初めの対談
イラストレーターの原あいみです。皆さんおはようございます。お疲れ様です。今日はですね、収録で一つ行った対談というか、提談を一本お届けしたいと思います。
ご登場いただくのはですね、私のボイシーチャンネルの方で一度対談をさせていただいた、私の長年の友人で教育学者である
あっこ先生という方です。そしてご縁あってですね、今回特別にあっこ先生の先生にあたる
牧野敦史先生という方にもご登場いただきました。 トークテーマはですね、駆け抜けないわが家の小学生の学び
お悩み相談という感じです。 中序はしないのびのび王国でおなじみのわが家なんですけれども、ここへ来てね
ちょっと学校のお勉強への興味が落ちてきているっていうのがね、娘の様子が見られるようになってきたんです。
いい機会だと思って、あっこ先生と牧野先生に日本の偏差値教育ってどうなのみたいな話と絡めながら、わが家の相談に乗ってもらえたらっていう感じで挑んだんですけど、
ちょっとね偏差値の話にたどり着かずにあれこれ聞いてしまって、終わったという初回対談になっております。
少しね長めの放送にはなるんですが、このご登場いただきました牧野先生がですね、めちゃくちゃお声が良くてすごい配信向けの方だと
youtube とかねいろいろ見させていただいてずっと思っていたんですよ。こんなご縁をいただけたので機会があれば時々企画していろいろお話を
伺いできたらと思っているという初回1回目という感じです。はいぜひぜひあの聞いていただけたら嬉しいです。
まあというのもですね、今あちこちでボイシーバナレーが見られる中、逆にファンフェスタに向けての集客放送がいっぱい上がってくる中、
お子さんの学びの悩み
なんかね音声配信のモチベーションがめっちゃ落ちてしまってたんですよ私。若干忙しすぎたっていうのもあるんですけどね。
ボイシー内で自分を売り込むためにやる対談みたいなのはね、ちょっと元気が足りなくてパワーがなくてですね。
まあそれだったらちょっと自分で話したい人を連れてくるとか、自分で話したい企画を考えるとか、もうそういうね
どこまで需要があるかわからないですし、上手にね放送を作れるかわからないですけど、技術もまだまだ足りないという自覚はありますが、でもなんか
同じパワーを使うならね、そういう方に使った方がいいかなって思ったんです。はい、なので
ちょっと無理のない範囲でね、私の放送を聞いてくださっている皆さんにご紹介したいなって思う、結構ねその
界隈ではめっちゃ有名な人とかいるんですよ、友達に。世の中にね、別に発信たくさんしてないけどめっちゃ面白い人っていうのがね
結構友人にたくさんいるので、そういう人をね連れてきて話してもらうとか、なんか少しずつ自分で企画してお届けするっていうことをね
やっていきたいなと思っております。そのチャレンジの一つだと思っていただければと思います。
はい、ちょっと前置き長くなりましたが、それでは本編をどうぞお聞きください。
はい、今日はですね、対談を一つ収録でお届けしようと思います。お相手はですね、私の長年の友人であり教育学者の
あっこ先生です。あっこ先生は保育士さんや幼稚園教諭になる方に大学でね、教えているという人です。
先日私が保育園へ訪問企画が決まったときに、園に初めて伺うときの基本の気みたいなのをこちらのチャンネルにご登場いただきまして伺いました。
あっこ先生はね、専門性もあってやっぱり面白いなぁと思いまして、ぜひ第2弾をと企画しておりましたら、いろいろあって
あっこ先生の先生にあたる大変著名な先生にもご登場いただけることになってしまいまして、はい
せっかくのご縁だと思いまして、勢いに乗って今回3人でお話をさせていただくことになりました。
じゃあちょっと順番にご紹介していきます。じゃああっこ先生今日はよろしくお願いします。
お願いします。はい、あっこ先生ですね、大変物腰、柔らかで、名古屋弁もね、ちらほら飛び出す、親しみやすい感じなんですけど
実はこう見えて、あ、見えてないですけど、大変な異常実力者でございまして、今ご自身の大学で教鞭を取りながら、実はこの度
東京大学大学院博士号を無事取得されまして、おめでとうあっこ!ということで、こんな企画をやることにしました。
すごいですね、あっこ先生。恥ずかしいですね。おめでとうございます。
はい、よくこんな友達がいるもんだと私はね、ちょっともう詳しいことはよくわからないんで、すごいんだなぁと思ってね、いつも話を聞いております。
で、ご縁あってですね、あっこ先生の先生にもご登場いただけることになりました。
東京大学大学院教育学研究科の教授、牧野篤先生です。よろしくお願いします。
こちらこそお願いいたします。
ありがとうございます。私がね、ちょっと絵を描く人間だということで、牧野先生にもちょっとだけ私にもね、興味を持っていただけたみたいで、
何かご活動の中でね、私も絵を描いたりとか、ご一緒できることがあったらいいねなんて話もちょっとちらっと出たりなんかして、この前一度だけね、あのご挨拶させていただいたんです。
はい、そんなご縁もありまして、今日は贅沢にあっこ先生と牧野先生にちょっとね、私の子育てのね、悩みを贅沢にもちょっとご相談してみちゃおうかなという企画をやっていきたいと思います。
それでは本日はよろしくお願いします。
お願いします。
私が聞きたいのはですね、今、うちの娘10歳なんです。
で、絵を描いたり、マイクラしたりとかゲームしたり、お仕方したりってね、とにかく好きにすごい貪欲で、本当に毎日楽しそうなんです。
で、それはすごくね、いいなと思ってるんですけど、一方でちょっとね、学校のお勉強がつまらないみたいなことを言い出したんですよ。
で、しかもそれがちょっとね、点数にも出始めちゃったなっていうのがありまして、ちょっと心配に親としてなってきたっていうところです。
で、この好きをね、のびのびと伸ばしてあげたいっていう、のびのび王国でやってるんですけど、一方でやっぱり基礎学力っていうんですか、そういうのが落ちるのは困るし心配なんですね。
なんか特に算数が苦手っぽいんですけど、でもまあ私も好きなことをこう仕事に今絵を描くっていうことで生きてこれてるんですけど、やっぱり好きなことだけじゃダメっていうのはなんか痛感してるんですよ。
なので、なんか好きなことだけのびのびやってけばいいよっていうだけではなんかやっぱりダメな気もするしみたいなちょっと揺れてるんですね。
はい。で、まあこんな感じで、でも今ってうちの地域だとすごい中学受験が過熱してて、本当に習い事とかも全部全部やめさせて、もう受験に行って向かってる子たちが結構いるんですね。
で、それもなんかちょっとどうなんだろうっていう気持ちもあったり、このすごい過熱する中受の熱みたいなのもなんか社会的に社会病理的な感じになってるんじゃないだろうかみたいな気もするんですね。
そのあたりでちょっと揺れておりまして、なんかこの先のね、今小学生の子供たちの子育てというか学習について牧野先生とあこ先生にいろいろお話を聞きたいなと思います。
親としての不安
はい。というのが今日のお題でございます。よろしくお願いします。
はい。
教えていかがですか?
