1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
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2019-10-17 21:50

Vol.186「価値観の違う人に対する考え方」

「アキさんがブログで書いていた、人間愛について、難しいと感じてしまっています。例えば、仕事で目標と違った結果になったときに同僚を責める気持ちが出てきてしまったり、話し合っても変わらない人に人間愛がむけられません。どう考えたらいいでしょうか?」という質問をいただきました。
自分の価値観と違う人、嫌いだなと感じてしまう人に対する考え方を、人間愛や正義という観点からお話しています。 

オープニングでは、「おばさん」という言葉にまつわるあれこれをお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:15
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
今日もさやみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ちょっと前に見た記事なんですけれども、
すごい面白いなと思って先ほどね、さやみさんにも共有したんですよね。
したんですけれども、
おばさん自虐女性と美魔女の違いみたいな話が出てて、
最近、自分のことを私、おばさんだからっていう人が増えていると。
特に30代半ばくらいからかな。
30代でおばさんとは早いと思いますけどね。
人によっては、やっぱり20代後半からもおばさんの息になっているっていう人もいますけど、
おばさんの定義が人によって若干違う。
例えば、高校生から見たら確かにおばさんなんだけど、
でも、おばさんから言わせてもらうととか、
おばさんが思うにねっていう枕言葉がつく。
それはどうしてなんだろうっていうところからスタートしている記事なんですけれども、
40代ぐらいの美魔女系の若く美しいみたいな人と、
おばさんっていうふうに言われている方の比較をしていて、
要は何で自分のことをわざと自虐しておばさんと呼ぶかというと、
痛いと思われたくない。
頑張っているとか無理しているとか思われたくない。
だから、最初に私おばさんだからと前置きをつけておくことで、
私は自分のことを無双に思っているわけじゃなく、
私なりに考えているでもおばさんの意見よ、みたいな。
そういう、ここでも書いてありますけど、予防線を自ら張っている。
逆に言うと美魔女はそれを頑張って、
頼まぬ努力をしていい女でいたい。
若さの維持みたいなところを頑張っている。
両方の極端なんだけれども、最終的にはこれって、
2つとも極端なように見えるけど実は近くて、
要は表面的な魅力を求められるとか、
あと若さを過度に評価されるとか、
そういう女性ならではの悩みというか、
そこを鍵とっていることがどっちも同じだという話をしているのかなと、
感じがしたんですね。
で、やっぱり私も思ってたんですよ。
03:02
確かに自分のことをおばさんっていう人がいて、
全然おばさんじゃないのに、
なんでこの人はおばさんって言うんだろう、みたいなパターンがあったんだけど、
やっぱり痛いと思われたくない、
ある意味日本のユーモアじゃないけど、
自虐的に行く方が好かれるって言い方変ですけど、
思うことがスムースに行く、
この空気を読んでる感じ、
これがちょっと出ているのかなと。
おばさんに代わる言葉があればいいのにと思いませんか?
本当にいつも思うんですよね。
40代の、だからそこが今までは美魔女って言葉はあったけど、
美魔女以外の人たちを指す言葉がなく、
美魔女もおばさんも含めたフランス語のマダムみたいな、
そういう総称があったら、
だってそれをおばさんがじゃあ手伝いましょうかとか、
自分のことは私おばさんとか呼びたくないですよ、正直ね。
私もね、正直自分でおばさんっていう認識を、
年齢的には確かにおばさんなのかもしれないけど、
だけど心は20代の、
あの時からあんまり変わってないような気もしませんか?確かに。
私の中でおばさんっていうのはやっぱりどっかで、
自分の生い子たちから見たおばさんみたいな認識で。
なんかそういう感じじゃないですか。
年齢のおばさん。
ではないんだよね。
それでやっぱり、
総称としての女性を敬うようなマダムとかって、
ああいう言葉が常にないかなって私は思ってたんですよね。
マダムしかないですよね。
マダムって言葉はどうですか?
