1. 愛はフラクタル
  2. #364 意図すれば毎瞬間が..
2023-07-22 23:24

#364 意図すれば毎瞬間が“行”となる by六波羅蜜。りゅうちぇるの言葉と、はちどり庵回想と。

愛
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・「自分を鍛え続けるしかない」・わたしの境界線を自在に行き来する ・あらゆる瞬間で“最適”を握り続ける ・大きなミッションから小さなアムリタまで


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親の愛なる皆様アロハデーサイです。今日は7月21日金曜日のちょうど午後3時頃ですね。
カナダはですね、お天気が続いておりまして、今日はそんなに暑すぎず、風もそよそよと涼しくて、私は今ですね、ちょっと芝生の一軸の木の下にですね、
このキャンプのベンチを、ベンチというか椅子を置きまして、迷い鳥のね、迷い石製インコのピーちゃんをね、日向ぼっこさせています。
このピーちゃんね、全然飼い主さんから連絡が来ないというかね、いろいろ手を尽くしているんですけれども、
まだね、うちにね、いてですね、まあ1日1回か2回かはね、こうやって日向ぼっこさせているわけです。
ピーちゃんね、飼い主さん見つかるといいんですけど、まあまあまあそんな感じで7月もね、後半となってまいりましたが、皆さん夏休みいかがお過ごしでしょうか。
で、昨日ですね、あのちょうどオンラインのね、毎月1回開いておりますハチドリアン、オンラインプチソーインハチドリアンを開催いたしました。
いやー、今回はめちゃくちゃ面白かったなぁ。本当に本当に面白かった。
でね、なんでね、この仏教とかキリスト教なんかもね、ちょっと勉強したりとか、あとまあいろいろね、認知科学だとか哲学だとか、いろいろといろいろとこう学びたいこととかね、学び深めていることってあると思うんですけど、
何をね、そんなにね、私たちは学んでいるのかなーって思うんですよね。
まあそういうね、スピリチャリティとかホロス宇宙塾的なね、神秘学みたいな、心地学みたいなことも大好きだし。
で、それってやっぱり、まあ私、もしくは私たちって、なんかね、この真実に近づきたいっていうね、愛とは何かとか生きるとは何か、人生って何なのかとかね、
私たちの命ってね、一体何なのかみたいなことをね、その真実に近づきたいっていうそういう本能っていうかね、欲望というのか、
まあ自然の節理というかね、あるんでしょうねって思うんですよね。で、私もそれにね、突き動かされて、
まあそういう場を作ったりとか学びをね、日々やっていたりするんですよね。それって本当にね、なんか飽くなき欲求というか、
いつか到達することがあるのかなーって思ったり、でもね、この瞬間、この一軸のね、木の下で今、
葉っぱを見てるんですけど、この風に揺れてる葉っぱとかね、木漏れ日とか、このピーちゃんがピーピー鳴くっていう、この瞬間に何かその真実っていうか、その神聖みたいなものをね、
気づく。気づくっていうか、一体化するみたいな瞬間もあったりして、その行き来できるっていうのがね、この人間の醍醐味なんだなーって思うと同時に、
最近ちょっとね、私がなんかとっても悲しかったなーって思うニュースがですね、まあ皆さんもご存知というか、まあよくねテレビとかで活躍、YouTubeでも活躍されてたリューチェルさんがですね、
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自殺されたということで、なんかすごいショックだったんですよね。これが、なんかほんと可愛いなーとか、面白いなーとか思っていたし、
で、彼がね、テレビとか大きなメディアとかだと結構ね、なんていうのかな、まあLGBTQとか、その助走されたりとか、ああいう、なんていうのかな、そういうキャラの方って色物みたいな感じで取り上げられがちなんですけど、
でも彼の言ってることって本当になんか、まあYouTubeとかもね、たまに見てたりしてるんですけど、彼が言ってることとか、あとペコちゃんね、あの奥さんのペコちゃん、元奥さんになっちゃったけど、ペコちゃんとその子育てについて話してることとかってめちゃくちゃ真っ当なことを言っているし、
