと話してみたいなっていうのが、
今回のこの会のきっかけですというところで、
日記について語ってみたいなっていうのはありながら、
かなり漠然としているというか、日記、それこそカニの親子さんも書かれているように、
06:00
かなり懐の広いものなので、ある意味何やったって日記といえば日記じゃないですか、
どこを切り口に話していこうかなと思っているんですが、
ちょっとまず、今回の新刊の日記であるとか、
その前の作品だったりも読ませていただいているので、
これまでに出ている3冊かな、ソフトシェルクラブの唐揚げ、何も続かに、
そして日記っていうこの3冊を通しての感想というか、
こんな風に読みましたっていうのを、まずちょっとお話をさせていただいて、
それからちょっと日記のお話に入っていければなと思うんですが、
毎回ポッドキャストで悪いくせで、僕めちゃくちゃ喋り続けてしまうので、
遠慮なく途中で話をぶった切って発言をするっていうのは大変助かります。
私聞いちゃう、その人の話聞いちゃうんで、もしかしたらいいかも。
じゃあそれもどちらでも大丈夫です。
はい。
まずで、なるべくちょっと簡単にというか、お話をする。
僕ってもともと自分で日記を書いて日記の本を作っているくせに、
人の日記もあんまり読まないんですよ。
そうですか。
うん。
なんていうのかな、そんなにたくさん日記本を読んでいるわけではないというのもあるんですが、
それとまた別に、人の日記、読んでどうするんだろうじゃないけど。
まあ、そうですね。
どの口が言うんだって感じなんですけど、ちょっと思っているところがあって。
はい。
なんかどうなんだろうな、自分で日記を作っているのも含めて、
なんか作ってはいるんだけど、これ誰が読むんだろうなみたいなことをちょっと思ってたんですけど、
カニの親子さんの日記をこう読んで、すごい日記を読む面白さってこういうことなのかもみたいなのを、
ちょっとこうわかった気がしたんですよね。
自分なりの日記の楽しみ方がわかった感じがあって。
ちょっとそれはツイートもしたんですけど、
なんていうのかな、実は日記って非常に自分語りというか、
自己検示のための方法としてイメージされがちだけれども、
実はそもそもその自己とか自分というものは、
自分にとっても本人にとってもよくわかんないものであるというか、
実はそのコントロールも効かないし、
09:02
なんかどうしてそういう振る舞いをしているのかも含めて、
あんまりこう説明がつかないような困った存在としてあるんだっていう、
いうふうに考えたときに、
実は朝顔の観察日記と自分の生活記録ってあんまり変わらないというか、
それをどうよく観察できているかっていうところで質の違いはあるんですけど、
実は日々の日記ってそういうその、
一旦その自分にべったりと張り付いていて、
普段であればあんまりこううまく見ることができないような、
自分というものをちょっとこう外に文字として出して、
出すことで観察してみるというか、
点検するためのものとして日記ってあるんじゃないかっていうようなことを、
すごい思って、
なんていうのかな、
今もこうやって蟹の親子さんの日記のこういうふうに読みましたというか、
こんなこと考えましたみたいな話をしていながらも、
なんか変な感じがするというか、
そもそも日記に対して感想を述べるとか、
何か評価をするとかって、
結構他の書かれたものと比べて、
なんか変な感じがする。
そうですね、
意味があるのかってちょっと思っちゃったりする瞬間はありますよね。
そうなんですよ。
だからそこも含めて、
じゃあ一体、
自分にとって人の日記を読むことでの良し悪しって何なんだろうかって思ったときに、
一つ自分の中で基準としてありそうなのは、
そういう自分というものを、
ある意味一回こう外に出してというか、
距離を測りづらい自分というものとどう距離をとって、
どういうふうに書いていくかっていうところに、
何かしらの格闘の跡であるとか、
考えてきた積み重ねてきたものみたいなものが見えると、
自分はいい日記というか読める日記として、
日記を読むんじゃないかみたいなことを、
ちょっと考えながら読んでいて、
とはいえそういう評価軸が定まったところで、
やっぱりある日記をジャッジするっていうのは、
人の生活をジャッジするのとほぼほぼイコールみたいな形になってくるので、
なんかちょっとだいぶ変なことをやっているというか、
下手をすればかなり暴力的なことをやっているなと思いつつも、
何だろうな、
自分の日記よりも感情移入ができたんですよ。
それが面白いなと思って、
これはちょっと本当に僕個人のあれかもしれないんですけど、
12:00
僕が多分自分の日記の書き方として、
割と自分を突き放して面白がるっていう、
未来の自分に対してのサービスとして書いている部分があるので、
今めっちゃ苦しいっていう時ほど、
これ今ちゃんと残しといたら、
数年後の自分が読んだときめっちゃウケるんだろうなって思いながら、
自分の集大とかを国名に書いておくみたいなことを、
割と好んでするんですけど、
狙い通り将来読む僕は面白いんですよ。
はい。
なんですけど、最初から書いている自分と、
その日を一日を生きた書かれる自分と、
そしてそれを読む自分とっていうところの三者が、
割と明確に分裂しているんですね。
なので日記の登場人物としての僕は、
書き手の僕からすると関係のない人。
極端に言えば。
で、読む時の自分っていうのは、
書いている自分や書かれた自分とはさらに関係のない人。
みたいな形で、
割と明確に役割を自分の中で分担している感じが、
感覚としてあるんですけど、
だからこそ平気で自分の文章を面白がれたりとか、
僕の日記って基本的に自分の話ばっかりするんですけど、
そういう自分の語りを奥名もなくできちゃうのは、
あんまり自分語りなんだけど、
それを自分と思っていないからというか、
朝顔の観察日記の朝顔のようなものとして、
こういう形をしていますっていう観察として記述している、
みたいな感覚があるんですけど、
それだと実は自分の日記に感情移入できないんです。
自分がある意味ちょっと理人性的な形で、
面白がることはできるんだけど、
それはそれだなという感じがあるんですけど、
カニの親子さんの日記を読んでいる間、
もしかしたら人の日記の方が無責任というか、
僕は感情移入を読んじゃうのかもしれない。
それは結構僕としては面白くて、
ルースと読む生活っていう日記の本を出した時に、
すごいだからある意味日記の感想をもらうことが、
日記の感想をもらうと変な感じなんですよ。
日記を褒められているんじゃなくて、
僕が褒められているみたいな文章の感想をいただくことが多いんですけど、
僕としてはそこに僕はいるとは思っていないし、
なんだけどやっぱり読んだ人からすると、
日記を読んだ人からすると、日記を読むっていう体験は、
他のものよりもその書いた人との生活を伴奏したような感覚になりやすいから、
そこにある意味自分の感情であったりとか、
何か自分の考えていることを託して、
その人の生活っていうものにすごい親近感を持ちやすいツールでもあるっていうようなことを、
初めてわかった気がしたんですよね。
