AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
今回の収録は、2025年10月18日~、アメリカのテネシー州ベルバックルで開催されたバックヤードウルトラ世界選手権(通称Big’s)について。共に選手として出場した小松さんと水野の2人での収録です。収録日から公開まで時間が空いてしまいましたが、アメリカから帰国後5日で何を語っていたのか。お時間ある際にぜひお聴きください。
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<登場人物>
小松広人(@komahiroto )
1979年生まれ。2005年から走り始め、2011年にトレイルランニングに出会い、2023年よりバックヤードに参戦。
2025年6月のDead Cow Gullyで75LAPを記録し、10月にはアメリカの世界選手権に出場。
走れなくなるまで、走り切ります。
水野倫太郎(@michi_bagman_ultrarunner)
1995年生まれ。旅するように、出会いやトラブルすらも楽しむウルトラランナー。
2025年6月、オーストラリアでのバックヤードウルトラ「Dead Cow Gully」にて94LAPを記録。
10月にはアメリカの世界選手権に出場。
AFAP(@afap_ultrarunning)
感想
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00:10
このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちの競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible. 私たちはどこまで行けるのか。 走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力をお届けしていきます。
はい、水野満太郎です。
小松ひろとです。
はい、ありがとうございます。今回は2025年10月30日ですね、収録をしています。
10月18日からスタートしたバックヤードウルトラの世界選手権に、小松さんと私が行ってきたということで、その振り返りをしていきたいというふうに思っています。
小松さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
バックヤードウルトラとか世界選手権ってどんなだよっていう話はこの後していくんですけど、体調どうですか?
体調はですね、筋肉痛とかはもうすでに抜けていて、ジョグで走るぐらいは全然問題ないですけど、なかなかちょっと夜が寝れなかったり、
時差ボケがあるのか、あとは自律神経も少しおかしくなっていそうで、夜寝てるとすごい汗かいて起きるみたいな、ありますね。
寝汗問題ありますね。
はい、ありがとうございます。
ちなみに私も似たような症状といいますか、昨日なんかは夕方猛烈に眠くなって、17時ぐらいにちょっと軽く寝るつもりでベッドに横になったら、目が覚めたら22時だった。
生活習慣病みたいな。
ちょっとそこからまたなんか起きて夜中作業するのもなぁと思って、なんとかもう1回寝て、とはいえ3時ぐらいにはまあさすがにもう10時間ぐらい寝てることになったので、
3時ぐらいから少しカタカタ作業をして、今収録が10時ぐらいということで、まあ完全にリズムがおかしいなっていう感じですね。
ランニングの方は私は走れるかなどうかなっていう感じなんですけど、ここから1ヶ月ぐらいは無理せずに基本ウォーキングとかパワーボークメインで少し体を動かすぐらいにしようかなと思っていて、
一昨日ぐらいからパワーボークというか、歩きで6.7キロ歩くというそういう軽い運動だけ再開しているというそんな感じなんです。
ちなみに仕事への影響とかは小松さんどうなんですか。
そうですね、ほとんど2週間仕事を明けさせていただいたので、いろんなものが溜まってたりとか、あとは気持ち的になかなか寄り戻しをかけていくのがすごく大変な作業で、
03:13
とはいえちょっと迷惑かけた分をリカバリしないといけないので、何とかかんとか頑張ってるっていうような感じですね。
なかなかこうリズムは元通りじゃないけれども、元のリズムとか元のスピードに何とか頑張って合わせようとしてると。
そうですね、頑張ってます。
ちょうど10月11月とか季節の変わり目というか寒くなってきてるので、体崩さないようにしつつ、我々は何とか元のリズムに戻すというか、また逆に言うと新しいリズムを確立できたらなみたいな感じで、少しずつ日常に復興しているというそんな感じです。
じゃあ我々が参加してきたバックヤードウルトラの世界大会ってどんなもんだと、何なんだというところからお話をしていくと、正式名称はビッグドックバックヤードウルトラインデビジュアルワールドチャンピオンシップという形で、
バックヤードウルトラというのは1時間に6.7キロを走るというのを選手が最後の1人になるまで続くというノックアウト形式のランニングと、なかなか聞き慣れない形式というか独特の形式だなというところなんですけど、
それの世界選手権、個人の世界選手権が2年に1回バックヤードウルトラが始まったアメリカのテネシー、ベルバックル、そして創始者ラズの裏庭で開催されるということで、今回我々はそこに幸運にもというか、何とか出場権を獲得をしてスタートラインに立ってきたというところです。
この通称ビッグスと呼ばれている大会ですけど、そこに対するイメージとか、どれくらいの知識が元々あったかを小松さんに聞いてみたいんですけど、ビッグスってどんなイメージでした?
そうですね、そもそもラザレスレイクさん、通称ラズの裏庭でやるということで、完全に周知で行われるレースなので、調べても情報があまり出てこないなというのがあって、雰囲気含めてかなりベールに包まれている、本当に実在するんだろうかというような感じの大会で、
あまり想像が及ばないところが正直多いっていうのが、自分の走る前の印象というかですね、そんな漠然としたイメージがありましたね。
06:10
裏庭でやるっていうところで、でも同時にこのスポーツの世界選手権っていうものすごく格式があるっていうところで、なんかこう日本人の感覚からすると、ちょっと噛み合わないというか、ある種こう人んちでやってるこじんまりしたイベントと世界選手権というもののイメージというところだったんですけど、
実際現地に足を踏み入れて、初めてラズの裏庭に、実際レースが始まる3日前くらいですかね、水曜日にちょっとお邪魔させていただいて、日本代表チームとしてラズ、そして運営を隣取りしきっている奥様のサンドラさんとご挨拶をさせていただいて、
少しコースも試走させていただいたりっていうので、初めてその地に足を踏み入れたというか、まずあれが裏庭か、それがラズかみたいな、車からちょっと見たときの景色がなんとも独特なというか、感慨深いようだし、
確かに裏庭だよな、そうだよなっていう、なんかこう、まだいろいろこう、世界選手権に向けた、例えばゴールゲートが建ってたりとか、そういうのはテントが立ち並んでたりっていうのはなかったので、本当になんかこう、ポツンと小屋とラズが建ってるみたいな、そんなイメージでしたね。
そうですね。でも雰囲気ありましたね。
そうですね。ここに世界の強豪75人が集結するんだっていうのが不思議な気持ちでしたね。
本当にこう、こじんまりしたところに選手が75人詰め込まれるっていうところで、我々が今まで出てきたバックヤードとの違いで言うと、テントが3×3テントの半分個。
2人で1つのテントを真ん中で仕切って使うっていう。
っていうのが新しいというか、これが世界選手権かという感じでしたけど、そういうテントのいつもよりスペースちっちゃいとか、そこら辺はなんか実際どうでした?
