2025-11-12 45:00

#17-2 道徳・倫理とセラピストの働き方/学び方

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

このエピソードでは、道徳と倫理がセラピストの仕事に与える影響が議論されます。また、個人の価値観の形成過程や倫理観と道徳観の重要性にも触れられています。理学療法士としての働き方や学び方を、特殊技術やエビデンスに基づく医療、倫理、法理主義などの観点から探ります。特に、患者へのアプローチやセラピストとしての役割、制度内での課題や必要とされる支援について考察します。経済的リテラシーやマネーリテラシーの重要性が、セラピストの働き方や学び方にどう関連するかも論じられます。音声教育の影響や倫理観の重要性についても言及されています。また、宗教や道徳倫理観を通じて、セラピストの働き方や学び方について考察し、意見交換の重要性にも触れています。

道徳と倫理の形成
こんにちは、田代です。こんにちは、堀です。
Advanced Therapist エピソード17本目の後半部分ということで、前回はですね、結構歴史的な宗教の流れとかも、
振り返りながら、宗教とは何ぞやとか、教義ドグマみたいな話もあったんですけど、
これと合わせてやっぱり道徳・倫理みたいなところも考えたら、考えた方がいいよねみたいなところとか、
哲学とかも絡んでくるところだと思うんですけど、その辺を話していけたらなと思います。
よろしくお願いいたします。前回、宗教の話をたくさんしましたので、もう少し今回からは、
自分たちにおける価値観に関わるような道徳だとか倫理観というのが一体どういうふうに形成され、
自分たちの中に備わっているのか、ということがすごく重要なテーマになってくると思うんですけれども、
僕自身の道徳観とか倫理観というのは、もちろん学問的に倫理学とか、
あるいは道徳哲学とかというふうに捉えた上での説明はできるんですけども、
それ以前に日本人的とか、あるいは福岡の北九州に生まれたからとか、
自分の両親から教えられたからとかっていうような基準というのをやっぱり持っているんですよね。
倫理観の重要性
この三つ子の魂100まで的な価値観というのは、なかなか崩しがたい。崩す必要もない。
といったところで、田代さんが自分の中でしっかり抱えている倫理観とか道徳観とかってあったりしますか。
何なんですかね。でも一言に単純に言うと、人の嫌がることをしないとか、そんな感じですかね。
自分が嫌だと思うことは相手も嫌だかもしれないし、相手が嫌がることをしないみたいな感じな気がしますけどね。
まさにそれはキリスト教でも仏教でも言われている話で、社会形成の中には非常に重要な概念だということですね。
例えば人のものを取っちゃいけない、人を攻撃してはいけないとかっていうのと同じように、
安心安全のために重要な価値基準、いわゆる倫理観ということですよね。
ですね。善悪とか正義とかそういう話になってくるかもしれないですけど、根底はそういうところにありそうな気がしますね。
そこに条件をもう少し思考実験的に増やしていったときに、家族の嫌がることをしてくる隣人に対してはどうします。
そうですね。直接言って変わるようなことであれば言うかもしれないですけど、警察みたいな権力に頼ることもあるかもしれないですし、
どっちかというと直接関わってしまうと違ったリスクも生まれるかもしれないので、結構環境調整みたいなことからこだわるかもしれないですね。
じゃあもう一個踏み込んでいって隣の人が包丁を持って訪ねてきたと、自分は手にたまたまバッドを持っていたと、どうしますっていう。
そうですよね。正当防衛するかもしれないですね。
でもそれはその人から、ナイフを持っている人の嫌がることですよね。
そこはやっぱり優先順位がつくんでしょうね。自分とか身近な人を大切にしようっていうような。
だとすると一番大切な倫理観というのは、自分の大切な人を守ろうということになるってことですかね。
うーん、ですかね。この話の流れからすると。
だから何かを守るために、さらにもう一個増援して拡大したところに他者との共存があったということですよね。
いわゆる生存本能的なもの、あるいは自分自体と自分の周辺におけるものをいかに守ろうとするかっていうような。
マズロの段階でいうと一段階ということですね。
二段階か。命の危機に対するものを守ろうとするっていう。
でもそうなってくると、ある種誰もが持ち得るものだと思うんですけど、
それをさらにもう一個拡大していったときの倫理観っていったときに、人の嫌がることをしないっていうことプラス何かあったりしますか。
その辺でいうと、たぶん中学校ぐらいで将来の仕事何かなみたいな考えたときに、人の役に立つ仕事をしたいなみたいなので、
セラピストと社会
教育とか医療とかに興味を持ったのはあるんで、できるだけ世の中の多くの人に役立つことというか、
悩みを解決するとかっていうのができたらいいかなみたいのは、この部分にありそうです。
いいですね。今、先ほどの人の嫌がることをしないっていうのは、しないっていう方向だったので、行動の抑制系ですよね。
