百合佐織
永住券の取りやすさとかいろいろ考えて、
カナダかオーストラリアかみたいなところ、
選択肢が出てきたって感じですかね。
カナダとオーストラリアが残ったんだ。
あ、そうですね。
その条件だと。
なるほどね。
で、その中から、
近藤淳也
自然もめっちゃ近いみたいなのを、
どっかで見つけて。
百合佐織
まあなんかもう結構前なので、あんまりどっかで見つけて、
で、あと
カナダってめっちゃ寒いと思ってたんですけど、
バンクーバーは意外とそこまで寒くなくて、
あ、そうなの?
そうみたいです。
東京と同じくらい?
あ、そうなの?
冬はやっぱり寒い。
冬はやっぱり寒い?
冬はやっぱり寒いかなって思って、
そうみたいです。東京と同じくらい、冬は。
近藤淳也
あ、冬、東京と同じくらい?
百合佐織
らしいですよ。
え、意外。
桑原佑輔
全然想像と違いますね。
近藤淳也
だって井戸で言ったら、だいぶ井戸高いですよね。
北海道よりも高いですよね。
百合佐織
もちろんもちろん。
ですよね。
近藤淳也
もう、だって金沢やもんな。
桑原佑輔
寒いってイメージがもう先行してますね。
近藤淳也
あ、そうなんですか。それは太平洋があるから。
百合佐織
なんですかね。温暖な気流、海流。
なぜなのかはちょっとまだわからないんですけど。
で、街中だと雪も東京並み。
たまに降るかなみたいな感じで。
あ、結構過ごしやすそうだなっていうのがあって、いいやんって。
近藤淳也
いいやんってなっていくことになった。
百合佐織
で、オーストラリアとの違いとしては、ワンクーバーってサンフランシスコとかと時差がなくて、
あわよくばサンフランシスコの仕事とかがリモートでしやすいみたいな。
近藤淳也
シュリコンバレーの会社とかの人も結構仕事しやすいみたいな。
百合佐織
そうですね。
あ、ちょっと補足としましては、夫はプログラマーなので、
なんというか、アメリカのスタートアップ系の仕事とかもできたらいいなって思ってたんで、
なのでちょっと、オーストラリアよりカナダのワンクーバーのほうがいいかなっていう感じで、
年を決めました。
近藤淳也
なるほどね。じゃあ、夫さんの、夫さんは名前は出さないほうがいいかな。
百合佐織
あ、いいですよ。天木くん。
近藤淳也
天木くん。天木くんもよく知ってるんで、天木くんと呼ばせていただきますけど、
じゃあ天木くんの会社の事情で転勤とかでもなく、かつ、その会社のある場所でもないっていうことなんですよね。
今、海外の会社で仕事はされてるけど、その会社がある国でもない。
百合佐織
国でもないです。
近藤淳也
そこまでして海外に行きたいっていうのは、どういうとこだったんですか?
百合佐織
そうですね、夫の。海外に行きたい。
そうですね、夫がもともと外国人の移民産生として日本に生まれて、
たぶん私とかと日本に対する貴族意識が、あんまりちょっと違うのかなと思ってて、
近藤淳也
どうせ外国人ならどこに住んでも一緒みたいなのは、ちょっと実はあったんじゃないかなって思ってて。
百合佐織
それ以外の選択肢も別にそんなに不自然じゃない感じが。
本当に東京に行くのも海外に行くのも一緒みたいな感じが、ちょっと結構予想ですけど、あったんじゃないかなって思ってて。
じゃあ、なんかそのキャリア的に一回海外で経験を積みたいとか、そういうことではあんまりないってこと?
積極的な理由があるわけではないと思うんですけど、東京と海外とグラフィック、どっちのほうがキャリア積めるかなっていうと、
海外のほうが積めるんじゃないかなっていうのはあると思います。
それはあるんですよね。
さっきの話だと、じゃあ甘井くんは会社が変わる可能性も視野に入れているっていうことなんですね。
たぶんしばらくは一緒だと思うんですけど、そのうち。
近藤淳也
じゃあ、西海岸の会社とかに所属する可能性とかもあるかなみたいな感じなんですか。
じゃあ細かい話になりますけど、ビザは会社が何か出したりしてるわけではなくて、自分で単独で取っているっていう。
百合佐織
ちょっとややこしいんですけど、カナダの移民コンサルみたいな会社と契約して、
その移民コンサルがビザを出してくれて、就労ビザを出してくれて、それで行くみたいな感じですかね。
なるほど、なるほど。じゃあ一応そこにも雇用契約があって、そこの契約。
そうです、委託料みたいなのを払って、雇用してもらっているという体にして。
近藤淳也
そういう仕組みがあるんだ。
じゃあそこと今の会社と二重で契約があるみたいな状態でいくんですね。
そうですね。
百合佐織
今働いているインドの会社は業務委託として働いているんで、
自分の会社を一旦経由して、でも雇われているっていう。
わかりますかね、三者でのお金。
近藤淳也
そうか、その移民のビザを出してくれる会社に業務委託を一回して、
百合佐織
そこから給料が現れるってこと。
近藤淳也
一回こう間に入れてっていうことですか。
百合佐織
じゃあ一本につながってるんですね、一応。
見かけと、見かけ上は雇用されてるけど、業務委託契約でって感じですね。
近藤淳也
じゃあそこは会社も協力してくれたんだ。
ちょっと違うかな。
百合佐織
違うの?
結構ややこしい。
近藤淳也
ややこしい?
