まず私、まきなんですけれども、
私は番組タイトルでもよく言っているんですが、
私は一般企業に勤めるワーキング、いわゆるワーキングマザーでして、
夫と娘2人の4人家族で日々、
夫とは戦いながら、子供達とも戦いながら、社会とも戦いながら、
夫とは仲良くなって、
令和を駆け抜けているワーキングマザーとなります。よろしくお願いします。
私、ないちゃんの方はですね、
このコラボが始まったきっかけも私がXで、
私を取材してくださいよっていうのを言ったっていうのがきっかけなんだけれども、
私はまきが会社員になっていた時に、
私は大学院進学をして、
社会科学系の研究を続けた結果、
今は社会科学系の研究所で研究者として働いているということです。
その間に特に博士課程の時には、
アメリカに留学してたってこともあったので、
その辺のお話を今回させていただければなと。
実はそんなにうちらのポッドキャストの中では話してなくて、
留学してたよーみたいなことは時々言ってるんですけど、
基本的にはパンツ食い込み問題とか、
そういう話しかしてないから。
基本的には。
でも、ちょっと最近やや真面目な話がちょっと多くて、
反省してて、さっきのね、
ポッドキャストやろうとした目的に立ち返って、
もう1回ちょっと最近起こってる、
巷のコミの周りの面白い話をしていかなきゃなって、
さっき本当に決意を改めたところだった、2人で。
ちょっと真面目すぎるよ。
ちょっと真面目に行きすぎてるよ。
おいおい。
おいおいっていうね。
あと私もちょっと自己紹介1つだけ追加すると、
私は今回なのでコラボさせてもらうのすごく嬉しくて、
なぜならば私が今月からですね、
もうアメリカに夫の海外婦人帯同という形で、
家族で一同でですね、行くっていうところで、
ちょっと阿部郷さんのお二方とは住むエリアは違うものの、
タイムゾーンが近いところにですね、
こんなつながりが持てるなんてもうすごく心強いと思って、
さっきもね、ちょっと紹介を、
私が住むエリアの人ちょっと紹介してください、
みたいなお願いとかもさせてもらったりとか、
めっちゃ頼りにしておりますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すいません。
よろしくお願いします。
頑張って情報を共有できるように。
そんなプレッシャーかけてないんで大丈夫。
今回は大ちゃんさんのアメリカ留学、大学院留学ですかね。
そうですね。
の話を僕とまきさんで伺っていきたいなというふうに思います。
伺っていきましょう。
実際ね、まきともちろん私が留学した時も、
まきとよく連絡はしてたんですけど、
この人本当不義なところがあって、
私が行ってた地域には一度も来ずに、
自分が行きたい地域に集合しようという提案をして、
来てないんですよ、この人。
なんかあんまり観光地のイメージがなかったし、
めっちゃ観光地だから。
そうなんだ。
みんな行きたい町よ、私のイメージね。
綺麗だから。
綺麗だし治安もいいしっていうのね、
行きたいところなんだけれども、
その知識がないあまりに。
ないんです、アメリカについて全然知らなくて、今もなんだけど。
だからなんか私はここに行きたいから、
苗ちゃん近いはずだよね、行こうねみたいな感じで、
でもその行った場所が、それこそサンフランシスコしかないLAなんですけど、
いや日本と遠距離みたいな、
私がいた地域からロサンゼルス、
日本からロサンゼルス遠距離だよって思いながら私は行きましたけどね。
遠距離なんだ。
そうだよ。
意外と遠いですよね、LAは。
そうなんですよ。
そうか、あの時だったね。
確かに確かに。
意外に私の細かい生活事情とか、
なんで行ったのかとか、
あんまり知らないっちゃ知らないよね。
まあまあまあそのキャリアアップというか、
のために行ったんだろうぐらいの。
キャリアアップってこう不確かな情報をね、
頼りにね、話してるから。
そうだよね。
でも本当詳細は知らないので、
ちょっとぜひ今日中村さんと一緒に深掘っていければという風に思います。
場所はどこだったんですか?
