そういうこともやってもらったりして、
なるべくそこをその人のお部屋にする、
自分がいてもいいんだよっていうお部屋にするっていう風にやったりはしてましたね。
それをすることでやっぱり何もない真っ白の風景じゃなくて、
そこに自分がいてもそこは自分のお部屋なんだっていうところで変える。
本当はみんなやっぱり病院の無機質な空間じゃなくて、
家に帰って、家で自分のいつも座っているこたつでテレビを見たりとか、
自分の書斎で本を読みたいとかいろんな話をされたんですけど、
それが叶わない分、その代わりに何かできることはないかってすごく探ってみんなで話して、
ご家族もいれてですね、いろんな話をして、
そういう風な環境で過ごしてもらって、
本当に最後を迎えてもらうっていうのをすごくやってたなっていうのを
思い出しましたね。
なので、もし自分が人生の一番最後に、
どういうところで最後を迎えたいですかっていうときに、
どうやったらそこでもいいと思えるのかっていうことをすごく考えてましたね。
やっぱり理想は多分自宅なんですよね。
自宅でも眠るように亡くなりたいっていう人がほとんどだったと思います。
ほとんどその話をされていました。
やっぱり苦しい思いはしたくない、つらい思いはしたくない、
それはもうみんな一緒なので、
でもやっぱり病気になったときに、
じゃあそのままでいいのかっていうと治療をするとかですね、
もちろん選択は家族にあるんですけれども、
そういうところを考えるとやっぱり病院っていうのはすごく必要なところであるし、
でも病院だからじゃあその無機質な空間でいいのかっていうのはちょっと違うなと思って、
それはですね病院の方針とかもあったので、
でも自分はそこにすごくいさせてもらってよかったなと思ってます。
それでその中でじゃあそういう環境にしたからいいのかっていうことは今度はそうでもなくて、
やっぱりその中にいるときに誰か信用ができる人がいればいいのかなと思って、
相手を見る癖をつけてました。
例えばお話を聞くとか、これまでの苦労話を聞いてみるとかですね、
あなたがいれば安心よねっていうところを取りに行ってたらちょっと変な話ですけれども、
そういう人になれればいいなと思ってすごく関わってた記憶があります。
なので本当に1日8時間としてずっと動いておかなきゃいけない仕事だったりはしたんですよね。
例えば点滴を打ったりとか採血をしたりとかお薬の先生に処方をもらって、
それを薬剤師が準備した分を切り分けたりとかですね。
看護の仕事って多分いくらでもあるんですけど、
その中でどう患者さんと触れ合う時間を取るかっていうのをすごくやっていて、
その結果患者さんから今日はあんたがおる気よかったっていうことをすごく言われるようになったんですよね。
なのでそれってやっぱり、もちろんお世辞はあるかもしれないんですけども、
この人が嫌だなっていう人に関してはなかなかそういうことは出ないので、
それはありがたいことなのかなと思ってました。
で、患者さんというか高齢者って自分は子供に変えていくと思ってます。感覚的に。
例えば子供の時って何もできなくてどんどん成長して大きくなっていろいろできるようになっていく。
その過程でやっぱり人の力が必要ですよね。助けがすごく必要で。
本当に生まれた時は自分でご飯を食べることもできないし、
おむつを替えることもできないし、歩くこともできないし、だからみんなの力がいる。
その中でどんどん成長して一人自立していくっていう感じなんですけど、
そうなって大人になっていくことで今度自分の意思だったり思いを、
要は空気を読むってやつでなかなか出しにくくなるというかですね、
出さなくて我慢するみたいなところにもあるのかなと思うんですけど、
今度は高齢者になってくるとやっぱり全身の機能が落ちてしまって、
歩けなくなったり手が動きにくくなったり、
例えば椅子に座るのも自分一人では座れなくなったりということで援助がいるようになってきて、
また空気を読むっていうことをだいぶしなくなってくるのかなと思ってます。
自分が思うように自分はこうしたいんだとか、自分はこうこうこういう思いがあるんだっていうのを出したりとかですね、
本能のままに生きてくるようになるのかなと思ってます。
その中で日常症っていう病気なんですけど、
自分の感覚的な話でいくと、それがより強く出るのかなと思ってます。
なので認知症の人が例えば不穏行動、ずっとうろうろしてみるとか、
外に出ろうとするとかですね、そういうのって実は全部理由があるんですよね。
例えば家のガスの元栓を閉め忘れたかもしれないとか、
子供が寝ていてお腹を空かしているかもしれないからご飯を作りに帰らなきゃいけないとかですね。