今の人の役に立つことをしたいというのは、行動を促進する方の倫理観なので、とてもいい回答でした。
ありがとうございます。
人っていうのは、抑制と動機づけになり得ることがある。
その動機づけになり得ることっていうものに、どのような競技を持っているのかっていうのはすごい重要だと思うんですよね。
しないとか、ルールを守ろうとかっていうのがどちらかというと、倫理とか道具とかって言われることになってくるので、
それを2本持っておくっていうのがすごい必要だと思っています。
そうですよね。身近なところでも多分どっちも揺れ動きで考えているような感じで、多くの人になることはしたいと思うけど、
それやりすぎて身近な人にデメリットがあることだったら、ここまでは抑えとこうかなとかっていうのを多分普段から考えてやってるんで、
確かにこの抑えるとこと、ポジティブな増やすとこと、両方考えてるなと改めて思いましたね。
なのでまず僕自身が常に考える行動のスタート地点って言った時に、人が嫌がること、人が喜ぶことっていうのが仮にあったとした時に、
どちらを今回優先させたいかっていう風に動くと動きやすい。その人っていうのは自分を含むということですよね。
自分が良いと思うこと、自分が嫌だと思うことが行動基準にあった時に、
ただ結構今の若い方、大学生なんかに聞くと、自分が喜ぶことあまりしないんですね。嫌なことはしないっていう方が強く出やすいっていう。
結構だからやらないっていう判断。やるっていう判断は喜ばしいという判断、刺激プラス、やらないと怒られるとか、やらないと損するというものが出てくるんですよね。
やらなくても損しないってなった時に、やらないっていう方のエネルギーは結構強いです。
なるほど。やったら何かポジティブなことがあるかもしれないけどっていうことですか。
そうです。やらなくても損はない。
なるほど。損したくないっていう方に引っ張られやすいっていう人間の特性はあるっていうのはありますか?
そうです。得よりも損なんですよ。だから今の学生って結構守られてるんですよね。
守られてるっていうのは良い方向で捉えておくべきなんですけども、
昔はやっぱりハラスメントっていうのが状態化していて、怒られる、文句言われる、単位が取れない、
いろいろなものがあった時にネガティブエネルギーでもあったとしてもやらなきゃいけないということで積み重ねてきた人たちって結構いるんだと。
それをやってきた人たちっていうのはネガティブエネルギーというエネルギーになるからって他の人にも与えようとするんですよね。
それがやっぱりハラスメントがなくならない現状になってくると。
だから今の守られてる子たちっていうのが今度大人になって自分たちが管理者になった時に
どんな判断で人を動かすんだろうというのはすごく興味を持っています。
確かにこういったハラスメントみたいな言葉がめちゃめちゃありふれてるから、やっちゃダメやっちゃダメっていうのがたくさんあって、
でもやっちゃダメなことだけやらないだけだと本当に何も生まれないかもしれないんで、どうしたらいいんですかね。
そうなんですよ。そこが結局ハラスメントと生産性を上げるというもののところの間が結構現代社会におけるすごく大きな問題点。
で、頑張る人たちっていうのは自分なりのガイドライン、道徳観の中で人のためになろうとかいう人たちがいっぱい働いてきて疲弊するんですよ。
なるほど。前回の話でいくと、規範とか宗教的なものみたいなのかもしれないですし、
道徳倫理としても規範はたくさんある中でポジティブなものを増やそうと思った時に、
こういうポジティブするといいよみたいな逆の規範というか、そういうのも何かあったらそっちに流されるっていうのもあるんですか。
本来はそうだと思うんですね。ただその生き物って全体的に根本的なところで言うと省エネモードで動いてるはずなんですよ。
あるいはそういうのってアトラクターって言ったりするんですけども、
地球が太陽の周りを回るとか、月が地球の周りを回ってるっていう安定した状態を好むんですね。
それを何かしようとした時に強い外力が必要なわけじゃないですか。内的な力ではすごく難しくて、
だから外力がガッと入ってくる、あるいは内的なものでガッと動かすっていうのは相当にエネルギーがいるんだと。
だから人っていうのが何か行動的になろうとした時にものすごい恩恵があるか、ものすごい罰則があるかによって動いてることが多いんですよね。
それが例えば推しがいて神的な神様みたいなのがいると動くんだと。
だけどそれが100円あげるからって言っても動かないわけですよね。
だから得って言ったものが絶対化されないっていうことだと思います。
100円じゃない、100万だったら動くけど、でも100万だったら逆に怪しいから動かないとかですね。
ちょうど適度なところで、まさに今のアイドルとかの推しとかは金銭的にもそのぐらいの範囲になってるかもしれないし、
みんな押さえつけてるからそっちに流れていくとポジティブな気持ちになれるとかっていうのでハマる人も増えてるみたいな時代感がある。