若いのにね、まだ二十いくつだっけ、めちゃくちゃ真っ当なことを言っているし、で、こないだ見たのが、たまたま見たのが、自己肯定感の話かなんかだったのかな。で、そこで言ってたのがね、結構彼、ああいう可愛らしい風貌なんですけど、
なんだろう、単にね、その優しいこととかね、勇気づけられるようなことだけじゃなくて、結構ズバッとしたことを言うんですよね。で、そこでなんかね、すごい印象的だったのが、なんかね、10年後も20年後もね、100年後もね、500年後もね、嫌なこといっぱいあるし、悪い人ってね、いっぱいいるんだよって、もうそれは仕方ない。
だから自分を鍛えるしかないんだ、みたいなことをね、言ってたんですよね。それがね、すごいなんか印象的ってか、ほんとその通りだなと思ってて。何かが起こるし、なんかね、この地球に生きていれば何かが起こるし、必ずね、まあ嫌だなって思うこともね、人もね、出くわすわけですよね。
だからそういう時に、自分が倒れ伏さないように、ポキッと折れちゃわないように、ただただ自分を鍛えるしかないんだっていう時には、自分を甘やかして、で、鍛えていく、強くしていく、生きていくためにしかないんだっていうことを言ってて。
これって私、個人的には吉本バナナのね、小説が言うてることと、何だろうな、根本的には一緒だなって思うんですけども、そういう世の中のダークサイドを全部もうね、認めて含んで、でもそれを超えていく、立ち向かって戦ってやっつけるんじゃなくて、そういうものもあって、それは自分の外にもあって、自分の外にあるだけじゃなくて、自分の中にもね、
そのダークサイドとかシャドウみたいなものがあって、それはもうあるんだっていう、あるから仕方ない。そこに立ち向かう時もあるし、逃げたくなる時もあるけど、でも全部含めてね、超えていくしかない、そういう戦いの中で、でもこの葉の鳥の鳴き声とかね、この葉のせせらぎ音とかね、木漏れ日とかね、赤ちゃんの笑顔とかね、
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そういう日々の中にある美しいもの、でもって自分の中にある美しいものをもう見続けていく、磨き続けていくしかないんだっていう、そういうメッセージだったんですよね。
なんかそれを言っていた、ほんの数ヶ月前にそれをね、YouTubeで発信していた彼がね、命を絶っちゃうっていうのは本当に悲しいなぁと思ってて、
これに関してはね、本当の原因はちょっと私もね、よくわからないですし、もしかしたら誰にもわからないかもしれないけれどもね、ちょっとこれについてもちょっと思うことあるんですけど、それはちょっと別の機会にしてですね。
でもって、だから蜂鳥やん、自分を鍛えていくっていう上で、やっぱり仏教、密教ね、そういう多桜的な思想っていう考え方、世界観っていうのは、すごく私たちの助けになってくれるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
だからお金の稼ぎ方とかビジネスのね、なんか大きく仕方とかね、いろんなね、ライファーハーク的なものありますけど、でもそういう月焼き場的なこととか、なんかお金が稼いでたらイコール幸せとか、なんだろうなぁ、復縁できたらね、よくあんあんの後ろの方にあるじゃないですか、あの怪しげな復縁とか復活愛とかね、それができたらね、幸せとかそういうことじゃないんですよね。
本当にただただ自分を鍛えていく。で、自分を鍛えていくっていうのは何かって言ったら、ただマッチョになるとかそういうことじゃなくて、なんか、何があってもこうしなやかにその意味、それが起きたことの意味を見出したりとか、で、その見出した意味で自分をさらにね、高めていく。
高めていくことで自分自身も自分の周りの人もね、幸せにできる力循環をね、する力を高めていく。でもって、日常の大きな人生の使命っていうものの上に前進するだけではなくて、その日常の小さなね、美しさっていうものも同時にね、感じ続けていく、キャッチし続けていくっていう、それが自分を高める、鍛えるっていう、
ことなんじゃないかなっていうふうにね、思うんですよね。だから私はハチドリアンをやっています。まあね、毎回めちゃくちゃ面白いんですよ。本当に幸せだなと思って、私これをオーガナイズできるのが。
で、間近にね、間近っていうか私がファシリテーターなんで、まあね、京都のね、実験陣の松並龍弦さんと、そして神戸のね、パンダ生体院のパンチョさんとね、二人の対談をね、対話をね、どのようにしてね、皆さんにね、その場の皆さんにお届けするかっていうことでね。