そうですね、個人的にはあんまり気にはならなかったというか、本当にテントに戻ってやるべきことってある程度限られてて、
その中で目の前でやらなきゃいけないことに結構追われちゃうんっていうような感じだったんで、狭さがどうとかそういうのはあまり気にやらなかったなっていうのが印象ですが、
09:10
僕はダーマエさんと一緒のテントだったんですけども、やっぱり同じ国の選手が同じテントにいるっていうのは、あまりちょっと結果的にストレスかからなくてよかったなとは思っていて、
これがちょっと多分異国のうちのランナーと一緒のテントみたいな形で言うと、そもそもいろいろ気を使うこととかめちゃくちゃ多かったんじゃないかなっていう気はしていて、
なんかそんなことは感じましたね。
そこは今回我々日本チームはものすごく恵まれたというか、出場者が全体が75人に対して日本人が7人いたっていうところで、主催者も少し気を使ってくれてというか、
あとは我々がテントの位置順番に選んでいけるんですけど、割と日本チームは上位にいたので優先的に選んでいった結果、ほとんど日本テント村みたいなのが3件。
3件が2×3人でフルフル日本人、もう一つがインドのチームとシェアする形で1人、計7人分が本当に近いところで一緒に陣地を取れたので、それはやりやすかったなというところですね。
今ちょうど日本チームの話をしたので、小松さんと私以外のメンバーの話も少ししていきたいなと思うんですが、今回のメンバーで初めましてだった選手って何人くらいいました?
いや、ミスター・ロイが全員初めましてで、結構自分にとっては緊張感がありました。
じゃあちょっと事前のラップ順からご紹介をしていきたいなと思うんですが、一人目が森下てるみち選手。
森森さん。
森森さんですね。記録で言うと101週の記録を持っていて、世界選手権がスタートするまでは日本記録保持者だったというそんな森森さん。
森森さん。
日頃は愛知県にお住まいということで、愛知の方を連れてきたのかと思いきやサポートクルーは沖縄在住の方でしたね。
石垣島から。
本当に森森さんといえば、日本にバックヤードが入ってきた2020年くらいから取り組まれていて、伝説的な人っていう感じだったんですけど、実際会ってみた印象とかどうでした?
そうですね、結構レース前およびレース中はかなりレースに集中している印象があって、あんまり和やかに話すっていうような感じでもなく、結構ピリピリした空気を個人的には少し感じていて、かといって別にトケトケしてるわけではないんですけれども、すごくゾーンに入ってるなっていうような感覚はありっていうような感じでしたね。
12:22
レース中も結構早いペースでレース進められていたので、特に前半なんかはお話しする機会とかっていうのはそこまでちょっと自分はなくっていうような感じではあったんですけれども、ただレースの終盤で結構そのペースが一緒になる機会があったりとかすると、少し冗談混じりで話しかけてくれたりとかっていうようなこともあったりとかして、
すごく気さくで優しい方なんだろうなっていうようなことは後々色々接して感じましたね。
そうです。本当アスリートっていう感じで勝負に徹するっていう、その厳しさみたいなのは小松さんおっしゃるように私も感じて、でも人としてはすごく気さくというか、ちょっと冗談をめかしたこととか、そういうのを絶やさないという感じで。
そうですね。割と何ですかね、レース中もかけてくる言葉はただ元気とかそういうことよりも、少しこう、ゆさぶるじゃないけどちょっとこう面白がらせるようなことをお声掛けいただいてたなっていうのはありましたね。
2人目が、上から順番で言うと私が94ラップということでいまして、特に自己紹介を。
そうですね。岩戸から現地の様子はどうでした。当日の様子というか、スタートするまでの私のアメリカ入ってからの様子とか。
特にすごく上着いてる感じとかも特に感じず、結構いい状態で準備ができていったんじゃないかなってリラックスもしていたし、なんかそんな印象は受けましたね。
レース前に関してはそういう印象でした。
今回サポートクルーとして妻と、あとは過去4回ですかね、私をサポートしてくださってる治療科の花田てっぺいさんにもご一緒いただいてたので、そういう意味ではものすごく安心してスタートラインに立てたかなというところですね。
そして3人目が川畑和弘選手ということで通称ベルさん。この後にもいろいろ話が出てきますが、記録は92ラップということで、去年のサテライト大会、国別対抗戦の日本会場の優勝者ということで、
15:14
過去2回バックヤードに、今回の世界選手権を除くと2回出ていた中で、いずれも最後の一人になっているということで、限界を知らない男と。
無敗の男を世界に挑むという、その後どうなったかというのはまたこの後、少し話ができたらなと。
ベルさんも奥様を連れて来られていて、結婚25周年と。
そういう。
ということで奥様は見た目がかなり若々しくて、本当に25年本当に連れ添ったんですかというか、ちょっと周りの人から冗談まじりに、娘さん連れてきたんじゃないんですよねみたいなぐらいの、
そんな若々しさもありつつ、25年連れ添った夫婦としての安定感というか、そういうのもありましたね。
で、4人目が平田さんですね、91周ということで、去年のサテライト大会の準優勝。
ラストの2人まで残ったということで、九州が誇るバックヤードの記載と。
という感じで、丸眼鏡が特徴的なんですけど、サポートでいらっしゃってた奥様も丸眼鏡ということで、平田ご夫妻も結婚25周年と。
そこもまあ、
2次の路線旅行。
そうです。
安定感万尺のという。
という形で、5人目が83ですかね、前田さん、前田選手と、今下の名前が出てこなくて、あれだったんですか。
柏木博雄選手ですね、広島から参戦をしてきていて、今回はインナーファクトのアスリート社員ということなので、サポートクルーとして社長の首都さんと、
あとは治療科の森永さんを連れてきていて、厳密に言うと森永さんがサポートクルー。
首都さんはサポートのサポートという形で、レースの裏側で職場を用意して現地に届けたりとか、
あとは選択をしてとか、現地のサポートができないようなところを補う役割ということで、本当に日本チームとしてもお世話になったなと。
18:01
そうですね。
という形ですね。
そして、6人目が田中美宏さん。
82歳の記録を持っていて、山口県のランナーで、今回の日本代表最年長、57歳です。
世界的に見ても58歳が最年長だということなので、本当に一番年齢が上の部類という形でした。
サポートクルーはなしというストロングスタイルで挑まれてて、おかげでというか、今回世界選手権が本当に狭い敷地の中でやるということで、
選手1人につきサポート1人しか入れないということで、サポートクルータグみたいなの、名札で管理されるというのがあったんですが、
私がサポートクルー2人連れてきていたので、田中美宏さんのサポート枠もある種お借りする形で、
同時に私のサポート2人が同時に入れるようにしていて、田中さんに対しても適宜お手伝いするという形で、本当に日本チームとしてうまくやれた一つの要因かなという形です。
そして7人目が小松さんと。
滑り込んだ手で入りました。
75ラップで。
75ラップで。
はい。滑り込んだ世界選手権が決まったという知らせを受けた時の気持ちはどうでした?
そうですね。まさか今年出れるとは夢にも思っていなかった大会なので、とはいえ、いつか出たいなという気持ちもありつつ、
ただ確実に出れる大会ではないので、チャンスがあるんだったら行こうということで、繰り上げが決まった時にはもうすぐに即決で行くということを決めてというような感じでしたね。
ちょっとあの時は割と私もそうですし、多くの人が小松さん行けるんだっていうのでかなり盛り上がったんじゃないかなという感じですが、サポートクルーは?