すごくやっぱりマーケットを読んで計算されているでしょうけれども、ただこれが永続的にやれるかって言ったらそうではないと思います。
アイドルっていうのがやっぱり落ち込む時代とかってあるんですよね。
だから2000年以降は、特に日本だとモーニング娘。以降AKBが出てきて、そして乃木坂になってきて、次はかわいいラボ系とかっていう風に。
あるいは反流のものがあったり、男性アイドルだとかっていうのはあるんですけども、2000年以降の一つの作られた文化形態ではあるんですよね。
1990年代とか80年代っていうのはグループよりも単独アイドルが強かったし、単独アイドルだったらやっぱりそこまでライブとか重ねられることが難しいので、
マーケットニーズを満たすことができなかったわけですよね。
今はマーケットニーズを満たすようになってきていて、競ってそれをやらせるような状態を作ってるわけですね。特にSNSの存在が。
だからこれはドグマではなくて、これは洗脳なんですよ。すごく怖いのは競技を進歩させて身動きを取らせなくさせるという洗脳が起こり得ているということを、どれだけメタ認識できるかが重要なんですよね。
なるほど。宗教っぽいというか、前回の話でも競典とかドグマみたいな話もありましたけど、洗脳っていうとちょっとまた違った意味合いの宗教か。
我々が宗教とかを怖がる理由の一つが洗脳なんですよ。僕はアイドルだとか今のお仕方というものに関して、肯定的であるが洗脳的になっている人を見たときには止めにかかりたいなと思っています。
その辺ってどう見極められる感じですかね。
一番は生活をかけてまでやることではないということですよね。例えば借金をするとか、仕事を辞めてまでとか。
いわゆるライフワークバランスを取るという、今の高市さんの早出しじゃないですけども、推しの方にライフワークを全部持っていかれているというのは洗脳ですよね。
当時の信仰宗教が出見させたりとかっていうのがまさにそれなので。個人の人生というものにものすごい影響があるんだけれども、別にアイドルだとかそういった押された人はそこを担保してくれないので。
これはホストなんかもそうだと思います。ホストキャバクラ。そういった洗脳構造というのがやっぱりあるんですよね。
言ってしまったから宗教よりもずっと危ないってことです。
個人単位で洗脳まで行き過ぎないためには何か自分の中での批判みたいなものがやっぱり必要っていうとか。
だと思いますが、それができる人たちっていうのはそもそもハマらないっていうようなやつたちも出てくるんですよね。
なるほどですね。だからそういう洗脳とかハックできてしまう人にとったらやりやすい時代感かもしれないっていうところですか。
あと個人的には思ってます。値段帯とかも上手にやったり、数の制限をして抽選にしてパチンコ状態にするわけですよ。
本当は10万人ぐらい呼べるんだけれども1万人にして外させると。そうしたら当たった人たちってめちゃくちゃ興奮するんですよね。
これだからパチンコ論理なのでそういう状態を繰り返していくと洗脳が加速されるんですよ。
だからみんなマーケットを一気に全部満たしてしまったらダメなんですよね。
だからそういった状態というのが1番はとにかくどれだけメタ認知できるかなと思います。
そうですよね。個人単位ではそういうところですし、それがセラピスト領域でも何かしらの教会とかメソッドみたいなところに流されるというか悪用する人も世の中にはあるだろうなという感じなんですかね。
特殊技術とエビデンス
そうですね。僕らが理学療法士になった頃って特殊技術が結構多かったんですね。
特殊技術っていうのはスペシャルメソッドって言った方がいいかもしれませんけども、学んだ人たちが長い年かけて学んだ技術っていうものがその人の特殊性になって
その技術はその人しかできないから患者さんに対する提供がその人しかできないものができますよ。
例えばボバースとかAKAとかBNFとかいろいろなものがあったわけです。
それを本当に長い時間かけて自分のお金かけてすごくいって、外から見る人たちは自分ができないもんだから宗教だと弾圧したりするんですよね。
これは今でも一部そういったところはあるかもしれませんけれども、結構体系化してやってた。
ボバースなんか非常に体系化してたと思うんですね。
ただやってることが外から見たらわからないってなってくると、これはあなたたちは教義を守っているだけの宗教家だっていうような扱いを受けていく。
ある種の宗教弾圧を受けたのは事実なんですよね。
結果的に5年から10年の間に農卒中ガイドラインっていうのができて、
そこでボバースっていうのはエビデンスなしというような扱いを受けることによってちょっと収束していくわけですけども、
だからその時に急にエビデンスというものがセントラルドグマに置かれるわけですよ。
それはボバースが悪いとかではなくて、急に人の概念がサクッと変わってしまったことの方に僕は怖さを感じます。
エビデンスっていうのがセントラルドグマに置かれるっていうのもありつつ、
でも科学っていうのがそもそも批判されて変わっていく可能性があるものだと思うんで、
なかなかそこにはなり得ないっていうのが実情っていうところなんですか。
