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こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
大学院進学の意義
Advanced Therapistエピソード9本目ということで、今回は大学院にまつわる話をいろいろできたらなと思っています。
最近、教育とか学習とかの話をいろいろしてきたんですけども、そこからさっきの高等教育という位置づけで、大学院に進む人も増えつつあるような感じですし、
ただ、大学院とか行くとどういう学びがあって、どういうキャリアの道が開けるかみたいなことをちょっとイメージしきれない人ももしかしたらいるかもしれないので、今回はその辺りに話していこうと思います。お願いします。
よろしくお願いいたします。大学院という前に、大学ということをこれまでいくつか話してきた中で、大学というのは高等教育であるというところ。
この辺りをちゃんと調べてみると、なかなか定義のところがはっきりしないところはあるんですけども、これまで小中高と大学というのは基本的な違いがあって、小中高は学校で大学は大学だという話をしたことがあると思うんですけども、
学校教育法においては大学も学校になるということらしいんですね。とはいえ、世界的に見ると高校と大学というものはまず違うということで、この子は話をしようと思っているということと、
大学院というのは日本語で言うと大学に院がつくということですけど、英語だとgraduate schoolなので、卒業後に行く学校という立ち位置になるわけです。
なので通常高等教育、それこそ教育というところになると、大学が最後になるということです。大学院というのは完全な研究機関なんですよね。
なので大学は学校かと言われると、大学院という存在を持って初めて大学は学校で、大学院からが研究機関という形の理解になってくると思います。
なるほど。小中高等大学の違いもあって、また大学で教員する人は、がっつり教員というよりは研究者に近いところというのもあったような気がするので、その辺の違いがちょっと明確になったなと思いました。
例えば理学療法士が大学院に行く意味というのを後に話すとして、流れとしては、大学を卒業している学士を持つ人であれば、そのまま大学院受験資格というものがまずある。
それは極端に言うと、理学療法士の資格と関係ないわけですね。
なので、本当にめちゃくちゃな発想かもしれませんけど、大学院進学して国家試験落ちても、別に大学院中に国家資格を取ればいいような感じですね。
それはなかなかそういう人っていないのはいないのかもしれませんけど、実際には大学を卒業する。
そしてそれをもって大学院に行く。
ただ、日本の教育制度の中で高度専門士という資格があります。
これは、4年生の専門学校を出た場合に、高度専門士という資格の称号ももらえるんですね。
この高度専門士というのは、公正労働省が出しているから文部科学省のものではないんだけれども、
学士に準ずるというような扱いをするんですね。
なので、すべての大学院が許可するわけではないけれども、大学院受験の要件を形状に満たすってなってるんですね。
なので、4年生専門学校を卒業して大学院に進学する人っていうのもいます。
ただ、これは学士同等の学力っていうものを証明しなければいけない大学が結構多いんですよ。
だから国公立系は別試験があったりします。
私立は、自分が私立大学の教員というところであえてじすっていくと、
大学院の進学生ってやっぱり少ないんですよね。
なのでどうしても学生確保というところで、少しそこを甘めに見て入学させるというケースもあります。
甘めに見るっていうのは、ルールを破っているんではなくて、ルールを切り切りのところでいくっていうことです。
なるほどですね。
そのへんで国公立と私立でも、大学院に行こうと思ったときの基準が違ってくるって感じですね。
そうですね。特に旧帝国大系の大学は、やっぱり外から入れるのを嫌う傾向が、
今はだいぶ減ったかもしれませんけどもともとあったので、
例えば理学療法学科を持たない旧帝でこのあたりでいうと、
例えば大阪大学なんかはそうですけども、
大阪大学に全然違うところから入ろうとするとやっぱりはじかれますね。
なるほど。
例えば神戸大学とか京大の大学院に他の大学から入るとかっていった場合は、
全然多分野じゃないというところであれば、上手に試験を受けて、
正当に入れるっていうことはあると思いますけど、
多分野に行くっていうのはかなりきついのはきついですね。
堀先生もなかなか大変だったって感じですか。
僕も大変でした。そのあたりの話はまたしつつ。
分野が連続するっていうのがすごく重要ですし、
大学が連続するっていうほうが日本においては、
好ましいと捉えられるような傾向にあります。
アメリカの場合は同じ大学に行き続けるっていうのは、
他者評価を受けれない人っていうふうに見られるらしいんですね。
だから大学院を変えていくっていうのが、
アメリカのキャリアアップのスタイルなんですけど、
日本の場合は大学院とかいろいろ変えてたら学歴ロンダリングだとかって言われたりする。
ここはやっぱり国の風土によって違うなと思います。
そうですよね。自分の場合は同じところでずっと行ったんですけど、
修士博士で変える人もいるかなと思いますし、結構いろんな流れがありますよね。
なので僕は全部別ってことです。
博士、修士、学部、専門学校全部違うので。