15:00
他の人の日記を読む時に僕があんまり日記を読めない理由って、
単純にこの人は毎日いいものを食ってるけど、
どれだけお金持ってるんだろうとか、
すごい余計なことを考えてしまって、
あんまりそこに没入できない。
それは一つの読み方なのかもしれないけど、
日記って没入できないと結構辛いなというか、
人のそういう話にそんなに興味もないんだな、自分はみたいなところで、
ちょっとしょんぼりしちゃったりするようなところもあったりするんですけど、
ちょっとまだ何でなのかわからないんですけど、
カニの親子さんの日記を読んだ時に、
そういう引っかかりなしにものすごい移入して読めたというか、
それは単純にこれは自分の話が書いてあるとか、そういうような話ではなくて、
すごい一緒になって日々を追いかけたような気持ちになるような日記です。
嬉しいですね。
僕はすごい不思議だったんです。
この日記のすごい読ませて、最後までこの人がどう生きているかをちゃんと読んでいきたいっていう、
それは本当に矢島根性的な好奇心とかではなくて、
単純に文章として最後まで読みたいって思わせる、
この吸収力って一体どこから来るんだろうかっていうのが、すごい不思議で。
ありがたいですね。不思議な気持ちになっていただけるってだけでありがたい。
何かその感情が何かしら動いたのかなって思うと、確認してよかったなと。
そうなんです。最後の日記論で蟹親子さんが日記を本にすることも含めて、
自己言及的にというか、こういうようなことで人は日記を書いたり、
それを本にしたりするんじゃないかみたいなことを書かれているのもあって、
結構この日記をどういう人がどういうふうに書いていったんだろうかっていうのは、
すごいお話ししてみたいって思いながら、
ポッドキャストをやっていてよかったっていう気持ちでお声掛けをしたんですよね。
何だろう。
すごいだから僕の中で気になっているのは、その日記論の中に出てくるように、
蟹親子さんは下北沢の日記屋月日のメルマガの絵作を。
18:03
今は主にオンラインでできる仕事をやっています。
その日記屋月日のメルマガっていうのが、
会員の方の日々の日記を、
確か20人分ぐらい毎週読んではまとめ配信しているっていうようなことなのかなと思うんですが、
自分の生活をやりながら、自分の生活を記述日記として残していくっていうのにプラスして、
浴びるように人の日記を読んでいるっていう経験が、
どういうものなんだろうっていうのは、
すごい想像がつかなくて。
僕がまず話しているところから言うと、まずは読むことのほうからお話ができたらと思うんですけど、
人の日記を読むってどういうことなんだろうというか、
毎週浴びるように日記を読んでいる中で、
もちろん人それぞれ千差万別の日記を書かれているとは思うんですけど、
質的な違いというよりも、量を読んでいくことで何か見えてくるものであったりとか、
逆に何か自分の中で損なわれていくものも含めて、
どんな景色が見えているのかなっていうのを聞かせてもらえたら嬉しいなと思います。
そうですね。
最初はすごくしんどくて、
本に書いたんですけど、やっぱり自分の精神的に落ち込んだりとか、
あんまり良いことなかったなっていう週に人の日記を読むと、
その中の出来事に引っ張られていって、
この人はすごい良いことあったじゃんとか、
最初はそんなもんだったんですけど、
だんだん回が重なりについて、
その人の生活が立体的に見えてくる瞬間っていうのがやっぱりあるんですよね。
より近くなったなみたいな瞬間があって、
近くなったなって思った後はもう毎週それが楽しみに、
本当に純粋に楽しみになってくるっていうか、
そこにすごく共感できることを別に書いてはないし、
自分の生活と遠いところにいる人、
例えば自分は子供がいないとか、
でもお子さんがいる人の日記を毎週読んだりしてるんで、
21:04
本当に何て言うんですかね、
これすごい例えが微妙なんですけど、
星を見てる感じがするっていうか、
夜星見上げて、
見えてる星と見えてない星がもちろんあるじゃないですか、
見えてる星の方を見て、
見えてる星の方をぼんやり比べてるみたいな、
そういう感じですかね。
だからすごい抽象的すぎるんですけど、
そのまま、見えてないものは見えてないままでいいっていう感覚が、
見えてこないっていうのは生活が浮かび上がってこないみたいなことになるんですけど、
その人の生活が浮かび上がってこなかろうが、
浮かび上がってきてきれいに明確に自分の頭の中に入ってこようが、
そこに浮かんでいるものっていうか、
そういうめちゃめちゃ抽象的なすごい、
いえいえ、とても面白いです。
そういう感覚としても、なんか気感でいるというか、
だから、文章が上手いなとか、
そういうところでは絶対見てないなっていうのがまずあって、
景色の一部ですかね、やっぱり。
なるほど。
下手くそすぎて説明が。
いやいや、すごいわかる気がします。
なんだろうな、それこそ蟹の親子さんの日記の中でも、
日々の体調の揺れ動きの中で、
一行で終わる日が続いたりとか挟まったりとかっていうのが結構入ってきたり、
それが一つリズムを作っていたりとかっていうのもそうだし、
あとなんていうのかな、
蟹の親子さんの日記の特徴というか、
自分が読んでて思ったのは、
日々のご自分の気分であるとか、
感情に関してはかなり匿名に書き残してあるんですけど、
それを引き起こした具体的な出来事であったりとか、
日々のやり取りの中での状況みたいなものに関しては、
割と抑制しているというか、伏せている。
それはもしかしたら本にする際にカットしている部分なのかもしれないな、
その性質としてあるなとは思うんですけど、
そこがすごい先ほどの星の例えと同じように、
その感情の部分というのは割と一際明るく書き残されているんだけれども、
その明るさを下塞いしているような、
24:01
今ここにまでは届いていないディティールであるとか、
細かい光みたいなものが、
本来この裏側にあるはずなんだよなっていうものを、
割と確かに読み手に想像させる余地があるというか、
むしろ書いていないことの方に有便さというか、
豊かさを感じさせるっていうのが、
一つ日記の良さなのかも思っていたので、
今の話はすごい、今の例えはすごいしっくりきました。
いや、書きやすさにまとめてもらったからいい感じになったけど。
いやいやいや。
でも確かにおっしゃっていただいた通り、
人の日記を読んだら書いてないところの方に
思いを馳せるようになっていって、
そういうのは確かに気持ちの変化としてはありました。
最初はただ文字面を見つめているだけなんで。
なるほど、そうなんですよね。
だから、さっきの冒頭の僕が、
人の日記についてアウダーコーダー、
判断したり評価したりすることっていうのが、
本当にしていいことなんだろうかみたいな
ためらいがある一番の理由として、
やっぱり日記って、
うがった読み方というか、
裏読みをあんまりしても、
するのはするのでちょっと下品というか、
本人が書かなかったことまでを、
わざわざ感じ取ってしまうことに、
あんまり良しとも思えないんだけれども、
でも自分が日記を読むときに、