あとはその正しい意味での科学ではないということですよね。
EBMっていうものは、例えばボバースに意味がない。
当時は例えば立ち上がりに意味があるってなった時に、
それを頭から信じるんではなくて、患者さんにどれがより適切かというものを、
たとえエビデンスが低いかもしれないけど、
この人は自分が持っているボバースという知識を持っていた方が絶対意味があるという判断をするのか、
この人はボバースの知識はあるかもしれないけど、それよりも運動量を増やさなきゃいけないから、
自分がいない時でも立ち上がりというものをやってもらわなきゃいけないし、
自動運動をやってもらわないとダメだという批判的吟味が非常に重要なわけですよ。
それをぶっ飛ばしちゃったんですね。
だから僕はそのエビデンス教の人たちっていうのは批判的吟味を行わない、
エビデンスというセントラルドグマに落とし込まれたと思っています。
倫理と法理主義の影響
そうですね。
もう一回考え直すと、哲学とか倫理とかが中心にあった方が、
その上にまた科学もあって職人的な技術もあってっていうレイヤーに見た方が
間違いづらいっていうところですかね。
まさにその通りです。レイヤーをちゃんと見ずに、一つのレイヤーで全てを語ってしまうと、
要は中華料理とフランス料理と日本料理、どれが一番おいしいって言ってるんですよ。
それはその人それぞれじゃんってみんな思うんですね。
だけど理学療法になった瞬間に人それぞれっていう言葉をぶっちぎっちゃうんですよ。
人それぞれ技術違うじゃんっていうところを、
いやいやエビデンスってこうなってるからっていうエビデンス教ができちゃうわけですよね。
そうですね。もう一回この中心に据えるべきものっていうのは深掘りして考えていけるといいかなと思いますけど、
これは理学療法だけじゃなくて、医学全般にも当てはまるような中心っていうところですかね。
そうですね。なので目的が何かっていうのと手段が何かっていうレイヤーを明確にした上で、
あとはそのピコがそうですけども、コンペア、つまり両方やってみようよっていう。
それはもちろん時間的制約があったりだとかするかもしれませんけど、
これとこれを比較するっていうような技術、知識というものを持たないといけませんよねということだと思います。
そうですね。この中心で以前も何か哲学倫理研究院のところ、法理主義みたいなところから考え始めたみたいのもありますけど、
根っこの部分でこういう系譜から考えていくと医学とか理学療法っていうのは考えやすいよねみたいなところって何かあったりするんですか。
確かに現代の医療というのはもちろん全てにおいて法理主義的ではないとはいえ、
法理主義自体というものを知らずに法理主義のいいとこどりをしているということは怖いさはありますよね。
最大人数最大幸福っていう部分と、あとは個人というものを見たときに個人が配達的に扱われないようにしなければいけないと。
ただこれは経済論理がどうしても法理主義で入りやすくなってくるんですけども、
経済論理が入ってきたときに税金でやるんだとすると最大人数最大幸福でしょう。
個人で自分でお金を払ってやるんだとすると、あなたのナラティブを上手に扱うようなことをやったらいいんじゃないっていう風になり得るってことですね。
だからそのだとしたって日本自由侵入がなかなか許されてないんだから難しいじゃんとかっていうようないろんなご議論になってきますね。
理学理法主として制度の中で働くとなると、その法理主義的な仕組みというか、その中で働くことになるという感じですか。
まさにその医療制度設計というのが全てがもちろん法理主義とは言えませんけれども、
そういう法理的経済論理になり立っているわけですよね。
要は休息期は2週間までとか回復期は6ヶ月までとかっていう本人の満足には成り立っていないということです。
だからその制度の中で我々は1日に例えば3台とか9台とかっていう風に決められた中で動いているので個人には根差していないということですよね。
もちろん個人に根差すことが必要かというのはちょっと一旦別ですけども、
少なくとも個人に根差していない状態で働いているんだということの認識は必要だということです。
なぜ民間両方というか資本主義的な中で個人で活動する人はまた本当に個人だけに寄り添うような働き方もあるはあると思いますし、
なぜ本当に個人に対してなのか一体多数なのかという両方の軸があるというのは認識する方が良さそうですかね。
マネーリテラシーと職業の可能性
そうですね。だからある一定のニーズを満たすというパターンがもう少し広がっていく方がいいであろうと、
特に対応化された時代、そして寿命が長くなっている時代なので、悪くなったら対応できるかもしれないけど、悪くなってないようなところの対応がやっぱり弱いと。
悪くしない、つまり予防の部分というのにお金を使っていく人たちというのが非常に少ない。
だけどもそれが啓発されていくことによって怪我が少なくなる、病気が少なくなるということ自体というのは基本的にはみんなわかっているわけなんですよね。
そこに先ほどの特に対して動くのか損に対して動くのかというところに関わってくると思いますけど、