サポートクルーはデッドカウガーリーオーストラリア6月参戦した時に、日本チームのサポートいただいた九州の熊本の治療科の西川さんに今回ちょっとお願いして来ていただいてというような形で退場していただきました。
本当に6月もベストを出る、ベストの走りを支えてくださった方というので、だいぶ安心感あったんじゃないですか。
そうですね、同い年なんですよ。
21:00
同級生コンベラーですね。
同級生コンベラー。
いいっすね。で、現地にはお一人で先にいらっしゃってて。
そうですね、私が先に火曜日に入って、西川さんは木曜日に出ていただいてっていうような形でしたね。
ちょっとあれですよね、飛行機が十何時間遅れるというトラブルもあって、西川先生が合流したのは金曜ですよね。
金曜です、はい、前日ですね。
木曜の夜、空港に着いて、その近くに私たち道太郎一行の宿があったので、そこに泊まっていただいて、
で、当日現地で小松さんとも合流をして節営、金曜日に節営をしたというそんな感じですね。
本当に日本代表としては、今言った選手もそうですし、サポートクルーもそうですし、
あとはメディアクルーという形で、このアファップ一緒にやっているメンバーですね、カメラクルーの野田幸四郎君と、
あとは今回初めましてだったんですけど、山内健成君というその若き二人が帯同してくれて、
我々の戦っている姿を現地から動画だったりとか写真で収めてくれたというので、
実際クラウドファンディングという形でご支援いただいた方にはクローズなコミュニティで、
今レースがこうですとか、誰々さんこういう状況ですみたいな、
よりインスタグラムとか大会公式から出るよりも少し濃い情報をお届けさせていただいたと。
同時にインスタグラムでもある程度の発信はしていたので、
日本から見ていただいてた方は楽しんでいただけたんじゃないかなと。
そうですね。結構VIXの様子が記録としてARPのインスタグラムのアカウントにも残っているので、
これはこれで後からいろんな人が見返した時にもすごく貴重な重要な情報になるんじゃないかなという気がしてはいますね。
現地の雰囲気含めて。
ありがとうございます。
はい、っていう中で本当に日本チームは人数で言うと何人いたんですかね、
もう20人弱ぐらい、15人前後いたぐらいのいう形でしたけど、
代表チームは日頃一緒に活動してるわけではないですし、厳密な意味ではチーム戦という規定があるわけではないんですけど、
チームとしての代表メンバーの雰囲気はどうでした?
そうですね。僕はすごいメンバーの中で走らせていただいてるなっていう印象がすごくあって、
なぜかというと、1年前に国別対抗戦群まで行われたサテライト大会を、
24:07
僕はそこには参加せずに、SNSを通じて皆さんが一送り日をあげられているところを見ていたんですけども、
やっぱりその1年前にサテライトの大会をSNSで見ていた時って、すごく自分と別世界の人たちが走ってるって、
すごい高いレベルでバックヤードやられてて、
自分はちょっと別次元で、こういう人たちとちょっとやってる競技も住む世界も違うなっていうような、
そんなことを感じてたメンバーがみんな、その中の上位の方々が集まって、今回世界に挑戦するっていうようなところに、
1年前、遥か遠くから見てた僕が一緒に走らせてもらうっていうのは、
なんか想像もしない舞台に、想像もしないメンバーと立てたという。
そうですね。まさか一緒に走れることがこの先もないんじゃないかなっていうぐらい、
別世界の人たちに1年前は感じてはいたので、すごく夢のような自分はあの時間だったというかですね。
ちょっとフワフワしてました。初めて皆さんにお会いした時に。
でも本当にこう、みんなある種その特別感っていうのをみんなが味わってたなというか、
わりと平田さんだったりとか、みのるさんは、田中みのるさんは、こうもう全開でこの場を楽しみに来ましたっていう感じで、
先週みんなからサインをもらってたりとか。最初は日本チームからのサインでしたけど、ちゃんと世界のすごいランナーからももらってましたね。
そうですね。
で、わりとそのサインと一緒に写真も撮ってもらったりっていうので、本当にすごい人たちであり、すごい人たちを楽しんでる人たちでもありっていう、なんかすごいこう愉快な面々だったし、
結果として戦っていく中で、わりと日本チームの結束というか、海外からもそれは日本チームが会場を盛り上げてくれてるとか、
なんかそういうふうには見てもらってたみたいで。
実は今日、YouTubeライブでラズが振り返りライブ配信をしてたという、
そうっすね。
はい、らしいんですけど、私の奥さんがそれを聞いてて、チャットGPTに音声読み込ませてようやく送ってくれたんですけど、
日本チームの組織力は素晴らしかったねみたいな、いうコメントが、私直接聞いてないんですけど、そんなのもあったりしたので。
日頃はバラバラに走ってますし、今回初めましてのメンバーも多かったですけど、結果としてなんかすごい、その瞬間の絆というか、なんか今日一体感を得られたなという感じですね。
27:11
ハーヴィー・ルースも終わった後にアイスハーシーに行ったら、日本チームの結束は一番だったねみたいな。
ずっと終わった後も応援してて、ハーヴィー・ルース自体もそうにもハーヴィーバイトみたいな感じで応援してましたけど、
なんか日本チームの応援が最高だったみたいなのが聞いて、君たちのチームはナンバーワンだよみたいな中身と、なんかコメントもしてましたね。
アメリカ人的にはちょっとリップサービスあるんでしょうけど、でもそういう世界的なランナーに言ってもらえるのは嬉しいですね。
ちなみにハーヴィー・ルースは前回大会の優勝者であり、今回も最後の4人まで残ったの、本当に伝説的なランナーという感じですね。
さっきラズーの話も出ましたけど、ラズーにあった印象とか、ラズーが言ってたことで印象的だったこととかありますか。
そうですね、私たちは家族だというふうに言ってた言葉がすごく印象的で、
あそこにバックヤードで一緒に走るメンバーもそうですし、サポートの人たちもそうですし、もしかしたら世界中でバックヤードを愛する人たちみんなのことを指していっているのかなという気はしたんですけども、
その家族で助け合って走っていくっていうような、なんかそのメッセージがすごく自分はバックヤードの根本というかそういったものに触れたような気がしたっていう気がしました。
そうですね、本当にレース中も1時間に1回スタートのベルを鳴らしに来て、ハッピータイムと叫ぶというので、
まあなんかとんでもない遊びを考え出して、ある意味手のひらで選手たちを転がしているようにも思えるけれども、
なんかそこには人と人のつながりとか、ファミリーなんだっていうことをとても大切にしていて、
世界選手権といえば、競技力の一番を競い合う、蹴落とし合うっていうよりは、
もうバックヤードウルトラは本当に最後の1人が決まってしまうけれども、それはその時取り組んだみんなの代表者1人が決まるだけのことなんだみたいな、
なんかそんなようなことも言ってたりとか、
なんかそれをこう、そうやって考えてる人とかバックヤードウルトラを生み出して、
そういうある種のファミリースピリッツみたいなものを歌っている人が生身で目の前にいるっていうこと自体が、
とても刺激的な体験でした。
本当にこう、いろんな振り返りはいろいろなことがあるんですけど、まず我々の結果とそれぞれの振り返りを話しますかい。
30:08
じゃあ小松さんから。はい、どうでした?