場所はボストンです。
おーいいっす。
なのでなんかね、アメリカに今まさに学部とかで留学されてる方とか、
就職の方もそうかもしれないですけど、
有名なところはボストンキャリアフォーラムとかじゃないですかね。
その就職を考えてる方、海外に脳学位を持ってっていう方は、
たぶん一度は来る場所なんじゃないかなって思うし、
まあアメリカが国として確立する過程の中でもすごく重要な地域で、
イギリスの人たちが最初に入ってきたエリアが、
ボストンの周辺だったっていうのもあって、
ちなみにサンフランシスコとは真逆というか、
本当にブリティッシュな建築が立ち並ぶエリアなので、
本当に一つの国じゃないんじゃないかっていうぐらい、
不思議な文化と独自の文化と空気感をまとってる地域なんですよ。
なるほど。
よくわかりました。
僕も一回ボストン1日だけ行ったことがあって。
本当ですか?
ボストンの南にウッツホールってあるじゃないですか。
はい、ありました。
あそこでちょっと研究してて。
でもなんかあれですよね、電車で移動できるし結構楽ですよね。
そうです、結構ボストンフットワーク軽く行けます。
ニューヨークも行こうと思ったらいけるし。
確かに確かに。
よく行ってました、ニューヨークも。
当時ニューヨークに私の幼馴染が駐在してて、
会社の駐在なんでめっちゃ家広いんですよ。
こっちは6畳1間の国。
だから週末のたびにワンドラーバスみたいなの乗って行って、
何十平米って部屋でめっちゃゴロゴロしてた。
いいね、いいね。
ニューヨークも近いしいいですよね、いろんな地域に近い。東海岸。
それはどういう形で、大学院でどういう感じで行ったんですか?
これがたぶんもしかすると、今までのアメホさんの話をエピソード聞いてるんですけど、
最も特殊かもしれないです、私の留学って。
なんでかっていうと、私PhDのキャンディデートの時に留学をしていて、約2年間なんですけど、
日本の制度で留学したんではなくて、
アメリカの大学側が設定している、何ていうの、
ビジティングフェロープログラムみたいな。
交換留学的な?
交換留学のようなプログラムがあって、そこに応募をして受かって、
資金的な援助もアメリカの大学からもらってるっていう形なんですよね。
なので結構特殊かなとは思います。
もしかしたらポスト区だとアメリカの大学からもらうと思うので、
月収とか、それに似てるのかもしれないんですけど、
それのキャンディデートバージョンみたいな感じですかね。
収支取ってから行ったって感じですか?
収支取って、PhDに上がって、だから学位は取ってないです、アメリカで。
それが不思議なところで、学位は取ってないんですけど、
PhDキャンディデートになった段階で、キャンディデート以上の人は募集できますよ。
キャンディデート以上、PhDを持ってない人がターゲット層なんですよ。
で、その人たちに、もうこっちに来て論文を書いてください。
お金渡すんでっていう、そういうプログラムで、
それで、PhDキャンディデートになる見込みがあるって時に応募をして通ったっていう。
2年って長いっすよね。結構、サマープログラムとかたくさんありますけど。
実質的に1年半で、なんですけど、帰国時期はちょっとずらしてもいいよってことなので、
私は1年10ヶ月ぐらいいたのかな。なので、約2年って話をしてるんですけど。
結構長いです。
そんなシステムがあるんですね。まだあるんですかね、今でも。
まだあります、まだあります。
で、そこがすごく面白いのが、皆さんのポストドクノのフェローシップはどうなってるのかよく分からないんですけど、
その私が利用したフェローシップっていうのは、1回そこに入ると、その大学のアラムニーに入れるんですよ。
大学ってか、資金を出しているところの、インスティチュートのアラムニーに入れて、
で、一生その、なんていうの、資格が得られるっていうんですか。
なるほど。1回、どういう感じなんですか。中退じゃないけど、何なんだ、経歴的に。
それで、私は経歴的には、キャンディデートになって、単位取得大学を執行して、その時点で、日本の大学に対しては。
それで留学をしたんですよ。
それで、1年半から2年、アメリカに滞在して、戻ってきて、戻ってきた後の1年間で博士論文を書いて、