病を損として動いて損しないために自分の活動を変えていくということが必要だろうと。
そしてそこに対してニーズを満たすような施設とか設備というものがあった時にニーズとシーズがマッチングするのかなと思ったりするんですけど、
かといって怖がらせすぎてもダメだということですね。こんなもの食べてたらガンになるよとか。
難しいところですね。予防をしようと思うと、やっぱり未来思考で今こういうことをすると未来にとっていいとか健康自分を伸ばせるというか価値を感じる人はそういうことをしやすいでしょうし、
とはいえ具貢献みたいな形で、別に今不健康なことでもやりたいことだったらやってもいいよねみたいな自由を尊重しようと思うとそういう考え方もあると思うんで、その辺のバランスどう取っていくかなとちょっと気になりましたけどね。
なのでありときり技術的な発想をどういうふうに捉えるかということでしょうね。やはりきり技術的に生きて悪くなったらもうしゃーないって思えるのであれば全然問題ないです。
でもきり技術の人ってそうはならないことが多かったりするわけですよね。ありの人たちっていうのはずっときり技術にならないので、それもそれでまたねもうちょっと楽しめようと思うんですよね。
そうですよね。だからどっちかというと現代はありっぽいくって感じなんですかね。いろいろ違反があって楽しみきれないみたいな。
特に日本の例えば経済の貯蓄論理から考えた時にはありっぽいですよね。ため込んでため込んでいくっていう。
日本自体に総資産2230兆ぐらいの資産があるわけですけど、そのうちの金融資産って1100兆ぐらいあって500兆から600兆を貯金してるんですよ日本人って。
投資に回ってるのが230兆ぐらいなので、それもうちょっと回したらいいじゃんっていう風な考え方があるわけですよ。
だけども不確定要素に対しての危機感を常に持ち続けている。あるいは30年間経済が回らなかったということを通して貯蓄、要はため込むことを願うわけですよね。
で、キリース型の人たちっていうのはきっと経済っていうのは復興するし経済に回そう。あるいは使った方が景気が回るから使おうっていう風になってくるわけですよね。
その使い方っていうのが先ほどの推し活だとか、あるいはキャバクラだとかホストだっていうやり方もあれば旅行だとか食べ物だとか。
あるいは誰かに何かを施すとかいろいろな方法はあると思いますけども、今の日本の日本人的な捉え方をするとかなりため込み方ではあるというのは事実です。
そうですね。そうなると使い方の判断というか、そこの推しとか流されるだけじゃなくて、それが悪いってわけではないですけど、使い方の判断が結構大事なのかなと思いました。
そうですね。この使い方の判断の基準になるのが価値であり、その価値自体というものを作っているもののベースがやはり競技なんですよ。
そこにぐるぐる回ってきますけれども、自分がどう考えてどう判断しているのか、何に対して価値を持つのかというときに、ある程度の理由付けができている必要があるだろうということです。
そこでセラピストで言えば、働いて自分の家族のためにお金を使うみたいなこともあるでしょうし、将来の検査のために使うみたいなこともあるでしょうし、中には単純に浪費したりとか、何か良化のために使うというのもあるかなと思うんですけど、
そうですね。その辺の何か判断基準というか、何か良い判断ができるとまたセラピストが飛躍するきっかけにはなるかなと思いました。
セラピスト自身の今、セラピストのみならずなんですけれども、単純に今やっぱり医療職種の給与が上がらないという問題がどうしてもあって、給与が上がらないと使えないじゃん。
だったら貯蓄しておかないといけないじゃんという、お金が増えないということは必ずネガティブな方に流れるんですよね。そこはどうにか打破していかなければいけないんですが、そこの単純な道筋が見えていないということ自体は、僕らでも一つどうしようもできないところだと。
ただ、お金自体というものが自分がどれくらい本当に必要としていて、ある程度の計画的に考えた時にいつに家を買おうとか、その流れっていつ結婚しているのか、あるいは子供がいつ小学校に行くのかという逆算的に結構やる人たちが多いんですよね。
特に家を買うタイミングというのは、子供を転校させたくないから、小学校までに建てようとか、引っ越そうとかというようなことになるので、それはそれで動いていったらいいと思うんですね。そのためにいくらお金が必要で、どういうふうな貯め込み方をする、その余剰分は投資するというような計画性を持たなきゃいけないけれども、
あっと自分の給与を見た時に、たまらないじゃんとかって思うと、その嘆きが全てその計画を変えてしまうんですね。かといって、じゃあ復業するかって言った時に復業する元気がなかったりですね、復業と言ってもそんなに稼げなかったりしたりするので、そういったところを相談できる窓口があるといいかもしれないですね。