フランス語だけど、使っちゃったらいいんじゃないですか?日本で。
いいと思うんですよね。
あとはそういう時に使うの。
大人の女性とかって。
大人ってでももうみんな大人でしょみたいな。
おばさんが思うにとかっていうのは、
大人の私から見るととかって、
そういうことまで置き換えられるじゃないですか。
でもそれだと上から目線で止まれるんですよ、きっと。
どうしたらいいの?みたいな。
やっぱりその上から目線とか、
そういう空気を読まなきゃいけない雰囲気っていうのが、
すごくちょっと辛い。
そこでおばさんって重役的に出ると、
なんかこうスムーズにいっちゃうんですよね。
だからそこも空気を読む一つの所詮術なんだと思うんですよね。
でね、たまたま私、
家事しながら動画見るのが好きなんですけど、日本のドラマ。
この夏にやっていた、
ナギの老いとまっていう、
結構すごい良かったんですけど、
その空気を読みすぎて、
おかしくなって、
もう老いとま、今までの生活を一回リセットするっていう、
女の子の話なんですけども、
一回目見た時は、
その一回目は空気を読んでいるオフィスでの話とか、
それでリセットした後が2話から始まるんですけど、
06:00
最初見ながら、
すごい嫌な雰囲気になって、
私の中で見るのやめようかなと思ったぐらい、
この空気を読む社会とか、
だんだん崩れていっちゃうんですよ、彼女は。
だからそのパターンを見ていて、
でも2話からすごい彼女がどんどん自分を取り戻していくって話になって、
それが話題になるっていうのもそうなんですけど、
多分みんなが共感するところだから、
こういうドラマが流行ってるっていうのもあったんですが、
この空気読みすぎの社会の中で、
このおばさんっていうのも含まれてるんだなっていうのを感じましたね。
そうか。
やっぱりね、何年前か忘れたけども、
KYって言葉が流行ってたじゃないですか。
ありましたね、空気読めない。
で、そこから空気を読まなくちゃいけない雰囲気にもっとなってったんだと思うんですよ。
空気読まない人が普通に何とかやってこれたのが、
なんかみんなが空気を読まなきゃいけなくなって、
それがどんどん過敏になって空気を読めないことイコール、
もうダメ人間的な位置づけが多分出てきているから、
それが何か一つの個性をちょっと狭めていってしまっているところで、
KYって言葉が流行ったところから、
この空気を読むためにっていう感じが、
より加速したかなっていう感じがしますね。
そしたらうちの長女なんて絶対無理ですね。
まるでKYですよ。
全然読む気もないし、
本当に言いたいことを言ってやりたいようにやって、
学校でもどこでも好きなようにやってるんですよね。
だからそういう子が多分日本にいたら、
もしかしたら居づらいこともあるかもしれないですよね。
ですよね。だって中学に私行かせたかったんですよ、夏休みのあたり。
っていうか7月ね。
なんですが、私の母に止められましたもん。
このままだと絶対いじめられるからやめなさいと。
夏の間でも。
小学校みたいに手厚くないと思うから、
中学はね、お勉強中したし、
空気よくなかったらきついぞと。
こんなきつい性格で言いたいことを言って、
普段は返事もしない。
絶対これはいじめられるからやめなさいと言われたんですよ。
で、行かせなかった。
本人は行ってもいいかなとか言ってたんですけど、
でもこんな態度で。
学校の先生から目つけられるかもしれないとかね、
先生からもお友達からも、
今まで行ってた学校のお友達以外にも新しい子たちがね、
09:00
中学はいろんな子たちが来るので、
全ての子が優しいとは限らないと両親に言われて。
だからフランスでは何とかやってきても。
みんなKYですから、フランス。
確かにKYですね。
それが普通だったりするんで、
全然問題ないんですけど。
うちの子も確かにKYで、
夫からもうちょっと戦略的に動きなさいと言われていますよね。
素直に発言することはいいことなんだけど、
それがもたらす結果をもうちょっと戦略的にやらないと、
子供だからまだ早いと思うんですけど、
でもそこから苦労するかもしれないよってことは確かに言ってるんで。
夫から見ても目に余るところはすごく多いのかなっていうのは、
だから日本にお遊び程度に行くにはいいけれども、
いわゆる制服を着て、
本当にそちらの学生になるっていうのは、
またちょっと違うのかもしれないですよね。
どっちがいいとかいうわけではないけれども、
少なくとも学校とかそういう子どもも含めて、
