2025-11-28 46:33

#79諸葛亮プロAppleインタビュー失敗師の教え?負けても大丈夫な歩き方【UJA論文賞2025受賞 伊藤さん 後編】

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2025年11月のアメゴーは「UJA論文賞コラボ」の1ヶ月。海外日本人研究者ネットワーク(UJA) が企画する「UJA論文賞」(@uja_award)に関連したゲストをお迎えします。


第4週目も、UJA論文賞2025で特別賞を受賞された「伊藤剛輝さん」(https://sites.google.com/prod/view/takeki-itoh/home

)をお招きし、社会人からのアメリカ大学院進学や、アメリカでの半導体産業への就職のお話しを伺いました。


受賞研究の詳細はこちら


UJA論文賞【2025/11/30〆切】

https://cheironinitiative.wixsite.com/uja-award


UJA

https://www.uja-info.org/


https://www.linkedin.com/in/takeki-itoh/


🗽トピック🗽 

日本で博士号を取得しなかった理由/三国志やシミュレーションゲームの思考/UCサンタバーバラ/リマインドで勝ち取る合格/狂ったように働く研究室/装置が来ない!/アメリカでの就職を目指して/コロナバブル後の就職活動/現在の会社への入社とAppleの面接不合格x6/伊藤さんの人生戦略


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

サマリー

このエピソードでは、伊藤さんがアメリカの大学で博士課程に進むまでの経緯や戦略的なキャリアプランについて話しています。また、三国志の諸葛亮の戦略を引き合いに、自己のキャリアにおける決断や挑戦の重要性を強調しています。伊藤さんはUCサンタバーバラでの経験や、COVID-19が研究に与えた影響についても触れています。さらに、出願や大学生活の中での出会いや試練についても語っています。伊藤さんはアメリカでの博士号取得後、半導体業界での経験を積んでおり、Appleのような企業との面接での苦労や文化の違いについても考察を共有しています。このエピソードでは、諸葛亮の教えに触れながら、負けても大丈夫なキャリアの築き方やAppleインタビューでの経験について議論が行われています。

