今週もよろしくお願いします。
改めましてNAKAMURAです。それでは今回のゲストも伊藤さんです。よろしくお願いします。
じゃあ改めて、伊藤さんは東大のD地を出てそのまま就職し、その後に社会人でソニーに就職して、その後にUCサンタバーバラに博士課程に行ったんですよね。
その後、今はアプライズマテリアルという会社で働いていらっしゃると。
実際、この終始から社会人に行ったわけじゃないですか。日本で博士課程に行かなかった理由とかなんかあるんですか。
はい、当時はですね、かなり悩みましたけども、私の同時の指導教官の方もかなり勧めてくださって、
当時就活で面接を解禁するのが4月なんですけど、ちょうど当時、ワクチンの申請を出すのも5月とかだったんですよね。
ちょうど会社から内定が出て、ワクチンを出すかどうか考えたりしてしたんですけども、
そのネガティブな面を見ていますと、やっぱり日本で博士課程を取ることには不安がありましたよね。
それはどういう不安ですか。
不安としてはですね、就活をしている中で、博士課の方もたまに会社説明会に行ってくださるんですけど、あまりポジティブなことを言ってくださらなかったんですよね。
電気系の先生、教授ではなくて、先輩社員という方が登壇したんですけど、絶対あまり良いことはなかったですという方が参議院に帰って。
ああ、そうなんだ。やべえ、オーラ通っちゃった。
いやいやいや、今はもうちょっと変わってると思う。
え、今は?
僕多分、伊藤さんが就職活動されたぐらいに、同時期に多分僕も就職活動していて、
僕の分野、生物学とか製薬とかの分野だと、長い目を見ると博士課を持ってた方がいいよっていう論調の方が、研究職に関しては当時は結構多かった印象なんですけど、業界の違いなんですか?
業界の違いもあると思います。やっぱり工学ってまずエンジニアンとか、普通にメーカーに就職したいなとか、確かに博士を重視する会社は何個かあります。
例えば、多分日立さんとかですね、博士がたくさんいらっしゃる中央研究所であったりとかですね、そういう場所にもし狙うとか、そこしか行かないと決めているならば、博士学校があったことに越したことはないと思うんですけど、そうではなくてもっとより広くいたりとか、当時の空気って言いますかね、雰囲気ってなかなか耐えにくいんですけど、
博士は行かないんですよねっていうのは、かなり一般的な我々の専攻の意見で、当時の例えば一つ上の学年はですね、博士進学を決めたのは一人、50人中一人。
東大生ですか?そうなんだ、少ないな。
はい、そうです。我々のところはそうで。
枠も狭いんですか?
枠は狭くないといいと思います。
そうなんだ、単純に。
単純に来る人はいない。我々の学年は2名か3名だったと思う。
まあ確かに、僕もそのイメージはありますね。博士行くと就職の不利になってしまうような雰囲気があるっていうのは。
やっぱりその終始で就活をしている段階でも、やっぱり博士まで出ると問いづらいというふうに当時は言われていました。
もちろん私が就活する時期からはもう12年以上経っているので、今はどうなのかは分かりますけれども。
だけど大企業ですね。ソニーに入って大企業で。
ちょっと大企業なんですけど、僕が入った頃、実はですね、経営機器の時で、なんと同期が100人ちょっとだったんですよ。
少ないな。
同期が100人ちょっとで、半導体部署に入ったのが12人。本当に少なかったんですよ。
だから今、半導体部署だけで100人以上入るんですけど、10倍くらい違います。
じゃあ今日狭くもんだったんですかね。
分かりません。それは絶対ソニーに行かないよっていうのは、私と同級生の意見でした。行きませんっていう。
だけど行っちゃったわけですよね。
半導体やるのはソニーと東芝しかないんですよね。同期たちがパワー半導体をやっていたりとか。
なのでパワー半導体ではないのは、ソニーのイメージセンサーと東芝のストレージだったんですよ。
当時本当にそれくらいしか半導体をやる選択肢はない。
そこで3年働かれて、急に海外大学に行こうと思ったんですか。
急ではないけど。
なんかありますよね。家庭が。
それも日本で博士があって行かなかったことにもちょっと関連するんですけど、
終始1年生ぐらいの時にそこで初めて海外大学院という選択肢があったことを知ったんですよね。
皆さんもご存知の米国大学生学院会が主催する毎年各休出とかで、大学院進学説明会に一回出てみて、
本当にたまたま東大工学部2号館歩いてたらなんかポスターがあって、面白そうと思って行ったら衝撃的なこと。
衝撃というか、博士生を取るのに従業料を払わないといけないと思ってたんですけど。
でも実は海外では給料をもらって従業料をもともと取りません。
取った後にもキャリアが結構広がるっていうのは、私が当時日本で思った博士生に対するイメージとは結構逆だったので、