家庭博士の枠の中で論文を出して、PhDをもらった、日本の大学からもらったっていう。
なんですけど、経歴的には、単位取得大学と博士号取得の間に、留学を約2年してるっていう、そういうことですね。
金がない。とにかく金がない。
それで、こういう私みたいな文系の、特に外国研究してる人の働き口の一つが、
要は政府のアルバイトなんですよね。
で、そういうところにうまく入れて、アルバイトとして働いてて、
なんですけど、先が見えないというか、そこにたまたまオーバードクターの方がいたんですよ。
同じ職務に。
要は博士号を取ってないけれども、博士家庭の中にはいて、
もうそろそろ家庭博士っていう、プロセスで取る博士号のギリギリの年次。
で、博士論文で2つ方法があって、家庭博士っていう、
家庭を経験した方がプラスに働いて最後論文出すパターンと、
論文博士っていう論博って言われるのがあって、
それは家庭を経ないんだけど、その論文が一級品。
だったらその論文だけでPHで上げますよって2つの制度があるんだよね。
で、家庭を逃してしまったら、もう論博しかないわけよ。
そしたら論文のクオリティを高めなきゃいけないのかなり。
それすごい難しい。だってそもそも家庭出すことないんだから。
そうだよね。
その瀬戸際にいるオーバードクターの人がいたのよね。
で、これ明日は我が身なんじゃないかって本当失礼ながらも思って、
で、やばい、これは頑張らねばならぬみたいな。
で、その時にちょうど研究室内というか、人間関係でもすごく悩んでいて、
それが研究の進むの一つの要因でもあったんですけど、
とにかく環境を変えたいと。
それで、私の研究の中での生き残り戦略を自分の中で考えた結果、
やっぱり外に出ることだって思ったんですよね。国外に。
いや、それで国外に出るのがすごいですよね。
本当ですか?
だって日本で移ろうって思いません?まず最初に。
でもそこはバックグラウンドがあるもんね。
そうだし、あと国内だとしがらみがあるじゃないですか。
国内に移っても、その人って、なんていうの、逃げてきた人だっていうレッテルが、
それもレッテル貼るのもどうかと思うんですけど、
レッテルが貼られちゃうし、アカデミックってすごい小さいから、
私が例えば飛び出たことによって、私も最初レッテルが貼られるし、
飛び出された方もレッテルが貼られるし、
そしたらその先生との関係とかって悪くなる一方じゃないですか。
でもその人も納得いく形で、私がこの環境から逃れる方法っていうのが、
その人の推薦ももらいつつ、どっか外に出ることだったんですよね。
なるほど。
それで留学ってのを探していて、もちろん大学って留学制度があるから、
学児とかに行って留学できませんかっていうの聞くんですけど、
基本的に大学がセッティングしてる留学って、学部生向けなんですよ。
で、PhD向けじゃないから、もうプロフェッショナルだから、PhDは。
で、そこで協定結んでるとか、なかなかなくって、
で、ダブルディグリーとかでもマスターはあるけど、PhDはないとか、
そういうのがあって、え、もう積んだと思って、
それをたまたまそのアルバイト先の職場でオーバードクターの人に、
なんか留学できないっすかね?みたいなことをペロって言ったら、その人が知ってたんですよ。
えー!
奇跡でしょ。
まさかの情報源。
自分がこいつになりたくないと思ってた人が情報源で、
で、こういうプログラムあるよって聞かれて、マジっすか?ってなって、
それで、そのプログラムを調べたんですよ。
一向に情報が出てこなくって、
そしたらたまたまその時は、立教大学かな?がネットに情報を上げてて、
あるってなって、で、自分の大学名、そのプログラムって入れたら、
ほんとになんかもう、HTMLのチャッチホームページの、
ぴかんぴかんぴかんってところに、ちっちゃーくだけ出てて、
誰が見つけんねん?みたいな。
それで見つけて、で、クリックして締め切りを見たら、2週間後だったんですよ。
で、これは出さなきゃと思って、出したっていう。
えー!
だから私も知らなくって、で、大学がまさか誰かが出してくると思ってなかったみたいで、
それおかしい話でしょ?
で、私が申請書持って行ったら、え、どうやって見つけました?って聞かれるっていう学生。
どういうこと?