留学への道のり
アメリカンナイトGOLD。 アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。この番組ではアメリカ研究留学4年目を迎えた
私、NAKAMURAがゲストとお話ししながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、沖のあなたにおすわけすることを目指しています。
あの最近11月が始まって、11月とかなんか12月前半って僕のボスが結構学会に行くんですね。
まあすなわち、僕らは副議員になるわけですよ。
サボれるってことでいいですか? サボれるって言ってしまい、まあ
プレッシャーがね、ちょっと少なくなると言いますか、まあそういうことでこの前ちょっと金曜日にですね
お昼ご飯をちょっと外に食べに行ったんですね。 ちょっと遠めのジャパンダウンの近くのところのそばかつっていうそば屋さんに行ったんですけど
前にゲストに出てくれた福永君とかとも一緒に行ったことあるんですけど、開店の11時ぐらいに行くと
1時間半ぐらい並ばないといけないんですよね。 食うまでに。それがちょっときっついなってことで今回平日の2時とかに行ってみたんですよ。
お昼ご飯をちょっと過ぎた後に。そしたら全然人が、まあ並んでましたけど30分ぐらいで入れて、そのそばが結構
美味しくて多分10割そばなんですよね。 10割そばでざるそばとかかけそばとかいろいろ選べるんですけど
今までかけそば、ざるそば、鴨南蛮、3回行ったことあるんですけど、一応全部食べて、全部やっぱそば美味しいんですよね。
つゆがまず美味しいっていうのと、あと天ぷらがすごい美味しくて。 ちょっと変わってんのがエビかき揚げ頼むんですけど毎回。
エビだけじゃなくて、ホタテとか入ってるんですよね。 ホタテが入ってるかけ揚げってあんま日本でも見たことないなと思って。
それがすごい美味しい店で、価格も結構リーズナブルなんで、サンフランシスコ来て日本食が恋しくなったらそこに昼ちょっと過ぎた後ぐらいに行ってみたらいいかなというふうに思いました。
あとトシコそばもやってるみたいなんで、ちょっとチャレンジもありだなというふうに思っています。
こんな感じで、11月のアメ号はUJA論文賞コラボ。 私も所属する海外日本人研究者ネットワークUJAが企画するUJA論文賞に関連したゲストをお迎えする1ヶ月です。
4週目は昨年UJA論文賞を受賞された嬢さんをお迎えして、社会人からアメリカ大学院留学への転身について伺います。
博士課程の選択
今週もよろしくお願いします。
改めましてNAKAMURAです。それでは今回のゲストも伊藤さんです。よろしくお願いします。
じゃあ改めて、伊藤さんは東大のD地を出てそのまま就職し、その後に社会人でソニーに就職して、その後にUCサンタバーバラに博士課程に行ったんですよね。
その後、今はアプライズマテリアルという会社で働いていらっしゃると。
実際、この終始から社会人に行ったわけじゃないですか。日本で博士課程に行かなかった理由とかなんかあるんですか。
はい、当時はですね、かなり悩みましたけども、私の同時の指導教官の方もかなり勧めてくださって、
当時就活で面接を解禁するのが4月なんですけど、ちょうど当時、ワクチンの申請を出すのも5月とかだったんですよね。
ちょうど会社から内定が出て、ワクチンを出すかどうか考えたりしてしたんですけども、
そのネガティブな面を見ていますと、やっぱり日本で博士課程を取ることには不安がありましたよね。
それはどういう不安ですか。
不安としてはですね、就活をしている中で、博士課の方もたまに会社説明会に行ってくださるんですけど、あまりポジティブなことを言ってくださらなかったんですよね。
電気系の先生、教授ではなくて、先輩社員という方が登壇したんですけど、絶対あまり良いことはなかったですという方が参議院に帰って。
ああ、そうなんだ。やべえ、オーラ通っちゃった。
いやいやいや、今はもうちょっと変わってると思う。
え、今は?
僕多分、伊藤さんが就職活動されたぐらいに、同時期に多分僕も就職活動していて、
僕の分野、生物学とか製薬とかの分野だと、長い目を見ると博士課を持ってた方がいいよっていう論調の方が、研究職に関しては当時は結構多かった印象なんですけど、業界の違いなんですか?
業界の違いもあると思います。やっぱり工学ってまずエンジニアンとか、普通にメーカーに就職したいなとか、確かに博士を重視する会社は何個かあります。
例えば、多分日立さんとかですね、博士がたくさんいらっしゃる中央研究所であったりとかですね、そういう場所にもし狙うとか、そこしか行かないと決めているならば、博士学校があったことに越したことはないと思うんですけど、そうではなくてもっとより広くいたりとか、当時の空気って言いますかね、雰囲気ってなかなか耐えにくいんですけど、
