1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.318「二度とチャンスは逃..
2022-05-12 41:24

Vol.318「二度とチャンスは逃すまいと、覚悟を決めてオーストラリアへ ― ジョンソン優子さんインタビュー(1)」

未経験者・初心者向け 海外ECナビゲーター、ジョンソン優子さんのインタビュー前編です。
オーストラリア・パース在住の優子さんが、パースに渡るまでの経緯や定住ビザを得るまでのストーリーなどを伺っています。

オープニングでは、5月から新しく始まった連続ライブについてお話ししています。


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00:14
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
実はですね、さゆみさんとのコンが切れていたという、なんと大失敗をしてしまいまして、彼女と話したね、ところをお伝えするっていう、一人でお伝えするという、なんとも情けない状態が2週間、3週間くらいかな、続くかなと思います。
ごめんなさい、申し訳ありません。
今日はですね、簡単なんですけども、ちょっと最近の近況も含めてね、お伝えしたいなと思っています。
前回はね、フランスの大統領選挙で話をしたんですけども、ちょっとお知らせも込み込みでお伝えしたいと思います。
4月ですか、願望実現祭りのね、連続ライブをやって、3日間チャレンジっていうようなことをやってきたんですね。
で、その中でね、願望を実現するための考え方とか、マインドとか、視点をね、お伝えしてきました。
これはポッドキャストでもね、何回かに分けてお伝えしたりしてると思うので、この辺はね、置いといてなんですけど、
実はね、今回また新しく、定期的にね、中で集中的にライブをすることで、入る、入ってくるもの、変わっていくものっていうのが、
今回の願望実現祭りの時にもすごく感じたので、あるテーマについて集中的にね、ライブをする。
それも毎日のようにだいたい同じ時間なんですけども、やるっていうのはすごく意味があるかなと思ってやっています。
はい、スタートしました。
ちょうどね、この時点ではちょうど3回終わったぐらいなんですけれども、日付的にはね、5月6日、連休中だったんですよね。
連休中に前夜祭的な感じは、これはソワメムだけでやってたんですけども、7日から本当に最後の週末ですよね。
スタートしました。
これはFacebook見れる方はソワメム。
ソワメムの方がね、コメントはすごく活発なのでね、拾ってるのはFacebookのソワメムが多いんじゃないかなと思うんですけど、
ソワメムに入ってない方もFacebookページだったり、あとYouTubeだったり、あとインスタはやっています。
インスタはね、オープンの場所ではなくて、クローズの場所でやっています。
03:07
今回はですね、自分の人生をクリエイトしていくためのマインドっていう視点なんですけども、
願望にあまり偏らない話かなと思います。
だけれども、今まで私が話してきた願望実現に関するマインドに近いところもあるので、
だぶってくるところはあるかと思います。
けれども、もうちょっとね、広く、願望とは関係ない部分でもすごく大事なところとか、そういう話もしていきたいと思っています。
今回の特徴は、私自身がね、考えたんですね。
私自身は、人の変容にすごく興味があって、その人自身が変わっていく、変わっていくっていうか、その人自身が変わっていってもいいし、
その人が新しい環境に飛び込むとかね、新しい世界に飛び込むとか全然いいんですけれども、
自分がこうなりたいなって思う世界、人、そういうところに違和感なく入っていけるっていうのが願望実現のポイントなんですね。
そのためのコーチングをやっていたり、トレーニングをやっているわけなんですけれども、
やっぱりね、上手くいくとか上手くいかないとか、これ願望だけに関わらず、いわゆる上手くいってる人とそうでない人の違いって、どういうところがあるんだろうみたいなところをね、
パターンとして知って、インストールしていくっていうのはすごい大事だなと思っています。
だから、そういう意味でね、連続ライブを一時的に始めたと。
これ1回目、ぜひぜひ見ていただければわかるんですけど、かなりきついことを言っています。
きついというのは、手厳しいと思う方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。
楽しくね、生きていくっていうこともあったり、今の自分を変えたいと思っている人もいらっしゃると思うんですけど、
少なくとも今の自分から変えたい世界に行きたいのであれば、今の自分のままでは変えられないよっていうことをいきなり申し訳ないけど伝えました。
