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どうもこんにちは、タニタクです。
福岡県で看護師をしたり、AIアートを描いたり、
あとはデザインを作ってみたり、
最近ではいろんなAIでできることを探ってみたりですね。
特に最近は動画作成とかに興味があるかな。
あとは本当に今ちょっとGPTだったりとか、
コパイロットだったりとか、いろいろ進化してるね。
そこにすごく興味を持ってやってみたり、
あとは仲間の応援をする他者貢献っていう活動をやったりしています。
今日はですね、早速なんですけれども、びっくりしたことがあって、
久保田臨さんの放送にまさかの自分の名前が出てきて、
すごくびっくりしています。もう最高ですね。
本当に朝から何事っていう感じで放送を聞かせていただきました。
昨日、Xで久保田さんにフォローしていただいたんですよね。
えーっと思ってすごくびっくりして、
こんなことがあるんだと思っての今日だったので、
本当夢のようでびっくりして、
自分も写真面としてコメントとかさせてもらってて、
特に永尾先生とやり取りをさせてもらっているので、
今日も少しこうやって呼ばれましたよみたいなことをやり取りもさせてもらってですね、
なんかすげー嬉しかったなーっていうことですね、がありました。
たぶん今、久保田さんが認知症についてのことをやっていて、
それを福岡の古典でされるということで、
やっぱり認知症のイメージだったりとか、
いうことを昨日の放送で言われてあったんですよね。
白いベッドに白い部屋。
本当にその中でいなくなっているっていう景色だったりという話をされてて、
ああそうだなと思ったのが一つのコメントをしたきっかけで、
自分も24年ぐらいかな、
本当に高齢者だったり、本当に終末期ですね、人生の一番最後に、
例えば万世紀の療養方といっても病気は持っていて仕方ない、
病気の治療というよりはその人が毎日元気に過ごしているように
どうやって関わっていくかということをずっとやってたんですよね。
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その20数年前の時って本当にまだ病院病院していて、
真っ白な壁に真っ白い天井に、本当に真っ白いベッドに、
当時は電動ベッドとかもなかなか高級品だったりしたので、
足元にレバーがついてそれをくるくる回したら頭が上がるみたいな、
そういうベッドを使いながらずっと患者さんの治療だったりとか、
ケアですよね、援助したりとかをやってました。
その時に患者体験というのを自分はなるべく意識していて、
本当に患者さんが使っていたベッドに寝てみるとか、
そこで見える景色はどうなのか、
もし自分の体が実際本当にそうじゃないからその通りにはできないんですけれども、
足が例えば動かない場合にどういうことが困るのかとか、
そういうのをすごく体験してみるとか、ということをやった覚えがあります。
そうするとやっぱり真っ白なお部屋で無というか何もないというか、
ここにたぶんずっと自分がいたらつらくなるんじゃないかなと思ったのがすごく印象的でしたね。
だからそれに対して自分ができることは何なんだろうということをすごく考えて、
やったことはなるべくお部屋に行く、なるべくお話をしてみる。
今日は変わりありませんか。
例えば、天気今日こんな感じですよ、外はどうですよみたいな話をするとかですね。
そういうことをすごくやっていた思いはあります。
あとは途中からユニットケアといって本当に個室で過ごしていただくということを、
その時働いていた病院が始めて、
例えば壁の色を少し変えてみたりとか、
ベッドはもうなかなか変えようがないんですけど、
でもベッドも白いベッドから木製のベッド、
頭のフレームが木製になったりとかですね。
あとは本当にベッド柵とかにも少しカバーというか、
本人の好きなものをつけてみたりとか、
あとは本当にお部屋に自分が昔使っていた家具を持ち込んでもらって、
例えばタンスだったりとか、思い出の品ですよね。
家族写真とかでもそうですし、
趣味で何かを作っていただいた趣味のものを持ってきてもらったり、
あとは本当に好きな芸能人のポスターを持ってくるとかですね。
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そういうこともやってもらったりして、
なるべくそこをその人のお部屋にする、
自分がいてもいいんだよっていうお部屋にするっていう風にやったりはしてましたね。