博士は行かないんですよねっていうのは、かなり一般的な我々の専攻の意見で、当時の例えば一つ上の学年はですね、博士進学を決めたのは一人、50人中一人。
東大生ですか?そうなんだ、少ないな。
はい、そうです。我々のところはそうで。
枠も狭いんですか?
枠は狭くないといいと思います。
そうなんだ、単純に。
単純に来る人はいない。我々の学年は2名か3名だったと思う。
まあ確かに、僕もそのイメージはありますね。博士行くと就職の不利になってしまうような雰囲気があるっていうのは。
やっぱりその終始で就活をしている段階でも、やっぱり博士まで出ると問いづらいというふうに当時は言われていました。
もちろん私が就活する時期からはもう12年以上経っているので、今はどうなのかは分かりますけれども。
だけど大企業ですね。ソニーに入って大企業で。
ちょっと大企業なんですけど、僕が入った頃、実はですね、経営機器の時で、なんと同期が100人ちょっとだったんですよ。
少ないな。
同期が100人ちょっとで、半導体部署に入ったのが12人。本当に少なかったんですよ。
だから今、半導体部署だけで100人以上入るんですけど、10倍くらい違います。
じゃあ今日狭くもんだったんですかね。
分かりません。それは絶対ソニーに行かないよっていうのは、私と同級生の意見でした。行きませんっていう。
だけど行っちゃったわけですよね。
半導体やるのはソニーと東芝しかないんですよね。同期たちがパワー半導体をやっていたりとか。
なのでパワー半導体ではないのは、ソニーのイメージセンサーと東芝のストレージだったんですよ。
当時本当にそれくらいしか半導体をやる選択肢はない。
そこで3年働かれて、急に海外大学に行こうと思ったんですか。
急ではないけど。
なんかありますよね。家庭が。
それも日本で博士があって行かなかったことにもちょっと関連するんですけど、
終始1年生ぐらいの時にそこで初めて海外大学院という選択肢があったことを知ったんですよね。
皆さんもご存知の米国大学生学院会が主催する毎年各休出とかで、大学院進学説明会に一回出てみて、
本当にたまたま東大工学部2号館歩いてたらなんかポスターがあって、面白そうと思って行ったら衝撃的なこと。
衝撃というか、博士生を取るのに従業料を払わないといけないと思ってたんですけど。
でも実は海外では給料をもらって従業料をもともと取りません。
取った後にもキャリアが結構広がるっていうのは、私が当時日本で思った博士生に対するイメージとは結構逆だったので、
博士生を取るならキャリアの可能性が広がるし、経済的な心配がないのが一番地面の手はやっぱり必要だったと思います。
確かにそうです。いまだに多分そうです。残念ながら。
例えば目の前に立つ道があって、3年間20万円をもらうか、または会社に入って、
今は高いと思うんですけど、私のときは1年目400万円、2年目から600万円以上。
しかも、博士生の審査で伸びたりとか、論文が出なかったり、そういう心配もない状況。
あとはですね、社会人経験で見られてると思ってたんですよね。
28歳で就活するときに社会人経験があるかどうか、まだなかったら道が狭くなるかなと思っていて。
逆に3年間働いて、それでまだ博士に行けば、博士で出てきたときには博士以降プラス3年間の勤務経験ですね、社会人経験がある。
戦略的アプローチ
それで強いではないかと。もちろん年は余分とおりますけど。
そこまで考えてたんですね。
いや、かなり考えますね。
戦略だろ。
やっぱりゲームでそういうやっちゃってるから。
そうですね。
戦略だけど。
シミュレーションゲームよくやってたので、その先行った軍隊を指揮して立ったり。
自分はよく思考回路としてはそういうシミュレーションをよくします。
なので土台をしっかり作ることか、チャレンジすることへの厳選になると思っていて。
ゲームで自分のベースみたいなところの守りをしっかりしないといけないんですよね。
すげえな。いいこと聞いたな。
ゲームを応用してる人は言いたくないから。
かなりキャリアプランとしては、私も三国志のゲームをよくやってるんですけど、
キャリアプランも三国志を元にしてるところが多くて。
誰を元にしてるんですか?僕は三国志が好きなんですけど。
諸葛亮ってみんな知ってると思うんですけど。
三国志って言っても、小説の三国志演技と元の著者真珠が書いた三国志、本来の歴史みたいな。
本来の歴史の中で諸葛亮が、劉備が死んだ後に、一回目の議員に対する戦争を起こした時に、
かなり緻密な戦略があって。
一つは、本体は自分が率いた有力部署が一番安全なルートを進んでいて、
その囮というか、レコイとなっているのが張軍という有名な部署なんだけど、もとし取って。
張軍はレコイとなって、議の主力の総使を引き付けていて、本体は一番安全ルートの基山から進んで、
それで相手に取って奇襲になって、最初の方は結構勝ったんですけど、
後に震災部族が響いて、山に登った場所と、
