ABAの実践と課題
こんにちは、お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、2人の小学生の子を持ついちお母さんの私が、ASDの息子を通して出会った行動分析学を広めたいチャンネルです。
ABAを広めたいと思っている私なんですけれども、自分の子育てだったり、特に今、発達凹凸のある子どもたちの支援の仕事をしてますので、その仕事の場でABAを実践するときに難しさを感じることって何かなと考えると、
自分の対応をこれでいいと信じて続けることや、一貫した態度を取り続けることに難しさを感じることがあるんじゃないかなと思います。
私がABAを学んだ講座の講師の先生の経験談がありまして、その先生は当時、小学校の教師をされていたんですけれども、
その当時、担任していた支援級の男の子が、体育館での専攻集会のときに、自分の席、自分の場所を立って壇上に上がったり、他の先生がお話ししていても、お構いなしにうろうろ散策してしまうことがよくあったんだそうです。
特に危険な行動をするわけではなかったので、あえて追いかけて引き戻そうとかせずに、うろうろしている間は基本的に放っておいて満足して席に戻ってきたときに、とっても褒めてあげていたそうです。
この例では、うろうろする行動には無反応で消去の手続きをして、席に戻った行動には褒めて注目を与えて強化しているわけですね。
結果、すぐにとはいかないのですが、その男の子のうろうろする行動は消去されていって、自分の場所に座っていられる時間がどんどん長くなっていったというお話です。
それは良いのですが、ただこの消去の手続きをしている間、立ち歩く行動をただ見守っているという間の先生の姿は、他の先生から見ると、問題行動を見て見ぬふりで何も対応していないというふうに見える可能性があります。
要は、アピールができないんですね。
座ってほしい時間に立ち歩いてしまうという子どもの行動に対して、追いかけて捕まえて座らせるという、ちゃんと対応してますよというアピールができないという切なさはあるかもしれません。
それから、相手の望ましくない行動に対しては、反応を返さないことで行動を消去していくのですが、
一回でパタッとその行動がやむということはあまりないので、どうしても時間がかかるように感じる。
何度も同じやりとりを繰り返しているような気がする。
そんな中でも、こちら側がぶれないという難しさですね。
本来なら、行動をする相手にとって手応えのない反応を返すのが証拠だと思うんですが、
そこを同じことを繰り返していると、介入する側もイライラしてしまって、何度言ったらわかるのというふうに、
到底無反応とは言えないような対応をついしてしまいそうになることがあるかもしれません。
ただ、それでも行動分析学を知っていれば信じて対応を取り続けられますし、
望ましい行動は褒めて強化しようという頭がずっとありますので、
その良い変化を見つけたときには、例えば、座っていられる時間が長くなったなとか、
自分の位置に戻ってきたときに声をかけたときにすごくいい表情をするようになったなとか、
些細な変化にも気づけるようになるので、対応するこちらの側もきっとこれでいいんだなというふうに強化されるのを感じます。
ABAは行動を増やしたり減らしたりしようと介入するということで、本人を操作するものと誤解されることもあると思うんですが、
むしろ個人の意思を無視して無理やり返させようとすると、
ろくなことがないよと教えてくれる学問だと私は思っています。
とっても平和的で、相手も自分もどんどん笑顔が増えていく。
行動分析学を知る人がもっと増えていくといいなと思います。
ABAで広がれ!シンプルで楽しい生き方!
今日も大事なものを大事にできる一日を!あきねでした。