私は結果的に54時間でDNFという形になりまして、55周目走っていたけど、それが間に合わず54時間という記録で終わってしまったというような感じですね。
走ってみて、いつも自分は結構体が走れなくなるまで、限界まで走るっていうようなことを真剣にバックヤードを取り組んではいるんですけども、
正直ちょっとそこまで行けなかったっていうのが今回のレースだったなっていうようなところですね。
なぜかというと、やっぱり今回雨が降った影響で、2日目の昼はトレイルパートがロードパートに変わって、
1日目の夜から2日目の夜が明けるまで合計37時間ぶっ通しでロードを走るっていうような形で、
なので、37時間ぶっ通しで走って、レーススタートから48時間後に再びトレイルに戻るっていうようなところだったんですけども、
そこでトレイルに戻ったときに、ものすごくペースが速く感じて、自分の中では50キロぐらいのトレイルレースを結構プッシュしながら走ってるぐらいの印象だったんですよね。
で、そこで結構一気に力使っちゃって、ガクンと来て、半ばちょっとハンガーノック気味に体に力入らなくなってしまって、
で、体が動かなくなって、もう続けることができなかった。足が終わったりとか、体にクリティカルな異常があったわけではなく、
ただ単にこの強度に対応できなかったっていうのが僕はあったかなっていう気がしてまして、
率直な感想、今までやってきたバックヤードと全く別競技だなっていうのが、僕はすごく終わったときの感想。
ただ、そういう同じことをやってるんだけれども、コースレイアウトとか設定によって別競技に感じるような、
バックヤードの面白さみたいなものっていうのもあるんだろうなっていう気がちょっとしてみて、
この世界選手権の最後のところで、ロードとトレイルがミックスされて、こういうふうに深くとか、
いろんな条件変わっていくっていうようなところも、ラズの計算されたバックヤードの競技としての面白さっていうものなのかな、みたいなことを感じたりとかはしましたね。
なんかこれはラズが言ってたのか、走ってる選手たちが口にしてたのかわかんないですけど、
要はバックヤードウルトラはトレイルランナーのためのものでもロードランナーのためのものでもなく、
33:02
トータルランナーであることが求められる、みたいなことをラズも言ってたような気もするし、
本当に実際走ってみると、あらゆる対応力というか、作成が求められるっていうので、もちろん走力は大前提ですけど、
異なる労働トレイルっていうコンディションに対応しながら、
体のエネルギーとか眠気とか、いろんなトラブルを対処しながら、それを続けていくっていう、
創意工夫みたいなところも求められるし、もちろん精神力も出していって。
いやー、奥深いっすよね、深いね。
ちょっとこれは時系列は前後するんですけど、レースが全部終わったときに、
終わったわけじゃないか、もう100時間超えて、私とか小松さんもレース終えてて、ほとんどの選手もレース終えてたタイミングで、
ニュージーランドのサム・ハーヴィーっていう、今回は残念ながらちょっと怪我をしてたっていうので、最初は24時間だけで辞めちゃったんですけど、
118時間の記録を持っているサム・ハーヴィーが、ずっとレースが終わった後も会場にいて、
話したタイミングで、君はこんなにずっとこの会場に居続けるってことは、本当にバッキアードが好きなんだねみたいなことを英語で話しかけたら、
I'm not sureみたいな、それはわかんないけど、I'm stuckって言ってて、本当にだから車がこうスタックしちゃうように、
バッキアードっていうものにハマっちゃってる、足を取られちゃってるんだみたいな、そういうことを言ってて、
我々もまんまとスタックしている、その奥深さというか、悪魔のような魅力に。
ちょうど今コースの話出ましたけど、このVIXのコース、どんなものかっていうところですけど、
おっしゃったように、ナイトパートとデイパート分かれてますと。まずはスタートするのはデイパートなんですけど、
デイパートの印象どうでした?
そうですね。最初の11時間、スタートしてから走った時には、そこまでめちゃめちゃ高い負荷ではないなっていう気はしたんですけれども、
ただ、結構頑張り続けないといけないコース。あとは今までで、一番1時間が早く感じるようなコースでもあったかなっていう。
やっぱりトレイルに入っていくと、走る時に多分いろんなことに足元を注意したりとか、景色も全然変わるので、
そういう意味ではバックヤードの時間の流れ方も少し違ったなっていう気がしていて。
36:05
あと、日陰ではあるものの結構蒸してて、1日目なんかは特に28度くらいまで気温が上がってたと思うんだけど、
体も昼ぐらいには結構オーバーヒート気味だったんで、そういうのはちょっと感じたかな。
あとはあれですね。コースがわりとシングルトラックな部分が多くて、
良くも悪くも一回周りのペースとハマっちゃうと、自分のペースでは進めないというか、
その一体のパックという、複数人で同じペースをある種強いられてしまうっていう中で、
なかなかテクニカルなトレイルなのもあって、そもそも速く走りづらい中で、
マイペースで走れないみたいなもどかしさも途中はありました。
本当に大きい登りとか大きい下りがあるわけじゃなく、細かく上がったり下がったり。
サーフェスはどんな感じでしたっけ?