なんか立ち会えるの、あの場に立ち会えることが本当に幸せだなっていうふうにね、改めて思うんですよね。で、昨日のテーマが、私とあなたの境界線っていうテーマを設けました。これは昨日もね、お話ししてたんですけど、なんか私の境界線っていうのは、すごく世界が変わる研究所で、ギブネスっていう概念を考えたときに、私と境界線っていうものを自由に行き来できたとしたら、自由にね、
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変化できたとしたら、ギブネスっていうこともちょっとね、身近に、もうちょっと簡単になっていくんじゃないかっていうね。そういう私の境界線ってずっとそういうね、世界が変わる研究所の中でも私でテーマだったんですよね。
それで思って、最近、アスコープっていうポッドキャストね、深井隆之さんが出てるポッドキャストありますけど、資本主義の未来編っていうところの最終話で、深井隆之さんがですね、これからの資本主義の未来っていうものを考える上で鍵となるのが、その個の個人、インディビジュアルですよね、個の概念の革命っていうのが、
その次のね、資本主義、新しい資本主義っていうものがあるとするのであれば、この概念の革命っていうものが鍵になるんじゃないかっていう話をしてて、いやまさにそうだなと思ってて。
だから私っていうものが、これが私っていうものが、本当の私を探そうとかね、本当の私を見つけようみたいな感じで、自己診断とかね、強み発見とかね、いろんなツールありますけど、それはそれでいいと思うんですけど、自分のスキルを伸ばしていくということで、ポテンシャルを満たしていくっていうことでいいと思うんですけど、
そうじゃなくて、ここまでが私っていうものをあまりにも固定化しすぎてしまうことで、ギブできなくなったりとか、プロテクションが強くなっちゃったりとか、その境界線を固定化してガッチリ設定しちゃうことで、
なんか、一人占めしないと心配だとかね、これぐらいないと、なんかあった時にやばいみたいな感じで、そこから不幸が生まれちゃうんじゃないかなって、先月のハチドリアンのテーマが、欲望はどこから来てどこへ行くのかっていうテーマだったんですけど、
やっぱりあらゆる苦しみの原因っていうのが、私っていう概念を誤って設定している、もしくは固定化しすぎているっていうことが原因なんじゃないかなっていう、先月のテーマとも重なるんですけど、
だからどこからどこまでが私なのかっていうのがね、そこをもう一回考え直すことで、ということでブルンブルンと、今青いクラシックガーが走ってきましたけど、どこからどこまでが私なのか、
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その境界線を考え直すっていうことで、その苦しみっていうものがちょっと楽になる、外れていく、溶けていくんじゃないかなっていう試みでした。いろんな話が出たんですけれども、面白かったのがね、最初のパンチョの話も面白かったんですけど、
例えば中医学、パンチョはね、いろんなスイナっていうね、その施術なんかもされてますけど、中医学なんかで言うと西洋医学とは違って、例えば目が痛いって言ったら西洋医学だと眼科に行く、で原因が症状があって対処法があって、それを処方するっていうアプローチですけど、
中医学の場合は目が痛いけれども、目だけを見るんじゃなくて全部を見るんですよね。だから目以外の何か臓器かもしれないし、体っていう境界線を越えてその目に見えないところ、心の領域にアプローチするっていうか、その原因を探していくっていうことかもしれないし、
だから治療する、医学っていうところ、医学っていう領域での境界線っていうのもものすごく曖昧らしいんですよね。全体を見る、その一部を治すために、一部を治療するために全体を見る。だってそれ全部つながってますからね。
だから目が悪いから目を治すっていうんじゃなくて、目が悪いからそれがどこから来てるのかっていうその因果率をひも解いていくっていうことで、全く違う、直接目にアプローチするんじゃなくて、もしかしたらカウンセリング、心のアプローチするかもしれないし、足の裏をグリグリ押すかもしれないしっていうね、そういう境界線が曖昧であるっていうところがすごく面白くて。