うまくいってる人といってない人は、何が違うのかっていうのを端的に言っています。
それが正直、厳しく聞こえる方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。
06:04
それを覚悟でやりました。
私はその人が変わりたいという思いに応えたいので、正直その人に寄り添ってあげることがゴールではないと思っているわけですよ。
寄り添っていることがゴールであるならば、もし私じゃない方にお願いした方がいいんじゃないかという意味で、
そういう意味でね、それでもいいというもさだけ聞きに来てくださいみたいな、ある意味強気なことを言ったんですね。
ライブの時間も遅いし、正直結果が出る人に、あるいは結果が出る人になってほしい、
なるためのインストールをできる考え方とかマインドを伝えしたいと思っているので、
そういう意味で聞けばいいと思っている人とか、本気じゃない人はいいんじゃないみたいな、そういう感じでね。
今までよりも優しい、今までも優しかったかどうかわからないんですけど、
クライアントさんにはガツンと言ってたこともあんまりライブで言う必要もないじゃないですか。
直接お会いしてるわけでもなく、信頼関係もどこまで言って、言っていいかもわからないんじゃないですか。
傷つく方もいらっしゃると思うし、そういう方だから遠慮ってかけじゃないし、言いたいことは言ってたんですけどね。
そういう意味ではね、もっとガツンとストレートに行こうかなと思って、
これは私自身の覚悟でもあるんですけども、そういうライブを始めました。
ありがたいことに、夜遅い時間なので、毎回ライブで見てくださる方の数が増えてるんですよ、本当に。
後でアーカイブで見てくださっている方もいらっしゃるとは思うんですけども、
本当にあんな遅い時間に30人から40人ぐらい見てくださって、
1日も経たないうちに再生回数が300とか超えてるわけですよ。
だから何度も見てくださっている方もいらっしゃるかもしれないし、
アーカイブで朝見てくださっているとか、別の日に見てくださっている方もいらっしゃるとは思うんですけど、
そんな感じでね、私なりの本当の思いっていうのに答えたいMOSAたちが集まってきてる会だと思うので、
もしご興味がある方はこちらの方にぜひぜひ聞きに来ていただきたいなと思います。
ちょうどね、これを録音しているときが3回目が終わったときなので、
09:00
配信している頃にはもう多分6回ぐらい進んでいる可能性はあるんですけれども、
まずね、1回目にお伝えしたい、それは今のままではね、あなたの願望は叶わないっていうのが1回目。
2回目はモチベーションが上がらない理由。
3回目はちょっと視点を変えて、自己肯定感って本当に大事?みたいな、
天の弱体質のね、私が自己肯定感について語るところをやっております。
なのでね、ちょっと時間はね、気によって若干ずれることがあるんですけども、
大体10時半からやっています。
日本時間の夜10時半からやっております。
なのでね、もしよかったら、今回はだからそういう自己肯定感の話とかね、
自分と向き合うっていうところについてもお伝えしていきたいし、
この部分がね、願望実現にも絶対必要になってくるんですよ。
この願望実現のところでは、ノートのことでもそうなんですけど、
あんまり今まで言っていなかったところでもあるので、
ちょっとそのあたりは結構詳しくお話ししたいかなと思っています。
ということでね、本編スタートです。
はい、本編です。今回はですね、久々のインタビューをお伝えしたいと思います。
今回はね、久しぶりのオーストラリアからの方になります。
未経験者、初心者向け海外ECナビゲーターのジョンソン・ユウコさんです。
彼女と出会ったのはね、本当に最近なんですけれども、
オーストラリアのそれもね、西海岸のね、パースというところで、
ECのね、ビジネス、要はネットショッピングのビジネスをご自身もされているし、
やり方をね、初心者向けにお伝えしているという方です。
彼女のね、このオーストラリアに渡るまでの話であるとか、
来てからの話、結構ドラマティックなので、ぜひ楽しんで聞いてください。
はい、今日はまた素敵なゲストの方に来ていただいています。
オーストラリア在住で、未経験者、初心者向け海外ECナビゲーターのジョンソン・ユウコさんです。
ユウコさん、よろしくお願いいたします。
アキさん、よろしくお願いします。ありがとうございます。
ユウコさんはオーストラリアにお住まいということなんですが、
オーストラリアのどちらにお住まいなんですか?
はい、オーストラリアのですね、地図を見て左側ですね、西側のパースという町に住んでおります。
そちらにどれぐらい住んでらっしゃるんですか?