面白さを感じたり、
豊かさを感じるのって、
確かにそういう読み方をしたときなのかもな、
みたいなところがあって、
それもあってのためらいなのかなっていうのを、
話しながらちょっと思いましたね。
そうですね、ためらいはいつもありますね。
日記を投稿してもらって、
それを読む瞬間やっぱり、
今週もありがとうございますという気持ちになるというか。
そうですよね。
僕はそれこそ本当に、
まとめた量で人の日記を読むってなると、
本当にこのカニの親子さんか、
あとは富士日記か、
あとは付属絵の悪質さんの日記ぐらい。
その中に入れてもらって。
なんですけど、
やっぱり人によって日記の特徴って、
何を書かないかの方にすごい宿るんだなっていうのを、
すごい感じて、
面白いのがそこの、
これは書かないでおこうって、
27:02
決めてるもので、
他の人からすると平気で書けちゃうことだったり、
そうですよね。
するので、
ある意味人の日記を読んでいて、
こんなに明けすけでいいんだろう、
のを感じるけれども、
多分逆に、
人からすると、
恥ずかしげもなく書いてしちゃうんだって、
多分僕も思われているのかもしれないなとか。
そうですね、そういうのありますね。
本当にだから、
他のものもある程度そうだっていうのはそうなんですけど、
書かれているもの以上に書かれていないものの方に、
意味がついてしまうというか、
ものとして日記ってあるのかもって思うと、
割合恐ろしいものだなっていう気もしてきますね。
そうですね。
柿内さんの日記もすごい、
放出してある感じがすごくて、
でもそれはさっきおっしゃっていた通り、
後で自分が読むときに楽しめるように、
っていうものさしというか、
これを書くことで、
後々の読み返した自分が、
気持ちが動くっていうふうに書いてるってことです。
そうですね。
あとそれこそ、
僕の場合は毎日日記を公開しているので、
そうですよね。
ってなると一応、
別にアクセス数とかカウンターをつけてないので、
ホームページに何人来てくれてるかよく知らないんですけど、
4日に来てくれてる人がいるんだとしたら、
毎日何かしら1個は面白がらせて帰らせないとなっていう、
あーすごい。
サービス精神というか。
そうですね。
僕の場合、
自分の日記をどこまでそういう日記としてカウントするかって、
ちょっとためらいがある理由として、
やっぱりちょっとそういう、
積極的に何か動機を演じてみたりとか、
何かしらその日の学びをちゃんとまとめてみたりとかっていうときに、
それは記録の面よりも、
どちらかというと何か面白がらせてやりたいとか、
楽しんで帰ってくださいねみたいな、
ちょっとそういう気持ちで書いてる部分があるなっていうのを、
なんかそうなのか。
すごいちょっとこう思っていて、
はい。
だから、
カニの親子さんは、
基本この日記にまとめてるような日記っていうのは、
毎日書かれてはいるんですか?
そうですね。
自分はハテナブログを使って書いていて、
30:02
なるほど、なるほど。
でもそのURLは、
本当に限られた人しか知らないみたいな状態でやっていて、
なるほど、なるほど。
半分クローズドみたいな気持ちでやってるんですね。
なるほど。
全然その、なんか、
ハテナブログとかってスターみたいなのがついてるんですけど、
そのスターとかって、
記事として面白くなければなかなかつかないと思うんですよ。
なので、そういう機能とか一切無視して、
なるほど。
書いている感じですね。
そうかそうか。
一応毎日、
公開というか、
日記は上がっている感じ。
インターネットのどこかには上がっているっていう。
なるほど、なるほど。
そうかそうか。
面白いですね。
なんか結構それも、
僕は多分アップして、
人に見られてないと、
毎日書かないと、
思うんですよね。
で、僕が日記のいいなって思うところは、
毎日書かないといけないところだと思っていて、
ここにいけないってあえて使いますけど、
別にいけないわけじゃなくて、
日記は毎日書かなくても全然いいんですけど、
僕の中では、
毎日書かなければいけないものであることがいいところで、
なんで毎日書くほうがいいかというと、
内省から逃げれなくなる感じですよね。
調子悪い日って、あんまり自分のこと考えたくないというか、
自分の嫌さから目を逸らしたいんですけど、
毎日日記を書いていると、
書かざるを得ないんですよ。
だから今日の自分は最悪だったなとか、
今日の振る舞いは最低だったなっていうときに、
それをなかったことにしにくいというか、
なかったことにするにしても、
その日の一日のことを記述する中で、
なかったことにしたなっていう後ろ目立つが、
自分の中に残るっていう、
それが日記の意義だと思っていて、
調子のいいときだけ自分のことを考えていれば、
それは割といいやつだったりするんですけど、
毎日書いているとそうはいかないんですよ。
そこの、いやいや、そうはいっても、
お前は割と大したことないやつだし、
嫌なやつだし、性格の悪いやつだし、
みたいなところを毎日書いていると、
嫌をなく自分で突きつけることになるっていうのが、
よりマシな人間になっていくためにも一つ、
いい修行だなって思いながらやっているところがあるんですけど、
そんな苦しいことを、
一人で誰も見てないところでは絶対やれないんですよ。
僕はそうやって自分のことを追い詰めていくことを、
33:02
人に見せれば、その人を楽しませるためというか、
さっきと一緒になっちゃうかもですけど、
エンターテイメントとして、
自分で自分のことを追い込むことができるなっていう風なことを、
多分思いながら、人を目につくところで、
日記を書いたりとか、
それをなるべく毎日やるっていうことをやっているんだなっていうのを、
今日これを話す前にいろいろ考えてまとめてみたんですけど、
お役さんにとって、日記を毎日書くこと、
毎日書かなくてもいいんですけど、
みたいなことって、
それをある程度の限られた人数である、
人目につくところで書くことみたいなことについては、
どういうスタンス?
そうですね、
本当に生活の一部になってしまって、
あまり深く考えたことが実はなかったっていうのはあるんですけど、
歯磨きとか、
手洗うとか、
そういうものの日記に日記を書くっていうのが、
まず感覚としてあって、
なんて言えばいいんですかね、
なんで書いてるんだろう。
自分は、
もともと日記は小さい時から、
小学生の頃、
満中高、大と社会人になって、
いろんな形でつけ続けてきたんですけど、
やっぱり、
ポツッと切れて、
その形はインターネットの海のどこかに転がっていたりとか、
つけていたノートを捨ててしまったりとか、
そういう形として残らなくなってしまった。
残らなかったので、
月日というお店に立った時に、
たくさんの日本とか、
リトルプレスに囲まれて、
自分の形にして残しておきたいなっていうのが先に来て、
パッケージ、パッケージしたいなみたいな気持ちが起きて、
そこからでも続けるように、
意図的にも?につけるようにはなったんですよね。
なるほど、なるほど。
?には、一作目の日記本の頃から、
ずっと?に続けられてるんですか?