援軍に来る別のルートの議の部署を止めきれなかった。
安全ルートを確保した上で、別のどこから将棋を見出すのが、いろんな場面で私が使っているところです。
そこから企業で勤めながら、いろんなところにアプライしていって、
結局、ユニバースティック・カルフォルニア、サンタバーバラというところにしたんですよね。
選んだんですね。いくつかって。
よく言われるのが、10個出すみたいな。
私は社会人だったので、留年とか浪人する必要はないので、何回でもやればいいと思って絞って出したんですよ。
後から考えるとミスがあるんですけど、欲求が出てですね。
アメリカのトップ大学と有名な大学って、電気工学とコンピュータサイエンスってくっついてるんですよね。
そういうケースが多くて。
MITだとEECS、電気工学&コンピュータサイエンス。
それはUC Berkeleyも同じで、EECSなんですよね。
他のところになると、やっぱり似ていて、UCLAだとECEって電気工学とコンピュータエンジニア工学っていう。
有名大学ばかり出して、勝負しにいくんですけど、先行でミスをしてると思いました。
UCサンタバーバラでの経験
何かというと、コンピュータサイエンスって熱いじゃん。
もしEECSで引っかかったら、コンピュータサイエンスも将来予防じゃないかと思って出したんですけど、そういうところは全然反応が良くなくて。
それバックグラウンドがあったんですか?
バックグラウンドはあってないんですよね。
バックグラウンドはあってなくて、逆にUCサンタバーブラに関してはやっぱり材料が一番有名で、
ノベル社の方とか、当時は3名いらっしゃったんですけど、反動体に関してもかなり強いのでそこに出したんですけど、
そこではやっぱりバックグラウンドが多く見てもらえたということが判明して、そこからは合格をいただいたんですけど、
逆に他は済まないみたいな感じですね。
UCサンタバーブラってどうなんですか?分野的には。そもそもどこにあるかも教えてもらいたいんですけど。
開放にあると真ん中くらいですね。1015線ってありますよね。
サンフランシスコから下っていくとアノデドが通って、次がギルロイとかサリナスみたいなところなんですかね。
どんどん下行くとキングシティとかアントン、サンウィスオビスポンっていう綺麗な場所もあるんですけど、
さらに101を行くとサンタマリアがあって、サンタマリアの次くらいがサンタバーブラなんですけど、
それはかなりLAに近い方。LAから2時間ですね。
じゃあサンフランシスコから逆に遠いですね。
遠いですね。サンフランシスコは5時間かかります。
なるほど、なんとなくかかりました。
じゃあ結構気候的には良さそうですね。
かなり気候は良くて、もう年中暑くなることほぼないし、冬もちょっと雨が降るくらいで、
キャンパスからすぐに海が見えて、背中は山っていう感じで、どっちも楽しめる街ですね。
街自体はそんなに大きい街ではないんですけど、観光にはすごくいい場所です。
大学のレベルとしては材料科学分野では結構高い方なんですか?
そうですね。USニュースでは常にトップ3くらいなんですけど、
効率に限って言うと1か2くらいですね。
じゃあもうすごい、さっき前半でおっしゃっていたNAKAMURA秀司先生がいらっしゃったり、
今年もなんかノベル賞を取られましたよね。
そうですね。漁師コンピューティングに関しても強くてですね。
たまたま手元にあったUCSF、漁師情報とかもかなり盛んですね。
じゃあ結構物理科学強いんですね。
そうです。材料とか物理は強くて。
あんまりバイオロジー系、あんまり知らないイメージ、印象ですか?
そうですね。バイオロジーはUCSFが強いと思う。
じゃあ結構いいところに行けたって感じなんですね。
COVID-19の影響
そうですね。かなり出願の時も、受かったら出たら行くっていうところだけ出したので。
それで実はかなり運が良かったっていうところなんですけど、
私の指導教官、当時死亡だしたんですけど全然寝なくなくてですね。
当時は大学院受験で12月締め切りで、翌4月とかまでじゃないですか、通知を送るの。
4月になっても何も落とされなくてですね。
なめもとでもう一回メールを送って、アドミニストレーションの人に送って、
せめて不法学数字だけでも送ってくださいって送ったんですよ。
そしたら指導教官が立て込んでて連絡できなかったけど、
最近すごいデカい予算が取れたから、PG一人取ることにしたよっていうのがあって。
ギリギリギロチンが落ちてくる直前くらいで、あれ?生き返ったみたいな。
でもタイミングバッチしてたんですね。
そうですね。
リマインドのタイミングもバッチしてたんですね。
リマインドはやっぱりアメリカでゆたるところに必要だなって、当時は知らなかったんですけど。
リマインド&リマインドですね。
確かにその通りですね。
そうなんだ。じゃあ結構大学生活、研究とか生活もそうですけど、