百合佐織
インドの会社が天城くんの会社に業務委託で。
近藤淳也
天城くんの会社があるってことか。
そうですそうです。
自分でまず会社を法人立てていて。
百合佐織
そうですそうです。
近藤淳也
そういうことですね。
はい。
百合佐織
やっと買ってきました。
近藤淳也
すみません、めっちゃややこしい。
いえいえいえ。
百合佐織
なるほどなるほど。
近藤淳也
それも準備もスムーズに割といって。
百合佐織
いろいろバタバタしましたけど、なんとかって感じですかね。
でも時期的には最初に言ってた予定通りの時期になりましたよね。
近藤淳也
それがすごいなと思って。
だいたいこういうのって言ってたスケジュールから遅れて、やっとビザが降りて、
百合佐織
さすがゆりさんだなっていう。
ほぼほぼ天城くんが頑張ってました。
近藤淳也
そうか。
話を聞いていると天城くんの行きたいって気持ちも結構大きかったみたいな感じですけど、
ゆりさん的にはそこの期待感というか、
海外行ってみたい気持ちとか、何したいみたいなとかは。
百合佐織
めっちゃ楽しみ。
近藤淳也
楽しみです。
英語とかは話せます?
百合佐織
私は全然喋れないんで、ちょっと。
近藤淳也
行ってから頑張ろうかなって感じです。
百合佐織
その行きたい気持ちの内側はどんな感じなんですか。
私は本当に日本まで日本育ちで、海外に行くっていう概念がそもそもなかったんですけど。
まあでも夫が行きたいっていうのがあって、最初は結構渋ってたんですけど。
近藤淳也
渋ってたんだ。
百合佐織
そうなんですか。最初はそうだったんですね。
そうですね。本当にどうなるかが全然わからんみたいな。
確かに。未知の世界がありますね。
ビザとか取れるみたいなところがあって。
百合佐織
でも今は結構楽しみで、本当に日本育ちで日本しか知らないんで、
日本に住むことで、日本ってどういう国なんだろうみたいなのをちょっと客観的に見てみたいなっていうのがありますからね。
近藤淳也
それはでもいいかもですね。一回。
日本の良さを知るために海外に行くっていう。
百合佐織
そうですね。
あとやっぱり英語が習得できるっていうのは結構強みになるかなって思ってまして。
日本の人口ってどんどん減っていってると思ってて、20年後とかにまだ働かないといけないけど、
日本の人口はどんどん減っていって、今ある日本の産業とかも成り立たなくなっていくと思うんですけど、
そこで英語があればちょっとなんとかなる部分もあるんじゃないかなみたいな期待もありますかね。
近藤淳也
なるほど。ゆりさんはわりと日本の未来に関しては悲観的ですよね。
百合佐織
悲観的っていうか単純に冷静なだけかもしれないですけど、過度な期待は持ってないですよね。
全然悲観的とかではないんですけど、人口が、未来って全然予測できないと思うんですけど、人口が減ることだけは確実ではあるんで、
気がついたら全然仕事がないみたいな、よりかはもうちょっと強みとかを身につけておいたほうがいいかなっていう感じなんですけど。
近藤淳也
国の規模が、そもそも国っていうか人口の規模がちっちゃくなるから、経済の規模も小さくなるし、
そうしたら一個一個の産業の規模というのも、国内に閉じている限りはどんどんちっちゃくなっていくっていうのは、
まあ、あるって。
そうですよねっていう、見えている未来ですよね。
百合佐織
物件ファンとかも、結構ニッチなメディアだと思うんですけど、今の1億2000万人ぐらい人口がいるからギリギリ成り立ってるけど、
近藤淳也
これが減ってくると結構、どんどん収入は減っていくみたいなのはあるかなと思ってて。
桑原佑輔
おだやかそうな顔して、結構冷静な現状分析をされていて、聞いていると、僕も逃げたほうがいいんやろうかみたいな。
近藤淳也
こっち側がもう、確かに。
なってくるのが、ゆりさんの冷静な見たてっていう。
百合佐織
冷静すぎる、冷静ながゆえに説得力があって。
近藤淳也
大丈夫かな、ここにいてって気になってくるんですよ。
百合佐織
いやいやいや、そんなそんな。
近藤淳也
うーん、そうか。
百合佐織
はい。
近藤淳也
じゃあもう当面行く予定?
百合佐織
そうですね、その期間とかは全然決めてなくて、でもこう長くいれそうだったらいたいなっていう感じですかね。
近藤淳也
もちろんその病気とかあったら帰ってくると思うんですけど。
なるほどね、いやどうなるかな。
桑原佑輔
ですね。
近藤淳也
もうだから海外に住むのも初めてだし。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
行くのは行ってたのかな?
百合佐織
旅行で行ったことあるぐらいですかね。
はいはいはい。
シリコンバレーとかも3週間行った。
近藤淳也
あーそうか、はいはい。
でもまあじゃあほんと住むのも初めてで。
百合佐織
はい。
近藤淳也
まあ先はちょっと行ってみてから。
百合佐織
確かに。
もう全然家とかも決まってないんで。
あ、家も決まってないの?
桑原佑輔
決まってないです。
百合佐織
現段階でも決まってないんですか?
決まってないです。
えー。
最初はAirbnbで1ヶ月ぐらい泊まりながら内覧とかして。
はいはい。
で、いい家があったらいいなっていう状況です、今。
えー。
楽しそうですね。
近藤淳也
場所はワンクーバー市内ですか?
百合佐織
いや、ちょっと隣の市。
ちょっと郊外に行くイメージです。
近藤淳也
それは決まってるんや。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
家は一軒家?
百合佐織
いや、わかんないです。
それもわかんない。
近藤淳也
おー。
百合佐織
マンションとかもありますし。
近藤淳也
えー、ですよね。
はい。
それももう行ってみてから。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
いろいろ見て考える。
はい。
百合佐織
わー。
桑原佑輔
なんか、冒険感ありますね。
近藤淳也
そうですね。
百合佐織
ありますね。
なかなか。
でも結構、今もめっちゃ楽しみな。
近藤淳也
で、あれですよね。
日本の荷物をいろいろ処分してるっていうのは、
持っていかないんですか?あんまり。
百合佐織
大きいのは持っていかないです。
近藤淳也
荷物はどれぐらいで、どうやって運ぶの?
