こんにちは。社会福祉法人南福祉会近藤です。
子ども環境アドバイザーの安藤です。よろしくお願いします。
今回のテーマは保育園を取り巻く保護者像の変化ということで、
またいろんな方向に話が膨らみながら進めていけるのかなと思っています。
社会や家庭の形、いろんなところが変わってきて、共働き世帯はかなり増えていっています。
そのあたり研修なんかでもよく話聞かれるんじゃないですか。
そうですよね。やはり共働き世帯が増えていった。
子どもの数は減っているんだけれども、保育園に入れないというのはまずそこがあるよねっていう話がありますよね。
そうですね。少子化がずっと続いているという子どもが全然増えないよねっていう中で、
なんで待機児童の問題がこんなに大きいんだっていうことはよく聞かれたんですけど、
なかなかそこに関心を持ってもらえない人がこれだけ多いんだっていうことの裏返しでもあったんだろうなと思うんです。
専業主婦の家庭と共働き世帯の家庭の個数、割合ですかね、のグラフがよく資料で出るんですけど、
そうするとある地点で交わって、そこから勢いよく共働き世帯が上にいき、
専業主婦世帯がどんどん少なくなっていく。それぞれの方向、増えるところは増え、減るところはずっと減っているので、
あの図のことを口の開いた輪にはもう二度と口を閉じることはないっていう言い方をしますよね。
そうすると共働き世帯っていうのはどんどんどんどんこれからも増え続ける。
保育園の待機児童問題、先ほどお伝えをした待機児童問題というのは、それまで前の回でもお話をしている部分があるかもしれませんけど、
待機児童の問題って012歳だけの問題で、3歳児以降に待機児童問題っていうのはなかったんですよね。
なので保育園は、保育園じゃない、幼稚園さんは次々と潰れ続けている中で、待機児童問題はどんどんどんどん深刻化。
待機児童はどんどん増えていったっていう、あまり保育や幼稚園の問題に関心のない方からすると意味がわからないっていうふうに、
たぶん捉えられるんだろうなと思っていますが、それの待機児童問題、要は共働き世帯が増え始める前までは、保育園での012歳って本当に定員が少なかったんですよ。
そうですね。
3歳児からいきなり増えて、それの前の世帯になると、私が幼かった頃、もう50年近く前、50年以上ですかね。
前の時には4歳児、5歳児から子供が入るような状態だったんですけど、もう今や0歳、1歳で入らないと保育園には入れないっていうような状態になってたんですよね。
保育園はもともと3歳児以上がメインの施設だったので、急に01歳の受け入り人数を増やしなさいって言われても増やせれなかったんですよ。
だから待機児童問題っていうのが一挙に社会問題化した。
どっちかというとちょびっと違ってて、昔から待機児童問題ってずっとあったんですよね。
あったんですけど、労働者市場として女性が働かなくってもそう大きな問題ではなかったけれど、専業主婦の人に働いてもらえないと、もう世の中を回す労働者がいなくなったっていうことが、
早く保育園に子どもを入れさせろというニーズにつながって、あれが社会問題になったっていう感じで私は受け止めています。
また今そこに対して育休制度をしっかりととられる会社さんも増えてきているので、またその0歳で、東京はちょっと違うような感じなんですけど、
0歳で保育園に預けるっていう人たちもまた少なくなってきているっていうところもあるみたいですけどね。
そうすると今度は何かというと1歳児問題に変わってくる。
そうですよね。
そう1歳児問題、あとは保育園に入れなかった時には特例として育休が延長できるっていうのを逆手にとって、入れない保育園を狙って休みを公的に増やそうというところがまた今度社会問題化しているっていうところは、
以前はちょっと新聞で連続して出てたんですけど最近出なくなりましたね。そこにももう社会的な関心が減ってきたのかなどうなんだろうと思ったりしますね。
実際リアルにまだやられてる方はお目になりますからね。
ありますね。現場の施設側の人間としては保護者の方から頼られてこういうニーズなんだけどっていうことと、そこまでやったら後入園するんだろうなっていうニーズがあると、施設としては協力せざるを得ないような状況っていうのも出ちゃいますよね。
協力とかノーとは言えないっていうところですよね。
ノーとは言えないですよね。なのでこの年齢このタイミング入れないですよっていうのを言っちゃうことを止めることも難しいんだろうな。それが社会的にどうかっていうのは難しいんですけど、どうしてもそういうところはありますよね。