一作目は毎日はつけていなくて、
そうですよね、結構日付が。
飛び飛びになっていて、
大きなことがあった時につけるっていう感じで、
その頃からブログとしての利用の仕方をして、
日記ではなくて記事みたいな感じでつけてて、
それを日記っていう形に変えたのは、さっき言った通りで、
なるほど、なるほど。
これをいつか形にしてみようって思ったのがきっかけです。
36:01
なるほど、なるほど。
面白いですね、そうか。
僕もだから意識的に毎日公開するようになったので、
その時に、順番が逆ですけど、
毎日書き始めてから、
何か本作ってみたいなって思った時に、
ちょうどこんなにたくさん文字がたまってるやって、
これは都合がいいみたいな、
ここから書かなくても大丈夫だみたいなので、
日記をちょっと本にしてみたいなところがあるので、
ある意味その形から、この形を作ってみたいみたいな欲望で、
始まってるっていうのはすごいなんかちょっと、
わかるところがあるというか、
共感できるところがありますね。
本の形っていいじゃないですか。
すごいソフトな。
やっぱりなんか、ページをめくるっていう動作とか、
なんかそういうものの中に、
ページに自分の生活が刻まれているっていうのをめくると、
なんか単純に本当に嬉しい気持ちになったりとか、
するもんなんで、
って感じです。
そうですね。
だからそれで言うとなんだろう、
僕はまず自分でプルースと読む生活を、
リトルプレスで出した時から、
すごい明確にその本という形に対するペチズムというか、
ちくま文庫版のプルースと読んでいたので、
プルースと読む生活も文庫サイズで、
ちくまと同じような本と同じような組版で、
同じような想定で、
何なら同じような厚さで、
っていう形、本当に形から入ったんですね。
本を作ると。
それで言うと、
一冊目はPDFでいただいちゃったので、
蟹の親子さんの本って、
これまで出されている3冊とも、
本の形がバラバラというか、
変わっていくじゃないですか。
一冊目はなんでちょっと、
紙の読んだ時どういうふうなのか分からない。
とりあえず横書きで、
なんだろうな、
組まれていて、
文字も大きめで横に、
ある意味ブログの時の掲載されているフォーマットと、
あんまり変わらないような形で、
どんどんどんとあるような作りをされていて、
2冊目の何も続かないに関しては、
これも本当に僕すごい好きだったんですけど、
縦書きではあるんですが、
2段になっていて、
割と立ち切りギリギリまで、
本を開くと、
真ん中のページとページの間のところが、
結構強めに開かないと、
端っこの文字が読めないような作りになっている。
39:02
それはそれで一つ、
この頃に書かれているように、
この日々に込められている、
行き通りだったり、
怒りみたいなものだったりっていうものが、
あとはなんだろう、
僕が最近幽霊にすごいハマっているので、
すごい失礼な言い方なんですけど、
怨念のようなものが、
すごい、
なんていうのかな、
この組織自体から、
漂ってくるような力を持っていて、
これはこれですごい、
いいなと、
思いながら、
今度の、
一番新しい2期に関しては、
ものすごいある意味、
スタンダードなというか、
文庫サイズで、
フォントも綺麗で、
文字の、
組み方であったりとか、
余白の取り方っていうところに、
かなりすっきりと、
ある意味なんで、
パッとイメージする本の、
形っていうのは、
ある意味この2期になって、
ようやく、
形ができてきているようにも、
感じていて、
蟹野親子さんが、
この本をいただいたときに、
ご連絡をいただいたときに、
これまでよりも、
より多くの人に届けたいと、
思えたので、
みたいなことで、
ご提案をいただいたと、
思うので、
そこの気持ちの変化だったりとか、
っていうのは、
実はこの形に、
ものすごく如実に現れている。
そうですね、
本当に意図的に、
純粋に、
日記をつける日記を、
面白いよっていうことを、
アピールして、
でも自分の日記を通して、
それをアピールしようと、
なんておこがましいっちゃ、
おこがましいんですけど、
誰か一人にでも、
私の生活とかも、
こんな風に本にしたら、
面白いかもって、
思うような人が、
いいなって思って、
すごいキャッチーにしたんですよ。
なるほど、なるほど。
そういう意図がありました。
2作目の何も続かないは、
本当に多分、
ハードコアみたいな気持ちで、
いた気がする。
読みたきゃ読め、
みたいな気持ちが、
多分あったと思うんで、
恥ずかしいですよね。
恥ずかしいけど、
それが形に現れるっていうのは、
もう嘘つけないし。
そういうような、
なんて言ったらいいんだろう、
すごい、
1作目、2作目の、
ある意味初期衝動じゃないですけど、
ある意味すごい乱暴なエネルギー、
みたいなものを、
感じるんですけど、
2期から僕は読んだので、
2期から遡って、
42:00
読んでいくと、
この人はもしかして、
全部最初から、
わりと冷静に、
計算をして、
意図してこの形に、
落とし込んでいった、
かもしれないなっていう気も、
ちょっとこう、
するところが、
なんだかんだで本作るのって、
ちょっとめんどくさいじゃないですか。
こだわろうと思えば、
いくらでもこだわれるんだけど、
雑に作るのって結構難しいんですよ。
なんか、
勢いでエイヤーで作るって言っても、
限度があって、
どの大きさで作ろうとか、
どういう組版にしようとかっていうのは、
絶対考えると、
考えちゃうと思っていて、
それでもなお、
この日記の内容からして、
特に一番ある意味、
感情の触れ幅として大きかった日々であろう、
何も続かない組版が、
こういう、
ものすごい、
野種にあふれるというか、
少し野蛮な組版で、
作られているっていうのを含めて、
すごい似合っているんですよね。
それぞれ記述されている日々の、
温度感と、
本としての形が持っている、
情報っていうものが、
すごい密接にリンクしている感じがあって、
これはどこまで、
意図して、
持っているんだろうかっていうのが、
ちょっと野暮なので、
あんまり追求するのもあれなんですけど、
すごい思いましたね。
日記を本にするっていうときに、
ただ本にするっていうときに、
それっぽい本の形を作ればいいっていうわけじゃなくて、
あえて少し崩してみるというか、
本ってこういうものでしょっていう形から、
外していくことによって、
より日記の日記らしさが、
際立つみたいなところが、
あるなっていうのを、
この3冊を、
並べて見ていて、
すごい改めて感じたというか、
本当に本でもないなみたいな、
初めてちょっと思いました。
そうですね。
やっぱり、
自分の生活を形にするなんて、
日記の中にも書いたんですけど、
自分のことすごい好きじゃんみたいな、
横島のもう一人の自分がいて、
そいつがいつも邪魔をしてくるんですけど、
1,2話はやっぱり、
とはいえ、
自分のこと好きねって思われたくないっていうのは、
やっぱりあったんですよ。
45:02
可愛がってるねみたいなのが嫌で、
そうそう乱暴になってるんですけど、
ちょっと冷静に今なってる自分がいて、