それをすることでやっぱり何もない真っ白の風景じゃなくて、
そこに自分がいてもそこは自分のお部屋なんだっていうところで変える。
本当はみんなやっぱり病院の無機質な空間じゃなくて、
家に帰って、家で自分のいつも座っているこたつでテレビを見たりとか、
自分の書斎で本を読みたいとかいろんな話をされたんですけど、
それが叶わない分、その代わりに何かできることはないかってすごく探ってみんなで話して、
ご家族もいれてですね、いろんな話をして、
そういう風な環境で過ごしてもらって、
本当に最後を迎えてもらうっていうのをすごくやってたなっていうのを
思い出しましたね。
なので、もし自分が人生の一番最後に、
どういうところで最後を迎えたいですかっていうときに、
どうやったらそこでもいいと思えるのかっていうことをすごく考えてましたね。
やっぱり理想は多分自宅なんですよね。
自宅でも眠るように亡くなりたいっていう人がほとんどだったと思います。
ほとんどその話をされていました。
やっぱり苦しい思いはしたくない、つらい思いはしたくない、
それはもうみんな一緒なので、
でもやっぱり病気になったときに、
じゃあそのままでいいのかっていうと治療をするとかですね、
もちろん選択は家族にあるんですけれども、
そういうところを考えるとやっぱり病院っていうのはすごく必要なところであるし、
でも病院だからじゃあその無機質な空間でいいのかっていうのはちょっと違うなと思って、
それはですね病院の方針とかもあったので、
でも自分はそこにすごくいさせてもらってよかったなと思ってます。
それでその中でじゃあそういう環境にしたからいいのかっていうことは今度はそうでもなくて、
やっぱりその中にいるときに誰か信用ができる人がいればいいのかなと思って、
相手を見る癖をつけてました。
例えばお話を聞くとか、これまでの苦労話を聞いてみるとかですね、
あなたがいれば安心よねっていうところを取りに行ってたらちょっと変な話ですけれども、
そういう人になれればいいなと思ってすごく関わってた記憶があります。
なので本当に1日8時間としてずっと動いておかなきゃいけない仕事だったりはしたんですよね。
例えば点滴を打ったりとか採血をしたりとかお薬の先生に処方をもらって、
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それを薬剤師が準備した分を切り分けたりとかですね。
看護の仕事って多分いくらでもあるんですけど、
その中でどう患者さんと触れ合う時間を取るかっていうのをすごくやっていて、
その結果患者さんから今日はあんたがおる気よかったっていうことをすごく言われるようになったんですよね。
なのでそれってやっぱり、もちろんお世辞はあるかもしれないんですけども、
この人が嫌だなっていう人に関してはなかなかそういうことは出ないので、
それはありがたいことなのかなと思ってました。
で、患者さんというか高齢者って自分は子供に変えていくと思ってます。感覚的に。
例えば子供の時って何もできなくてどんどん成長して大きくなっていろいろできるようになっていく。
その過程でやっぱり人の力が必要ですよね。助けがすごく必要で。
本当に生まれた時は自分でご飯を食べることもできないし、
おむつを替えることもできないし、歩くこともできないし、だからみんなの力がいる。
その中でどんどん成長して一人自立していくっていう感じなんですけど、
そうなって大人になっていくことで今度自分の意思だったり思いを、
要は空気を読むってやつでなかなか出しにくくなるというかですね、
出さなくて我慢するみたいなところにもあるのかなと思うんですけど、
今度は高齢者になってくるとやっぱり全身の機能が落ちてしまって、
歩けなくなったり手が動きにくくなったり、
例えば椅子に座るのも自分一人では座れなくなったりということで援助がいるようになってきて、
また空気を読むっていうことをだいぶしなくなってくるのかなと思ってます。
自分が思うように自分はこうしたいんだとか、自分はこうこうこういう思いがあるんだっていうのを出したりとかですね、
本能のままに生きてくるようになるのかなと思ってます。
その中で日常症っていう病気なんですけど、
自分の感覚的な話でいくと、それがより強く出るのかなと思ってます。
なので認知症の人が例えば不穏行動、ずっとうろうろしてみるとか、
外に出ろうとするとかですね、そういうのって実は全部理由があるんですよね。