家庭での子育ての形っていうのもいろんな形で変わっていって、一つは今お伝えをした、友働き世帯が増えることで、家の中でずっとお子さんと一緒に過ごして子育てをしている家庭内の労働力、子育てについての労働力が減ったっていうことだけではなくて、
私がとても懸念しているのは、特に私の住んでいる町内だったり近隣のところが最近特に激しいんですけど、子ども会が次々と潰れていってるんですよね。
まだでもあったんですね。
子ども会がもう次々となくなって、秋祭りの子ども会の見越しをもう大人が担ぐみたいなところがもうダメじゃんみたいなところがあると、今度は何かというと地域の中での大人同士のつながり力、連携、地域での子育て力っていうのもどんどん低下しているんだろうな。
これはもう随分前から地域によっては子ども会なんてそんなの全然ないしっていうところもあれば、今まさにベビーラッシュで子どもが多くて子ども会がものすごく充実しているっていう地域もごくごく少数あったりするんですよ。
それはどういうところかというと、新しくマンションが建ってどんどん移住してくる新しいところはそういったところがあったりするんですよね。
すごいなと思ったりはするんですけど、基本的には社会全体の傾向としては子どもがどんどんどんどん減っていってますので、数としては子ども会がもう存続できない。
子ども同士のつながりが持ちにくい。子ども同士がつながらないっていうことは子どもを育てる子育て中の保護者同士もつながりにくい。
だからうちの子をちょっと見といてだとか、今日誰々ちゃんところ遊びに行ってくるからみたいなことがもう成り立ちにくくなっちゃってるっていうところもあると思うんですよね。
あと最近では私は個人的に思うのは、高齢者の人がやたら元気。もうすぐ60を迎えようという私が言うのもなんですけど、私が幼い頃の60はもっとお年寄りでした。
おじいちゃんでした。おばあちゃんでした。今60の人って若いんですよ。
まず腰伸びてますからね。
腰伸びてますし肌ツヤもいいんですよね。
学年で言うと福山正春さんは1個上の年齢、生まれ年同じですので、もう死者誤入したら60になるんですよね。60になるタレントさんで年寄りっぽい人いないですよ。
福山正春さんの名前出したら怒られますよ。
出さなくても他の人たち、例えば街中にしても会社にしてもそうなんですけど、みんな元気なんですよね。
元気ですね。
そうすると何かというと、昔であればひょっとしたらもうちょっと動きが取れずに、子供を見てるよっていうふうに言ってくれたおじいちゃんおばあちゃんが、私は今日ゴルフの練習があるからなとか、
エアロビーダンス、ジム、今度はマラソン大会があるの、なんとか教室に行かなきゃって言って、おじいちゃんおばあちゃんになるような人たちが忙しいんですよね。
子育てをするところか、自分の青春を謳歌し続けてるっていうのは、私もそうなんですけど、私に孫がいるわけではまだないんですが、孫が生まれたとしても見てられるだろうかっていうぐらい忙しい。
それは趣味だけに限らず、これだけ労働者人口がいないと働き続けないといけない。おじいちゃんおばあちゃんになっても働き続けないといけない。
農家の現役の平均年齢って70後半前半だったりするってニュースで聞きますよね。
そうすると子育ての手伝いに回れないっていうのも、昔30年40年、ひょっとしたら50年前の子育て環境と今との大きな違いの一因にもなってるんじゃないのかな。
一方で今度は高齢者になった時の医療、医学の力が伸びて、いいことなんですけど皆さん長生きをするようになった。
そうすると長生きをすると何が起きるかというと人間はどうしてもどこかでは体力が衰えていくので介護が必要になる。
そうすると子育てと介護が重なって大変なことになってるっていう過程も増えてるんじゃないのかなと思うんですよね。
先日夕食を外食で食べてる時に全く別個のテーブルの人なんですけどマスターの人とお話をされてる男性の方が聞き耳を立ててたわけじゃないんですけど静かなお店だった。
ちっちゃいのは静かなお店だったので聞こえてきたんですけど来月うち息子が生まれるんだけど親父はもうすぐ死にそうなんだよ。
生まれそうだし死にそうだし忙しくて仕方がないっていうことを言われててこれ冗談じゃないよなっていうのと極めて特殊な例とは言い難いんじゃないのかなっていうのは思ったんですよね。
そうするとそこでも子育て力を奪われてしまう。それが社会問題化して幼いのに介護を行わなきゃいけない状態になって学校に行けない子どもたちも出てきてるっていうのもこれは社会問題として時折新聞で出たりするんですけどそういったところも大きな問題になってるんじゃないのかな。
