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真の愛なる皆様、アロハです。Aiです。今日は7月14日、金曜日ですね。7月の半ば、日本は夏休みもうすぐって感じなのかな。
こっちはね、結構夏休み早いですよね。北米の夏休みって6月とか、なんか大学とか5月とかに夏休み始まってませんか?
なんかね、お母さんたち大変って感じなんですけど、まあうちはね、まだデイケアなので、毎日ね、7月も8月も、
平日はね、明けてくれてて大変助かりますって感じなんですけど、この9月からキンダーなんで、いやーもうどうしようって感じですよね。
いやいや、まあそんなことはいいんですけど、今日はですね、あの先週、先週じゃないわ、この間の水曜日にですね、
オンライン映画上映対話会をいたしまして、これまあ先月ぐらいからやっている、私が所属している
日文村のね、毎月企画なんですけど、農業とかね、土をテーマにした映画を毎月ね、岩村の日文サロンと
オンラインをつないで映画上映会、鑑賞会、そして対話会っていうのをね、やってるんですよね。
まあ最近、日文村、この数年ね、日文村ガーデンというか、土が熱いということでね、土に触れればビジネスのすべてがわかるとかね、
語ってらっしゃる方もいらっしゃいましたけど、まあとにかくね、映画上映会しております。
今回、先月はね、君の音はっていう映画で、リジェネラティブ農法という、新しいね、新しいというか、まあ本当に古き良きというか、
自然に調和した農法が世界のね、農業だけじゃなくて、世界のいろんなね、グローバルウォーミングとか、
いろんな問題をね、課題を解決するんじゃないかっていう、すごいね、希望に満ちたドキュメンタリー映画でした。
で、今月は日本のドキュメンタリー映画ですね、テラ、僕らと地球の暮らし方という映画を皆さんでね、
上映、鑑賞、そして対話させていただきました。
いやー、あれめちゃくちゃ良かったですね。私、謎に涙が止まらなかったんですけど、
泣くシーンとか別にないんですけどね、とっても涙が止まらなかったなということで、
まあ私がちょっと感動したポイントとかグッときたポイントを防備録的におしゃべりしてみようかなというふうに思います。
まあオンライン会場をね、もうちょっとね、みんな人数増やしていきたいんですけど、
まあこじんまりなメンバーだったんですけど、本当にそれぞれに西洋のね、ハーブを学んでますとか、ガーデンやってますとか、広いお庭とね、森がね、お家にあって、
それを何かこう良きものにね、良きエネルギーに変えていきたいということで、畑とかお花とか植物に関わってらっしゃる方とか、
あとシアトルじゃないポートランドのね、パーマカルチャーを取り入れたデイケアプリスクールにお勤めの方なんかもいらっしゃって、
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それぞれにね、ご縁の深い、必然的なメンバーだったなという感じで、超人数こじんまりなメンバーでしたけども、すごいね、学びとご縁が深まったなという感じでした。
この映画はですね、日本各地、世界、特に西海岸ね、各地のパーマカルチャーについて、
そしてそこで暮らす人々の営みを描いたドキュメンタリー映画なんですけども、映像もすごいね、なんていうかな、
海外のドキュメンタリー映画とちょっとテイストが違って、日本的なね、なんか優しさとか光とかね、
湿度というかね、あるじゃないですか、日本独特の湿度とか、そういうものにあふれた、すごい優しいね、いい映像と語り口、切り口だったなというふうに思います。
いろんなね、各地のパーマカルチャーとか、そこにまつわるコミュニティ、そのコミュニティについてのお話、いろんな事例なんかを紹介していくんですけど、
そこにね、そこを旅していくのがインタビュアーの方と、その息子の、インタビュアーのお母さんとカメラマンのお父さんと、そしてその息子のテラ君なんですよね。
その家族でいろんなパーマカルチャーのコミュニティに訪れてお話を聞いていくっていうね、そういう映画だったんですよね。
パーマカルチャーって言うと、何て言うんですか、農業、農法の一種みたいなね、いかにその畑を作るかガーデンを作るかっていうようなイメージあると思うんですけど、この映画でもね、いろんなところで語られていた通りに、パーマカルチャーっていうのはガーデンのことだけじゃなくて、
生き方そのもの、あり方生き方そのものなんだよ、その一部としてそのガーデンっていうものが、やっぱり生きるためにその食べることが必要である。で、食べるためにその畑を自分たちで作っていく。