私ですか?
はい。
好き、基本的にはその好きをのびのびとがいいと思うんだけど、そののびのびのし方からなんか、どうかな?いいかな?いいかな?どうですか?
いやいや、あの、今ね、あの、兄さんおっしゃったことって、特に東京なんかすごいですよね。今中学受験、もっとも今小学校受験とか幼稚園からみたいになっちゃってますよね。
私の大学がある分教区は、特に今どんどんこう新しい人が入ってくる。みんなそのお受験のために引っ越してこられたりする方が多いって聞いてますけど、
あと外国人でもね、中国人が今分教区はとても受験もあれだし、今東大もちょっとお買い得て言われ始めてですね、みなさん受験されるようになってくるんですけど、
今同じ側で、たぶん2つぐらいに分けて考えたほうがいいかなと思うんですね。
一つは親御さんたちが心配で、どうかなと思いながら、やっぱり子供を受験に仕向けてしまうというか不安というか怖いからだと思うんですけど、
みんながやってるのに自分のうちだけやらないと、うちの子供どうなっちゃうんだろうという一つがあるのと、
もう一つは子供にとってどうなのか、そういうことが将来いいのかどうかということがあると思うんですよ。
多分親御さんは何かいぶくないんじゃないかなとどっかに思いながら、だけどみんながそういうふうにしてるし、
もうちょっとやっぱり、逆に言えばそこから取り残されちゃうことが良くないことじゃないかなという不安もあったりして、
だけどそんなに子供を受験受験で追っていっていいのかなというかですね、そういう不安もあるということの中で悩んでらっしゃって、
流れに流されちゃうとか取り込まれちゃうというか、そんなことになってるんじゃないかなと思うんですけど、
その意味で今愛美さんがおっしゃったことってどうなのかなと思ったんですけどね、
一人の親御さんとしてはとても心配でしょうし不安に思ってらっしゃる、だけど疑問にも思っているという面があって、
そこを少しどうしたらそれが解消されるのかというか、何が一番大事なのかといったことをちょっと考えられたらどうかなというふうに思ったんですね。
受験はうちはもう本人もしたくないと言っていて、なのでしないというふうに今の時点では決めてるんですね。
ただ、やっぱり普通に学校のお勉強がついていけないみたいなのはやっぱり心配で、親としてついつい。
なので、今ちょっと若干学校の勉強がそんな悪いわけじゃないんですけど、
なんかちょっと落ちてきてるかもしれないみたいなのを兆しを見てしまったら、
今までのびのびあんまりガミガミ言ってこなかったんですよ。
なんかそれがいけなかったのかなっていうような気持ちに今なっちゃってて、なので別にここからだからって。
これは娘さんはさ、その状態は勉強がわからないかわからないけど、ちょっとモヤモヤみたいなところは本人はどう捉えてる?
本人はね、すっごい悔しくって、ちょっとテストがダメだったことに対して大泣きしたんですよ。
すっごい泣いて悔しい悔しいって、その時は絶対次で追試みたいなのがあって、それを合格絶対するとか言ってたのに、
なんか次の日になったらもうけろっと忘れてて、そこがいいとこでもあるんですけど、
あんなに頑張るって言ってたのにどうしたっていう態度にまた元に戻ってて、
ちょっと葉っぱかけたら一応やったんですけど、落ちちゃったんですよ、その追試っていうか。
合格点が取れなくて、もうそれもすごい私ショックで、
なんか言ってもちゃんとやったら大丈夫だろうなと思ってたのにダメで、
また本人もすごい悔しがってたんですけど、次の日になると別にまあいいかってなって、もう忘れちゃうっていう感じで。
そのテストは見た?
見た見た。
なんかしょうがないなって言うのも意地悪だなとかさ。
結構ね難しくって、本当にこれみんなちゃんと合格で取れるのかなみたいな感じではあったんだけど、
みんなほとんど合格したらしくってね。
あと別に分かってないわけじゃないんですよ。
とにかく計算だったら、例えばその計算量が本当に足りてなくて、
慣れてないんですね。
その試験という場とか、時間内に焦らずに解くとか見直すとか、
なんかそういうことを塾とかも行ってないし、
雲とかもやってないし、
なんかそういう訓練ができてないから落ちたんだなっていう気はしたんですね。
で、そのそういう訓練って果たしているのか、
でもなんかだからってこの合格できないで終わるのもなんか本人も悔しがってるしかわいそうだし、
学校教育の現状と算数
このでもこのテストに合格するための訓練これ意味あるのかなとか思いながら、
なんかすごいとにかく揺れてる感じなんですよね。
難しいですよね。
学校で教えてることっていうのは一応みんなに同じことを教えていて、
学校では学習指導要領が決まっていて、教える内容も教科書も全部決まってるんですけど、
教え方は学校それぞれまた先生それぞれでいいことになってるんですよね。
またどう教えるかとかこともそうなんですけど、
どういう順番でってことも基本的な学校で決められるんですけど、
今のテストの話って今それって算数ですか?