12:01
えーと、2003年からなので、もうかれこれ19年になりますね。
へー、ずっと西側?
入ったのは西側からなんですけど、途中、タスマニア島っていう、
オーストラリアの右下に小さい北海道サイズの島があるんですけど、
そこで自助を出産しまして、6年ぐらい住んでました。
あー、でまた、帰ってきたんですね。
パースの方に戻られたんですね。
はい、そうなんですよ。
ね、さっきもね、ちらーっと伺ってたんですけど、
オーストラリアの東側とパース側、私のイメージ、勝手なイメージって、
西側の方がちょっとこう、のんびりしているっていうか、
また、シドニーとかあっち側の方とは違うイメージがあるんですけど、
自然もいっぱいあるイメージなんですけど、勝手なね。
どんな感じなんですか?実際パースって。
そうですね、でも基本的にオーストラリアはどこも、
ちょっと出ると自然がいっぱいあるので、のんびりはしてるんですけど、
旅行して実際に思ったのは、東側の方が人種が割と入り混じってる感じ。
アジアからとか、なんかいろんなところから来た人がミックスした感じなんですよね。
でもパースっていうのは、何かちょっと保守的なんですよ。
割と。保守的なところがあるので、白人がやっぱり多いんですよね。
なるほど。
そうなんですよ。だからやっぱりその辺は、特に都市部ですね。
メルボルンとかに旅行に行って帰ってくると、
パースってやっぱりすごく白いなっていうイメージです。
じゃあ、やっぱりユコさんみたいなアジア系、日本人も含めて、
アジア系もそんなにいない?
いるんですよ。いるんですけど、でも割合としては東側とは全然違うと思います。
白人ばかりの中に私が一人なんていう環境なんて、ザラにあったりとかするんですよね。
メンタリティ的にはどうなんですか?保守的な感じ?
やっぱり割とお金持ちなんですよね。どちらかというと。
豊かなんですよ。この西オーストラリア州っていうのは。
なので、うちの旦那さんがよく言うのは、家の作りとかも全然違うんですよね。
こちらはダブルブリックって言って、レンガをレンガ建てで建てていくんですよね。
でも普通は多分シングルなんですよね。レンガが一層なんですよ。
でも男はそういうところちょっとポッシュな感じなので、
ダブルじゃないとダメだよみたいな、なんかそういうところがあったりとか。
それは例えば暑さ寒さのそういう機能的な問題とはまたちょっと違う?
いや、もちろんそれもあると思うんですけど、やっぱりそういうところにすごくこだわりがある。
でも東とは僕たちは違うんだよっていうのがやっぱりありますね。
それが本当に面白いですね。外側からは全然わからない。
オーストラリアといってもやっぱり全然広いですもんね。
15:02
もうやっぱり全然違いますね。
そんな中、ゆう子さんは先ほどおっしゃってたように、
もう20年近くオーストラリアに住んでいて、
海外ECのナビゲーターっていうふうにおっしゃってましたけど、
こちらについてはまた詳しく後でまた伺いたいんですが、
どういうことをされてらっしゃるんですか?
要するにオンラインショップを作りたい方に向けてサポートしていくっていうそんな感じです。
ご自身もオンラインショップをやってらっしゃったんですか?
そうですね。海外向けの、世界に向けて発信していくショップをずっとやってます。
なるほど。今もやってらっしゃるんですか?ご自身も。
やってます。やってます。
ちなみにどういうのを扱ってらっしゃるんですか?
私今はですね、中古着物の歯切れですね。中古着物を販売している感じです。
着物自体もなんですか?
着物自体も売ってるし、着物を歯切れにして、材料として。
小物とか。
そうです。そうです。そうです。
作らないですよ、私は。
作れないけど。作れたらいいですけど。
そこまではちょっとできないので、材料として着物の生地を販売している。
売ってらっしゃるのね。それを使って何か作りたい人とか。
そうです。そうです。
そういうことですね。
そうです。そういうオーダーが世界中から入ってくるっていう感じですね。
なるほどね。
はい。
その話はまた後で伺いたいと思うんですけど、
元々、りょうこさんってやっぱりすごい海外志向の強い人だったんですか?