そのまま30代になった人が、
私はおばさんっていうのはすごくもったいないなって思うように言っちゃう。
おばさんじゃないのに、
私の言い方は変だけど、
本当におばさんっぽい人がおばさんっていう感じだと違和感はないけど、
全然極端な言い方をすると、
美毛ちょっぽい人があえておばさんって言ったり、
あそこまで守らなきゃいけないんだっていうのが、
ちょっと時々日本の社会だとこうなのかなっていうのを感じるので。
おばあさんって言っちゃったら、結構ギャグになるから。
それぐらいになったらいいのかな。
どうせ言うんだったら、おばあさんかねとかって笑っちゃう。
40代のおばあさんはね、あれなんだけど。
でも確かに60代の人がおばさんって言うと、
逆にそのぐらいの感覚でお話が普通に進むけど、
やっぱり40代とか50代でおばさんっていうのは、
50代でおばさんっていうのはフランスでは私は早いと思ってて、
日本の感覚だと50代はおばさんだよねみたいな感じかもしれないんですけど、
なんかね、この空気読んでる感はすごくもったいない。
私にはそういうこと言わなくてもいいのにっていつも思って聞いてますね。
なので、この自分でついおばさんという方がいらっしゃるんだったら、
それが自分に対する自己評価につながっているっていうことをちょっと意識されると。
言霊っていうね。
言霊って言いますからね。
ありますもんね。
ぜひちょっと意識されるといいかなと思います。
それでは本編スタートです。
今回は質問をいただいてますので、質問をではまず先生読んでいただけますでしょうか。
12:00
結婚ということによる変化への抵抗。
あきさんがブログに書いていた人間愛。
私も最近考えることがありまして、
私はそれが苦手だと思う日々を過ごしています。
本当に誰にでもできることではなく、難しいなと感じています。
例えば仕事で目標と違う結果になってしまったときに、
同僚を責めてしまう気持ちになってしまったり、
自分勝手な行動をとる人に、言葉に出さなくても距離を置いてしまう自分がいます。
話し合っても変わらない人に人間愛は向けられないのです。
どう考えたらいいでしょうか。
というご質問をいただきました。
人間愛を私がブログで書いたのは、
これはね、みんなが人間愛を持ちましょうって話を書いたわけではなくて、
私みたいにセッションをする人間というのは、
ただセッションのコーチングとかカウンセリングの技術を
コミュニケーションとして学ぶのではなく、
テクニカルなものではなくて、
人間愛っていうのが根本的にないと、
対人に対してセッションは難しいんじゃないかって話を書いたので、
一般の人に人間愛を持った方がいいとかって書いたわけではないっていうところだけをまず前提としてね。
なくても生きていける人は全然いるし、
必要が全ての人にあるとは私は別に思ってはいないんだけれども、
人間愛っていうのは、この場合、彼女の場合には、
自分の価値観が違う人とか、好きじゃない人とか、
そういうのを見てしまうと、
同僚を責める気持ちになったり、距離を置きたくなっちゃう。
これは人間の感情としてはあることですよね。
人と意見と違うとか、そういうのはもう価値観なので、
それ自体が悪いことではないんだけれども、
もし彼女に対して言えることがあるとしたら、
そこで終わらないで、
自分は何を大切にしているのかっていうのを、
その同僚とか周りの人間を鏡にして見直すきっかけにしてほしいなと思います。
例えば、仕事で違う価値観があるから、
そういうすれ違いが出てくるわけで、
私は何を大切にしている人で、
彼女は何を、彼女か彼か知りませんけれども、
何を大切にしているのかっていうのを、
知る機会に当ててもいいわけだし、
この自分勝手な行動をとる人っていうのも、
自分勝手って、私はどういう人が好きじゃないのかっていう、
自分の価値観を見直すだけで私はいいかなと。
思っています。
なので、実際は自分の価値観が悪いわけでは全然ないから、
自分の価値観をきちんと知って、
相手の価値観を知るっていうだけで私はいいかなと思っています。
そうですよね。だって全然お互い違う人間ですし、
15:04
そうなんですよね。
その相手を絶対人間相手に包み込まなきゃとか、
無理なこともありますよね。
もしここに先に一歩進んで、
人類愛を目指すとするならば、
多分彼女は私の価値観は私が大事にしてて、
極端に言うか、私の考えがある意味正しいと思っていて、
彼女か彼の考え方は、
自分勝手な行動が嫌だとかダメだって思っていると、