例えば家のガスの元栓を閉め忘れたかもしれないとか、
子供が寝ていてお腹を空かしているかもしれないからご飯を作りに帰らなきゃいけないとかですね。
本当に年をとってくると短期記憶がどんどんどんどんなくなっていく。
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短期記憶っていうのは本当にここ何十分とか、
例えば昨日のご飯何食べました?みたいなことですよね。
っていうのはなくなっていくんですけど、長期記憶って本当に子供の頃とか昔の記憶ですよね、
10年前の記憶がすごく残っていて、
そのために例えば息子さんとか孫さんとかいうのは覚えているけれども、
例えば本当に近い時期に生まれたお孫さんとかいうのは覚えてなかったりとかですね。
例えば息子さんも実は60歳ぐらいなのにまだ20代とかですね、
ということを話してみたり、いろんなことが混ざってくるのかなと思ってまして、
そういう方に自分が対峙するときはその人の世界に入り込むというか、
その人の世界をまず受け止めてみるということですね。
何に今困っているんだろうということで、
たぶんだいたいそういう時ってすごく興奮気味に言ってたら
もう帰らなきゃいけないのよみたいなことを言っている人がたくさんいるので、
何とかさん、何とかさんって。ちょっとだけいいですかって。どうしたんですかって。
私は帰らなきゃいけないからそんなこと言わないのよって言っているので、
そこに少しついて歩いてみて、ちょっと疲れたときに座ってもらって、
どうしましたって。何があったんですかって言ったら、
いやいや、例えば息子の何とかちゃんが仕事終わって帰ってきているのにご飯を作らなきゃいけないから、
私は早く帰らなきゃいけないのよっていうことを言ったら、
それに対して、ああ、なるほどって。
でもこの間息子さん、あれって言ってましたよって。
ご飯、自分で段取りできるから、お母さんに心配せんでいいよって言っちゃってくださいって言ってましたよって。
えっ、何とかちゃん知ってるの、あなたって言うので、
ああ、知ってますよ、知ってますよって、一緒にこの間話したじゃないですかって。
えっ、じゃあ私はご飯作りに行かんでいいとかねって。
ああ、大丈夫ですよって。だから、もし心配なら電話もできるし、お話もできるから、
もしかしたらあれだ、電話しますかって言ったら、
ああ、それなら大丈夫、じゃあ私はもう安心して帰るよみたいな感じで、
お部屋に戻られたりするんですよね。
で、ただその記憶がまたないので、また同じことをされます。出てくるので。
でもそれを2回3回繰り返していると、顔を見た瞬間に、
ああ、あなたとさっき話したねって言って戻られるようになるんですよね。
なんで本当に、その人が問題としていることをどう引っ張り出してくるかっていうのが
すごく大事なのかなと思ってます。
なので、感覚的にはその人の世界に入って、今にちゃんと連れてきてあげるっていうのをすごく意識して
認知症の対応って言ったらあれですけど、方とは関わってましたね。
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時には暴力的な人もいたし、コントロールがなかなかつかない人もいましたけど、
そこの理由ですよね。理由が何なのかっていうのをちゃんと見極めてやっているっていうのが
その認知症っていうところのケアなのかなと思ってます。
なので、今久保田さんが認知症っていうテーマをやっていることに対して、
それがそういうことなのかっていうところがあるんですけど、
そういう話が届いて、何かに伝わればいいのかなと思いつつ、喋ったりはしてます。
人との関わりなんで、絶対正解ってはないんですけど、
その中でその人に向けての何かをちゃんとつなげていく。
例えば、本当にあんたが言ってよかったっていうことが自分の中では一つの答えなのかなと思ってます。
なのでそういうところにつなげるためには、じゃあどういうことをしたらいいよねとか、
もちろんどうしても症状がひどくて、内服とかで調節しなきゃいけないこともあるんですけど、
それもなるべく少なくて、本人さんをずっと寝かせるようなことはなくっていうのをやるっていうところですよね。
そこはもちろん先生の協力、いろんな人のスタッフの協力、ご家族の協力もいるんですけれども、
やっぱり人として生まれた以上は人として最後を迎えるっていうのがすごく大事なのかなと思ったりしてます。
やっぱりそういうふうな関わりをやっていると、その人の部屋が、
