00:05
なんでしょうね、それに似たような話があったような気がするんですけど、古代ローマで、ハンニバルってわかりますか、ハンニバルっていう、古代ローマは当時、紀元前3世紀頃には、イタリアとスペインとか、今では何だろうか、
ちょっと東の方と、地中海の北側をどんどん侵略していって、支配下に収めていって、でもその南の、地中海の南の、北アフリカはまだローマの支配に服してなかったんですよ。
で、その北アフリカで、今のチュニジアあたりに、カルタゴっていうでっかい国があったんですよね。すごいローマの、ローマとどうなんだろう、ローマと同じかそれ以上にすごい歴史を持ってて、文明も栄えててみたいな国があって、
ローマが侵略して領土を広げていくうちに、そこと戦わないといけないみたいなのがあって、それがいわゆるポエニ戦争、第一次、第二次、第三次ってやつなんですけど、そこでハンニバルっていうのが出てくるんですよね。
むっちゃ強いカルタゴ側で、むっちゃ強い武将が出てきて、で、その人がその一旦その第一次ポエニ戦争でローマに、自分の父親とかが賛成した戦いで、カルタゴが負けて、それが悔しいからって、敵の領土に、敵のフィールドに乗り込んでいって、
スペインとモロッコの今で、モロッコとスペインの間のジブラルタル海峡っていうのがあるんですけど、そこを何頭かの象と兵士を引き連れて渡って、で、ローマの領地を釣り荒らしていって、やがてイタリアのローマにたどり着いて、怯みあがすみたいなのがあって、それがすごい近いものを感じるなっていうのがあって、
カルタゴとローマって全然その価値観も違うし、目指してるものが、カルタゴはなんか商業的な価値観で、すごい海運が栄えてて、海の貢献みたいな、で、ローマの側はなんか陸で、いろいろ領土を広げていってみたいなのだったんですけど、
ハンニバルが、ローマは陸戦が強いというのなら、それをしのいでやろうみたいな感じで、陸の戦いでどんどんローマを敗退させていって、で、あと一歩のところで追い詰めるんだけど、そこでローマの側にスキピオっていう、またこれ戦闘の天才が出てくるんですよね。
で、スキピオとハンニバルの決戦っていうのがすごい有名なんですけど、で、その中で面白いのが、スキピオが今度はハンニバルの側の戦術を使うんですよ。
03:15
ハンニバルは牙兵を中心にした戦いをするんですけど、その戦法を真似て、スキピオの側もローマ人なんですけど、ハンニバルと似た戦術で、それでもってハンニバルを打ちまかすんですよ、今度は。
で、その後、ローマがカルタゴに第二次ポイント戦争に勝つっていう形になるんですけど、なんだかんだあって、ハンニバルもスキピオもすごいどっちも戦争の英雄なんですけど、ハンニバルの方はカルタゴの政治的闘争とかで追放されて亡命してみたいな。
スキピオの側もローマで西敵みたいなのにやられて、落ち延びてみたいな。こういう逸話が残ってるんですけど、戦争が終わった後にスキピオとハンニバルが一対一で会って、お互いを褒めたたえて、その友情を見せて、
で、「あなたの戦い方は?」とか、そういう戦争について楽しく語り合うみたいなエピソードがあるんですけど、それに近いものを感じたというか。
いやいや、そういう厚さというか、そういう倫理ですよね、そういう倫理というか。
戦争の話なんで無批判に提言はできないんだけど、そこの普遍性みたいなのは、これジェンダー的には男の論理なのかもしれないんだけど、なんか一つあるような気がしますよね。
なんか、これまでの一日バスケ戦争の話聞いて、なんかこの戦い自体、戦い競争自体に意味というか、
トートさんみたいなのを言い出している感じがしますね。
現実社会の競争だと、本当に、
市を求めてとか、財産を求めて、みたいな戦い感はあると思うんですけど、
今引いている感じの競争は、確かに情報が少ないお仲間にしたくて、
06:06
僕は大会で、バスケだったら大会で優勝したい、みたいなのが出発点としてはあるかもしれないんですけど、