算数です。
算数なんですよね。
よく言われるのは算数は算数だけであるわけじゃなくって、
どっちかというと文章を読む力であったりとか、
もとより何が問われているのかっていったことを定格に読み取ることによって答えられるようになってくるっていうことも
特に小学校ぐらいの算数だとあるので、
そうするとどっちかというと国語の力であったり文章力であったり、
本をたくさん読む子の方が算数もよくできたりするってことがあるっていうのは一般には言われたりするんですよね。
なので、算数だけじゃなくって娘さんが好きなことがあって、
いろんなことをやりながらそこで会話をしたり探求したりすることであったりとか、
あとは意図を組む力がついてくるとか、
そんなことが関係するんじゃないかなと思うんですよね。
そうすると学校の勉強ってつまらないと思ってるもので、
あまり強制力してもやっぱり嫌になってしまうし、
余計嫌だなと思ってしまうと成績が下がっちゃうこともよくあるので、
成績が下がるとまた嫌になって余計やらなくなるっていうのは一般的なある意味で悪循環なので、
だから好きなことをうまく使いながら、
ちょっとおねがいだと語弊があるかもしれませんけど、
テストにも役に立つような力をつけていくというのが、
そんなこともあるかなと思いますけどね。
親の視点と子どもの悩み
なるほど。ちょっとつまずいてるのはまさに計算なんですよ。
算数の文章題とかっていう感じではなくて、
単純に計算が遅いっていうか、
そのあたりをみんなは割と苦悶にやってきたりとか、
教育熱心な地域なので、
みんな下積みが、それこそ1年生2年生とかからやってる子たちがわんさかいるところで、
うちはそんなにビシバシやってこなかったんですね。
でも物事を考える力もあるし、好きを見つけるのも上手だし、
すごいいいところいっぱい知ってるんですけど、
本人がこんだけボロボロ泣いて悔しがってるから、
ここはこんなところで変に落ちこぼれ感を持ってもらったらもったいない気もして、
ちょっと春休みとかこの時間をとって巻き返そうみたいなふうに言ってはいるんですけど、
果たしてそう言いながらも別に計算なんて、計算機もパソコンも何でもあるから、
考え方さえわかってれば最悪いいんだけどねとか言いながらやってるんですね。
それがその辺が学校の全員必ず合格しなきゃいけないみたいな、
そういうところに合わせる必要があるのか、どうだろうみたいな。
どう考えるんですかね。
長い目で見て、一般に言っても、
私がそういう話をした時に自分なりに難しいなというか、
矛盾を感じるっておかしいですけど、
例えば、今目の前にいる子どもたちが目の前の点数どうするかって話をしてる時に、
よく一般に長い目で見たらそんなことっていう話をよくしますよね。
そこがまたどうお答えしたらいいのかなというふうには思ったりしますよね。
当たる側も困ってしまうというか、
目先のことを挙げるためにはこうしたらいいですよってことは多分言えるんでしょうけども、
計算がよくできるようになると、将来どうですかって言われれば、
一般に私のところの大学生ってすごく優秀な子たちで、
いわゆる偏差値も高い、今74ぐらいになると入れないので、
そういう子たちが入ってくるんですけど、
将来大人になって比べてみた時に、
いわゆる偏差値60とかそれぐらいの子たちとかまた50の子たちと比べても、
飛び抜けてすごい素晴らしい人生を歩んでるかって言えば、
いやそうでもないっていうか、僕普通の会社員になっているわけで、
東大卒だってことの中でそれなりの優遇はされてきたんだと思いますけども、
将来私たちが年を取っていって、
もうそろそろ定年ですよねとか、
さらに第三の人生会いましょうねっていう時になってくる頃で考えていけば、
いやそんなに大した違いはないよねってことになってしまっているので、
また逆に言えば、かえって苦しんでるのもいるので、
だからこれどっちがいいのかなって思うんですよね。
ただやっぱり目先、今目の前で子どもがそういう状態にあって、
親御さんが悩んでらっしゃるのはそういう話ではないと思うんですよね。
だから目の前の子の成績をどうしようかっておっしゃってるんだけど、
それはもしかしたら将来のことが不安だから目の前どうしようかって言うんですけど、
目の前の子どもの成績を今無理してあげてやれば、将来安泰かといえば、
個々の学びとその意義
特にそうでもない社会だよねってことにもなっているので、
だからなんとも言えないんですよね。難しいですね。
それに余計だから親御さんたちは、私たちもそうかもしれませんけど、
こうしたらいいですよとは言えなくなってしまっているということにはなると思うんですね。
答えには何もなりませんけど。
今聞いてて、幼児教育の参充生ってよく言われるんだけど、
今が楽しいが一つ目で、
二つ目は次の学校の準備として大事みたいなのを書き取って、
あとは一生涯にわたる学習への意欲とか学びとかそういうものの土台になるよっていう、
今の土台でちょっと次の段階の土台で長く一生涯の土台になるよっていうのは言われていて、
やっぱりそこってすごく難しくて、とにかくでもやっぱり一番大事なのは今だよねっていうのを考えて、
今日を作っていこうっていうふうに考えるんだけど、
そう思うと今泣いて悔しいのはやっぱり気の毒だし、
でもそれが何か次の日ケロッとするなら、それは気分が切り替えが良くて、
すごくよく育っているなあと思うし、
でも学校で過ごす時間って長いから一日のうちに、
それがつまんないなあとかつらいなあとか、
他の人とどうしても比べちゃうから一緒に来るから逃げると、
その時に嫌な気持ち、もうちょっとなりたいみたいなことが生まれるとしたら、
それは一日の時間が長いとすれば気の毒だなあと思うから、
そこのところを本人がどう思うか、
あなたがとか親がどう思うから、
明日こうなるからとか、
次の弟子とこうだからとか、
この間こうだったでしょっていうのじゃなくって、
やっぱり本人がどうしたいか、今どうしたいかって、
今もう学がしたいとか、今マイクラがしたいなら、
そこをそれこそさっきねまきの先生おっしゃったみたいにきっかけに、
何かこうコミュニケーション能力を、
それはでも親の自己満足っていうか、
これはきっとそうなるからいいんだみたいな、
それが繋がらなくても全然よくて、
でも私たちがこんなことやってていいのかなって思うと、
それはなんかやっぱりちょっと精神清浄よくないから、
それで伝わるし、
いいよとか言いながら本当はむーとかって思ってたら楽しい雰囲気がなくなるので、
そういう意味で本当にこれはちょっと自分の中で利益をつけるというか、