でもその結果、私が行ったっていうこと、私が結果的にそれに通過して行ったことで、
うちの大学ではこういう制度があるんだっていうことが、みんなわかるようになってったんですよね。
それで、結構私が行った後とかも、そこから行きたいっていう子が、
メールをくれて、面接どうやってクリアしましたか?とか、
どういうふうに説明しましたか?とか、どういうリソースがある?って言いましたか?みたいな連絡は、
数人からはいただくようになって、
なんかそういう感じで、私もそのオーバードクターの先輩同様に広告党として、
今は機能させていただいているっていう。
でもそういう感じぐらいで本当に、
よく排出している大学があるんですよ、そこのプログラムに。
その大学はめっちゃ知ってる。
だけど、うちは、たぶん私がフェロープログラムでは一人目だったんだよね。
だから、うちの大学は知らない、みたいな。
そういう大学間格差みたいなのがあって。
なるほど、あんまりだってPR広めるメリットがないもんね。
ないないない。
だって枠が少なくなっちゃう、競争倍率高くなっちゃうし。
なるほど。
結構情報戦ですね、そこら辺はやっぱり。
情報戦ですね。
そうなんだ。
でも、文系の人文社会学系で、特に外国研究をやっている方々は、
もしかしたらめちゃくちゃいいプログラムかもしれないので、
気になった方は、35右左のGoogleフォームの質問に書いていただければ。
そういうのでもいいんですか?
別にいいよ。
優しい。
優しい。
個別にGメールで。
いいですよね、2年間もお金もらって海外でやれるって、でかいですよね。
しかもね、どこに資金があるのって感じなんですけど、めっちゃ金持ってるんですよ。
だから、その2年間の間にニューヨークトリップとか、ホワイトマウンテンのスキー旅行とか、
それもカバーされてたりとか、
あと、セーラムっていうボストンから近い地域、魔女とかがたくさんいた地域、
魔女とかそういう文化がある地域なんですけど、そこにショートトリップとか、
そういうネットワーキングをとにかくしてほしいっていうプログラムで、
そこに年、ビジティングフェローの枠が多分20、15から20ぐらいかな、全世界から来ていて、
スカーラーの先生たちもいるので、サバティカルとかで来てる。
総勢約50名から、家族入れたら100名ぐらいの母体なんですけど、
その人たちとコミュニケーションを取るっていう機会がすごいたくさんセッティングされていたり、
かつ、フィールドワークの費用も出たりとかして、申請すれば、通れば、
それがすごい充実してて、しかも私は今、そこのプログラムを卒業してる卒業生なんですけど、
そのプログラム内で知り合った人とコラボレートをするっていうのであれば、
リサーチグラウンド出しますよとか。
おー、すげーな。
グラウンドとリサーチグラウンドって何?
研究助成。
へー。
だからそこら辺の資金源がちょっとバグってる。
ねー。
だから1回入ったら、そこに入れるから、メリットはめちゃくちゃあるかなって思いますね。
だってこれからサバティカルに行くときの候補にもなってるもんね。
そうそうそうそう。
サバティカルでも、こっちでバジェットを持って行くから、
机だけっていうのだったらいつでも歓迎とは言われていて。
へー。
そうそうそう。
でも同じ地域に行くのも芸がないよなと思って考え中ではあるんですけど。
ぜひ西海岸に。
いや西海岸ね、そうなんです。考えてて、スタンフォードとかいいなと思っていて、
それも含めて、こないだサンフランシスコとLAに資料調査に行ったんですけど、
なんかね、やっぱり私、自分の経験母体がイギリスとかボストンにあるんで、
合わないんですよ、西海岸って。
合わないっすねー。
いやーわかります。たまわないっすね。
なんかもうオッケーみたいな、全部オールオッケーみたいなのが、合わないなと思って。
あとちょっと治安が悪いとかも、なんか。
そうっすかね。
いや悪いですよ。
悪いっすか。
そうか。
そう。
俺あんまり感じたことないですよね、治安が悪いって。
いやーだって、あのーめっちゃ臭いじゃないですか。
あー臭いっすね。
そうそうそう。いろいろ臭いじゃないですか。
いろいろ臭いっすね。
あーそれ無理だなー。
とか、あと。
匂い大事。
ワンブロックが大きすぎるとかね。
あー。