百合佐織
えーと、2種類ありまして、
飛行機ででっかい預け入れ荷物6個。
で、こう、服とか。
すぐいるやつね。
すぐいるやつを持ってって、
それとは別に船便ってやつで、
船で2ヶ月ぐらいかけてゆっくり送るやつ。
と、2種類で送る感じですかね。
近藤淳也
それは量的には。
百合佐織
量。
近藤淳也
どれぐらいまで持っていって、どれぐらいが処分するイメージなんですか?
百合佐織
うーん、本当に家具、家電系は全部処分して。
家電も。
近藤淳也
家電も。
百合佐織
ほうほうほう。
で、こう、一人でも軽々持っているようなぐらいの規模からちょっと持っていこうかなって感じですかね。
へー。
近藤淳也
じゃあ、例えばテレビとかは。
百合佐織
は全部、はい、処分します。
近藤淳也
パソコンは持っていくけど。
百合佐織
パソコンはもちろん。
近藤淳也
じゃあ、なんやろう、給湯器は?
そんなにもっとでっかい場合はないですよ。
逆に何持っていくんや。ドライヤーとか持っていくってこと?
百合佐織
ドライヤー持っていかないです。
桑原佑輔
電圧とか違いそうですしね。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
じゃあ、逆に何持っていくんや。
百合佐織
あ、それ海外に住んであったから。
近藤淳也
あー、そうですね。
桑原佑輔
その時はほぼ何も、キャリーバッグ1個だけ行ったんで。
へー。
近藤淳也
あ、そう、でも結構長かったんでしょ。
国はどこですか?
桑原佑輔
ラオスっていうすごい東南アジアのちっちゃい国なんですけど、2年住んでました。
近藤淳也
ですよね。
キャリーバッグ1個。
桑原佑輔
キャリーバッグ1個で行きましたね。
へー。
近藤淳也
えー、身軽ですね。
身軽でしたね。
桑原佑輔
もう全部現地で買えばいいやと思っていて。
ドライヤーとかも持ってって、コンセントそのまま繋いじゃうと爆発するじゃないですけど、
近藤淳也
なんかダメなので、もう向こうで調達みたいなので、最低限のパソコンとか服とかだけで行きましたね。
まあ、あったかい服もいらなさそうやもんな。
桑原佑輔
そうです。半袖短パンサンダルで過ごせるので。
そこは多分、カナダと大きな違いはあるかなと思います。
近藤淳也
ね、なんとかなったんですかね。
桑原佑輔
なんとかなりましたね。
どんどん現地のものに染まっていくので、現地人ぽい顔にはなっていきましたけど。
百合佐織
顔つきも。
近藤淳也
そのときは日本の生活の荷物はどうしたの?
桑原佑輔
実家に置いてました。
近藤淳也
そこは実家に入れた。
桑原佑輔
そうですね。
なので、それこそ大学生から社会人になってそのままあったので、家具家電みたいなのがあんまりなかったので、
処分するとかもあんまりなかったですね。
近藤淳也
それに比べたら、やっぱり百合山地はあるよね。
桑原佑輔
ありますよね。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
お子さんもいて、結構長く暮らしてるわけですもんね。
百合佐織
そうですね。
一番多いの、たぶん子供のおもちゃ類が。
現地で気に入れやすがあるかまだわかんないし、愛着があるものもたぶんいっぱいあると思うので、一番多いの子供の。
近藤淳也
そっちなん?
百合佐織
だと思います。
近藤淳也
そっちなんや。
そのうち使わなくなるのにね。
でも逆に、確かに向こう出てたら全部いきなり英語になったりするし、どうすりゃいいのってなるかもね、最初。
百合佐織
そうですね。日本の絵本とかも全部。
大人はKindleでいいですけど、子供の絵本とかは全部持っていくつもりです。
そうかそうか。
近藤淳也
いやー、しかし僕はなんでドライヤーって言ったんやろうな。
確かにでも逆にあんま思いつかないな。これはっていうものですね。
百合佐織
なんか意外とないんですよね。
近藤淳也
言っても確かにパソコンとiPhoneと、なんなんや次ってなったわ。
家にいっぱいあるあのものたちは一体なんなんやろう。
桑原佑輔
今浮かんだのは、薬とかは結構いろんなものができました。やっぱり東南アジアで浮かんなかったのでみたいなのは。
確かに確かに。
そういうのはどうですか?
百合佐織
薬いっぱい持っていこうと思ってます。
近藤淳也
やっぱりそうなんだ。
確かに。よくわかんないもんね。
百合佐織
よくわかんないですね。
近藤淳也
大陸渡くと変な病気がかかっていくときもあるしね。
あるよね。
なんかその伝染病みたいなの体制がなかったりとか、大陸によって違ったりするでしょう。
カナダは大丈夫かな。
百合佐織
まあでも、わかんないですね。
近藤淳也
なるほど、まあじゃあ、いよいよですね。ちょっと行きたいですね、落ち着いたらね。
百合佐織
行きたいですね。
桑原佑輔
行く?
行きましょうよ。
百合佐織
いいね。
桑原佑輔
はい、ちょっと全員で。
はい、伺います。
百合佐織
お待ちしております。
近藤淳也
なんか、じゃあカナダはそんなもん、聞いたことある?
桑原佑輔
聞きたいことは、僕一個あって、あの、現地でのゆりさんのお仕事。
近藤淳也
ああ、そうですよ。
百合佐織
確かに。
桑原佑輔
お伺いしとかないとなと。
近藤淳也
そうですね。
百合佐織
現地での仕事は、近藤さんにこう、交渉というか。
ちょっとリモートでも仕事させてくださいって、こうお願いしまして。
で、ちょっと近藤さんは、OKいただいて。
で、物件ファンの仕事を引き続き、やらせてもらおうかなと思ってます。
桑原佑輔
すごい、カナダから。
百合佐織
カナダから。
桑原佑輔
物件ファンの仕事。
近藤淳也
はい。
ですよね。
はい。
温度車にとっても、ちょっとチャレンジングな感じであるんですけど。
もう、ゆりさんの、ね、物件ファン愛は。
なんか、だってあの、いや、僕は、ちょっと難しいとこもあるかなと思ってたんですけど。
私はいかに物件ファンの仕事がしたいかって、なんか、プレゼンしてくれたもんね、一回。
桑原佑輔
資料用意してるんですか?