でも結局、最終的に見つけた良さとか感動させられる部分は、勝利とか成功とかじゃなくて、
戦い自体を通した、何ですかね、交流ぶつかり合いなのかなって思いました。
確かにその戦いの先に財産とかがかかってたら、戦いの後あんま仲良くなれなさそうですよね。
むしろ、あいつはガッポリだけど俺は全然やんみたいなとか、それって確かあんまり仲良くない。
でも、そういうの抜きにして純粋に、戦いを楽しむとか、ただ勝ちたいみたいな、
もち米での戦いっていうのは、相手との交流とか良い関係性に繋がりやすいのかもしれないですね。
繋がりやすい繋がりを得るのかもしれないですね。
ちゃんと私、その手術の人においてないんですけど、上吾が小学生みたいな顔して戦えるようになったのは、
どうしてもスクナを味方に引き込みたいっていう、
それが出発点だったとしても、最終的にそういう本気を出せたのは別のところ。
そうだと思いますよ。僕にはそういうふうに見えました。
なんとか仲間に、っていうよりかは、何か、とにかく戦っているっていう感じですね。
楽しんでいるってほど余裕はないんですけども、
目的とか合理性とか抜きにして、とにかく戦っているっていう、そんなシーンでしたね。
面白いですね。
対立が良い方向へと。
一方が死んじゃってるので、ちょっと良い方向があっていいのか分からないけど。
哲学者のヘイゲルの概念で、承認をめぐる闘争っていうのがあるんですけど、
09:01
ヘイゲルの一番有名な精神現象学って本の中で書かれてるんですね。
それすごいむちゃくちゃ難解な本で、僕が理解が追いついてるか分からないんですけど、
ヘイゲルによると奴隷と主人っていうのがいますと。
奴隷と主人っていうのは最初にいますと。
ただ奴隷の側がずっと奴隷で、主人の側がずっと主人で、
その支配関係、上下関係みたいなのはずっと変わらないのかというと、そうではないと。
なぜなら主人の側も自分の生活に必要だから、
遺植樹を働かせて調達したり、
昔だったら奴隷を何に所有してるか、嫌な話なんですけど、
何に所有してるかでよって自分の社会地位が決まるみたいなところがあったり、
自分の金儲けのためだったり、みたいな。
主人の側も実は自分の生活において奴隷に依存しているんだと、
奴隷なしでは生きていけないんだと。
そこに矛盾があるっていうふうに言うんですね。
奴隷の側も主人に依存しているんだけど、
そこに主人のために働く中で、
自己を見つめ直して、
それをヘイゲルはドイツ語でアルバイト、
日本語で労働という言葉で表現しているんだけど、
その二者の関係を覆そうと覆したくなる場面があるっていうふうに言うんですね。
自分のこのままでいいのかみたいな、
自分は一生このままなのか悔しいみたいなのが湧いてきて、
労働を通して自分も少しずつ変化していくんですね、
主人との関係の中で。
いつしか主人と奴隷っていう関係が覆える瞬間があると、
奴隷が奴隷でなくなって、主人が主人でなくなる。
そういうふうに成長していく。
それをその承認をめぐる闘争。
自分を一人前の存在として尊重してもらうための闘争みたいなふうに
捉えたらいいと思うんですけど、
その先に、そういう主人と奴隷みたいな関係って、
単純に奴隷制度があった時代だと分かりやすいんですけど、
今でもお金持ってる人と持ってない人と、
会社の権力をまさに来た上司と平社員みたいな、
お金持ってたくさんのことが自由にできて、
労働者、日本ってそこであからさまな人がいるかどうかというと、
そんなにいないとは思うんですけど、
会社員、労働者をこっち使って、
仕立てて、搾取してみたいな、
そういう構図って今でもあると思うんですね。
ただ、その構図っていうのは、
互いの関係の中でいつでも更新されるものなんだと、
12:01
それは互いに矛盾を抱えてるから、
主人の側は、支配する側は支配されるものに依存していて、
支配される者の側は、
自分がその状態に耐えられないという矛盾を抱えていて、
その状態であり続けることを自分自身に対して、