だからアメリカ的には対照的な状態です。
なるほどですね。
大学院に住む人っていうのも年々増えていってるって感じですかね。
これはね、はっきりとした統計がないから何とも言えないんですけど、
おそらくそんなに変わっていない。
どこを起点にするかによりますけども、
例えば僕自身が理学療法士になった1999年に大学院に行っているケースはものすごく少なかったです。
なぜかというと当時大学院を持っていたのは、
おそらく理学療法系では広島大学だけなんですよね。
広島大学に行く人か、完全に他大学に行くかということの選択に迫られるってことなんですよ。
今は先ほど言ったように、連続性があるとか学問に連続性がある、
あるいは学部から大学院まで連続性があるほうが入りやすいわけですよね。
そして当時の専門学校の卒の人たちっていうのは、
一旦大学を出ないと大学院受験ができなかったんですよ。
だから一旦大学を出るっていうのがまずハードルが高い。
そして大学院にさらに自分がいる地域に大学院がないと、
今みたいにウェブで通える大学院なんてまずないわけなんで、通わなきゃいけないわけですね。
今よりはハードルが高かったっていうことで、ものすごく少なかったんですね。
例えばこれが2015年とか2020年ぐらいのところで見ると、
大学院に関するシステム上の敷居がだいぶ変わってきているということがあるので、
どこがピークになるかわかりませんけど、
仮に2020年をピークにして、2025年を見たときに増えたかと言われると、
おそらくそんなに増えてないと思います。
なるほどですね。
また修士と博士とかでもニーズの推移が違うと思うんですけど、
修士とかだとやっぱりリアルで授業を受けることも多いかなと思いますし、
博士になるとある程度授業というよりは実際に研究するという形だと、
それぞれ違いはありそうな感じですかね。
大学院での学び
そうですね。そのあたり大学院でどんなことをするのかというところで言うと、
まず学部といった場合には124単位以上の単位を収めるということが必要であると。
なので理系分系、医学系によってちょっと違うところはありますけども、
いわゆる月曜日から金曜日まで授業に行くというのが一つのイメージになるわけです。
それはおそらくみんなが考える学校というイメージなんですよね。
大学院はどういうところかというと、
修士の場合は基本20単位の演習とか実習とかの単位が必要なんですね。
あと10単位分、修士論文の単位が必要で、
30単位で卒業2年間になるわけです。
なのでこの20単位分は、やはり大学に行って講義を受けたり、
ゼミに出席したりしなきゃいけないというところが一つ。
博士よりは大変なところになる。
よく多くの人が1年、前期後期の段階でM1の段階で単位を取って、
2年は実験だみたいな人が多かったりすると。
これ博士後期課程に行くと、3年間でたしか10単位なんですよ。
ほとんどそれは論文演習とか論文指導みたいなので消えていくので、
授業コマを取るということはほぼほぼない。
足りないからこういうのを受けようと言って、
自主的に学部の授業を受けたりMの授業に行ったりとかは許されているので、
タスクとしての単位はないけれども、時間がある分自分で何かやりなさい。
そして理科系だったら延々と実験しなさい、みたいな感じになってくると思います。
なるほど。
この辺は堀先生だと文学的なところだったと思いますし、
自分だとどっちかというと理系っぽいところだったと思いますけど、
そこの違いもやっぱりあるんですかね。
そうですね。実際には全く別世界のぐらい違うと思います。
例えば、修士というところで言うと、
僕は文学部で人間科学科というところにいたんですね。
人間科学科というのはどんなことを学ぶかというと、
哲学と心理学を主に扱う学科だったんですよ。
隣に社会学があったりだとか言語学があったりだとかってするので、
そこは横断して授業は受けれるんですけども、
基本的には哲学と心理学の授業を受けるというところでした。
ほとんどゼミはいわゆる読書会みたいな感じなんですよ。
本を事前に読んできてそれをプレゼンしなさい、そして意見交換会をするよ。
あるいは今からみんなで本を読んでいくので、
それについて何かコメントしなさい。
あとは自分の研究に対して30分くらいプレゼンして、
それでみんなから意見をもらうとかっていうのを繰り返していく感じでした。
なるほどですね。
そうすると自分たちの場合だと結構一般的な講義を受けて、
その研究のアイディアとかはゼミで考えたりして、
実際に実行していくみたいな感じだと思うので、
結構その辺は違うかなと思ったんですけど。
あと理学療法士で大学院っていうのを見せると臨床をしながらっていう形なのか、
もう完全にフルコミットで大学院に行くのかみたいなパターンがわかるような気がするんですけど、
その辺って時代の変遷があったりとかどういうパターンが多いとかあるんですかね。
昔というかそれこそ20年以上前はもう完全にフルコミットじゃないとかなり厳しかった時代はあったんですけども、
それこそ前もどっかで話したような気がするんですけど、
橋本内閣のときに式制緩和とかいろいろあって、
そしてあとは2005年に大学独立行政法人化というのが起きて、
そこから大学院のあり方っていうのはちょっと変わったんですね。
夜に授業をしなさいとか土日に授業をしなさいっていうのが始まって、
そこからフルコミットじゃなくても行けるようになってきたんですよ。