うん。
百合佐織
プレゼン資料を作り、こう、なぜやりたいかっていうのをプレゼンして。
で、こういうふうなやり方ならできるんじゃないかみたいな。
実際と、ミーティング時間を何時にしてとかを資料にして。
で、この際見せながら。
桑原佑輔
はい。
百合佐織
って感じでしたよね。
近藤淳也
そうですね。
すごいですね。
いや、なんかもうその、ちょうどね、この前も出てもらったその中野さんが編集長を変わるみたいなのもあったし。
ちょうど重なったんだよね、タイミングが。
百合佐織
そうなんですよ。
近藤淳也
中野さんが、私も3年やったんで、そろそろみたいな話を聞き出された日と同じ日?
百合佐織
同じ日です。
近藤淳也
ゆりさんに、ついにそういう時が来たかみたいな相談をするのかと思いきや、ゆりさんからも話があるって言われて、
実は、彼方に行きますって言われて。
百合佐織
横野さんもめっちゃズーンとさせてしまうっていう。
桑原佑輔
そうですね、ダブルパンチというか。
近藤淳也
ズーンともあるし、人間的な寂しさもあるけど、物件犯が回るのかっていう、その現実的な話として。
普通に考えたら、ちょっと厳しいかもな、みたいなのもね、あったんで。
どうしたらいい、なんかその、公認を探す必要があるのかなとかもあったし、
もしかしたら、どっかに譲るっていうか、事業を引き継いでもらうみたいなことも考えた方がいいんやろうかみたいなのも、
結構真剣にその時に考え始めて、
割と一人で勝手に難しいだろうっていう想定で、いろいろ考え始めたんだけど、
そしたら、ゆりさんがプレゼンして。
百合佐織
安心してください、みたいな。
桑原佑輔
こうやればできますよ、みたいな。
近藤淳也
そこまでね、思いのある人がいてくれるなら、
そんなに次、他の方法はあえてすることもないかなと思ったんですけど、
とはいえね、やっぱりどうなるかなって、ほんとやってみないとだと思うんで。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
いろいろちょっとね、相談しながらというか、うまくやっていければいいですけど。
でもそこまでして、逆に音頭の仕事を続けたいと思ってくれたのは、すごい嬉しくて。
百合佐織
よかったです。
近藤淳也
すごい嬉しいんで。
っていうのと、あとは、僕も昔、ちょっとシリコンバレー行ってくるわって言って、
日本に社員置いて出て行ったっていうか、海を渡ったことがあるので、
無理やろって決めつけれないっていうか、なんかその…
桑原佑輔
ちょっとご自身でも一回言えとして。
近藤淳也
まあ、いや、どの口が言うって感じじゃないですかね。
みたいなのもあったんで、まあまあやってみようかっていうね。
桑原佑輔
すごいですね。物件ファンとしてもちょっと新たなチャレンジが。
そうですね。
近藤淳也
どうなるかなっていうね。
近藤淳也
まあでもなんかね、ちょっとそのきっかけに、新しいメンバーも今度入ろうかなとしているし。
百合佐織
そうですね。とりあえず編集部のメンバーを一人増やして、
で、さらにちょっとアルバイトも増やそうかなっていう風な感じで。
引っ越し準備は忙しいのに、めちゃくちゃ面接してました、最終。
近藤淳也
なので、まあそういうきっかけにまたね、物件ファンチームも次の世代というか、
新しい人も入って、また新しいチームになっていくのかなっていうのもあるから、
まあまあいいんじゃないですかね。進んでいけば。
百合佐織
進んでいけば。
近藤淳也
満足しました?
桑原佑輔
はい。聞けてよかったです。
近藤淳也
聞けてよかったですかね。
他、聞きたいことありますか?カナダ。
桑原佑輔
カナダ関係。
近藤淳也
イーノさんに会おうとしてるんですよね。
百合佐織
あ、イーノさん。
桑原佑輔
そうなんですか。
百合佐織
でも、面識はないんで。
近藤淳也
あ、そうかそうか。
なんかイーノさんが通るコースの結構近くなんでしょ。
あの、イーノさんのコースは、今7年かけで、世界5大陸を全て足で走るっていうので、
走り始めていて、イブキの方で、今走ってるのはここですっていうトラッキングをしていまして、
昨日はおはよう日本に登場したんですけど、イブキが。
というイーノさんですけど、
今北極海に面した、一番アメリカ大陸の北の端からスタートして南下してるんですよね。
で、そのコースが今度の家の近くを通るのかな。
百合佐織
そうですね。今、アメリカ大陸のアラスカの方を走ってはると思うんですけど、
で、そのまま南下してきて、カナダの一番南の方でちょっと都市部を走るっぽくて、
その辺が結構家から近いかなって感じなので、
面識はないけど、
近藤淳也
面識はないんですね。
百合佐織
温度シャツしてスポンサーしてるし、ちょっと応援、応援というか、見に行こうかなっていう。
近藤淳也
ぜひぜひ。
桑原佑輔
なんか近所の大会応援に行くぐらいの話ですけど、カナダですよね。
面白いね。ちょっと応援に行こうかなと。
近藤淳也
そうか。
はい、ひとまずね、立ち上げの様子、教えてくださいね、いろいろ。
百合佐織
はい、教えてください。
近藤淳也
立ち上げって面白いじゃないですか。
そうですね。
こんな家になりましたとか。
百合佐織
確かに。
近藤淳也
確かに確かに。
こんな車買いましたとか。車も買うんでしょ。
百合佐織
車買う予定です。
近藤淳也
ねえ、とか、なんか楽しいよね。
百合佐織
楽しいですよね。
近藤淳也
僕は、そのシリコンバレー渡ったときに、最初、やっぱ2ヶ月ぐらいかな、そういうセットアップで、落ち着くまでかかった感じがするけど、なんかRPGやってるみたいでした。
ドラクエとかで、いろいろお城行って、なんか道具買って、いろいろあっち、次はあっち行って、次はこっち行って、みたいな。
百合佐織
なんかゲームっぽくなってきて、だんだん。今もそうかもしれないけど、すでに。
近藤淳也
なんていうの、いちいち考えてても進まへんから、もう。
百合佐織
とりあえずこう、行ってみて。
近藤淳也
ゲームのコントローラーを折れたら、動かしてるみたいな気持ちで、はい、次、鍵屋さんね、みたいな。
百合佐織
もう未知の世界観でね。
全然都市観もないところで。
桑原佑輔
確かに。
百合佐織
確かにRPGっぽいですね。
近藤淳也
そうそうそうそう。
まあちょっとね、はい、ここから最後準備と、行ってからもうしばらく立ち上げで、結構大変だと思います。
まあ応援してますんで。
百合佐織
ありがとうございます。
近藤淳也
頑張ってください。
百合佐織
ありがとうございます。
近藤淳也
じゃあゆりさんのことちょっと、もうちょい聞きますか。
はい。
はい。
じゃあもうね、僕はまあ結構知ってるって言うのは知ってるんですけど、振り返ります?