本当に年をとってくると短期記憶がどんどんどんどんなくなっていく。
短期記憶っていうのは本当にここ何十分とか、
例えば昨日のご飯何食べました?みたいなことですよね。
っていうのはなくなっていくんですけど、長期記憶って本当に子供の頃とか昔の記憶ですよね、
10年前の記憶がすごく残っていて、
そのために例えば息子さんとか孫さんとかいうのは覚えているけれども、
例えば本当に近い時期に生まれたお孫さんとかいうのは覚えてなかったりとかですね。
例えば息子さんも実は60歳ぐらいなのにまだ20代とかですね、
ということを話してみたり、いろんなことが混ざってくるのかなと思ってまして、
そういう方に自分が対峙するときはその人の世界に入り込むというか、
その人の世界をまず受け止めてみるということですね。
何に今困っているんだろうということで、
たぶんだいたいそういう時ってすごく興奮気味に言ってたら
もう帰らなきゃいけないのよみたいなことを言っている人がたくさんいるので、
何とかさん、何とかさんって。ちょっとだけいいですかって。どうしたんですかって。
私は帰らなきゃいけないからそんなこと言わないのよって言っているので、
そこに少しついて歩いてみて、ちょっと疲れたときに座ってもらって、
どうしましたって。何があったんですかって言ったら、
いやいや、例えば息子の何とかちゃんが仕事終わって帰ってきているのにご飯を作らなきゃいけないから、
私は早く帰らなきゃいけないのよっていうことを言ったら、
それに対して、ああ、なるほどって。
でもこの間息子さん、あれって言ってましたよって。
ご飯、自分で段取りできるから、お母さんに心配せんでいいよって言っちゃってくださいって言ってましたよって。
えっ、何とかちゃん知ってるの、あなたって言うので、
ああ、知ってますよ、知ってますよって、一緒にこの間話したじゃないですかって。
えっ、じゃあ私はご飯作りに行かんでいいとかねって。
ああ、大丈夫ですよって。だから、もし心配なら電話もできるし、お話もできるから、
もしかしたらあれだ、電話しますかって言ったら、
ああ、それなら大丈夫、じゃあ私はもう安心して帰るよみたいな感じで、
お部屋に戻られたりするんですよね。
で、ただその記憶がまたないので、また同じことをされます。出てくるので。
でもそれを2回3回繰り返していると、顔を見た瞬間に、
ああ、あなたとさっき話したねって言って戻られるようになるんですよね。
なんで本当に、その人が問題としていることをどう引っ張り出してくるかっていうのが
すごく大事なのかなと思ってます。
なので、感覚的にはその人の世界に入って、今にちゃんと連れてきてあげるっていうのをすごく意識して
認知症の対応って言ったらあれですけど、方とは関わってましたね。
時には暴力的な人もいたし、コントロールがなかなかつかない人もいましたけど、
そこの理由ですよね。理由が何なのかっていうのをちゃんと見極めてやっているっていうのが
その認知症っていうところのケアなのかなと思ってます。
なので、今久保田さんが認知症っていうテーマをやっていることに対して、
それがそういうことなのかっていうところがあるんですけど、
そういう話が届いて、何かに伝わればいいのかなと思いつつ、喋ったりはしてます。
人との関わりなんで、絶対正解ってはないんですけど、
その中でその人に向けての何かをちゃんとつなげていく。
例えば、本当にあんたが言ってよかったっていうことが自分の中では一つの答えなのかなと思ってます。
なのでそういうところにつなげるためには、じゃあどういうことをしたらいいよねとか、
もちろんどうしても症状がひどくて、内服とかで調節しなきゃいけないこともあるんですけど、
それもなるべく少なくて、本人さんをずっと寝かせるようなことはなくっていうのをやるっていうところですよね。
そこはもちろん先生の協力、いろんな人のスタッフの協力、ご家族の協力もいるんですけれども、
やっぱり人として生まれた以上は人として最後を迎えるっていうのがすごく大事なのかなと思ったりしてます。
やっぱりそういうふうな関わりをやっていると、その人の部屋が、
例えばそうだな、101号室はなんとかさんの部屋っていう感覚がすごくあって、
もしその時に人生の最後を迎えられてお別れをするっていう時に、
その時はやっぱり自分は悲しいんですけど悲しまないようにというか、
泣かないようにっていうのをすごく意識していましたね。
本当に悲しいのは家族であり、自分も親しくするとかすごく関係性ができてくる。
例えば1日8時間だったり、夜勤だったら17時間、その方とずっと一緒にいて、
下手すると本当に200日とか高級考えると250日とか一緒にいるので、