私の方が、彼女は彼女の正義を守りたいと思うわけですし、
その相手の正義は全く理解できないと思ってしまうわけですよ。
もし人類愛を考えるのであれば、
自分勝手な人の正義っていう言葉があるならば、
その人にも正義があるんだって認めてあげるってことなんですね。
認めてあげることがおそらくある意味の愛。
その人に対する愛なんですよね。
だから変わりたくないって思ってる人に、
なんであなた変わんないのって話し合ってるのに、
こんなに変わってくれないなんてっていうのは、
これは自分の正義を押し付けてるだけなんですよ。
私やってた。
コンサルで結構ね、
絶対この人もっとこうしたら絶対良くなるっていうのをすごく言ってたんですよ。
でもどうしてもやっぱり変えない人いるんですよ。
それは変わりたくないんですよ。
でもコンサル受けたんだから変わろうよと思っても、
いくら言っても変わらない。
分かったんです。この人はもう変わりたくないんだ。
じゃあそれをもう認めて受け入れるしかない。
だからそれがどちらかというとその人に対する愛なんですね。
人間愛なんですよ。
変わりたくないっていう彼女の、彼の状態も認めてあげる。
その人のありのままを認める。
なんで変わんないのとか、なんでやらないのっていうのは、
言い方変ですけど、英語なのこっちの。
そうですね。耳が痛いわ。
だから一緒にいるかどうかは別ですよ。
その人と一緒にいるかどうかはその人が選べるけれども、
そういう人に対して否定をしたり責めたりするっていうのは、
人類愛というか人間愛とは違うよっていう話なんですね。
オープニングの話とちょっと近いんですけども、
私こういうところで結構細かくリサーチをしてるわけですよ。
たまたま具体名を出しちゃいますけども、
今井美希さんがインテルに答えてた記事を読んだんですね。
懐かしいと思いながら読んでいて、
今井美希なんてバブル時代の、私の大学生の頃からはアイコンの一人としてあった人なので、
18:08
彼女は今ロンドンに住んでるし、いろいろ見てたわけなんですけども、
彼女の普通のインタビューですよ。
ネットだとそこに必ずコメントがついてたりするじゃないですか。
そのコメントが全部批判なの。
何の批判をしてるかというと、その記事の批判ではなくて、
彼女がいわゆる略奪婚をした人っていうイメージになってて、
どんなことを言っても、私は略奪婚をした人は永遠に好きになれません。
全部そのコメントなの。
彼女本人の考え方のみをベースにコメントしてるんですね。
だから彼女の今の考え方には略奪婚の話全く出てこないんですよ。
略奪婚って言い方もちょっと違うんだけど、
だいぶ前の話ですけどね、そういう話があったっていう事実はそこに全く書かれてなくて、
彼女の持っている過去の出来事に対するイメージを、
私はこういう人の言ってることは信じられません。
略奪婚した人の話は考えは共感できないので、
海外で適当に頑張ってやってくださいとか、そういうコメントなのね。
全てそういう感じなんですね。
これも実は怖くて、特にネットなんか特にそうなんだけど、
自分の正義を勝手に押し付けてるだけなんですよ。
だからそういうコメントで私は眺めると、
そこに影響を受ける必要は全くなくて、
その人の持っている自分の正義を感想にして言ってるだけだから、
全然その人の本質を見ようとかっていう話とはちょっと違うんですよね。
そうですね。
だから人の意見とかちょっとした出来事で、
その人全体を判断するっていうのは、
実はさっきの人類愛に考えるとちょっと危険かな、感じがしますね。
今井美樹さんの話から。
かわいそうですね、今井美樹さんも。
芸能人だからかもしれないけど、一回ついたイメージってそうなっちゃうんだなっていうところがあって。
相当前の話だと思うんですけど、彼女のその話って。
でももう嫌い、あなたは嫌い、びっくりするほどそのコメントがあって。
彼女のこの記事のインタビューに対するコメントゼロですよ。
それもなんかね。
そういうところでまたちょっと人への見方とか、
そのジャッジメントの仕方っていうのは結構すごい学びになるなと思って見てましたので、
参考にしていただけたらなと思います。
ありがとうございました。
21:00
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
21:50

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