あー確かに。ニューヨーク結構。
だからこう、車持たないと無理ってことだよね。
でも車持ってないよ。
あれは車持ってないって言ってましたよね。
サンフランシスコはいらないっすね。
まあ地下鉄ありますもんね。
サンフランシスコは多分無くても行けます。
あったほうがそりゃいいと思いますけど、
まあ持っててもそんな使わないんで。
オーディションするときはレンタカーとかね。
レンタカー十分っすね。
なるほどね。
まあでもちょっと私がこう、なるべくいるところの近くに来てほしいなっていうことで。
それがちょっと今、基準に入っちゃってるんで。
私も確かに。
サバティカル候補地の。
いやなんかあれはそう、サバティカルで行きたかった地域はもちろん自分の対象国だったんですけど、
そこになかなか今入れないっていう治安上の問題があって。
で、そうなったときにもう候補地が全世界に広がったわけですよ。
で、それもまあなんやそれって感じなんですけど。
で、それで考えるときになんかこうもう絞る条件が欲しいみたいな。
逆に。
だから牧野近くってめっちゃ絞る条件。
急に来たみたいな。
そうそうそうそう。
めちゃめちゃ絞れますね。
そうそうそうそう。
まあなんですけど牧野もアメリカ国内でもしかしたら移動する可能性も実はあって、
なのでその最初の地域に私が合わせすぎちゃうと、
私が行くって決めるときに、あやっぱ移動になったとか言って、
他の地域に行っちゃったら、私一人飛び起こされるじゃないですか。
悲しい。
だからやっぱ私にもメリットがある、かつ近ければいいかなぐらいの範囲で探していこうかなと思うんですけど。
ね。
そうそうそうそう。
そうなんです。
楽しみに待ってます。
楽しみに待ってます。
なるほど。
じゃあもう政治なんですね。
そうなんです。
僕ももう最近政治すごい楽しいんですけど、YouTubeとかでよく聞いてて。
選挙があったからね。
最近すごいそれは、
最近すごい。
すごいビッグイベント。
そうか。
昨日まさにアメリカの選挙を振り返ろうみたいなポッドキャストを聞いてて、
私も結構今回アメリカの大統領選が結構自分事だったんで。
まあそう、移民とかもね。
そうそう。
やっぱりその現地の人たちがどうそれを受け止めているかとか、知っておいたほうがいいって、
なんかこう不要意な変なことでなんかこう炎上しても困るなと思ったんで、
その辺の温度感をちょっと今聞いてたら、やっぱ言ってたのが、バイデン派とトランプ派はもうマジで絶対交わらないみたいな。
バイデンと。
バイデンじゃない。
カミラさんと。
そうそう。
カミラさんみたいなね。
カミラさん。
ハリス。
ハリスさんだ。
カミラさん全然。
カミラさん誰?
誰?
カミラさん絶対どっかに居たんだよ。
まあいいよ、ハリスさん。
やっぱそういう感じですか?
なんかそのグループとこっちのグループは交わらないみたいな。
カルフォルニアも完全にハリス、ブルー、青ですね。
そうなんだ。
なので正直僕らは関係ないっちゃ関係ないんですけど、関係あるっちゃ関係あって、
まあ難しいところなんですけど、カルフォルニア時代はもう完全にハリス川ですね。
昔からもう歴史的に見てもずっと青色なんで、なんとも言えないんですけど。
ただ結構ニューヨークとかはやっぱ東側にいる人たちは赤だったり。
なるほど、そっちはそうなんですね。
私のエリア的にはトランプ派もそうだし、本当にハリス派両方いると思うので、
いつも寄稿してるエリアみたいな感じなんで。
そうそうそう、なるほどなるほど。
私は選挙嫌だったんですよ。
確かにね、日本もね。
世界的に見ても日本もそうだし、アメリカの選挙もそうだし、東南アジアもインドネシアの選挙があったり、インドの選挙があったり、選挙嫌だったんですよ今年は。
なので我が研究所は大忙しでした。
そうかそうか、いいことじゃないですか。
韓国やフランスもどうなるか分かんないんですよね。
そうなんですよ、改憲例がね、昨日出されて、6時間後に解除されましたけど、あれも夏ぐらいに野党側から改憲例が出るんじゃないかっていう、
陰謀論だと当時はみんな思ってたんですけど、まさか本当に出されるなんてってこともあったし、
そうなんですよね、クーデターもタイで起きたりバングラで起きたりしてるので、我が研究所は忙し。
来週私たち韓国行くんですけど、それに影響はないの?