大学院生として過ごされた日常は結構楽しかったですか?
かなり研究に集中できたのはすごくいいというか、やっぱり設備が充実していて、
大学の中でもアメリカでもトップの設備を持っていたので、やりたいことに関してはほぼ何でもできたっていうのは。
すげえな。
あとキャンバスのすぐそばに海があるので、うまくいかないなと思ったら建物の外に出たら海の景色を眺めていればすげえ回復します。
やっぱり同僚とかもパーティーピーポーみたいな海で遊んじゃうぜみたいな人もいたんですか?
後輩にはいたんですよ。後輩にはいるんですけど、私の時は割と真面目な人多くて。
先輩とかも、自分は一つの部屋に3、4人くらい入るんですけど、
同じ研究デーマーをしている2個ぶりの先輩ともう一人ポスト部なんですけど、かなり狂ったように働いてたんですよね。
珍しいな。
夜中2時とかに作業をしているともう一人入ってきて、アークモーニングとか言って。
やべえな。
それはブラックだったのか、それとも勝手にブラックにしてたのか?
見方によると思うんですけど、肌から見れば完全にブラックだと思いますよ。
勝手にやってたんですね、多分学生とかポスト部。
勝手にやってというか、当時はやっぱりこのテーマはかなり熱いというか、競争が激しいんですよね。
なるほど。早く終わらないと。
どんどん実験をやらないと他にやられるみたいな雰囲気もありましたし、逆にどんどんやればどんどん結果が出てくるみたいなと。
楽しいですね。
波に乗った時期なんかは、僕が2018年、19年あたりなんですよ。
あと博士の試験があって、一番最初の官網の試験で、そこが結構重要なんですよね。
落ちると、一番最悪の場合はボントン無用で退学なんですけど、それは絶対に避けたいからかなり入念に準備しましたし、
でもそれが終わった瞬間にCOVIDが来たんですよね。
終わったのが2020年の2月なんですけど。
そうか、じゃあタイミングいいですね。
それに何度か終わらせたら、もう何もできないってなって。
そうか、逆に何もできなくなるんですね。
どうなんですか?アメリカでのCOVIDってガチ何もできないんですか?家でずっと退勤みたいな。
多分それ週に結構やるかと思いますけど、やっぱりカリフォルニア州は青い州なんで、シャットダウンじゃないんですけど。
なんて言いましたっけ?
ロックダウンだったんですか。
ロックダウンの次はカーフェイで、夜歩いてると警察が帰るみたいなことが、そういう時期もありましたし。
大学も受験室とかは1部屋あたり1人までとか、宿泊整理したりとかですね。
一番きついマスク、ガチガチのマスクをしないといけない時期があったりですし。
そういうのが1年くらいあったんですよ。
ウニとマエが多分一番楽しかったですかね。
そうですね。俺が研究増し増しみたいな感じですね。
研究以外で何か楽しかったことってあります?
研究しかしてないかもしれないですけど。
うまい食べ物とか、サンタバーバラ行ったら何かここ行けみたいな。
皆さんが言うにはウニがうまいんですよね。
ウニが港で採れるので、そこら辺で採って入っていかないし、あまり高くないとか。
新鮮なウニが食えるらしいんですけど、ウニは嫌いで食べてないです。
ウニこっちで食べたことないな、そう考えると。
もしサンタバーバラに行くことがありましたら、ぜひウニを試したほうがいいですね。
観光とかもあるんですか、サンタバーバラって。
観光はかなり盛んですね。
海だったり博物館とか、町自体が綺麗なんで、何ターン行くだけでも楽しめますね。
安全ですか、結構。
安全です、安全です。
そうなんですね。
何も心配する必要はないくらいかな。
元から人が少ないんですよね。
小さな町なんで、アメリカによく大都市は結構危なくて、
小さい町とか行くと大丈夫ですよね。
PHDキャンディデートになって、COVIDになって、時系列であってますか、まず。
そうですね、まずプレリミではキャンディデートにならずに、
まず第一関門でしたね。
キャンディデートになるっていうのは、論文があって、さらに近畿理学も、
はっきりして言えばキャンディデートの試験、こと試験なんですけど、通れます。
なのでキャンディデートの試験は残念ながらZoomで終わりましたね。
そこから実際にPHDを獲得されるまで、COVID関連だったり、それ以外の研究関連で、
かなり苦労したこととかあったりもするんですか。
そうですね、やっぱりCOVIDがもたらした一番大きな影響は、
実験自体というよりは、タイミングがすごく悪い方に重なったということですかね。
2021年とか、COVIDまだ最中なんですけど、そこで新しい装置を入れることになったんですよね。
そこでかなりいろんな混乱があって、まず脳筋が伸びるとは一番で、
本来3ヶ月かかるものがいれば、6ヶ月とか、また次も3ヶ月起こります。
そこでかなり時間を使われた。
さらに新しい装置を手配してもらったんですけど、
それも手配ミスがありまして、