なんか土なんですけども、かなり踏み固められているような感じではあったので、
そんな印象の部分が多かったなという、高尾とか反能とか代々木公園とかのトレイルであったりとかの
踏み固められているようなところに結構近いような印象がありましたね。
サーフェスとしてはものすごく、一周6.7キロの中で150アップぐらいの感じなので、
走りごたえはありますけど、それ自体がすごいハードなコースっていう。
わけでは全然トレイルランニングの中ではめちゃめちゃ走れるコースっていうような装置さんだとは思いますね。
ちゃんとトレイルだけど、ある程度走れる動けるトレイルだという感じで。
ラズが実際レース中のライブ配信で何か言ってたらしいんですけど、
コースの設定がそこまでいわゆるトレイルランニングとして捉えたときに厳しくないのはなぜなんだみたいな質問に対して、
コースに厳しくするとコースに負けちゃうだろうみたいなことを言ってたらしくて。
なんかそこも絶妙ですよね。
確かにね。
コースが厳しくてダメだったんだとは言わせないけど、でも着実にダメージというかそういうのは残すような絶妙なというところはあります。
で、ちょっと今軽く端折ってた部分で言うと、最初に700メートルぐらいロードに出て、
350行って帰って700ロードで距離調整してから6キロぐらいがトレイルというそういうデイループに対して、
39:04
ナイトループは日中で距離調整で走ったロードを350で折り返さずにそのままガーって進んでいって、
で、この仕方ですよね。まっすぐ進んで左に行って、左に行って突き当たりに行ったらまた左に曲がって、それを奥で折り返して帰ってくる。
往復するっていう。
で、そこもどっちかというとフラット系のロードというよりは細かいアップダウンがあるような。
そうですね。多少ありますよね。
ロードパートの印象はどうでした?基本的には夜走るっていうその時間帯も含めて。
そうですね。でも自分はロードに関してはアップダウンはそんなに気にならなかったし、
結構今まで走ったバックヤードのレースで走ったコースの中では一番イージーな印象はありましたね。
ただオールロードだったんで、オールロードっていうのは結構初めてで、
そこをね、今回はやめんもっていうこともあって、
本当はロードは13時間走ったらまたトレイル戻ってっていうことだったけども、
37時間ぶっ通しロードっていうのは、でも足には結構ダメージきたなっていうのは正直あるかな。
まあその足がロードでそこまでたくさん走る形に足がちょっとできてなかったかもしれないなというのは率直にちょっと感じましたね。
今まで体験したことのないちょっと足の痛みとかでした。
なんか僕もこう予期せずロードの時間帯が伸びたっていうのに、すごいこう序盤はちょっとこう気持ちがバタバタしたの。
でも言われてみたら去年のサテライト、上野村のロードって割とオールロードの一周が100メートルアップとかっていう感じだったので、
まあそういう意味ではかなり近い感じで、自分経験してるじゃんって言い聞かせて何とか落ち着かせるような感じでしたね。
まあそういう意味では上野村とかを経験してる人からするとイメージしやすいようなコースかなっていう。
本当にこうロードもトレイルもアップダウンが細かくあるっていうところで、基本的にベースの走力が求められるようなコースだなと。
小松さんの振り返りが終わり、私の振り返りというところなんですが、私自身は65ラップをコンプリートして66周で途中帰ってこれなくなって終わったという形ですね。
42:07
で、私の場合はちょっと今回のリックスに対してどういう気持ちでやるのかっていうところがちょっと固まりきってない部分があったなっていうのが終わった後の反省はあって。
なんかジャストワンマーループってことは思っていて、一周でも多くっていうものを思っていて。
とはいえ自分の記録94っていうのを途中で意識しちゃった時に、いや今回そこまではいけないだろうなみたいにちょっとこう、なんか弱気になってしまった部分もあって。
そうなった時に結構足裏の痛みみたいなのが出ていて、痛くて苦しいのを耐えながら進むっていうことが自分がしたいランニングなんだっけみたいな。
というなんかちょっとこう半ばキレイごとみたいなところに心が引っ張られて、3年後、次のVicksで世界一を目指す、最後まで走るっていうことを一つ自分のこの3カ年の目標の一つにしてたので。
去年立てたもんね。
去年ですね。
今年Vicksに出れたってこと自体はすごい、ある意味ゴブゴブだったので、出れたっていうことはものすごくラッキーなことでもあり、大きい経験だなっていうのはあったんですけど。
なんかここで無理しすぎて、選手として壊れてしまっても良くないんじゃないかとか。
本当にだから途中はもう辞める理由探しみたいな感じになってしまっていて、走り続ける理由を見失ったまま60ラップぐらいに入り、途中62の時点であまりに足も痛いし、
辞めるっていうことをコース走りながら決めて、周りの選手にもちょっともう僕次で辞めるわみたいな、次というかこの週で辞めるわみたいなことも言って挨拶したりもしてた中で、戻ってきてサポートにもそういう風にしようと思うっていう話をして、
そしたらさっきも名前の出たサムハービーが来てくれて、君は良くやったみたいな、一分だけ目つぶっていいから、言って一分目つぶったらはいもうスタートラインだぞって言われて、
辞めさせる気ないなと思いながら、押し出されるようにスタートラインに立って走り出して、さっき辞めるって決めた週で、たまたまベルギーのマリーンっていう選手に、彼とはデッドカウガリー、オーストラリアでも一緒に走った選手で辞めるんだって言った時に、
45:22
最後の楽しみで、ちょっとスプリントしてみたらどうだって言われて、それも悪くないかなと思って、スプリントして、もう最後だしと思って走ってみたら、思いのほか体動いて走れてっていうのもあったので、
まあそのハビーに押し出されるようにスタート切って、もう一回走って走り出して、であれ、お前辞めるんじゃなかったの?みたいな、その前の週に辞めるって言った選手たちから言われながらも、もう辞めるの辞めたよって言いながら、
まあ本当に最後気力で走ったっていう感じでしたけど、まあでも本当にだからこう、振り絞って最後走ってしまったので、だんだんその精神力も尽きてきて、足の痛みも我慢できないくらい痛くなって、ペースも落ちて、そうすると眠気もきて、
で最後こう、もうコース上で気づいたら立ち止まって。
間に合わなくて。
意識がなくなってるような感じで、で最後そのロードの折り返しに着いた頃にはもう45分くらいになってて、まあちょっとまあ無理だなっていうので終わってしまった。
という、ちょっとこの結果をどう自分の中で受け止めていいのかわかんないですけど、
2つ言えることがあるなと今思っていて、
1つは足裏の痛みって、なんか前回のサテライトとかもそうだし、今までも出てたんですよね。
だからその痛みが出ないようにするために、なんかどこまでいろんなこう策を尽くしてきたんだろうかということはまあ思っていて、今回のレース中もそうですし、
結論は前足部、要は足の前半分がすごい炎症を起こして腫れてるのと、小指がちょっと根指気味なので、そこが水袋みたいになって腫れていて、ものすごく痛かったっていう。
ただ、過去のレースで言うと、すごい1日中雨の中で足がもうすごい水袋になって、しんどくって、でも最終的に税金を止めてた安全ピンで水を抜いて、もう1回走れたっていう経験とかもあって、
もしかしたらそういう処置をすればよかったんじゃないかとか、あとはもうずっと靴履いてて、ちょっと湿って、残合足じゃないですけど、ちょっとシワシワで痛い部分もあって、
48:18
テングバームとかそういうの塗ってたんで、そこまでひどくはなかったんですけど、もしかしたらそういうベビーバウダーとかそういうので途中足を乾かすような措置とかもやれたんじゃないかとか、