いろんな日記本を読んだり、人の日記を読んだりしていくうちに、
そういう可愛いのねっていうことだけじゃないってことに、
やっぱり気づいたっていうか、
見直してみて、そうじゃんって思ったんで、
だから今一番本っぽくなったのかなっていうのはあります。
なるほど、そうか。
だからちょっと本から外れた造本っていうのは、
むしろだから、
照れ隠しじゃないですけど、
自分が本を、
そうですね。
自分の日記を本にするのってどうなのみたいなところの、
作り取りの取り方として一つあったかもしれないみたいな。
そうなんですよ。
それも面白いですね。
なるほど。
面白いな。
しかも日記屋で働いてるって何なんだみたいな気持ち。
そうか。
そこもありますもんね。
それで自分の店に置いてるんでしょみたいな、
ささやきおかみがいて。
なるほど、そうか。
一つ確かに自作自演のレイヤーが一つ増えてますもんね。
そうなんですよ。
そうか、そうか。
面白いですね。
でもそれこそ、ある意味日記初心者じゃないけれども、
日記本をまつわるお話の中で出てきそうな、
自分の生活好きすぎじゃないみたいな、
うちの声に対しての、
決着のつけ方みたいなのも、
刊末の日記論の中で書かれていたりもするので、
これはすごい、
日記をつけて、
それを人目につくところにつけて、
それをしかも本にまでしちゃうなんてって、
ためらってる人が読むとすごい救われるというか、
やってもいいのかもってそれこそ思えるようなものになっていると思うので、
それに関してもぜひ、
これを聞いてくださっている方の中で、
まだ持っていない人がいたら、
ぜひ買って読んでいただければなと思います。
なるほど、面白いですね。
そうか。
だからそうなんですよね。
僕は自分の日記は作品じゃないというか、
作品にはするけれども、
特にある意味、
作品っぽさがあるとすると、
形にしかないなっていう、
書かれている内容、
48:00
日記だしなみたいな気持ちを、
割と強く自分では持っているんですけど、
でも人の日記を読むときって、
割と作品として読むものだなっていうのも、
今回読んでいる中で思っていて、
そこの感覚のねじれ、
今、蟹の猫さんが、
自分の日記を本にすることに対して、
ためらいがあったみたいな話とも通ずるのかなって思うんですけど、
日記って作品なんだろうかとか、
作品とまでは言わなくても、
日記って自己表現というか、
何かしらの表現なんだろうかっていう、
問いに対して、
割と書いている本人としては、
あんまりそうとは言い切れないみたいなところが、
あるんじゃないのかなって、
個人的には思っていて、
とはいえ、
それを受け取った側が、
それを作品だと判断したりとか、
何かしら表現されているって判断するまでは、
特段何の確信も持てないよねっていう、
気がしていて、
今お話をしながら、
それはもしかしたら、
だいたい日記を書いて本にしている人は、
みんなだいたいそんなのかもしれないっていう、
気がしてきました。
それも人によるんでしょうが。
でも、
すごい意地悪な言い方になるかもですけど、
結構ダサバレたものとかって、
分かってしまうというか、
順序が逆なのではっていうようなものを、
見たりとか、
この人は自己表現の、
方法の一つとして、
日記をとって、
日記という形に、
自分の考えを乗せて、
みたいな、
気がしてくると、
また読み方が変わってくるというか。
そうですね。
そうか、そうです。
面白いですね。
そうなんですよね。
結構だから、
日記は難しいんですよね。
誰でも書けるし、
ある意味、
本にするだけのボリュームを、
誰でも書けるという意味では、
すごいお手軽ではあるんですけど、
自分で意図している以上に、
その人の考えであるとか、
書くことへのスタンスであるとか、
いろんなものが知らず知らずのうちに、
読まれてしまう、
ツールでもあるので、
あんまり自分とべったりしすぎている日記だと、
いくらでも意地悪に読まれちゃうぞというのは、
51:03
そうですね。
すごい思いますね。
そうですね。面白いな。
そう、でもその、なんだろう、
日記を、
難しいな。
日記の、その、
分かっちゃう感じって、
なんで分かっちゃうんでしょうね。
なんですかね。
なんか、
自分が意地悪なだけなのかもしれないっていうのはあるんですけど、
意地悪に読んでるから、
そう映ってるのかもしれないんですけど、
でも意地悪にさせる何かが多分あるんですよね。
そうなんですよ。何かがありますよね。
富士日記、私もすごい好きです。
すごい何回も読み返すんですけど、
あの中でやっぱり、
最初に竹田大臣が、
日記の中で、
反省はしなくていいぞとか、
本当に思ったことそのまま、
書き始めてるっていうのを、
結構忠実に、
竹田由里子は守ってっていうか、
言う通りに書いてるなっていうのが、
最近読み返して思ってて、
見たまんま書けばいいっていうのを、
ちょっと自分の役に立てる人っていうか、日記は、
ちょっとどうなんだろうって思うときはあって、
見たまんま書くって、
すごい実は難しいことなのかもしれないっていうのを、
どうしてもこれ書いて、
誰かに読むんだったらみたいな、
そういう角度が入ると、
どうしても。
そうですね。
確かに。
それはあるかもしれないですね。
面白いな。
私とかは最初から、
読まれること前提で、
読まれる相手にどう読ませたいかって書いてるから、
そういう意味ではかなり邪道というか。
それはサービス精神が、
カバーしていって、
カバーっていうか、
だったら面白いものにするんだっていうのがあるので、
しっかり成立しているのではないかなって、
読んでております。
見たまんまではない。
すごいだから今、
性格悪いというか意地悪なことを言うと、
見たままを書くなら、
きちんとその素材の観察に徹したほうがいいし、
サービス精神でいくんだったら、
ちゃんと相手を楽しませるっていう方向で、
54:01
同期に徹したほうがいいんだけれども、
半端に何か見たものにカッコつけて、
自分の主張だったり、
考えていることをちょっとカッコつけて書こうとすると、
自分のことをよく見せようと思って書こうとすると、
すぐバレるぞっていうことなのかな。
そうですね。
意地悪に言うとそうですね。
僕でも多分すごい意地悪な読み手なので、
日記に対しては。
すごいそういう意地悪さで見てしまう部分が、
あったんですが、なるほどな。
もちろん自分で、
人に見せないで書く日記もいくらでもあり得るし、
そういう日記はそれこそ、
本当に好きに書いてしまえばいいと思うんですけど。
そうですね。
人に読ませるってなった時には、
スタンスをある程度決めたほうが、
意地悪な目に合わないでするかもしれない。
はい。
ところがある。
なるほど。
面白い。
ちなみに、そうだ。
日記の、なんだろうな。
結構、読む、どう読んでいるかみたいな方が
気になって、
その話をたくさんしている間に、
かなり時間が経っちゃいましたが、
結構日記って、
変だなって思うところとして、
書く時間があるじゃないですか。
はい。
はてなブログに書かれるときは、
大体いつ、どの時間帯に書いて、
どの時間にアップするとかって、
決めて書かれてます?