ないない、もう解除されたから大丈夫。
それだけが心配でした。
やっぱり政治の研究って歴史をどんどん遡っていく感じなんですか?それかもうその今の政治を解釈するみたいな。
いろいろいるんですけど、歴史に遡っていく人はどっちかというと史学より歴史学になっていくので、
そういうメソッドを使うんですけど、政治学の研究っていうのは比較的現代のことをやることが多くて、
とはいえデータセットが少ないということもあるので、すごく歴史的に200年ぐらいの歴史を見て、
そこのデータセットのものを使って研究する人もいますが、多いのは本当に現代のことをやっている。
それこそ今のトランプ政権において、トランプ政権もそうだけども世界的に保守主義の傾向がすごく強くなっていて、
なんですけど、じゃあっていうことはつまり世論が保守主義を求めているのかっていうと、
そういうわけではないっていう選挙民の投票行動の研究とか、あと議会における議会制の研究とか、結構多岐に渡るんですよ。
それこそ政府状態、政府がそもそもいないアフリカ地域の研究、それをどうやってネーションビルディングしていこうとしているのかっていうのを見ていったり、
あと民族研究とか、例えば戦争によって同じ民族なのでそこに分断が生じてしまって国境ができてしまって、
同じ言語、民族文化なのに2つに分かれた地域を対象にした研究とか、結構多岐に渡るんですけど、
でも分からないですけど、理系の人よりもすごく生物を扱っている感じというか、
そうそうね、どんどん変わっていっちゃうものですもんね。
そういう現代の研究、私は特に現代の研究をしています。
面白いですね、それ僕すげえ興味あるな、その研究。
ありがたい。
ありがたいね、ナイちゃん。
この年になって政治が楽しいなというふうに思えてきて、
素晴らしい。
もうちょっと前から言っていれば、選挙とかどんどん参加できたのになと思いつつ。
それなんかうちらの昔のエピソードで話してて、どうしたらもっと政治にみんなが興味を持つかとか、
民主主義とかをもう少し軽くというかナチュラルに捉えられるかみたいなね。
そうそう。
なんかナイちゃんが言ってたよね。
バトル鉛筆の話ね。
バトル鉛筆とかあとゴミ箱みたいな。
ゴミ箱、そうそう。
要は政治って別に大きなことじゃなくてもよくって、
例えば法律の改正とかじゃなくて、
私個人の意見では選挙に行くだけが政治じゃないんですよ。
そのマインドセットが政治で、議論をするだけれども異なる意見も受け入れるっていう、
この議論とリスペクト、相手へのリスペクトを持つっていうのが民主主義の根幹だと私は思っていて、
その考え方をまず我々は醸成させていかなきゃいけないっていうので、
もちろん選挙に行って結果を見てワーッて喜ぶっていうのも一つ大事なんですけど、
それだけじゃなくて、じゃあ町内会のゴミ置きの設置場をどこにするかとか、
その話し合いとか、
あと小学校で私の時代よくあったバトル鉛筆みたいな遊ぶ遊戯みたいな、
遊ぶ文房具みたいなあるじゃないですか。
あれ知ってますか?