あとはそもそも足の炎症ってところで言ったら、夜とかだと早く帰ってきて寝てたりもしてたので、もしかしたらバケツに氷入れて少しだけでもアイシングするとか、そういうこともできたんじゃないかとか、
その自分の辞める理由になっちゃってたこと、今までのバッキャーで振り返っても原因になっちゃってたところに、ちょっと本当の意味で向き合い切れてなかったっていう、そういう後悔が一つ。
逆に言うと、そこに対してやりようはいくらでもあるし、逆に足裏以外は関節も全然動いてたし、股関節も膝関節も動いてたし、最後の最後スプリントしろって言われて40分とかで帰ってこれるぐらいの走りはできてたので、
そういう意味では本当に自分の弱点というか足を引っ張っている部分に向き合えば、まだまだその先の世界を見れるなっていうことが一つと、途中でもう一個なんだったっけな、それともう一個で言うと、
結局なんか我慢する、苦しい辛いを痛いを耐える状態モードになっちゃうと、もう先は長くないなと思っていて、やっぱり続けている人たちを見たときに海外の選手で言っても、例えば応援している人にニコニコっと笑いかけたりとか、
痛みを耐えているとか苦しみを耐えているっていうよりも、その瞬間とか走ることを楽しんでたりとか、また日本のメンバーで最後まで今回走ったベルさんとかは、ずっとちょっとクスッとさせるようなサポート車を笑わせるようなことを、中々意識が朦朧としてそうに見える中でも、そういうユーモアを絶やさなかったりとか、
本当の意味で走り続けるってなったときに、我慢比べに持ち込んだ時点で多分ダメで、そっからは本当にその時の精神力でもう何ラップかいけるかもしれないけど、
本当の意味で復活するとか続けていくっていう意味では、その苦しみと戦うっていうところから逃れて、例えば笑顔でいるとか、ユーモアを絶やさないとか、結果論としてそれができるような体の痛みの処理とかそういうことも求められるのも含めて、
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本当にこう続けてる、走り続けるっていうためには、なんか忍耐、最後は忍耐じゃないんじゃないかっていう、もちろん我慢の場面はあるんですけど、なんかユーモアとか、笑うとか、なんかポジティブな気持ちとか、そこが自分に欠けてた部分だし、そこをこう身につけて、またバックヤード走り続けたいなって。
なんか外から客観的に見てて、自分は道太郎はデッドカウガリーの方が走ってて楽しそうだなっていうのはすごく感じていて、今回なんかは一緒にレース走りながら、たまに話したりともしたけれども、道太郎疲れてんなっていう、疲れてるっていうか消耗してるっていう印象が結構あって、
自分自身も結構同じような感覚で走ってて、やっぱデッドカウガリーで走ってた時の方がすごく神聖な気持ちがあって、なんか走りながらも、なんだろう、すごくレースの中で疲れを感じるというか、走って楽しむっていうよりも疲れを感じてしまうような、これいつまで続くんだろうなみたいな、そういうちょっと気持ち的に少し後ろ向きなものが出るケースがすごく多かったなと。
っていう気はしていて、どうなんだろう、2月に丹沢で走って、その後6月にオーストラリア行って走って、10月に今回ビッグス走ってっていうので、ちょっと振り返った時にお互いバックヤードをちょっと入れ込みすぎたのかなって、連戦すぎたのかなっていう気もちょっとしていて、
体の疲れ以上に心の疲れとかリフレッシュみたいなものっていうのがしきらないまま、常にエンジン切ったらすぐまたエンジンかけるっていうのを振り返しすぎちゃってるところもあったのかなっていうのが少しレース終わって、
これは全然タラレバーとか実際、じゃあ減ってたらどうなのかっていう検証はちょっとできないけれども、そんな風にはちょっと感じる部分もあったっていうか。
なんかね、もう終わってみてすぐ思ったのは、もっともっとバックヤード走りたいって思ったんですよ。
わかる。
わかる。
結局そのレースが年に3本入ったりとか、4ヶ月スパンでとか、もちろんそういうのは、例えば生理学的に見たら何かしらの影響とかそういうのはあるかもしれないですけど、あくまでも自分が選んで、
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ある種幸運に恵まれた部分もあって、走れてっていうので言うと、それを言い訳にして良くなかったなとは思うし、言い訳にしてたわけではないですけど、
あとは結局来年、ちょっと1ヶ月スパンぐらいでバックヤードちょっと出ようかなって思ってる自分もいて、
一回、本当にこう、さっき言った3カ年計画の来年が2年目なんですよね。で、次の世界選手が3年目っていう中で、本当は本当にバックヤードに全部かけようかなというか、
コマさんの言った入れ込みすぎてたんじゃない仮説から言うと、逆張りというか、さらに入れ込むっていう、その結果どうなるかわかんないですけど、正直来年レースプランまだ考えきってなくて、国内の短いトレイルとか、
コエドオイドも出たいとか、いろいろ思ってた中で、ちょっとバックヤード中心に全部やろうかなと。で、毎月24時間のバックヤードトレーニングと、あとは来年で言うと、3、4、5で1本ずつ出ようかなと思ってるので、
本当にバックヤードの中での引き出しとか、そもそも辛いっていう状況の中でスタートラインに立った時に、自分の中で続けていく、その選択を取り続けるっていう、そこの強化というか、
それのためにはユーモアとかそういうのももちろん必要だろうし、あとは辞める理由じゃなくて、続けるための工夫を常に考え続けるっていうその習慣かもしれないし、なんかそんなことは思ってます。
なるほど、すごいね。
3ヶ月連続だ。
まあちょっとそれをどうその遠征を形にするかっていうのも、簡単なことじゃないんですけどね。
一つ、さっきも言ったバックヤードファミリーっていう、私たちは家族だっていうところで、本当に世界大会を走ったからこそ思ったのは、やっぱバックヤードを通じてとか、ランニングを通じて人と人は繋がり合えるなっていうことをすごい思って、
なので、ちょっと私は今後、海外のバックヤードを中心に行きたいなと思ったり、アファップとしてクラファーを募ってとかそういうのはもう一旦やらないっていう判断をしてるので、
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どっちかと言っても単身で、もうセルフサポート前提で海外のバックヤードを乗り込んでいって走るっていうことを、ちょっと来年テッドカウガリーとかは小松さんとかも含めて仲間で行けたらみたいな、
仲間とか、興味持ってくれてる日本の方々と一緒に行きたいなと思ってるんですけど、その来年3月に関しては、今ちょっとスペインかポーランドかどっちかのバックヤードっていうのを少し考えていて、世界選手権の会場であったポーランドのバックヤードを主催してる人とかともやり取りをしていて、
エントリーフィーはいらないから、もし来たいならぜひ来てくれと、いわゆるそんな話もあったりして、本当にバックヤードとかランニングをしてなかったら行くことのないような場所とか、行くことのない国の人たちと一緒に走るっていう経験、また自分のある種、ホームじゃない土地でそれでも走り続けるっていう経験をちょっと積んでいこうかなという。
それ自体を単純に楽しみたいし、楽しいだろうなって思う自分もいるので。
海外もやっぱり学びがすごくあるという、刺激もあるなっていうのも。
世界は広いよね。
そうですね。
本当にすごいなぁと思ったわぁ、ビッグス。
それこそね、まだ全然バックヤードとして有名じゃない選手とかもいらっしゃったけども、すごい走りしてる選手とかに、なんかとんでもないなっていう、こんな人が世界にいたんだっていうような、なんか結構その驚きが。