はい。
決めてはない。
ちょっと書いてた気がするんですけど、
寝る前に書くみたいなのに、
一時期はこだわってたけど、
あまりこだわらないようにしてる、
みたいな話だったりが、
出てきた気はするんですが、
今はどういう感じで。
今は、そうですね。
お風呂から出て、
寝る前って感じですね。
ただ、
やっぱ、書けずに寝ちゃうこととかも、
全然あるので、
翌朝、
起きて書いたりもしてます。
なるほど。
そうですね。
基本的に。
本当はいつでも書いていくんでしょうね。
そうか。
なんだろう。
日によってかなり、
日記のモードが違うじゃないですか。
はいはい。
なんていうのかな。
僕がどちらかというと、
気になるのは、
一行で終わる日なんですよ。
今日はあんまりよくなかったとか、
ヘトヘトとか、
57:01
一言書いて、
終わる日って、
どのタイミングで、
どういう状態で書いてるんだろうかっていうのが、
逆に想像がつかなくて、
僕はそれこそ、
Twitter代わりに日記書いてるところもあるので、
毎日、
これは面白かったなって思うと、
そのタイミングでスマホで下書きを書いちゃって、
夜最後に、
その下書きをガッチャンコしてまとめて、
明日みたいなことをしてるので、
実はあまり思い出すっていう作業をしてないんですよ。
なんですけど、
なんとなく蟹の親子さんの日記を読んでると、
わりとその、
落ち着いて書かれてるときって、
それこそ1日の終わりに、
朝から順番に思い出して書いているんだろうなっていう、
手触りが結構あるんですよ。
そこにはすごい蟹の親子さんが、
夜落ち着いてリラックスした状態で、
文字を打ち込んでいるであろう姿が、
なんとなく想像つくんですけど、
一行とかの時に、
どういう、
タイミングで、
どういう力を振り絞って、
この一行だけでも書こうみたいなものが、
現れてくるんだろうかっていうのが、
結構自分の中にはあんまりこう、
想像の拉致外にある。
一行もだから、
ハテナブログにもアップしてるわけですもんね。
そうですね。
いや本当に、
私パソコンで、
クロームブック、
クロームブックをメインに使って、
どうしてもダメっていう日は、
クロームブックだけ抱えて、
ベッドに入って、
そこで立ち上げて、
打って、
ベッドの下にパソコンを置いて寝るみたいな。
なるほど。
力を振り絞ってっていうのが、
たぶん一番想像しやすいかも。
そうか。
汚さとか、
元気が出た時にまとめて書けばいいんですけど、
それは自分に、
嘘をついてるような気持ちに、
自分はなってしまうので、
ダメだった日はダメなりのことを、
書こうっていうのをやっています。
なるほど。
本当にだから、
ダイイングメッセージみたいなというか、
本当に力を振り絞っての、
一行なんですね。
そうですね。
本当はね、
一週間分とか、
どっかにまとめておいて、
メモとかして、
書けばいいなって思うこともあったんですけど、
たぶん、
自分のセキュリティとかの、
一番相性がいいのが、
そうやってダイイングメッセージを、
みたいなことだったかも。
今お話あったみたいに、
後から書き足そうとか、
されてた時もあるんですか?
はいはい。
本にするときに書き足すことは、
実はしていて、
1:00:01
でも普段の日記は、
ほとんどっていうか、
そのまんまですね。
なるほど。
削ることもないですか?
この話はさすがに、
書きすぎちゃったから。
でもそっか、元からはてなに公開してるから、
最初からそんなに人目について、
まずいことは書かないのか。
あ、でも、
なんか書いちゃいますね、はてな。
そうなんですね。
でも、
自分の中でこれ書いちゃいけないっていうものが、
だんだんわからなくなっていくか、
うんうん。
そういうのとかはありますけど、
基本的に、
書きたいことは書くっていうようにしています。
なるほど。
僕もなんか全然、
本にするにあたって、
削除してる箇所とかもないし、
逆にこう、
書き足すみたいなこともしないで、
毎日の、
毎日面白くない日も含めて、
それはだから、
その日一日として面白くない日だったんでしょ?
っていうので、
削除しておこうっていう風に、
はしてるんですけど、
そうかそうか。
そうなんですね。
もしかしたら、
結構大事なところというか、
しんどいところは、
本当は書かれているんだけれども、
忘れてないみたいなことがあったりするのかな、
みたいなことを、
ちょっと感じたりも、
してたので、
だいたいそのままなんだっていうのを聞いて、
そうなんだって。
そうですね。
それもだから、
スタンスというか、
実はあんまり、
簡単に言葉にしすぎちゃうと、
それはそれであんまり健康的じゃないから、
あえて言語化しないままに済ませとく、
余地を残しとくっていう、
こうきっと日記のスタンスなのかな、
みたいなのを、
今勝手に、
思いました。
はい。
なるほど。
面白いですね。
いや、でも結構、
自分の本になった日記を読み返して、
読者としての自分が、
いるんですけど、
逆に自分はこう、
なんだろうな、
よくこんな日々過ごしてたねっていうか、
ねぎらいの気持ちみたいなものが、
ちょっと生まれてくる瞬間があって、
なるほど。
なんかしんどいとか、
こんな時でもしんどいとは残しといたんだな、
みたいな気持ちで。
1:03:01
そうですよね。
それこそ、
何も続かないの頃から、
ほぼ毎日ですよね。
そうですね。
だから本当に、
なんだろう、しんどかった時期が、
刻めに残ってるというか、
それこそ、
必死の力を振り絞って、
一行とかでも書いているので、
それこそ本当に、
だから、
それこそこれからあったかくなってくる時期の、
2月末から3月ぐらいの時期って、
すごいしんどいよねっていうのは、
はいはい。
すごいその辺りの日付のすっ飛ばし方を、
見ていると、
すごい感じたりするのも含めて、
はいはい。
なんだろう、
本当にだから、
普通にこの、
一言として読んでいても、
よくぞ残したなっていう感覚は、
すごい思いますね。
なんか、
よくこの中で、
毎日ちゃんとこう、
何かしらの痕跡を残そうと、
なんですね、みたいな。
そこはだから一つ、
この2期や、
その前の何も続かないの、
魅力の、
なんだろう、
秘密かもしれないですね。
ああ。
結構だから、
文字数が増えてくる、
1日の文字数が増えてくると、
すごいこう、
ほっとすると、
よかったねって思うと同時に、
不安になるんですよね。
頑張りすぎると、
また、
ああ本当に、
また一行だ、みたいなのが、
そのハラハラが、
結構こう、
目が離せない感じの、
一つの、
何ですかね、あなたって。
なるほど。
でもそうか、自分で読み返しても、
それを感じるっていうのもいいですね。
そうですね。
なんか割と多分、
だからそれこそ、
僕や他の人が読むときの、
気持ちと、
ある程度似たところで読めているというか、
ああ、そうか。
ちゃんとこう、
ちょっと一言じゃないですけど、
なんか、
ある程度客観視して、
読めているということでもあるのかな、
って気もするので。
それはすごい面白いですね。
日記に書かれている出来事とかって、
結構覚えてます?