なので2000年代初頭で、それこそ僕は6限の授業をしてくれていたので熊本大学が。
だから6限の授業で単位を取れたんですよ。
あとはちょっと足りない分は昼、職場に出て抜けて授業に出たりとかしてたんですけども、
なので完全に仕事を辞めていかなければいけないっていうところは、
おそらく僕の年代から大学によっては変化してきたというところはあると思うんですね。
今の理学療法の世界ではどれぐらいかな。
例えば旧邸系のところだったらもしかしたらフルコミットの人が多い。
私立大学でフルコミットしてる人たちってのはほとんどいないんじゃないですかね。
臨床しながら間の時間で行きたい。
これもまた臨床しながらっていうところで、
2種類の収支形態っていうのがあって、
臨床と基礎研究の違い
例えば新潟医療福祉大学がやってるのは臨床収支みたいなことをやってるんですよ。
臨床をしっかりしながら臨床でのデータを集めて、
それで臨床系の研究をやって収支を取れるよっていうことをやってるので、
一旦みんな就職させて、就職先で例えばZoomを使って授業をしたりだとか、
そういうので収支を取るっていう少し障壁を下げてやっている大学なんかもありますし、
フルウェブでほとんど大学に行かなくていいから、
例えば北海道の人が大阪の大学に通うとかっていうところもあります。
あるいは毎回チャンプ来なさいっていうところもあります。
これはもう大学の考え方で全然違ってきて、
文科省ルール上は実はどれでもいいのはいいんですけども、
あとはその人気大学になるところっていうのはやっぱりウェブのところが多かったりするイメージはありますね。
なるほど。本当につい最近でいけばまたコロナもあって、
結構ウェブでみたいなところ増えてるかもしれないんですけど、
やっぱり研究の内容によっても違うかなと思いますし、
現場での臨床データを元にするっていう形であれば遠隔でもできることあるかもしれないですけど、
例えばミクロな細胞の実験するとか、マクロのデータを使うっていうのもやりやすいかもしれないですけど、
本当に現場でいないといけないっていうのと遠隔でもできるっていうのは研究分野によって違いそうだなと思いました。
そうですね。なので臨床研究をしようと思ったら自分の所属する病院でデータを取らせてもらえるのであればやりやすい。
逆に基礎研究をやろうとしてラットやるとかってなったら病院ではなかなか難しいので、
どうしても大学院に行ったりしなければ、その場所ですね、
行ったりしなければいけないということは起こると思います。
大学院での学習スタイル
なるほど。その辺の大学とか大学院ができ始めて徐々に増えていくっていう中で、
研究の流れとかっていうのは臨床系の研究がやっぱり多いのか、
だんだん細胞レベルとかミクラなものも増えていくとか、その辺って変性あるんですか?
もう理学療法っていった場合は基本的には臨床研究がほとんどだと思います。
臨床研究になってくるっていうのは一部の留派の人たち、
あるいは一部の大学院だけがやってるような感じはしますね。
だからいわゆる関節可動域の検査とかっていうのはどうしても臨床研究。
バイオメカニクスっていうのも臨床研究に近い方なので、
基礎っちゃ基礎だけど臨床研究的な扱いを扱ってるので、
本当に基礎っていった時にマウス、ラット、あるいは物理学的な研究みたいなやつは非常に少ないと思います。
最近だと社会健康医学的な、公衆衛生の方の統計とか扱うようなところに行くような人も増えてきてると思うんですけど、
それも最近の流れっていう感じなんですかね?
そうですね、MSなんとかじゃなくて、特別なあれがありますよね、消防が。
それはでもまだ日本ではさすがに少ないのは少ないですよね。
ただ今おっしゃるように公衆衛生系の特に統計を使った疫学を主とした基礎研究をやっている人たちっていうのも出てくると思います。
ただそれは電子顕微鏡とかを使っているわけではないので、在宅で実験をするということも可能だということですよね。
なるほどですね。
なので研究はそういうふうにいろいろあるっていう感じなんですけど、
改めて講義の部分で大学院で何を学ぶかっていうと、
やっぱり自然科学系のところと文学系とか社会が絡むようなところとかで内容が違うっていう感じなんですよね。
僕自身が完全に文学部しか行っていないので、自分が授業を受ける方の人間だったときに、
例えば今皆さんが思う授業っていうのは、パワーポイントを使ってスクール形式でパワーポイントの資料をもらって、
例えば空いてるマスに書き込むとかいうところですが、
そういう授業は時代もありますけども、修士や博士で一度も受けたことがないです。
基本的には著作本か教員が作ってきた資料をもとに書き合いですよね。
基本的にどう思うっていうような。
だからスクール型の講義っていうものはほぼないんですよ。
これは学部の授業を除いたとしても、人数の多さにもよりますけれども、
基本的に国立系の大学って一学年の学生数が、教員一人当たりの学生数が少ないので、
かなりゼミのような授業がすごく多くて、
例えば1,2年のころに大教室でそういう授業を受けるっていう人はいますけれども、
3,4年の授業なんか、あるいは修士の授業になってくると、
本当に5対1とか10対1とかっていうことが多かったので、
スクール形式っていうのがなかなか成立しないよなっていうのが僕の経験です。
なるほど、その辺でなんで大学院っていうと結構学び方とか学習の仕方っていうのが変わってくるんで、