でもそれを自分たちの食べるためだけじゃなくて、自然に即した、自然を傷つけない、自然から搾取しない方法で畑、食料を作っていく、作ってまた返していくっていう、その循環する、命を循環させるっていうあり方の一つとして、畑とかガーデンのお話も含まれている。
でもパーマカルチャーっていうのは農業とかね、畑の話だけじゃなくてっていうところが前提としてあるんですよね。
で、パーマカルチャーってオーストラリアで生まれたのかな、もともと。で、いろいろ西海岸とかね、あと日本でも今広がっているんですけど。
でもパーマカルチャーって名付けられる前に、本当にもともと日本人がね、里山とかもそうですし、棚田とかね、いろいろその土地に根差して、土地の特徴とその土地にいる人々のそのコネクションを感じながら、その命を育てて命をいただいて、そしてまた返していくということは、
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日本各地でもパーマカルチャーと名付けてなくても、もうすでにやってきたことであるし、そして各地のね、その先住民の方々、いろんな部族の方々がもともとやっていたことだったりする。
それをパーマカルチャーというふうに名付けて、現代の私たちの暮らし方の中に馴染むというかな、もう一度それをね、今の時代の必要な形として、必要なものとして広げていくっていう、そういう感じだったのかな。
ちょっとウロ覚えですいません。とにかくね、暮らし方、生き方、あり方そのものを含めてパーマカルチャーというと。
で、なんかね、とにかくね、そこにいる人たちがめちゃくちゃ幸せそうだったんですよね。で、私なんか昔から村を作りたいとかね、コミュニティの中でね、なんか自然に即して生きたいみたいなね。
そういうイメージすごいあるんです。そういう夢っていうか、憧れみたいなのがすごくあるんですよね。もちろんね、本当に農業とかやろうと、即した農業とかやろうと思ったら、本当に大変なこともいろいろあるだろうし、力仕事もね、いっぱいあるだろうし、私が苦手な虫さんとかともいっぱい対面しないといけないだろうし、仲良くなれると思うんですけど。
コミュニティって言ってもね、楽園ではなくて、いろんな人間関係のね、いろんなこととかあると思うんですよね。でもね、なんか本当にね、なんていうのかな、美しいなあって、そういう場所に私も暮らしたいなあっていう、そういうね、憧れが昔からすごいあるんですよね。
とにかくね、幸せそうだった、楽しそうだった、もちろんいろいろあると思うけど、いろいろあるのは誰でもそうですよね。で、印象的だった言葉をいくつか紹介したいなと思うんですけど、日本人って樽を知るとかね、今一人分とか、サステナブルとかいろいろ歌われているときに、樽を知ることをね、ちょっと心に置きましょうみたいなことを言うんですけど、
樽を知るって言うと、節約しないといけないとかね、あんまり多く取っちゃいけないみたいな、ちょっと我慢みたいな、そういうイメージあるかもしれないんですけど、ファーマカルチャーの、この映画の文脈で、樽を知るっていうよりも、レッツエンジョイ豊かさパーティーみたいなね、自然に即していけば、ものすごい豊かさがそこにあるんだよっていう、
もうなんか、セーブしないといけないとか、節約しないといけないとか、一人分しか食べちゃいけないっていうんじゃなくて、なんか本当に循環、自然の一部としてそこに飛び込んで、その自然の一部として、自然に即して生きれば、そこはもうね、豊かさしかないっていうね。
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でもその豊かさっていうのが、例えばその水をジャージャー使ってもいいとかね、お金ジャージャー使って、なんかどっかね、スーパーカーになって合流するとかね、クルーズ、毎日クルーズでね、美味しいご飯食べるとか、そういう豊かさではなくて、また違って豊かさなんですよね。
豊かさのシフトみたいな、豊かさの定義をもう一回考え直すっていうか、それを体現している人がそのパーマカルチャーのコミュニティーの中でたくさんいらっしゃるな。本当の豊かさってなんだろうっていうのを、パーマカルチャーの世界に飛び込んだときに、きっとね、私たちの何かがね、持ってる価値観みたいな、古い価値観みたいなものがパラパラと崩れていって、
本当の豊かさってこういうことなんだなということがね、きっと分かるんじゃないかな。この映画見ただけでも、もうすでに懐かしいとか、ああもうここに行きたいとか、こういうふうに行きたいっていうふうにね、思うわけなんですよね。自分の命がそれをね、知っているっていう、私たちはここに所属している。