覚えてますね。
なんか、
よく覚えているようになったのかもしれないですね。
ああ、なるほど。
本にするときとかに、
やっぱり、
原稿にするっていうときに、
振り返って、
そのときにいちいちなんか、
1:06:00
思い出そうとする自分がいて、
思い切ったな、
その情景が思い浮かんだりとかが、
昔よりも今のほうが多くなったというか。
なるほど、なるほど。
それは面白いですね。
はい。
僕忘れちゃうんですよね。
そうですか。
自分の日記を読み返すたびに、
こいつ面白いなって思うんですよ。
いいですね。
極端な話、僕だから、
前に自分が書いた日記ですら、
自分が書いたと思えない気持ちで、
読み返せちゃうんですよ。
ちょっと怖いぐらいなんですけど、
何も覚えていられない。
インプットがやっぱり多いのですかね。
多いイメージがあるんですけど。
常に何か読んではない。
たくさんインプットして。
はい。
あんだけ読んで何も賢くならないから、
すごいなって思うんですよ。
私だから、
桐谷さんとかあくつさんのような、
読書の日記っていうのが、
読書をしている部分を聞いとっても、
そこも書いてあるっていう日記と、
自分の日記は全然違うものなんだな、
っていうのをすごい感じていて、
なんか、
私は本を読むのが好きなんですけど、
読んで感じたことを残しておくっていうのが、
どうも下手くそで、
なんか、
いろんな本とか、
たまにちょんって出てきはするんですけど、
それをもってどうだ、
あんまり書いていないっていうのが、
実は自分の日記の特徴としてあって。
そうですね。
でもこのポンって置いてあるだけで、
すごい魅力的に見えるんですよね。
そうなんですか。
本当はもっとかっこよく、
かっこよくっていうか、
なんだろうな、
サービス精神みたいなものをもって、
本にするんだったら、
望みたい部分もあるんですけど、
いかんって、
難しいですね。
そうですね。
それこそサービス精神をもって、
ずっとある意味、
読み手の方を見てくる日記本が、
果たして求められているかっていうと、
実はあんまりこちらのことを、
読む側のことを気にせずに、
書いてくれている日記の方が、
日記本を読む人としては、
嬉しいのかなっていうのは、
思いはしますが。
なるほど。
そうなんですよね。
面白いな。
だから本当に、
本の感想を書いていても、
結局それ、
日記に書き手としての、
自分の話しかしてないじゃん、
みたいなのが、
僕の日記の特徴だと思うんですけど、
たぶん、
1:09:00
カニの親子さんの場合は、
食べたものとか、
話したことと、
同じような、
一つの要素として本の名前が、
ポンと置かれたりしているので、
むしろその方が、
ある意味、
ちゃんと本を他者として扱っているというか、
自分の何か利用するものとして、
本を読んでいるんじゃない、
あり方なのかもな、
みたいなことを、
読んでいて感じるので、
どっちも、
いいなと。
そうですね。
あとあれですね、
読んでって思ったのが、
ラジオをよく聞かれている。
そうですね。
本の話よりラジオの話の方が楽しそうに、
残されている感じ。
そうなんですよね。
ラジオを、
なんでラジオのことは残すんだろうな。
なんでしょうね。
不思議ですね。
ラジオの方がアーカイブが残りにくいっていうのも、
あるのかもしれない。
そうかもね。
本は別に本を読み返せばいいので。
そうなんですよね。
やっぱラジオって、
どうぞ。
この日がやってきたっていうのを、
結構合わせるのに、
ラジオっていうのがすごい。
あ、なるほど。
今日火曜日だみたいな。
毎週あるっていう。
そういうやつですね。
それも確かにありそうです。
そうなんですよね。
いいな、なるほど。
すごいこの、たぶん一作目かな。
日記を読みながら、
すごい夜電波が聞き返したくなったんですけど。
YouTubeに。
夜電波。
悪い人が残してるやつも、
跳ねてらしいなみたいな。
聞きたい日の回がなかったなみたいな。
そう思いましたね。
なんかせめて、
アーカイブまでも、
それをね、
EBSとか本人が望んでいなかったら別に、
ラジオクラウドとかにも
会えないしなみたいな。
そうなんですよ。
雑談は出てるけど、
書籍じゃなくて、声で聞きたいんだよなみたいな。
うん。
すごい久々に思いました。
むちゃくちゃ天の話ですけど。
いや、でも、
わかるよ。
なるほど、なるほど。
いや、面白いですね。
日記。
日記は、
そうですね。
たぶん本当にだから、
本の形に
託されているものというか、
何だろうな。
蟹野陽花さんがある意味、
1:12:01
日記を本にするということを
引き受けるまでに、
この3冊があるんだみたいな
ところであるとか、
アビリオに読んでいる中での
星のようなイメージみたいな
話であるとかっていうのが、
聞けたのがすごい良かったなというか。
いやー、
ちょっとこれを
受けてまたもう一回
読み返したくなりますね。
日記を。
ね。
そうですか。
でも、読み返したくなる日記っていうのは、
やっぱりこう
パッと開いて
そこだけ読むことも日記は可能だから。
そうですね。
あと、それこそ今回僕は
日記から
過去作に
順繰りに遡っていくような
読み方をしたので、
それも面白いなというか、
日記って別にどこから読んでも続きからというか、
日々の
続いていくので変わらないんですけど、
順番に
読んでいくと、
順番にこだわらずにあるように、
過去に遡るようにして読んでいくと、
すごいこう、
何なんでしょうね、すごい面白かったですよね。
ちくせきされていくものが、
後から
後ろにくっついていくというか、
過去に遡って
ちくせきがされている感じが
すごい面白くて。
あと、アニノヤコさんの特徴として、
前の日記本に収録した日付を
平気で次の
本の冒頭に持ってきたりするじゃないですか。
はいはい。
知ってますね。
何も続かないの最後の本読んでるときに、
怖かったんですよ。
この話、なぜか知ってる。
カニオヤコさんの日記を連続して読みすぎたせいで、
何かしら
予知能力を得てしまっただろうと
すごい不安になって
後で日記を冒頭読み返すと、
よかった、またこの日記を
読んだんだ、この日記は。
そうなんですよね。
それ、何か意図的にやりたくて
やってて、
何て読めばいいんですかね。
日記はあらすじとかがない
ものではあるんですけど、
何か、もし
続きとかで買ってくれた方が
何かいたら、あらすじとして
何か挟まってるのも
何か、もしかしたら面白いかな
みたいな気持ちで。
なるほど、なるほど。
でも、遡って読んだら
何かちょっと
びっくりしますよね。
たぶんこれ、そうなんです。順番に読むと
この時のこういう話あったよねっていうのを
思い出しながら、確かに導入として入れる
っていうのは、今
聞いてすごい納得
しました。
そう、遡って読んじゃうと
なぜか終盤になって急に
知ってる話になるっていう
体験。
そうそうそう、なるので。
でもそうか、確かに
1:15:01
想定する読み方としては逆ですよね。
順番に読むものですね。
いやー、面白いです。
いやー、いいですね。
そういうのを聞くの楽しいですけどね。
どんな人って思われてるんだろうみたいな。
はいはいはい、そうかそうか。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はいはいはい、そうかそうか。
はい。
そうだな。
手相とか占いに行くときの
気持ちとかありますよね。
そうですよね、ちょっと。
なるほど。
はい。
それはそれだ。
うん。
なるほど。
いやー、面白いな。
ちょっとでもそうか。
また、あれですね。
月日の祭りのときだったりで
こう、お会いできたときにはそういう
はい。
ある意味占い的な話もできる。
楽しいですね。
ぜひ。
占い、全然話それますけど、占いとか見る、見ますか?