そうですね。一応自分はそういう活動も細々と身近なところでしてるっちゃしてるのはありますけど、なかなかハードル高いとか難しいところもあるんですけどね。でも今後のことを考えると、ある程度経済の勉強もしたりとか、就職制度の中で働くだけじゃないお金の得方みたいなこと、投資についても含めてですけど、そういうマネーリテラシーを高めるような勉強っていうのはできる場があったほうがいいかなと思います。
本当にその今のマネーリテラシーの部分だと思いますけれども、やはり投資っていうのは、特にこれからの日本日経平均をベースにした日本の株式市場っていうのは必ず上がるんですよね。
経済的リテラシーの必要性
必ず上がるっていうのはどこまで上がるかというと、今4万8千円ぐらいですけども、10万から30万まで上がるんじゃないかと予測されているわけですよ。これは日本経済が良くなるっていうわけではなくて、インフレの問題だとか、あとは金余りが投資の方に入ってくるだとか、必ずしもポジティブではない状態にはあるんですけども、
お金の行く場所がなくなって日本の経済に入ってくるから、企業だけが儲かるんですよ。だからそのところに投資としてやっておかないと、結局今日180円で買えてたコーラが来年には300円になるかもしれない。となった時に300万円の貯蓄っていうのは180円の価値しか持たないわけですよね。
そういった経済学的リテラシーを持っておかないと、お金が価値を失っているってことに気づいてないわけですよ。例えば今2千万円を10年前に貯蓄していました。そのまま金利がないまま今2千万円持ってますって言った時に、10年前は2千万円で中古マンションを買えたかもしれないけど今は買えないんですよね。
だから使っておけばよかったってことなのか、それが10年間に2千万円を投資してて年利5%で回してたらいくらになってたってことなんですよね。2500万円くらいになってるわけですよ。そういうような状況にある程度リスクは取らなきゃいけないけれども、マネーリテラシーというものをちゃんと持っておかなきゃいけないというのが僕の価値観なんですよ。
だからその価値観というもの自体が誰かに常に競技的に教えたい、洗脳的に教えたいというわけではないですけども、どっかでホーラーって言ってしまうということがあると思います。これやっとけばよかったじゃんっていう。
そうですね。またお金の教育みたいなところでも何かサロン的な場所とかコミュニティとかに入るとそこの考え方もあると思うんで、染まりすぎるのも良くないですし、自分での判断も持ちながら広く学べるようにするためには。
あとマクロという経済環境みたいなところもあれば、ファイナンシャルプランナーみたいな人が教えてくれるような自分の身の回りのところのお金の使い方っていうのもあると思うんで、ミクロマクロ両方とも考えて学ぶ機会があるといいなと。
全然別話になるかもしれないけど、ファイナンシャルプランナーと話すと大体僕はうまくいかないんですね。ファイナンシャルプランナーがやりたいようには僕は動こうとしないというのと、もうすでにそれはやってますって答えるので、それの上のプランをくれっていうわけですよ。そうすると出てこなくて、大体一回で終わります。
そうですね。自分自身のライフプランとか考えている人は多分そこまでいらない人もいると思いますし、中にはそこから考えないといけない人もいると思うので、人それぞれというところですし、またマクロなところを勉強するのが結構難しさはありますかね。
僕としては新しい知識が欲しいわけですよ。だから専門家にいろいろ聞きたい。だけども専門家自体がさらに成長しておかないとさらなるニーズに応えられないという場面に出くわすということはあると思うんですけども、自分自身がどうなりたいかというものが広がっていくと、それはそれでまためんどくさくなってくるんですよね。
お金というのは急激には増えないので、健康に近いんですね。健康って急激に悪くならないので。逆に言うと健康っていうのを作ろうと思ったら時間がかかる。だから筋と筋はすごい大変だってよく言うんですね。筋トレとお金を増やすのはすごい大変だっていう風に。
ただやってる人が増えていくっていうのは事実で、それをガイドラインとして持っとくかどうかっていうものは大きな違いだと思います。
長期的な計画に基づいた、そこを持っていくっていうのは大事なんですけど、多分世の中だとこれやったら短期間で続けますとか、そういう情報も結構ありふれた、古代広告みたいなのもあるんで、どうしてもそこに流されてしまう人もいるかなっていう現状ですかね。
そうですね。僕もね、ああそうなんだって一瞬思ったりします。そこに飛びつくことはしませんけども、こんな便利なAIを使って月額30万稼ぎましょうみたいなのを言われると、そんなに稼げるんだって思ったりして、見たりしますもん。
それも一部の人には効果あるかもしれないけど、また期間も限定で今だけとかっていうのもあるかもしれないですし、一旦学んでみたらエッセンスみたいなことを抽出すれば他のところにも活かせることがあるかもしれないですけど、そういう批判的に見ながら信じすぎずに情報収集すれば何かと使えるものがありそうですけどね。
そういうのにあえて悪い言い方をすると、洗脳系のお金儲けの話を引っかからないためにするためには闇金の支持幕音を読むといいです。闇金の支持幕音にはそういう人を騙そうとするシステムに対していっぱい書いてあるので。
