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TaeとKumikoの栄養カフェ。
このラジオは、私たちが日常生活で、これって興味深いなと感じたテーマについて、10分ほどでお届けします。
では、くみちゃん、今日のテーマは?
前回の続きですね。2人が出会って、っていうのが長くなったのでね、ちょっと分けて話してみます。
はい。
前回は?
前回はね、20代でたまたまこう、栄養指導とかカウンセラーっていう、カウンセリングっていうような共通点に惹かれて、こう学び出して。
でも、毎回自分の話をしながら勉強するっていう関わり方をして、単にランチに行こうとか、
どんな趣味があるのとかではない、ちょっと特殊な関わり方をしたために、ものすごく背景を深く知ったよね、っていう話をしました。
そうでしたね。
その後、お互いね、私は大学院を越えて、病院へ押しから大学の教員に変わって、
で、Taeさんも老健施設に変わったりもしましたよね。
そうですね。
で、その後、ずっとその勉強、カウンセリングの勉強もしながらだけど、お互い結婚、出産、子育てっていうライフステージに入っていって、
毎週、毎月やってた自習勉強会みたいなものに、まあそもそもそんなことやれるようなスパンではなくなり、もうそれもなくなりましたよね。
なくなったんですけど、運営で溜まっていたお金を、どこに預けようかってなって、
なぜか京都の勉強会にそのお金が来て、結局今、母が続けているという。
つながってる。
まあ、いつもつながってはいますけどね。
それで、何だったかな、またこういろいろと一緒に関わることができるようになった続きは、私が離乳食講座をやり始めたっていうことでしたかね。
離乳食講座やって、
私、フリーランスになって、何かその、そうですよね、何かいろいろサービスを提供を始めたのは、
そうですね。
すごく興味があって、連絡して、
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それで何かアドバイスに来てもらいましたね、わざわざ家まで。
私が子育てを始めたタイミングで、所属している大学を一旦辞めて、フリーランスになったんですよね。
その時に、いろんな仕事の一つとして、離乳食とか、そこにずっと学んでたカウンセリング的な子どもの心理を乗っけて、
お母さんたちの栄養相談を受けていたんです。
その時にちょうど、たえさんが2人目、出産のタイミングで、お家に貸してもらった記憶がありますね。
もう10年ぐらいですか、それと。
その頃から、昔のようなカウンセリングの技術を磨くとかではなく、
互いに母になって、子どものことも関わりながら、というような側面で、また違う関わりが始まったという感じですよね。
そうですね。
お互い育てるのは、みんな大変なんやろうけれども。
みんな大変ね。
大変だけど。
うちも発達障害なんですけど、読み書き障害、感覚過敏とかって。
で、くみちゃんの。
うちは食物アレルギーがかなり大変。
あと、白いものしか食べないときなかったですか。
ありましたね。
そうそう、それが一緒やなって思ったんですよ。
そういう、栄養士としては学んだことがないよっていうようなことがたくさんあって。
そういう今までとは違うところでの共鳴みたいなのも結構ありましたよね。
そうだ、うちのこのアレルギーの話を聞いたときに、実際、たえさん自身が幼少期にかなりつらかった話を聞いて、
やっぱり時代って進んだなっていうのも、そのとき思いましたね。
いろいろと対応できることは昔に比べて。
そうね。
つらくて息できないのに我慢しなければいけないっていうようなことは、さすがに今はなかったから。
昔はそんな感じだったんだっていうのもありましたしね。
それでいろいろと情報をシェアするようになって、それで次は何だろう?
次は何やろう?
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次が今度はフリーランスをしながら大学で非常勤を教えるっていうのがすごく増えて、
それがもう5、6年ぐらい前の話なんですけど、ご縁があって、大学からは身を引いてたんですけど、
科目だけをね、教えにいくっていう非常勤の仕事が入ってきて、
そんなことをやってるときに今度ちょうどたえさんも、
看護学校でしたっけ?どこかで教えるっていうタイミングが来て、
そうでした。
それからまたいろいろ毎週情報をシェアするようになりましたね。
そうでした。
なんかね、くみちゃんに相談、その教え方とか、
なんていうの、そのしゃべる内容とかを教えてもらってたんだけど、
教えてもらうようになったんだけど、
その前にプロの声優とかやってた声のナレーションとかやってた人に見つけて、
毎週毎週指導してもらってたんですよ。
それを初めて聞いたかも。
そうですか。なんでやったかな。
しゃべるのがうまくなりたいとか、
自分の声がすごく嫌やからどうしたら好きになれるかとか、
そういうのを改善したくて、
それで、施設で自分たちの仕事とか栄養士をアピールするために、
発信していかないといけないから、
毎月プレゼントとかやりまくろうと思って、
それで燃えてて、そのとき。
練習してたんだけど、結構頑張ってた。
ある程度それがひととりできるようになって、
プロの方との繋がりは終了したんですよね。
それでも、やっぱり今までずっと人についてもらってて、
それが支えになって進んできたけど、やっぱり不安だったので、
クミちゃんがいるやんと思って、
クミちゃんにサポートをお願いをして、
たしか週1回ぐらい、こうやってお話しして、
教えてもらってましたよね、何年か前。
何年か前でしたよね、それはね。
それがすごい楽しくって、
なんかね、頑張らなくても楽しみながら、
人前で喋るみたいなことを、本当にクミちゃんがやってはって、
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すごいなと思って、そういうふうに自分もできるようになりたいなと思って、
だいぶやり方が変わったなっていう。
素晴らしい。
前に立つ人はすごい勉強してて、準備も万端で、
すごい人って思われないといけないみたいなイメージだったんですけど、
そうじゃないんやと。
そうじゃないんです。その人のキャラがあるんでね。
それで私のやり方で、私のその巣でいいんやみたいな感じで、
すごい楽になって、
そうそうそう。
よかったなと。そんな感じでした。
そんな風にボイトレを受けてたとは知らない。
そうなんです。ボイトレを受けてたんです。
だからボイトレが子育てしながらなんで、
1歳とかの子供を育てながらなんで、
どうやってやるかっていうと、毎日絵本を読むときに、
口を大きく動かしてとか、寝転がりながら読むので、
天井に音が声がパンってぶつかるぐらい遠くに届くようにとか、
そういうのをイメージしながら、毎日の絵本読みをボイトレにしたんですよ。
素晴らしい実践の場が、日々実践セミナーじゃないけど、
子供を使って。
やってたんですよ。
誕生日も行くようも大事ですもんね。
そうそうそうそう。
それで鍛えられたわけですね。
なるほど。
あと思い出したのが、
タイさんの職場にも私何回か行きましたよね。
あーそうでしたね。何回かでしたっけ?