よしとできないみたいな。
そして戦うんですね。
これは何だろう、抽象的な意味での戦いなんだけど、
その果てに自己実現がある。
理性がどんどん成長していって、精神が成長していって、
その先にみんなが豊かで幸福になるような世界が実現するみたいなことを描いてて、
それがすごい後の、
ヘイゲルは19世紀の思想家なんですけど、
後のマルクスとかそれこそ、
フランスのフーゴとかデリダとかにも影響を与えてるんですけど、
なんか、
僕の大学で、
ドラゴンボール、
最近プレイヤマ先生が亡くなられて話題にもなってるあれなんですけど、
ドラゴンボールでヘイゲルの律学を説明してる人がいて、
ドラゴンボールもさっきの川原さんのスクナとジョーゴの話みたいなのに、
似て、戦いの中でお互いに対して尊敬をするようになって、
いつの間にか仲間が増えてくるみたいな、
そういう物語なんですけど、
これはヘイゲルなんだと、
その先生は言うんですね。
ドラゴンボールはヘイゲル徹学なんだって言って、
戦いの中で強くなっていき、
そして互いを認め合っていき、
そしてその精神はやがて、
頂点に達して、
みんなが幸福になるんだみたいな話をしてて、
すごい、
すごいですよね、なんか、
多分、
ドラゴンボールを描いてる、
プレイヤマ先生も、
十字回線を描いてる人も、
全然その、
意識してないと思うんですけど、
これはヘイゲルなんだとか言いながら描いてる訳じゃないと思うんですけど、
でもなんかそういうのを、
偶然にも描いてしまって、
で、
それがまた読者に訴えが出て、
河原さんみたいに、
人を感動させてみたいな、
すごい面白いなって。
そうですね、そうですね。
なんかこう、おっしゃったように、
スラムダンキューとか、
ドラゴンボールとかちょっと古い、
漫画じゃないですか。
そういうこう、戦いをこう、
元にして、
関係性が生まれていくとか、
あるいはこう、自分がこう、
認められ、承認、
誰かから、
しっかり認識してもらえるとか、
そういうことって、
最近そんなに描かれてもいなかったような気はしていて、
こう、
15:01
どうなんでしょうね。
最近というか、
本当にここ、
ここ2、3年ぐらい、
そういうのがまた、
注目を浴び始めているような、
感覚は、
個人的にはしてるんですけど、
こう、
なんかね、今の時代にこう、
改めてそういうこう、
戦いを通した、
関係性みたいなもので、
魅力を感じるところがあるような気がしますね。
なんか、
なんか、気に食わない人がいたら、
嫌いな人がいたら、
スポーツ誘ってみるとか、
卓球しないで。
そうかもしれないな、それ。
確かにね。
戦ってみないと。
戦いませんか。
もう我慢。
受けてくれるか。
確かにな。
こんなところでしょうか。
確かに。
上人を巡る闘争は。
上部は最初は、
自分が属している、
呪礼っていう、
この集団、
の地位を上げることで、
自分の地位というか、
自分を認めてもらえるように、
したいって思ってたんですよね。
そうだったと思います。
どっちが、
どっちがいいって言うこともない。
もちろん、上郷がやってたようなって言うと、
あれですけど、
その、
なんでしょうね。
上郷が、
上郷が、
上郷が、
上郷が、
現実世界にも、
アイデンティティポリティクスってあると、
アイデンティティポリティクスというか、
なんかこう、
あるカテゴリーの人が、
抑圧されてて、
もうなんか、
大変で、
それを何とかしてくださいっていう、
それはそれで必要な、
当然必要な運動であって、
上郷はもちろん悪者として描かれてないしね、
そういう意味では。
事実は変なこと言ってないんで、
僕もそれは大事だと思うんですけど、
こう、
なんかそれで倫理が語りきれるわけじゃないっていうか、
やっぱり、
それだけじゃなくて、
戦いも大事っていう話なんですかね。
戦いも大事っていうか、
逃走、逃走の先にある承認みたいなものも、
大事っていうことが、