知らない。
知らない。
あ、出た。ジェネレーションギャップや。
ジェネレーションギャップや。
まるさん分かります?バトル鉛筆。
分かります分かります。
あーよかった。
でもジェネレーションギャップあるよね。
ジェネレーションギャップあるよね。
あ、転がして戦うやつか。
そうそうそうそう。
はいはいはい、ありましたね。
それを授業中に転がすから、なんか勉強の妨げになるみたいなのがあって、
例えばそれを学校に持ってきていいか良くないかみたいなのを子供に議論させる。
その結果、親としては、教員としては持ってきて欲しくないんですよ。
結論は決まってるんですよ。
でもその結論がない状態で議論させなきゃいけないとかね。
子供の創意によって持ってきていいっていう風になったら、
それを実現させるような、そういう議論の場の情勢が必要で、
そういうトレーニングを我々は小っちゃい時からしていかなきゃいけないよね、みたいな。
結構今まではガツンと持ってきちゃダメです。
みたいなのが多かったから、
それだとやっぱり民主主義の根幹の議論とリスペクトっていうところを学べないよねっていう。
そういうのを通して、そこで得たこれが政治の形なんか一つのやり方なんだよ、みたいなことを
先生が教えてくれたら、もうちょっとハードル低く政治に入れるよね、みたいな話をしてて。
確かに政治って子供からすると難しそうなイメージありますもんね。
難しいですよね。
税のこととか分かってなきゃいけないとか。
大人でもなんか130万の壁とかでも、ん?ってなるし。
ようやくお給料をもらって、税金が引かれてるっていうのを実感してからようやく、
加えてみんな英語を話そうと頑張るから、
拙い英語70%の英語でめちゃめちゃ意思疎通ができるんですよね。
その結果すごい仲良くなって、
その国で報告をしていたら理解されないような研究内容もすごく理解してくださって、
それだったらこういう人がいるよ、ああいう人がいるよっていう、
対象国でのネットワークがものすごく広がったんですね。
その結果、外国人としてその国でいろいろ研究調査するのってすごく難しい状況にあるんですけど、
だけども、同じアジア系だったっていうこともあったり、
そういうので、要はちょっと上の職に就いてるお偉いさんにインタビューさせてもらったりとか、
そういうことができて、それが論文になったっていうのは、
これは一番でかい成果だったなっていうふうに思います。
もう一つは、行く前までは、
さっきアメリカと日本でその対象国の研究のメソードが違うって話をしたんですけど、
ざっくり言うと、アメリカは量的な研究、
クォンティティティブな研究をしていて、
日本はクオリティティブ的な研究をしてたんですよね。
私はずっとクオリティティブのメソードを習ってきていて、
じゃあクォンティティティブもやっぱり知らなきゃいけないよねっていうので行ったと。
で、その時には、私のおごったちょっと考えもあって、
クオリティティブよりクォンティティブのがえらいみたいな、すごいえらいみたいな、
そういうイメージがあったんですよ。
で、日本は遅れてるみたいなね。
なんだけど、行っていろんな研究者と話して行ったら、
クオリティティブができない事情が、彼らにはあった。
例えば、言語的な障壁だったり、国境の障壁だったり、
で、まあ、西洋人の顔で中に入り込むのがすごく難しかったりだとか、
そういうディスアドバンテージも彼らにはあったりだとか、
で、逆に、その国からアメリカに留学して学位を取る人たちがいるんですよね。
でも、その人たちはもちろん、言語的な障壁も国境の障壁もないじゃないですか。
でも、アメリカでPHDステティスを出すためには、
自分の英語能力でクオリティティブなペーパーを書くのがすごい難しいんですよ。
で、その結果、どっちのアメリカのネイティブランゲージのスピーカーの人も留学生も、
どちらもクオリティティブに寄っていかなきゃ、PHDが取れないっていう、
そういうダサン的なクオリティティブなメソッドなんだっていう、
仕方があったみたいな。
そうそう、っていうことも、なんか、わかってきて、
で、その時に、もちろん一番いいのは、
その問いに適した方法を自分が自由自在に選べるっていうのが、
まず一つ重要なんですけど、
それだけじゃなくて、自分がこれまで学んできた、
この質的な調査っていうのが、すごく実は、
真似できない技法なんだっていうことにも気づけた。
っていうのが、2つ目の重要な成果だったかなっていうふうに思ってますね。
結構やっぱ、人と自分の今まで持ってたものの価値を知れたみたいな。
そうそうそうです、すごい。
でも、それってさ、ある意味、日本で育ってきて、
日本人として生まれた人が海外に行って、
日本の良さを再発見するみたいなのと同じ。
そうそうそうそう、似てる似てる。
想像的に同じだよね。
同じ同じ。
なるほど。
日本に行ったら、それが価値あるものって気づかないんだけども、
行った時に初めて、これって日本ができてるとか、
っていうのに気づけたりだとか、
だから、そういう日本由来のものを知っていて、
それを海外に持ってきる能力が自分にはついたなとも思えるしね。
あと、就活によりですよね。
まあ確かに。
アメリカの大学の名前がドンっていう授業あるだけで、
やっぱり人の目は変わります。
それはしょうがないと思う。
それは良かったなって。
DC1もDC2も落ちてるから、そういう面では一個武器を手に入れたなっていうところではありますかね。
じゃあ、文系で特に政治学に興味ある人は、ぜひDM送ってもらったら色々教えてもらえるし。
そうそうそうそう。
確かにそれ良いっすね。
保証はできない。受かるって保証はできないけど。
受かるって保証はできないけど、チャレンジするのは大切ですね。
そうそう、チャレンジするのはただなんでね。
アメリカンナイトゴールド
さっき友達とかできて、色んなところに旅行行ってたって話ですけど、
アメリカで一番楽しかったことって何があります?