そうですね。
何か日本で住んでる中で、なんかちょっと窮屈さっていうのを感じてたりとか、
なんかこう自由に伸び伸びできないっていう、
そういう空気感がどうしてもね、日本には社会的にね、あったので、
外に出たい、外に出たいっていうのは常に思ってて、
はい。
それをもう学生の頃から常に思ってました。
なるほどね。
じゃあ、でも学生の時は特になんか留学とかしたりとかはしてなかったんですか?
そうなんですよね。
なんかそこはね、私もなんか、
でもここで留学ってしたら遊べないなとかね。
なるほどね。
そう。
友達は夏休みに交換留学とかね、短期留学とか行ったりしてましたけど、
行ったら私遊べないよねみたいな、なんかそんな感じで留学とかしなかったんですね。
なるほどね。
はい。
じゃあ、最初に海外との接点っていうか、
陽子さんが飛び出すきっかけになったっていうのは、いつのタイミングなんですか?
きっかけはそうですね、一番最初に海外に行ったのは、
当時私はアパレルの会社で販売のお仕事をずっとしてたんですけど、
多分今はそんなことないと思うんですが、
その当時は金属5年で海外に連れてってあげる、
研修旅行に連れてってあげるよっていう、
そういうね、人参を目の前にぶら下げられて、みんなやってたんですよね。
そういう時代があったんですね。
そうなんですよ。
18:00
それでもう5年は絶対勤めるっていうので、
勤めて、一番最初に連れて行ってもらった旅行がフランスのパリだったんですよね。
パリだったんですね。
そうなんですよ。
パリが一番最初の海外旅行先で、もうすごい衝撃でしたね、本当に。
初めてが結局、その研修旅行で行ったパリだったってことですね。
そうなんですよ。
それはちなみにどれぐらいの期間だったんですか。
でも多分1週間ぐらいだったと思いますよ。
何が衝撃的だったんですか。
日本にいると英語が中心じゃないですか。
もちろんそうですよね。
英語が中心で、しかもアメリカ英語が中心で、
フランスって言っても、
英語ぐらい話すでしょう、話せるよね、ぐらい思ってたんですけど、
全然話さないですよね。
カタクラに話さないみたいな。
そこですごく覚えてるのは、タクシーの運転手さんと、
私はわからないながらの英語で会話しようとするんだけど、
向こうはわかってるくせにフランス語で返してくるんですよね。
よくありがちですね。
それですごく喧嘩した思い出があります。
英語をカタクラに話さない場所がここにあるんだ、みたいな感じですね。
でも日本と全然違う文化の感じとか、
違う言葉を話しながらそこにいられるっていう、
そういうところとか、全く違う世界っていうのに、
本当に魅了されたというか、今までと違うっていう、
新しいもの好きなんですよ、とにかく私は。
なるほどね。
ワクワクしました。海外最高っていう感じ。
海外最高って感じだったんだね。初めてでしたね。
そうです。
その後戻られて、研修終わりました。
そこから海外熱がまた出てきたって感じなんですか?
そうですね。その前から海外をすごく行きたいなと思ってたんですけど、
やっぱりこれは絶対に行かなければっていう感じで、
ワーキングホリデーに、どうやって行けばいいかなってずっと思ってたんですけど、
旅行じゃダメって思ったんです。住みたいって思ったんです、私は。
帰りたくないって思ったから、じゃあどうやったらいけるかなと思って。
探した結果、ワーキングホリデーっていうビザがあれば、
1年間は滞在できるっていうのを見つけて、
そういう時ってないんですよね、その当時。
本当にインターネットで調べることもできないので、覚えてますよ。
地球の歩き方っていう。
懐かしい。
ぼんやり買って、それをボロボロになるまで読んで、
そこで情報を集めて、次のターゲットというか目標は、
私はカナダに行くんだっていう、そういう目標で、
もうひたすらお金を貯めてやってました。
ワーホリも色々選べるじゃないですか、国が。
カナダを選んだって理由はあったんですか?
21:02
その当時、私は新しいもの好きって言ったじゃないですか。
それよりちょっと前ぐらいに、日本でスノーボードが
ようやく流行りだした頃だったんです。
そのタイミングだったんですね。
私が当時始めた頃っていうのは、もちろんウェアとかもないんですよね。
スノーボード用のウェアって売ってなくて、
自分たちで友達とアウトドアのウェアに防水スプレーをすごく振って、
当時はサーフショップで買ってきてみたいなので、
すごくハマってたんですね、スノーボードに。
それで、じゃあカナダっていう感じで。
スノーボードできる場所を買いだ。
そうだったんですね。
カナダはワーホリだから1年ですよね。
1年間はどんな1年でした?