そこにギャップ感じる人もいるかもしれないですし、
大学院の方が合うなと思う人と、
今までと違いすぎてどうしたらいいか分からないみたいな人、
両方仲良いそうな感じがしましたね。
まさに、なので学部までは、いわゆる受動的な学習で全然問題がないんですよね。
そして何よりも学部までは答えがあるんですよ。
だけど院になった瞬間に受動的ではあってはいけないし、
答えがないことをやっていくので、
全く世界が違ってダメだと思う人たちも多々います。
なるほど、その辺も自分も最初はちょっと苦しんだタイプですけど、
だんだんその面白さも分かってくると、むしろそっちの方が面白いなと思うタイミングもあると思いますし、
それでどういう方が得意なのかというか、個性が出るなと思いました。
本当に個性が出れますし、ちょっと偏見があるかもしれませんけども、
小中高大までの進学の中にどういった学習形態をしてきたのかっていうところで、
結構影響があるような気がします。
高校大学をいわゆる一般入試で入ってきてる人なのか、
推薦で入ってきてる人なのかで、学習形態がやっぱりちょっと違うんですよね。
特に推薦の人たちっていうのは、面接とかを主に捉えたりしているけれども、
それを練習して上がっていくっていう形になるから、
学習に関して根深くやっていくっていう経験が比較的少ないんですよね。
なので各期の期末試験までの勉強というのはできるけれども、
いわゆる実力考査とかが苦手みたいな人たちが多いんですよ。
一般入試をやってる人たちっていうのは基本的に実力考査で自分を高めていっているので、
大学院とかっていうのは定期テストではなくて実力考査の方に近いんですよね。
だから一般テスト、前期後期の決められた範囲でここまでやってきなさい、
そして授業で出すとこう言ってるよとかっていうのが得意な人と、
いやもう全然関係なく、ただひたすらに初めて見るような問題を解くとかっていうところの差は結構あるような印象を持ってます。
なるほど、そうですよね。またこの修士博士でも学位が認められる基準も違うと思いますし、
同じ博士とかって言っても大学院によっても違うかなと思うんで、
その辺はもし今後大学院見据えてるとしたら、基準どう考えていくといいかとか、先生によっても違うと思うんですけど。
大学院を見据える上でいくつかの条件というか選ぶ際に大切にしなきゃいけないのは、
絶対値があるとすればどの教員に就くかです。
これはどの大学に行くかではなく、どの教員に就くかで大学院ってのが全く違う世界になってくるということになります。
あとは、これは学問のときも言えますけど、私立に行くのか国公立に行くのかによって費用が全然違うということですね。
やはり多くの人が仕事をしながら行くことになるので、費用が抑えられるようにしたことはないというのは一つ言えるところだと思います。
あとは通いがあるのかウェブで行けるのかの違いもかなり大きいかなと思います。何よりもやっぱり指導教員です。
前回も学習の話とかで、どうメンターと関わっていくかという話もあったと思うので、
その辺は事前の自分の興味、何なのかという内面を見つめるところと、周りにどういう興味がいるのかというリサーチするところ、両方が必要かなというところですかね。
そうですね。そのリサーチ力が結局院でも生きてくるので、自分自身がいわゆるサーベイできる人間かどうかっていうのはとっても重要な判断基準だと思うんですよ。
他に言われたからそこに行くっていうのか、自分でこの研究者の論文を読んですごく面白い研究をしていて、
学会で会って話してみたらすごく良かったのでぜひ行きたいっていうので、だいぶ違うんですよね。
なので大学院って究極行かなくったって生きていける世界なところなので、すごくモチベーションベースドというか、
モチベーションがないとかなりしんどい世界になってくるわけです。
なので自分自身がある種憧れる推しを見つける、推し勝ちに近いんですよね。
だからその推しを見つけられる人はかなり強いです。
そういう推しとなるような先生とか分野とかを見つけつつ、行くかどうかを決定して、
実際に大学院に行った時には、ただ教科書を学んで理解すればいいっていうんじゃなくて、
むしろ教科書に書かれてないところを探していくとか、新しく教科書に書き込まれるぐらいのものを探求していくみたいな感じになると思うんで、
本当に学びの形とか探求の仕方は全然違ってきますよね。
なので今のところがすごく重要で、例えば大学の卒業論文っていうのは、研究を経験するっていうレベルなんですよね。
修士に行くと、自ら研究をしてみるっていうところであって、
博士は誰もやっていない研究を1個仕上げるっていうことになりますので、
そこのランクがだいぶ違ってくるんですよ。
修士は2年間で自分で研究ができるようになって、
博士になった時に新しい何かを探せる能力を見つける場所だから、
知ってものすごい新しいことをやるっていうことはあまり望まれてはいないんですけども、
自分でちゃんと1人で研究ができる、
つまり指導がなくても研究が仕上げれるぐらいのレベルにならなきゃいけないっていうところが結構ミソなのかなと思います。
指導教員の重要性
そうですね。なのでそこで修士と博士の違いがあるからこそ、
例えば修士卒でのキャリアと博士卒でのキャリアっていうのは結構違ってくるかなと思うんですけど、
今は基本的に大学教員とかになるって言ったら、
博士の学位が必要になってくるっていう感じでしたっけ?