それはそのコミュニティー、その特典のその、描かれていた特典コミュニティーというよりは、その命とか自然に私たちは所属しているっていうことを知ってる。知ってるんですよね。だからこんなにも私は憧れる。そこに行きたいなと思うんじゃないかな。そこに行きたいというか、そういうふうに行きたいなというふうに思うんじゃないかなって思うんですよね。
なんかね、パーマカルチャーっていうと、いろいろ難しい理論とかね、もちろん実践するためにはね、いろんなことを学んで、トライアンドエラーしないといけないと思うんですけど、なんかすごいね、印象的だった言葉があって、パーマカルチャー的な暮らしっていうのは、まず、いかに反目でゆらゆらする時間を増やすかなんだっていうね。
あの、ソウヤカイさん、カイさんだったっけ、ちょっとアフロのね、素敵なお兄さんいらっしゃるじゃないですか。こういうパーマカルチャー文明をね、いろいろ広げていらっしゃるカイさん、お兄さんがね、いかに反目でゆらゆらする時間を増やすかなんだっていうね。
それってどういうことかっていうと、暮らしに余裕があると、心もね、余裕が出てきて、勝手にね、サステナブルになっていくんだっていうね。だから一人分、もうなんかこう、私はこれだけしかないから、セーブしないといけないとか、誰にもね、あげる余裕はないとかいうふうに、一人でね、ギューってこう握りしめちゃうっていうのじゃなくて、もうあるんだとかね。
いくらでも、なかったというか、そうなんですよね、ギブネスもそうなんですけど、自分の領域をどこまで広げるかっていうことだと思うんですけど、お金とかもさ、自分の、分かんないけど、自分の預金通帳になかったとしても、困ったら誰かがね、お米送ってくれるとかね、お金振り込んでくれるとかね。
そういうふうにね、なんか、どこまでを自分の預金通帳とするかみたいな、どこまでを自分の豊かさとするかみたいなところを、ちょっとね、スイッチ切り替えてみると、なんか、なくて困るっていうことは、ようこそじゃないとね、起こらないんじゃないかなって、それを知ると、なんかちょっと反目でゆらゆらしてね、こもれ火を感じたり風を感じたりすると、心もちょっとね、優しくなって、
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私はちょっと土に触れてね、畑をね、耕してみようかなとか、じゃあ、そこの野菜がなったからね、みんなに分け分けしてあげようかなっていうふうにね、そういうふうに、ちゃんと自分とのつながり、自然とのつながりを取り戻して、反目でゆらゆらできれば、みんなとのつながり、社会とのつながりっていうのも、自然にね、取り戻していける。
そうしたら、その世界には、何だろう、一人で頑張らないといけないとかね、だから稼がないといけないとかね、だから私の分はこれだけキープしないといけないみたいな、そういう世界からの逸脱っていうのが、いかに反目からの、反目でゆらゆらする時間を増やすかっていうことなのかなって。
循環なんですよね。いろいろ考えながら、思いを馳せながら喋ってますけど、いかに循環するか。そうなんですよね。それをね、でも本当に遊び心とかね、ジョイとかなんかそのアートに、なんかアートをね、取り入れながらね、本当にその真面目にっていうよりは、もちろん真真剣にやるっていうところもあるんですけど、本当にそのジョイとアートをね、取り入れながら、
いろんな遊びの中で、命の遊びの中で、それを形作っているっていう、その姿が本当に美しかったなというふうに思います。豊かさって何でしょうね、皆さん。もうね、気づいている人たくさんいますよね、本当にね。
なんか、そう、だから、本当にだから、そのギブネスみたいな、私が研究しているそのギブネスみたいな概念とすごく重なる部分もあったし、なんか人間が自然をコントロールするとか自然にコントロールさせる、されるのではなくて、本当に私たちがただの自然の一部として、なんかそこにある。
でも、やっぱり人間だからこそ持っている、愛と英知みたいなものがあって、それと同時に人間だからこそこう過ちを犯すみたいなところもあって、でもそれも全部含めて、なんか今この状況、まあいろんな課題解決しないといけないね。課題、気候変動とかね、砂漠にどんどんなっちゃったりとかね、戦争したりとか、いろんな課題がこの地球上にあるけれども、じゃあ今ここで何をするのが最善なのかっていうのを、
まあ自分自身との関係もそうだし、その自然、農業ってまさにそうですよね。今ここで何をね、するのが一番いいのかっていうね、それはその、何、今月食べる野菜のためだけじゃなくて、本当に7世代、セブンジェネレーションとかよく言いますけど、本当次の世代、次の次の世代まで考えて、どれだけの時空間で考えられるかっていうこともそうだし、