もう遊びですよね、本当にね。
最高でした。そもそも私一人暮らしもしたことがなかったし、
割と本当に厳しい親だったので、
一人暮らしもダメ、アルバイトもダメみたいな感じだったんですよね。
そして私は3人兄弟の長女だったので、
その家のルールっていうのをひたすら私が破るみたいな。
私しかいないじゃないですか、最初に破り出す。
そこで後が続くかどうか。
そうなんですよ。
私がいつも辛い思いを抑えつけられながら来てたので、
もう嫌だってなって。
海外に行っても楽しくてしょうがなかったですね、本当に。
めちゃくちゃ楽しくて。
帰りたくなかったんじゃないですか。
もう本当に帰りたくなかったですよ。
本当に。
こういう時に私の性格が出てくるんですけど、
お尻に火がつかないと動かないタイプなんですよね、私。
夏休みの宿題もギリギリにやるタイプ。
超ギリギリガールズなんですよね。
そういう楽しいことはめちゃくちゃ楽しいんだけど、
気がついたら、あれ、もうすぐビザ切れるよね。
どうしようってなるわけですよ。
でももう帰らなければいけない。
ビザ更新できないですもんね。
できないですよ。できない。
そうなんです。
なので、すごく焦った思いがあります。
どうしたんですか、その時。
確かね、少しだけだったら観光ビザに切り替えることができたんですよ。
お金さえあればっていう感じ。
なので、友達にお金を借りて、私の銀行口座に一旦入れてもらって、
口座で証明を出してもらって、
お金ありがとうって返して、
それで大罪伸ばしたりはしてたんですけどね。
どっちにしてもプラス3ヶ月ぐらいですよね。
観光ビザに伸ばされるってこと。
その後のことってどういうふうに思ってたんですか、ゆう子さんは。
その時は帰るしかないよね。
帰ってどうしようかなっていう、
そういう本当にぼやーっとした感じだったんですよ。
どうしようかなっていうので、
でも海外とつながるようなことがしたいなぐらいにしか思ってなくて。
24:04
ちょうどその時に、私とワーキングホリデーに一緒に行ってた地元のお友達が、
彼女は常に同じように行動してたんですけど。
日本の人?
日本の人です。
でもその当時私、実は彼氏がいたので、
向こうで見つけた彼氏がいたので、
彼氏とずっと一緒にいたから、
彼女はその時いなかったんですよ。
いなかったから、いろんな人と出かけて、
社交的に人とのつながりっていうところをすごく深めていてたんですよね。
でも私は彼とのつながりをすごく深めてたっていう、
反対側にいてたんですよ。
でも帰らなければいけないから、
まあでもお別れしなければいけないよねっていう、
まあそういう状況になってしまい、
でもその私のお友達は、
じゃあ帰る前に私は、
友達そこでできたね、
友達とメキシコにね、
ホリデー行くよって帰る前にちょっと行ってくるっていうので、
行ってらっしゃいっていう感じで見送ったんですよね。
で帰ってきたら、
まあなんと私ね、
メキシコ今から行くからっていう感じで、
行った先で仕事を見つけてきて、
もうビザももらえるっていう、
ワークビザも出してもらえるっていうのを、
観光ガイドですよね。
観光ガイドの仕事を見つけてきて、
大きな旅行会社で雇ってもらえるっていうのを見つけてきたんですよね。
へえ。
もうそれで私はもうあれですよ、
マジっていうそんなのあるんやみたいな、
なんかもう本当にすごいショックだったんです。
同じように過ごしてきて、
同じ期間で同じところに住んで、
シェアメイトでしてたのに、
片屋ポンポンポンと目の前に来たチャンスをつかんで、
人とのつながりですよ。
人脈をとにかく上手に使って、
自分の人生をステップアップっていうか、
作っていった。
私は何をやってるんだろうっていうね、
かなり落ち込めました。
すごい。
でもその方もすごいですよね。
まあ旅行に行って、
そこで仕事を見つけてきちゃったってことですよね。
すごいですよね。
でもやっぱそれがあったから、
人生にはみんな平等にね、
チャンスっていうのはあるんだよっていうのをね、
皆さん言いますけど、
でもそれをつかむかつかまないかっていうのもあるんだけど、
目を見開いて、
それをチャンスだっていうふうに捉えてないと、
チャンスって通り過ぎるんだなっていうのが本当に、
だってもう本当に同じ人なの。
共通の友達なんですよね。
共通の友達と一緒に行って、
そこからオファーが出たっていう感じなんで、
いやこれ私、
二度とこんなことはしたくないと思ったので、
もうそこから先は、
出たオファーは絶対にもう即取るっていう。
掴むぞみたいな。
もう本当です、本当です。
それでもすごく悲しい思いをしたので、
それは私の人生の教訓として今も本当にあります。
じゃあ彼女はメキシコに行き、
優子さんは日本に戻ることになったということですね。
そうなんですよ。
そうなんです。
27:00
そうです。
で、そこからじゃあ優子さんはそれを教訓に、
でも日本と海外とつながりを持ちたいって言って、
日本に戻られてからどうしたんですか?