これきっと役に立つんじゃないけど、
これもきっといいことに繋がってるってちょっと心の中で思って、
繋がらないかもしれないけどちょっと思い込んで、
それを応援できるような、
そんななんか一日一日がいいことに繋がっていくんじゃないかなって、
そのときちょうどいいとき、やっぱり計算やりたいとかって思ったとき、
見つけて一緒にやるっていうか、
やっぱり本人がやる気にならないとあまり意味がないし、
それこそ矯正していいことはないと思っていて、
うち娘もそれこそ計算全然すごい遅いし、
いまだに間違えるんだけど、
それでね、ソロバン習いたいっていう、
ソロバンが面白いって言って、
なんか小学校で3時間くらいかな、
ソロバンやる時間があって、
それ面白いって言ったから、
じゃあ習おう習おうとか言って、
私が後で聞いたら、
ママに面白いって言うと何でも習わせるから絶対言わないほうがいいっていう、
娘とこの間で絶対言わんとこうねみたいになったらしいんだけど、
習わせたのね。
早くなると思うじゃない、
本人も計算早くなって暗算できるようになるかなと思ってやったんだけど、
結局宿題は計算機使ってやってて、
マジか静かだなと思ったら、
暗算の先生が見てないところで暗算で言うんだけど、
教科書をここで筆算書いて暗算だったのに、
隠してできましたかって言ってたらしくて、
そういうチートの技だけ、
せこい技だけ身につけて、
まだに計算間違えるのね。
結局やろうと思うけど、
それ別に計算機でよくないとか、
このほうが早いしみたいなのを身につけて、
隠して黒く消すから、
なんであなたの机だけこんなに黒いのかしらって言われて、
ドッキリとかしながら手で消すからね。
それでいいんじゃないかなってちょっと思ってて、
そうならなくてもやりたいって言った時にやってみて、
隠していらないよねって思ってもそれはそれでよくて、
身につく身につかないって、
一つの能力じゃない気がしていて、
ちょっと経験者としてお伝えします。
まさにあっこ先生の娘さんの例で聞くと、
いいじゃんって思うの。
多分人の子だと思えるんだと今思いました。
この前そのテストの追試をおうちでいろいろやってたら、
もう暗記しちゃって答えを何回もやってるから、
だから計算しないで暗記でもう書いちゃって合格点通れたとこがあって、
でもそれはそれで賢いなって思った自分と、
なんかずるいなって思った自分と、
ちゃんと先生堂々計算してやって合格しなよみたいなのと、
なんか2人いたのね自分の中に。
でも今のあっこ先生の娘の話聞いたら、
そんなんもう覚えてるんだったら覚えて書いちゃって、
計算式は書かなくていいっていうところだったから、
賢いなあっていう、そっちで効率よくちゃんと点取ったっていう方を褒めてあげても、
まあ別にありなんだなっていうような気もしてきました。
もともとあゆみちゃんが真面目でなんかいろいろできてきちゃったから、
歯がゆいしずるいみたいなの嫌いでしょ?
ちょっとストイックすぎるんだよな、たぶん自分が。
それってあれですよね、私たちもそうかもしれないですけど、
ちょっと前の教諭を受けてきた人たちの正しいあり方ですよね。
だから新学校に高校も入れたし、いわゆる新学校に、
いわゆるそれなりに有名大学に入ったってことになると思うんですね。
全然気休みにも何もならないかもしれませんけど、
学習指導要領の議論
例えば今の学習指導要領を作るときの議論で、私も少し変わったんですけど、
今からもう10年前なんですけども、今次のやつも考えてるんですが、
どんな議論になったかっていうと、2015年、今から10年前の段階で、
2030年ですよね、あと5年経ったところ、
当時から15年後にどんな社会になるかって予測が出始めていて、
そのときにやっぱり大きな議論になったのが、
2030年になると、そのときに大学を出る人たち、
小学校入学者が大学生になっていて、大学を出るときの約半数以上の人たちが、
今ない仕事に就くだろうって予測がついていて、
どんな仕事になるかわからないんですよね。
だけど今ない仕事に就くことになるだろうって予測が出たりとか、
それから今ある仕事のうちで約47%の仕事が、
教育の未来とAI
人工知能がAIがやってしまうのでなくなるだろうと。
そうすると今のままやってると大量の失業者が出るっていう話になって、
ある意味で大人の世代が子どもたちに対して、
例えば当時の小学生に対して、この世に行きなさいって言えなくなっちゃいましたよね、
っていうことから始まったんですね。
その時点でまたちゃんとGPTがなくて、
何段階でもそういう予測が出てたんですよ。
でも今もちゃんとGPTが出てきて、
大学なんかでも教え方どうしようかって議論をしてるんですね。
最近、今年卒論生も今年卒論生も、
少なくとも2人ぐらいは使って書いてるんですね。
で、なんとなくわかる。
わかるのはなぜかっていうと、
それまでその学生が書いてきた小レポートやリアクションペーパーみたいなものの、
周りでテイストが違うわけですよね。
雰囲気が違うんですよ。
で、これいかにも使ったなっていう感じに読めるので指摘をするんですけど、
やっぱりその専門家の話を聞いていくと、
もうこれ将来は使ったか使わなかったか全くわからなくなるって言ってるんですね。
そうするとやっぱりどういうような、
今までみたいな教育をしてくると、
やっぱりその子たちの力っていうのは、
もう全然AIにはかなわなくなってしまうので、
だから今の学習需要量はどちらかというと、
単級をしましょうねっていうことになっていて、
で、学校での先生の教え方も、
なかなかやっぱり学校って変わらないんですけど、
本当は先生が一人一人寄り添って単級をしていって、
そこで身につけたことをお互いすぐに交換し合って議論をして熟議をして、
そしてまた新しい見方を身につけていって、
さらに社会に出て、
学校の放課後なんかに地域社会やいろんなところで経験を積んでいきながら、
大人たちともそういう交流をして、
もっと単級をして、
そこでまたはっきり自分で発見したりとか、
不思議に思ったことを学校に持って帰って、
また単級をしたりみんなで議論したりするっていう、
まるで個別学習をベースにしながら単級をしていって、
みんなでお互い発見したことや日本に思ったことを交換して、
議論をしていきましょうねっていうふうに作ってきてるはずなんですね。
ただなかなかやっぱり学校ってのは知識を伝達するんだっていう観念から
先生方がなかなか抜け切らないので、
まだそういう一斉授業をやってると思いますけど、
当時も言われたのは、