博士生を取るならキャリアの可能性が広がるし、経済的な心配がないのが一番地面の手はやっぱり必要だったと思います。
確かにそうです。いまだに多分そうです。残念ながら。
例えば目の前に立つ道があって、3年間20万円をもらうか、または会社に入って、
今は高いと思うんですけど、私のときは1年目400万円、2年目から600万円以上。
しかも、博士生の審査で伸びたりとか、論文が出なかったり、そういう心配もない状況。
あとはですね、社会人経験で見られてると思ってたんですよね。
28歳で就活するときに社会人経験があるかどうか、まだなかったら道が狭くなるかなと思っていて。
逆に3年間働いて、それでまだ博士に行けば、博士で出てきたときには博士以降プラス3年間の勤務経験ですね、社会人経験がある。
それで強いではないかと。もちろん年は余分とおりますけど。
そこまで考えてたんですね。
いや、かなり考えますね。
戦略だろ。
やっぱりゲームでそういうやっちゃってるから。
そうですね。
戦略だけど。
シミュレーションゲームよくやってたので、その先行った軍隊を指揮して立ったり。
自分はよく思考回路としてはそういうシミュレーションをよくします。
なので土台をしっかり作ることか、チャレンジすることへの厳選になると思っていて。
ゲームで自分のベースみたいなところの守りをしっかりしないといけないんですよね。
すげえな。いいこと聞いたな。
ゲームを応用してる人は言いたくないから。
かなりキャリアプランとしては、私も三国志のゲームをよくやってるんですけど、
キャリアプランも三国志を元にしてるところが多くて。
誰を元にしてるんですか?僕は三国志が好きなんですけど。
諸葛亮ってみんな知ってると思うんですけど。
三国志って言っても、小説の三国志演技と元の著者真珠が書いた三国志、本来の歴史みたいな。
本来の歴史の中で諸葛亮が、劉備が死んだ後に、一回目の議員に対する戦争を起こした時に、
かなり緻密な戦略があって。
一つは、本体は自分が率いた有力部署が一番安全なルートを進んでいて、
その囮というか、レコイとなっているのが張軍という有名な部署なんだけど、もとし取って。
張軍はレコイとなって、議の主力の総使を引き付けていて、本体は一番安全ルートの基山から進んで、
それで相手に取って奇襲になって、最初の方は結構勝ったんですけど、
後に震災部族が響いて、山に登った場所と、
援軍に来る別のルートの議の部署を止めきれなかった。
安全ルートを確保した上で、別のどこから将棋を見出すのが、いろんな場面で私が使っているところです。
そこから企業で勤めながら、いろんなところにアプライしていって、
結局、ユニバースティック・カルフォルニア、サンタバーバラというところにしたんですよね。
選んだんですね。いくつかって。
よく言われるのが、10個出すみたいな。
私は社会人だったので、留年とか浪人する必要はないので、何回でもやればいいと思って絞って出したんですよ。
後から考えるとミスがあるんですけど、欲求が出てですね。
アメリカのトップ大学と有名な大学って、電気工学とコンピュータサイエンスってくっついてるんですよね。
そういうケースが多くて。
MITだとEECS、電気工学&コンピュータサイエンス。
それはUC Berkeleyも同じで、EECSなんですよね。
他のところになると、やっぱり似ていて、UCLAだとECEって電気工学とコンピュータエンジニア工学っていう。
有名大学ばかり出して、勝負しにいくんですけど、先行でミスをしてると思いました。
そうですね。かなり出願の時も、受かったら出たら行くっていうところだけ出したので。
それで実はかなり運が良かったっていうところなんですけど、
私の指導教官、当時死亡だしたんですけど全然寝なくなくてですね。
当時は大学院受験で12月締め切りで、翌4月とかまでじゃないですか、通知を送るの。
4月になっても何も落とされなくてですね。
なめもとでもう一回メールを送って、アドミニストレーションの人に送って、
せめて不法学数字だけでも送ってくださいって送ったんですよ。
そしたら指導教官が立て込んでて連絡できなかったけど、
最近すごいデカい予算が取れたから、PG一人取ることにしたよっていうのがあって。
ギリギリギロチンが落ちてくる直前くらいで、あれ?生き返ったみたいな。
でもタイミングバッチしてたんですね。
そうですね。
リマインドのタイミングもバッチしてたんですね。
リマインドはやっぱりアメリカでゆたるところに必要だなって、当時は知らなかったんですけど。
リマインド&リマインドですね。
確かにその通りですね。
そうなんだ。じゃあ結構大学生活、研究とか生活もそうですけど、
大学院生として過ごされた日常は結構楽しかったですか?