またでもカナダにもう一度戻りたい。
カナダで永住したいってずっと思ってたんですよ。
うん。
でもね、やっぱりビザが本当に難しいんです。
歳を負うごとにビザって、
特にそういう永住系のビザとか、
もう結婚しかないわけですね、ある意味。
本当に軽く取るんだったら。
でもなんかそれはそれで難しいしっていうので、
でも行きたい。
どうしたらいいかなってずっと思いながら、
とりあえず仕事をしながら、
その販売の仕事をずっとしてたんですけど、
でも私って目標がないと動けないタイプなんで、
次はじゃあどこかに行く。
じゃあどこに行こうかって考えたときに、
調べたんですよね、やっぱりね。
調べると、
ワーキングホリデーは一緒に一回だけど、
国を変えればまた行けるっていうのがわかったので。
そういうことなんだ。
そうなんですよ。
そう。
じゃあ国を変えればいいんだと思って、
で、その当時、今はもっといろんな国がね、
フランスとかドイツとかイギリスとかね、
できますけど、私の当時は、
ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、
3カ国だったんですよ。
3カ国だったんですよね。
で、カナダ行きました。
じゃあニュージーランドとオーストラリアか。
しかもニュージーランドとオーストラリアは、
年齢制限がね、30歳までっていう、
そういう制限があるんですよ。
カナダはないの?
25歳なんですよ。
カナダって25なんだ。
この当時ね。
へー、そうだったんだ。
多分なんかそれもあってカナダ行ったような気がします。
もう今行けるうちにみたいな。
そうそうそうそう。
で、オーストラリアとニュージーランドだったらまだ行けるやんと思って、
じゃあどっちにしようかなって考えた時に、
でもニュージーランドちょっと田舎すぎるよなと思って、
いやオーストラリアかなって調べたんですよね。
バンクーバー私は本当に好きだった。
今でも本当に好きな町なんですけど、
世界で一番美しい町っていう風に言われてますけど、
そんなとこに住みたいなと思って調べたら、
パースもなんか世界で一番美しい町の一つみたいな、
に出てたので、ここしかないわと思って。
それでパースに来ることに決めました。
で、その間お仕事はどうしたんですか?