2回ぐらい行った記憶がある。
1回ぐらい来てもらいましたっけ?
なんか高齢者の園芸職と離乳職がちょっと似てるなっていうので、
言ってましたよね。
それで私も学ぶしてもらった記憶。
自分は離乳職のことを教えてたけど、
タイさんがずっとやってる介護の職人ってすごくよく似てて、
そうそうそう。
驚いたのが、私は専門職に囲まれてるから、
歯科医師とか看護師とか言語聴覚師とか、
その人たちの知識を分け与えてもらって、
高齢者の食事のケアを使ってるんだけれども、
クミちゃんは一人でそれを、
同じようなことを編み出してやってはって、
すごいなって思って。
成功しましたね、その当時はね。
栄養して食べる食材は栄養素っていうものなんだけど、
食べ方とかどうやって食べたら喉に詰まらないかって、
学びゼロですもんね。
ですよね。
それを何にもない状態から探し出して、
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それ用の情報ってないけれども、
それを他の何かから繋げていって集めてきたっていう感じでしたね。
いろんなところにアンテナ貼ってはここに行って、
それでいろいろと言語聴覚師さんっていうのは、
そういうことのプロなんだっていうのも、
言語聴覚師という仕事は知っていても、
それが私が知りたかった子供のもぐもぐごくんとか、
食材っていうことに繋がるっていうことも知らなかったけども、
それが繋がって、保育のセミナーとかも行きましたね。
保育師さん対象のセミナーに行って、
あとちょっとカウンセリングとは離れるんですけど、
保育師さん対象のセミナー、栄養士も買うみたいな感じのところに行って、
実践だったんです。
そこがおせんべいを持ってきてくださいって書いてあって、
実際にみなさんせんべい口に入れてくださいってもぐもぐ持って食べて、
5分何も考えずに食べたときに、
最終的に飲み込む直前はその塊はどこにありましたか?
みたいなことで、もう一回食塊を作ってるでしょうって。
そういうことを口の中では無意識に処理をして食べるっていう経験を通して、
だから子どもの食物、とろみがあったり、
一つの塊にしないと飲み込みでできないよ。
だからスプーンはこのぐらいの位置に入れてあげると、
食塊作りやすかったり、処理はしやすいけど、
スプーンで奥まで食べ物を突っ込んで、
下の後方に乗っちゃうと飲み込むしかできないから、
将来的に4歳5歳で、うちの子噛まないんです、
飲み込んでばっかりなんですっていう子の食事につながるんですよ、
みたいな保育の世界からの言語聴覚者の話を聞いてきて、
はぁ!?みたいなことを一人で全部つなげましたね。
すごいなぁ。
で、それを今度はお母さんたちに、
だからきゅうりの細かいのを切ったからって言ってる入校期の子は食べられへんよ、
そんなんやったら、豆腐とかミンチ肉で一つの塊にしたらいいよ、
そういうのに還元して、情報を伝えたりとかしていたのが、
でも結局それが介護の食事とめちゃくちゃ一緒やったっていうね。
一緒やったっていうね、すごい話がね、あって、面白かったです。
でもいろいろ情報を私はタイさんから施設を通して教えてもらったのを覚えてますね。
そうですね。
二人の出会いからいろいろ、20代の頃から話して、
なんかあっという間のようでいろいろいろいろやってきたことがあったの。
本当ですね。エピソードを重ねていったらいっぱいありましたね。
頑張ったなって思うこともあって、思い出せてよかったですよね。
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でも一人じゃね、書き出したりとかしても思い出せないから、
やっぱりこうやって話すことによって湧いてくるので、記憶が。
そう、二人で話してよかったなと思います。
聞いている方も、私もこうだったなっていうのを、
私たちの話を聞いて思い出させてもらえてるかもしれへんなってちょっと思いましたけどね。
改めて振り返ってみると、また気づきも多いかもしれないですね。
またこういう機会があったら、いろんなことをお話ししていけたらなと思います。
ではまた。