離乳食セミナーの経験
TaeとKumikoの栄養カフェ。
この間、離乳食と幼児食をしろうという、一般の方向けのセミナーをやってきたんです。
90分で全体を話してくださいということだったので、資料を作って話してきたんです。
やってみて思ったことは、対象となる人のニーズが広い。年齢層が広いんでね。
広いと、私ここ聞きたかったのになっていうところを詳しくしゃべるのは難しいなっていう、そういう感じがすごくしました。
しゃべっている側として。
参加者の年齢層が、いろんな人が参加してくれたってこと。
そうですね。年齢層というか、子どもこれから離乳食を始めたいので聞きに来ましたっていう人もいれば、
うちの子どもは幼児期でこういう悩みがありますっていう方と、アレルギーのことが知りたいですっていう人と、
保育園で働いているので、全体のことをもう一度まとめて勉強したいですみたいな方がいらっしゃってね。
ここは難しいなってすごく思いましたね。
それで話してみて、なんだろう、ここが知りたいと思うだろうなっていうようなところを中心に組み立てて話はしたんですけれども、
自分自身もこの仕事に携わってもう十何年ぐらいになるのかな。
ずっと離乳食についてとかやってるんですけど、明らかに昔と比べて平等だって話せるようには、
なるほど知識は増えたなっていうのはなんとなく感じますね。
昔はここ大事だよって言ってたけど、すごいピンポイントのここだけみたいな感じだったけど、
やっぱり幅広く、こういうとこも大事だし、そうかそうか、こういう面のサポートも必要だよなみたいなのも、
大学で教えることとか、自分の子育てをして、Nは2でしかないんですけども、
なんとなくこの教えることの周りに肉がついてきたかなみたいな、そんなイメージです。
10年以上ですもんね。
まだ生まれたて1歳とかやったような気がしますね、下の子が1歳とか。
その90分の話で、あらかじめどういう人が来ますっていうのを教えてもらった状態で準備をして、
それですぐ説明したってことでしょうね。
いや、準備はもうしてて直前に聞いたという感じですね。
すごい、それめっちゃ困ると思うんですけど。
多分広いやろうなという想像のもとにという感じではあったんですけれども。
それをどうやってクリアしはったんですか、いろんな人たちのニーズを満たす、全部は無理やとしてもある程度満たすっていう。
例えば離乳食講座とか離乳食セミナーだったらもっと突っ込んでここ話すっていうところを、
涙を飲んでここはしゃべらんとこうと思いながら次に進むみたいな感じですかね。
そっか。
ここ聞きたい人絶対これ教えてほしいやろうなっていうようなところを言ったら終わりませんとか思って、そこはうまいことはしょりながら。
自分としてはもっとしゃべれるのになっていうのは心残りではあるんですけど、そこ全部やってた。
これ何時間のセミナーなのやろうやる感じだし。
ありましたね、そういうのが。
それでこうもっとしゃべってあげたら、この人たちは役に立つけど他の人はまだあんまりピンときひしみたいな感じでしゃべって。
そうですね。
教育における専門性の深化
イメージしたときに自分が幼児期で悩んでたら離乳食丁寧にしゃべられたらもっと自分どこ聞きたいって思ってるやろうなっていうのがめっちゃわかりません。
そうですね。
逆に離乳食で今から始めるっていう人はそりゃそこ聞きたいなと思うし。
難しいところですね、そこは。
それでも多分すごく良かったって言ってもらえたと思うんですけど、反応としてはどんな感じだったんですか。
そうですね、体型だって聞けて良かったとかっていうのは多分あったんだろうかなと思いますし、
最初に言った自分が50年ぐらい前に手探りで色々伝え始めてたときと比べて、
自分自身が大学とかで科目として教えるようになって体型立てて理解できると、
やっぱりそりゃこっちで伝えたいなっていうのがすごく出てくるというか、
そういうのはすごいありますね。
うまく言えたかな。
点が線になって面になるみたいな感じだと思うんですけど、
私のこだわりの点ばっかりとか、ここ気付けていたらいいよっていう点はたくさん子育てとともにあったけど、
見えてないところはやっぱり学問として学んでみると、