かなり研究に集中できたのはすごくいいというか、やっぱり設備が充実していて、
大学の中でもアメリカでもトップの設備を持っていたので、やりたいことに関してはほぼ何でもできたっていうのは。
すげえな。
あとキャンバスのすぐそばに海があるので、うまくいかないなと思ったら建物の外に出たら海の景色を眺めていればすげえ回復します。
やっぱり同僚とかもパーティーピーポーみたいな海で遊んじゃうぜみたいな人もいたんですか?
後輩にはいたんですよ。後輩にはいるんですけど、私の時は割と真面目な人多くて。
先輩とかも、自分は一つの部屋に3、4人くらい入るんですけど、
同じ研究デーマーをしている2個ぶりの先輩ともう一人ポスト部なんですけど、かなり狂ったように働いてたんですよね。
珍しいな。
夜中2時とかに作業をしているともう一人入ってきて、アークモーニングとか言って。
やべえな。
それはブラックだったのか、それとも勝手にブラックにしてたのか?
見方によると思うんですけど、肌から見れば完全にブラックだと思いますよ。
勝手にやってたんですね、多分学生とかポスト部。
勝手にやってというか、当時はやっぱりこのテーマはかなり熱いというか、競争が激しいんですよね。
なるほど。早く終わらないと。
どんどん実験をやらないと他にやられるみたいな雰囲気もありましたし、逆にどんどんやればどんどん結果が出てくるみたいなと。
楽しいですね。
波に乗った時期なんかは、僕が2018年、19年あたりなんですよ。
あと博士の試験があって、一番最初の官網の試験で、そこが結構重要なんですよね。
落ちると、一番最悪の場合はボントン無用で退学なんですけど、それは絶対に避けたいからかなり入念に準備しましたし、
でもそれが終わった瞬間にCOVIDが来たんですよね。
終わったのが2020年の2月なんですけど。
そうか、じゃあタイミングいいですね。
それに何度か終わらせたら、もう何もできないってなって。
そうか、逆に何もできなくなるんですね。
どうなんですか?アメリカでのCOVIDってガチ何もできないんですか?家でずっと退勤みたいな。
多分それ週に結構やるかと思いますけど、やっぱりカリフォルニア州は青い州なんで、シャットダウンじゃないんですけど。
なんて言いましたっけ?
ロックダウンだったんですか。
ロックダウンの次はカーフェイで、夜歩いてると警察が帰るみたいなことが、そういう時期もありましたし。
大学も受験室とかは1部屋あたり1人までとか、宿泊整理したりとかですね。
一番きついマスク、ガチガチのマスクをしないといけない時期があったりですし。
そういうのが1年くらいあったんですよ。
ウニとマエが多分一番楽しかったですかね。
そうですね。俺が研究増し増しみたいな感じですね。
研究以外で何か楽しかったことってあります?