2030年代の空港に着いたんですけど、
そこから運んでくるトラックは普通のトラックで来ちゃったみたいで、
本来は面芯構造がある揺らさないトラックを手配してもらうはずなんですけど、
普通のトラックはガガガガガガッて揺らしてきて。
着いた頃には固定用のボルトすらも引きちぎってたんですよね。
すげえな。あんまりいかなかったなあ。
新しい装置なので、壊れた状態で届いて、
そんなのあるなあ。
壊れた状態で届いたので、それを直すことから始めましたね。
COVID明けで混乱続きっていう感じなんですね。
そうですね。混乱続いて、しかも在宅勤務だったり、わけわかんないまま仕事してたりしてると思ってるので、
届いた部品もサイズが違って、入れ直しっていうことも結構多くありましたし、
研究の進展
会社がドイツの会社だったので、組み立てて終わった頃にまたロシア戦争が始まって、そこもまた混乱が重なってですね。
なるほど。
ドイツの会社から部品が全然、あとネジ一つがないから組み立てられませんとか言われて、
そこもかなりの遅延を食らいました。
その装置を使う研究自体は、PhDを取得するにあたって、かなり重要なパートを占めてたんですか?
かなり、というか、PhDそのものぐらいの勢いだったので、それをどうしても完成させないといけないというのが当時のプレッシャーにもなったんです。
それが前半でも紹介していただいた分子栓APタキシー。
そうですね。それをまず古いものを解体して、古いものは30年前週、1920年。
そいつを解体して、新しいものを入れて組み立ててですね。
組み立てし修理とかもしながら、かなり大きなプロジェクトで、全部半年、1年ぐらいかかりましたね。
で、また新しい装置になると、古い装置で使われていた化粧の条件というのは、セーマーフ条件。
古い装置で使ってコミュニションは使えなくなるので、またそれを一から始めるという立ち上げを始めることになりました。
大変だな。
逆にそれは、今までは誰かがすでに手法を確立されていて、それを助手でもらえば大体使えるというのは普通だったんですけど、
一から立ち上げて、その条件も全部自分で出したのが、多分一つの研究室で一人か二人しかできないことだと思う。
それぐらい多分貴重な経験ではあったと思います。
ある意味、装置の使い方を立ち上げるという、新しく立ち上げるという意味で、かなり貴重な経験ということですかね。
そうですね。やっぱり滅多に買わない装置なので、新しい装置も非常に貴重だったと思います。
そういう装置っていくらぐらいするんですか?
大体1億円ぐらい。
壊せないですね。
壊された状態で届いたんですけど。
確かに確かに。
でもそれでPhDにおいて重要なウェイトを占めているその装置が壊れてきて、
さらにそこから遅延遅延ってなっていくとなると部品が来ないとか、
その時の心持ちって精神状態ってどんな感じだったんですか。
精神状態はやっぱり気持ちの切り替えはやっぱり大事で、
研究に関しては私はそんなに焦る方ではないというか、
研究自体を楽しむスタンスなんですよね。
どうしてもこれを達成しないといけないというプレッシャーは私にはなくて、
研究していることが楽しいので、装置が立ち上がらなくても、
データ自体はあるし、サンプル自体も昔からあるので、
それを使った解析とか、あるいは基本的な理論計算といいますか、
基本的な理論計算も必要なので、そういう別の研究もできるので、
それもまた待っている時間といいますか、
地球ができない時間をめぐる他のことをやるというのは、
PHD自体を楽しむことの一つかなと思っていますね。
それを楽しめるメンタリティがすごいですね。
確かに研究室の雰囲気といいますか、方針にもよると思いますね。
アメリカの半導体業界
絶対に有名誌を出さないといけないとか、
私の資料評判はそういう事務所ではないので、
科学的に新しいことが大事で、
そうであれば論文をちゃんと出せて、
しかも受理してもらえるので、
そうであれば良いという方なんですよね。
大事ですね。
文化の違いもあると思います。
アメリカンナイトGOLD
それでPHDを取られた後は、
アメリカでも働いていると思うんですけど、
やっぱりアメリカで就職しようとなったんですか?
そうですね。
もともとそれを目標に、
PHDをアメリカに来たんですよね。
はい。
半導体をやるということに関しては、
アメリカの方が選択肢が多いと言いますか、
最先端の半導体と言いますか、
今、例えば日本でTSMCを招致して、
工場を作ってもらったりとかなんですけど、
でもそれも最先端の半導体は作っていなくて、
今iPhoneとかに入っているチップは、
ほとんどは台湾で作られています。
将来的にはアメリカのTSMC工場でも、
新しい世帯のチップが作られたりすると思うんですけど、
日本でそういう選択肢はなかなかできない。
今、立ち上げようとしているのが北海道にある、