ここには子どものこういう体の発達があったんやなとかね、
なるほど、だからこうなんかみたいなこと後付けの続きとして伝えると、
そりゃ理論はついてくるような言葉として伝えるときの背景の強さというか、
なんかそんなの感じましたね。
今ね、10年以上もずっと同じここを深めて人に伝えてっていうことをされてるから、
そこまでのレベルに達してはると思うから、
もうなに聞かれても大丈夫やし、
どこが必要な、この方にとってどこが必要なかっていうのを全部分かっている状態やと思ってる思うんですけど、
最初って手先言ったはずの手探りじゃないですか。
今はそうやってどうやってニーズを満たしてあげるかみたいなレベル高い悩みやけど、
最初ってほんま手探りやから、これでほんまにいいんやろかとか、
私がこれを喋っても大丈夫なのかみたいな不安があったと思うんですけど、
その違いってどんな感じやったんですか。
なんかね、最初は私も子育てをしてます。
で、ちっちゃい子います。
で、こんな風にやったらこんな風に良かったよっていうのを、
同じ子育てをしてるママさんにシェアするみたいな感じやったんですよ、最初は。
だから講座って言っても、
うちでこんな食器使ったら子供食べやすいですよとか、
こんな風に料理するとなんか上手に食べてくれますよみたいな、
おいしいですよって子供がね、
いると味噌汁飲めないけど、
こうやったらあったかい味噌汁って飲みますよみたいな、
なんていうかな、情報シェア会みたいな、
そういうところから始まっていったんですけど、
教員として教えるってなると、なんだろう、
シェアではダメなわけなんですね。
学問としてなってるものを今度教える、学生に教えるもそうだし、
そういう立場になっていたときに、
より体系立ててみる必要性を知ったっていう感じなのと、
今度はずっと学生にもそうだし、
子育て支援をしたい人にも喋るようになっていって、
当事者から、
対お母さんだったら当事者にお伝えするっていう感じだけど、
支援する人を教える、だから保育士さんに教えるとか、
ってなったときに、
より俯瞰できるようになったっていう感じですね。
対お母さんって言ったら同じ目線の人だったのが、
今度はこの人を支援する人を教えるにアドバイスするっていう立場になったときに、
お母さんってこんな悩みがあるからこんなふうに声かけてもらったり、
支援する人への指導
こんな面を見てもらえると支援しやすいですよとか喜ばれますよみたいな話に、
一段階俯瞰したところから喋れるようになったっていうのは自分の中で変わったかなと思いますね。
【森】同じ立場だったところから、それをどんどん上げて立場が上がっていって、
今度は支援する人に教える立場になったっていう段階を得て。
【森】私が偉くなったとかではなく、伝える相手が変わっていったって感じですね。
初めはシェアするママだったのが、今度は学生さんに教えるっていう風になったら、
同じ喋り方はできないじゃないですか。子育てしたことない子に喋るから。
保育園の先生、こんなんしてくれたら親として嬉しいでみたいな話を学生にするわけですよ。
こんな風に食べさせてくれたり、隣で笑ってくれたら子供めっちゃ喜ぶよみたいな話って、
当事者の母同士ではなかなかそういう視点にはならないけど、変わってくる。
今度は現場で教えてる先生に話をするっていう、
今度教えてる先生にどう喋るかってなったときは、また違う立場だったり、
必要な情報も違ってくるので。
こういうことも言わないといけないな、こういうことも必要だよな、
その背景にはこんな法律とかがあるよな、みたいな話とかが統合されて喋って、
ご縁によるキャリアの発展
私がどんどん熟成していくと、今度その自分が対当事者のお母さんに喋るとなったときに、
昔は情報シェア会しかできなかったけど、今だったら、
先生に教えてる情報を知ってる母です、みたいな立場で喋れるから、
っていう感じです。何か違いがあるとすれば。
なんかこうどんどん広がっていっている感じが、広がるじゃないな、拡大する。
何て言うんですかね。
視点がたくさん、どんどん視点から見れるようになって、
っていう感じで、それを最初に小さなシェア会だったのが、
