1. イラストレーター原あいみの話
  2. 造形作家・立体イラストレータ..
2025-06-21 13:20

造形作家・立体イラストレーターの肩書を外した理由 #191

前々回の放送でいただいた質問に答える形で、私の肩書きが変わった理由を考えながらお話ししてみました。
おあさん、面白いお題をありがとうございました!

私の初のコミックエッセイ「私の生理のしまい方」(KADOKAWA)
レタスクラブさんのサイトにて再掲載
https://www.lettuceclub.net/news/serial/13338/

原あいみのWebサイトで立体作品の一部が見られます。
https://www.aimihara.net/index/

⭐︎作品専用Instagramはコチラ!(ぜひフォローお願いします!!)
https://www.instagram.com/aimihara_002?igsh=MW5kejRiNTE2dmY4dg==

[個展情報]
2025年8月21日(木)〜9月2日(火)[水曜定休]
東京・吉祥寺の「にじ画廊」2階にて
http://nijigaro.com

⭐︎最新刊「マンガで学ぶ 最強の80字作文 小学1〜6年」(飛鳥新社)はこちら
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サマリー

イラストレーターの原あいみは、造形作家・立体イラストレーターという肩書きを外した理由について話します。過去の作品制作の経緯や制作過程の大変さ、そして漫画の仕事の増加などを通じて、彼女のキャリアに影響を与えた要因を掘り下げています。