行くまでは日本で。
販売の仕事をずっとしてたんですけども、
まあやっぱり販売って言っても洋服の販売なので、
そんな給料めちゃ良くないんですよね。
なので何かこう副業というかお小遣い程度のものが何か欲しいなと思って、
で、その当時ヤフーオークションっていうのがスタートし始めた頃だったんですよね。
で、ヤフーオークションが始まって、
多分私カナダにいた頃から割とイーベイとか、
そういったところで買い物してたんですよ。
ネットショッピングですよね、要はね。
そうです。買って日本に送ってもらったりとかしてたんですよね。
なのでその、じゃあヤフーオーク、まだ新しいものが好きなので、
30:01
ヤフーオークか何か面白そう、何かやってみようかなという感じでやるんですけど、
その当時他の人っていうのは、
日本にある不要品をヤフーオークで販売するっていう、
そういうビジネスモデルを皆さんされてたんですけど、
私の場合は、じゃあ海外で日本未発売のもの、
それをじゃあ探してきて売ればいいやっていうので、
イーベイとかでかなり安くで売ってるんですよね。
やっぱ日本の相場と比べると。
ですよね、現地に残ってるからね。
そうなんですよ。
でもイーベイって基本その当時やっぱ中古品が多かったので、
中古品で何かで探したときに、
日本のOLさんが雑誌あるじゃないですか、ちょっとお高い雑誌。
クラッシーとかそういう系のね。
そうです。
ああいう系のところにね、ケイドスペードっていうのが出たんですよ。
ケイドスペードすごく人気だったんですね、その当時。
で、その時履いたのはパンプスだったんですよ、
カバンじゃなくてバッグじゃなくてパンプスから何故か履いてたんですよね。
結構取り上げられてて、ペタンコのバレーシューズ、
フラットシューズにちょっと飾りがついててすごく流行ってたんですよね。
で、日本では売ってないから、
それをヤフオクで中古で売っている人がいたんですよ。
中古ですよ、靴の中古です。
私もその当時もそんな価値観ありえないと思ってた。
人が履いた靴なんてよく履けるなと思ってたんですよ。
でもそれが結構いい値段で売れてたりしてたんですよね、ヤフオクで。
これもこの価格差を見て、これしかないわみたいな感じで
結構買い付けに行ったりとか買ってたんですね。
それはどこの国で買ってるケースが多かったんですか?
やっぱりアメリカですね。アメリカで買っててましたね。
じゃあ、そういう穴場っていうか、未発売で海外から取り寄せるのを一人でやるのは絶対無理な人向けに
自分で買い付けて、ヤフオクで売れたと。
そうです。倍以上の値段で売れました。
でも、英語なんてそんな必要ないんですけどね。
でも一応できたっていう感じなんですよ。
そこで漁業もされてたっていう感じなんですね。
そういうことですね。
結構いろんなことをためて。
ためてオーストラリア。その時、何歳だったの?
30、ギリギリの時だったの?
ギリホリっていうやつですよ、本当に。
ギリホリって言うんですよ。
もうまたこれもね、私本当にギリギリの人生で
確か、私誕生日が1月の24日なんですよね。
で、ビザが降りたのは結構前に入国できますよっていうのは
確か12月とかから入国できてたんですけど
でもここまでに入国しないとこのビザ取り消すですよって言われてたのが
誕生日だったんですよね。
33:01
本当にギリギリで。
しかもそのギリギリに入国したっていう。
その誕生日のタイミング?
1日前に入国しました。
へー。
そうなんですよ。
で、その時オーストラリアに今回行くぞっていう時は
やっぱりカナダでの学びもあるじゃないですか。
どういう気持ちでオーストラリアに行ったんですか?
もうね、二度と同じ鉄を踏まない。もうそこです。
例のメキシコに行ってしまった時にも。
ぼーっとして1年過ごすのは絶対にこれはないと思って
絶対に私はここに永住するんだっていう気持ちで来ました。
もうそのつもりで行ってたんですね。
行ってました。なので仕事なのか何かいい出会いがあるのか
それは分からないけれども
絶対にしがみついてでも何とかして見つけようと思って。
もうただ楽しいで終わらないぞと。
そうです。本当そうです。
なのでもう日本人とはつるまないっていうそっちですね。
あー。
はい。
なるほど。カナダの時と違ったわけですね。
違います。違います。
で、結果的に今永住されてますけど
どういう形で永住になったんですか?
そうですね。最初は旅行会社で働いてたりとかしたんですけど
そうです。結局今の旦那さんと知り合って
感じたんですけどね。
なるほどね。じゃあ結構早かったんですか?
いや違いますよ。ワーホリー終わって
でもなんかそんなすぐにはっていう感じなので
でもお付き合い続けるっていうところですから
でも私は日本に帰りたくなかったので
今度はじゃあ学校に行く。学校行くよ。
学生ビザに切り替えたんです。
学生ビザにね。
そうです。もう何とかしてっていうところです。
帰ったらダメなんですよ。こういうのって本当に。
日本に帰っちゃうとダメです。絶対ダメです。
そうするとダメですよ。
だからもしそういうので悩まれてる方がいらっしゃるには
もうしがみついてでもビザを変えてても
何とかして入れる方法っていうのはね
あるのでそうした方が絶対いいです。
間開けたらダメですよ。本当に。
いやすごい教訓、経験賞があるんですよね。
本当にね。
と思います。
学生に切り替えて、その学生っていうのは
働くことができたんですか?