世界中にまだでもすごい底知らぬ力を持ってる人がたくさんいるんだろうなっていうのは、今回ビッグスでもすごく感じたっていうか。
本当に走るっていうことが好きで、自分の走る、自分の思いを走ることで表現したい人たちがたくさんいるんだなっていう。
本当の意味でスター選手とか、例えばスポンサーがついて注目されてる選手って、今回の70人の中でも結構限られてるとは思うんですけど、そうじゃない人たちのエネルギーみたいなのも、私たち自身も当てられる部分というか、気持ちをかきたてられる部分もあったし。
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私たち自身もある種そうだというか、世界から見たら誰だあの日本人みたいな中で。
今回表現できた部分と、まだまだもっと表現したいっていう部分と。
金も鳴らしたいよね。
そうですね。自己記録、PRベルっていうプライベートレコードを出したら鳴らせるっていうベルがゴールラインのところに掛けんであって。
ビッグスでPB更新ってかなり難易度高いけども、でもかなりの選手やってたもんね。
ベルさんも鳴らしてましたけど、あのベル鳴らすってすごく憧れるなってすごく思いましたね。
まだまだ我々の物語は続きそうだなって感じですけど、だし続けていかなきゃいけないなっていう、いろんなことが正直あるじゃないですか。
続けていく、やらない理由というか、ちょっとやっぱ難しいかなとか、諦めたくなる要因なんて、いくらでも正直小松さんもあると思うんですけど、私もあるんですけど。
でもこれを続けていった先の世界を見たいし、続けていった先にまた、なんかこうある種こういろんな人と人の繋がりもそうですけど。
今やめちゃダメだなっていう気持ちが、僕はすごいあります。やめられないでしょこれ。
小松さんは今後、ちょっと先の話は一旦置いておいて、直近でとか来年どういうレースをとか、なんかイメージしたことありますか。
そうですね、来年はちょっとやっぱり、サテライトの国別対抗戦に日本代表としての15人としての一人として出たいなっていうのはあって。
今回VIXX一緒に行った中で、田中実生さんと結構道中一緒に走ることが多くて、田中さんのなんか次の夢みたいなところで、
来年のサテライトでみんなでメダル取りたいんだよねっていう話を田中さんがされてて。
その話を聞いたときに、その一員に自分も入れたらすごく最高だなっていうイメージが勝手に湧いてきて。
来年は国別対抗戦の中で自分も日本に貢献して、日本のみんなでメダル取って喜び合えるっていうようなことを実現していきたいなっていう。
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そこが来年の一番大きなターゲットレースとしてちょっとやっていきたいなっていう気持ちがありますね。
あとはバックヤードはちょっといくつか、国別対抗戦の前にはデートカウガリー出たり、それ以外にちょっと出るかどうかっていうのはまだ何も決めてないんですけども。
長期的に少し見たときに、トレードランニングちゃんと強くしていかないとVIXXで通用しないってことはすごく分かったので、
やっぱりトレードランニングの総力を上げるっていうようなことを、僕は結構重点的にやっていきたいなっていう気がするので、
トレードランニングのレースをちょこちょこ定期的に入れるっていうようなことを、僕はやっていこうかなっていう、そういうアプローチをちょっと取っていこうかなっていう気がしていますね、来年は。
じゃあそうです。来年サテライト。
私も一つのメインターゲットの一つです。
いや本当日本は世界一を目指せるポテンシャルもあると思うし、過去2年は4位で終わってますけど、表彰で入んなきゃいけない国だなとも思いますし。
そうですよね。VIXXの中でも参加している選手の数としても多かったしね。
なんかそれってでも本当にその、多資産じゃないと思うんですよね。記録を持っている人がたくさんいれば勝てるかっていうとそうではないと思ってて、
いかにその、もちろんメンバーがまだ来年の8月15までは確定しないっていうのはありますけど、いかにそのバックヤードを日本で取り組んでいる人同士がつながっていくかというか、どういうチームを作っていくかっていうのも一つポイントだなっていうのは、
もちろんその日頃から走れる走れないとか、もしかしたらサテライトで初めましてっていう人たちが当然出てくると思うんですけど、
なんかこう、多資産じゃない掛け算の力を発揮できないと世界で国物対抗では勝てないなっていうのも思っているので、
ちょっと前田さんのサポートされてた森永先生とかとは少し話したのは、なんかバックヤードのサテライトメンバーが決まったぐらいのタイミングでバックヤード合宿みたいなのができたらいいねとか、
なるほど。
そこら辺に関わるようなメンバーとか、場合によってはそのバックヤードサテライトメンバーじゃなくてもバックヤードが好きだとか、
そういう人たちを交えて、ちょっとそういうトレーニング兼交流を兼ねた合宿ができたらなーなんて思ったりとか。
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確かに。
なんかやっぱりね、助け合う、いながら走れると記録伸びますよね、多分。
それはすごい思いますね。
ビッグスどうでした?その選手の助け合いっていうのは。結構国を越えた助け合いがあったかなっていうふうには。
ふらふらしてると声かけてくれる選手がいたりとか、逆に自分を結構苦しそうにしてる選手がいたりとかしたときには声かけたりとかして、
デッドカウガリーで一緒に走ったサイモンも、今回怪我しちゃって終わっちゃいましたけど、
彼が最終終わった周回はちょっと一緒に走りながらいろんな話して、
足の具合ちょっと良くないっていうようなところであれば、こういう対処したらどうかっていうようなこととかをいろんな話しながら、
ただ結局それ終わってから辞めるっていう決断はしたんですけども、
その最終周一緒に話しながら走れたとかっていうのは自分の中で結構心に残ってたりとか、
日本チームの中でも結構助けてもらうことが多かったりとか、逆に苦しそうな日橋さんが眠そうに走ってたことがあって、
そのときちょっと一緒に眠気覚ましになればなーぐらいな感じで話しさせていただきながら走ったりとかっていうようなことをしたりとか、
田中さんも最初トレイル終わって一回足つっててっていうので、足つっててやばいって言って、
その漢方薬みたいなものを渡したりとか、逆に僕がフラフラしてるときとか田中さんに押していただいてっていうのもあったりとか、
日本チームの中でも結構助け合いとかもあり、助けていただいておく場面もすごく自分も多かったなっていう印象ですね。
最後トレイル74周目走ったときも道太郎に一周引っ張ってもらって、あれがなかったらたぶん73周で、
あ、じゃあ53周か、54周目が道太郎に引っ張ってもらって、あれがなかったらたぶん53周で終わってたなーっていうようなところがあったので、
そういった意味では本当に道太郎にも助けてもらって、一周回多く伸ばせたっていうのがあったかなーっていうのもあるし。
いやー本当っすね。
私も要は一緒に走ってたメンバーがいなければ62で辞めてたところを最後3ラップ気づいたら走ってたっていう。
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まあその先もっと走りたかった気持ちと、まあたぶんもう気持ち的に辞めたくなってた自分がいて、そこがもう本当にリミットになっちゃったってことなんだと思うんですけど。
でもこう自分ではもう限界だと思った先を、その時走ってたメンバーたちが、もうJust one moreloopって。
もっといけんだろうって声をかけられて、スーパーミッチーって言って。
そんなの言われてましたっけ?