ポイントなんでしょうかね。
はい。
今回、
この回を、
手術のこの回を取り上げるっていうので、
めちゃめちゃ飛ばして、
18:00
そこだけ見てきたんですけど、
はい。
それで、
なんかスクナが、
言ってたのが、
無礼として、
自分の価値を測るから、
自分の価値を測るから、
呪礼として、
呪礼の一員として、
呪礼という集団として、
自分の価値を測るから、
弱く賄賞になっていくんだ、みたいな。
言ってて、
言ってたよ。
なんか、
いやー、
うーん、
うーんと思って、
何か、
これって言いたいことがあるわけではないんですけど、
そうなんです。
気になること言うんですよね。
情報に対して。
お前は呪礼、
自分のこと呪礼だっていうふうにすごく思ってて、
呪礼の内をあげるんだっていうことを、
人生の目標にしてるけど、
なんか、
そういうカテゴリーにこだわって、
そういうカテゴリーとして自分を認識したり、
自分の生き方を決めたりしてて、
それが弱いんだって。
あとは、呪礼だから弱いのだとか、
だから弱いのだとか、
そういう、
カテゴリーとして自分を評価しようとする。
そこが君の弱さだ、
みたいなことを言うんですよね。
うーん。
そう言われると確かに、
こう、
実社会でも、
何だろう、
特高台に属してるとか、
どの、
何とかっていう大企業に属してるとか、
何だろう、
そういう、
何ですかね、
すごい強い部活で、
僕頑張ってるんです。
なんか、
そういう、
カテゴリーとか名前で、
まあ、
自分の
図ったり、
プライドを守ったり、
そういうこと、
ある、
あるなと思って、
うーん。
何か自分を、
そうですね。
守るっていう、
意味では、
何か、
効果的なのかも、
知れないんですけど、
でも多分少なから、
言わせたら、
その、
まあ、そういうところに満ちることで、
本当の自分の、
まあ、
強さとか、
秘めてるもの、
が発揮されなかったりとか、
逆に、
何だろう、
その、
誇大評価しちゃう。
で、
本当は、
本当はっていうのが何か、
あれですけど、
21:00
実際、自分が何をやってるかっていう、
うーん。
カラコメーション受けることになっちゃうよ、
みたいな、
メッセージをちょっと、
受けてみましたね。
そう、そうなんですよね。
めっちゃ、
そのセリフで僕も、
戦いが一気に好きになった。
っていうか、すぐ気になったんですよね。
こう、
何か対等な、
何か同じ土俵で戦うって言ったじゃないですか、
少なくとも火で戦うんですよ、
火の呪いに対して。
何かメインウェポンじゃない火で戦うんですけど、
その、
同じ土俵で戦うときに、
多分その、
自分の属してる集団とか、
属性とかって、
関係なくなっちゃうんですよね。
もう火力勝負みたいな、
火力しか関係ないんですよ、
その場では。
他のこう、
経緯とか属性集団とか、
全部棚上げされて、
棚上げした状態で相手と向き合うことができる、
っていう、
それがこう、
同じ土俵で戦うことの一つの効果というか、
その、
尊いところなんだろうなというふうに、
思いますね。
それを通してこう、
情報の、
何て言うんでしょうね、
ちょっと凝り固まった考え方を、
ほぐしてあげたというか。
いいな、
でもちょっとなんか、
実際に、
そういう、
同じ土俵での、
素手での戦いみたいなのって、
実現するのは、
難しいかもしれないですね。
日常、
我々そんなことできるのに。
土俵だと思ってたら、
なんかあいつ、
秘密兵器持ってきやがったそう、
みたいな。
なんか、
それこそ環境がどうなのか、
って話に、
なかなか知らないんですけど。
でも、
一定、
スポーツみたいな、
いい関係、
いい競争って、
作れるような気がしておいて、
僕で言えば、
平日は仕事してるし、
休みの日は、
音楽を作ったりしてるんですけど、
仕事のクオリティとか、
結局音楽がかっこいいのかとか、
そういうことを、
他の人と比べられますよね。
勝ったとか負けたときに、