百合佐織
はい、振り返り。
なんかこのラジオを撮るってことになって、なんか老いたちをちょっと思い出して見てたんですけど、
なんか一番最初にこの仕事の、今のwebの仕事のことについて考えたのが、
たぶん小学校ぐらいの時かなと思って。
え、早い。
え?
まあその時は全然、そのどうなるかわかってなかったんですけど、
ちっちゃい頃にあの、昔VHSってあったじゃないですか。
はいはい、ビデオのね。
え?
近藤淳也
違うの?ビデオじゃないの?
百合佐織
ビデオです、ビデオです。
ビデオのVHSってあったと思って、
で、私子供の頃は結構インドアだったんで、ずっと家にいて、
金曜ロードショーとかをVHSに録画して、
で、ずっと見てるような感じだったんですけど、
そのある日VHSがなくなってDVDになって、
はいはい。
その後ハードディスクとかどんどん出てきたじゃないですか。
で、こう、その時にリモコンがどんどん難しくなっていくことに対して、
なんか違和感というか。
違和感じゃないですけど。
近藤淳也
変な小学生やな。
百合佐織
こうなんか、ただ映像を見たいだけなのに、
どんどん難しくなっていくのは何でなんだろうみたいなことを考えて、
なんかその豊かさとしてはハードディスクの方が、
はい、いろいろできて、
クオリティとかは上がってるはずなのに、
難しさもどんどん上がっていってて、
なんかそこがちょっと、なんて言うんでしょう。
なんでなんだろうみたいなことを考えてて。
すごいね。それ何歳ぐらいですか?
え、でもハードディスクできたらいつぐらいですかね。高校とかになる?
近藤淳也
じゃあずっと子供から通して感じていたってことですね。
そうですね。また覚えなあかんやんみたいな。
百合佐織
しかもどんどん難しいことを覚えないといけないみたいな。
豊かさと反比例して難しいみたいなことを考えてて、
そこで、なんて言うんでしょう。
もうちょっとスマートに見れたらいいなっていうのを考えて、
じゃあリモコンのデザインみたいなのができたらいいなみたいな。
って思いまして。
近藤淳也
すごい。
百合佐織
で、大学はプロダクトデザイン。
物なので、じゃあ物をデザインする学校に行こうかなみたいな。
近藤淳也
じゃあ明確にその学部選びの時点で、
こういうことをやりたいっていうのが具体的にあったんだ。
百合佐織
そうですね。そこまで具体的じゃなかったと思うんですけど、
大学選びの時は。でもどこかにそういうのはあった。
近藤淳也
で、プロダクトデザイン学科で行ったんですけど、
百合佐織
物、本当に形を作る学科で、
なんでしょう、リモコンのUIじゃなくて、
形を作ろうみたいな感じの学科。
UIじゃなくて形。
なんでしょう。プロダクトデザインっていう、
みたいなのを作る学科に行って、
で、物の形ってこうウレタンとかスポンジとか削りながら作るような
感じだったんですけど、当初。
なんか違うなーみたいなことを思いながら、その時は。
その模型を作るのは、
物の形を作りながら作るような感じだったんですけど、
なんか違うなーみたいなことを思いながら、その時は。
近藤淳也
その模型を作るのは違うってこと?
百合佐織
違うなーってその時は思ってて、
で、多分その違和感っていうのは、
それが多分2010年ぐらいだったんですけど、
その頃、ちょうどiPhoneとかがめちゃくちゃ出始めた頃で、
なんかiPhoneってこう物の形とかじゃなくて、
デジタルの中の世界観。
近藤淳也
画面ですもんね。
物的には単なる画面ですもんね。
百合佐織
画面で、今なんかめっちゃウレタンを削って作ってるけど、
これからはデジタルに行くんじゃないかっていう風にその時思って、
就活とかを考えていくときに、
プロダクトデザイナーの職ってそもそもめっちゃ少なくて、
でも一方でウェブデザイナーの職ってめちゃくちゃたくさんあるんですよ。
その辺でちょっと今後はデジタルかなっていう風に思い始めて、
最初は本当にリモコンだったんですけど、今後はデジタルかなっていう風になって、
で、ちょっとウェブのことそんなにはやったことないけど、ちょっとやってみようかな。
近藤淳也
ちょっとやっぱ日本ってそのハードウェアメーカーも多いから、
家電メーカーっていうかね、
そういうのにちょっと引っ張られてるのもあるんかな、その学科の構成とかも。
そうかもしれないです。
確かに日本は多いけど、これからっていうと確かにね、
デジタルになっていく、なるほどね。
そうですね。
そういうのはありますよね。
で、ウェブデザインは大学で始めたんですか?