だからそのかもにならないっていうのはすごい重要だと思うんですね。逆に言うと、そのかもにならないような人たちっていうのはしっかりとメタ認知ができてたりするので、その自分のメタ認知というのを信じて確実に増やしていって、先ほど言ったライフステージに合わせた貯蓄投資というものをやりながら見ていく。
ただこれは自分が少なくとも死なないという価値観の中に立っているわけですよね。これが例えば先日提選されましたけど、ガザの人たちってそんな風に考えられないわけじゃないですか。
だからやっぱり政治的なもので日本が平和であるということ自体が前提になる。世界が平和であるということが前提になる。そういう世界経済、世界の政治っていうものに関してもやっぱり目を向けておかないと、自分が本当にそこまで生きれるのかっていうライフプランっていうのは多分外的環境の影響も絶対あるので。
それは先ほど田代さんはマクロ経済っていう風に大きく言ってくれたと思うんですけども、幅広くやっぱり見ておかないといけない。さあ面倒くさくなったぞってことなんですね。
そうですね。でもなんか幅広く見ていくと本当にこう日本の安全安心感をより強く感じれる人もいると思うので、それだったらなんか攻めようっていう気持ちになってくれる人もいてもいいかなと思います。
そうですね。攻めようってする人たちっていうのは一度攻めて成功した経験がないと攻めないんですよね。失敗したから攻めようっていう人たちってやっぱり防衛本能が働きますので、なのでちっちゃな成功を積み重ねていくようなチャレンジがどこかで必要なんだろうなぁと。
それはまあ経済学的にもそうでしょうし、学習もそうですよね。どうしても学習という投資は振り向いた時にしかわからないものなんですよね。成長している最中で全然わからないので。
だからそこに投資をした時になんだ1年経って全然価値がないじゃんって思ったけども5年経ったらあの時にやっといてよかったっていうようなものってたくさんあるわけですよね。だからその話を多くの成功者だとか成功者じゃなくてもいいと思います。達成者に聞いておくっていうのは重要かもしれませんね。
倫理観と行動規範
そうですね。確かに。短期的には少しでも進歩している感じを実感しつつ、本当に効果できるのは出るのは長い時間かかるかもしれないけど、いい道に進む人が増えたらいいかなと思うので、どうしたらいいんですかねと思いますよね。
長い時間かかるから効果が出せる。短期間で出るっていうようなものっていうのは誰でもできる。なので価値がどちらが高いかって言った時に経時的変化を求めることだと思うんですね。即時的変化っていうのはある種誰でもできたり、あるいは今後AIとかができたりすると思うんですけど、人間がやはり将棋を指す時のように
30手先に負をついた奴が効果があるっていうことを知ってるか知ってないかがすごい重要なんですよね。なんでそこで負をついたのって言った時に、乾燥戦した後にここで生きてるでしょっていうような見立て。そうじゃなくて飛車で角でガンと攻めた方が相手怖がるじゃんっていうだけではないっていうような、いぶしぎんな見立てが多分いるんですよ。
で、人に相談するっていうところは多分そういう相談をしなきゃいけないんですよね。自分はここで負をつこうと思うんだけれどもどう思いますっていう。お金儲けしたいんでどうしたらいいですかではなくて、現状自分は例えばこれまでの話で情報学を学びたいと。一つは興味がある。
あとはその中長期的に見た時に情報学ってのが価値がありそうだっていうことに関して相談してその人の知見を持って最終的な自分が判断するっていうことだと思うんですけども。自分がいろんな情報を集めた結果これが投資価値があるっていうものに行かないとそのブルーオーシャンに行ってもしょうがないので。
同社で戦うための策略っていうのを自分で考えておく必要あるだろうと。そのために多くの学びを今だったらyoutubeでもいいと思いますしノートを読むでもいいと思いますしその自分の興味として動けるものあるいは自分の倫理観道徳観としてやるべきことがわかっていることそうすると動けると思うんですよね。それが人のためなのかもしれませんしこの合間の
時に言ってたんですけど僕が今目標としていることはポルシェに乗ることとランギアンドゾーンの時計なんだって話をしたんですけどもそれ自体が例えば行動規範になったら非常にわかりやすい電卓で弾けるわけですよね。その電卓で弾いた結果この行動をすればいいと読みやすいと読みやすいわけですよ。
ただ別にポルシェとランギアンドゾーンが絶対的な真理ではなくていろいろやってきた結果最後それがあったら満足だよねぐらいの話になっているわけで絶対それに乗らないと自分は死ぬわけではないので絶対これがないとダメだというような行動規範を持っていた方がいいと思います。
確かにそうですね。自分の例で言うと最初に言った人の日あがるとことはしないよねとかできるだけ多くの人の役に立つことをしたいなみたいなのもありつつ今で言うと日本だけじゃなくて国際的にも活動してグローバルに価値発揮していきたいなとか家族としてもいつかちょっと海外住んでみたいなみたいなというか子どものことも考えると世界見ておいた方がいいんじゃないかなみたいなのもあるんで