と思うんですよねそのための解決力として何があるというわけじゃないんですけどいい方法があるというわけではないんです。
ただ保護者の保護者像の変化っていう点では見逃してはいけないんじゃないのかな。
そうですねでも今本当に子ども会の話から始まったわけなんですけど子ども会ってそもそも私が子ども会にいた時だから50年以上前の時はなんで同じわざわざですよ学校で遊べる子たちとなぜまたこの子ども会っていうので遊ばなあかんのだっていう不思議な思いはあったんですよ。
今謎が解けましたあれは親たちのつながりのために私たちがくさびとしてなってたんだと思って。
何ていうのかなそこのためにあったのかどうかわからないにしてもそういう機能はあったんだ。
かなりあったんでしょうね。
だと思うんです。
このセミナーあちこちセミナーで聞いてて面白いなと思うのは学校っていうのは横のつながりなんですよね。
塾だとか家庭でもそうなんですけどそれは縦のつながりなんですよね。
年代を超えて年齢で順番につながっていく学校は同じ学年で横につながる。
地域の部活なんかもそうだと思うんですけど公園なんかで集まるつながりっていうのは縦でも横でもない斜めのつながりなんだっていうことを言っていて。
それを建築に例えるのは卑怯だなと思うんですけどほら斜めに柱が入るとこんだけ頑丈なのっていうちょっと面白いですよね。
わかりやすいな面白いなと思って。
それは精神的にも何か不安があった時何か困難があった時にもほら縦と横だったらこんなに揺れちゃうんだけど斜めがあることでほらがっちりした耐震性のある建物になるんだよ。
心も同じなんですっていうその例えが正確なのかどうかわからないにしてもただガス抜きだとかちょっと上のもしくはちょっと下の人たちを見ることで自分の優位性だったり
憧れだったりというのを見つけていくっていうのは機能としては確かにあったんだろうな。
それは同じ学年の中で同じ集団だったらずっと自分は例えば運動ではずっとビリなんだけどちっちゃい子も含めた集団の中では僕は一番になるんだよという優位性につながるだとか
例えば勉強にしても同じ学年の中では必ずしもトップじゃないけど下の子にはきちんと教え入れて尊敬の眼差しで見てくれる。
日々の制度の方の業務に翻弄されているのが現実でいけないことだよな
もっといろんなことをやっていかないといけないよなと思う狭間に立っていくというところですね
お話しされたちょっと遡るんですけどいろんな形で保護者の方の価値観が多様化して細分化していって
いろんな活動もボランティアサークルも含めていろんな活動もしている人たちがいる
で病院の中でもそういう学びの場があったりとか
でこれらが水平的にその地域でつながっているようなことっていうのはあるんですかね
そういうことを取り組みは様々なところであって
例えば私がいるところは名古屋市の南区というところなんですけど
南区であれば南区役所の担当者が一つ中心となって
南区子育てネットワークっていうものが組織をされたりしています
そういったところでは例えばもっとちっちゃなところだと
南区内の子育て支援拠点および子育て応援拠点
あとは保育園なんかも入りながら南区保育園延長会だとか
そういった組織も含めて子育て世帯に対しての支援策を行っていたり
さらにそこから拡大して図書館ですとか障害学習センターですとか
名古屋市南区には外資昔レインボーホール
ああいうところもああいう公共的な施設の人たちも巻き込んで
子育てについてのみんなで共同的な取り組みを行っていきましょうということをやっています
かなりそれは頻繁にそういう打ち合わせをされたり
打ち合わせとしては月に1回とかもうちょっと頻度が低かったりはしますし
目に見えるイベントごととしては年に1回2回ぐらいしかできないとか
そういうことはあるんですけどそこの中に地域の主任児童院さんも入っていただいて
地域の困りごととか気づいた点だとかそういったことを共有しながら
地域の課題をみんなで解決していこうという取り組みは
たぶんうちの名古屋市南区以外でも全国各地で進められているのかな
ただ問題なのはどうしても社会的な労働人口がここまで少なくなって
しかも業務はどんどん大変になっていく中で
仕事が忙しいのにそんなことやってらんないよっていう
リソース不足っていうのはどうしても悩みどころ
そこでどうしても機能させたいんだけど
そんな余力がないんだよっていう地域もたぶんいっぱいあるんだろうな
市民もしくは住民の方々のために行政を進めていくための議員
町会議員だとか村会議員の立候補者もいないみたいな話も
時折ニュースでは出るぐらいどこもかも大変なんだよなとは思いながら