百合佐織
そうですね。大学では全然ウェブのことはやらなかったんで、
とりあえず、どうしたんですかね。
なんかそのホームページ作りみたいなのは、中学校ぐらいでちょっとやったことがあって。
早い。早いな。
近藤淳也
なんかでも、あの頃ってみんな個人ホームページ作る人は作ってたじゃないですか。
百合佐織
あの頃って言われても、僕が何歳のときやろう?
近藤淳也
2004年ぐらいです。
2004年。じゃあブログとかもあったし。
そうですね。
作りたい人も作ってるっていう時期だったと思うんですけど、
そのときにちょっとお父さんに教えられて、
百合佐織
ホームページって自分で作れるんだよみたいな。
中学校の娘にお父さんがホームページの作り方を教えてくれたんだ。
そうですね。
なかなか面白いお父さんですね。
近藤淳也
そうですね。
中学生の娘が変なこと書いちゃあかんよみたいな。
確かにね。
そうですよね。
なんで?はてなはその頃ぐらいに知ってました。
そうなんだ。
はい。
百合佐織
じゃあそのCSSとかもいじってたの?
その頃あんまりCSSじゃなくて、
近藤淳也
HTMLにベタって書く感じだったと思うんですけど、
まあそういうのもあったんですけど、
百合佐織
その頃は、
でもウェブ系のこと、仕事するほどまで知らないから、
とりあえずウェブの近いところとして、
ちょっと自分の中での、
お父さんの中での、
お父さんの中での、
お父さんの中での、
お父さんの中での、
お父さんの中での、
ウェブの近いところとして、
ソシャゲの会社でアルバイトし始めました。
近藤淳也
はいはい。
京都で。
百合佐織
京都で。
近藤淳也
そうか、場所のこと言ってなかったけど、
ゆりさんはまず出身が大阪で、
大学が京都。
百合佐織
京都です。
近藤淳也
関西なんですね。
そうですそうです。
京都にあったんですか、ソシャゲ。
百合佐織
そうですね。
なんかその、ファインドジェブってあるじゃないですか。
ファインドジェブでウェブデザインみたいな感じで、
アルバイトないかなーって調べてたら、
ソシャゲの会社があって、
そこはとりあえずイラストレーターとか使えたら、
入れそうだったんで、
ここでイラストレーターやりながら、
ウェブのことを覚えようみたいな感じで、
ソシャゲ会社に最初アルバイトを始めました。
近藤淳也
どうでした?
百合佐織
面白かったです。
デジタルで自分が作ったものを、
本当に1週間後とかに、
近藤淳也
ユーザーさんが使ってるみたいな体験を初めてして。
アルバイトでもどんどんそういうユーザーさんが使うものを作れたんですね。
百合佐織
なんかソシャゲって結構カジュアル系のゲームだったんで、
バーを作るゲームの中のアイテムとかを作ってて、
そのリキュールの絵を描いて。
バーでリキュール。
桑原佑輔
最近よく聞くやつですね。
近藤淳也
そうですね。
百合佐織
ソシャゲ、ちょっと凝った椅子。
バーに置くデジタル状の椅子とかをポチポチ作って、
ユーザーさんが使ってもらうみたいなのをして、
大体グラフィック作ってたんですけど、
ホームページ作る機会とかがあって、会社で。
その時にちょっとだけ手伝わせてもらったりとかして、
ざっくり覚えた感じ。
近藤淳也
実地でね。
なるほど。
どうなってたんですか?
百合佐織
1年くらいバイトしてたんですけど、
そもそも私がゲームにあんまり興味がなくて。
もうちょっとツールっぽい方が好きだなって自分は思って。
もともとリモコンって言ってたもんね。
近藤淳也
エンターテインメントの道具の方やもんね。
そうですね。
コンテンツっていうかね。
百合佐織
ツールっぽいものができるような。
もうちょっとウェブのこともやりたいなって思ってたんで、
そういう会社ないかなって思って、
アルバイト探してたら、ハテナを見つけました。
近藤淳也
ハテナできた。
それ何年生の時?
百合佐織
4年生。
大学4年生?
とかですかね。
1年留年してて、その時。
百合佐織
なるほど、なるほど。
代弁してもらって。
いやいやいや。
大きい会社だと、結構、やっぱり、 社内調整みたいなのがいっぱいありまして、
それも、なんか、あんまりユーザーさんのために なってないっていうか、
会社のための仕事みたいな。
近藤淳也
誰に話し通す必要があるかみたいなことは、
直接的にはユーザーさんとは関係ないみたいな。
百合佐織
そうですね。
ユーザーさんと関係ないことはないんですけど、
もうちょっとか、直接的にユーザーさんに関わる仕事を いろいろやったほうが好きだなっていう感じですかね。
近藤淳也
なるほど。
やっぱりそうなのかもね。 ユーザーさん視線なのかもしれないね。
百合佐織
手続きを減らすのは、僕の仕事だったと思うんで、 申し訳なかったですっていう。
大きい会社なんで、もう仕方ないもん。
ここで改めて、わびしますけれども。
そうですか。
で、温度に。
桑原佑輔
けっこう今、あっさりいきましたけど。
近藤淳也
温度、そうです。聞きたいですよ。
百合佐織
で、ハテナ時代に、けっこういろんな副業をしてたって 言ってたんですけど、
そのうちの一つに、物件ファンの仕事、 ライターの仕事をやってまして、
当時はハテナのサービスだったんですよね、物件ファンって。
ハテナのサービスなのに、副業としてライターをするっていう。
近藤淳也
副業で物件ファンのライターだったんだっけ?