そうですね。絶対必要かと言われると、そこまでの基準は書いていないんですけども、
JRECなんか見て教員の募集要件なんかを見たときに、
博士もしくはその同等の学力っていう書かれ方をほとんどしているんです。
博士っていうのは必ず持っておかなきゃいけないっていう書き方をしてるところもありますけれども、
絶対だって書いてるのは限りません。
とはいえ博士がないと、実は書類審査でもそれで落とされるっていうこともあったりするんですが、
博士同等の学力っていうところが、これが一般に示されてる基準っていうのがあって、
例えば学部、修士、博士といったときの、博士だけ言ってしまいますけど、
博士の基準っていうのが論文15本と言われるんですよ。
同等の学力っていうのは博士を持ってないけど論文を30本書いている人は、
博士同等の学力と認められるっていうのが一般論なんですね。
なので博士を取った方が楽です。
なるほど、そうかもしれないですね。
理学療法士で考えると、博士まで取れば大学教員っていう道も見えやすくなるっていう感じもあると思いますし、
中には修士までっていう人もいると思うんですけど、そうなるとまたどこかで臨床をするっていう人が多いんですかね。
大学院進学の意義
実際に修士を持つ人のキャリアモデルと博士を持つ人のキャリアモデルっていうところが、
今の大学教員になるかどうかっていうところですごく変わってくると思うんですけど、
博士まで行く人たちの結構なパーセンテージが、
一つは研究者になるっていうための、いわゆる切符を買いに行ってるわけですよね。
マスターで修士で終わる人たちっていうのは、
まずそこに対して行かないというある種の決め事になるので、
職場の中での一つ、専門とか認定だとかっていうもののより強いやつというような形になりますね。
同業の中でのちょっと博がつくというか、知見も身についた人っていうふうに見られるっていう感じですかね。
より的確に言うと、おそらく専門家の仲間入りというような見方をされるのと、
実際に医療現場で行くと、視覚的に医師と薬剤師はマスターなんですよ、最低学位が。
だからマスターを持ってるっていうのは、ここまで来たねっていうような扱いを受けることが結構多いです。
そこは特にどの分野の研究をしたからみたいなっていうよりも、修士を持ってるっていう形で評価されるって感じですかね。
本当にね、見方が変わってきますよ。
何とか修士っていうことになったら、結局は努力値なので、ここまで努力できる人っていうのを信用に値するっていうようなことになってきますし、
プラスそこに例えば認定で運動機とかを持っていると、ドクターがチームを作るときなんかすぐ声がかかるっていう感じになってきますよね。
現場のスキルとか知見ももちろんあるし、その学術的なことも理解してるから、コミュニケーションも得りやすいし、専門家として一位、二位だよねみたいな感じですね。
そうですね。ドクターは結構病院によりますけれども、学会活動をしている人たちが多いわけですよ。
そういったところで一緒にデータを取ったり、うちの学会に入って発表しろとかっていうところが、修士を取る段階からかなり強力になってくるというふうに捉えられます。
それがやっぱり専門卒とかだったら研究をやったことがないよねとか、修士まで行くと確実に研究をやってるっていう証明なので、研究の信頼度が相当上がります。
確かに。現場で働きながら学会発表をしたりっていう人ももちろんいると思うんですけど、そこだけじゃなくて、大学院で一通り固まった講義も学んだ上で実践も積んだっていうのは、人によっては見え方が違うだろうなって感じですね。
多くの人たちがちゃんと努力ができる人なのか、そうじゃないのかっていう、別に修士を持ってない人が努力をしていないというわけではないんです。
研究者としての成長
もし2人並べて、例えば就職の時にどちらかを選ばなければいけないってなった時に、選ばれやすくはなると思います。
努力値として、どらくえで言うと呪文を1つ多く使えるとか、あるいは戦士じゃなくてバトルマスターだ、みたいな扱いを受けるということですよね。
大学院に進んだ後に臨床系のキャリア、またRMで行く人と教育と、本当に研究をがっつりやりたいっていう感じで、研究機関とかに勤める人もいるかなと思うんですけど、そういう本当に研究を中心にやろうと思うと、やっぱり博士生まで出た後にどこかの研究機関に勤めるっていう感じですかね。
そうですね。特に研究機関ってなってくると、先ほどの博士同等学力っていうところで、博士を取ってしまった方が早いんですよね。
だから博士がまず切符みたいなものなので、博士を取ってそこから本当の研究者、つまり自分は世界に1つしかない研究結果を少なくとも1つは持っていますっていうのが博士なので、
だったらあなたに全部任せても大丈夫ですよねという切符を持っているから、研究所に行ってすいません研究の仕方を教えてくださいっていう人は雇わないんですよね。
もう即戦力で雇うっていう。
そうです。もう完全な即戦力で、場合によっては研究室1つ任すからやっといて、研究費取ってきて成果出して報告してっていうような、ある種のいい意味での丸投げをされます。
なるほど。なんとなく法律先生の中で研究職の適性が強い人と教員適性が強い人っていうのはイメージ分かれたりするんですかね。