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この自分の村っていうことだけじゃなくて、隣の村とか隣の国とか、地球丸ごと全部とか、はい、ちょっとおしゃべりしてたら、実はミーティングの約束していたことがすっかり忘れており、はい、ちょっとあのハト時計の音を挟んでみました。
はい、というわけで、えーと、何の話してたんだっけ、そうそう、地球丸ごと全部とかね、だから私の領域、私とあなたの境界線を考えるみたいな、我思う、ゆえに我ありの我はね、どこからどこまでが我なんだって、私と私の家族までなのか、私と私の家族とそれを含む社会全部なのか、それとも国なのか地球なのか宇宙なのかみたいな、
なんかそれをこう自在にコントロール、行き来できる、まあ全部必要だと思うんですよ、その境界線っていうのは必ずこの地上で生きていくためには絶対必要で、そうじゃないとね、エヴァンゲリオンみたいにドロドロに溶けちゃいますよね、みたいな話をオオドジで、オオドジじゃない、ハチドリアンでもね、してましたけど、やっぱり境界線っていうのは必ず必要だけれども、それをどういうふうに引き目で見ていくか認知していくかということで、
目の前に広がる世界とか、その世界に対してできることとか、受け取る、与えるやり方っていうのが全然違ってくると思うんですよね。なので、そう、だからファーマカルチャーという暮らし方、生き方っていうことを考えるっていうのは、やっぱり私の境界線、私のその本当の本質みたいなところを見直す、まあ豊かさの本質もそうだけど、見直す、
最善のものに自然と自然に変えるようにフィットさせていくっていう、そういうことなのかなっていうふうに、本当に非常にギブネス的というか、ギブネスそのものだなって思ったんですよね。
なんか一つね、面白いなって思ったのが、まあ一つの試みとして、やっぱオープンファームというか、シアトルのビーコンヒルフードフォレストっていうコミュニティガーデンみたいなものがあって、それはオープンハーベストって言って、誰でも入れる、誰でも入れる、誰でもその畑仕事できるし、誰でも収穫できるっていう、まあ本当ギブネスガーデンなんですよね。
常に開放されてあるっていう、そういうガーデン。それは言ったらチャレンジじゃないですか、誰が入ってくるかわかんないみたいな、私たちが一生懸命作ったのに、全然働いてない人が全部収穫して持ってっちゃったらどうするみたいな、いろんなね、チャレンジというか、いろんな恐怖みたいなものもあったと思うんですけど、
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だからそれは本当に人間の寛大さに対するチャレンジだったっていうふうに、そこの、それを作った人も言ってたんですけど、そのオープンハーベストっていうものがどうなったかというと、上手く回ってるんですって、言うたら上手く回ってる、だから誰でも立ち入り、だからそういう悪い人がいてもおかしくないですよね、もちろんね。
本当に大丈夫なのっていうのは当たり前に心配することだと思うんですけど、でも上手く回っている。みんなが尊重し合って、働く人もいれば収穫する人もいればということで、小さな、些細なね、いろいろなことはきっとあるんだろうけれども、そんなにね、全部持っていくとか全部搾取するみたいなことは、全然この数年、初めてから数年起こっていないっていうね。
なんかすごいなと思っていて、なんか人間って本当に悪くもなれるし、でも本質的にみんなただただそのカインドでありたい、よくありたいっていう人に対して親切でありたいって思ってると思うんですよね。
で、それがやっぱ自分、なんでかって言ったら人に親切にすることで、優しくあることで自分の命も保たれるじゃないですか。やっぱり意地悪なね、ジャイアンみたいになってこうしあいするっていうやり方もあるけど、そうするとまた革命を起こされてね、外国女されるみたいな危険性もあるし。
カインドであれば、やっぱりそのコミュニティと調和して、助け合いができて、自然に対してもカインドであれば、ちゃんとその必要なものは与えてくれるっていう、それを私たちの命はきっと知っているから、本当はみんなただただカインドでありたいっていうね、ギブネスの循環の輪の中にいたいっていうね、ものが命のね、求めるものとしてある、本能としてあると思うんですよね。
それがそのオープンハーベストというその試みで、ちょっと証明されつつあるっていうかね、それはすごいね、なんかギブネス研究員の一員としてはすごい、なんか良い発見というか、やっぱりそうなんだっていう発見でもありましたですね。
いろいろとここで描かれたことに対して感じることはあったので、ほんとちょっと何度でも見返したいなっていう映画でしたね。なので、ぜひ皆さんね、一緒にまた見る機会があれば見ましょう。