結構その日本だけじゃなくて海外にいても暮らしていけるような収入を作っていきたいとかそういう働き方をしていきたいみたいなところは結構ルールというか条件設定になりつつあるんで
それも絶対そうじゃないといけないというわけじゃないんで、そうの中で言うと中核というよりはちょっと上の部分ですけどこういうことを考えて動ける興味ある人はなんか相談にも乗れるかもしれないですしやってるオンラインコミュニティの中行くと本当になんか宗教的に教えるとかっていう感じでもないですしなんか相談があれば乗れるようなところもあるかなと思うんで個別に言ってもらってもいいですし
オンラインコミュニティの中で相談乗るとかできたらなんかガチ提供できるかもなと思いましたがね
いや本当にその通りだと思いますでもあえてご宗教的にいきますか
そうじゃないな、教義を
教義を掲げて
宗教的にやるって難しいなぁと今今日全体的に話をしてて
どっかで相互が出てくると思うんですよね考え方に
その相互が出てきた時に自分が辛くなると思うので僕は
なので僕はやっぱりこう宗教的に扱うのは自分自身を宗教的に
例えば教祖になるとか宗教開くとかって無理だなと今日話しながら思いました
一応規約みたいのは作ってるんで
これはやってダメよみたいな規範はあるかなと思いますけど
こういくべしみたいのは今とかあんまりないですよね
そうですねまさにこういくべしっていうものをどれぐらい作るかっていう
ただいわゆる学問をやってる人間からすると学問的にこうやるべしっていうのは作れるんですけども
その人の行動自体を復活したりだとか
その人自体のその外的な動機づけに強く影響を与えるようなことってなかなか難しいなと思ってます
そうですねその中でもアドバンスドセラピストっていう名前であるように
今に満足せずに学び続けて研鑽はし続けようよみたいなのは
なんかベースにありそうな気がしましたけどね
とはいえ2人ともですけども最終的に決めるのはあなたですよって思ってますよね
それが宗教的になるっていうことはそうじゃないってことなんですよ
宗教的っていうのはそのあなたが決めることじゃなくてこっちが決めれるんですよね
それがだから強いドグマなんですよ
今やらないとどうするっていうやれっていうような
それがハラスメントではなく自分が言っているのではなくて神が言ってるんだとか
ってなってきた時に宗教化していく
だからアドバンスドセラピストは宗教化しないでしょうし
結局はそれ決めるのはあなただからあなたがやったらいいじゃん
相談には乗るよっていう立場を崩さないってことですね今のところ
そうですね本当押し付けることはしないですし
自分と香里先生の道俗感とか倫理感を別に押し付けるっていうこともないですし
関わった人の中でこういうふうなことをしたいんだけどどうしたらいいかなみたいなとこで
教えられるところは教えるし
セラピストの働き方と学び方
最終意思決定はあなたのですよみたいな適度な距離感で多分関わることになり続けるなぁとは思ってますね
性格的に
これがだからそのいわゆる押し勝つとかやる人たちっていうのは
そのある種命令をして欲してますね
命令をしてくれるようなだから命令とは言わないんだけど
グッズを買ってくほしいとかライブに来てほしいとか
そういう甘えている甘えというのはその相手に対して願いを迂回かけたりとかしてる人ないと
マーケットは動かないなという
僕らは来てもいいですよっていう立場なので
だから全然マーケットを動かそうとしてないっていうですね
そうですね
なので多分今後もめちゃめちゃたくさんの人に囲まれてみたいなこととか
コミュニティもすごいたくさんで盛況でみたいなことはないかもしれないですけど
なのである程度自立心があるというか
自分の中での軸がある人がちらほら集まってきて
でもなんか一緒に話すと楽しいよねとか
なんか新しいアイディア見つけられるといいよねみたいな感じで
多分関わってちょっとずつ広がってくるかなと思うんで
そういうのがいいなっていう人は関わってもらえたらいいかなと思いますね
雑なまとめとすると
僕も田代さんもクリフトンストレングスの戦略的思考が強すぎて
人間的構築力で動いてないんだなって思いました
そうかもしれないですね
とはいえ今回の宗教の話とか道徳倫理観とか
何か役に立ったらいいかなと思いましたし
これがお互いの戦略なのかもしれないですけど
こんなところですかね
まとまったようなまとまらないようなですか
僕らの中ではなんとなくまとまった感はありますよ
それも何がまとまったんだろうっていうことを聞いていただいて
ご意見いただけたらすごく嬉しいです
こんな感じでまた引き続きいろいろお話ししていけたらなと思いますので
今回は宗教とか道徳倫理観とかいろいろ話してみました
ありがとうございます
ありがとうございました
45:00

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