ナビタスという会社なんですけど、
かなりそこも力を入れていって、
頑張っているとは思いますね。
逆に半導体は、
一つの大きなサプライチェーンと言いますか、
日本もサプライチェーンの色んな所で関わっているんですけど、
例えばですね、私の今やっている製造装置に関しては、
東京エレクトロンさんがかなり世界でシェアを占めていて、
逆に素材とかコトレ実装とかも、
かなり日本の企業さんが入っていますね。
素材に関しては日本はかなり入っていて、
あとは装置とかですね。
逆にアメリカは設計とか、
あとは製造装置もそうですし、
あと主にですね、ウェブファブレスの、
私の専門用語を使ったんですけど、
工場を持たない設計を専門、
主にやる会社はエンジンビディアとかインテル。
いや、違う。
インテルは工場を持っています。
なので、いわゆるシリコンバレーのシリコンをベースに、
半導体をベースに繁栄した町なんですけど、
サウンドデイとかですね、
ソースデイの方は半導体とか、
福岡サタンで、
ソフトウェアとかは、
より北の方にサンフランシスコまで、
ソフトウェアとか人工知能であったりとかですね。
ハードウェアは結構、
最近の企業だと、
AIデータセンター関係ですね。
ちょっと厚いワードなんですけど、
ここにあるのが、
アステララボとか、
スーパーマイクロコンピューターとか、
いろいろAIデータセンター関連の会社が、
主に南の方にありますね。
伊藤さんはどういうところに就職、
アプライしていたんですか。
主にはですね、
Appleとはですね、
本当にそんなに多く応募してないんですよね。
Appleとか。
実際に言うと、
就活の時期も結構タイミングが悪くてですね、
1年早ければよかったんですけど、
コロナの時期に各大企業がですね、
コロナバブルみたいな感じで、
大量に人を取ったんですよね。
誰でももういいから、
相手に取られないように。
これが反動が、
私が就活する時期にきてですね、
大量のレイアウトを、
まさに私が就活を始めた、
2022年の9月から始めて、
材料統計であったり、
レイアウトであったりですね。
最初の方だって、
Facebookメタルのリクルーターとも話したんですけど、
受名を送ったりですね。
そういう話はもう、
一瞬でぴったりと止まって、
Intelも採用凍結で、
当時NVIDIAもだいたい調子が悪くて、
Appleとの接触と面接の経験
全然人を取ってないし、
なのでオープニング時代はなくてですね、
逆にApplied Materialsは、
反動体特有でちょっと調子が良い時期で、
逆にやっぱりUCサンダーバーバル時代は、
反動体が破綻だったので研究が出て、
その周りに、
城下町ほどではないんですけど、
ペンチャー記号が結構あって、
大学の先生がですね、
持ってる会社とコンタクトして、
面接してもらったり、
そこは結構感触が良いというか、
そもそも働いてるのはほぼ全員先輩っていうくらいのイメージ。
そこで繋がり、コネクションと言いますかね、
やっぱり大学自体の生かせる資源を使いつつ、
あと大企業に訪問してたという形だったと思います。
今そこのApplied Materialsで働いて何年目ですか?
今ちょうど2年経ちました。
今後もそこで働いていくって感じですか?
とりあえずは。
とりあえずはですね、
今イミュレーション関係がかなり複雑な状況なので、
あまり動けないんですよね。
私もOPTが3年目になったことで、
今結構H1Bというビザ、就労ビザがかなり改正されてると言いますか、
2回連続で抽選が落ちましたし、
当たってないので、
OPTが最終年に入って、
そこでどうやって今自分の3年目以降確保するかがメインの課題ですね。
ただ今働いている中では、働いているような業種というか、
内容としてはかなりアメリカ来る前から、
こうなったらいいなって思い描いていたようなお仕事の仕方をすることはできているんですか?
やっぱりどう言いますかね、
仕事の忙しさとか、
あとは給料とかはかなり期待応募が回るものなんですけども、
こういう仕事をしているというのは全然想像はしませんでした。
ハンドタイの研究をしていたので、
ハンドタイの仕事を続けるだと思っていたんですけど、
それよりかは、
ハンドタイ装置の方でやることになっていて、
それの関連するシステム開発、
かなり幅広い仕事をするようになりました。
ハードウェアに限らず、
ハードウェアを動かすファームウェアとかソフトウェアとかも、
他と協力しながらですね、
いろんな人とコラボレーションとか、
ティーマークを通して、
この装置全体をメンテナンスしながら開発していく、
性能向上をさせていくという仕事になりました。
なので、かなりPHDの時期に、
装置を一から立ち上げることを繰り返すみたいな、
その経験がかなり今の仕事に活かされていますね。
ほぼ、面接で無事性ビタ機装置を一から立ち上げましたと言っただけで、