研究職適性は例えば頭がいいとか優秀であるっていうところではなくて、毎日コツコツやる人です。これはねはっきり言えます。
1日1時間もしくは10分でも同じことを適切にやりきれる人は研究者に相当向いてると思います。相当にやっぱり時間がかかるんですよね。
だからウサギとカメで言ったときにウサギは向かないです。カメの人が確実に成果を出していくので、ドゴドゴ大学出て自分は頭がいいぞって言ってる人が潰れていく方が多いような気がします。
コツコツできる人は何か使命感があるとか、その人の個性としてコツコツできるタイプっていうのはいると思うんですけど、どういうモチベーションっていうか、あるとそういうコツコツしやすいとかあるんですかね。
モチベーション2つあると思うんですけども、1つはもうやり始めたら止まらないっていう性格自体があると思うんですよね。
僕は研究者はどちらかというとそっちが必要だと思ってるんですよ。教育というところまで入ってくるとモチベーションが興味です。
その興味っていうのは学生に対する興味を持たなければいけない、大学の組織運営に対して興味を持たなければいけない、外での学会活動だとか色々な社会活動に興味を持たなければいけない。
あるいはジムの方、食堂の方、すべての人に興味を持って何か接していこうっていう人は向いてると思います。
なるほど。ざっくり見ると広く興味を持ちやすい人は教員申しやすくて、本当に狭い領域で深く深く潜っていくのが得意とかそういう方がいいっていう人は研究、もちろんグラデーションがあると思うんですけど、そういう大きく見るとこんな感じですかね。
だから研究でなった場合はどうしてもスタート地点として研究大学に行くか研究所に行くかなんですよね。
一般の次第に行くと研究のエフォートっていうのはかなり下がってくるので、研究エフォートが高いっていうのはそれこそ旧定大系か長寿研とか産総研とかと言われるような研究所なので、
そういったところに行くにはまずそういう大学を出とかないとなかなか入れないっていうちょっとした難しさがあります。
論文作成のハードル
なるほどですね。
なのでこう大学院これから考えるっていう人も最初はこの先生から学びたいなみたいなところをリサーチしてイメージ持っておくのも大事ですし、
やっぱりその先どういう道を歩んでいくかみたいなイメージまで持っておいた方が結構意外と修士2年とか博士3年とかも結構すぐ過ぎてしまう感じもあると思うんで、
できるだけ長期的な計画とかビジョンを考えながらっていうのが良さそうな感じですかね。
まさに本当に何のために修士に行くのかっていうものがうすらとでもないと結構しんどいと思うんですよね。
言ってくれたように2年ってすぐなんですよ。
これって2年って長いように思えて修士の2年ってめちゃくちゃ早いんですよね。
その間に論文を書かなければいけませんし、これ理学系のところだったら博士もそうだと思いますが、
外部の茶読付き論文を例えば国内国外1本ずつとか国際会議に1回出席とか、
何かしらのハードルをかけられるんですよね。
それをやるのには、例えば海外の学会で、
だいたい半年から8ヶ月前ぐらいに遠大登録が終わっちゃいますので、
そこに出そうと思うと、
例えば2年本当に都合よくM2の1月に学会があるとした段階では、
M1の終わる前に遠大登録しておかないといけないわけですよ。
ということは実験は夏ぐらいに終わらせておかなきゃいけないっていう、
入って3ヶ月か4ヶ月の実験結果を確実に発表できるのが、
その次の年になってくるっていうような流れなんですよ。
だから2年ってめちゃくちゃ短いんですよね。
そうですね。
なので、あんまり気軽にパッといって、入ってから考えようみたいな感じだと、
結構取り残されるというか、遅れてしまう可能性もあると思うんですね。
だから、今すでに持っているデータをクレンジングする、いわゆるキレイにして、
それをもう入ってからすぐ発表できる準備だとか、
あるいは練習のために、
学会2、3ヶ月前に遠大登録が終了してすぐ発表できるとか、
そういうようなところを狙っていって、
あとはその大きな学会ってのは早いので遠大登録終了が。
そしてまた論文ってなってきたら、さらに時間がかかるわけですよね。
論文を出して、
査読が返ってくるのに1ヶ月から2ヶ月返ってきて、
そして1ヶ月でもう1回やり直して、
そしてまた1ヶ月から2ヶ月で再査読があって、とかってなってきて、
そっから発刊までなるとやっぱり1年かかるんですよ。
なので論文を2、3本載せなさいっていうところになってくると、
同時並行で論文を書かなきゃいけない能力が必要になってくるので、
1年に1本論文書こうとかっていうテーマ設定だとまず間に合わないです。
特に理科系はですね。
文学部は逆に言うとそういうテーマ設定が全くないんですよ。
ネット上でもいろいろなぜ文学系の博士を取るのが難しいかというような議論があってて、
悪く言うと何にも指導してくれないから。
そしてどのハードルを超えたら博士論文の提出に許されるかっていう定義がないからなんですよ。
なので指導教員によるものなのか、大学によるものなのか、
あるいは割と見えない壁があって突破しなきゃいけないのか、
これ誰も知らないです。
でも理科系のほうはどちらかというと多くのところでこの論文を通したらというところがあると思うんですけど、
実際田代さんのところは博士を論文提出までのルールってどんな感じでしたか?
