認知症への新たなアプローチ
TaeとKumikoのえいようカフェ。
学会に参加した時に、初めて知ったんですけど、すっごい画期的なことがあって、
それは何かって言ったら、認知症の患者さんにも
関わり方によって、もうそれこそ、認知症治った?ぐらいな改善って言ったらいいのか、
変わりはるって感じですか?その方自体が。
変わり方が、もう認知症以下になったら、どうしてもそれに対応するっていう感じになるんですけど、
ある関わりをすると、認知症なの?この人っていうぐらい、
認知症がない方と同じようなぐらいの状況になるっていうことを知って、
目から鱗みたいな感じになったことがありました。
お薬を使うとかではなく?
Noです。
本当ですか?関わりだけで?
関わりだけで。
何日もとか、ずっとある特定の関わりをすると、認知症の症状が治る、変わるってことですか?
いや、あのね、これが積み上げっていうよりも、関わり一つでって言った方がいいかもしれないです。
その場で変わる?
私もびっくりしたんですけどね、なんか知って、改善っていうか、元に戻ったってぐらいのことになって、
めっちゃ感激して、涙が止まらんかったぐらいの出来事っていうか、ことだったんです。
いわゆるなんとか療法みたいな、そういうやつなんですか?
ある意味そうですね、関わり方的に。
なんか体系立てられたものなんですか?
そうなんです。認知症を言ったら、もう認知症扱いで、分からないっていうところで接してると思うんですね。
なんですけど、認知症を持っているにも関わらず、認知症を持ってない方と同じぐらいの、なんていうのかな、言い方悪いかもしれない、人間扱いっていうのかな。
なのでどちらかというと、触れ合いを大事にする、そういう形なんです。
触れ合いって、普段もちろん触れ合いはあるんですけど、そうじゃなくて、例えば顔が見えるところで目を見て喋るだとか、手に手を取ってどうですかって言ってみたりとか、
そういう、普通やんって思うかもしれないんですけども、それをすごく丁寧に尊厳っていう言葉があると思うんですけども、やっぱりベースはそこなんですね。
それを持って接することで、認知症が認知症じゃなくなるぐらいの、例えばお顔とか、なんていうのかな、認知症っていうお顔じゃなくて、目とかがちょっとイキイキみたいな感じになって、
で、ちょっと口紅でもつけてみようかなぐらいな気持ちに。
そういう行動が生まれるわけですかね。
そうなんですよ。
すごい。
そういう方法が、系統立ててあるっていうのを知って、めっちゃびっくりして、これみんながやったら医療の世界は変わるんじゃないかな、医療っていうか在宅もそうなんですけど、
関わり方の重要性
病気の人が減るんちゃうかなっていうか、そういうふうにすごく感じました。
タイさん知ってます?そういう関わりって。
そうですね、それ多分同じ研修を見たことがあると思う。
学会行かれました。学会じゃなくて。
学会あったかな。何学会?
病態医療学会。
病態医療学会やったかな。じゃあもしかしたらそれかもしれない。
うーん、そう。
で、本読んで、フランスのフェンゼル、ユマニチュードっていう。
そうです、そうです。
ユマ?ユマニチュード?ユマニチュード初めて聞きました。
ちょっとね、聞き慣れへんから、覚えられへんで、私も検索したりして、したんですけど。
あんなふうに接してもらったら、実証の方もそうやけど、私も嬉しいなって。
私も嬉しいです。
すごく大切にしてもらっている感覚。
あります、あります。それが過剰じゃないんですよ。
なんていうのかな、心地いい扱いっていうか、心のことさえに触れるって言ったらいいんか。
それはですね、説明を受けたらわかるかもしれないんですけど、うまく言えませんが。
なんせ、使用前、使用後ぐらいにガラッと変わるんですね。
それは日にちをかけるとか関係なく。
その場で?
はい。
すごいな。
そうなんです。だから、例えばヘルパーさんであったり、介護者、介護役の方がその技法を知っていたら、
すごく自分も相手も楽になるっていうか、幸せになるっていうか、
そんなことを期待感満載なユマニチュード療法っていうのかな。
なので、研修受けようかなと思いましてね。
これね、うちの親も、それこそちょっとね、年齢が年齢でっていうところもあって、
なので、自分がそれを知っていることで、家族を助けられるし、親も喜ぶんじゃないかなっていうところで、
これからの社会、高齢化社会にはほんまフィットしてるなって思って、感動した話でした。
すごいですね。
すごいトピックやと思いました。
どうしても物扱いじゃないですけど、ルーティンワークとして、早く次のリハビリに送らないととか、
バーってやってると、ちょっとした声かけですぐに車椅子を押してしまうとか、
そういうシーンっていくらでもイメージできて、それは別に、もうちょっと丁寧に扱ったらいいのになぁじゃなくて、
多分、医療とか介護施設とかだと、そうしないと人員も回らないみたいな中で、
多分、すごいおざなりにならざるをえない部分なのかなって思ったんですけど、
やっぱ尊厳を大事にするかかわりで、一般的に接遇とかホスピタリティーってしたら、
すごいおもてなしを、そこまでしてもらわなくてもいいのにって、
医療者としての責任
お互いにとってそんなに心地いいものじゃなかったりするけど、
やってる側も嬉しくなるというか、温かい心になるからこそ対象の方にも、
その接し方が伝わるのかなとか思ったんですけど、
結構ね、やろうもたすぐに実践できるなっていう内容なので、
それを理解して、すぐにやった方が救われるんじゃないかなっていう感じします。
お話は認知症の人にそういうかかわりをすると、
違うようになって口紅に塗るぐらいまで変わるっていうことですけど、
一般の方に私たち、栄養指導というかたちでかかわったり、
ベッドサイドで話したりするのも全く一緒ですよね。
そうなんですよ。
どうしても指導する側が上で、受ける側が下みたいな関係じゃなくて、
フラットで対等でっていう中で、相手の尊厳を傷つけないようなかかわり方ができる医療者って、
なかなか、栄養士に限らず少ないと思うんですよね。
どうしても、そんなしてたらよくならないですよ、みたいなふうに、
一言目で言ってしまう人って、少なからずいて、
そうかかわられるから、もう病院行くの嫌やとか、また怒られるとか、
もう尊厳あったもんじゃないですか。
元々のね、そういうところの問題もありますし、
さらに医師卒が難しい場合に、なおさらそうなってしまうっていうところが問題なのかなって思いまして、
やっぱりそういう人こそ、触れ合い、尊厳、精神っていうのが、
すごく大事になってくるのかなって、とても感じました。
私たちも、まず最初にカウンセリングで勉強会であったんだけど、
私はそのカウンセリング技術によって、
同じ人が1時間の後、ガラッと表情とか変わったじゃないですか、
その技法とイマニチュードも通じるものがあるんじゃないかなって思ったんで、
っていうのは、何もお薬使うわけでも、道具を使うわけでもなくって、
コミュニケーションとか、やり方、相手に対する思いとか尊厳とかによって、
人がそんだけ変わるっていう、奥深さみたいな、
人の力の奥深さみたいなのがあるんだなと思って、
それを改めて感じました。
では、また。