研究しかしてないかもしれないですけど。
うまい食べ物とか、サンタバーバラ行ったら何かここ行けみたいな。
皆さんが言うにはウニがうまいんですよね。
ウニが港で採れるので、そこら辺で採って入っていかないし、あまり高くないとか。
新鮮なウニが食えるらしいんですけど、ウニは嫌いで食べてないです。
ウニこっちで食べたことないな、そう考えると。
もしサンタバーバラに行くことがありましたら、ぜひウニを試したほうがいいですね。
観光とかもあるんですか、サンタバーバラって。
観光はかなり盛んですね。
海だったり博物館とか、町自体が綺麗なんで、何ターン行くだけでも楽しめますね。
安全ですか、結構。
安全です、安全です。
そうなんですね。
何も心配する必要はないくらいかな。
元から人が少ないんですよね。
小さな町なんで、アメリカによく大都市は結構危なくて、
小さい町とか行くと大丈夫ですよね。
PHDキャンディデートになって、COVIDになって、時系列であってますか、まず。
そうですね、まずプレリミではキャンディデートにならずに、
まず第一関門でしたね。
キャンディデートになるっていうのは、論文があって、さらに近畿理学も、
はっきりして言えばキャンディデートの試験、こと試験なんですけど、通れます。
なのでキャンディデートの試験は残念ながらZoomで終わりましたね。
そこから実際にPHDを獲得されるまで、COVID関連だったり、それ以外の研究関連で、
かなり苦労したこととかあったりもするんですか。
そうですね、やっぱりCOVIDがもたらした一番大きな影響は、
実験自体というよりは、タイミングがすごく悪い方に重なったということですかね。
2021年とか、COVIDまだ最中なんですけど、そこで新しい装置を入れることになったんですよね。
そこでかなりいろんな混乱があって、まず脳筋が伸びるとは一番で、
本来3ヶ月かかるものがいれば、6ヶ月とか、また次も3ヶ月起こります。
そこでかなり時間を使われた。
さらに新しい装置を手配してもらったんですけど、
それも手配ミスがありまして、
2030年代の空港に着いたんですけど、
そこから運んでくるトラックは普通のトラックで来ちゃったみたいで、
本来は面芯構造がある揺らさないトラックを手配してもらうはずなんですけど、
普通のトラックはガガガガガガッて揺らしてきて。
着いた頃には固定用のボルトすらも引きちぎってたんですよね。
すげえな。あんまりいかなかったなあ。
新しい装置なので、壊れた状態で届いて、
そんなのあるなあ。
壊れた状態で届いたので、それを直すことから始めましたね。
COVID明けで混乱続きっていう感じなんですね。
そうですね。混乱続いて、しかも在宅勤務だったり、わけわかんないまま仕事してたりしてると思ってるので、
届いた部品もサイズが違って、入れ直しっていうことも結構多くありましたし、
会社がドイツの会社だったので、組み立てて終わった頃にまたロシア戦争が始まって、そこもまた混乱が重なってですね。
なるほど。
ドイツの会社から部品が全然、あとネジ一つがないから組み立てられませんとか言われて、
そこもかなりの遅延を食らいました。
その装置を使う研究自体は、PhDを取得するにあたって、かなり重要なパートを占めてたんですか?
かなり、というか、PhDそのものぐらいの勢いだったので、それをどうしても完成させないといけないというのが当時のプレッシャーにもなったんです。
それが前半でも紹介していただいた分子栓APタキシー。
そうですね。それをまず古いものを解体して、古いものは30年前週、1920年。
そいつを解体して、新しいものを入れて組み立ててですね。
組み立てし修理とかもしながら、かなり大きなプロジェクトで、全部半年、1年ぐらいかかりましたね。
で、また新しい装置になると、古い装置で使われていた化粧の条件というのは、セーマーフ条件。
古い装置で使ってコミュニションは使えなくなるので、またそれを一から始めるという立ち上げを始めることになりました。
大変だな。
逆にそれは、今までは誰かがすでに手法を確立されていて、それを助手でもらえば大体使えるというのは普通だったんですけど、
一から立ち上げて、その条件も全部自分で出したのが、多分一つの研究室で一人か二人しかできないことだと思う。
それぐらい多分貴重な経験ではあったと思います。
ある意味、装置の使い方を立ち上げるという、新しく立ち上げるという意味で、かなり貴重な経験ということですかね。
そうですね。やっぱり滅多に買わない装置なので、新しい装置も非常に貴重だったと思います。
そういう装置っていくらぐらいするんですか?
大体1億円ぐらい。
壊せないですね。
壊された状態で届いたんですけど。
確かに確かに。
でもそれでPhDにおいて重要なウェイトを占めているその装置が壊れてきて、
さらにそこから遅延遅延ってなっていくとなると部品が来ないとか、
その時の心持ちって精神状態ってどんな感じだったんですか。
精神状態はやっぱり気持ちの切り替えはやっぱり大事で、
研究に関しては私はそんなに焦る方ではないというか、
研究自体を楽しむスタンスなんですよね。
どうしてもこれを達成しないといけないというプレッシャーは私にはなくて、
研究していることが楽しいので、装置が立ち上がらなくても、
データ自体はあるし、サンプル自体も昔からあるので、
それを使った解析とか、あるいは基本的な理論計算といいますか、
基本的な理論計算も必要なので、そういう別の研究もできるので、
それもまた待っている時間といいますか、
地球ができない時間をめぐる他のことをやるというのは、
PHD自体を楽しむことの一つかなと思っていますね。
それを楽しめるメンタリティがすごいですね。
確かに研究室の雰囲気といいますか、方針にもよると思いますね。