もうちょっと子育てについていろんな取り組みが
有機的にうまく回っていくといいなと思ったりしますね
なんか今の話と全体的にも日本やはり人口が減っていることの中で
いろんな課題がやっぱり出てくる
そこに対して一人の人が特に行政の方なんかは一人の方が
いろんなところに手を伸ばしていろんなことをさばいていかないといけない
なんだけどもだから思いはあってもなかなか時間的制約もあって
つながっていけれないっていうか
そうですねそんな感じなんですかね
それは防災の時防災の講座なんかでもよく言われてて
みんなが工場に対して行政がこういうふうでやってくれないとダメだっていう話をするんだけど
考えてごらん市民の人数に対して役所の人何人いると思う
一人の人がどれだけの面倒を見れると思う
役所の担当者一人に対して何千人何万人っていうのを
本人も被災者のうちの一人なのにそんな避難所なんかできないよ
だから期待しちゃダメなんだよっていうところを
たぶん子育てについても同じように行政がやってくれないからとか
行政がやってくれて初めてっていうのではなく
地域の私たち一人一人が街の中の子どもたちもしくは大人同士もつながりながら
共同していろんなできることから進めていくっていうのは
たぶん社会をこれから存続させるためにはとても大切なことになるんだろうな
それはもう本当に子育て私たちは保育園の話なので
子育てにどうしても特化をしちゃうんですけど
子育てに限らず高齢者でいえば介護の見守りも含め
先ほどの防災のことも含め防災減災ですね
そういったものも含めやっていかないといけない
私たちの力では何とも仕方がない
例えば下水道の老朽化やしよしで大変な事故があった
ああいったものに行政が集中できるような
それ以外のことはこっちに任せて安心してくださいっていうことをやっていかないと
社会的インフラを保つっていうことも難しいのかな
というのが私のテーマでだから最終的に子育てに関して
保育園に頼るなっていうことを持っていけれるといいのかな
というのは思ったりしますね
頼るなっていうとちょっときついような気がする
先ほど言った多様化と細分化っていう話で
みんな縦割りに全部教会を作りすぎちゃったっていうイメージを持ったんですね
人が減っている中で細分化してみんなが兼業していかないといけなくなった
それはごたぶんにもれず保育園も実はそこに巻き込まれていると
そこにまだ細分化っていう中で言うと
保護者の方がサービスを提供を受ける側
サービスをする保育園ここにも教会を作っちゃった文化があるから
もうとんでもないことになってるでっていうのが
これをこのままやってたら新しい未来本当に築けるのっていうのが
なぎかけなんですかね
頼るなっていう言い方は聞こえが悪くなるので
言い方を変えると依存をするなっていう言い方の方がもうちょっと分かりがいいかもしれないですね
どうしても子育てに関して特に乳幼児の保育子育てに関して
仕事をやってる間面倒を見てくれるところは保育園以外に選択肢ってあるわけないじゃんっていう
社会的コンセンサスがあるが故に保育園に預けれないんだったら仕事はできるわけないよね
仕事をしてたら子育てなんかしなくてもいいのそんな仕事って偉いものなのみたいなことを
社会でやっちゃってませんか
だって仕事をする中でも社員の中で協力しながら
誰かの子供面倒を見れば保育園に預けなくっても仕事の復帰はできるじゃないですか
っていうことをやれるといいんだろうなぁそうするとそこの中で
例えば不幸にしてそういう方法しかできなかった
虐待家庭の保護者を私たちは地域の目として
なんだか救うことができるリソースをもうちょっと生み出せれるかもしれない
実は先日もうちの近くのところで虐待に関しての保護者の逮捕なんかが報道されたりして
同じ地域の人間として非常に痛ましいな
ある意味社会福祉として児童福祉を担うものとしての
何ていうんだろう使命としては敗北と受け止めなければいけないんだろうな
それぐらいの使命感を持ってやっていかないと今後の日本
今後の子どもたち未来の子どもたちを守れないんじゃないのかなという思いは持ったりするんですけど
他の保育園の園長先生となかなかここまで深い話が
共有できずにいるのがなかなか残念なところなんですけどね
本来はそういう児童福祉についてもっと深掘りをしながら
どうやったら子どもたちの悲劇の状況を救っていけるのかっていうことを
もっと語れるといいなと思うんですよね
いろんな凶悪な犯罪っていっぱいあるんですけど
凶悪な犯罪に走ってた人っていうのはもともと生まれつき
悪の心を持った人たちではなくて社会的な環境の中で