それも自分の大学の研究室よっての違いはあったんですけど、
自分のところだとある程度のインパクトファクターもつく雑誌に英語で最低2本は載せるような感じが
博士の表現だったかなと思います。
IF付きの論文2本載せようと思うと、1年のとき、D1のとき、あるいはD2の前半のときのデータですもんね。
そうですね。もう博士入る前からもうある程度その目処はついとかないと3年で取り切るのはなかなか結構難しいですね。
そうですよね。だからここがおそらくMDに進学する人たちと進学した人たちの考え方の違いなんですよね。
つまり、マスターに修士に入って、よしこれから勉強して、自分の好きなことを見つけて、そこから論文を書くぞっていうのに遅いってことですね。
そうですね。その辺の覚悟の違いは結構必要かもしれないですね。
もちろんすごく修士論文のハードルが低くて、国内学会1回と修士論文1個で取れるとかっていうこともあるので、
そういうところに行くっていうのももちろんありっちゃありだと思うんですよね。
だからどういう定義、ハードルで修士が取れるかっていうのを確認するのもすごく重要なことだと思います。
いざ入ってみたらめちゃめちゃ厳しかったっていうところがあるので、その意味では文化系がいいですよ。
それがいいと感じる人と、わからなすぎて困る人といるような感じじゃないですか。
最初に僕は熊谷に入ったときに、修士論文ってのはどういうものかと言われたときに、
原稿用紙100枚以上の論文っていうのがもうそれだけしかないんですよ。
今度博士に行くと、博士予備論文っていうのを提出した後に、
原稿用紙300枚以上の論文っていうだけしか定義がないんですよ。
だからいわゆるA4でだいたい50枚ぐらいで修士、A4で150枚ぐらいで博士というような感じです。
なるほどですね。
その中に図とグラフはまずないので、全部文章ですね。
やっぱり大学院での一つの成果というか、そこが論文かなと思うんですけど、
学会発表っていうと結構臨床で働きながらとかでも発表する人多いかなと思います。
国際学会まではなかなか少ないかもしれないですけど、
やっぱり大学院で身につく能力というか、
学会と論文の関係
こういうハードルとして論文っていうのは結構大きいかなと思うんで、
この論文ってどういうものかみたいな話もしてみてもいい感じですかね。
そうですね。学会活動、いわゆる学術活動っていうのは大きく分けて3つあるんですね。
一つはその論文ということになるんですけれども、
もう一個が学会発表の口頭発表だとかポスター発表、あとは資金獲得なんですよ。
これが密接に3つが絡み合っていることなんですね。
学会発表というのは論文を書くための前段階みたいなものなんです。
論文を書いて、その論文がある程度いいものであると、
それをもとに資金獲得のための研究計画を書いたりするんですね。
研究計画の中には論文実績を書かなければいけないので、
論文が何にもない状態で資金をもらうっていうのはなかなか難しいんですよね。
これがぐるぐる回っていくってことです。
資金を獲得すると国際学会とかの旅費、参加費が取れるので、
それをもとに今度は海外の人と交流をして、
海外の研究参加をしたりだとかっていうことになってくるので、
まずは学会に参加して論文を書いて、そして研究費を取っていくっていう、
このスパイラルの中にうまく入れる人っていうのは非常にうまくいきます。
かつ、そういうのがうまくやっている研究室に入ると、
自分が途中から入れるわけですね。
つまり、研究費を取るのに論文実績がなくても、
共同研究者の論文実績が欠けるので、
そういう形でこのスパイラルにうまく入っていくっていうことになるんですね。
実際に今臨床の多くの方がドコドコ学会で学会発表します、
ということをやっておられるけれども、
そのスパイラルの中には入っていないんですよね。
ほとんどの方が自分が見た症例、あるいは自分の興味、関心に関して、
一つの形にまとめたものというところが学会発表になっていると。
実際に学会発表の数と論文の数っていうのに
乖離がありすぎるっていうのが、今の理学療法業界の問題です。
なるほど。論文が少ないっていうか。
そうです。実際論文にしようと思うととっても大変だから、
できないのは自分自身が論文を書いていてもそう思いますから、
分かりますけども、例えばある文化会が20ありますけども、
例えば100円台出ました、学会で。
だけどもそこから論文化するっていうのが、
本当に5本あったらいいかなぐらいの、
だから5%ぐらいが論文化なんですよね。
10論文あって5論文通るから5%しか論文化しないという意味です。
なるほどですね。
だから50%ぐらいはねられちゃうので。
だけども、これは自分が学会運営しているから分かってあえて批判的に言いますけど、
学会って円台数がないと結構運営的に厳しいんですよね。
よく言われるのが、円台数×3の参加者が来るって言われるんですよ。
なので円台数を通さないと参加者が増えないというところがあって、
実際に今多くの学会の円台登録率が95%を超えてるんですよ。
ほとんどが落ちないんですね。
となると、本当にそれが学術的な精査がされてるのかっていう問題が常にあります。
これでも運営側からすると、落とすと参加者来ないのか赤字かっていう形で、
コスパの問題がすごく発生しているというところに、今、理学療法の学会に強い問題があります。
なるほど、確かに。
そういう意味だと、やっぱり学会発表したから研究の実績があるんだ、みたいな思うのは、ちょっとまだ弱いかな、みたいなところで、
やっぱり論文で、茶読付きのところに通して、だからこそ研究の実績として認められやすいっていうのはあると思いますし、
その辺がさっきの修士博士を取るところだと、やっぱりその辺が求められるから、
資金調達のトレンド
周りから見ても、やっぱり研究の実績あるんだな、みたいなふうに見られやすいって感じですかね。
どうしても医療系って、研究者というのを、例えば理学療法士協会に入っている人間を、
学会発表できるから一つの研究者というふうに定義付けることができるんだとすると、
約14万人、ちょっと多めに見て14万人の会員が研究者登録されるわけですよ。
なってきたら、こんなでかい組織ってなかなかないわけで、