百合佐織
そうです、そうです。
近藤淳也
ハテナ社員が、ハテナの仕事を副業で受けた。
百合佐織
そうです。
近藤淳也
どういうことっていう話だね。
そうかそうか、そういうたてつけやったのか。
百合佐織
そうなんですよ。
私は、ウェブデザイナーとして雇われちゃうんで、
近藤淳也
ライターの仕事はできなくて、
百合佐織
で、夜とかにライターの仕事をするっていう。
近藤淳也
すごいな、その副業のパターンはたぶん、後にも先に、ゆりさんだけなんちゃうかな。
百合佐織
確かに。
桑原佑輔
ですよね、聞いたことないですね。
近藤淳也
社内の他の事業を副業で手伝ってます。
そうなんです。
そうでしたね。
百合佐織
そうでした。
近藤淳也
確かに確かに。
百合佐織
だから、ハテナの仕事しながら、物件ファンを手伝って始めてもらっていたんですもんね。
近藤淳也
そうですそうです。
物件ファンも温度を作ることになって、物件ファンも温度で引き継ぐことになって、温度が分かれてってなったんですよね。
百合佐織
そうですね、はい。
で、私もちょっとハテナで働いてて、何でしょう、なんかもうちょっと実物があるものに携わりたいなって思い始めて、
で、物件ファンみたいなその家、家っていう実物があるもの、
副業でライターしてましたけど、結構そっちの方をやってみたいなっていうのがあって、で、温度に入ったって感じ。
桑原佑輔
なんかその辺もうちょっと聞きたいんですけど。
どうぞ、聞いてください。
温度に入るときに、どういう話で温度に入る?ゆりさんから近藤さんにお話をしたとか、そういう感じなんですか?
百合佐織
そうですそうです。近藤さんにお話して。
桑原佑輔
近藤さん的にはそのときはどうだったんですか?
近藤淳也
いやもう嬉しかったです。
だってね、どうなのか分からない会社ですよね、結構。
そうなんですかね、はい。
あの、そのときは、城中の社員っていなかったですもんね。
百合佐織
あれ、でもチルさんがいたかな。
近藤淳也
あ、そうかそうか。一応そうか、前の物件ファンの編集長のチルさんはいたから、
まあでもリモートで1人編集長がいて、で、京都のオフィスにはまあ僕がいるようないないようなみたいな、それぐらいの会社だから、
なんていうの、すごい不安定そうじゃないですか。
今聞く限りは、はい。今も別にそんなに安定してそうには見えないかもしれないけど、今にも増してね、あれだったと思うから、そこに来てくれるっていうのはやっぱり、まあ嬉しかった。
百合佐織
城上企業から社員2人の会社みたいな。
近藤淳也
そうですよね。
そうですよね、すごいな。
なんか、どうなんですかね。僕、ゆりさん、新卒で入ってもらうときもめっちゃ推した思いが。
百合佐織
ありがとうございます。
近藤淳也
あるけど、たぶん気が合うっていうか、なんか、たぶんちょっと似てるとこあると思うんですよ。
その、まあさっきの、結局何を届けたいのっていう、なんかその本質、本質って言ったらあれですけど、
その、まあほんと届ける人に何が出したいのかなみたいなところを、なんか考えたいみたいなところとか、物作るのが好きだったりとか、
ね、ゆりさんも自転車乗ったりとか、トレーラーに一緒に行ってくれたりとか、
そういうちょっと。
百合佐織
確かに確かに。
近藤淳也
ね、割と時給系のスポーツとかも一緒に行ったりするし。
百合佐織
確かにトレーラーも一緒に行きましたね。
近藤淳也
ね、なんかまあそれ似てるとこあるんかなと思って。
確かに。
桑原佑輔
でも、なんかお二人がたまに相談されてることとか、近藤さんがこういうリッスンとかでも迷ってることがあったときに、
ゆりさんが冷静にこういう感じがいいんじゃないですかっていうのは、このなんかコンビ感というかすごいいいなって思ったけど。
近藤淳也
いや、なんかね、そうなんですよね。冷静なんですよね。
百合佐織
うんうん。
近藤淳也
昔からですか?
百合佐織
いや、全然そんなことはないと思います。
近藤淳也
あ、そうなんだ。
百合佐織
はい。
近藤淳也
勤めてそうしようとしてる?
百合佐織
いや、なんか出産後ぐらいから。
近藤淳也
あ、そう。
百合佐織
なんとなくその自分を客観視できる。
自分というか身の回りを客観視できるようになってきたような自覚があります。
あ、そうなんだ。
近藤淳也
はい。
百合佐織
なんかゆりさんってテンション上げすぎない人っていうイメージで。
近藤淳也
やっぱなんかあの人としゃべってると楽しくなってテンション上がってきて、なんか勢いでいいやんみたいな言ってしまいたくなる。
相手のそのノリに合わせることを重視して、本当にいいかどうかっていう判断をちょっと優先度下げてしまって、
めっちゃいいやんって言ったら相手が喜ぶなみたいなのを優先してしまうときとかちょっとあるんですよ、調子乗って。
でも、よくよく考えたら良くなかったなみたいなのとかってあんまり良くないじゃないですか。
で、そう言って反省するときがたまにあって、僕は。
百合佐織
へー。
近藤淳也
やっぱなんかその、なんでしょうね、結局は相手に好かれたいっていう気持ちなのかもしれないけど、
今ここですごいなんかこう考え込んだ顔して、なんか黙り込んで、後からちょっとここがイマイチかなとか言ったらめっちゃ相手傷つくんちゃうかなみたいなとか思うと、
なんかこうちょっと機嫌よく言ってあげたいみたいなのに流されて、でも後から考えたら、いやちょっと違ったなみたいな。
まあ、あるんですけど、ゆりさんはそういうところがすごい上手な気がして、すごいなって。
百合佐織
冷静、冷静というよりかは、結構その持続可能性みたいなのを一番重視してる。
近藤淳也
おー、なんすかそれ、持続可能性って。
百合佐織
え、なんかこの、なんというかこう、事業ってこう続けていくものだと思うんですけど、続けづらいものって、その終わってしまうっていうか。
立ち上げだけめっちゃ大変だったけど、終わってしまうともうそこでおしまい。
じゃなくて、なんかこう淡々と続けられる仕組みというか、無理なく続けられるみたいなのを結構多分一番重視してると思うんで。
近藤淳也
そうなんや。
はい。
へー、考えてる時は、これは続けられそうかなって思って考えてるわけ。
あ、そうですね。
へー、いいこと聞いた。
いやー、僕はもうほんとそこがすごい学ぶとこっていうか、ゆりさんをすごい参考にさせてもらってるところで。
あ、そうなんですか。
はい、そうですね。
いつも、なんていうかだから、合わせて嘘は言わん人やから、信頼もできるし、でもやっぱ自分もそうなりたいなって思うから、結構ゆりさんの様子を見てて、結構真似してるとこが。
百合佐織
いや、でも、近藤さんはそのテンション上げるほうがいいと思います。
あ、そうなの。
いやいやいや。
そうか。
会社なんで、いろんな得意な人がばらけってたほうが私はいいと思ってて、近藤さんはテンション上げるのがめちゃくちゃ得意だから、近藤さんはそれをやってたらいいと思います。
近藤淳也
あー、なるほどね。
まあ、一人いればいいんですけどね、冷静な人は。
いないパターンがあるんですよ、たぶん。
テンション高い人ばっかりで集まってるプロジェクトとかで、もうこれ、何?あ、今なんか思いついた。
百合佐織
いやいやいや。
近藤淳也
なんかもう肌目がきかないっていうか、もうイエスしか誰も言わないから、どこまででも言った内容、アイディアが全部いいってことになって、すべてやりますみたいなふうになるプロジェクトってあるじゃないですか。
そういうときはちょっと、え、何?