造形作家からイラストレーターへ
イラストレーターの原あいみです。絵本や書籍、キャラクターを作ったり、難しいことを分かりやすく、漫画やイラストで伝えるお仕事をしています。
今日は一つお知らせです。私の初のコミックエッセイ、私の生理のしまい方というのが、門川より発売中なんですけれども、こちらがレタスクラブさんのサイトの方で一部読める期間となりました。
発売前にキャンペーン的な感じで一時期読めるようになっていたんですけど、今回また再掲載が決まったということで、編集担当者さんにお知らせをいただきました。
結構たくさんの話数を掲載いただけるそうなので、まだ読んだことない方は、ぜひURLを貼っておきますので、順番に話数がアップされていく形での掲載だと思いますが、よろしければ見てみてください。
この私の生理のしまい方というのは、私が9名の女性に実際インタビューをさせてもらって、大人女性の心と体のいろいろ様々を物語にしたというコミックエッセイになります。
実はこの9名の女性を紹介するという放送も過去にはやっておりますので、そのURLも貼っておきます。声で聞いてみて、この話を読みたいなというのがあったら、ぜひチェックしてみてください。
全部の話がレータスクラブに掲載されるわけではないので、そこはご了承いただきたいんですけれども、よろしければこれを機に、まだ読んでないよという方はチェックしてみてください。
今日はですね、前々回の放送で、おあさんからいただいた質問にちょっとお答えしたいなと思って、今日の放送を撮っております。
私が過去に造形作家とか立体イラストレーターという肩書きを使っていましたという話を放送の中でしたんですけれども、それに対しておあさんからこんな質問をいただきました。
造形作家という肩書きを外してイラストレーター1本にした理由や事情ってあったのですか?過去配信で話されている回があったら教えていただきたいですということでした。
たぶんね、過去に話したことない気がします。意識的にイラストレーター1本にしようみたいな意識でやったわけではないので、なんか自分でもこうやって改めて質問をいただいて、なんでなんだろうって、なんかちょっと振り返ってみたくなったんですね。
おあさんありがとうございます。なのでちょっとこれをお話ししていこうかなと思います。まずそもそもイラストレーターである私がなぜこの人形作りをやっていたのかっていうのを振り返ってみますと、
学生時代、大学在学中の時に初めて人形作品を作ったんですね。それはなぜだったのかちょっとあまり覚えてないんですけど、なんか作りたくなったんですよ。それはうちの母親が昔紙粘土人形の趣味をやっていて、人に教えられる粘土人形講師の資格まで取っていたんです。
横でね、私は多分小学生くらいだったと思うんですけど、コネコネコネコネ母の余った粘土を使って遊んでいたっていう古い古い記憶があるんですけど、そこからもしかしたらこういう人形を作りたいっていうのに繋がったのかなっていう気はしています。
そして大学在学中に初めて人形を作り、その人形に編み物が好きだったので、ニット帽だったかマフラーだったかをちっちゃく編んでつけて、お洋服も布で作って着せたんですね。
そしたらすごい可愛くて、なんかめっちゃいいなって思ったんですね。自分の中でなんか手応えがあったんですよ。せっかくなんで写真部にいる友達にその子をちょっといい感じに撮ってもらって、ポートフォリオに載せたりみたいなことを初めてしてみたんですね。
これがすごく面白かったんですね。というのと同時に、私はイラストレーターを当時目指していたんですけれども、絵だけで戦えるほどの才能というか能力がまだないなっていう感じは自分でわかってたんですね。
メタ認知して自分のことを。平面のイラストで、にかてんのイラストレーション部門みたいなところで賞みたいなのをもらったんですけど、当時。
それが芸術史に一瞬乗ったりとかそういうこともあったんですが、でも私的にはこの平面の絵だけで戦えるほどのまだ才はないなっていうのがありまして、
でもこの人形を作って写真で表現するってまだあまり見ない感じがあったので、新しさもあるし、他のイラストレーターを目指している絵を描いている人とちょっと差別化できるというか、自分にしかできない技になるんじゃないかなっていう気がしたんです。
そのあたりから作品で立体作品を作るようになったんですね。当時にかてんによく出展してたんですけど、その作品もどんどんどんどん最初は絵だったのが半立体になり、半立体じゃもう我慢できなくなってきて本当の立体作品になっていってっていう感じでどんどん立体作品に自分自身が見せられていったんですよ。
そんなことをしているときに立体で写真にして仕事に使えるっていうことを知りまして、立体イラストレーターっていう仕事があるんだという衝撃を受け、これを仕事にしたいって強く思ったんです。
作品制作の難しさ
そこからちょっといろいろありまして、このいろいろはどこかで話したことがあるかもしれない。もし見つかったら貼っておきますね。
で、めでたく立体でお仕事がいただけるっていうところに20代の頃になったんですね。その頃は結構雑誌のカットを立体で作って写真に撮って掲載するっていうのが流行っていたのかわからないんですけど、割とお声掛けいただける感じだったんですよね。
なのでもう修行だと思って、若干単価はやっぱり安いんです。絵を描くより立体で作る方が何倍も大変なので、でもそんなに予算は変わらない感じだったんで、なかなか厳しい仕事だなと思いながらも会社にも、
ぜひ私はこれで大きな仕事が取れるような作家になるんで、説得させて、いいよ、受けてごらんというふうに許可をもらって受けていたという感じですね。そんな感じで20代の頃は結構たくさん立体で仕事をしていました。
なので肩書に入れていたという感じですね。ただ、なぜ辞めたのか、なぜ肩書を外したのか意識的に外したわけではないんですけど、それをちょっと理由を考えてみました。多分大きく3つあるかなと思います。
まず1つは大変だからです。すごいもともこもない理由ですけど、やっぱりめっちゃ大変なんですよ。材料もかかるし、時間もかかるし、アナログで絵を描くなんて、今めんどくさいタイパコスパの逆いってますっていう話してますけど、立体で作品作って写真撮ってそれをビジュアルにするなんてめちゃくちゃ時間かかるんですよ。
それこそ粘土を乾かすのにどんだけ時間かかるんだとか、骨組み作って粘土を持って乾かして、紙やすりでやすって整えて着彩して、出来上がったら終わりじゃなくて、ロケ撮影だったらロケ班で場所を決めてカメラマンさんを用意して、ディレクションして撮影して、とんでもなく時間がかかる大変な作業なんですね。
はい、だからです。
そして、それにつながるんですけど、立体で作ったビジュアルっていうのは、なかなかのパンチはあるんです。破壊力はあるんです。
それが売りとして営業はしていましたが、やっぱりそれなりにお金をいただかないといけないんですよね。
カメラマンさんも必要だし、材料費もいるしということで。
なので、1個の単価がやっぱり上がるんですよ。
そうなると、お仕事の量としてはそんなにたくさんないんです。
それが現状ですね。
決まったとしても、やっぱりやり直しがなかなか効かないものなので、本当に私の作家性を信じて原さんに任せますみたいな感じのクライアントさんじゃないと、なかなかお仕事をご発注いただくということは難しい案件だなっていうのを、
数々、いろんな面白いお仕事をたくさんさせていただきましたが、難しい世界ではあるなという実感がありました。
なので、2つ目は、お仕事が相対的に少ないということですね。
3つ目、あれ3つ目なんだったかな。
思いついたから3つって言って話し始めたんですけど、なんだったかな。
1回止めて思い出そうとしたんですけど、わからなくなってしまいました。
情けない。
でももう1つ言えるのは、一番の大変だからにかなり近いんですけど、人形に本当に魂を入れ込むみたいな感じで立体を作ると、本当に寿命が縮むなって感じたんですよね。
特にすごく大きなポスターとか、キービジュアルみたいなめちゃくちゃ重要なビジュアルとかになると、緊張感もプレッシャーも半端ないし、
あと脳筋に絶対間に合わせられるかとかいう、そういう精神的な追い立てられ感とか、そういうのに加えて、かつ人形って角度を変えて写真を撮ると、本当に生きているかのように見えてくるんですよね。
そういうふうに写真映えする人というか、こう作らないといけないって思うと、私物資になったことないんでわからないんですけど、仏像を彫るかのような、とにかく思いを込めて作らないといいものはできないって思って作ってたので、自分の寿命が縮むってそんな感じに感じたんですね。
子どもも生まれて、いろいろ子育てもしながらワーキングマザーでやっていくという中で、立体の仕事はちょっと休憩かなって思ったというところですね。
漫画の仕事の台頭
はい、確かその辺りからちょっとポートフォリオにも減らしていったという感じだったような気がしますね。
でも子どもが生まれてから、ちょっとだけ子育てに慣れてきて、復活させて大きな仕事をさせてもらったこともあるので、私は立体イラストは捨てて、平面のイラストレーター1本でやっていきますというふうに宣言したわけではないんですね。自然とそうなったという感じです。
あ、話してて思い出しました。もう一個の理由、そうだった。漫画の仕事がめちゃくちゃ売れたというか、漫画の仕事がすごい増えたからでした。そうだそうだ、そうなんですよ。
なんかね、漫画の仕事をし始めたらすごい漫画の仕事が増えてしまって、漫画が私の特徴に立体ができるイラストレーターから取って変わられちゃったんですよね。
そうでした、そうそうそう、そうなんです。はい、ということで、今日は尾羽さんの質問にお答えする形で、私がなぜ造形作家立体イラストレーターの肩書きを外したのかという理由を3つ、4つになりましたが、お答えしました。尾羽さんどうでしたでしょうか。
はい、あの面白いお答えをありがとうございました。もしこんな風に、なんかイラストレーターに聞いてみたいなっていうようなことありましたら、ぜひコメントでいただけると、なんか話のネタができてとっても嬉しいです。お待ちしてます。イラストレーターの原江美でした。また話します。
13:20

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