日本哲学会、日哲なんて1000人ちょっとしか研究者登録されてないわけで、
だからそもそもの遠大登録数っていうのがめちゃくちゃ多いわけ。
何が大事なことかというと、
どうしても小6自体というのが大体800字の文章で、
究極文章は800字しか書かないんですね。
論文と是非して扱えないわけですよ、それを。
ただ、工学系のところなんか面白くて、小6が4ページとか6ページなんですよ。
だから事前に論文を書きなさいと。
そしてさらにそれで、学会にもよりますけど、
ポスター発表と口頭発表両方しなさいと。
その後に意見を受けて論文を投稿しなさいっていうところまで、
流れができているところは論文になるんですよね。
その代わり遠大登録者が少ないってことです。
その辺はトレードオフなとこで難しいところですね。
でもそれが本来は学会の流れとしてあるほうが、
実際に自分が差読をしていく、あるいは表彰者を決めていくっていうところで、
800字の文章でその研究が本当にいいかどうかなんて正直わかんないんですよ。
発表も10分の発表をタタタタタッと聞かされて、
それを全部理解できるにはあまりにも情報量が少なすぎるんですよね。
だから例えばこれはどっかバイアスがかかってて、
どこどこ研究室の研究だからおそらくこういう流れでとかっていう、
そのバイアスがどうしても必要なんですよ。
全然単独で臨床でやられてて、初めて研究発表する人たちはやっぱり不利なんですよ。
本当はめちゃくちゃいい研究なのかもしれないのに、
それを見定めるほどの情報量がないです。
なるほど。
そういう意味では学会運営側がその学会参加者とか遠大のところに頼らない運営の基盤を持ってて、
やるとそういうちょっと発表するにもハードルが上がって、
その先の論文化するのも増えてっていう流れができるかもしれないので、
ちょっと話は変わるかもしれないですけども、
結構学会運営側の考え方にも結構よるなと思いました。
いや本当に今はもう学会運営するのがとっても大変すぎて、
とにかくマンパワーとマネタイズの問題になっていて、
参加する人たちからすると逆に言うとハードルが下がってるってことです。
なるほどですね。
そういう事情もありつつ、また論文とさっきの資金調達みたいなところで、
学術的に論文として取りやすいっていうところとか、
意義が求められやすいっていうところと、資金調達として研究費取りやすいっていうところって、
被るところもあるしちょっと違うところもあると思うので、
その辺の頭の切り替えっていうのも、長くもし研究活動とかしていこうと思ったら結構重要なところだなと思いました。
そうですね。資金調達はやっぱりトレンドなので、
自分が好きでやってる研究で資金調達が必ずしもできるっていうわけではなくて、
トレンド、つまりお金を払ってあげるんだから、
このテーマでやりなさいよっていうのが決まってるわけですね。
そのテーマの中で、例えば今だったらAIとかですね、
理学療法系だったら、例えばどんなのかな、今どういうのが出てたかな、
ちょっとパッと思いつかないですけれども、
例えば今診療報酬のところで言うと、
ウィメンズヘルスとか、あるいはめまいとか、あるいはメンタルヘルスとか、
そういったところにちょっと厚生労働省もお金出そうかみたいなところになってて、
そういうところのデータが欲しいわけですよね。
となると、それに対する研究に関しては、早めにお金出しますよとかっていうふうになります。
なるほど。その辺もリサーチ力が多分大事なところで、
大学院を選ぶ先生も探すし、
その先に実際に自分で自立していく場合には、
どういう領域を研究するかっていうのもトレンドを見つつ、
選ぶところも必要なところかなと思うところもありつつ、
また自分の内面的にずっと興味あるところもやりたいっていうところもあると思うので、
バランスを取りながらやらないといけないなと思いました。
そうですね。僕が大好きな哲学とかは、ほぼほぼ研究が通らないんですよね。
なので、やっぱり科学系でニーズが高くて社会貢献性が高いものを自分自身のテーマに設定して、
それをやっている先生かつチームでやっている研究グループの中に入っていくと、
その先の例えば大学教員だとか研究者だとかと言われるところの流れがすごく強くできると思います。
僕自身は全くそういうのに関係せずに、
どちらかというと自分の興味だけを追求してきた人間なので、
そういう大きな世界にほとんど行かなかったんですよね。
運がよく研究職ポストにはいますけれども、
もし今自分が25歳ぐらいでこのやり方をしていたら、飯食えなかっただろうなと思っています。
なるほど。その辺も周りの環境次第で、
うまく自分がハマるところが見つかるかどうかというところもあると思うので、
でもそういう運の良さというか、
そういうのも多分努力次第で切り開いていける部分もあると思うので、
今の時代に合わせてやりが作っていけるといいなと思いましたね。
研究者としてのキャリア
だからその修士博士、これは後の未来の話で、
お金の話をもう少し深めていかなければいけないと思いますけれども、
実際に確かに研究職になっていくということを目指していくと、
いわゆる臨床後の理学療法士よりは給与が高くなる傾向にはあるんですよね。
あとは研究費を取っていけば、その研究費でいろいろなものが買えるわけなので、
その収入以外のもので自分の生活物品だとか、
あるいは旅行って言っちゃいけませんけども、
出張ができて、その出張を通していろいろな場所に見て経験値が上がるということができますので、
収入以外のものがすごくはっきりと上がってくるというのが、
研究者の特徴なのかなというふうに思います。
確かに。実際、教員のキャリアとしての収入以外に研究費を取ってきて、
それで活用できるものというのも増えていくというのもあると思いましたし、
自分の場合はどちらかというと、独立して企業に関わったりしていると、
やっぱり今だと株式会社とかのほうが予算があったりして、
そっちからの費用を活用して研究するみたいな形だったりとかもあるかもしれないので、
前半部分は大学院に関してとか、キャリアについての話もできたんですけど、
後半部分だともうちょっと現実的なところとか、
他に関するところも深めていけたらいいかなと思いました。
はい、では前半はこれで終了ですね。
はい、ありがとうございます。