負けた、お前すげえなとか、
勝ったけどお前すごいな、
みたいなこういうことが、
いうことって全然できると思うんですよね。
そこで、
環境がとかって、
もちろんあるんでしょうけど、
それは、
一旦置いといて、
称え合うみたいな、
ことって、
まあまあできるのかなと思って、
24:00
ある程度ね、
できるときもあるんだろうなと思ってます。
そうですね。
ある程度、
評価の基準というか、
気がついて、
普通の意識があれば、
そうですね。
最近だと、
運動会で、
手をつないでゴールみたいなのが、
言われたりする中で、
そうですよね。
なんかめっちゃ、
そうなんですよね。
インスタグラムの方で。
そうですね。
本当ですね。
少な的にはね、
手をつないでゴールだよ、
それで相手の何が分かるんだ、
っていうことなんですかね。
全力を出すわけでもないし、
その、
なんていうんですか、
本気の表情に絶対ならないじゃないですか。
その戦いって、
戦いですがないし。
結構考え、
考えられましたね。
そうなんです。
いやー、面白いな。
スクナはなんか、
そう思うとすごい、
スクナも丸山正男かもしれない。
丸山正男。
さっきその丸山正男が、
論文の中で、
内面が侵されてはいけないんだと、
言ってたっていうのを、
紹介したじゃないですか。
それに似てんじゃないかなって、
自分が大事にしてる価値観が、
あるのはみんなそうだと思うんですよ。
何かしらないなりそうなり。
でもいつの間にかその、
価値、
自分の中の価値っていうのが、
自分自身の行動を全て縛るようになっちゃって、
で、
自分もそれに気づかなくなっちゃって、
で、自分が本当に望んでることとか、
大切なことを見落としてるみたいな。
結構、
戦争とか、
オーディエンサーの話をしなくても、
あると思うんですよね。
で、それを何かその、
少なお前絶対的上位者みたいな、
神みたいな位置から、
お前何かその、
お前の内面って侵されてんじゃねみたいな、
縛られてるんじゃねみたいなことを、
笑いながら指摘してくるわけじゃないですか。
で、そこで何か初めて何か、
あって、
自分が本当に望んでいたのは、
これじゃなかったのかもしれないみたいな、
疑問が湧いて、
で、
その内面のその矛盾に気づいて、
その葛藤を通して、
何かこう、
何らかの幸福を得るみたいな。
うん。
いやー、なんかすごい、
丸山正男だなって思って。
丸山正男だね。
すごい。
そんな結論が出ると、
呪術も、
秘密も、
丸山正男があるっていう。
何、丸山正男って。
何、丸山正男って。
27:03
非常にお勧めですし、
考えさせあえる、
支える人いるんじゃないかと思いますので、
ぜひ、
よければ見てみてください。
はい、今回は、
第1回の鬼滅と、
そして呪術、
回戦、
ね、黒さん、
河原さんから、
いろいろお話していただきましたね。
めっちゃ面白かったです。
やっぱ、
ちゃんと、ちゃんと見ようと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
はい、というわけで、
じゃあ、ちょっとここで、
最後のお便り募集をさせていただきます。
なんでも倫理ラジオでは、
お便りを募集しています。
ご意見、ご感想、
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これって倫理的にどうなんだと思ったエピソードなど、
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はい、ということで、
では、また、
次回ですかね。
いろいろ、
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撮りたいですね。
ぜひ、
お願いします。
また、
みなさん、
お会いしましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。