例えばそうだな、101号室はなんとかさんの部屋っていう感覚がすごくあって、
もしその時に人生の最後を迎えられてお別れをするっていう時に、
その時はやっぱり自分は悲しいんですけど悲しまないようにというか、
泣かないようにっていうのをすごく意識していましたね。
本当に悲しいのは家族であり、自分も親しくするとかすごく関係性ができてくる。
例えば1日8時間だったり、夜勤だったら17時間、その方とずっと一緒にいて、
下手すると本当に200日とか高級考えると250日とか一緒にいるので、
家族ではないですけれども近しい関係になって、
その人が亡くなった時ってすごく悲しいっていうところがあるんですけれども、
家族と一緒に泣いていても話は進まないので、ちゃんとご家族の思いを受け止めながら、
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やっぱり亡くなった後に喪失感だったりとか家族が、
本当に自分たちは変な話、月に何十人って亡くなる病院にいたので、
そこはもうある意味慣れてしまっている感はありました。
でもその中でもやっぱりちゃんと家族が納得をいくような形で、
最後を迎えてもらうっていうのをすごく意識してましたね。
やっぱりその、もう本当にいろんなことがずっと流れていくんですよね。
息を引き取りましたって言った後に、それから例えば体をきれいにして、
葬儀屋さんにお花を送って、そのまま最後を迎えるっていう形で、
その後になるべくその時にいろいろこういう思い出ができたから良かったねっていうことをすごく意識してたのかなと思います。
なので、そこに関してはそういうふうなことをやった上で、
例えばその翌日ですよね。
送った翌日にそのお部屋っていうのがまだ何かその人の雰囲気っていうかですね、
誰かさんがいたお部屋だなーっていうことをすごく感じて、
それは多分物というより環境ですよね。
オケットの位置とかトイレの位置とかタンスの位置とか、
こういうところでこんな話をしたねーっていうことを思ったりすることがすごくあったので、
やっぱり人との関わりってすごく大事だし、
でもその中でそれを引きずらないというかちゃんと切り替えていくっていうのも意識したりしてですね、
ただその人のことをなるべく忘れないようにですね、
本当に自分も20何年間150床の病院の56床ぐらいの病棟で働いてましたので、
多分本当に何十万人っていう方と関わらせてもらって、
亡くなる方も多分何万人っていうことをカウントしてないんですけど、
それぐらいの方の財務を見とったのかなと思ってます。
その中でやっぱりその人が一番最後に自分に会えてよかったっていうのを目指したりしてたので、
それの反面やっぱりその相手への思いっていうのがすごくあったので、
本当に何もない部屋でもあの人がいたなあ、こんな思い出があるなあっていうのをすごく感じたなあって、
っていうのは何だろう、物があるからっていうよりはお部屋の中の雰囲気とかですよね。
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そのベッドの位置、何だろうな、もう例えばベッドとかシーツとかマットとかも、
マットは新しいものに変えないんですけど、変えないに変えるか。
マットも交換とかしていろいろ変えたりするので、
シーツも新しいものに変えたりとか、あとはその枕とかもですね、新しいものに変えたりするんですけども、
そのベッドの頭の向きとか、お部屋に入る光の差し込み方とか、
あとは本当に変わらないもの、例えばエアコンのリモコンをここに絶対置いてよね、みたいなことを言っていたなあとか、
そんなちょっとしたことがその人の余韻っていう形で残るかなあと思ったりしてます。
でもいろんな人の思いだったり体験だったりを今自分が実際積み重ねて、
今自分がここにいるんだなあっていうのをすごく感じることができましたし、
なんかそういった、ある意味熊本さんが今悩んでいることというか、
自分の作品を作る過程で悩んでいることを聞かせていただいたおかげで、
やっぱり自分という人間を作っている一部の余韻は看護している仕事だし、
そこでいろんな思いでやってきて、時間をかけてやったことっていうのがやっぱり根付いているし、
その中で自分が一箇所に留まらないっていうことを決めた理由の一つは、
やっぱりそうやって、例えばうちの病院、自分が行った病院に来た患者さんが、
あなたみたいな人にもっと早く会ってたら私の人生は変わったのにと、