インターネットの生座占いとか誕生日占いはあんまり見ないんですけど、手相とか見てもらうのは好きで。
へー。
年に1回とかだりはします。
すごい、情報が、書きなりさん情報。
なんか、なんだろう、この年になるとって、今今年が、今年31かなんですけど。
あ、じゃあ同い年ですね。
そうですね、たぶん91年生まれって書かれてたから、たぶん同い年だと思う。
なんですけど、誰かが自分のことを一生懸命喋ってくれる機会ってあんまないじゃないですか。
うん、そうですね。
なんかセラピーじゃないですけど、手相とか行くと目の前で占い師の人が
あなたもこういう人で、こういうところに気をつけた方がいいと思うよって言ってくれるんですよ。
それに納得感があるかとか、正直大体どうでもよくて。
目の前のこの人が15分とか一生懸命自分のことだけ喋ってくれるんだ、それが面白いんです。
しかもそれもやっぱり占い、特に手相とか統計なので、参照するデータはみんな一緒じゃないですか。
なんですけど、占い師の方が僕の顔色だったり服装だったり、座るときの様子とかを見ながら
1:18:01
こいつはこういうことを言っとくとお立ててもらえたなって思うんでしょうとか、
この人はこういうこと、こういうふうなことを、こういう人ですよねって言われると嬉しいんでしょっていうのを
即座に判断して話してくれるわけじゃないですか。
なるほど。
すごい冷静に、フラットに他人に見られた時に自分っていうのはこういうふうに見えてるんだっていうのを
確認するいい機会だったりするので、そういう占いが好きですね。
なるほど、それは良いことを聞きました。
これもだいぶ意地悪な日記の読み方に近いところがあるかもしれないですけど。
そうか。
それはそう思いましたね。
日記の感想を言うのも多分似たところがあって、
日々の生活しているたり、日々どんなことを思って生活しているかみたいなのを読んだ上で、
きっとこういうこと、こういう人なんだろうなっていうふうに抱いたイメージっていうのが
について語るっていう、あと語ってもらうっていう状況ってすごい似てる気がしますね。
対面での占いにいくと面白さというか、自分でそういう形してたんだみたいな。
そうですね。今も若干、私はどっちかっていうと占いに来ている感覚に多分近いかなと思ってます。
でも面白いですよね。それこそ蟹の親子さんとこうしてちゃんとおしゃべりするなんて初めてなんですけど、
それでもなんとなく日記を読んでいるせいで、勝手にこういう話ができそうとか、
こういう人なんだと思ってますみたいなことを、
なぜかこっちはもうすでに抱いちゃってる。
それは一つの先入観でもあるし、何かしら思い込みでもあるんだけれども、
日記はそういう、良くも悪くも、読み手が書いた人に対してすごい近しさを感じるっていう効果があるんだなっていうのをすごい感じました。
私も書きながら日記を読んでいるから、多分今こうしてお話がちゃんとできてる気がして。
なんかある程度やっぱ、なんですかね。
でもそれって一応本になってるから、ある程度編集されたものではあって、
やっぱさっきの話の通り、書いてない部分にどれだけその人の生活が広がっているかっていうのを、
1:21:05
こっちは想像でしか判断ができないので、きっともしかしたらガッカリされるみたいなこともあるんだと思うんですけど、
それで良しとして。
でもそういう想像、思いを馳せるみたいなものの良さっていうのが、私とかでは味わえない気分っていうか。
そうですね。
だから結構馳せてますね、思いをいろんな人に読むっていうのは。
でもそれすごい良いことですよね、なんだろう。
どうしてもインターネット越しのちょっとしたブログだったりツイッターでのやり取りだと、
どうしても一面的に一つの発言でこういう人なんじゃないかって判断しちゃったりとか、
そこで勝手に自分とその人との関係を決めちゃうみたいなことが割と簡単にできてしまう。
日記みたいにまとまった形で読んでると、それはどうなんだろうってもやもやをどっかで感じたとしても、
日々の積み重ねの中で、全体としてはこういう人なんだなっていうのは、
それこそだから思いを馳せる余地があるというか、
そうなのかしら。
一つの発言で判断するんじゃなくて、
全体の中で、それこそ星を見るように、ぼんやりと全体を把握しようという方向に意識が向くっていうのは、
確かにいいことですね。
ツイッターを読むよりも、
一つ曖昧さの余地があるようなものとして人の日記を読むっていうのは、
いいことなのかもしれない。
そうですね。
他者への気遣いっていうか、小さな思いやりみたいなものが芽生えるジャンルがあるというか。
そうですね。
ああ、それはいいな。
だから日記を書く方がいいですよっていうのは、それこそよくいろんなところで言われるというか、
あるいは世帳の反則とかでも言われることなんで、記録をつけたほうがいいみたいなことはよく言われますけど、
人の日記を読んだほうが、読むとこんないいことがありますよっていうか、みたいなことってあんまり誰も言わないですけど。
そうですね。
実は結構ありますね。
そうですか。
みんなもっと日記を、人の日記を読むというんじゃないかなと思います。
はい。
その、たぶん入門編として蟻もやこさんの日記はとてもいいと思いますので、おすすめです。
ありがとうございます。
で、まさかこれ聞いてる方の中でプルスト読む生活なんていない人は、いないとは思いますが、
1:24:01
もしいたら大変面白い本なので、ぜひそちらもよろしくお願いします。
そういうところで。
誰も言わないとやっぱり。
そうですね。
はい。ということで、すっかりと1時間ぐらいと思っていながら、かなり長い時間話をしてしまいましたので、
一旦録音としてはここまでにしたいと思います。
ぜひまた、新しい日記本を出される時であるとか、特段何の用事がない時とかでも全然いいので、
またちょっと日記の話や日記以外の話にもまたちょっとお話できたらなと思いますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。というわけで、トイエティックラジオ、本日のお相手は私、垣内聖子と、
はい、蟻の親子でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
01:24:58

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