国語を背景にして先生が一斉授業をやって、
45分の時間中40分子どもが静かに聞いたから、
本当に授業はいい授業だったっていうのは、
それはよくない授業になりますっていう話になっていてね。
どっちかというとザワザワしていて、
みんなが話し合って議論して、
ギラギラ笑いながら楽しいことを追求していくっていう状態の教室が、
これからは普通の教室になるんだって言われたんですね。
10年経ったら中が変わらないんですけど、
だけど他の国々はそういう風に切り替えてしまっていて、
どんどん進んじゃってるんですよ。
学習指導要領は内容をどうするんじゃなくって、
この学年とか、終わった小学校終わったら、
ここまでは力をつけてますよね。
ただそれをどう学んだらいい、
どうそこの力をつけるかっていうのは、
それぞれの子どもが自分で決めればいいし、
また親御さんたちが自分で決めればいいんだけど、
私としてここまで学ばれていて、
ちゃんとできるようになっていれば、
もうそれでいいんだと。
高校は高校はっていう風にしておいて、
あとどう学ぶかとかどう探求するかっていったことは、
本人がやるんだっていう風に切り替えたいと言っているんですね。
そうするとやっぱり自分らの経験が通用しないことになってくるので、
だけど私たち、また親御さんの世代が、
今、パコさんいましたけど、
真面目にやってきっちりと思えていって、
ちゃんと成績を、いい成績を、テストでいい成績を取っていくのが、
ある意味で普通な在り方なんだと思っているような在り方が、
実は普通ではなくなるっていうことになってきているはずなんですね、
本来であればね。
ただなかなか変わらないんだけど、
やっぱり企業もそこで悩んだりされているので、
だから相談、私の学ではもうちゃんとGBT出てきてしまっているし、
さらにそれを超えたディープシークみたいなのも出てきてしまっていて、
やっぱり今までの記憶力に頼るような勉強の仕方というのは、
どんどんどんどん古くなっていってしまうので、
むしろ探求するとか、問いの立て方を考えるとかですね、
いい問いをして、ちゃんとGBTと対話をしながら、
いい答えを引き出せるような力をつけていくとかですね、
やっぱりそうにしなきゃいけない。
そうするとやっぱり、単に物を知っているだけじゃなくて、
むしろ知っているのは向こうの方が圧倒的に知っているわけですよね、
親と子の対話
人工知能の方が。
だったらその人工知能にやっぱり良い答えを出して、
良いというのもまた価値判断が入りますから難しいんですけど、
やっぱり良い答えを出してもらうための問いができる力をつけていかなきゃいけないので、
そしてやっぱりいろいろなものに不思議だと思ったりとかびっくりして、
もっと知りたいなと思ったりとか、
そういうことができる力のほうが大事になってくると思うんですね、これからは。
何の気合い責めにもなりません。
いやいやいや。
そこをやっぱり考えてみると、今のような在り方はどうかなというのはありますよね。
受験で子どもを知りをたたいていったらいいのかというと、そうじゃなくて、
むしろ好きってことを肝にしながら、不思議に思ってそれをもっと突き詰めていくにはどうしたらいいかとか、
そうすると対話の在り方も、勉強しなさいとか決まってることをやりなさいじゃなくて、
なんでそれは好きなのとか、なんでそれをもっと知りたいと思ったのっていう、
なんでなんでって問い返していくような対話になってくるでしょうし、
そうすると子どもも、いやだったらこれこうかなと思いながら考えて、
こうしたいあしたいって言ってくるのを、じゃあそうしてみたらって言いながら、
やった時にどうだったっていうのを聞いていくみたいな、
そういう形で対話が弾むような形で子どもの間で議論ができると、
まあ面白いかもしれないと思いますけどね。
なるほど、最初の話きっかけが計算だったので、
今は計算を楽しくやるためには、ドリルドサッと買ってきて、
毎日やってみたいなのじゃ、たぶんうちの娘はダメだと思ったので、
ちょっと面白い計算の仕方みたいなのを、本を買ってきて、
私もやりたくなったので、それを一緒にやろうみたいなことにしたんですよ。
で、めっちゃ楽しくやろうっていう風にちょっと一応言ってみて、
問題をなんか怖い色変えて、さあなんとかだよみたいなのを一緒に演技とかして、
で、問題解いて、今やり始めたんですよ。
そしたらそれは面白いらしくって、じゃあまあこれからやってみるかと思って、
今やり始めてるんですけど、で、お互い発見して、
この計算の仕方だと今学校で習ってるやり方とは違う方法で、
あ、できる、指使わなくてもできるとかなんかそういうのが発見したんで、
面白いねとかはーとか言いながらやってるんですけど、
それはよかったんだなって今のお話を聞いて、
このやり方でもいいのかなって思いました。
面白そうですよね。
でもそれはさ、いやいいと思うんだよ、それはいいけど、
計算が面白いんじゃなくて、あゆみと二人でやるのが面白い。
そうだよね。
それでいいのかな、でも。
計算じゃないんでしょっていうのは、
でもその一緒にやってくれた、一緒にやった時間っていうか、
こうやって一緒に楽しむ親だっていうこと、親分ですっていうのはそれ以降も支えるし、
なんかつまづいた時にあっててって言えると思うんだよね。
なんかわからないことは恥ずかしくて怒られるから隠すっていうよりは、
なんていうかな、これを例えばそのお母さんに言ってみたら、
こんなに楽しくね、なんか一緒に考えて、
もっとなんか面白いやり方とかそういう抜け道じゃないけど、
一緒に探してくれるんだっていうような経験になると思うから、
計算はそれで早くなろうが遅くなろうがどっちでもよくて、
難しくて嫌なこともこうやって方法とか仲間っていうかね、
誰かと一緒に楽しくできるんだっていうことになると思うから、
なんかそれで早くならなくてもすごく良かっただろうなってちょっと思って聞いて。
でもなんか最近逆に思うのが、
あっこ先生にはよくね、私の娘との対話の仕方というか、
付き合い方はとってもいいよってよく褒めてもらえるんだけど、
なんか私がケアしすぎてきちゃったかなみたいなのも心配になったりするんですよ。
なんかすごい工夫して楽しくやらせたりとかなんかしてきてしまって、
でも私が本当に本作ったりとかで、
すごい自分が仕事モードになってしまってほったらかすと、
その力を使って自分で楽しむというよりかは、
なんかママがいないからじゃあもう動画見てよみたいな、
なんかそういう風になってやしないかみたいな不安がまた出てきたりとかして、
なんかその辺ってどう思われます?