家族ではないですけれども近しい関係になって、
その人が亡くなった時ってすごく悲しいっていうところがあるんですけれども、
家族と一緒に泣いていても話は進まないので、ちゃんとご家族の思いを受け止めながら、
やっぱり亡くなった後に喪失感だったりとか家族が、
本当に自分たちは変な話、月に何十人って亡くなる病院にいたので、
そこはもうある意味慣れてしまっている感はありました。
でもその中でもやっぱりちゃんと家族が納得をいくような形で、
最後を迎えてもらうっていうのをすごく意識してましたね。
やっぱりその、もう本当にいろんなことがずっと流れていくんですよね。
息を引き取りましたって言った後に、それから例えば体をきれいにして、
葬儀屋さんにお花を送って、そのまま最後を迎えるっていう形で、
その後になるべくその時にいろいろこういう思い出ができたから良かったねっていうことをすごく意識してたのかなと思います。
なので、そこに関してはそういうふうなことをやった上で、
例えばその翌日ですよね。
送った翌日にそのお部屋っていうのがまだ何かその人の雰囲気っていうかですね、
誰かさんがいたお部屋だなーっていうことをすごく感じて、
それは多分物というより環境ですよね。
オケットの位置とかトイレの位置とかタンスの位置とか、
こういうところでこんな話をしたねーっていうことを思ったりすることがすごくあったので、
やっぱり人との関わりってすごく大事だし、
でもその中でそれを引きずらないというかちゃんと切り替えていくっていうのも意識したりしてですね、
ただその人のことをなるべく忘れないようにですね、
本当に自分も20何年間150床の病院の56床ぐらいの病棟で働いてましたので、
多分本当に何十万人っていう方と関わらせてもらって、
亡くなる方も多分何万人っていうことをカウントしてないんですけど、
それぐらいの方の財務を見とったのかなと思ってます。
その中でやっぱりその人が一番最後に自分に会えてよかったっていうのを目指したりしてたので、
それの反面やっぱりその相手への思いっていうのがすごくあったので、
本当に何もない部屋でもあの人がいたなあ、こんな思い出があるなあっていうのをすごく感じたなあって、
っていうのは何だろう、物があるからっていうよりはお部屋の中の雰囲気とかですよね。
そのベッドの位置、何だろうな、もう例えばベッドとかシーツとかマットとかも、
マットは新しいものに変えないんですけど、変えないに変えるか。
マットも交換とかしていろいろ変えたりするので、
シーツも新しいものに変えたりとか、あとはその枕とかもですね、新しいものに変えたりするんですけども、
そのベッドの頭の向きとか、お部屋に入る光の差し込み方とか、
あとは本当に変わらないもの、例えばエアコンのリモコンをここに絶対置いてよね、みたいなことを言っていたなあとか、
そんなちょっとしたことがその人の余韻っていう形で残るかなあと思ったりしてます。
でもいろんな人の思いだったり体験だったりを今自分が実際積み重ねて、
今自分がここにいるんだなあっていうのをすごく感じることができましたし、
なんかそういった、ある意味熊本さんが今悩んでいることというか、
自分の作品を作る過程で悩んでいることを聞かせていただいたおかげで、
やっぱり自分という人間を作っている一部の余韻は看護している仕事だし、
そこでいろんな思いでやってきて、時間をかけてやったことっていうのがやっぱり根付いているし、
その中で自分が一箇所に留まらないっていうことを決めた理由の一つは、
やっぱりそうやって、例えばうちの病院、自分が行った病院に来た患者さんが、
あなたみたいな人にもっと早く会ってたら私の人生は変わったのにと、
こうやってしっかり説明をしてくれる人がいなかったよとか、
そんなふうなことを私はあの時に選択していたのって、
なんでみんな説明してくれないのっていうことをすごく言ってたりとかですね。
これって多分説明されていると思うんですよね。
ただ、医療用語が多かったりとか、本人さんが本当に納得したふうに返事されることが多くて、
例えばこういう治療をしていきますね。
その過程でこういうことが、お薬を使うので何か副作用が起こるかもしれません。
その時にこういうことは注意してくださいねっていう説明をしていると思うんですけど、
それを医療用語でやってしまうと、多分一つ一つわからないことがあったら、
ああ、はいはいはいってなってしまいますよね。
例えば、自分の身近な友達とNFTとかですよね。
あとビットコインとかも最近ありますけど、
ああいうところの本当に横文字が多いやつとかになってくると、
もうわからなくても、ああ、はいはいはいって言っておけばいいかっていうのがすごくわかるので、