コミュニティなんですよね。それでね、パーマカルチャーを中心としたそのコミュニティっていうものを形成することで、本当にその、なんていうのかな、畑仕事一緒にしたりとか、そこに集まって太陽オーブンでね、ピザ焼いたりとか、その繋がりの中でやっぱりそれが防犯にもなっていく。
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その繋がりがあるから犯罪を犯す必要もないし、みんなをその、なんていうのかな、監視し合うって言うと変だけど、みんなでこう、助け合いながら、なんていうの、日の用事じゃないけど、コミュニティの安全もちゃんとね、確保していくっていう。
昔の日本もそんなね、機能がいっぱいあったんじゃないかなって思うんですけど、そういうものがね、パーマカルチャーというものを中心としていろんな場所でできつつあるっていうことなんですよね。そうなの、命を中心としたコミュニティなんじゃないかなって思います。
で、まあいろんな人たちがね、いろんなそのコミュニティの創始者たちがいろんなお話を語っていたんですけど、やっぱりね、私これちょっとフェイスブックにも投稿したんですけど、やっぱりこの映画の主人公はね、テラ君、今2歳、当時2歳だったのかな、テラ君だなっていうふうに本当に思ったんですよね。
テラ君はね、2歳なんで、インタビューしたりね、カメラ回したりするお父さんお母さんにくっついて、時にはインタビュー、インタビュー最中のね、お母さんのおっぱい飲んだり、ひゃーって言ったりね。
ところどころに登場するんですよね。ただそのコミュニティの中で遊んでるとか、ぶどう食べてるとか、パンツ一丁でね、海でね、みんなで子供たちで遊んでるとかね。ただただそこにね、テラ君がいるっていうね。でもね、本当この映画、テラ君が主人公って思ったんですよね。
はい、というわけで、ちょっと泣きそうになったので止めちゃいましたけど、いやーそうなんですよ。テラ君が主人公なんですよね。何を語るでもないけど全てを語っていたっていうね。なんか彼の姿が描かれてなかったら全然違う印象になってただろうなっていうふうにこの映画は思うんですよね。
何かっていうと、私たちがね、今食べてる果実っていうのは、かつて誰かが植えたものなんですよね。で、同じように私たちが今ね、ビワの木を、例えばビワの木を植えるとか、モモクリ3年、カキ8年とかいますけど、何かしらの木を植えると。
それってもしかして、モモクリ3年、カキ8年だったら多分食べれると思うけど、もしかして私たちが今から植えた種は、私たちが食べられないかもしれない。私たちが生きてる間には、実らないかもしれない。それは何か食べ物の話だけじゃなくて、
何だろう、良き世界を作っていくとか、良い、この世界を良いものにしていくっていう私たちの行動全てがそうだと思うんですよね。
毎月、ハチドリアンしてる報道陣のリュウゲンさんとかもそうなんですけど、今自分が知ってることっていうのは、自分が生きてるうちには叶わない。
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その変化というかね、見ることができないかもしれないけども、100年後に100年後に必ず、自分がこれをすることで良くなっているはずだっていう、その100%、200%の確信を持ってそれをやっているっていう、命をかけてやっているっていう、そういうことだと思うんですよね。
そういうふうにして、かつての誰かがこの世界を作ってくれたし、梅の木、柿の木、いろんな果実を植えてくれたっていう、そうなんですよね。
そう、だからね、まあいろんなね、ことがありますから、ありますからとか言って、これやってどうなる、この種植えてどうするとかね、食べれないかもしれない、でもそれ自分のために植えるんじゃなく、自分のためだけにね、植えるんじゃなくて、きっと未来ね、本当に、また泣いちゃうっていう。
きっと未来ね、地球上のね、誰かが、それが、ダメだ。はい、すいません。泣きそうになるたびに録音を止めているんですけど、泣いてもいいか。
だからね、その寺子の姿がね、なんか未来の子供たちの姿そのものだなって思って、本当に彼が象徴する、すべてのね、子供たちのために私たちは何ができるんだろうっていうことを実践しているのがパーマカルチャンね、やってる人たちだなって思ってて、
で、それをその、待ってる子供たちがいる。で、その子供たちもまた、今頑張ってるね、大人たちのように、次の世代にね、渡していく、世界をよくし続けていくっていう、なんかね、めっちゃ泣いてるやん。