できました。できました。学生ビザは。
副業的にっていうか仕事もしながら
学生も続けていけるっていうビザ。
そうです。生活も何とかできたっていう感じですね。
結局結婚されたのはどのタイミングだったんですか?
これもね私本当に人生いろいろあったなっていう
なんか本に書けるかなっていう感じだけど
旦那さんがねその当時別の人をスポンサーしてたんですよね。
スポンサーってどういう意味ですか?
ないのかそっちには。ビザの保証人?
そういう現地の人が保証するっていうことで
ビザがっていう。
そういうことですね。例えばだから結婚するんであれば
36:00
その奥さんとなる人をスポンサーしますよっていう
その人の身元引き受け人みたいな感じなんですね。
そういうのがあったのですぐにできなかったんですね。
やっぱそのダブルでやっちゃいけないんだ。
そうなんですよ。でその相手の方とはもうお別れしてたんだけど
そこから何ヶ月間とかそういう期間を空けないと
次のスポンサーできないというそんな法律があったので
なので私のスポンサーはやりたくてもできないっていう状況だった。
期間を待たないとね。できないんですよ。
でどうするでもこれ帰ったらダメよねっていうところがあったんですけど
でもまあそのタイミングで上の子を妊娠してたんで
帰っちゃダメっていうか親がねうちの親が帰ってくるなって言ったんですよね。
帰ってきたら逃げられるから帰ってくるなって
どんな親って今考えたら思うんだけど
だから帰らずにじゃあこっちで出産っていう
一人で出産ですよ。だから初めての出産を海外で一人でも
多分おかしいですね私ね。
え、じゃあその時は学生でビザを更新してた感じですか?
そうなんです。でも学生ビザもその1年しかねできないの。1年だったので
そこから先はもうブリッジングビザっていう
もうその移民局にその状況を説明して
アプライはできるけれどもそのすぐには降りないから
繋ぎのビザっていう。待ち時間の間みたいな感じで
それを出してもらっていたっていう感じですね。
その間に出産もしてたわけか。
そうですそうです。そうなんですよ。
各国ビザあるある話ってあるじゃないですか
大変でどうやって繋いでいくかとか
心にどれくらい揉めるかとか
本当に二度と嫌です。もうなんか大丈夫かなっていうあれ
だから正規で心置きなく住めるってことが
どれくらい心の平和をもたらすかっていうのは
本当そうですよ。海外生活の人は分かる話ですよね。
そうで何があれっていうと日本人はそうでもないと思うんですけど
判断を下すこの人はいてok
ビザ発給のイエスノーをするのは
審査官の心一つみたいなところがあるんですよね。
これは本当にフランスもそうですよ。
誰に当たるかであなたの運命は変わる。
本当そうです。あれひどくないですか。
その人の同じ人でも朝と夜で機嫌が違うじゃないですか。
それに運命が変わっちゃうわけだから
そうですよ。ドキドキですよね本当に。
でも出産抱えながらだとちょっとストレス的にきついですよね。
きついですよ。だからそこを武器というかアピールポイントにして
私もお腹大きいし、別にこの関係が偽物だっていうのはまずないし
39:00
すごくアピールしたのを覚えてます。
そうするうちにその審査官がホリデーだったかな
入院したか何かで何ヶ月がいなくなっちゃって
私の身がどうなるのっていう
ちゃんとその人になっちゃったのはその人なんですか。
基本そうなんですよね。引き継がないんですよ。
帰ってくるまで待ってねとか言われて
なんか大らかな国というか
めっちゃオーストラリアあるあるです。本当に。
そうなんですね。
無事彼がスポンサーになってくれて
普通のビザになったのは
どのタイミングになったんですか。
覚えてないです。覚えてないけど
産んだ後は確かですよね。少なくともね。
産んだ後ってことですね。
だったような気がします。後です。だってそう。
だって病院代はプライベートの学生の時に入ってた保険で
カバーできたんです。
一人で産んだわけだからね。結局ね。
それもプライベートの学生保険に入ってて
よかったっていうやつですね。
なかったら大変でしたね。全部GPですから。
本当に。
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