多分もう合格もらえたくらい、
本当に運営力、
この会社には面接1回で入ったので、
他のどのようにも面接が短いという。
そんなことあるんですね。
はい。
アメリカの企業の面接で、
5回とか6回とかするってイメージですけど、
そうですね。
本当に1日話しただけで、
次の週明けにはオファーが来ていました。
マッチングはすごく大事だと思いますね。
逆にそれがアメリカっぽいですね。
そうですね。
本当に違うところはやっぱり、
日本は僕は新卒採用だったので、
かなり需要と供給側の
ディナンスフレキシブルさがあるんですけど、
逆にアメリカの採用としては、
需要のほうがかなりガッチリ決まっていて、
こういう人が欲しい。
なのでどうしてもキャンディテッドが
優秀かどうかも需要だけど、
やっぱりポジションに強くマッチする人が
求められます。
なので僕、実は事情なんですけど、
Appleの採用試験を6回も落ちた
プロAppleインタビュー失敗者みたいな
人なんですけど。
6回落ちたんですか?
はい。6回中3回くらい向こうから面接呼ばれる
落とされるっていう、
すごいプロ失敗者なんですけど、
そのプロが受けると、
面接すごく長くて、
いろんなチームの人と話さないといけませんし、
かつこういう状況の時にどうするか
というのをすごい細かく聞かれるので、
求めている人物とはかなり固まっているといいますか、
キャリアの築き方とインタビューの経験
いろんな面で強くマッチしないと
受からないんだなと思いましたね。
欲しいな。
はい。プロAppleインタビューフェリアからでした。
いい締めだな。
そうですね。
面接とか就活と話すと結構いろんな試行錯誤を
しながら半年以上オファーにたどり着けたんですけど、
勉強することが非常に多いですね。
語り出した3時間4時間くらいありますけど。
そういうところでもやっぱりゲームの戦略を立てるっていうのが
ゲームの戦略になっているかもしれないですね。
戦略は大事ですし、
日本で自分の価値観に合わないというのは、
何でもかんでも大勝負みたいな煽り方をするのが
すごくあまり自分的には合わない価値観で、
負けられない戦いみたいな。
でも実は戦いはですね、
負けても良い戦いをしないと、
負けたら終了というのは非常に良くないと思います。
負けても別ルートで勝ちにいくか、
別ルートでしばらく休んで勝つ機会が多くかかるみたいな。
そこをいちいち一発勝負を煽らないと欲しいというのがありますね。
重要な戦いで負けても何度か立て直して、
それでまた巻き返していく。
何回も見ているので、
負けない戦いというか、負けても大丈夫というキャリア作りをしています。
プレゼンテーションと自己評価
Appleの試験6回落ちてもピンピンしているので。
というわけで、ここまで伊藤さんのアメリカ留学や
これからについて伺ってきました。
今回アメリカ語を2回通して参加していただきましたけど、
どうでしたでしょうか。
想像以上にお二方に助けていただいて話せたかなと。
めちゃめちゃ喋り上手かったですからね。
僕は自分の話すことを聞くのが嫌いで、
絶対にプレゼントか収録されたものを聞き返さないというのはやっぱり恥ずかしいです。
今日確認してもらわないといけないですからね。
コロナの時期に先生に録画をしたものを送るとか、
それもかなり苦痛で。
一発勝負で撮って、
あとはもう先生に聞いてもらって。
面白いな。
最後に言われた、負けても負け方によるっていうのが
結構僕の中でいいなと思ったので。
かっこいいですね。その考え方かっこいいですね。
何を勝ち負けにするかによるんですけど、
だってDiary of a Newtonも6個出して5つ落ちているので、
負けといえば負けだし、
逆に勝ちでもあるし、
そんなにこの1個のルートが閉ざされると人生終わりだとか、
うまくいくことはないっていうのはあまりないかなって。
どうしても分からない時は何もしないっていうのは僕の思った。
何もしない時もありますよ。
それ結構いい言葉だと思うんで。
リスナーの人で悩んでいる人がいたら
伊藤さんの言葉を思い出してもらえればいいかなと思います。
UJA論文賞の紹介
最後にUJA論文賞についてお知らせさせてください。
海外日本人研究者ネットワークUJAは
海外で活躍する若手研究者を支援するため
UJA論文賞により優れた論文を発表した
日本人研究者の表彰を行っています。
研究分野への貢献度が高く、
専門分野の枠を越えて広く伝わる価値を持ち、
科学的好奇心を強く引き付ける研究に対して重視されます。
分野は取りません。
過去2年間に発表した論文がある方は
ぜひエントリーしてみてください。
締め切りは11月30日です。
ここまでのお相手はNAKAMURAと
伊藤でした。
また来週。
46:33

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