楽しかったこと?
印象的なことみたいな。
さっきも言ったように、私が所属したインスティチュートが、めちゃくちゃイベント大好き集団みたいな感じだったんですよ。
病気集団みたいな。
事につけてイベントしたがるみんな。
誰が本気になるの?
最初の8月にみんな集合して、9月10月ぐらいはみんな行く?行かない?みたいなこういうのがあるんですけど、
その時にいっぱいイベントをインスティチュート側が提供してくれるんですよ。
ウェルカムパーティーとかなんとかパーティーとか。
組織だってやってるの?毎年のリズムでやってるんだね。
しかもそれが1年半から2年いるので、2年目の人と1年目の人が混在するわけですよ。
そうすると一気に爆発力が生まれるっていうか、2年目の人はもう慣れてるから、
もう初っ端からウェーイ!みたいな感じになってくれる。
それに引き連れて1年目の人もウェーイ!みたいな。
っていうのがあったんで、だからそれこそやっぱりハロウィンとか一番デカめ、
初っ端のデカめのパーティーがハロウィンで、しっこ玉飲んで。
強いもんね、ナイちゃんもね。
で、なんか楽しかったね。
そうなんだ。お二人もそんな感じでした?最初。
最初僕らも8月に来たんですけど、
僕らハロウィンあんまりこっちない。あんまり何か仮装してる人もいないし。
え?
いや、そうでもないよ。
市内にはありますけど、僕らが住んでるところ。
ああ、大学の。え、でも学部生とかパーティーしてません?
学部生いないんですよ。
サンフランシスコの市内に今年行ってみたんですけど、
そういうところで店とかの中でハロウィンパーティーしてたり、
で、僕の友達の学生の子も市内に行って、
30分くらいなんですけど、そこに行って、
なんかハロウィン仮装してちょっと楽しむみたいなのはありますね。
中村君には申し訳ないですけど、僕仮装して実験してました。
え、なんかめっちゃやってそう。
いるね、たまに。
僕ら働いてるビルディング違うんですけど、
ビルディングで結構温度差があるのかもしれないです。
僕のいるビルディングはそんな格好で実験できやんやろうって思うぐらいの人もいましたし、
あと、ボスがすごいえげつないフェイスペイントしてて、
この日僕ワンオンワンだったんですけど、
この顔見ながらやるのって思った。
確かに。
めっちゃいいですね。
真面目にできないみたいな。
ボスからそんなやってくれるとか超最高。
そうですね、ただ元データが全然分からなくて、
確かに。
分かんない向こうのやつは。
アメリカのライトドベルみたいなやつで。
知らんからね。
それは分かんないよ。
でもなんか日本のアニメとかそれこそめっちゃ人気だから、
なんかすごいそういうところで、
ハロウィンは日本人はなんかこうアドバンテージというか優位性、
なんか目立てそうな感じがするけど。
でもなんかこう今年1年流行ったアジア系みたいなのをみんな考えるらしいって言うけどね。
あ、そうなんだ。
今年は将軍かみたいな、将軍の格好するかみたいなのを考えるとかって言うけどね。
でも私のインスピレーションというのは日本人だけじゃなかったから、
なんかその仮装をしてるっていう感じはなかったけど、
パンプキンカービングとかを削ってそれをトトロにしたりとか。
かわいい。
そうそうそう。
だからそういうのをやったりとかだったね。
だからそういうのがなんか楽しかったかな。
で、なんかもうそういう子たちと仲良くなるんで、