こうやってしっかり説明をしてくれる人がいなかったよとか、
そんなふうなことを私はあの時に選択していたのって、
なんでみんな説明してくれないのっていうことをすごく言ってたりとかですね。
これって多分説明されていると思うんですよね。
ただ、医療用語が多かったりとか、本人さんが本当に納得したふうに返事されることが多くて、
例えばこういう治療をしていきますね。
その過程でこういうことが、お薬を使うので何か副作用が起こるかもしれません。
その時にこういうことは注意してくださいねっていう説明をしていると思うんですけど、
それを医療用語でやってしまうと、多分一つ一つわからないことがあったら、
ああ、はいはいはいってなってしまいますよね。
例えば、自分の身近な友達とNFTとかですよね。
あとビットコインとかも最近ありますけど、
ああいうところの本当に横文字が多いやつとかになってくると、
もうわからなくても、ああ、はいはいはいって言っておけばいいかっていうのがすごくわかるので、
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ただそれが病気になると自分の将来に直結してしまうっていうのがあるんですけど、
そこを先生が言ってたからとか、例えばね、看護師さんが言ってたからということで、
そのままスルーして結果、自分が望んでたことと違うみたいなことがあって、
それに関してすごく言われることがあったので、
何かそういうのが自分の周りだけでも少しでも変えれたらいいなっていうのがあったりして、
今それを思って動いてたんだよなっていうところもすごく考えました。
なのでこういう話とかをもっとやっていけたりとかですね、
そういう自分の経験が何か生きるところにお話に行くとかいうことがやっぱりやれたら、
そこにいる人、入院されてる人ではかもしれないし、
そこでお話を聞いた人の身近な人かもしれないし、
未来が少しでもその人の望むものに変わればいいなっていうことを思っていたことを改めてすごく思い出したので、
何かそういう活動とかもやってみたら面白いのかなと思ってます。
なので今日はすごく久保田さんにいろんな嬉しい感情をもらったり、
ヒントをもらったりとかさせていただいたので、そのことについてちょっと話してみました。
なのでやっぱり本当に患者さんを人として見るっていうところが多分自分の中で根幹にある部分だろうし、
そこでそういうことを積み重ねている方は何かその余韻が残るというかですね、
その人たちの思いが自分の中に少しでも残っているのかなと思ってます。
本当にいろんな人いましたしね、自分を息子のように可愛がってくれたり孫のように可愛がってくれたりした人もたくさんいたし、
本当にそういう人がいたから今の自分があるんだなと思ってこういう放送をしてみました。
ワンチャン久保田さんに届いたらいいなというのと、こういう話がですね、機会があってできたらいいなという願望を込めつつですね、
今日はそういう放送をしてみました。
今実は車の中で収録をしてますので、またコメント返しとかですね、夜のまた放送か何かでできたらいいのかなと思ってます。
では今日はですね、ちょっと看護師としてというか、人の人生について話したので少し重たい内容になったのかなと思ったりはしますけれども、
やっぱりそこはなかなか実は目を背けてはいけないところだなと思ってますので、
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そういうことで悩んでる人とかにですね、この放送がもし届いて話が聞きたいよとか、こういう悩みがあるよみたいなことがあれば、
コメントなり何かいただければ自分も対応できたらなと思いますので、
よかったらそういう場合は本当に何か連絡いただければ自分のできることで協力させていただければなと思います。
ということで、今日の放送ですね。
テーマは忘れましたけれども、窪田さんに呼んでもらえて嬉しかったよっていうことと、
自分が大事にしていることの話になってしまいましたけれども、そういう思いを大事にして看護師もやってますし、
看護師っていうところにこだわらずに、そういう発信者としてやってみるのも面白いのかなと思ってますので、
その辺もですね、いろいろ今考えている中で思っているところなので、
そういうのも何かできないかっていうのを探りながらやってますので、
そういうところもどんどん発信していければなと思ってます。
そんな感じです。これで放送終わろうと思います。
じゃあまたね。