あんまり今どうかって考えないほうがいいですよね。
今の社会全体が待てなくなっちゃってますよね。
成長だとか時間がかかることが待てなくなっちゃって、
タイパーっていうのはいい表現ですが、タイムパフォーマンスみたいなことになって、
とにかく早く早くとか、その場その場で完成品でなきゃいけないみたいな、
消費社会ってそういう社会なんですけど、
私たちは消費者が物を買うかのように子供を見てしまうっていうか、
だからその時その時にちゃんと価値がなければいけないし、
商品価値がなきゃいけないみたいな感覚があるので、
だから目先、今の状態であることで、
より高いパフォーマンスを発揮できなきゃいけないんだと思っちゃいますけど、
子供の成長と育成
やっぱり私たちね、自分のことも考えれば思うように、
やっぱり成長してきてこうなってるわけだし、
時間がかかるし、それぞれの子供たちの成長の仕方って違うので、
だからやっぱり待たなきゃいけないんですよね。
だからその、ある意味では育成をするんじゃないですか、
育っていくし育てていくしっていうことの中で、
その子たちがどうなるかってことが自分で決めていくことになると思うので、
だから例えば愛美さんがここに関わってきて、
さっきの赤さん計算じゃないんですよって言ってましたけど、
そういう関わりの中で計算の仕方が身についてくると、
そういった計算の仕方が身につくんだけど、
やっぱりその関わりをちゃんと通して身についてきたことになるので、
例えば愛美さんと娘さんとの関係みたいなものそのものが身につく中で、
計算っていうものが身についていくんですよ。
だからある意味ではちゃんと、
自分の体内に埋め込まれていくみたいになっていくので、
忘れないと思うんですよね、そのやり方みたいなものを。
だからそういうような関係で本当は学んでいくってそういうことなので、
いい関係が作られていく中で、その関係の中に新しいものが立ち上がってくるみたいにして、
身につけていくっていう。
そうすると自分でも思いもよらなかったことを思いついてみたりとか、
また自分でも見てもいなかったことが考えれるようになっていったりだとか、
また自分にはびっくりするような力が発揮できるようになってくることにまた自分でも驚いて、
次に行こうとするってことが起こるんですね。
だけどそれがずっとそうなり続けるかっていうと、
やっぱりある程度までいたところで一旦ちょっと押生休止をして、
一旦自分のものにしていきながら振り返りながら自分のものを確認して、
さらに次へ行こうとするっていう段階が来るので、
そうしたことを繰り返しているわけですよね。
そうしたらアゲさんが仕事に忙しくなっていなくなっちゃったら動画見てよっていうのも、
もしかしたらそういう段階を経てるかもしれませんし、
もっと言えば、よく寝ちゃうっていうけど疲れてきて、
寝てる間に頭が整理されていって、
自分の記憶のあり方も組み替えられて、
ちゃんと自分のものになっていくことが分かっているので、
だからちょっと待ってあげるっていうのか、
子どもとってやっぱりそういう資料が叩かれ続けるよりはちょっとずつ待ってもらえて、
そうして自分なりに整理がついた形で、
次にじゃあお母さんこうしたいんだけどと言ってくるのまで受け入れてもらうというか、
そういうことがやっぱり、あげみではごく自然であると思いますし、
そういうことがきっちりなされていくと、
ちゃんと大きくなっていくっていうか、
描画力もついてくるんじゃないかなと思いますけどね。
親としての孤独感とコミュニティ
なるほど。今ね、待つっていう話が出たと思うんだけど、
待つのって本当に難しくて、
待ってるときって時間すごい長くかんでるっていうぐらい難しいことだなと思ってるんだけど、
さっきあいみが、私の娘の話聞くといいじゃんいいじゃん、
毛先使い使えって思うみたいに、
人の子だと言えるんだよって思っていて、
それいいよねとかって、めちゃ面白いじゃんその考え方ってなるけど、
自分が当事者だとイラつくし、
マジそれでいいの?みたいな、
え、こないだこう言ったじゃん、みたいないろんなことが、
考えることがそのことだけじゃなくなってくるっていうか、
今までのこととかこれからのこととか、
今の毛先使ったことだけとか、
その事件だけに集中できないから、
やっぱりこうやって、
一旦他人事じゃないけど客観視するような仲間がいると、
親同士もね、親のコミュニティがあるといいなって思ったのと、
まずなんだけど、
うちはちょっと上でしょ、あなたのお家よりも、
中学終わって高校行くわけなんだけど、
ちょうどね、本当にうちもベッタリ、ご存知の通りベッタリで、
私と一緒にとにかく仲良くやりたい人、
お家大好きみたいな風なんだけど、
ちょうどめでたく彼氏ができました。
おめでとうございます。
今日もさ、いつもだったら何時に帰ってくるとかっていうようなタイプなのに、
今日何時に行くの?早く行ってみたいな。
何時に帰ってくるかっていうのを別に、
私が帰ってきてほしいから聞くんじゃなくて、
その間ずっとLINEしてるとか、ずっと電話したりとか、
そういうような、何だろうな、十分にベッタリしたからこその、
子肌の良さっていうか気持ち良さみたいなもの。
それこそ前、ママが足りない、ママ不足の話をブログに書いてくれてたと思うんだけれども、
なんかそういう足りない足りないみたいなね、
こんなにいっぱいしてるでしょみたいなところから、
あって、道に足りたんだ、みたいな状態で来るんだなって思って、
もちろんこれはずっと続くと思ってなくて、
また何かいろいろ揺り戻しじゃないけど、いろいろあると思うんだけど、
あ、こういうことってあるんだなって、それも私とは全く関係ないところで、
彼女は世界が広げてるわけだから、
そこで好きなの嫌いなのっていうこととか、
本当にすごい泣いて泣いてみたいな時もね、中学校3年間の中ではあったんだけど、
でもそれこそ2晩泣いて下脱してですね、
悟ったみたいなことになるわけだし、
親って本当に何もやれないんだけど、
それでもやきもきとかしながらも、
強制せずに、求めに応じてじゃないけど、
それこそ美味しいご飯と温かいお風呂と温かいお布団みたいな話なんだろうな、
できることってって思うんだよね。
そうしながら、ある意味違うこと、
親も子供ばっかりじゃない他のことを見つけながら、
自分の好きなこととか、
他の目を、世界に入らないような子供のことが、
そんなこともそういう世界に持ちつつ、
一緒に並行して人生が進んでいくような感じで、
だんだんちょうどいい関係ってできていくんじゃないかなって本当に思ったから、
っていうのが今私のちょうどホットな話題の影響で。
本当だね。
普段だったら自分だってそう思ってるのに、