だって今は先生、言うたら先生の先生ぐらいの立場にならなかったんですけど、
そこまでたどり着く道、10年かなりやったと思うけど、
それを途中で諦めたり、飽きたりせずにずっと続けられたのは何でなんですか。
なんかね、ご縁が全部引っ張ってくれたって感じなんですよ。
私がこういう仕事したいんで、何かどっかでこういうのないですかねっていうのが一切なくて、
こういう人探してるんですけど、やってもらえませんとか、私の次これやってくださいとか、
そこで働いて、仕事をしてたら声かけられたり、
前任の方から聞いたんでまたやってもらえますかみたいな、
全て口コミっていう感じですね。
ご縁でつないで言ってもらってるから、やめたいというか、
そう言ってくださるならじゃあやります、これでいいんですかねみたいな、そんな感じですね。
親としての経験と成長
だから全く子供が生まれて離乳食を家で教え出した時に、
私はいつか大学でこういうことを誰かに教える人になるための下地作りだとか一切思ったことなくて、
なんで私今ここにいるんだろうって感じです。
どうなんや、ご縁で導かれてってなんかすごいな。
求めていただけるから食べれるし、
だったら今の自分だったらもっと伝えられることはあるかなって思うと、
あるあるっていうのが増えてくる感じですね。
特に食とか栄養に携わってたら山ほど情報とか体験が増えるじゃないですか。
自分の変化もあるし、子供の成長もあるし、
なんかそういう日常に根付いた分野だからかなって気はしますけどね。
そうやったんですね。
例えば文学とか歴史とかわかんないですけど、そういうものだったら学ばないとそこの情報って増えないけど、
食と栄養って自分が生活してるだけで太りやすくなるなっていうのもあるし、
血糖値ってこう変わんねんなとか朝起きにくくなるなみたいなって、
全てが話のネタにしかならんみたいなところだからかなって気はしますね。
いつの間にかこうなったっていうのは。
そうだったんですね。
今日は久美ちゃんの子育て支援の10年間の変身を話を聞かせてもらって、
ガツガツしてないっていうのはずっと知ってたけど、そんなふうにご縁で導かれて、
ここまでこんなすごいところまで歩んでこられたっていうのをもう一回再確認できてすごいなと思いました。
やり遂げるためには最初から絶対自分はこうする。
そういうのが必要やって、それで達成できるっていう人もいるけど、
久美ちゃんみたいに自然に導かれて進んでここまで来れるっていう方法もあるんやなっていうのを知れて、
すごく興味深かったです。
なんか私は、だって私別に子育て支援のプロになりたいなんてこれっぽっちも思ったことない。
今もないんですよ。
今もないんですよ。
もうかなりね。
ファンファイしてるんやろうなーみたいな感じですよ、逆に言うと。
でも自分がやってきたことが誰かのお役に立てるんだったら、何でもしゃべりますよっていう気持ちはあるのかもしれないです。
だから飽きないのかな。
例えば毎回年間何十回いっていろんな人にしゃべるんですけど、
私がしゃべる内容は一緒でも聞く人が違うっていうことはそれだけ種をまけるって思うと、
今日しゃべったここの内容が響いてくれる人が100人の中に1人でもいたら、やった、しゃべった甲斐あるな。
私が体験したことが誰かの次の子育て支援の役に立ってくれるなんてことは、
今の私にとっては論文、すごい論文書けることとかではない喜びなんですよね。
だから研究者は向いてへんのかもしれないです。
何か新しいことを発信したいとかじゃなく、困ってる人1人でも喜んでくれたらもう幸せっていう。
そこがあるから自然と続いてるのかなっていう気はしますね。
それが導かれて、そして自分も楽しく、そして無理のないようにして進んでくれたから、今があるっていう感じなんですね。
そうですね。
一つ一つ受けたお仕事を、それに真摯に向き合って持っているっていう感じです。
この話を聞いて、達成したい目標を作らなければみたいに思ってた人がいるかもしれんけど、
こんなふうに久美ちゃんみたいに導かれて、自分の心地よさと一緒に進んでこれたっていう人もいるので、参考になったんじゃないかなって思いました。
ありがとうございます。