百合佐織
あ、いえいえ。
誰かがね。
なんか思い当たる顔。
なんか思い当たるんですか?
桑原佑輔
あ、いえいえ、特に。
百合佐織
特に思い当たってないですけど。
近藤淳也
まあそういうときとかはなんかもう、意識的にそういう役割しなきゃいけないかなみたいなときもあるし、まあまあ役割分担だと思うんですけど。
そういうときにゆりさんの顔が思い浮かべて、冷静になろうって思うっていう。
百合佐織
いや、そんなメッサもないです。
近藤淳也
そうか、はい、え、何だっけ?
桑原佑輔
温度に入ったところですね。
近藤淳也
入ったですね、はいはいはい。
大丈夫ですか?後悔しないですか?
百合佐織
え、全然しないですよ。
あ、そうですか。
めっちゃ毎日楽しいです。
近藤淳也
温度に入ってくれたのは、えっと何年前?
百合佐織
2018年とかやから。
意外ともう5年、6年。
近藤淳也
あ、そうかそうか、はいはい。
どう、どういう感じでした?5年間。
百合佐織
そうですね、本当に出産前と後で結構全然違うなと思ってて、
その入った頃はもうちょっと混沌としてる。
近藤淳也
混沌、会社が。
百合佐織
そうですね、最初はなんかその収益とかもあんま分からないし、
とりあえずできそうなことを手当たり次第やるっていう感じだったんですけど、
なんか記事、毎日、毎週5記事ぐらい書きながら、
アンノーもやって、で、いぶきもやってるみたいな。
なんかどれも結構中途半端になってたかなっていうのがあって。
近藤淳也
結構ね、いぶきのデザインを一回全サイト作り直してもらったもんね。
百合佐織
そうですね、一番最初の。
近藤淳也
知ってます?
いや、そこの話、今初めて聞きました。
百合佐織
そうなんですよ。
いぶきも本当にハテナやりながらでしたね、最初は。
近藤淳也
ハテナやりながら、あ、そうね、初期のいぶきはね。
百合佐織
一番最初。
近藤淳也
はいはい、そのコース共有っていうかコースガイド機能みたいなの作ってたときは。
はい。
そうですね。
桑原佑輔
そこにもゆりさんが最初に囲われられてた?
近藤淳也
ハテナの時はそうでもなかったと思います?
違う?
百合佐織
いや、ハテナだった気がします。
近藤淳也
あ、そのいぶきやってたの?
百合佐織
あ、そうですそうです。
近藤淳也
でもゆりさんはそこは関わってなかったですよね、ハテナにいるときは。
百合佐織
いや、関わってる気がします。
桑原佑輔
あ、関わってる気がします。
百合佐織
あ、本当に?
はい。
近藤淳也
あ、そっか、じゃあその頃からもうデザインとか手伝ってくれてたんですね。
百合佐織
あ、そうですね。
あ、失礼しました。
そうですね、だからハテナで会社にしながら温度のウッキンファンといぶきの副業をしてる。
ナチュラルに転職。
桑原佑輔
ナチュラルに転職。
百合佐織
すごいですね。
近藤淳也
だいぶ不思議な感じ。
桑原佑輔
副業がすごい近いとこにあるんですね。
百合佐織
そうですね。
近藤淳也
そっか。
じゃあそうで、もう全部、あ、ウッキンファンもアンノンもいぶきもやってっていうのがあって。
百合佐織
で、ちょっと中途半端になってたところで、
妊娠して、で、産休とって、みたいな感じで一旦おしまいになってます。
近藤淳也
ですね。
桑原佑輔
産休の期間っていうかそれはどれくらいあったんですか?
百合佐織
産休育休が半年ちょい。
近藤淳也
え、半年だけ?
百合佐織
半年、8ヶ月。
近藤淳也
あ、そんなもんでした?
百合佐織
あ、そうですね。
近藤淳也
えー!
桑原佑輔
もっと長い。
近藤淳也
はい。
百合佐織
はい。
近藤淳也
あ、そうか。
百合佐織
で、こう、育休と同じタイミングでコロナが来て、
はい、はい、はい。
で、育休が復帰したら、もうガラッと変わってまして、温度差が。
へー。
まず、そうですね。
ウッキンファンにいた社員の方が辞めて、
はい。
誰もいなくなって。
え?