過去の経験を振り返る
こんにちは、50代の「最初の一歩」を応援します。安葉ようこ🌺です。
今日はですね、今カフェでちょっとした作業をしておりまして、何をやってたかと言いますと、
私はですね、ちょっと前まで、本当に自分のことに関してめちゃめちゃ悩んでいたんですよね。
なんか変な、宇宙人像みたいなのに入っていて。
そんな自分がね、ちょっと今抜け出して、いろいろ新しいこととか、もう一度やり直そうと思っている段階なんですけれども、
そんな中でね、私の時空みたいなのは、ブレてないのかっていうのをちょっと再確認したくて、
自分がね、今まで過去に書き溜めてきていたノートをね、ちょっと見返していました。
そしたらね、めっちゃ面白いことが書いてあったので、ちょっとこれを話しておきたいなと思って、今ね、これを撮っています。
これはですね、去年の2024年の夏頃ですね、7月頃に、
井上美智子さんのマイビジというコミュニティの中で、この講座をさせてもらった、セミナーかな、セミナーをさせてもらったんですよね、自分の仕事の手放しみたいな。
それのアイディアとか、自己紹介何言おうとかっていうメモを読んでいたら、そこにね、私が今の会社に入ってからの出来事をちょっとツラツラ書かれていて、
その中にね、ちょっと笑いながら、もうちょっと恥ずかしいなって思うくらい、なんかちょっと笑えることが書いてあったんですよね。
ちょっとそのメモを今読もうかなと思います。
いろいろ書いてある中で、途中からなんですけど、性格上、理解できないこと、理不尽なことに対しては、しばらく我慢はするけど、続くとちゃんと上司に伝えていた。
特に男性社員、営業からの暴言やアホなやり方にキレること痛快、書類を投げつけるって書いてあったんですよね。
これを見て、あ、そういえばそんなことあったなって思い出したんですよね。
私が書類を投げつけたのは、確か入社して2年目ぐらいの若手っちゃ若手なんですけど、
彼を教育している周りの先輩営業たちが、とにかくあの時代ってまだ今みたいにパワハラとかそういうのがうるさくなくて、
結構パワハラとか暴言とかっていうのがある時代だったんですよね。
もう10年、15年ぐらい前。
その中で、生意気な口を叩いたというか、とにかく何か変なことを言ってきたんですよ。
もう内容ちょっと覚えてなくて、それに対してこんなことできねえよみたいな感じで、言ったら、やれよみたいなことを後輩、
入社して何年目かの男性社員にそんなことを言われて、頭に来て書類をできないって言ったんだろうみたいな感じでぶちまけたことがあったんですよね。
確かそんなことがあったと思って、書類を投げつけたのはこの1回だけなんだけれども、
他の営業とも何度も当たってぶち切れて、営業署長に直談判で、営業がこんなことを言った、これが許されるのかみたいなのをメール入れたら、
逆に営業署長から、それはあなたの態度が悪いからみたいなことを言われて、さらにぶち切れるっていう。
そういえばそんなことあったなと思って、過去を思い出して、私本当にいろいろやってきたんだなと、いろいろ経験してきてるんだなっていうのを改めて実感したんですよね。
アイデンティティの探求
さらにそのメモの続きに、これまたまた自分でも恥ずかしくなるぐらいおかしなことが書いてあって、これを読みますね。
処理を投げつける。その頃から番長と言われる。でも私は裏番である。私は表番で裏番もいる。裏番は何々さんだ。この人がいたから今までやってこれた。二人で乗り越えてきたっていうふうに書いてあるんですけれども。
番長ですよ番長。昭和の人しか知らないと思うんだけれども、あまりにもそんな感じで立てついたり、あまりにも意見をはっきり言ってしまうがゆえに、こういう喧嘩もあったから、周りの、私が所属していたチームのメンバーとかからは冗談まではあるんですけれども、番長だからっていうふうに言われてたことも同時に思い出したんですよね。
でも私その時番長って言われることにちょっと納得しなくて、いやいや違うしと。私は確かにそういう目立つ行動をするから番長なのかもしれないけど、実は私はそんなに怒んないしっていうか、実は優しかったりちゃんと気も使ってんだから、私はそんなに番長じゃねえよと。
番長って言われるのは別にいいんだけど、実は裏番に先輩がいて、あの人が本当の番長で裏番なんだけど、あの人を怒らせると一番怖いんだよっていうのを周りに言いふらしていたなっていうことも思い出しました。
やっぱりそういう自分の過去の目も見ていて、忘れてたこともたくさんあるんだけれども、私は本当に昔からそういう感じで自分の言いたいことを、例えば会社の中で、後輩若手だろうが上司だろうが一番偉い人だろうが、
じゃんじゃん言いたいことを言いまくってやってきたんだなって、だから今の私がいるんだなっていうことに気づいたと同時にね、やっぱり私の性格ってこういう性格で、私自身はそういう人間なんだなっていうことにちょっと気づきました。
もうこれは変えられないし、今ね、こんなSNS、ブログとかスタイフとかで話をしたり文章を書いている中で、やっぱりちょっとそういうところでは、やっぱりあんまり怖いと思われないようにしようとか、ちょっと万人受けしようみたいな、
なんかそういう人の目をやっぱり気にしているところっていうのを自分でも感じていたので、もうこれは無理なんじゃないのかな、そういうふうにやってるからこそ苦しいんじゃないのって自分がね、だからそういう像みたいなところに入ったときにずっとね、ぐずぐずと悩んでしまうんだなというふうに思えたので、
もう今私はこう、自分がね、そんな前から自分がそういうことをやってきたっていう事実をもう一度目にして、もうこれ以外私が生きていく道はないなっていうか、それが私自身なんだなっていうことに気づけたので、ちょっとね、その話を記録かてらちょっと取っておきたくて、ちょっと今日はその話をさせていただきました。
はい、学生時代はね、知事区と呼ばれ、会社員になってからは番長と呼ばれ、一体私は何なんだっていうところなんですけれども、まあ私のね、本来の姿っていうのはこんなもんですよ、なんかね、こう自分自身も、自分はそうじゃないと思いたいというわけではなかったけれども、なんかね、それをもう認めるしかないなって、もうそれ以外の手段がないなというふうにちょっと思えたので、
私はこれからちょっと番長なのか知事区なのか、それにね、もう一度戻るべくね、やっぱり動いていこうかなと思います。
はい、これからもですね、引き続き、私のチャンネルを聞いてくださると嬉しいです。
はい、今日は、なんかしどろもどろになってきましたが、今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
今日は以上になります。アンバヨコでした。