それって病気とか医療のお話だけじゃなくて、私たちの人生もそうだなって思っていて、この人が悪いからこの人をやっつけるとかね、これが起こったからこれを対処する、問題が起こったからこれを問題を解決するっていうんじゃなくて、それがなぜ起きてるのかっていうのをどんどん因果を同じようにひも解いていく。
そうした時にそこで起こっていることだけじゃなくて、例えば私に起こっていることが私のお母さんとかおばあちゃんから起こっていることかもしれないし、私にここで起こっていることがもしかしたら海の向こうの知らない国で起こっていることかもしれないし、一匹の蝶が羽ばたくとみたいな話ありますよね。
バタフライエフェクトみたいなね。そういうふうに境界線をちょっと溶かして、どこからそれが来ているのかっていう全体を見てみる。全体を見てみると同時に、メタニンチっていう広いズームアウトして、遠くの空から見るだけじゃなくて、ズームインしてもしかして内側の内側、心の領域とかの方にズームインして見てみるっていう、
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その両方を自在に行き来する。そういうアプローチっていうのが東洋的みたいな話もしてて、なるほどなぁと思ったんですよね。
で、私の領域っていうのも本当にそうで、私を見つけようとかね、本当の私を探そうとか目覚めさせようとかも私もついに言っちゃうんですけど、でも本当の私って誰やねんっていう感じじゃないですか。
我を思う我、ゆえに我ありの我って誰やねんっていう、その我が何であるかっていうことが変われば世界も本当に変わるわけで、例えば私なんかだと乙女さんのA型でね、コピーライターで40運載で息子がいてみたいな、そういう肩書きで語られる私っていうのが私なのかって言ったら全然そうじゃないわけですよね。
で、母ちゃんである時の私と働いている時の私とも全然違うし、こうやってのんびりね、一軸の木の下でのんびりしている時の私と、なんかものすごいヤバい人がね向こうから歩いてきて、ちょっと身構えている時の私と危機に瀕した時の私とって全然違うわけですよね。
だから私っていうものがあたかも固定化されてそこにいるように見える、思えるけれども、実は私たち、あらゆる私っていうのは、その環境とかその状況とかっていうものを察知して、それでもって、それ自分はどう生きたいかっていう意図があって、その意図に即して、じゃあその環境の中で危機であろうが、安心安全の場であろうが、その場所、その環境において、
で、最善のね、最善の選択、最善の選択をし続けているわけなんですよね。
選択ってだからこうやって、何だろう、私今左の、左ももう上にして足を組んでるんですけど、これを右にするか左にするかとかね、ピーちゃんのね、かごをね、どこに置くかとかね、それでももう意識にほんと選択し続けているわけですよね。
そうそうそう、私っていうコテ化された私がいるようでいて、そんなものは実はないんだと言うね。それはやっぱりゆげんさんもね、格闘、対決権とかね、されてますけど、格闘技っていうのもそうじゃないですか、相手がいて、相手がいて、これをこうしたら、次にこうしたらこうするみたいなね、
頭で考えていたらもう全く間に合わない、その瞬間その瞬間本当に目に見えない、木みたいなものをキャッチして、それ感じたものをすぐさま動きに変えていくっていう、もう本当無意識の領域なんですよね。
それって何かって言ったら、まあそれ直感とかセンスっていうのはもちろんあるけども、鍛錬に次ぐ鍛錬、あらゆるシチュエーションを想定して、それをもう体に叩き込んでいく、そうすることで何が起きてもどういうシチュエーションであっても、正しいというか最適のキックならキックとかね、パンチならパンチとかね、格闘技じゃなかったとしても人生の選択もそうですよね。
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それができていくようになると言うね。まあ本当にね、中医学から格闘技からいろんなね、大局、大局圏の大局とは何かみたいなところからね、本当にね、銃を無人なんですよね、毎回ハッチドリアン、めちゃめちゃ面白いんで、ぜひ来てください。
最近ちょっとアーカイブ配信してないんでね、これぜひね、一期一会のね、この60分ね、皆さんにも体験してほしいなというふうに思います。