計算のテストの点が悪かったっていうちょっとしたトリガーみたいなので、
私が本に夢中になってほったらかしてたからだとか、
不安になっちゃうっていうね。
そんなのに気づきましたね。
これなんでですか。
お母さんってやっぱり孤立しちゃってるんですかね。
いつも疑問に思うんですけど、
実はこの中ちょっと他の話題なんですけど、
子育ての話をしていて、
例えば自分の若いお母さん方の親の世代の経験が今のは通用しないとか、
または若いお母さん方のおばあちゃんたちの経験が通用しないから、
だから役に立たないんだと思い込んでいて、
それでネットなんかで断片的な情報を得てね、
自分はそうじゃないから不安で仕方がない。
うちの子供があの子になっちゃったら私はいけないんだみたいな風に
思ってしまうっていうのが多いっていうような気分ですけど、
だけど人間の在り方ってそんなに急に変わるわけじゃなくて、
一台平で変わるわけではなくて、
情報収集と子育ての不安
いろんな情報が入ってくるし、いろんな便利なものは出てくるんだけれども、
子供の大きくなっていく成り方っていうのは
そんなにこんな10年、20年で変わるわけではないわけなんですよね。
その意味で何が一番大事なのかっていうところを見ていくことによって、
例えば自分のお母さんやおじいちゃんおばあちゃんの世代の経験っていうのは
十分に役に立つという面があるんですけれども、
そうしたことを全然うまく使ってこなくて、
目の前にある断片的なものをバラバラと使っていくので、
余計お母さん方が不安になる。
お母さん方が不安になると子供も不安になっちゃいますから、
これは何百年も変わらないことなんですよね。
お母さん方が不安で育てていくと子供も不安になっていってしまうので、
その辺りももう少しお母さん方があまり孤立をしないようにというか、
だからこそ逆に言うと、
お受験なんかに絡めとられていってしまって
心配ながらどんどんどんどんそっちへ行っちゃうみたいなことが
起こるのかもしれませんけれども、
どうなのかなというか不思議だなという感じがしますよね。
攻めるわけじゃないんですけど、
例えばアミさんがやっているこの番組ですか、
MOISYのネットワークでもいいので、
やっぱりみんながちょっとずつつながれて、
悩み事でも相談できて、
そこにちょっと経験のある方が出てきて、
パクさんみたいに、
うちの経験の役立たないかもしれない。
うちはこうだったし、
そんな心配することはないですよって言ってくれるだけで、
気が楽になるとかですね。
そんなようなことがないのかなと思いますよね。
そうなんですよ。
音声配信って逆もあって、
中学受験頑張るぞ!みたいな人たちもいるんですよ。
そっちを聞いてしまったら逆に、
そうしないとダメかもしれないみたいな風になっちゃったりとか、
すごい危うい媒体ではあるなって、
自分でやりながら思ってるんですけど。
結局どの媒体でも、
情報提供元みたいなもので、
誰にでも刺さるようなことをそれなりに言うから、
それを取りに行くわけでしょ。
自分でこうかって解釈しちゃう。
やっぱりなんていうのかな、
幼児教育もそうだし、
本当に子育て情報もあふれてるんだけれども、
そっちを見るところじゃなくて、
見るところもっと子供なのに、
その情報源の方を向いてるから、
不安になってこういう風にしなさいとかって、
向いてる方が違うから、
子供はそれを通りしないし、
うちの子じゃこの通りしないんだけどとかって言って、
やっぱり向いてる方は、
知らない人の知らない情報、
知らない子供の知らない話。
だから、そりゃあ子供も不安になるよね、
っていうような感じ。
もっと顔の見える関係で、
それこそ今おばあちゃんとかお母さんの世代は、
の経験がっていう話があったけれども、
もちろん一緒に住んでない子供も、
各家族で東京に出てきましたとかって、
いろいろあるから、
だけど近所付き合いじゃないけど、
こんにちはっていう中でね、
そういう、これはこうよって言って、
いやいや、私はこうだったわよっていう、
同じ地域、同じぐらいの世代でも全然違うよ、
っていうようなのに触れながら、
これ一つ唯一の正解がここにあるって感じじゃなくて、
いやそんなことしなくてもいいわよとか、
いやそれはするのよとかっていう、
え、そんなの取ってもいいのかみたいなのが、
だんだんこうなんていうかな、
自分の中で分かってくるみたいな、
子供の成長を見守る
誰かに言われたからこうするじゃなくて、
いろんなものに触れながら、
自分はこうしようかなって思えてくるみたいな、
そんななんかコミュニティがあると、
もう少しなんだろう、
子供もなんかいろんな目があって、
一個のなんか厳しい目があるだけじゃなくって、
優しくってむちゃくちゃな人たちがいろいろと、
関わりながら育つだろうし、
なんかそういうフックになると、
もうちょっと楽になるのかなって、
その中で私が今なんか、
私の提言が役に立つかっていう話だけど、
立たないと思うんだけど、
少なくとも私がなんかこう、
かわいいかわいいって、
好きなことやればいいんじゃないとかって思いながら、
でもやっぱりとかって言われながら、
それなりに今だけをいやいやとか言いながら、
2人ね、子供が大きくなって、
すごくなんか自由に育って、
それなりに面白く育ったので、
それはそれなりに、
いい事例として、
影響できると思うなっていうのを、
今ちょっと思って聞いてました。
そう、あっこが前に言ってた、
子育ての悩みをね、
うわーってしてる人って、
子育て本とか、
個性を尊重した教育
それこそ情報ばっかり見てて、
全く子供見てない、
本読むんじゃなくて、
自分の顔見ろってあっこが言ってたのを、
すごい今思い出して、
本当にね、その通りだよね。
それで言うと、私は今ちょっと今日はね、
せっかくお二人がと思って、
悩みをトロさせてもらったけれども、
一応子供は見てる方かなとは思うので、
まあ自信を持ってね。
すごくいいお母さん。
で、しかも、
すいません、もうちょっと世代が違うので、
参考になるかどうか知りません、
分かりませんけど、
うちもそんなこの、
勉強しろしろって言ってこなくて、
で、ほったらかしだったり、
ある意味好きなことをずっとさせた状態になってきて、
あったんですね。
ただ、やっぱり上の、
まあ私二人いて、
上のお母さん中コミュニティでしたが、
今もう、今大学院生ですけど、
あの、やっぱり二人ともすごく個性があって、
面白かったんですよね。
親として見てて面白かったんですよね。
で、あまり勉強、
勉強が、
この勉強はできませんでしたけど、
できなかったっていうか、
あの、合わなかったので学校の在り方が。
で、上の子なんか特に、
あのもう、
先生があれこれ言うとすぐ手を挙げて質問して、
先生が困るの呼び込んでるみたいなやつだったので、
やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ。
で、それだけ部授業妨害するっていうので、
難心点すごく悪くて、
で、あのもう、
中学校まで一応行ったんですけど、
地元の公立学校へ。
もう、とにかく図ったように、
あ、例えば、オール2とか持ってくるわけですよ。
無効効なくなるぞって言ってたんですけど
テストはいい点取ってくるんだけど
結局その授業で協力的ではないという理由で
下げられてるわけですよね
行くところなくなっちゃって
最後いわゆる高等生盤が高校生ってありますよね
あそこが難進点見ないテストがあるので
それで自分で家庭受けに行って
親も知らないうちに受けちゃってですね
行くからって言ってきてびっくりするみたいなことを思ったりとか
でも今それで私と妻は分家だったんですけど
だけど二人とも子供は理系なんですよね
自分で大学を選んでいって
今はちゃんと働いてますし
本人の人生の選択のやり方って
大企業は嫌だって言うんですよね
仕事決まってきてしまっていて
自分がいろんな発想を持ってうまくやれなくなってくるので
だから中小ばかり渡り歩くような形で
今は中小企業にいて新しい開発部門にいて
結構楽しそうにしてるんですよ
しかもそこは私たちが見ると新しい働き方で
20時間いつ行ってもいいし
それから行かなきゃいかないので住むなら別に来なくていいとかですね
それから社内企業を作ってもよいし
自分の空いた時間を使って
よその会社の仕事を受けても構わないという
副業系の会社なんですね
それで結構自由に面白いことやってるっていうのが
うちの上の場なんですけど
したがくは幼い頃から石が大好きで
石と対話してたんです
一緒に広がってきてですね
匂い嗅いだり舐めたり話しかけたりして
この子俺どうなっちゃう
でも世の中見ると隠すんですよね
汚いからとか言われちゃうんで舐めたりするんで
だけど今でも部屋ありますけど
今大学院生でやっぱり石の専門っていうか
地球惑星科学っていう
もう人生積んだねって言われてるんですよ
それがやっぱり好きでいくわけですよね
そうするとそこで突き詰めていくようになるので
やっぱりそれなりにお楽しみに人生歩んでるなと
親から見て思うんですよね
やっぱりそういうことが大事なのかな
だから子供をちゃんと見ていてやれば
子供ってそんなに踏み外すわけじゃなくて
やっぱりちゃんと見ていてくれて
安心していられるっていう環境さえ
ちゃんと整えておけば
子供は子供で自分なりの人生を歩んでいくんだと
やっぱり一般的によく言われる話なんですけど
なんですね
だからそこが今これからもっと大事になるんじゃないかな
って思うのと
それから別にうちの子供がどうのこうのじゃなくって
今大きな流れとしては
企業の経営者たちとも話をしていると
今やっぱり日本の企業で一番困っているのは
グレーゾーンに耐えられなくなってるってことなんですよ
だからコンプライアンスで決めたり
ちょっとこれはっきりさせて決まりでっていう風に言うんだけど
それやればやるほど実は何もしなくなっていっちゃうんですね
結局決まり通りやればいいだろうってことになるので
決まりのところ
例えば求められたところまでしかやらなくなってしまうので
突破しなくなっちゃうんですよ
で今新しい考え方が出てきていて
ネガティブ・ケイバビリティっていうんですけど
いわゆるネガティブなっていうのは
まるで否定的なっていうのは
消極的なケイバビリティっていうのは
自分がやってる新しい能力なんですけど
例えばぐずぐずできる力とかね
グレーゾーンでどっちつかずな状態でも
耐えられる力みたいな言い方をするんですけど
そうなるとそこから突破するっていうものが生まれてくるので
今そちらが大事だって言い始めてるところがあるんですね
すると子供の頃から
消極で発見させて言われた通りやらなさいなとかけてると
それができなくなってしまうので
だから面白いことを耐久していきながら
わからないなと思うのをしばらく持ちこたえる力っていうのか
わからないからこそもっとやってみようとするとか
わからないからいろんな手を尽くそうとするとか
そういうような力が求められるんだって
新しい教育アプローチ
盛んに今言い始めてるんですよね
だからやっぱり子供そのものを見てあげることによって
お父さんお母さんちゃんと見てるから大丈夫だよって
言ってあげられるような
経験性こそがまず大事であって
その後子供は安心して冒険ができるし
安心して失敗ができるし
また失敗しても今言われたようなレジリエンスって言いますけど
復元力がついてくるので
その復元力レジリエンスとネガティブキャパビリティを身につけた子供たちって
やっぱり最強なんですよね
いくら叩かれようがいくら失敗しようがめげないので
やっぱりそういう子たちがこれから求められてくるって
盛んに言い始めてるんですよ
そうするとやっぱり好きなことを理本にしながら探求できる
力をつけていくってことの方が
これから大事になるのかなと思いますよね
もう社会が分からなくなってきてしまってるので
本当ですね
何にもこっちから教えられることはないですね
どうなるか分からない世の中なのに
ありがとうございました
私牧野先生の
またちょっと概要欄に貼っとこうと思うんですけど
今小さな社会を楽しく生きるっていう
ご著書を読ませていただいてて
すごいその地域のコミュニティの話が
途中でも出ましたけど
すごい興味が出てきていて
なんかでもあんまり私は地域のそういうとこに参加
全然しないタイプの親なので
あんまり交流とか持っててないんですけど
少なくとも私と家の中で
まずはそういうコミュニケーションをしっかりとって
いけるのがまずは第一かなって思いました
ちょっとこの話もいつかまた聞いてみたいな
もしも機会があれば
次回に続くなんかをさせていただけたら
嬉しいななんて思いました
ありがとうございました
たっぷり1時間
偏差値の話をしてよって
そう偏差値の話したかったんです
またどっかで
次回に
ごめんなさい
偏差値って投げてたのに
学校の勉強の話で終始やってしまいました
偏差値なんてあんまり意味がないので
言っちゃいけませんけど
本当に偏差値の前提は
みんな同じ人間だってことですからね
そんなことありえませんから
偏差値が重視されてるのって
そんな日本くらいじゃないって言われてるみたいなの
よく聞いたりするんですけど
すいませんその話題を振るのを忘れました
ぜひよろしくお願いします
じゃあ今日は1時間になったので
1時間あたりで一旦おしまいにしたいと思います
本日のゲストは
私の大親友で教育学者のあっこ先生と
あっこ先生の先生の牧野敦史先生でした
ありがとうございました
ありがとうございました