なんかね、その循環みたいなものがね、ああもうそれずっとやってきたし、ずっとやっていくんだなぁっていうことが、美しすぎてね。美しすぎて、もう泣けてしゃあないみたいなね。予告編のね、バナ、バナって言うんですか、表紙になってる寺子の笑顔を見ただけで、それをね、感じて泣けてしゃあないみたいなね。
子供たち、子供たちだけじゃなくて、それを思って生きてる全てのね、大人たちも、なんて美しいんだろうっていう。私は一体ちょっと誰視点で泣いてんだって感じなんですけど、宇宙母ちゃん視点なのかちょっとわかんないんですけど、なんて美しいんだっていうことで、なんて頑張ってんだろうと思って、
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今も泣いてるし、その対話会のね、ファッシリしてる時もちょっとね、泣けて泣けて仕方なかったっていうね。そんな、はい。私でした。すいません、ハート時計いっぱいなったと思いますけど、結局泣くっていうね。まあまあまあ、そんなわけで。
パーマカルチャーね。私のいろんなことがあって、引きこもり生活をしてるんですけど、庭もないし、パテオもないし、本当にね、パーマカルチャーどころか、土と遠く離れた生活をしてる私なんですけど、でもね、そこに参加してくれた。めっちゃ泣いてる。超泣き虫。そこに参加してくれた。
泣ける。めっちゃ泣いてる。めっちゃ面白くないですか。まあいいや、これ残しておこう。そこに参加してくれたね、まいさんっていうね、ポートランドに住んでるね、元ひふみ仲間の方がいらっしゃるんですけど、
私はすごくね、その土から、パーマカルチャーとか言いながら土から離れてる畑仕事も全然してないっていうね、自分にすごい罪悪感じゃないけど、何言うてんねんみたいな、全然畑行ってないやんみたいな、そんな気持ちもあったんですよね。
そんな私がね、なんかこういう農に関するね、映画上映会ファシリテーターとかね、してたりとか、パーマカルチャーやっぱいいねみたいな、そんなこと言う資格ないよなーみたいなことを思ってたんですけど、でもそのまいさんがね、ポートランドのまいさんが、
まいさんはもうすでにね、いいエネルギーをね、すごい循環させてるから、畑に行かなくてもね、パーマカルチャーすでに実践してますよって言ってくれたんですよね。それがね、すごい嬉しくて、めっちゃ嬉しかったんだな、私。
すごい泣いてますけど、これ本当に、いやいや、ポッドキャストで結構泣いてるのあるけど、これめっちゃ一番泣いてますね。今、癒しが起こっております。めっちゃ面白いんですけど。
記念に残しとこう。そうなんですよね。だからね、ガチでパーマカルチャーのコミュニティ作れる人もいるし、そういうコミュニティガーデンにやってますっていう人もいれば、私みたいにね、畑には触れないけど、とりあえずね、自分ができる愛を循環していこうとか、保存食ちょっと作ってみようとかね。
畑じゃないけど、何かできることをね、そうしてみようっていうことでやってる人もいる。だから、パーマカルチャーしてるんだなっていうのは、すごい私にとって新しい論だったし、なんかそのすごい意識を、ハードルを下げてくれたっていうか、まさにね、パーマカルチャー、最初に言ったみたいにパーマカルチャーっていうのが
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ガーデンのことだけじゃなくて、生き方とか在り方そのものなんだよっていうのであれば、本当に誰でもね、どこにいても、今日から今から始められることなんじゃないかなっていうふうに教えてくれました。
本当にまいさん、ありがとうございます。なんかどんなヒーリングよりも、どんなお値段を高い高次元のヒーリングよりも、本当にまいさんの一言に私は今、解き放たれております。ありがとうございます。
いやー、めっちゃ泣いてるやん、ずっと。これ泣くたびに止めてハト時計を挿入してたけど、結局めちゃくちゃ泣いてますね。止めなくてよかったな、結局。
いやー、こんな謎の私のポッドキャストなんですけど、まあこういう回もあっていいかということでね、はい、ということで、そのままこれ編集せずに公開していきたいかなというふうに思います。
とにかくとっても美しい映画でした。また来月も何かしらの映画上映会、観賞会したりとかね、たきび会したりとかね、あとまあそういうね、世界一ハードルの低いパーマカルチャー部みたいな感じでね、みんなと一緒にね、何かね、できること、本当にできること、今のために未来のためにできること、みんなで一緒にやっていけたらいいなというふうに思っております。
はい、というわけで、皆さんもこんな涙、涙声をお聞かせしまして失礼しましたが、引き続き良い1日をお過ごしください。じゃあね、バイバイ。