うん言ってたよ、君らができるよみたいな。スーパーミッチー。
そうですね、だから最後のところはもちろん自分というかもはや引き出し合うもので走らせてもらえる部分もあるのがバックヤードの魅力だなっていうのが。
でもやっぱ走り続けたいっすね。
やっぱ辞めるっていう瞬間、多くのほとんどの人がそれを味わうわけですけど。
なんか1年前のタカオ、ちょうどタカオ大会に真道太郎が応援に来てくれてて、
自分がその時アシストで56時間で終わった時に、自分はあの時結構限界まで走って、ここまで走れる自分がいるっていうことにも気づいたのもすごく驚きだったし、
終わった後にものすごく悔しい思いと。
あと悔しい思い以上にすがすがしい思いっていうか、あ、ここまでやり切ったぞっていうすごいすがすがしい思いがあって。
で、やっぱあの時のすがすがしさみたいなものをビッグスで味わいたいっていうか、ここまでやったと。
そしたらもうどう?一番最初に70時間やった時とかさ、終わった後に木曽さんと二人。
なんかでも僕は結構今まで、もっとやれたんじゃないかって気持ちがやっぱ残っちゃってた。
70も話し合って自分たちで辞めたので、あの鈴木やってたらどうなったんだろうみたいな。
まあそういう意味では本当の本当で、もうちょっと思いつけるくらいやったって思ってたのは、デッドクワークアリティーというかですけど、
でもそれもね、終わっちゃったなっていう気持ちだったんで。
残ってる人たちがすごい走りをしてるのを見ると、この場所に残ってたいなっていう気持ちとかすごくあったっていうか、
あの人たちがすごく、やっぱり魂の走りだよねみんな。
それ、その魂の走りでなんかしのぎ削り合うっていう、独特の中にちょっとやっぱり残ってたいっていう気持ちはあるな。
ビックス終わった後、すかすかしい気持ちで。
2年後終われたらいいなのな。出れるかっていうところも含めて。
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本当にだから目の前の一本一本のバックヤードを、本当に最後の一人というか走り続けるって気持ちでやっていかないと。
そもそも次の世界選手権の資格を取れるかも。
際どいところなんで。
参加のハードルもめちゃめちゃ上がるでしょ。
そうですね。
いやー、ちょっと今日はそういう感情的な部分の振り返りがメインで。
じゃあ何を着てたとか何を食べてたとか。
そういう振り返りは今度は11月7日に金曜日ですね。
小松さんと私の報告会という形で。
まだちょっと告知はスタートできてないんですけど、本当に近日中にスタートするものがあるので、ぜひちょっと興味がある方はそこも話を運んでいただきたいなというのと。
本当にこう話してる中でいろんなこう気持ちとか、あの時当たったこうだったみたいなのが引き出されてくる部分があるので、
ぜひ小松さんとか私とか日本チーム実際あの時どうだったのみたいなのが気になる方は現地まで引き出しに来ていただけたらなというところと。
あとはなんだかんだやっぱ走ることが好きだと、バックヤードが好きだというので、月に1回は24時間のバックヤードルをやりたいなというのの第1弾として、
イヤーエンドバックヤードをやりたい。
イヤーエンド。
11月はまだまだ回復期間というところでバックヤードルはやらないんですけど、12月の26日金曜日、ちょっとまだ仕事納めが終わってないよという方もいるかもしれないんですけど、
何ならもう年の終わりUQとか取れちゃうような人は是非UQ取ってでも来ていただきたいなというので、26日の朝8時から代々木公園で24時間、翌日の27日土曜日の朝8時までやれたらなと。
で本当にVIXを想定をして、日中はトレイルパート。代々木公園の黒巻コースですね。
あとはちょっと歩道橋とかも使って、累積標高も少し取れるようにした、我々が最近代々木公園でやっているバックヤードルコース。
そして夜はロードパートということで、一番最初に代々木公園でバックヤードルをした時のコースですね。コースがありますので、本当にトレイル、ロード、両方トータルランニングが求められるというバックヤードル練習を一緒にやりたいなと思っています。
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もちろん練習も兼ねてますけど、途中参加途中離脱可能なので、ぜひバックヤードルをちょっと体験してみたいとか、自分もバックヤードル頑張っていきたいから一緒に練習したいなんていう方は参加していただけたらなと。
ちょっとこちらも申し込むとか用意をして、お申し込みいただけるように準備はしたいなと思っています。そんなもう告知を詰め込んで終わるような雰囲気にしてますけど、何か振り返りとかありますか。
結局日本チームの話はあんまりしてなかったですけど、最後の一人まで残ったベルさん。日本記録を更新して106ラップまで行ったわけなんですけど、小松さんから見たベルさんの印象に残っているエピソードとかそういうのあったりしますか。
そうですね、ベルさんね。ただただひたすら強いなっていう印象ですね。
一週間前にレグビーはかなりのタイムで走られて、その後にあれをして100時間以上バックヤード、しかもあの難コースで走れるっていうのはすごいよね。
本当にベースの高さというか、基礎力の高さが大前提にあるなんていうのが。本当に途中ずっと言ってたのは、どこも痛いとこないし、やめる理由がないんだよなみたいな、ずっと言ってて。
そこの域だからこそバックヤードを走り続けられるっていう。
トレイルパートもベルさんが走ってるのを少しだけ見ましたけど、結構いいペースでトレイルパートも走られて、上りなんかも結構、僕なんかは上りほとんど歩いてましたけど、ベルさんはほとんど走ってた印象があったんで。
そういったところで、そもそもトレイルの走力の違いとかもかなりあったなって。
目の当たりにしましたね。
あとは関西の親父という。
面白い。
面白いですね。
すごく盛り上がってますよね。ベルが鳴らすところとか、ベルバックでベルを鳴らすっていう。
あと本当は奥さんとのコンビネーションというか、奥さんも面白い方でしたね。
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そうですね。奥さんは面白い方でしたね。
もうそろそろ終わると思うんだけどなーって。いやいやベルさん絶対終わんないですよ。
もうええと思うやけどなーって奥さんが言ってみんながまだまだ行きますよって。もうやめてくれへんかなーみたいな。
一回結構多分極限まで奥さん行ってた状態だと思うんだけど、テントで
あーこれいつになったら終わるんだよーって言って水飲んでフルーツコート買って。
見ててやー。
そんな姿を買い上げました。
僕はベルさんと同じテントだったので、そういう意味では奥さんのモードが入ったというか、
いやーなんかあの人昔から変な人だったねーよーみたいな。
ちょっとこう慣れ染め話を急に話してくれるっていうシーンがあって。
最初に会った時、こんなこと言ってきてーみたいな。
それほんと変ですねーみたいな。
あえてこの場では言わないですけど。
なんか本当にでも面白おかしく、なんか常にこうひょうひょうとされてるご夫婦の絆というか。
まあそんなものを見せつけられん。
私と妻は新婚でその25年の積み重ねを見せつけられ、
まあこんな風に僕たちなりにしか積み重ねてはいけないと思うんですけど。
またその25年先こうなんか培われたものがあったらいいなーと。
25年先一緒にVIXX出て。
そうですね。25年。まだ私55歳ですからね。
今年の田中さんより若いですから。
なので、まあまだ物語は続いていくということで、
まだまだVIXXの裏側を知りたいという方は先ほど言った報告会でも来てほしいですし、
あとは我々またバックヤードをターゲットに走り続けるので。
ドキュメンタリーもVIXXも制作するっていうことなので。
ショートムービーみたいなことですね。
そうですね。どっかで皆さんに見ていただく機会っていうのも。
あとあれです。
オーストラリアのドキュメンタリー、今度11月12日熊本行きますので。
はいはい。
こいつ熊本か。はい。
という感じで、引き続きバックヤードの魅力というか、
バックヤードに魅了されてしまった我々のいろんな話をお伝えしていけたらなと思います。
では今日は長々と聞いていただいてありがとうございました。
1:21:01
ありがとうございました。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
01:21:24
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