そんな感じでね、結局私の境界線っていう、あなたの境界線っていうところで言うと、やっぱりそうやって私を固定化することによって苦しみが生まれる。私はこうだからこうしないといけないとか、私はこうだからこれぐらい稼がないといけないみたいな。
で、ジャッジしてしまったり、制限してしまったりするわけなんですよね。で、それを固定するんではなくて、その場その場で常に最適にアジャストメントというか、最適化する、調整できるっていう、銃を無人に行き来できるっていう、メタ認知するときもあれば細部の細部までね、中の外の宇宙から見るときもあれば中の宇宙まで見ることもあったり。
もちろん地球レベルでね、地球の私として見ることもあったり。全部必要なんですよね。どれか一つに、地球だけの私になっちゃうとやっぱりね、息苦しくなっちゃうし、宇宙だけの私になっちゃうと地に足つかなくてね。
それはそれで不具合がね、生まれちゃうし。全部を含んで、全部を自分の中に手の中に掌握して、その場その場で必要な配置というかね、調節していくって、それが必要なんじゃないかって。でもそれもやっぱりね、鍛錬っていうものが必要で。
最後、リュウゲンさんに聞いたんですよね。やっぱりパンチャーがやってらっしゃる聖術とかね、人の肌に触れるとか心をね、カウンセリングするっていうこともそうだし、あと大極拳とかそういうね、仏教の密教の修行ね、ガチの修行をね、やってらっしゃいますから、あの人たちはね。
特にリュウゲンさんなんかはガチの修行をね、やってらっしゃるので、だからこそその体感できる知識だけじゃなくて、その行を通じて体感する身体地と、頭の中のその知識とその身体地っていうのが合致して始めて、
あ、なるほどねっていうようなことが、負に落ちる悟りとは何かとかね、最適化っていうのは何なのかっていうのが、負に落ちるのはやっぱり体と心の両方の理解が必要なんですよね。
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って言った時に、でもやっぱり私たちってそのいきなりガチの密教の修行できるか、大極拳ね、師匠の弟子入りできるかって言ったらそうじゃないわけで、じゃあどうしたらいいですかっていう時に、まあもちろん瞑想とかね、ヨガとかいろんな方法はあるし、
そういうりゅうけんさんが言ってたのがすごい面白いっていうか、なるほどって思ったのが、ろくあらみつっていう言葉があるんですよね。それは何かっていうと、まあGoogleさんで調べてくださいっていうことなんですけど、何かっていうと、どんな日常であってもどんな人生であっても、
それを自分はこの世に生きるっていうことを、よりよく生きるっていうことを意図することで、何が起こってもそれが修行になる。だからやっぱりその最初にりゅうちゅるさんが言ってたように、もうどんな時代でもね、どこにいたってね、嫌な奴はいるし嫌なことは起こるんだ。
でもそれを、もう嫌なことが起こった、災難っていうふうに捉えて誰かを恨んでね、戦うのか、そうじゃなくて、これも修行だよねって言って、まあその時はねパニックになったり泣いたり起こったりするかもしれないけど、それをまあでもそれもそういう感情も含めて受け入れて、じゃあ次自分はどういうふうにね、この体験から良くしていくのかっていう。
大きいことでも小さいことでも、意図する。どのように生きるかっていうことを意図することですべてのね、起こることが行になる。感謝に変えていける。宝に変えていけるっていう。そのことがねすごく聞けてよかったなっていう。
密教、ガチの密教の修行しなくていいっていう。なんか私、今ここに生きてる私にもできることがあるっていうことが分かって、良かったな。改めてね、今この瞬間を感じ続けて感謝しながら体験しながら修行しながらね、精進し続けていこうと思った。
はい、そんなね、昨日のハチドリ案でございました。また来月のテーマはちょっとまだ決まってないんですけどね。また皆さん是非、日本時間第3金曜日の午後2時からですね、開催されますので、是非皆さん遊びに来てください。
はい、というわけでね、本日は一軸の機能、下からPちゃんと一緒にね、お送りしました。引き続き良い一日をお過ごしください。バイバイ。
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